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2017-05-31 20:35

第21回 前田出氏(一般社団法人協会ビジネス推進機構代表理事)【前編】

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今回は、協会ビジネスの第一人者である、前田出様にお越しいただきました。ホビークラフトで作り上げた認定講師が活躍する仕組みをビジネスモデルとして、2007年より他の業態に「新・家元制度」を提唱されています。

ミュージカル劇団、街づくり、インテリアコーディネーター、選挙のプロデュースなど...様々な経験が現在のビジネスの成功につながっていくストーリーは、大変興味深い内容となっております。

前田先生の語る、事業を大きく発展させるための「仕組みづくり」とは?企業成長を目指す経営者の皆様は必聴です!


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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、私の尊敬する社長様のお一人、前田社長様です。
まずは、経歴をご紹介します。前田伊豆様、1954年生まれ、
協会ビジネスの第一人者であり、新家元制度というのを発祥されているのが前田先生であります。
若山市生まれで、長崎大学水産学部卒業後、選挙の先駆け、マニュアルステーション選挙の先駆けなどを生み出され、
その後、株式会社コロネットを設立し、お島田の認定行使育成の仕組みをつくり、成功され、
今は新家元制度のビジネスモデルを推進されていらっしゃる前田先生でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
最初のご質問です。ご出身は若山市です。
小学校、中学校はどんな幼少期を過ごされたらいいですか。
小学校、中学校と結構優等生で、小学校の頃から生徒会長とかというのをやっていて、
先生に気になれる子だったので、そこまで行っていて、
高校に行った時に自分の中で壁というか、逆に言うといい子をやるのがしんどくなってきたというのがあって、
成績も中ぐらい、小さい頃というのは胃の中の数がだんだん大きくなって、
新学校に行って、行ってきたら大したことないなというのがなってきたというレベルですね。
若山の新学校はどちらの高校でしたか。
東院高校というところで、ここは元々旧姓の若山中学というところが行ったので、一番新学校としては有名だったところですね。
大学は長崎の方で、水産学部ということで理系だったということですか。
理系ですね。一番は高校に行って大したことないという自分の実力がわかって、
普通のデスクワークはやりたくない、農学部か水産学部に行きたいなと思って、
水産学部の中でも海洋学というのを長崎大学が初めてやりだして、そこのところへ行ったということですね。
なるほど。全然今のお仕事と違う学部でいらっしゃいますよね。
元々水産学部から目指されることって夢とかはあられたんですか。
その当時、クストという一番潜水で有名な人がいてたんですね。
だから海に潜るということと海洋学ということをやりたいなと思って行ったら、
長崎大学海洋学部という名前だけで水産学部で元々の教育をやろうかということで、
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全然やりたいことと違ったと。
そしたらその中でやろうとしたら、一番水産学部で行って面白いのは船に乗ることだというので、
ちょうど3年生の時に新造船ができる、新しい船ができるということで、
その船ができたら世界一周行けるということで、
1学年で100人いてるんですけど、僕が呼びかけてみんなで留年して、
その船ができたら世界一周乗ろうぜって言ったら12人一緒に留年した。
そしたらちょうどオイルショックで、オイルショックになってしまって船ができないと。
ただ留年しただけの5年間、長崎大学に行った。
もちろん船に乗っていろんなところに行ったんですけど、でも世界一周はできなかった。
そうですか。大学卒業後は普通に就職でらっしゃるんですか?
大学の場合も就職するときに全然そういう水産の人たちなので、就職にあんまり関心のない人たちばかりが集まってた。
大阪の豚屋さん、要するに就職の中でも船の仕事と関係なしにアイスクリームの卸しをやってるところに入ったんですけど、
半年で辞めました。
僕、サラリーマン生活はその半年間しかやったことがない。
そうでらっしゃるんですか。全然面白くなかったってことですね。
何をやってる会社もよくわからずに入って、入ってやる仕事って言ったら見習いですから、
トラックでアイスクリームを運ぶというようなものの営業を覚える段階から、物になる前段階でケツを割って辞めてしまったという格好で。
なるほど。そのアイスクリーム屋さんを辞められた後は独立ですか。
辞めた後、ともかく何かしようって、全然夢とか希望とかなんてなかったので、ともかく辞めようというのがあったので、
うちの親父が前田商店という黒板屋をやってたんですね。
とりあえず家に帰れなんとかなるやろうと思って帰ってやってみたら、
超零細企業で、ここも何ともならないと。何ともならないし、ちょうど結婚するのを決めてたんで、
会社を辞めて結婚してすぐに超零細のところに入ったという形で、ここも頑張る気が全くなくて。
そのまま何か面白いことないかなと思って、アマチュアのミュージカルの劇団に入って、
25歳から32歳ぐらいまではミュージカル劇団を中心に動いていたと。
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大変変わった経歴ですし、今の前田先生から想像つかない失敗話になるんですかね。
そうですね。要は前田商店の給料としたら、年収で200万台ぐらい。
頑張ろうという気も全くなく、嫁さんがほぼさんやってたんで、嫁さんの収入の方が多いと。
だいたい週末にミュージカルで小倉圭さんをくどいて、小倉圭さんに曲を書いてもらって、
ミュージカル劇団は全国ツアーをし、三鳥地域文化賞をもらい、
結局トータル10年間で10万人動員した、アマチュアでは最高動員数を持っている劇団になったんですね。
すごいですね。
そこのキャストとプロデューサーをやってたんですけど、そっちの方は面白い。
でも仕事の方は全くダメで、収入はほとんどない状態というのが32歳まで続いてました。
ミュージカルの方成功されているところが、今の前田先生の変臨を見せていただいているような感じがしますけど、
ミュージカルの方を辞められてのが32歳ということですか。
ミュージカルをやりながら、僕らは全国公演をしたりしていて、すごく楽しかったんですね。
でも和歌山で見ていたら、和歌山自身に居ている奴は楽しそうでないし、
その時ちょうど町づくりブームがあって、建築家の連中と町づくりをやろうぜ、和歌山でも何かできるというので、
和歌山で大きなイベントを3つして、1つのイベントで2000人とか3000人ぐらいを動員するぐらいのイベントを作れたんですね。
それをやるのとミュージカルを同時にしていて、人を動かすということが結構面白いなということで、
30人の時にちょっと仕事を真面目にしようかなと思って、株式会社ICSというのを作ったというのが、
30人して初めて仕事をするモードに入ったということです。
なるほど。そのICSさんは、今のICSさんだと思うんですけれども、何を目的に事業をやろうということですか。
もともと学校の黒板屋をやっていて、学校の黒板だけでは全くダメなので、先生の自宅のカーテンとかインテリアをやっていたんですね。
インテリアをやる分において、一番最初にインテリアコーディネーターの資格を取ろうと思って、
インテリアコーディネーターの資格を受けたんですね。
だから当時でいうと、インテリアコーディネーターが第3期になったぐらいで、まだ世間にもあまり知られていない子。
それを取って、今度は町づくりをやっていたら、町づくりに参加するのが男ばかりだったので、
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女性を参加さすには自分の自宅を何かしたらいいということを目覚めさそうということで、
それでインテリアコーディネーターシステムという、この役を取ってICS。
今の僕の境界ビジネスの一つの原型が、このインテリアコーディネーターの養成講座を地元の新聞社と組んで作ったというのが一番最初なんですね。
そうであったんですか。じゃあ今から何年前ですか。
30年前ぐらいにはもう境界ビジネスの原型ができていたと。
講座を作って、インテリアコーディネーターという資格を世間に知らしめるために、インテリアコーディネーターの資格を取りましょう。
インテリアコーディネーターの資格を取った人を組織化して、企業とタイアップするという事業を始めた。
初めて聞くお話で、そういうお話、結構外では喋ってらっしゃる。
ありがとうございます。
そのインテリアコーディネーターのやつは大成功というかされたんですか。
1回20人ぐらい集めて、それで4回ぐらい、だから80人ぐらいの人たちが作って、その中から資格を取った人たちをまとめる。
資格を持っていない人たちも女性の企画力を会社に活かしませんかという提案をして、
自分の委託をするのでは面白くないので、商業施設のプロデュースをしようと思って、
その商業施設のプロデュースということでいくと、いかに集客するか、そこのイベントをやるか、
会員化するかということを作り出して、ちょうどTSUTAYAさんができた頃だったんですね。
和歌山でも同じようにビデオと本とレンタルと合わせた業態のがあって、
ここは全国展開で120店舗ぐらい結局作ったんですけど、それのプロデュースをしてまして。
TSUTAYAのプロデュース?
TSUTAYAじゃないんですけど、TSUTAYAと同じような感じで、和歌山でいわきっていうところがあった、
もともとレコード屋さんがあったビジネスモデルをTSUTAYAと同じような感じで作っていったと。
なるほど。今のお話で言うと、境界ビジネスの原型がミュージカルとか、
街作りとかインテリアコーディネーターっていうようで、そのまま発展していったような感じ?
そうですね。僕の中で言うと、もう一つ選挙のプロデュースっていうのがあるんですけど、
インテリアとかを作ってやってる、インテリアコーディネーターをして店を作るとか展開する、
これはいわゆるフランチャイズのフランチャイザーになるっていうビジネスモデルを作っていった。
これをやってるときに、たまたま選挙のプロデュースを頼まれてやったんですけど、
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受けた候補者が町長さんが衆議院議員に出たっていうことで、この町長さんがすごく目立たない人だったんです。
当時は中選挙区っていって、一つの選挙区から同じ党からでも何人も出た。
埋没してしまう人だったんで、いかに目立たすかっていうことで、
その選挙のプロデュースにあたって青年部を作るとか、婦人部を作るとか、
スポットライトを当てて喋らすとか、衣装を揃えるとか、送り出しのものを並ばすとか、
いわゆるミュージカルでやったことを、そのまま選挙に持ち込んでやったら、
候補者は落ちたんですけど、その選挙自体がすごく話題になって、
選挙プロデュースの依頼がいろんなところから来たんですね。
へえ、どのくらい来たんですか、選挙プロデュース。
僕、15選挙くらい。市長選、知事選、県会議員、そういういろんな種類の選挙をやってきました。
でもお話を聞いているとまさに家本制度で、青年部とかは会員制度ですし、
ミュージカルでって言ったじゃないですか、スポットライト当てみたいなのはミュージカル側で、
だから全部家本制度で最後までつながってくるというのは。
やってきたもので言うと、僕の中でミュージカルでいかに人を動員させるかということ、
選挙の部分で言うと組織をつくり、そしてそれぞれの思惑の違う人たちをいかに動かすか、
選挙の公約をつくり、未来を約束させるか、そういうことが組み合わさってできてきた、
というのが今の30代ぐらいにやったビジネスがつながってきていますね。
なるほど、その選挙のプロデュースとかを、やらいでから家本制度を発表されると言いますか、
そこまではどのくらいの期間をあられたんですか。
選挙をやったのが32から40歳ぐらいまでの間ですね。
僕が選挙の中でも和歌山知事選のプロデュースをしたんですけど、ここがすごい戦いで、
この選挙で結局またこれも負けたんですよ。
負けて和歌山に行けられなくなるぐらいのいろんな締め付けがありまして。
なるほど。
それでちょっと旅に出ようということで、そこで出会ったのが、
おしばなのやっている人間と出会いまして、
そのおしばなというのが面白いねという話になって、
協会ビジネスが始まりだすという。
なるほど、それが株式会社コロネ。
作る前ですね。
作る前ですね、なるほど。
だからそのとき出会ったのは、日本防具社という出版社がやっているおしばなというのがあって、
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そのおしばなのプロデュースしていたのが、コロネットを作った伊藤拓磨という僕のパートナーが、
ここの責任者だった。
それが出会ったのが、ちょうどその選挙で負けて、いろいろ放浪していた頃。
なるほど。
放浪のときは奥様もご一緒に放浪していたんですか?
いえ、しないですね。
奥様は和歌山に?
ミュージカルやっているときも奥様も和歌山にいろんなところに行っていたから、
基本的に好きなことをさせてもらって、
あ、素晴らしい奥様がいらっしゃいましたね。
そうですか。
3分コンサルティング。
ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、愛車様、資本金1000万、年賞2億、従業員数8名、業種は建築工事業でいらっしゃいます。
10年前に創業し、されたまで公務店にリフォーム業務となっています。
これまでは社長の知り合いはその紹介で、家の販売リフォームもやってきました。
最近ではそれだけで受注が減っており、お客様の新規開発が必要な状況です。
最近伸びている同業者の話も聞こえ、ホームページからの問い合わせで仕事が増えているとも聞きます。
しかし、私の会社のホームページは5年くらいに作ったものの、あまり更新もしておらず、ホームページから問い合わせをさせるような取り組みも全くできていません。
Googleの検索や上位のようなことを支援しているSO対策会社やWeb集客を改善するというコンサルターも営業の電話がかかってくるので、やはりそういうところに頼むべきなのでしょうか。
ただ、かなり高い費用が必要な割に、本当に正確なのか怪しいと思ってしまいます。
できるだけお金をかけずにまずやれることはないでしょうかということで、これは私どもネットメディアの会社、経営者向けネットメディアで日本一の会社でございますので、半分くらいでしょうか、プロというふうな分野でございます。
ウィズビズは当初作ったとき、私の思いとしては毎日のように動くサイトにしてくれ、ドンキホーテのお店みたいにちょっとガチャガチャしてくれというふうに言って作ってもらっているのですが、おそらく私どものホームページに来られるとちょっといろいろ探しにくいんじゃないかなと思います。
ドンキホーテというのは物を探していると、私もこの前ドンキホーテ行きましたがなかなか見つかりませんね。
その割に違うものが目に入ってきたら思わずそっちを買おうとしてしまったり、つまづいて手に取ってみるとこれにいいなと思ったりとか、ちょっと面白さと言いますか、そういう部分があるのがドンキホーテというお店でいらっしゃいますけれども、そんな感じにサイト内でできたらなと思って作っております。
ウィズビズのSEO対策はどんなことをやっているかと言いますと、とにかく毎日のように記事をいろいろ投稿しております。
これがまず第一ですね。いわゆるコンテンツマーケティングというものです。
それ以外にもセミナーを月30本以上やってますので、セミナーの記事というのをどんどん出していくような形にします。
そのことによって結構動くようになっています。
そのことで来場と言いますか、見に来ていただける方が増えているという、こういう形でございます。
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今、Googleの検索でビジネスマッチングというふうに言えていただければ、大体1位か2位。
大体東京道主、US銀行さんと1位、2位を争っている感じで、今週だと2位でしたけれども、もしかすると皆さん見たら1位かもしれませんが、そんなような感じでしょうか。
ですので、やっぱりこの辺の知識がないとホームページの問い合わせを増やすというのはなかなか難しいと思います。
キーワードも多分リフォーム、埼玉県の何々市、安いとか3つぐらいの検索で来られますので、その検索が引っかかるようなホームページを作り、そして毎日のようにコンテンツを上げていかなきゃいけない。
毎日のようにコンテンツを上げなきゃいけない。
毎日はちょっと難しいかもしれませんが、それでも毎週のようにコンテンツを上げなきゃいけないという方法になってきますので、
まずはこれはぜひ社長自らですね、勉強することが一番最初の入り口なんじゃないかなと思います。
もう一つはもちろんプロに頼むという部分と、社内にどうしてもこのWebの担当者を作らないといけないんじゃないかなと思います。
先日もWebのSAO対策をしたり、ホームページを作ったりしている会社さんとお話しさせたら、いつかきっと全ての会社内製化する。
このホームページとかFacebookの対策とかそういうのは全部内製化する。
その内製化したときに自分たちは生き残れないのでセミナーとか研修制度を強化していくみたいな話をお聞きしました。
多分その通りだと思っていまして、いつかは担当者をおきやらなきゃいけない。
ただ最初の入り口はどうしてもプロに聞かないとわからないこともありますし、プロしかわからないこともあります。
そういう意味でどこかのタイムで担当者をおき勉強させていくということと、
一番最初の入り口は社長自らが勉強していって、一部はやっぱりプロに最初は頼んで勉強していくということが大切なんじゃないかと思います。
私どもでもホームページ、SAOなどなど、ネットショップなどなどのセミナーを数多くやっておりますので、
ぜひ私どものセミナーでもご参加いただければなというふうに思っています。
本日の3分コンサルトは以上となります。どうもありがとうございました。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポトキャストはここまでになります。
働いてお楽しみに。
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