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2021-10-06 24:33

第248回 青木慶哉氏(MIKAWAYA21株式会社代表取締役社長)【前編】

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今回は、MIKAWAYA21株式会社の青木慶哉社長にお越し頂きました。

行政の仕組みだけでは解決に至らない高齢者の方々の「ちょっと困った」を解決する「まごころサポート」事業をソーシャルフランチャイズ展開されている社長様です。

青木氏は、異例の販売力で新聞販売会社を関西最大級にまで成長させましたが、新聞はシニアの読み物となり売れない時代に突入・・・・・・。
事業を立て直そうと顧客の声に耳を傾けていくうちに、高齢化社会・地域の課題に気づき「まごころサポート」事業をスタートさせます。現在では、開始1年で急速拡大し、顧客からも加盟先からも愛され「友達や家族に紹介したいフランチャイズNo.1」へと選ばれています。経営のヒントが得られますので、ぜひインタビューをお聞きください。


なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/





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社長に聞く＀inWizBiz
本日の社長に聞く＀inWizBizは、MIKAWAYA21株式会社代表取締役社長 青木義也様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
高校卒業後、おじさまの新聞販売で飛び込み営業を2年間経験。
20歳でリフォーム事業を起業。23歳で読売新聞の販売との経営を始められました。
27歳で関西最大の販売会社の代表に就任されていらっしゃいます。
数々の販売表彰を受賞。新聞が売れない時代に突入すると、その後、新聞販売店にソフトバンクショップを併設させ、
iPhone月間販売台数日本一を3回達成するなど、大活躍をされていらっしゃいます。
その後、新聞販売会社を売却し、三日屋21を創業。
そして、マゴコロサポートというシニア向けの生活サポートのフランチャイズの本部を現在はやっていらっしゃいます。
青木社長さんもいらっしゃいます。本日はよろしくお願い申し上げます。
はい、ありがとうございます。お願いします。
青木社長さん、最初のご質問なんですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか。
僕は大阪なんです。大阪の平方っていうところです。
なるほど。
平方の小学校時代はどんな少年でいらっしゃいましたか。
そうですね、僕印象的なのが小学校1年生になった時にですね、自転車を買ってほしいって言いましたら、
僕4人兄弟の3番目なんですけど、いとこのさやかちゃんっていう女の子が乗ってたリボンの騎士の自転車を親がもらってきてですね、
ピンク色のリボンの騎士の自転車を乗らされたんですね。これが嫌で、どうしようかなと思って、
当時アルミ缶を集めるとすごくいいお金で売れたんですけど、学校の帰りに自転車を買うためにアルミ缶拾いをするんですけど、
これ完全にいじめの対象になるなと思いまして、アルミ缶でスーパーマリオごっこっていうのを考えまして、
自分の家の前をゴールにしてですね、両手に1個ずつ足でアルミ缶を蹴りながら、
溝とか田んぼに落とさずに帰ってこれるかっていうゲームをやりましたら、10人ぐらい友達が集まってきて、
毎日30個ぐらいのアルミ缶が集まっていくんですね。これで3ヶ月ぐらいで6,000円貯めまして、
青い自転車を買うっていうですね、何が言いたいかというと、小学校の時からどうやってお金稼ぐかみたいなことをいろいろ考えてました。
それ小学校何年生の時ですか?
これ小学校1年生の時だったんですよ。
そうすると小学校1年生の時から商売の最下格を表してらっしゃったということですね。
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なのでその当時はガムシャラだったんだと思うんですけど、今振り返ってみたら、
ピンクの自転車に乗るのか、それとも自転車に乗らずに走って遊びに行くのかっていう、この選択に迫られた時に、
AかBか迫られたら、いやいやと、何か新しいアイデアを考えてC案を作るぞみたいな、
これは多分今の授業でも時々その1年生の時を思い出しながらですね、
AかBで迷った時はCだみたいな、なんかそういうのを小っちゃい時から考える、いいトレーニングしてたのかもしれないですね。
あのすごいことなんですが、さらに小学校1年生で10人の友達を実質マネージメントしたってことですかね、モチベーション上げたら。
いやいや、かっこいいもんではなくてですけど。
でも楽しいところに人は集まるっていうのは、なんか今でも会社やりながら思うところですね。
やっぱり楽しくってパワーのあるところに人は引き付けられるって、お祭りなんてまさにそうですよね。
太鼓叩いて笛吹いて花火上げたらみんなが集まってきて、そこに屋台ができビジネスが生まれていくみたいな、ビジネスの根本かもしれないですけどね。
なるほど、ありがとうございます。中学校時代はどんな少年にならしちゃったんですか。
そうですね、中学校、高校ともうまとめて言っちゃってもいいですか。すみません、DJなかしで段取りを。
この辺りからみんなと一緒みたいなのがあんまり得意じゃなくなっていくんですよね。
中学の時は週末になるとキャンプ道具を背負って一人でとか弟連れてキャンプに行くんですけど、高校になるとその延長線上でバックパッカーになりまして。
最終的には高校生の2年生から3年生にかけてアジアをずっと回ったんですよね、お休みごとに。
そんな学生時代だったので、あんまり勉強したというよりも旅をしてた気がします。
高校時代、アジアを回られたということなんですが、親御さんは海外に行くことに特に問題はなかったんですか。
最初はやっぱり心配しましたけど、でも男の子だったので許してもらったんだと思います。
その手前からリュックを背負ってキャンプに行ってましたし、でも結構自由にやらせてくれてたんだと思います。
高校1年生の時に阪神大震災が来るんですけど、翌日にはリュックサックに毛布とか水のいらないシャンプーとかを入れてですね。
ちょっと被災地支援に行ってくるって言って行くと、まだボランティア組織が立ち上がってなかったんですけど、
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西宮北口っていうところまでは電車が動いてて、そこから片道6時間神戸の方に向かってずっと歩いてですね。
たどり着いた、まだ自衛隊がついたかついてないかぐらいの小学校でボランティアをして、
止まるところもないのでまた6時間かけて帰るぞって言って、日が落ちないうちに帰ろうっていうので帰ってきたり。
こんな時も父親は心配するんですけど、母親がいつも行っておいでって言ってくれるっていう、いい両親ですよね、そう考えると。
小学校1年生の時は全てを置いて自立していらっしゃる少年時代でいらっしゃったんですか?
そうならざるをだったのかもしれないです。リボンのピンクの自転車が相当嫌だったんだと思うんですけどね。
でも被災地にすぐ行くなんて行動も全て素早く、社長らしい少年時代というかそんな感じなんですけど、何でも行動は早い方でいらっしゃったんですよ。
ベンチャー界隈にいるとそういう方多いですよね、向こう見ずな方たちがですね。
みなさん立派だなと思うんですけど、振り返ってみると自分もそういう後先考えずにとりあえず一歩踏み出すみたいなことをやってたんだなという。
なのでベンチャーにも来るべくしてきたんだろうなという気がしますね。
なるほどありがとうございます。高校卒業後、新聞販売会社、おじさまの会社に入られたりするんですか。これなんか選ばれた理由って何かございましたか?
高校生の時にアジアを回って、当時まだフィリピン全然発展途上で、マニラもそんなに今みたいに栄えてなかったんですね。
そこからずっと田舎の方に行くんですけど、ある村に行きましたら失業率が60%ぐらいで、平日の昼間から男の人がうろうろ仕事がなくて歩いてるっていう村に行きました。
そしたら泊めてくれるお家族がですね、そこのお父さんが自転車を買ってきたんです。
で、失業中なのに自転車買っちゃってやばいよと、これ絶対母ちゃんに怒られるって言い出してですね。
自転車の後ろに座布団をくくりつけて、駅前までピューとそれを乗って行って、お買い物帰りの人たちに家まで5ペソで送るよっていう自転車タクシーを買ってきて1時間後には始めてたんですね。
で、それを見たときに本当にショックで、
ちょうど大学をどうしようかって考えてるときに、なんとなく大学に行くんじゃなくて、こんなにビジネスって簡単に立ち上げれるんだったら、なんとなくその人生のテーマを探しに行く4年間よりも先にビジネスを立ち上げたいなと思いまして。
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で、帰ってきて、よし自分で会社を作ろうと思うんですけど、そのときに父親とおじさんがアドバイスをくれまして、ビジネス立ち上げるにしても、どんなビジネスにも営業が必要だよと、営業がいらないビジネスってなかなかないよと。
なのでまず営業力をつけたらどうっていうアドバイスをくれてですね、じゃあどこでつけようかなと思って、そしたらベンツを売る、1000万のベンツを売るよりも難しい営業があると、それは新聞屋さんの営業だって言われてですね。
金額はベンツは大きいですけど、柳瀬に来るのは車が欲しいお客さんだと、でも新聞を売りに行くお客さんっていうのは一家団乱、夜ご飯食べてるところにピンポンって突然訪問して、そして突然契約してくれっていう、こんなに歓迎されない難しい営業はないと。
なので頑張れっていうふうに言われてですね、じゃあ20歳までの2年間はまず営業力身につけようってことで、それで基本給はいりませんと、フルコミッションで雇ってくださいと、その代わり営業以外は配達とか就勤とかそういう新聞屋さんの業務は何もしたくないですっていうお願いをしてですね、営業だけで雇ってもらったんですね、その2年間というのはとっても経験としては大きかったと思いますね。
何か思い出とかございますか、その2年間。
そうですね、飛び込み訪問営業ですから、これを2年間きっちりやったことで、今は営業に関しては何も怖いものがなくなったっていう度胸をつけてもらったなとか、あとやっぱり読売新聞ってとても営業が熱心な新聞社なんですけども、そこがいつも夏、コンクールを開くんですね。
コンクールで2年連続で優勝できたっていうのは、やっぱり自信を一気につける上で大事な経験だったなと思いますね。
ありがとうございます。もう20歳で創業されてらっしゃるそうなんですが、リフォーム会社ということで、このリフォーム事業を選ばれた理由というのは何かございましたでしょうか。
これ7つ上の先輩と一緒に会社を作るんですけど、先輩はとっても寡黙な人で技術職だったんですね。なので先輩がリフォームに関してとかのいろんな技術を持っていました。
僕が先輩の代わりに営業を回りますと、マンションのオーナーさんたちを営業回って、マンションのリフォームとかうちに一転に引き受けさせてくださいっていうので、工事を取れたら先輩が施工する、その後ろでアシスタントするっていうですね。
そんな先輩がいてたので、よし、リフォーム事業行くぞっていうので。
なるほど、承知いたします。このリフォーム事業やってる時の思い出なんてございますでしょうか。
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3年間やって、従業員が5名ぐらい雇えるようになってですね、だんだんと増えてきました。
そのきっかけとなったのは、ある大変大きなマンションをいくつも持っている地元の地主さんだったんですけども、もう旦那さんは亡くなって、おばあさまお一人がマンションオーナーだったんですね。
私たちまず一つの部屋を、クロスの張り替え、ワンルームマンションでしたけども、小さな1個持ってるワンルームをまずやってみなさいって言われて、ワンルームマンションを張り替えるんですけど、私なんて全然経験がないもんですから、手が遅いんですね。
この手が遅いのをどうやってごまかそうと思いまして、ずっと後ろでおばあちゃん見てるので、なのでオーナーに対して自分たちが使ってるノリは化学薬品の入ってないホルムアルデヒドがゼロのノリなんですよとかですね、職人あるあるのいろんなお話をしながら自分の手の遅いのをごまかしてたんですけど、
そうしますと、6畳1間のワンルーム、普通の業者だったら半日で張り替えて帰っていくと、それを1日半もあんたたちは丁寧に手をかけてやってくれたと、そんな風に言ってくれてですね、そこからもう一気に家賃100万円を超えるようなスポーツ選手とかが住んでるようなマンションとかも全部任されるようになりまして、
そこからプロの職人をあちこちから呼んできて施工してもらいましたけども、丁寧に、でもトークで営業マン上がりなりのトークで自分の手の遅さをごまかした、あれが本当に大きなきっかけになったなーって感じですね。
【佐藤】そういう意味で、小学1年から新聞販売店リフォーム事業をやるまで、青木社長様のご優秀さが5回も見えてすごいなって話で、たぶんリーさんの方も感動していらっしゃると思うんですけども、その後23歳で新聞販売店の経営も始め、これはリフォームと新聞販売店両方始めたって感じなんですか?
【佐藤】これは読売新聞社に呼ばれてですね、僕の営業コンクールで優勝したのを覚えてくださってた幹部の方が、当時大阪に出来立てのリッツカルトンホテルがあったんですね。リッツが初めて東京でもなく大阪に
第1号店というか、1つ目のリッツカルトンホテルを作って、そこのピアノバーに呼ばれてですね、とってもかっこいい雰囲気で23歳の僕が酔わされるんですけど、君の営業力を何とか必要としてるんだっていうので、新聞業界あんまり好きじゃなかったんですね。夜中バイクで走り回る仕事を別に魅力感じないなと思ってたんですけども、そのリッツカルトンホテルのピアノバーの雰囲気で
じゃあ頑張りますって返事してしまったので、翌朝酔いが覚めた時には、その共同経営してた先輩のとこに行ってですね、ちょっと僕は抜けるよと、読売新聞社と約束しちゃって、1つ新聞販売店を経営することになったんでっていう、そんなきっかけです。
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先輩の方は反対されなかったんですか?
でももうその時にはスタッフも増えてましたし、今でもしっかりその会社続けてくれているので、円満に新聞業界に戻っていきましたけども。
その後27歳で関西最大の販売会社の代表に就任ということは、これは別の販売店の代表を任されたみたいな感じであったんですか?
最初はお客様1200件しかいない小さなお店を任されるんですけども、だいたい新聞屋さんの平均って2000件から3000件ぐらいなんですね。
あんまり大きな会社にはしないっていうのが新聞社のルールで、そこそこの社長さんたちをたくさん作るっていうのが新聞社の戦略だったんですけども。
読売新聞社の中で最高の、だいたい1年で100件のお客さんを増やしましょうっていうのが目標で、100件のお客さんを増やすと、鍋ツネさんから表彰してもらえるっていうのが新聞販売店のステータスなんですけども。
最初の1年目で、僕はお客様を600件増やしたんですね。
6年分の仕事をしちゃって、営業大好きでしたから、そこから大変注目していただいて、隣のお店も任せようとか、山を一つ越えて奈良県の生駒市のお店も任せようって。
あれよ、あれよという間にお店が大きくなっていって、最終的には1万2000件の。
なので、23歳の時に1200件。
でも27歳ですから、4年後には顧客数が10倍になってたっていうのは、大変大きなエリアを担当することになりました。
やっぱりその読売新聞さんとしては、青木社長がものすごく大切に思ってらっしゃる感じですよね、そうなってくると。
そうですね、ライバルは朝日新聞だったんですね。
だから私たちは朝日新聞の販売店を潰せっていうのをずっと指示されるんです。
もう本当に戦いみたいなもんでして、若いですし切り込み隊長でもいろんな作戦を使って朝日新聞。
最終的には新聞販売店を15年経営しましたけれども、その間に6社の朝日新聞の販売店さんを倒産に追い込むっていうですね。
大変名誉なことなんですけど、今考えると恐ろしいですね。あんまりかっこいい話じゃないですけど。
いやいや、本当に素晴らしいです。
3分コンサルティング。ウィズリズが社長の悩みを解決。
18:02
本日の3分コンサルティングは、K様、サプリメントの製造販売だそうです。
今日は、県食サプリメントのD2C販売をしようと考え、現在製品開発をしています。
大型のコンセプト、商品イメージも出来上げ、現在試作品の製造段階です。
井野の悩みは、今後商品を売り出していくにあたり、広告宣伝費をどこまで資金を継ぎ込むかということです。
あるサイトでは、化粧品、県食、ECの広告宣伝費、販売促進費の予算の高さとして、
売上かける一定比率、15%から20%を広告宣伝費、販売促進費と期待していました。
美容商品の売上は、広告宣伝費に大きく比例しますし、
店舗も持たず自社、ECのみで販売を考えております。なおのこと、広告宣伝費に比重を置く必要があります。
しかし、これらのスタートなどで、実際どれほどの売り上げが見込めるかも不透明なのです。
予算を決めきれずにいます。
このような需要形態の広告予算を立てる目安などありましたら、教えていただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
昔、ECのコンサルタントの方と、ECのサイトをやっている社長と、いろんなことで盛り上がったことがあります。
彼らが言っていたのは、ある一定額の金額を広告をかけると、ECではある一定額売れるという法則がほぼもう出来上がっているそうです。
ですので、まず最初のお勧めは、ECサイトの経営でうまくいっている社長さんたちや、
ECのコンサルタントの先生たちのところにお話を聞きに行くのをお勧めしたいと思います。
そこで答えはある程度わかるのではないでしょうか。
ちなみに、この15%から20%という数字をおっしゃっていらっしゃいましたが、
これはある程度売上がもう出来上がっている、100億とか200億とか出来上がっているのに、15%から20%というのはその通りなんじゃないでしょうか。
でも最初のスタートアップのときは、そうはいらないです。
ですからスタートアップのときは、私の考え方はすると、ECサイトとかそういったものは必ずなんですが、
100%広告宣伝費をかけなきゃいけないかもしれません。
そうすると、家賃とか人件費赤字になります。
じゃあその分どうするの。資金調達するんです。
楽天もAmazonも上場したとき赤字でした。
しばらく赤字でした。今はオクロジーですけどね、楽天もAmazonも。
でもしばらく赤字だった。
それは儲かった金を全部広告宣伝費につぎ込んだり、システム開発につぎ込むんです。
どんどこどんどこつぎ込んできます。
その代わりに金が足りなかったら資金調達するんです。
じゃないとスタートアップってうまくいかないですね。
ゲームもそうですね。どんどこどんどこつぎ込みます。
だから最初は大赤字。それを何年間にわたって利益を出して取り返したり、そういう商売なんですね。
なので一番スタートアップのときは100%広告宣伝費、場合によっては150%、200%広告宣伝費かけなきゃいけないかもしれません。
それがかけないと売れないんですね。
もし売れなかったらその商品を捨て、新しい商品を作り、また100%、150%かける。
そういう商売ですね。
ある意味ECサイトもゲームもかけごとにちょっと近いですね。
当たるといけるわけです。
だからそういう商売を選ばれたということをまずご認識いただいたほうがいい。
21:04
かけて失敗して、失敗してそのままつぶえちゃうのどうするって言いますが、
健康コーポレーションという会社をご存知でいらっしゃるでしょうか。
これは今はライズアップコーポレーションです。
あのライズアップを作った会社。
あそこはもともとサプレミザの会社で年収100億以上でした。
で札幌市場のアンビシャスに上場していらっしゃる。
あそこも赤字、赤字、黒字みたいな感じでした当初。
でその大変でした。
それをライズアップという業態を作ったことによって儲かり上がりました。
このライズアップはパーソナルトレーニングの業態です。
でサプリメントをセットでお客さんに売っていく。
そのことによって利益が出たんですね。
ですので現職でなかなか上手く利益が出せなくても
他の業態を作ってしまうと、ライズアップみたいな商品を作ってサービスを作ってしまうと
そのことで派遣で儲かるようになったりします。
ですから別の事業を作っていけば抜け出せる可能性はあるので
そこまで悲観をする必要性はないのではないかというふうに思います。
ぜひそこまで考えて
反則費100%とか150%とかかけなきゃいけないスタート投資はですね
というふうに思っていただければと思います。
かけて売上が上がってきて
最初は1億円の売上が10億になり100億になると
100億になるとちょうど15%から20%にはまってくる。
かけていくと反則者になってくるみたいに変わってくるのではないでしょうか。
そうなってくると利益が出るようになってくる。
こういうことになってくると思います。
ですからスタートダッシュが一番重要だということを考えながら
資金調達の方をきちんと考えて
計画を立て3年5年計画を作り
スタートされたらいいんじゃないかと思います。
それぐらい広告費がかかる商売だし
ECサイト、ゲームなどは賭けに近いということも
ご理解はいただきたいなと思っております。
これ大変難しい問題ですので
ぜひもし何かございましたら
私のところに無料でご相談に乗りますので
何々とおっしゃっていただければと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。
また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり
誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者の
インタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして
私どもウィズビズが運営するウェブサイト
KAノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで
新たな発見や気づきがあり
皆様の会社経営に役立つヒントが
きっと見つかるのではないかと思いまして
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索でKAノートスペース
24:03
社長インタビューと入力いただき
KAノートのサイトをご覧になっていただければ
というふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。
また来週。
24:33

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