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2018-07-18 14:52

第80回 森和平氏(レジオン株式会社代表取締役社長)【前編】

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今回は、平成13年より訪問介護事業を運営されています、レジオン株式会社森社長にお越しいただきました。

ご商売をされていた両親を見て「経営者になりたい」と幼い頃から志していた森社長は、大学卒業後に商社勤務を経て、25歳で独立されました。現在では川崎から三崎まで、神奈川県No.1の広範囲に渡り、事業を展開されています。
ご自身の経験から、「日々後悔の無いように完全燃焼で生きる」―森社長のお話を聞くと、そのようなメッセージが伝わってきます。ぜひお聞きください!



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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、レジオン株式会社の森和平社長様でいらっしゃいます。
まずは、経歴のほうをご紹介させていただきます。
横須賀市育ちでいらっしゃいまして、明治大学卒業後、岩谷産業にご入社。
その後、レジオン株式会社を創業され、今現在、新企業に挑んでいらっしゃる社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
最初のご質問ですが、ご出身は神奈川の横須賀ということで、小中も横須賀ですか?
横須賀市です。
横須賀は小学校、中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになられましたか?
起業するきっかけにもなったんですけれども、病気をしている姉がいまして、
その面倒でお世話をしながらというところで、元気な反面、福祉の部分というのは
なかなかない世界なんだなと感じながら、元気な部分と弱い部分を持った、
二重人格ではないんですけれども、そういった性格の子供でした。
お姉さまはいくつ違いでいらっしゃいましたか?
2つ違いですね。
森社長が面倒を結構見られたんですか?
父と母が商売をしていた関係で、私が同じ学校に行くということで、
面倒を見てくれというところで面倒を見ていたんですけれども、
なかなか昔は商売に対してのイメージとか意識というのが
今のように開かれたものではなかったので、なかなか苦労したというのが記憶にあります。
小学校、中学校はお姉さまと一緒でいらっしゃいましたか?
小学校の途中で、やはり病気が進行して、自宅で見ることは難しいということになったので、
小学校の高学年までは一緒にいたんですけれども、その後は姉は別人になって、
今はその後帰ってきたんですけれども。
なるほど、そうでありましたか。
高校も横須賀の方の高校でしたか?
そうですね。自宅の近くの県立高校に進みました。
何か高校を選んだ理由とかはあられましたか?
前代未聞と言われたんですけれども、普通受験勉強をして受験するんですけれども、
その当時はファミコンにハマっていて、神奈川県の中学校2年生に
第1回目の試験があるんですけれども、その前日もサッカー部にいたんですけれども、
そのメンバーとずっと朝までゲームをして、試験ということはあまり分かっていなくて、
そのまま試験を受けたので、本来の結果が出なかったので、
そこで選抜になりますので、その後試験が良くても悪くても、
選ぶ学校がなくなるという、学校の中であまりあり得ないというふうに、
いける学校の学力といける学校の差があまりにもありすぎたということで、
ちょっと前代未聞的な扱いを受けたんですけれども、
その当時できた新設校に何とか滑り込んでいけたという。
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今のお話だと、本当は頭が良かったのに、違う学校に行ったみたいな感じでしょうか。
かっこよく言うとそうなんですけれども、結果で言うと、ただ勉強しなかったというだけなんですけれども。
その後、明治大学に進学されていらっしゃいまして、
明治大学のご進学というのは頭が良いということだと思うんですけれども、
何か明治大学を選ばれた理由は何かあるのでしょうか。
父親が経営者であったので、経営者になりたいなと思ったときに、
経済学部より小学部、小学部より経営学部かなというのがありまして、
たまたま経営学部で探していくとあまりなくて、
たまたまその当時浪人をしていまして、絶対に受からないといけないという、
親から言われていまして、明治大学の経営学部がちょうど南韓高と重なっていて、
ここだったらもしかしたら受かるかなというのがありまして、
経営者になりたいというのと、たまたまここだったら入れるのではないかという2点が重なってそこを選びました。
なるほど。戦略的でいらっしゃいますね。
高校時代から最初から社長になろうみたいな感じでいらっしゃったんですか。
親が経営者だったので、経営者しか見ていなかったので、
サラリーマンという姿は想像がつかなくて、
親戚の方が皆さん真面目な公務員だったので、
公務員と経営者って振り幅が広すぎるので、
どっちがいいかというと経営者のほうが自由、活発でいいなということで、
経営者になりたいというイメージしかなかったんですね。
大学時代から経営者になりたいというのは、
経営者になりたかったんですね。
大学時代はどんなことをしてお過ごしになられましたか。
大学時代は経営者になりたいということよりも、
高校時代は歪んだ生活をしていたところもあるので、
リハビリではないですけど、今まで自分を取り戻そうというのがありまして、
いわゆる勉強以外は全て遊ぶみたいなことを、
アルバイトをしたり海外旅行を行ったり、
そういう活発をしているところで、何か経営に向かって何か努力をするというのは
みじんも感じさせない、ただアホな学生といいますか、
自由の学生といいますか、そんな感じでした。
その後、岩谷産業、大半大きな当社一部の岩谷産業に就職されていらっしゃるのですが、
ずいぶん今までのお話とは黄色に変わった、
真面目な会社にお勤めになったんだなと、今の岩谷だと思うんですけども。
そうですね。経営者になるときに何がいいのかなというと、
商売を覚えるのかお金の流れを覚えるのかというときに、
ちょうど私がいた大学ですとか学部、ゼミですと、
金融機関に就職する方が非常に多かったんですけれども、
真面目なようで真面目じゃないところがございまして、
なかなか金融機関というのは自分には向いていないなというのがありまして、
消費者となりますと、やはりもう少し大きいレベルの会社というんですかね、
もうちょっとワセタとか京王というようなところじゃないと、
なかなか行けないというのがありましたので、
今の私もそうなんですけど、
きらりと光るような、そういう圧倒的なシェアを持っている会社がないかな、
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消費者だとそういった分野がないかなと探したときに、
岩谷産業さんがガス分野で強いということで入社をしました。
なるほど。お父様のご商売と近いとかそういうのはあったんですか。
全然遠くてですね、父は土木とか警備業をしていましたので、
全然遠かったんですけれども、
芸者はマネジメントが大事なんじゃないのかなというのを、
少なからず小さい子が感じている部分がありまして、
何か商売さえ学べば何とかなるという勝手な思い込みで、
全然商売とは遠いところだったんですけれども、
消費者になりました。
なるほど。岩谷産業さんは何年くらいでしたか。
1年短くて2年4ヶ月で、石の上にも3年だったんですけれども、
3年目で3年いたというふうに自分で退職しました。
あまり面白くなかったとか、そんな感じですか。
そういうわけではなくて、営業に配置させていただいたときに、
中小企業の担当をさせていただくことが多くて、
自分の父親と同じぐらいの社長さんに、
いろんな商材を販売させていただく機会の中で、
こういった将来、君何をしたいんだいという話の中で、
社長をしたいとなったときに、
じゃあやればいいじゃないかという声をいただいて、
いろんなことも重なって、自分だったら今だったらというタイミングが
2年4ヶ月目だったということでした。
なるほど。2年4ヶ月目にそのまま創業という感じなんですか。
2年4ヶ月後にそのまま創業ですね。資本金はなかったので、
当初父の会社を継ぎたいなというのは非常に強かったんですけど、
業種が離れているというのと、土木とか建築とか警備というのは
どうしてもクリーンなイメージがなかったりするので、
私みたいに真面目に育っている子には
継がせるのは無理なんじゃないかという話があって、
たまたま父が使っていない給品の会社があったので、
そこを自分が買い取る形で創業するということをしました。
なるほど。最初の事業は何の事業だろうというふうに考察されたんですか。
最初はその当時はITだったんですけど、
ITもそうなんですけど、その当時は介護という部分で、
姉の件ですとか、おばあちゃんの介護も一部手伝っていたので、
そういった人に困っていることは将来にわたっても
事業が廃れないんじゃないのかなというところと、
まだ介護保険制度がちょうど私が辞めたときに
始まって1年目でしたので、
これからマーケットが広がるというのが分かっていましたので、
やはりITのようにふわっと市場が伸びているところよりも
これから伸びていくところで、
自分の人生をかけてみたいなというところで、
最初は介護事業からスタートしました。
介護はどんな事業が一番最初だったんですか。
最初はですね、いわゆる登録をしていただくヘルパーさんが来ていただいて、
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ご自宅でいろいろな家事ですとか、
排泄会場を手伝いする業務を行っていたんですね。
本来は違う業務をしたかったんですけれども、
その業務をしないと付帯事業でできない業務がありまして、
それの名前は介護タクシーというんですけれども、
介護タクシーがその当時はまだ付帯業務の中にできなかったので、
その介護タクシーをメインにやるために
ヘルパー事業所を立ち上げたんです。
じゃあ、もともと介護タクシーをやりたいけれどもできないから
ヘルパー派遣業というか、そういうのをやったというような感じですか。
そうです。
介護タクシーというのは今だとずいぶん次類に乗っていると思うんですが、
当初のクローとか何かあれなんでしょうか。
先行している会社さんがなかったんですね。
あってもですね、ボランティアでやられていたりとかですとか、
我々からするとちょっと保険上問題がある運営をされている会社さんもあってですね、
一から作らなくてはいけないというのと、
まだ法整理がなっていなかったので、
行政の方々と相談をしながら決めていくという苦労がありましたので、
前例がないものを作っていくというのが初めてでしたので、
非常に苦労しました。
森社長は初めてのことに対する恐怖感とかはあまりなかったんですか。
周りがあまりやっていないことに対して。
高校受験の失敗がそもそも前代未聞と言われて、
そこから初めてというのは大変なんですけど、
乗り越えていくと自分にしか見えないものとかというのが楽しいなと思えることだったんですね。
会社に入るときも自分がいた学校ですとほとんど金融機関に行くんですけど、
視聴者に行く方はほとんどいらっしゃらなかったので、
人と違うことをやることによって楽しみが見つかるというところがありましたので、
初めてに対しては恐怖心というよりも不安と期待というものをうまく混在させていければ
楽しめるんじゃないのかなというふうに感じていたので大丈夫でした。
森社長さんらしい経営者らしい、または経営者の息子さんらしい感覚だと思います。
3分コンサルティング。
ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは東北で服の製造業を営んでいる方です。
はじめまして、私は東北で服の製造業を営んでおります。
世界有数の技術力があり、国内外の有名ブランドの服を製造しています。
これは素晴らしいですね。
この技術力を生かしてオリジナル製品を作って販売しようと2年前から挑戦していたのですが、
失敗を続けています。
この新しい主役の朝日を作り、会社を大きくしたいと始まったところなんですが、
この挑戦を続けていくのが悩んでおります。
そこで質問がございます。
会社を大きくするために、主力であるブランドの下請け業を拡大するべきか、
それとも別の会社を作って会社を強くするべきか、
どちらを優先していけばよいか、ご回答いただければと思います。
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大変難しいご質問ですので、今のこの情報では何ともお答えのしようがないのですが、
もしお答えをするとすると、両方へでしょうね。
ブランドの下請け業もやりながら、新しい事業の会社を作らなければいけない。
私は最近、100年つく企業とか200年つく企業とか300年つく企業の研究をして、
いろんな本を読んだりしているのですが、読んでいると出てくるのが、
必ず時代に合わせて新しい商品を作ったり、新しいサービスを作ったり、
新しい技術を開発したりしている企業がどうも生き残っているんだと。
新しいこと、もちろん古いものもそうなのですが、古いものから新しいものを作り、
また古いものを復刻させ、みたいな形で商品をいろいろと作っていく時代平均に合わせて、
作っていったりすることをしないと生き残らないんだということが、
あちこちで書かれていらっしゃいます。
そして共通点がそういうところにあるということを言っていらっしゃいます。
ちょっと余談ですが、それ以外にも質素契約とかが共通点だとか、
そんなようなことが書かれているのですが、
そういう意味でいきますと、新しい収益の柱を作ろうというのは正しいんじゃないでしょうか。
もちろん新しい事業の柱というのはやはりチャレンジですので、リスクは伴うわけで、
失敗の連続なんではないかと思います。
でもそれでも失敗の連続から成功を見せると、次の事業に行くということになるでしょう。
例えばGEという会社は誰が作ったかと。
今のGEを作ったのは、もちろん何代もわたる社長さんたちですが、
最初の創業者はエジソンですね。
エジソンはどんどん失敗をして、最後いろんなものを発明していくということになるわけですが、
そのためにもやはり失敗しても失敗しても諦めないということが必要なんではないかと思います。
もちろんブランドの下請け業も、もちろん今の収益を考えれば、
やれるところまでやったほうがいいと思いますので、
両方やっていくのがいいんじゃないかというふうに思っております。
もしよろしければ、もっと細かいご相談に乗らせていただければと思いますので、お越しいただければと思っております。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポッドキャストはここまでになります。また来週。お楽しみに。
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