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社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞くinWizBizは、2018年上場の社策上場企業 株式会社ディ・アイ・システム長田社長様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
株式会社ディ・アイ・システム代表取締役社長 長田光博様、1980年経営情報センター入社、
1989年取締役就任、1993年株式会社MICシステム転席、
1996年同社代表取締役就任、そして、1997年有限会社DIシステム設立を通し、
1999年株式会社経営主席、代表取締役社長就任し、現任をされていらっしゃいます。
社策上場企業の長田社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願い申し上げます。
よろしくお願いいたします。
最初のご質問なんですが、ご出身は何県出身でいらっしゃいますか?
大阪なんです。
大阪でいらっしゃいますか。大阪市内でいらっしゃいますか?
大阪市内の、昔は城東区って言ったんですが、今は鶴見区って言われているところなんです。
小学校、中学校時代はどんな幼少期を過ごされたんですか?
もうはっきり言いまして、悪ガキでして、もうどうしようもないガキで、
そういう意味では周りの人たちにも迷惑をかけてきた小中学生でしたですね。
じゃあガキ大将みたいな感じですかね。
ガキ大将というか、そんなにず抜けてではなくて集団で悪さをするというような。
そうでいらっしゃいますか。
高校も大阪の方でいらっしゃいますか?
高校も大阪でずっとやってまいりまして、高校の時も相当な悪事でしたね。
高校の時に何か思い出なんてございましたか。
恥ずかしいんですが、それこそ警察の500階になるかならないかの一歩手前ぐらいのところをうろちょろしていたような、そんな高校生でしたですね。
じゃあ高生されて、今はもう長女級の社長さん。
高生されるというほど悪でもなかったんです。そこだけちょっと微妙なんですが。
特に高校の時の授業で、当時コンピューターの授業がありまして、それはもう何か知らないですけど夢中だったものですから、すごく成績も良くて、そっち側方面に行きたいなというきっかけにもなったのかなと思います。
それは何年ぐらい、1900何年ぐらいのことですか。
ですから今からもう45年ぐらい前の話ですね。
そうするとコンピューターなんて、当時は知らない人の方が圧倒的多くて。
そうですね。私が今という不実で、当時はファコムというブランドでそういうコンピューターを売っていたんですが、それの営業でそういう仕事に就いたんですけれど、
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CPUのメモリーが16Kとか32Kの時代で、それも畳2畳ぐらいの大きさの高さ1.5メートルぐらいのそういうボックスが1つのCPUになってまして、それ以外にファイルとしては磁気テープ装置ですとかね。
まだそんなハードディスクなんてない時代ですから。
ですからそういう装置、だから中央処理装置、記憶装置、アウトプットのプリンター。
プリンターなんていうのは、アンクっていいまして、アルファベットニューメリックかなという、136桁のドラムが回転してプリントアウトするっていう、そういうプリンターですから。
プリンターだけでも、畳1畳分ぐらいのスペース。
だから全部合わせると、10畳から15畳ぐらいの部屋がないと、インからアウトまで、もちろん中央処理装置、今でいうCPUとセットになったもの、収められなかったんですね。
そういったものを収めますと、当然ビルなんかですと床強度が問題になりますので、床強度を補強するためにまず鉄板を入れる。
その上に今言ったような中央処理装置、ディスク装置、プリンターだというのを置きますと発熱します。
発熱しますから空調システムを入れなきゃいけない。
空調システムも半端な空調じゃダメなんでということで、ビルの電源容量を測って、トランスを場合によっては別で購入していただいて、
ですから二重装置全部入れますと、当時のお金で最低でも一番安いやつで私が売ったやつで2500万ぐらい、一番高いやつだと億を超える、当時のお金でしょう。
というようなシステムを売っていました。それだけの費用がかかるので、ハードウェアを売るとソフトウェアは、本来ソフトもセットになっているんですけど、
一応代儲が無償というようなハード売ればソフトがタダでついてくる、そういう時代でしたですね。
なるほど。リスナーの皆さん、一部の方はすごい興奮しています。大多数の方はそうだったんだと歴史を聞いている感じでございますが、
一番最初に積もらえたのはどういう会社さんに積もらえたんですか。
富士通のコンピューターを担いで販売をしていました。大阪支社に。
なるほど。就職の時はそんなに苦労はされなかったんですか。
いや、いろんなことがありましてね、こういうことを申し上げていいのか分からないんですけど、
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私は英語が全然ダメで、社会だったり国語であったり、数学も割と好きだったんですけど、
ある会社に行きましてね、試験を受けました。
そうするとですね、そこの就職の時の応募要領がですね、いわゆる国語と社会と数学だったんですね。
これだったらいけるだろうと思って言ったら、英語が出てきたんですよ、テストで。
でですね、もうそれを見た段階で絶対これまともに書いてあげた、そこの会社はNGだということで、
だいたい試験って最初は簡単で、最後は英訳をするとか、日本語を文化知ろうとかっていう難しいのがあるじゃないですか。
最初は例えば家具を英語単語で書きなさいとか、あるいは書いてあって文字が少し抜けてるの穴埋めをする。
その穴埋め、明らかに答えが分かっているのを書いて、薄く消しゴムで消しましてね、答えあってんだよと。
だけど書く意思がないということで、裏絵って書きましてね。
で裏の白紙のところに、御社は上場企業に関わらず大御用に嘘があるのかと。
でこういうような嘘を書くような企業を私としては信じられないので、このテストを書くつもりもありませんと。
でたまたまその3つの教科の一番最後だと思うんですから、前に2教科の試験も破棄してくださいって書いて、
出して、その教室に出たんですね。
そうすると呼び止められました。ぜひお詫びをしたいと。
役人面接見というような形で、割と縁起が当たったなと。
いや素晴らしく頭がいい社長様でしたね。やっぱ上場企業の社長になられる方はそういう方なのかなと今感じました。
そんなことを一瞬にして思いつくものなんですか?
これ書いたら絶対もうNGだなと思ったんで、ここは何か芝居しなきゃいけないなと。
でも普通の方だと、まず穴埋めに文字を書いて薄く消すなんて思いつかないじゃないですか。
いやいや、もう明らかにこれはね、分かってんだよというのをアピールするために薄く消して、完璧に消すんじゃなくて。
いやすごいですね。長谷川社長の凄さがわかってきます。
入られた会社では一番最初はコンピューターの販売をやるんでしょうか?
営業をやらせていただきまして、もちろん営業をやるまでにプログラムを置く研修であったりとか、
いろんな研修があった上で3ヶ月後に営業に回されて、営業でずっとやってまして、
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割と営業成績は良くて、最後には表彰をいただけるようなポジションにはなりました。
なるほど。
やっぱり何でも本当はできる方がいらっしゃって、ちょっと学生時代はサボってたぐらいでいらっしゃるんですね。
素晴らしいですね。
ちょっとお聞きしても感動してますけれども、経営情報センターという会社さんに入られた経緯というのは何かありますか?
富士通の営業をやってまして、辞めました。
たまたま辞めるきっかけになったのは、ぜひ一緒にやりませんかということで、
お声をかけいただきまして、経営情報センターという会社の社長さんにお声掛けをいただきまして、
大阪というエリアを任せたいんだけど、みたいなお話から、面白そうだなというのと、
私当時本業の方で煮詰まってたもんですから、自分をそうやって期待して、
応援していただけるのであれば、そっち側に行こうかなということで、辞めて入らせていただいたという。
富士通のコンピューターを売ってた時に業績よく、素晴らしい人物だったから引き抜かれたと、こんな感じでいらっしゃるんですか?
引き抜かれたかどうかは別にして、そういうお声掛けをいただいたという感じです。
その後、役員に就任されていらっしゃいますが、役員になれたのは既定老舗というか、そんな感じでいらっしゃるんですか?
いや、すみません。ちょっと私間違えてまして、その前にもう一社ありまして、ちょっとややこしいんですが、経営管理センターという会社なんです。
その経営管理センターの社長さんに声をかけられて、その経営管理センターで内文がありまして、
その内文があってですね、一緒に独立するんだけど、お前もぜひ来てよということで、声をかけていただいて、やめて、経営情報センターという会社の設立メンバーの一人になったんです。
なるほど、それで後から役員にもなっていらっしゃるという感じでいらっしゃいますね。
その後、MICシステム、転職という感じでお書きになっていただいて。
経営情報センターの子会社なんです。
なるほど、じゃあ子会社の社長にご就任されるような感じでいらっしゃいますね。
経営情報センターという会社、私と一緒にやろうと言われた社長さんなる人と事務の女性と、3人でスタートをして、もちろん技術者も後からついてきているというのが前提だったんですが、
3人でスタートをして、650人ぐらいになったんですかね。
すごいですね。
で、子会社をいくつか作って、その中の一つでMICシステムという会社の取締役と、後で子会社の社長になります。
なるほど、じゃあもう、いわゆる創業の擬似体験はその頃もうされていらっしゃる感じで。
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どうしたら会社が大きくなるかというプロセスは分かっていましたけれど、あえて言うなら資金繰りとかそういうのは私はその段階では経験はしていなかったですけれども、
それ以外の人を増やしていくとか、お客様とどう取引していくかというのは、いつからずっとやってきました。
経営者を応援する、社長の孤独力番外編。
本日の社長の孤独力番外編は、社長の右上がいない、自分より優秀な人を右上にしろ、みたいなことを書かせていただいています。
どんな企業でも、この本の中でも書いてあるのは右腕というのがいまして、ソニーの井深さんや森田さん、本田宗一郎や藤沢さんという方がいらっしゃったと言われています。
でも右上がなかなか育たないんだ、もしくはいないんだと、こんなようなことをおっしゃっている方も非常に多いのではないかなと思います。
じゃあどうやったら右上が育つのか、もしくは選ぶことができるのかと言いますと、社長より優秀な人間を選ぶことが一番重要なんじゃないかなと思います。
私ども会社も実は右腕の取締役は元上司ですし、左腕は同期ですので、かつ両方とも部長、子会社社長とかは歴任したメンバーですので、ある意味私より優秀な部分があるわけですね。
もちろん私が引いていた部分も多少あるわけですが、彼らの方が優秀な部分もあるし、ひどいときは私が何か変な発言を部下にしますと、
こそっと右腕のうちの役員に申坂という役員に呼ばれ、こういうことは言わないでくださいと怒られたりする。
そういうことを言って、はいすいませんでしたということで私が謝る、みたいなことがよくあります。
それは右腕がしっかりしているのでそういうことになりますし、そういう意味では元上司を起用して本当によかったなと思う瞬間でございます。
ですので皆さん方、まずは社長が自分よりも優秀な人間を雇うものだと、その方がいいんだということをまず覚えていただきたいなと思います。
かつ社長が自分と同じような人材を選んでしまうというのは非常によくあるパターンなんじゃないかなと思います。
私なんかも選びがちなんですけど、そうすると似てますので2人で盛り上がって部下たちがついていけないみたいなことがあったりするわけですね。
そういう意味ではちょっと違う感覚を持っていたり自分とは違う能力を持っている人を右腕左腕に育てるとちょうどいいんじゃないかなと思います。
そういう意味では社長がまずはそこらへんはなんでこう思ってくれないんだというのはちょっと我慢しなきゃいけないところもあるんではないかなと思います。
その我慢が右腕左腕を育てることにもなるとこういうことでございますので、
ぜひ自分の感覚とは違う人材で自分より優秀な人間を右腕に採用され、もしくは育てられたらいいんじゃないかなと思います。
非常に難しい話ですが、ぜひ右腕を育てていただければと思います。
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本日の社長の孤独録番外編はここまで。また来週。
私は毎週配信を続けております。これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもwithbizが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆様の会社経に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に行くinwithではここまで。また来週。