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2022-12-21 26:29

第311回 小松克已氏(株式会社コラントッテ代表取締役社長)【前編】

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今回は、特許取得の家庭用磁気治療器を展開する、株式会社コラントッテの小松克已社長にお越し頂きました。

若いころから経営者として複数の会社を運営されていたものの、2度の詐欺被害により数億円の負債を背負い自己破産。さらに、その矢先に父が病に倒れるというどん底の生活から、東証グロース市場に上場をされるまでに再起を果たされた感動のエピソードから経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/

■WizBiz社長塾
https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ




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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社コラントッテ代表取締役社長 小松克様でらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1957年生まれ、大阪府ご出身。高校を卒業後、建設会社にご入社。
22歳で建築士の資格を取得後、24歳で建設会社小松建設を設立。
その後、複数社の経営に携わっていらっしゃいます。
1997年には株式会社アーククエスト、現在の株式会社コラントッテさんを設立されていらっしゃいます。
そして、2021年には東商マザーズに上場した、現在のグロース市場に上場された上場企業の社長様でらっしゃいます。
小松克様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は大阪とのことで、小学校時代はどんな少年でらっしゃいましたか?
いや、小学校の時は非常にやんちゃというか、活発な子供で、親が産官民というか、そう呼ばれる時はいつも落ち着きがないねって言われるぐらい現地というか、やんちゃばっかりやってました。
はい。
ガキ大将みたいな感じですか?
大将ではないんですけど、ただ悪いことはしなかったですね。
じゃあ親御さんのご教育は良かったんですね。
いや、父親が非常に怖かったもので、僕が悪いことをすると母親が怒られてたのを見てたので、なんだか母親にお守るというイメージがありまして、そういう悪いことはしなかったですね。
お優しいということになりましたね。
ありがとうございます。
中学時代はどんなことをして過ごしたのかお思いでございますか?
中学の時は、僕が小学校の時に、とにかく社長誕生記というのが映画にございましてね。
森知恵さんが社長のシリーズものの映画なんですけど、なんか気楽な喜劇なんですよ。
その喜劇をよくテレビで見てまして、小学校の時にとにかく社長になろうって決めてたんですよ、なんとなく。
で、中学の時は何の社長になるかということで、野球部に入ってて色々やったんですけど、野球好きだったのに野球選手になるなんて全くなくて、社長になるのは何屋さんがいいかなばっかり考えてたというのが、中学校の時でしたね。
ずいぶん周りの社長さんに比べると早い、きついですね。
いや、現実的な考え方をとにかく持ってたようなイメージありますね。
そこで建設会社でさっきおっしゃっていただいたんですけど、例えば靴屋さんなら靴安く買えますよね。
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靴屋さんなら靴安く買える。その中で僕が中学生の時に何屋さんというのが一番その当時思ったのが、家屋さんやったら一番高いと思ってたので、家屋さんをやれば自分で家を建てると安く立つと。
一番得意だなというような感覚で、建築屋さんになろうと。
中学の時に決めたことですね。ただ革命さんの時代だったんで、特にそういうインパクトもあったかもわかりませんけど。
経済的にも本当に計算のできる頭の良いお子さんでらっしゃったんですね。
ありがとうございます。
高校も大阪でらっしゃいますか。
そうですね。ですから大阪の建築家というのをある方に行かさせていただいて、なぜ高校の建築家に行ったかというとね、建築士先ほど22歳で取得したということがあったと思うんですけども、
当時、大学を出ると建築士をその年に受けられるんですよ。卒業した年にね。
高校の建築家を出てて、4年の実務経験があると建築士を受けられる資格があるんですよ。
その時に僕が建築家さんになるという時に、同じ22歳であれば、実務経験があるほうが絶対有利だと思ったので、建築家になる高校に進みました。
頭は大学も行けたんですが、あえて勉強することもないし、早いうちに経験をついて、建築士を前後取る、その時からそう思ってますね。
中学の時から道をちゃんと決めて、ある意味スピードで進められたと、そんな感じでいらっしゃいますね。
ですからね、僕周りに大学に行っている友達がたくさんいてたんで、一番良かったなと思ったのは、大学卒業前に、
例えばね、アパレルの会社に入りたいのと、大阪ガスに入ろうかと迷っている人間がおったんですよ。
僕、アパレルの服屋さんとガス屋さんってね、全然違うのに、自分の意思をする仕事がそんなに違うのは何のためにっていうイメージ。
結局会社の名前だけの話なんですよね。
僕は自分で中学の時に建築、大学も行ってないし、建築士を取ろうということで、その時に初めて、自分の道は正しかったとね、友達の話を聞いて思いました。
何か高校時代はこんなことして過ごしたなんて思うでございますか?
とにかく野球やってたんで、公式野球部やったんですけど、野球は未だにみんな仲がいいんで、こういうことがありましたね。
例えば、1年、2年、3年ありまして、3年生は神様みたいなもんで、2年生が1年をいじめるという歴史的なものがありましてね。
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僕らもいじめられるわけなんですが、僕らが2年になった時にやはり同じようなことが起こって、一度雨の日にね、2年と1年が集まりましてね、話し合いがあったんですよ。
で、僕最後の方に喋ったんですけど、みんなが1年がこうやからや、2年生が先輩がこうやからですという、いろいろ無礼講の話があった時に、僕が言ったのが最後の方に、
こうせえへんかという話をした時に、僕ら2年生はもう先輩面しないけど、1年生は後輩面してくれへんかなという話をしたんですよ。
で、これってすごくね、みんな浸透しましてね、もう次の日からなんとかみんな仲良くなりましてね。
あの、いや先輩カバン持ちますよ、いやそんないいよとか言う。ちょっとね、一個遠慮したような付き合いが非常に良くて、その後10年ぐらいその話が続いたようでしたね。
だから僕らOBからやる時は、その僕の前後後ろ10年が仲良いんですよ。みんなね。
まあでもそのことが今の僕の自分の人生にも会社にもあまり上からものも言わないし、社員さんにとっても非常に優しい喋り方だと思うんですけど、
それは良かったかなと思います。それは高校の時の野球部で感じて覚えて、自分の人生に役立てる一つの言葉ですね。
なるほど、じゃあ高校時代からリーダーシップを発揮されてらっしゃったという感じですね。
まあ、そういう意味で言うとね、こんな若人、ええこと言いよったなと今でも思いますけどね。
ありがとうございます。その後は望み通りというか、新卒で建築会社ということでよろしかったでしょうか。
そうですね。建築会社に行きまして、積極的に仕事を参加させていただいて、自分の勉強もどんどんして、2級というか建築進発で合格させてもらったということになります。
建設会社での思い出なんてございますか。
思い出というか、就職先は大手も入れたんですよ、一応。大手さんとか入れたんですが、僕が学校の先生に望んだのは、給料が安くて転勤のないところで、いっぱい全部覚えるところがいいというお願いをしたら、
この会社はインチが深いことで、支店も石賀県にちょっとあるだけやし、僕も親元なら自分で自炊もできないし洗濯もできないんで、親元のところにいてたかったのと、あとは何でも覚える。
大手さんに行くとね、例えば鉄骨のことをやったらプロフェッションになれるけど、木造のことは全くわからないとかね、そういう人の先輩の話を聞いたときに、こういうところに行っても役立たないと思って、そういう道を選んでということで選んでましたね。
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非常に小学校、中学校時代からずっと目的的に過ごしてらっしゃるんですね。
そうですよね、今思うと大谷章也選手とか、みんな小学校の時に書いたことっていうのが実現してるのは、僕小学校2年生の時に社長になりたいって書いてましたからね。
何の社長か別として社長になりたいと。みんな当時ウルトラマンになるとか言ってるぐらいの人がおったぐらいの時でしたから。
そう思うと、今思うと、やはり字に書いたり、いつも言ってると言霊のようになっていくんかなっていうのは、自分でも実践してるような気がしますけどね。
お聞きになっているリスナーの皆さん方も社長が多いので、多分言霊っていうのが何となく響いてらっしゃるかなと思いますが。
その後、すごい早いですね、24歳で建設会社小松建設ですけど、これは独立ということですか?
そうです、独立しました。
こんな早さでなんで独立できたのかという部分をお聞きしたいんですが。
結構仕事がよくできたんですよ、サラリーマンの時は。短いですけども。
その時にいろいろ任されてたんですけども、僕の仕事を見て、400万円ぐらいの小さな仕事ですけど、頼みに来た方がおられたんですよ。
それが24歳で辞めてるんですけど、23歳の時だったんですね。
それで会社にもう辞めますと、仕事を言われたので、辞めますって言ったら、僕の直属の上司の方が、いやいやそんな困る困ると、辞めたらあかんと。
困ったんで、僕同級生雇って仕事しますよということで言ったんですよ。
その上司の方は上に言わずに、僕は辞めるというのをあかんあかんと言いながら、あと半年おられとか言われて、
僕は自分より高い給料を払って、400万円の方でやってたんですよ。そこから始めてたんですね。
そしたら周りの人が評判よくて、うちもお願いしますって、1500万円ぐらいの仕事も受けたり、なってきたんで、
ますます辞める辞めると、辞めさせてくれなかったということがありまして、それで24人正式に辞めて起業したということです。
じゃあある意味ダブルワークを最初の方はしたんですか?
そうなんです。できないと僕はサラリーマンだけど言ってたんですけど、当時ね、そんな評価されたのかって逆にね、
社長室で呼ばれたときに、君なんか辞めるらしいけど、とようやく社長のところに届きまして、
社長なんて当時150人ぐらいの会社だったんですけど、正月しか会わない社長だったんですけど、何年間もわからないけど仕事できるから、
いや実はこうこうこうで人を雇ってるんですって言ったら、社長がその雇ってるやつも面倒見るんでお前残れって言われたんですよ。
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そのときに社長に、いやいやいや、そいつは僕についてきてるんで社長についてきてるんで違いますと言ったんですよ。
それが23か4のときだったんですけど、そしたらお前すごいなと言われまして、仕事あげると言われたんですよ一つ。
それで僕はそのときに、いや僕ちっちゃく商売やってるんですけれども、そんな仕事をもしいただけんねんやったら僕が来たときは絶対ください。
ただ僕は絶対もらうことはないように頑張りますんで、二度と来ることはないですって言って、
あのねこれ今でも寂しいこと言ってるんですけど、ようそんな23や4の人がね、大社長にね、喋ったなと今でも思うんですけども、
そういう喋って辞めさせてもらって、非常に別にいい感じで辞めさせてもらいます。
お前はすごいなと、うちに5人おったらうちのおかしはもっと大きくなるとか言われたんですけどね。
大変素晴らしいエピソードで優秀でらっしゃったんだろうなと想像させるエピソードなんですけども、
建設会社でのご苦労とかあんまりなかったんでしょうか。
いや特に苦労はなかったんですけど、ただあの僕結構一人で任せられてたんですよ。
大きな団地というか木造住宅の10何軒30軒くらいの一人で見てたんですけど。
大体他の建設会社さんもらわれたんですけど、大体3人とか2人、最低の2人で、3人4人で全部現場見てるんですよ。
あの上の人もらわれて、僕全く見てなかったんで、もうみんな10時になったら喫茶店行くんですよ。
で僕忙しくて全然行けなくって、喫茶店が行きたくって、
もうみんな行ってるのに何でも忙しいだろうと思ったんで、
そこでまた合理的に、なんかこうみんなの大学生さんに一斉になんか伝えることができへんかということで、
あの唯一現場で学校みたいなことをやりだしてね。
あの職員さんを雨の日に集めて、もう今後の話のことを一点に紙書いて全部渡してね。
だからもうあまり伝達することないようにしたことがありまして、
それをして、やっぱりそれするまでに半年がかかったんですけど、
それから喫茶店に一緒に行けるようになりましたね。
あ、やっぱり仕事ってこうやらって非常に学びましたね。
あの合理的にすることっていうことが、時間に余裕ができるということで、
その方が本気出したら3倍も4倍も仕事できるよなとか、
そんな感じで、そんな感じを覚えたのがさらにリファン時代だったと思うんですけど。
大変ご用意していらっしゃいますね。ある意味あの指示書というかマニュアルというか、
そのものをお渡ししてということでしょうか。
はい、はい。そういえば図面も書きましたしね。
ある意味今のISOとかにも通ずる話でいらっしゃいますね。
素晴らしいですね。ありがとうございます。
独立後は何かご苦労されたこととかございませんか。
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独立後っていうのは、あの会社はね、いろいろ建設会社がある。
割と建設会社自体は順風満帆というかね、結構ちょこちょこ順調にいきまして、
8か9でもっと近い自社ビルを建てようということで、
自社ビルを建てさせていただいて、結構早いピッチで自社ビルも建てさせてもらって、
自分の家も建てさせてもらって、いろいろやってたんですけど、
あと、36の時に詐欺師に騙されまして、
1億8千万というのを一瞬で騙されちゃいまして、
後で見て、フォーカスに2回出た有名な詐欺師だったんですけど、
それがまあまあ、いろいろ金融機関も何も、ちょっとこう、
信用的に大変やから融資も受けにくくなったりしてね、
頑張って頑張ってやってたんですけど、
また詐欺師に会って、
会社としては5つやってたんですよ。
建設会社、設計事務所、釣りの餌を潰す小松クラッシャーというね、
それとっきも持ってますけど、青森から沖縄まで、
メーカーとして販売してる会社と、
それからフランス料理のお店、僕小松なんでコンマツーというお店があって、
ゴルフ好きだったんで、ゴルフウェアを、
いいですけど警部コンマツーというお店をやってたんですけども、
40歳の時にまた詐欺騙されて、
会社が倒産して、破産したという、ちょっと経緯あるんですけど、その辺りが。
大変なことでらっしゃいます。
まあそうですね、一応会社に一緒に行かないときが一番しんどくって、
もう詐欺の方ですから、お金取りに来てくれるかって言ってくるんですよね。
で、キャッシュでいいかなと言ったら、その入れ物まで考えて持って行って、
夕方まで持ってると、なんか勘が出て、いや今日できないからごめんねみたいな、
そんな感じでずっと引っ張られたような、なんかいろいろあったんですけど、
まあもう36で言うたらあれなんですけど、僕も人に騙されやすいというか、
きっと今回はお前ら本当だろうなと思って、そう言ったりするんです。
普通だと弁護士さんに言ったりするんですよ。
そんなのしなかったんで、なんかもうきれいに騙されたような感じだったんですけどね。
その事故破産まで行かれたんですか?
いますね、40歳まで。
その時は社員さんみなさん、給料2ヶ月ずつにしか払えないけどって払って、
就職探し屋ということと、自分は生きるために金融機関もあったんですけど、
嫁さんには家も取られると思うんで、要するに引っ越した方がいいっていうこととか、
いろいろしまして事故破産しました。
それがちょうど40歳の時の4月だったんですけど、
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結論的に言うと、その10月に今のアークウエストを設立したとして、
その嫁さんを社長にして、設立したのがちょうど40歳の時だったんですけど。
事故破産後はアークウエストさん、王ちゃんも一回やろうみたいな、そんな感じでやってたんですか?
僕も社長しかできないのは決まってたんで、自分の脳みそが。
だからどっかで就職しに行くとかじゃなくて、絶対企業できるというイメージがあったんで。
建築会社というのは、もうすることというのは失礼にあたるので、
世の中に絶対同じことはしないということで、今のコランドというアークウエストを設立させていただきました。
僕というか、社長の時は、うちの嫁さんが社長になってやったんですけど。
本日の3分コンサルティングはNさんまでいらっしゃいます。
新谷さん、こんにちは。教育体制の整備についてのご相談です。
弊社ではこれといった決まった教育マニュアルはなく、その時々で近くにいる上司が部下へと指示をしています。
今までは社員数も少なかったため、新人は雑用化がこなし、徐々に業務を覚えることで良しとしていました。
しかし先日長く勤めていたマニュアルジャーが退職し、業務が回らないことが多く危機感を覚え、
社員の成長を個々の裁量に任せ気にしてしまったことを反省しています。
促進的な業務から雑客し、ノウハウの出撃や資格取得支援など新たな知識の吸収により、
社員が能力を向上させていけるような環境をきちんと整えていきたいと考えています。
正直、管理者も特定の専門知識が高いものはおらず、
イレギュラーな出来事には探り探り業務を進めているので、
低経験以上のことを教育できる人ではないのですが、
このような状況でも運用していける教育制度の作り方やスケジュール感など、
アドバイスいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
反省されて環境を整えようと思われるのは大変素晴らしいですね。
常々私は社長をやっていて、コンサルタントとしてどちらでも、
結局のところ子どもの教育も社員の教育も環境を整える以外はできない。
あとは願うしかない。祈るしかない。こういうことを言っています。
ですから環境をどこまで整えられるかというのが勝負の分かれ。
こういうふうに思う次第なんです。
そういう意味でこのN様は、反省をし、環境を整えようと思われることが、
まず素晴らしいというふうに言えるんじゃないでしょうか。
じゃあどうやって整えるかというと、これはちょっと長い戦いになるので、
もしよろしければ何度か相談に乗りたいと思いますが、
もしかすると3年とか5年とかかかるかもしれません。
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まずですね、就業規則、社内規定とはちゃんと整っておりますでしょうか。
その次に人事評価制度はございますでしょうか。
そして経営理念、企業理念はございますでしょうか。
この3つをまず揃えなきゃいけません。
その上で企業理念、経営理念の浸透というのは図らないといけません。
そして人事評価制度が結局、ある意味社員たちの目標値になるような形で
ちゃんと明示し、皆さん方が理解をしている状態まで持っていくことも重要です。
この3つをまず揃えないとですね、いくら教育システムができていても、
教育のマニュアルがあっても、どうしても、
勘で動いたり、誰かの話を聞いて動いたり、そんな俗人的な感じになります。
まずはその3つ、就業規則、社内規定、人事評価制度、理念を揃えていただきたいと思います。
揃っていらっしゃるならば、次は今度はどんな幹部を作っていくのか、
どんな中間管理職を作っていくのか、になってほしい人物のペルソナを決めないといけません。
このペルソナを決めると、そのためにはどういうストーリーをたどって、
幹部クラスになるのか、社長様の右腕、左腕なのか、
または課長クラス、中間管理職クラスになっていくのか、というものをストーリー立てます。
そうするとストーリー立てると、今度はそのストーリー立てた途中で、
こういう教育を行うと、また少し上がっていく、教育を行うとまた上がっていくように、
教育プログラム、教育マニュアル、みたいなものが必要になってきて、それを作っていくと。
そしてさらにその教育プログラム、マニュアルを運用していくと。
こういう手順になろうかと思います。
そういうことで言いますと、もしかすると企業様によっては、
こういう教育体制の整備については、5、6年かかる企業様もいらっしゃいますし、
ある程度出来上がった企業様だと、1年ぐらいでさらっといくかもしれません。
もしかすると結構大変な作業でございますので、
プロのコンサルタントをお雇いになった方が早いかもしれません。
もちろんコンサルタントも良し悪しございますので、
N様とちゃんと気が合い、
N様の思いを叶えていただけるコンサルタントを探して、
ご相談していくことも大切かなというふうに思います。
N様が、でもご自身でもちゃんとやれるし、やるんだということであれば、
N様ご自身でやっていってもいいと思います。
かつですね、もし今言われたらですね、たくさんのセミナーに出てですね、
何か良い方法ないだろうかというふうに探っているのはいいんじゃないかなと思います。
最近はYouTubeがありますので、YouTubeで教育体制の整備とか、
24:00
いろんな言葉ですね、社員教育とか入れるとですね、
いろんなセミナーが出てまいります。
それを雑談に聞いてみて、これは正しいな、これは間違ってるな、
みたいなことを思いながらですね、いろいろ聞いていって、
知識をためていって、その上でご自身で作っていったり、
またプロのコンサルタントに相談していく、
みたいなことをやっていただくのがいいんじゃないかなと思います。
基本は理念と就業基礎という社内規定と人事評価制度です。
その上に教育プログラムだったり、教育マニュアルみたいなのが来ると、
こういうふうに思っていただいて、運用していただけたらいいんじゃないかなと思います。
作成していただいたらいいんじゃないかなと思います。
ぜひご検討ください。
大変難しい話題ですので、こういう教育体制の整備についてお悩みございましたら、
無料での経営相談も受けたまっています。何らかとおっしゃっていただければと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。
26:29

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