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社長に聞く!in WizBiz
WizBizの新谷です。先週の続きをお聞きください。
コロネットを設立する前に、押し花の方でまたミュージカルとか選挙みたいな、同じようにインテリアコーディネーターの時のように作っていった。
押し花の場合は、既にこの新谷本生と協会ビジネスの原型があったんですね。
そのもので、押し花というのは、押し花の先生を育成する。そして、押し花の先生に教材を販売するというモデル。
日本博物館はそれにプラス、本を作ったりとか、いろんなことをしていましたので、その中で教えるビジネスだけでは一つ限界があるということで、
その教える人の中から今度は商品を作るものをやろうというので、押し花の先生の中でまた選抜をしまして、
その中で結婚式のブーケを記念日の押し花に残す記念日額を作るという会社を作った。
これがコロネットという会社なんですね。コロネットというのは花の冠という意味なんですね。
それを作って、押し花の先生という教える人から、今度は押し花額を作るという商品を作る、いわゆるデザイナーになる。
商売として成り立つビジネスをやろうということで、全国に110ぐらいのアトリエを作ったんですね。
年間で約2万5000額ぐらいの額を受けるというビジネスモデルを作りまして、
その人たちに額を下ろす、その下ろし業をやったのがコロネットという。
特許付きの額を下ろし、そしてその額が素晴らしいということを宣伝するものを
ゼクシーとかに広告を出しながらやっていくということで、それで3億ぐらいのビジネスができたと。
3人ぐらいで3億ぐらいのビジネスを作りました。
素晴らしいですね、なるほど。
コロネットを成功させたので、じゃあ家持つ制度だという発想になられるか。
お芝菜でいうと、一番最初に教える先生を作るというモデルがあった。
それを今度は教えるだけでは収入という一つの限界が来るので、商品を作るというモデルをやった。
この中からまた今度はアートをするということで、この時に勝良由美さんと一緒にタイアップさせてもらって、
勝良由美さんのドレスと合わすとか、勝良由美さんがプロデュースした、
女優さんが持っていた花をお芝菜額にするとかといってアート部門を作ったんですね。
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そのアート部門で世界でお芝菜をやっている人たちがいていたので、
その人たちをまとめて世界お芝菜芸術協会というのを作って、
そのお芝菜を芸術までに持っていくというものを作ることによって、
ホビークラフトをやっていた人がアーティストと名乗れるようになる、
デザイナーとして名乗れるようになるというビジネスモデルを確立していったということですね。
それがいわゆる認定構成ということですね。
その成功を見て、これはもっと広げるというふうに思われたのでしょうか。
このビジネスモデルをお芝菜だけじゃなしに他に展開しようということで、
このネットのお芝菜事業をやっていた部門をただの事業部にして、
今度はビーズとかキルトとかというホビークラフトの部分で新しく作った。
だから事業としてもともとあったお芝菜の記念日の額という部門をあったところに
横に事業展開をしていったという感じですね。
それはコロネットでやられていたんですね。
コロネットか、家元制度を活用した、今先生がやっているビジネスに行かれたのは何年前ぐらいから家元制度というのを始めたんですか。
お芝菜をやりだしたのが1996年。
コロネットを作ったのが、ビーズとしてきっちりと動き出したのが2001年ぐらいからです。
その後、もっと広げてという感じになっている。
そうですね。だからビーズで一番最初にやったときに、
お芝菜で作ったビジネスモデルでいろんなところとのお付き合いがあった。
一番大きいのは、例えば三越であるとか伊勢丹であるとかというデパートさんで展示会をして、
このビジネスモデルというのは6日間で3万人とか4万人動員できるモデルなんですね。
この成功モデルがあったので、ビーズも一番初めのときって何もないところから始めたんですね。
マーケット的には、ビーズのマーケットでその当時200億円あったんです。
お芝菜が30億円のマーケットだったので、約6倍、7倍のモデルのところにこのモデルを入れる。
そして成熟したマーケットだったので、習いたい人、教えたい人ってたくさんいてたんです。
ここに標準化したモデルを作り、そしてここに公益財団の認定を出しますということで募集をかけたら、
最初に広告を出したら5万5千円のモデルに5千人の問い合わせが来て、2千人が買ってくれたんです。
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すごい数ですね。
広告も1ページ30万の広告で5千人集まったんです。
すごい報酬益ということを出したと思うんですか。
それは三越でイベントをしたりとか、新聞社と組んだりとか、いろんな相乗効果が生まれていったモデルだったんですけど、
初年度でそれだけの人数が集まったというモデルができました。
なるほど。それを成功されたらもうこれはいけるという感じで先生は思われたということですか。
そうですね。やっぱり習っている人から見ると、いかに権威を持ってブランドを自分につけて、それで各地で展開できるというモデルができたらいいということで、
境界ビジネスの一番の原型をお縛らんできたものをこれを展開してきっちりと標準化したものを作ったのというのはそのビーズでの作りですね。
なるほど。2008年には新家持制度を活用した認定講師育成事業モデルを講座として開講されていらっしゃるんですが、
2008年によしやろうと思った、ワッと広げようと思ったのはその前の年ぐらいに思われていたということですか。
そうですね。2001年にビーズの事業をやりだして7年ぐらい経っていて、ちょうど売り上げも8億9億ぐらいになっていたんですね。
このビジネスモデルというのは最初はまだ小さいものって世に出したら潰されてしまう、大手がドーンと来たらだめということだったんですけど、
この業界の中ではもう確立した、この業界を今度はホビークラフトという業界じゃなしに他の例えば生態であるとか職域であるとかお金であるとかいろんなところへ展開するのも可能だろうなというので、
このモデルを横展開したいなというのがあって、ちょうど2008年に公益法人制度って変わったんですね。
今皆さんが一般社団法人とか一般財団法人を作ってますけど、それまではNPOしかなかったんです。
株式会社かNPOという選択肢がなかったのが、一般社団法人が作れるようになる。
これはちょうど今やっている協会ビジネスの器として一番いいモデルができたので、この時に世に出そうということで、
神田雅典さんと一緒に講座をして、神田さんの情報発信力でいろんな著者の人とかビジネスの新規事業が大好きな経営者の人たちが来たんですね。
だから僕は講座ビジネスという形で人に講座を教えたのがそれが初めてだったんです。
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それが63万という結構高額な講座だったので、僕の講座ビジネスは一番高額ビジネスから始まったという感じですね。
なるほど。先生の歴史を聞いていると、家元製作はそうやってできたんだと。
本当に素晴らしいなと失礼ながらも感心させられる話でございますね。
ちょっと全然違う質問をさせていただきたいなと思うんですけども、いろんなご質問をさせていただいたら、好きなものにうまい飯ってお答えになっていらっしゃって、
どんな種類のご飯と言いますか、うまい飯っていうのは、どういう種類のものがお好きという意味合いでうまい飯っておっしゃってらっしゃるかな。
どういうものっていうか、僕自身はやっぱりビジネスとプライベートって結構分けてて、
どっちかというと、さっきその30人まで自分でやりたいことをやってた。
同じように会社を作った後も結構自分の時間っていうのを重視してて、そのためには今はちょっと変わってますけど、
コロネットの頃っていうのは一番最初に決めるスケジュールって誰と飯を食うかっていうのを決めてて、ほとんど毎日誰かと飯を食うって決めてた。
そしたら毎日誰とどんな飯を食おうかということから考えて、その会話が弾むものであったりとか、
この人とこの飯を食いたいなとかいうのを決めて、そこを次にランチ決めて、その間に仕事の予定を入れていくというようなスケジュールを作っていった。
前田先生らしい。緻密なというか、すごいですね。
うまい飯っておいしいご飯というよりは一緒に食べる人もセットで全部合わせてで食事のうまい飯というふうにおっしゃってらっしゃるんですね。
なるほどですね。わりとお好きじゃない人じゃなくて、ちゃんと好きな人をちゃんと1ヶ月間30人というか、セッティングするのが先という感じでいらっしゃる。
もちろん家でも食べましたけど、当時は和歌山と東京の二重生活をしていましたので、週末は和歌山に帰って、平日は東京でホテルを暮らしていたんですね。
そしたら誰かと飯を食わないと寂しいので、いつも誰かと食うのを決めていました。
なるほど。うまい飯という理由がちょっとわかった気がします。
もう一つ、俳優のメモを教えていただいたら、投げられた石は足元に積んでいて、これどういう意味?
先ほど言ったミュージカルをやりだしたときに、和歌山でミュージカルをやって、その後、町づくりを始めたんですね。
町づくりをやったら結構いろんな名手の人たちと出会うのがあって、ちょうど和歌山の水頭町という、知事でいうと知事、副知事、水頭町ってナンバー3の人の奥さんが梅田さんという先生がいてて、この人が女流の作家で、和歌山でも女の人たちをまとめている人だったんですね。
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この人と一緒に雑誌を作ることになって、うまいもの巡りをずっとやる。そのときに車に乗せてずっと和歌山県下を回っていたんですけど、町づくりをあなたたちがやっていると。
で、そのときにみんなはあなたたちが今チヤホヤしてくれる。それはその権力を持っている人から見たら、あなたたちってまだ目障りでもなんでもないと。
で、あなたたちがもうちょっと力を持ち出して、その人たちを脅かす存在になったり目障りになったら石を投げてくるよと。で、その石を投げられたら投げ返すなと。投げられたらありがとうと言って足元に積んでいけと。
で、その石をずっと積んでいったら、いつの間にか石が高くなって石がけになって石が届かなくなると。だから批判されるのを反発せずに批判されたらありがとうということでそのまま受けていけというのを言われて、
あ、俺らまだそのときはチヤホヤしてくれるけど石は投げられていないなと。でもどんどん目立つ存在になってきたらいろんなことで叩かれるようになる。そのときに石は投げ返すなというのをずっと守ってきたと。
いいことですね。
なるほど。先ほどの選挙の後、訪問旅に出た話に通じる話でいらっしゃいますかね。
そうだね。選挙なんかやってたらまたすごい石とか岩というのが飛んでくるような世界とか。
そうですね。岩も飛んできますから。
そうですか。なるほど。ちょっと大変勉強になるお話ありがとうございます。
最後なんですが、これは経営者向け、全国の社長様向けのインタビュー番組でございますので、できませんれば今後起業する方、または今社長をやっていらっしゃる方向けに社長業の成功の秘訣なんかを教えていただけたらなというふうに思っております。
僕の場合は社長業をやったことないんですね。基本的に専務から会長という形で、実務やるときは専務をし、もうここ20年以上は会長しかやってないんですね。
というのは、僕の場合は、さっき言ったように自分の時間を大事にしたいんで、なるべく誰かにやってもらうということを考える。
今度は人が動くための仕組みがどうあるかという、もともと仕組みづくりが大好きだったので、このビジネスをやるのにどういう役割の人がいるか、そしてこの役割をうまく回す役目は僕の役目。
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それぞれ実務をする人をそれぞれ作れてきて、自分ができないことをやってもらうという組織づくりを考えてきた。
だから僕は事業を作った場合は、事業家になろうと思ったら、先に仕組み、組織を作ることから考えたほうがいいと思います。
だから1億ぐらいまでのものならば、その場その場で判断してやっていけると思いますけど、10億超えるビジネスを作ろうと思うなら、仕組みを作るということから入ったほうがいいなというふうに思います。
なるほど。仕組みづくり、私も頑張って仕組み作っていきたいなと思います。
ありがとうございます。本日はどうもありがとうございました。リサーナーの皆さまもお聞きいただきましてまして、誠にありがとうございました。
前田先生は本も出されていらっしゃいますし、講座も今でもやっていらっしゃいますので、
家元制度がご興味を得られる方はぜひご参加いただければいいんじゃないかなと思っております。前田先生ありがとうございました。
はい、どうもありがとうございました。
皆さん、前田先生のインタビューをお聞きいただきまして誠にありがとうございます。
お聞きしてまして 家元制度を作るための運命だったんだなと
ミュージカルのプロデューサーをやり 町づくりをやり
そしてインテリアコーディネーターの 講師育成制度みたいなものをやり
そしてコロネットのときの押し花 ビーズと そして選挙もございましたね
全て流れからすると 家元制度をやるために 前田先生はおそらく運命づけられて
そのまま歩みになって 大成功されてらっしゃると
そして全ては仕組みづくりというような 話がございましたが
いや もう本当に素晴らしい社長様 先生でいらっしゃいまして
本当に私 昔から尊敬しますが さらに尊敬してしまいました
ぜひ皆さま方も 私もそうですが 仕組みづくり頑張って企業成長を
皆さまもしていただきたいと思いますし 私もしていきたいなと思っております
本日は前田先生のお話をお聞きいただきまして 誠にありがとうございました
3分コンサルティング ウィズビズが社長の悩みを解決
本日の3分コンサルティング ジェイサー様からのご相談でいらっしゃいます
資本金1000万 年賞5億 従業員出身30名のオルシュル業
弊社は大阪にある岡礁中心としては オルシュル業者さんだそうです
創業から42年従業経ち 40年ですか 素晴らしいですね
私も60代後半となりました ということは2代目でいらっしゃいますかね
私の体の状況が良くないこともあり できれば一緒に働いている息子に
事業を継いでもらいたいと考えています しかし昨今の経済状況もあり借金も多く
現時点で資金が大変厳しいです 息子に継いでもらいたいものの
本当に使わせても大丈夫か迷っています 事業を創造する際が借金がある状況では
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事業消費は諦めた方がよろしいでしょうか 教えていただければ幸いですということで
まず事業消費様々な方々 私はお聞きもしていますし
ご指導もさせていただいていますが まず息子さんはその借金について
全部ご存じらっしゃいますかね まずは息子さんに全部
決算書も含めて打ち分けて全部お話しいただくことが 一番重要なんじゃないかなと思います
息子さんが判断ですよね 私聞いているのに昔年賞10億で
15億借金があった会社を 息子さんがどうしてもいいから継がせろと言って
無理やり継いで 今では年賞が10億から15億になり
そして借金も3億ぐらいになってきている という会社さんのお話を聞いたことがございます
また年賞20億なのに40億借金があって お父様が亡くなられて大手企業から戻られて
どうしても継がなきゃいけなくて 必死になって継いで
そして今では年賞30億になり 借金がとうとう1億になり
来年亡くなりますという会社さんのお話も聞きました
それ以外にも年賞15億で借金15億が 年賞25億で借金が3億まで減りましたとか
皆さんお継ぎになった方でも そういうふうに成功している方いっぱいいらっしゃいます
そのときに一番重要なのは 息子さん継がれる方の腹の決め方でございます
必ず個人保証が入っているケースが多いですので
必ず個人保証を次に継がれる方 息子さんに移していただきたいと思います
借金をちゃんと返された方々のほとんどは
いいから個人保証をこっちに 移せって言った方もいらっしゃいますし
お父様が亡くなられて 自分に変わらざるを得なかったかもいらっしゃいます
でもそれが必要である意味 崖っぷちに立つといいますか
もうやるしかないというところになりますか
先ほど言いました 腹をくくるということになりますので
それで成功するケースもございます
もちろんこの事業がお菓子の卸しというのが なくなるというのであれならば
また話はちょっと変わってきますが
もしこれで生き残れるというふうに 判断ができるのであれば
息子さんに借金を背負っていただき 必死になっていただくのが一番重要なんじゃないかなと
でも逆に息子さんが それはやりたくないということであれば
やはり会社のほうは礼をするなり潰すなりというほうが いいんじゃないかなというふうに思っております
私どもでも借金があっても 事業処刑できるというセミナーも数多くやっております
もちろん事業再生の方法はいくつありまして 私も過去やっておりますが
ご指導させていただきますが 会社分割なんて方法もございますし
いろんな方法がございます
ですので何なりとまずはコンサルタントに相談され
そして息子さんの意思を確認し 事業処刑のプランを練っていっていただくのが
一番いいんじゃないかなと思います
ぜひできれば生き残っていただいて
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息子さんを中心に借金を減らせていただけたら 私としてはうれしいなというふうに思っております
本日の3分コンサルティングはここまで 本日もどうもありがとうございました
最後までお聞きいただきまして 誠にありがとうございました
本日のポッドキャストはここまでになります
また来週お楽しみに