松岡社長の経歴
社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社BlueMeme代表取締役社長 松岡正則様でいらっしゃいます。
まずは、経歴のほうをご紹介させていただきます。
1998年、大学卒業後、ソフトウェア開発会社でキャリアをスタート。
その後、ネット証券会社サップ、そしてアメリカのサンマイクロシステムズ日本法人を経て
BlueMemeを創業なさっていらっしゃいます。
そして、2021年には東北小黒市場に上場されている上場企業の社長様でいらっしゃいます。
松岡社長様、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
出身は熊本県の菊地市というところになります。
なるほど。では、熊本で小学校時代を過ごしになられたということでよろしかったでしょうか?
そうですね。菊地市の温泉街の商店街に住んでおりました。
その小学校時代はどんな少年だったと思いますか?
小学校は今の仕事につながるのですが、パソコンを小学校3年生の終わりか4年生の初めのころに父が買ってくるんですね。
それを触り出したのがちょうど10歳ぐらいのころだったと思うんですけれども、
そこからプログラミングという方向にいく転機になったのがちょうど小学校ですね。
随分早いところから出られますから、NSCとか富士通とか。
そうです。NSCのパソコンですね。
当時ファミリーコンピューターというのがファミコンですね。
あれが1985年ぐらいに出てブームになるわけなんですけれども、
ファミコンが欲しいんですよね。小学生でゲームをしたいと。
でもパソコンがやってくるんですよ。
パソコンって当時ファミコンのまあまあ10倍20倍高いわけですよね。
高いってことはきっとすごいことができるって思っちゃうんですよ、子供は。
なのでこのパソコンを操れたらファミコンを超えられるぞと思って、
どうやって動かすのかなと思ったらプログラミングっていう方法があるので、
それを雑誌をひたすら買って見て打ち込むっていうのを
小学校高学年から中学生の時にやってたっていう。
すごい商品でらっしゃいますね。先進的ですし。
すごくゲームをやりたいっていう思いでやったんですけども、
これね後で気づくんですけども、
1万5000円ぐらいのゲーム専用機と2、30万のパソコン。
やっぱりゲーム専用機に勝てないんですよ。
それが僕はやっぱりすごく面白いなと思ったんですよね。
じゃあこの20万30万の機械って何に使うのって。
大人はこれを何に使ってんだと。
たまに父がマージャンのゲームをやってるんですけども、
他に使い道あるのかなみたいなね。
ワープロは当時まだワープロがあったんですよ。
パソコンが出てきた時にワープロはみんななくならないって
専門家の方が言ったんですけども、
今ワープロ多分ほぼなくてですね。
パソコンに変わってると。
そういう時代の時にワープロがあって文章を作るのはワープロでいいけど
パソコンって何に使うんだろうっていうのが疑問で
プログラミングをして何が作れるのかなってひたすらやってたっていうので。
変わってるって言えば変わってるんですけどね。
プログラミングで自分の独自のゲームとかも作りになったんですか。
独自のゲームはいろいろ作りましたよ。
最初は必ずボールをバーで跳ね返して
ブロック崩しっていうのかな。
あれを練習で必ず作るんですよね。
あれをいろんなパソコンで作ってみて
パソコンごとにプログラミング言語が違うんですよね。
命令も違うので異なる言語を覚えていろんなパソコンで作っていくと
だんだんパソコンっていうのがわかってきて
中学校ぐらいの時は突然プログラミングのソースコードが
パーッと見た時に意味がわかるようになったんですよね。
これまでは誰かが作ったものをただ記号のように打ち込んでいた。
ゲームをやりたいので無心で打ち込んでいるんですけども
ある時パッと見た時に読めるようになったんですよね。
この体験って多分僕らが日本語をしゃべれますけども
突然子供がしゃべる時あると思うんですけど
あの感覚じゃないのかなと思って
その体験がどうしても忘れられないというか
ハッとする体験蓄積されたものがつながる体験
これをやりたくてIT企業ってIT業界はいろんな新しいことを生み出していって
どんどん世の中が変わっていくと突然AIが出てきて変わったりと
それを体験したいのでこの業界にいるんじゃないのかなと
当時の経験を振り返ると思いますね。
なるほど当時のプログラミング言語だとC言語とかそういう系ですか
文化祭でのマッチングサービス
当時はベーシックがメインですね。ベーシックとCですね。
なるほどありがとうございます。
中学時代もプログラミングばっかりやってらっしゃったんですか
中学もプログラミングをして中学校の頃はまだインターネットなかったので
パソコン通信ってのがあったんですよ。
そこに大人の人とチャットしたりとか
大人の世界にねちょっと中学生なんですけども
大人の振り子でチャットして話すとか
あとはソフトウェアを作って公開してダウンロードして
意見もらうっていうのをちょっとやってたんですよね。
ちょっとすごい先進的な少年でらっしゃったんですね。
そうですね。でもみんなやってるのかなと思ったんですよ。
パソコンを持ってる人は。
私温泉界の生まれなので特に周りにコンピューターやってる人ってそんなにいなくてですね。
雑誌とか見るとみんなやってそうに見えるので
じゃあみんなパソコン持っててこういうことやってるんだと思って
いろんなことを試してやってましたね。
当時の中学校だとパソコンでプログラミングまでやってるなんてお一人だったじゃないですか。
中学校は多分一人っていうか
あんまりその話題は学校では出てこないので
多分話してないんだと思うんですけども。
多分年代的には私のほうがちょっと古いんですが
おそらく3、4年も私のほうがちょっと先輩ですが
私の中学時代でNECの60シリーズとか88シリーズとか98シリーズ持ってるのは
5名いたかいないかぐらいな感じですので
おそらくその中でプログラミングしてるのは一人もいないぐらいなんで
すごい先進的だと思うんですけども。
そうですね。自宅にあったのは8801系ですね。
6001はオレンジのキーボードのやつなのかな。
私がプログラミングを始めるきっかけは
やっぱりわからない本屋に行くんですよ。
近くに書店があって通学路の横にいつも書店があって
行きは寄れないですが帰りはいつも寄ってた書店があって
パソコンを使うにはどうしたらいいかなと思った時に
昔ゲームセンター嵐ってご存知ですか。
ゲームセンター嵐が
こんにちはマイコンっていう漫画があって
そのゲームセンター嵐のキャラクターが
プログラミングを説明していく漫画があるんですよ。
僕たぶん漫画はそんなに読まないんですけど
それが人生で5冊ぐらい読んだ漫画のうちのたぶん2冊がそれで
それでプログラミングを学んでやったんですけど
それがたぶん6001シリーズなのかな。
私が持ってたのが8800なので
言語がちょっと違うんですね。
それを書き換えながらプログラミングを覚えたっていうのが
ちょうど中学校ですね。
ちょっとすごく懐かしい話ですね。
私が乗ってしまいました。
ありがとうございます。
その後高校は熊本の高校であったのかな。
高校時代はどんなことをして過ごしたような思いでございますでしょうか。
高校はたぶん今の事業につながっているのが一つありまして
文化祭でマッチングサービスをやったんですけど
マッチングサービスは簡単に言うと文化祭の日に
コンピュータルームって部屋があってですね。
そこに行って学生番号を伝えると
自分に相性のいい異性の名前と学籍番号が出てきて
相性の何パーセントっていうハートマークの紙が
プリンターから出てくるんですよね。
プリンターも昔は1枚ずつ出てきて
少しずつ出てくるんですよ。
名前が少しずつ見えてきてっていうのをやって
それがめちゃくちゃ流行って行列ができたっていうのが
僕の思い出というか
起業しようと思った転機になったきっかけですね。
なるほど。今マッチングサービス非常にいっぱい出てますし
どうしたらすると一番の先駆者だったかもしれないというわけですね。
そうですね。あ、ただねこれは
実はお遊びで作ったマッチングサービスみたいなプログラミングが
学校にあったんですよ。
で、使われてなくて
それをNECの9801に書き換えて
面白くして文化祭で作ったと。
ただすごい大変だったのは
データを集めなきゃいけないんですね。学生のデータ。
学生番号を入れたらその人が誰かと
マッチングするのでもともとデータを入れてないといけないので
これを集めるのがとっても大変だったんですよ。
先生に言っても理解されない。
まず全校生徒のデータくださいって言ったら
いや何に使うんだみたいなこと言われるんですよ。
いやマッチングっていうか相性診断やりたいから
いやそんなの渡せないとか言われて。
ただコンピューター室の先生とかをうまく使ったりとか
下駄箱にアンケートを入れたりとかいろいろやって
データ集めてサービスにしたっていう思い出がありますね。
お一人でやったんですか?お友達でやったんですか?
いや一人でやってますね。
その時から行動的というか社長キスみたいなのが
あららやったんですね。
それはちょっとわかりません。
あだ名は社長ってあだ名がついてたんですよその時に。
それはなんで社長ってあだ名がついてたんですか?
多分ブレザーの高校だったのでネクタイをして
腕ちょっとまくりながらプログラミングしてたんですよ。
ブレザーがプログラミングしてた姿が
社長っぽかったのかなと思いますけどね。
ちょっとわかりません。
そのまま社長になられたとかいう感じになりますね。
その時は別に自分で起業しようって思いはなかったんですけども
コンピューターを使って新しいサービスを使うと
こうやってこんだけ人が動くんだっていうのは
サービスを何か提供したい価値があるものを出したい
っていう思いに多分つながってるかと思いますね。
なるほどありがとうございます。
大学はどちらにお住みになりましたか?
大学は福岡で行って
うちの家系が実は教育家系ですね。
母方がずっと多分江戸時代の前ぐらいからずっと教師をやってまして
私が覚えてるのはおじいちゃんが校長先生だった頃は覚えてまして
うちの姉も教師とかやってですね。教師家系なんですね。
そういったこともあって
これだけパソコンやってると
情報工学部とかに皆さん行くと思うんですけども
私は自分でやってるので行かなくてもいいやって思ってですね
教育学部で物理学科っていうのを専攻するんですよ。
理系でいらっしゃるっていう。
そうです。
じゃあ教師になる方角には大学時代は向いてらっしゃったという感じでいらっしゃいますか?
大学の頃は教師になろうとは全く思ってなくてですね
コンピューターを使って仕事したいなって
ちょうどコンピューターグラフィックスとか音楽ですね
これが流行っていたので作曲したりとか
コンピューターグラフィックスを作るのをずっとやっていて
それなんかちょっとアート系ですかね
アート系でIT使うものっていうのにすごく惹かれて
そういう仕事をしたいと思ったので教師にはならないぞって
ちょっと固く心の中には決めてた。
ご両親から教師になるんだという感じでおっしゃられませんでしたか?
多分そうだと思いますけれども
今振り返るとですね
じゃあ大学時代もプログラミング中心の生活でいらっしゃったんでしょうか?
大学時代はITの知識があったのでアルバイトをしていまして
新入社員の研修のアルバイトとかをやっていました
パソコンを使い方からやっぱり教えなきゃいけなくて
あとはアルバイトばっかりやってて
新入社員のワードエクセル研修とかやったりですとか
あとは子ども向け幼稚園と小学低学年向けの
フォトショップイラストレーター教室
あとは高齢者向け70歳80歳向けの
Macを使ってお絵かきしましょうみたいな教室とかをやってました
高校時代のIT経験
教えてたんですよね
教えてたんですよね教師を
小学校高学年ぐらいずっとそうなってた
ITばっかりずっといるっていう人がいますね
小学校の頃にプログラミングを触ったっていうのは
結構私にとってはアドバンページというか
コンピューターを触ることに全く抵抗がないので
ストレスがたまらないというか
普段の生活のようにずっとあったものが
仕事上でもあるっていうのは
そんなにストレスがたまらないので
そういったものを仕事にすると
アルバイトできてお金も稼げるしいいんじゃないかなと思って
大学時代やってたと
なるほどありがとうございます
最初の就職がソフトウェアで開発会社
これはもちろんプログラミングのエンジニアとして入られた
そんな感じでいらっしゃいますか
そうですねこれは大学のときにアルバイトをしているときに
セミナーのお手伝いとかあるわけですね
有識者が来てこれからのITはどうのこうのって
セミナーをするんですよ
そのときにオペレーターとか
インターネットの設定とかをするので
アルバイトで行くんですね
そうやっていると
私ぐらいの年齢たちがいっぱいいて
最後会食みたいなのがあるんですよね
すると高級な会食屋さんに行って
私が覚えているのは本当にフグのコースを行って
私も学生で食べ方もよく分からなくて
横にいるお店の方が一枚一枚巻いてくれて
お皿に置いてくれるようなお店だったんですけども
そこで話している内容をいろいろ聞いていて
非常に面白いなと思ったんですね
それでIT業界の経営者の方々がいらっしゃったので
そこの一人の社長さんがいて
そこの一人に誘われてそのまま入る
就職活動をしていないんですよね
でも就職活動をしていないと入れるというのは
ご優秀でいらっしゃったということですかね
就職活動をちゃんとやっていないというか
よく分からなくて
知り合った社長の方に聞いたら
うちに来いよという感じで
拾ってもらったのかもしれないですね
ありがとうございます
ソフトウェア開発会社の思い出は何ですか?
ソフトウェア開発会社は
多分私が最初で最後の学部卒の新卒なんですよ
今もあるんですけども
多分それ以来新卒を取ってないですね
思い出は本当に社長が
私の本当に最初に入った会社で
最初の社長のモデルなので
すごく印象深いんですけども
面白い方というかね
僕はそれが普通だと思ったんですけども
後で聞くと変わっているんですね
例えばよく会食で接待みたいなのがあると思うんですけども
車で海岸沿いに行くわけなんですよ
お客さんを入れて
七輪を持って食材を持って
すごく雰囲気が良くて
デートコースでいろんな男女が夕日を眺めながら
語り合っているわけですよ
そこに4人七輪を置いて
自分の話をしながら
そこで鍋をするっていうのをやって
照明を忘れて
日が落ちてだんだん見えなくなって
七輪の光でおもとに食べる
みたいな記憶があって
社会人のこういうお客様の接待で
こういう面白いことをやるんだっていうのが
すごく印象深くて
社長が来て
そういう変わったことを
新しいことをやりたいという方だったので
そこがすごく印象深かったですね
そうすると企業につながる
社長につながることも
ソフトウェアやタイヤット会社さんでは
学ばれたと
そんな感じでやったんですか
学んだというよりは
当時の社長が
企業をしろ
企業をしろって私に言うんですね
なので
企業をしなきゃいけないんだとか
思って
いつかは社長との約束を守ろうと思って
実は企業をするっていうのが
きっかけにはなっています
なるほど
ネット証券での挑戦
大変素晴らしい思い出というのが
ありがとうございます
その後ネット証券会社で
独自システム開発というふうに
書いてらっしゃいました
これはどういう感じで
応通になったということですか
これは転職したんですけども
ベンチャー経由で
5人ぐらいの会社だったんですね
そこに入って開発をやっていくと
ずっと小さい頃からやってるので
先輩を追い抜きたいと思って
頑張るわけですよね
頑張るんですけども
頑張るとすごく能力伸びて
もっともっと上を目指したくなるんですよ
エンジニアって
その時に
違う業界の本当の
今から世の中を変えるような
システム開発とかやりたいな
と思った時に
金融取引
当時証券のネット証券というのが
流行りだし
これってITの塊で
金融どんどん変えていくんじゃないのかな
というのが私のイメージにあって
一番ITと相性がいい分野に
飛び込んでみよう
って転職したのがきっかけですね
なるほど ありがとうございます
そのネット証券会社さんでは
どんな思い出がございますか
ネット証券は
実は1年ぐらいしかいなかったんですけども
まあまあハードワークで
朝早くて夜遅く帰って
月曜から金曜まで取引ありますよね
取引のザラ場中は
基本的には監視とかなんですよね
休み時間とかにプログラミングするっていう
なかなか素晴らしいことが
すごいなと思いながら
私は東京に来て
前の会社が神戸だったので
神戸から東京に出てきて
東京ってすごいなと思いながら
ハードワークをやっていたときに
実はこれが今の事業モデルを
閃いたというか
考えついた出来事が
一個あったんですよ
それがある
モバイルは携帯ですね
当時まだスマホがない時代に
携帯で株取引をするアプリを
作ろうっていう
プロジェクトがあって
iアプリって
昔あったのご存知ですか
iモードの後にアプリが
そのiアプリの動く端末が
発売されるというので
最初のアプリケーションを
作っていくこと
だいたいゲームなんですよ
実用ものが非常に少ないので
これ出るんだったら金融取引の
株取引のアプリができるものを
作ろうと思いまして
そう思っていたら
さすがネット証券の
ベンチャー企業だけあって
もう外注に調査依頼とか
開発依頼をしてたんですよ
それを見て
作ってきたのを見たんですけども
全然自分の方が
いいものを作れんじゃないのかな
って思いまして
生意気なことを思って
若い頃はだいたい生意気なんでね
それで当時の
本部長さんかな
役員の方に
今後いくら変わるんですか
って聞くと
まあまあそれなりの金額なんですよね
かなりの金額だったので
これちょっと私作れるので
1ヶ月か2ヶ月もらえますか
って言ってもらったんですよ
それで一人で全部また
そのアプリを作って
絶対いいものを作ろうと思って
作って実際
それでリリースまで
一人で行った時に
思ったのは
開発って
このコンピューターの仕組みが
分かっている人が
一人で作れば
一番早いってことが分かったんですよ
つまり業務が分かって
コンピューターもプログラムも分かっていれば
いろんな設計書とか
ドキュメント作るんですけども
これってコミュニケーションのためのものなんですよね
こういうの作ってほしいとか
その合意のためなんですけども
一人でやるって合意いらないんで
めちゃくちゃ早くできたんですよ
かなりのコスト削減が
開始としてもできたはずなんですよね
小人数で早く自動化で作る
っていうビジネスに
一つながっていると
それが一番の思い出になります
インタビューとウェブサイトの紹介
本日も社長に聞く
インウィズウィズをお聞きくださり
誠にありがとうございました
この番組は2017年1月から
毎週配信を続けております
これまでにたくさんの
成功社長
成功経営者のインタビューを
お届けしてまいりました
この内容は全てテキスト化いたしまして
私ども
インタビューするウェブサイト
経営ノートでも
閲覧いただけるようにしております
音声だけでなく
文字で読み返すことで
新たな発見や気づきがあり
皆様の会社系に役立つヒントが
きっと見つかるのではないかと
思いまして
サイトのほうにも
させていただいてます
ぜひネット検索で
経営ノートスペース社長インタビュー
と入力いただき
経営ノートのサイトを
ご利用いただけるように
思っております
本日の社長に行く
inwithではここまで
また来週