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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、リイマジンコンサルティング株式会社代表取締役の松原脩二様です。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
外資系保険会社、外資系証券会社にて養殖に従事、大手共産にて常務取締役、
小企短期保険会社にてそれぞれ取締役、代表取締役の社長を歴任されていらっしゃいます。
今現在はリイマジンコンサルティング株式会社代表取締役でいらっしゃいます松原社長様です。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まずはご出身なんですが、ご出身はどちらでいらっしゃるんですか?
東京です。
東京生まれ、東京育ちということですか?
東京といってもサンタワーですね。立川とか八王子とか、あの辺の近辺です。
小学校、中学校時代はどんなお子さんだったという記憶はございますか?
基本的にはいい子だったんじゃないですかね。
勉強もできてみたいな。
そこそこできて、いい子だったような気がしますけれども、周りからどうでしょうかね。
いろいろな人の感じ方が違うみたいで、ある人はひょろひょろして、青い顔をして勉強していたという人もいますし、
ある人はとてもよく喋る人だったという人もいるし、そこはわからないんですけど、
基本的には真面目ないい子だったというふうに自分は自覚しています。
なるほど。高校の方も東京の方も?
高校も東京の都立を出ております。
なるほど。都立のどちら?
都立の今はもうなくなってしまったんですけど、北多摩高校といいまして、大変古い学校だったんですけれども、
ここ5年ぐらい前ですかね、正確ではないんですけど、なくなってしまって、国際なんとか高校という形で、
ちょっと趣旨が変わってしまったというような形です。
なるほど。その高校を選んだ理由とかはあられたんですか?
それはですね、当時僕が試験を受けた頃は軍制でしたので、その軍で受けて、
自分の希望する軍に受けたんですけれども、基本的に落ちてしまってですね、
これも結構多いんですが、自分の人生の中でも結構多いタイミングなんですけれども、
そういう時にですね、何かつまずくみたいなタイミングが結構多くてですね、
落ち止めも含めて全て落ちてしまったところから始まって、卒業後に二次募集という試験があって、
それもまたそれなりに倍率が高いんですけれども、そこで通って北多摩高校へ行ったというような形です。
なるほど。都立の二次募集、ご存じない方、リスナーの方多いと思うんですけど、
二次募集の方が難しいと実は言われているものですから、
松原社長は逆に頭がよろしいんじゃないかなと思うんですけど、
高校時代はどんなことをして過ごされましたでしょうか?
高校時代はですね、そうですね、何かこれといって今自分で何か語ることがあるかというとないんですが、
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クラブ活動は卓球部に入っていたということですかね。
あとはどうですかね、ずいぶん昔の話なのであれなんですけれども、
割と本を読みながらいたようなこととか、
当時学生運動が最後下火になる頃で、そんなようなところもあって、
高校が制服から修復になったりとか、いろいろ変化の中だったので、
今考えるとそういう大きな変化の中で過ごしたのかなというような感じはあります。
なるほど。その後大学に行かれてですね、
大学はどちらの方に行かれたんでしょうか。
大学は総合大学を卒業させていただきました。
なるほど。何か選ばれた理由とかありましたか。
それはですね、多分ここぐらいからですね、自分の人生のですね、
在り方みたいなものを確立されてきたのかなというふうに今振り返って思うんですけれども、
私が入ったときはちょうど5年目ということで、
それなりに新しいということも含め、またそこには前へ進むというか、
大変やっぱり理念というんですかね、その辺に共鳴して自分の人生を過ごすならば、
有名な大学に入るよりもこういう大学でやはり自分自身が大きく自分を築いていきたいという、
そういう強い思いがあったというのは事実です。
なるほど。学部はどんな学部ですか。
文学部です。
なるほど。今のお仕事とはちょっと外れていらっしゃる。
これは簡単でして、当時文学部、それから法学部、経済学部、この3つしかなかったんですね。
3つとも受けたんですけれども、受かったのが文学部と、そういうふうな形で、
ぜひともこの大学に行きたかったというのが正しい考え方だと思います。
なるほど。大学時代はどんなことをして過ごされた記憶がありますか。
大学時代はやっぱり自分が今後どう生きていくかということに対して、
割と真摯に見つめながら過ごしてきたというのが実際のところかなというふうに思います。
小学校時代とは変わらずずっと真面目でいらっしゃったみたいな。
真面目は真面目なんですけれども、ひょっとしたらどこか裏があるかもしれないです。
全く分かりませんけれども、真面目にやってきたというのと、あと大変貧しかったですね。
父親の会社が倒産したりして、小学金と自分のアルバイトで大学4年間、
卒業まで全部対応したという形でしたので、その分アルバイトに励んだりとかいうことも多かったですし、
自分が自ら選んだ大学でしたので、そのことに対して父親も倒産後持ち直した後に払ってやるという話があったんだけれども、
それも断って自分で卒業したいということで卒業したという、そんなような経緯でしたですね。
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その後就職だと思うんですけれども、どんなところに就職されたんですか?
これも大変、自分の人生そのものだと思うんですけれども、もともと文学部ということもあって、
またできて5年目の大学ということで5回目の卒業生だったので、就職もやはり勝ち取らなきゃいけないという、
そういうような大きな役割を持っていたというのは事実だというふうには思っています。
それとあと、僕の中ではあまり大企業に入ろうという意思が全くなくて、
そういう企業を受けたことがなくて、中堅企業でうまくいけば自分が社長になれるとか、
またその企業がその中で大きく成長できるとか、そういう企業を選んだというのが自分の就職活動だったというふうに覚えています。
どういう会社に最初勤められたんですか?外資系の保険会社ですか?
一番最初に勤めたのは保険会社ですね。
これも自分がどういうところに、いろんな会社が落ちていましたので、
どういうところに行っていいか大変悩んでいたというのが事実なんですけれども、
大学時代から信頼できる友人がいて、その友人の下宿に寄ったら外資系の保険会社の合格の電報が来ておりまして、
その時は電報ですけれども、それを見てまだ募集しているよと言われて、
彼が行ったんだったら俺も行こうという形で決めて行ったというのが実際です。
まだできて5年目の保険会社だったというふうに覚えています。
そちらには何年ぐらいいらっしゃったんですか?
丸4年いました。
その後、外資系の証券会社ですか?
違います。その後また外資系の保険会社で約18年いました。
今はもう外資系ではないんですけれども、大きなM&Aを含めて合唱するような中で、
会社そのものもその中に巻き込まれていったというような形ではあります。
そうすると今現在のお仕事の保険に一番携わったのは新卒の時から20何年間保険?
そうですね。ずっと保険で、その後入ったのが先ほど言った外資系の証券会社。
ここは2年いて、ここはヘッドハンティングだったんですけれども、
保険会社はいいやということで、違う世界はないのだろうかという形で
お話をいただいたので入ったという形でした。
なるほど。その保険会社、証券会社、金融系で何か学ばれたこととかそういうのはあられましたか?
特に保険会社の時代は新卒からずっと始めていますから、保険そのものを学んだという事実はありますけれども、
外資系の証券会社の時は大変正気だったのは外人がいたということなんですね。
それから英語で会議を行われるということ。
それからアメリカだったんですが、アメリカの本国で全部対応するという形で、
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カンファレンスコールという形でアメリカとの打ち合わせがまた英語であったと。
あれが大変自分の中で衝撃的で、日本のビジネスの在り方と海外の在り方、大変合理的な在り方でしたけれども、
それをそこで多く学ぶことができたという意味での2年間は大変大きかったというふうに思っています。
松林社長も英語で対応されていました。
その当時はですね。
ですからお昼休みは英語の先生を呼んで弁当を食べながら英語を学ばせていただいたりとかいうようなことではありました。
ただそんなに話せるわけではないので、何となく聞きながら何となく話したりと、そんなような感じです。
でも今考えると今風で楽天とかいろんな企業が英語を公用語にしようなんていう動きがあるので、ある意味先進的な企業に入られていらっしゃった。
そうですね。もともとが外資系の保険会社ですのでそこも外人はいたんですけれども、
日本にある外資系の保険会社というのはある一部を除いては英語を使うことがほぼないんですね。
ですから英語を学ぶということも全くなかったものですから、
そういう意味では外資系に行っていたから喋れるんでしょうというそういう印象を持つ人もいるんですけれども、
そんなようなことは全くなかったというようなところではあります。
なるほど、そうですか。独立されたのはどの時点で独立をされたんですか。
独立したのは2006年の4月の28日に独立しておりますので、ちょうど13年、もう14期目に今入ります。
これはどういうタイミングかと言いますと、ちょうど今の楽天生命の前身の大手共済会がありまして楽天さんが最終的に買収したんですが、
その買収前に私は常務をやってまして、大きく保険業法、業者法ですので保険会社を作る法律が変わって、
多くの方が保険会社をできるという大きな劇的な変化があったので、
この際に自分自身として何とか新たに作る必要のためにお役に立てないかということで独立をすると。
そのタイミングはまさに2006年というタイミングでしたので、ちょうど今思えてますけど、
2006年の3月の13日に役員の退任届を出して、4月の13日に認められて、4月の28日に会社を創設したと。こんなような感じでした。
独立するにあたって怖さとか恐怖感とかそういうものはあまりなかったんですか。
間違いなくあって、僕の老いたちの方から話しましたけれども、やっぱり大きな会社に入るということに関しては、
あまり自分の中では望んでいない、またそういう行動そのものはとっていないというのは実際のところなんですけれども、
その上で何とか独立をしたいとか、そういう気持ちが若い頃から持っていたことは事実なんですね。
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何度か家内の方にも独立をしたいんだということで、今覚えては2度ほど言ったことがあります。
家内の方から言われたのは大簡単でして、事業計画書を出せと言われて、できていなかったし、
どこぐらいまで決意が強いのかというのを家内も見たかったんだろうと思いますけれども、
2度ほど挫折したことがあったというのは事実です。
奥様、大変事業計画書を出せと言われて、大変ご優秀な奥様でいらっしゃいますね。
優秀かどうかは分からないんですけれども、もともと同じ大学で、後輩になりますけれども、経営学部を出て山石町県に入っていますので、
何かその辺のことを思って言っているのか、ないしはとどめようと思って言っているのか、よく分かりませんけれども、
そういうふうに言われたことは大変覚えていますね。
経営者を応援する。社長の孤独力、番外編。
本日の社長の孤独力番外編は、第5回の1章6項、取引先の支払いサイトがなく、入金が遅いということでございます。
支払いサイトの長い内容は断らないべしと書いてありますが、業界ごとに支払いサイトは違うのではないかと思います。
一番多いのは月末締めの翌月末支払いというのが一番多いのかなと思いますが、
例えば建設業界、建築業界の中は着工時、中間時、完了時の3分割とか、
場合によっては完了時の最後1カ月で6ヶ月後とか1年後とか、
こういうのがいろいろ監修となっていらっしゃるのが建設業界なんじゃないかなと思います。
一方で、飲食店なんかはお客さんから先にもらって、小売店もそうですね、先にお金をもらって支払いが1カ月後ということで、
チャッシュオーローが逆に生まれてくると、こんなことになっている場合もあるんじゃないかなと思います。
そういう意味で、この支払いサイトというのは大変重要でございまして、
この本の中にも書いてありますが、サイトが長いのはやめたほうがいいという話も書いてあります。
昔、私がお付き合いした社長さんがある建築資材卸でいらっしゃいましたけれども、
サイトが長くて潰れちゃうから売るのやめろって指示をしたと。
売るのやめたほうが利益が出ちゃうという、そんな感じになるわけですね。
これはもう支払いサイトという問題は全てにおいて関わってくる問題で、
実用と小売業でもある上場企業のホームセンターの社長と話したら、
在庫の開店率を何パーセント上げたか、計上利益率が5パーセント上がったか、こんな話を皆さんがされるんですね。
これ、支払いサイトと在庫の話って、ほぼ実用と業種が違いどもほぼ一緒でございます。
つまりそれは何を知るかというと、やっぱりキャッシュフローがよくなっているわけですよね。
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逆に言えば倒産って何が起こるかというと、私はよくいろんな社長さんに聞いていると、
たった50万足りなくて倒産しましたという企業さんが何社もある、ゴロゴロいる。
そのたった50万が足りないというのは、本当にまさにこの支払いサイトとか在庫の開店率とか資金回収できているかできないか、ここによるわけですね。
そう考えていると、支払いサイトが長いのは断ってしまっていいんじゃないかなと思います。
この支払いサイトが長いと言えば長いほど、実に言うと逆に危険があるし、倒産率が上がってくると。
こういうふうに思われて、この支払いサイトはここまでは許すけど、これ以上は許さないというのをちゃんと社内でルールを決め、
この場合は2ヶ月ならいいですよ、この場合は1ヶ月しかだめですよ、みたいなことを考えたらいいんじゃないかなと思っています。
当社なんかは、弊社なんかは前受けということで、事前に支払っていただいて、
それから順位掛けで分割計上するみたいなものも弊社では作っております。
それはそうすることが正しいと思ってやっているわけですが、
そういったものも作る具合のことを考えられたらいいんじゃないかなというふうに思っています。
本日の社長の孤独力番外編はここまで。また来週。
本日も社長に聞くinwithwithをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもinwithwithが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で、経営ノート、スペース、社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くinwithwithはここまで。また来週。