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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、780年以上続く秩父のお寺の住職である柴原住職様にお越しをいただいております。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
秩父に生まれ、大学卒業後、総統州のお寺で3年間修行。
その後、秩父幼稚園に就職し、自願寺の住職にご所任をされ、
保育園が危機だったのを立て直すようされて、今は大成功。
定員の2倍が応募する保育園の入園者・希望者が出ているという経営者であり、住職でありという柴原住職様にお越しをいただいております。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
最初のご質問ですが、埼玉県秩父市ご出身ということで、小学校・中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになりましたでしょうか。
小学校・中学校、私は非常に引っ込み次第だったんです。おかげさまで適当に頭が良くて適当に運動もできたんだけど、自信がない感じだったんですかね。
だから小さい頃、小学校の4年生、5年生、4年生ぐらいまで手を挙げることができなかったんですね。
自分から積極的に何かをするっていうのができなくて。
例えば物を買いたい、プラモデル屋さんなんか行って買いに行けなかったんです。恥ずかしくて。
というような一面はすごく記憶に残ってますね。
今の柴原住職からは全然想像つかない感じなんですね。
自分自身にも想像つかないですね。
そうですかね。
あとは、小学校5年生ぐらいのときにいきなりガラッと変わったんですね。
きっかけは多分先生だったり、いろんな役目を当てられたから、そういうことだったかもしれないんですけど、
そこからどんどん自分が先頭に立ってやるっていうふうに変わっていきました。
そうですか。
中学時代はリーダーシップ。
もう中学のときは、とにかく自分のやりたいことをせときてやるという感じですよね。
じゃあ今の住職には落ち着いてない。
それよりもっとひどかったです。
そうですか。
小学校のときに散々それを、小学校6年生のときにバーッと出しちゃって、
中学になって学校変わって、他の学校の人たちも来るじゃないですか。
それがちょっとやりにくかったというか、なんで俺の足引っ張ったみたいなね。
そんな意識はありましたけど、でも中学のときもやりたいこといっぱいやって。
なるほど。
高校時代はどんな感じでしたか。
高校は電車で1時間ちょっとかかるところまで、新学校だったんですけど、
そうすると各学校の生徒会長とか、いわゆるトップの子たちが来るんで、
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入った瞬間になんだこいつらと。むちゃくちゃ頭いいなと。
面白いやつというかすごいやつがいっぱいいるなっていうのは、それがショック。
あと非常に自由な学校だったんで、学校入って私服だったんですけど、
入学式が終わって次の日ぐらいに授業が終わって歩いてたら、
中島先輩がパンを食べながら歩いてたっていうのがショックだったんですよ。
なんだこれはと。みんなサンダル。汚いの学校が。それがすごく印象的で。
でも非常に自由で、いわゆる自主自立というか、学生の主体にさせてくれるような学校だったんで、
そこでの刺激が僕の人生を大きく変えました。
あと素晴らしい先輩と素晴らしい先生に会ったんで、やっぱり組織というかチームというかね、
そういうふうなところでの自分の役割をどうやって果たせばいいかとか、
あとは人は一人じゃいけないんで、チームとして強くなるにはどうすればいいかみたいなことは
高校時代の先生にたくさん教えてもらったんで、
そこが僕のある意味の今やってることの原点でもありますね。
なるほど。じゃあ今柴原住職やってるやつということの原点は高校時代で。
高校ですね。で、その時にやっぱり苦しい。
スポーツやってたんで、で、合宿とかで非常に厳しいわけで苦しかったわけですよ。
で、その、あれが耐えられれば何でも耐えられるなみたいな、そんなことは感じました。
スポーツは何をやってましたか。
こんな体型なんですけどバレーボールやってたんですよ。
あ、そうでらっしゃいました。
で、バレーボール、僕全然、中学のときもバレーボールやってたんですけど、
で、中学のとき結構強くてずりのってたんですね。
で、高校入ったらまたこれが強いんですよ。
で、一応全国大会に出たりして。
そうですか、すごいですね、それは。
ねえ。
素晴らしいですね。
で、その後大学に進んだと思うんですが、大学は宗教系の大学ですか。
大学は小政大学の仏教学部ですから、仏教に染まっているかというと全然染まらない。
そうですか。
高校のときからもう、ある意味、住職になるのは決まっているぐらいな感じですか。
いやいや、生まれる前から既定路線ですから、それが嫌だったんですね。
ああ、なるほど。
そのまま進むのがすごく嫌で、で、高校のときには周りがみんな進学しますから、
で、お前どうするんだ、とか言って、何かスイッチが入らなかったですね。
で、いろいろあって、大学が入るんですけども、その頃の自分をうまく表現できなかったですね。
勉強はしましたけど、でも大学1年目のときは大学に4日ぐらいしか行っていないんで、
あと毎日映画見てたんで、当然試験も受けないから留年するわけで、
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でもその後やっぱり映画のサークルに入って、映画を作ったり、そんなことをやってて、
もう1回ダブって、6年かかって卒業したわけですけど、
でもやっぱりそれが良かったのか悪かったのか、結果を生かすのは自分自身なんで。
なるほど。で、卒業後は総統津の先生に3年間行かれるということでも、来ていろせんとおっしゃってましたが。
そうですね。それはどこかで腹をくくったわけですけども、
で、そんなに長くいる気はなかったんですが、入ってしまうと一生懸命やりたくなっちゃうんで、
で、1年で帰れば帰っても良かったんだけど、それだと何かやりきった感が全然なかったので、
3年、本当はちょっと身内で不幸がなければもうちょっといたんですけど、
どうしても家に帰って縁のことに携わらなければならなくなってしまったので、
それで帰って幼稚園のほうに入るということになったわけです。
なるほど。なるほど。
なるほど。
なるほど。
なるほど。
なるほど。
なるほど。
なるほど。
なるほど。
非常にうまくできていて、3ヶ月ぐらいでやっぱり場所が変わるんですよ。
だいたい人間って3ヶ月で慣れるじゃないですか。
これでその3ヶ月を2回ぐらいやると、今度また慣れすぎて良くないので、また場所変わるんですね。
そうするとまた厳しいことが待ってるんで、1年目の最初と2年目の最初と3年目の最初っていうのは非常に厳しい場面が待ってるんで、
そこはそこで鍛えられる。
やっぱり1年目は自分のことだけ、2年目は上と下がいるのでちょうど中間で、3年目になると指導する立場になっていくんで、
そういうようなとこでの経験はいろんな場面でやっぱり今でも思い出しますけど、
ただ非常に縦社会なんで何でも言うことを聞くわけですよ、上に行くと下のものは何やっても。
で、それが実は縁のことで逆に作用したわけです。
逆に作用というのはどういう意味であったんですか。
高校は男子校だったので、まず同じなんですよ、上位下達で。先輩が言ったらはいその通り。
大学はまあいい加減でしたけど、本山がまず先輩の言うことは全部聞く。
で、それがある程度3年目になるとみんな聞く立場になっちゃうわけじゃないですか、さっき言ったとおり。
そうするとそういうもんだという意識がすごく強かったから、縁に入ると職員は僕の言うことを全部聞くもんだと思ってるわけですよ。
ところがそんなことないわけじゃないですか。人間関係できてないので。
それでもう1回僕が入って、その年に組織がボカッと崩壊するわけですね。
で、新人1人とうちの姉1人と、あとその時に入ってきた2年目の新人なんだけど、それ残してみんな全部辞めちゃったんです。
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それが経歴にも出てらっしゃる肺炎の危機って話。
それじゃない。もっとあるの、その後。
もっとあるんですか。ちょっとじゃあその話をお聞きしたいんですが。
保育園の方にある意味お戻りというか入られて、どうやってその危機が来たというのをまず教えていただきたい。
まず一番最初の僕自身の捉え方が間違ってたのは、まずは縁の経営っていうのは何とか、適当でいいんじゃないかと。
どうでもなるなと思ってたのが根本的な間違い。
だからそんなに真剣にやらなくても幼稚園経営なんかできるだろうと思ってた。
そうしたら組織崩壊するじゃないですか。
次の年に先輩がほどいないところで新人がドカッと入ってきて、その教育ができるのかできないわけで。
だからその時のスタッフは自力でまとめてくれたので、ある意味すごく力がある人たちだったんですよね。
それはたまたまそこでいい雰囲気ができて、園舎建て替えたりするからそれで人は増えるんだけど、園舎とか教育の内容が伴っていないので、
結果的にはやっぱりしっかりとリーダーシップを発揮できないから、3年、4年ぐらい経つとやっぱり人間性のボロが出るわけで。
そうするとまた崩壊していくわけですよ。
常に組織をうまくまとめることができなかったんですね。
それでいて、自分のやりたいことをやりたいという思いが強かったから、勝手にどんどん進めちゃうわけですね。
勝手にどんどん進めちゃうから、下のものはついてこらない。
そこでもっと非常に危ない状況になっていくわけです。
一時期増えてきた園児が毎年また減っていくわけですよ。
その頃、幼稚園とか保育園の経営、保育園と幼稚園って基本的に違うんだけど、
幼稚園というのは園児募集しないとだめなので、要はマーケティングをしない限り人が集まらないわけですよ。
保育園は行政から手配してくれるので、マーケティングしなくていいわけですよ。
そうするとそういうことを防さんだし、幼稚園の学校法人で教育だからというような感じで、
全く勉強してこなかったし、うちの中にそういう風土もなかったわけ。
どうしていいか分からなかったんですよ。
いろんな講演会とか、異業種の講演会とかセミナーに出るようになっていって、
最初は船行さんの話だったんですけど、そういったところからいろんなところを学びに行って、
そうすると患者さんの本院で出会ったりとか、いろいろそういうようなことであそこはこうやって人を集めるんだみたいなことが分かってきたんだけど、
それを実践するときに、自分一人の力では組織っていうのはできないじゃないですか。
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トップは、トップというか自分自身はその気があってやる気満々なんだけど、
要するに組織が全然できてないから動かないわけですよね。
もう全く内部がうまく機能しないから歯車が合わなくて、どんどん園の評判も悪くなる。
要するに内部がうまくいかないものは、そのエネルギーはどんどんまた負のエネルギーがどんどん出ていっちゃうんで、
結果的に人が集まらなくなる。
どうして人が来ないんだろうってずっと思ってたんですよね。
保育の内容は悪くないわけ。
今のは今の立場だから言えるんですよ。
そのとき全然気づいてませんからね。
自分が悪いと思ってないんで。
なんでこいつら分かんないんだって思ってたんで。
なので、要するに、なんでうちの園を保護者は選ばないんだろうって考えてたんですよ。
これだけ一生懸命やってるのに、なんで分かってくれないんだろう、どうすればいいんだろうって。
でも全然増えなくて、だけどあるとき入園説明会やったら、その年非常に少なかったんですよね。
で、ふと気づいたんですよ。
こんなに今うちの園って厳しい状況で、確かに評判悪いけど、それでも来てくれるじゃんって。
なんで選んでくれたんだろうっていうふうに視点が変わったんですよね。
そのあたりから少し見方が変わってきました。
それはじゃあ、ある意味ネガティブ思考かポジティブ思考だったというイメージだったんですかね。
私は非常にネガティブな男なんですよ。
そうですか。
だから本質はネガティブです。
ちょっと想像がつかないんですけど。
だからほっとくとネガティブだってことはよく分かるんですよ。
自分がネガティブだったから。
私の家族は妻も娘もそうですけど、その頃の僕は周りにいるのが嫌だったと。
で、家の中に唐辛子が飛んでるようだったって言ってました。
ピリピリピリピリしてて。
人を責めちゃうんですよ。
すごく人を責める人だったので。
で、自分でも今でもふとそういう思いがパッと出るときあるんだけど、
それは打ち消してるようなことをやって。
前は打ち消さなかったので、とってもネガティブだったんですよ。
ちょっと想像つかないんですが、初めて柴原住職がそうなるネガティブな人なんだ。
だからその頃のことを知ってる人とその後会った人は全然違うんですよ。
分かんないんですよ。
それがネガティブ思考を個人的に変えるきっかけって何かあったんですか?
やっぱり今のところですね。
何で選んでくれたんだろうっていう。
やっぱり見方が変わったっていう。
あとどうにでもなんなくなっちゃったっていうこと。
要するに組織が。
その頃に園の中でいろんな事件というか事故が起こるんですよ。
一つは園児入園した次の日に引っかかっちゃってここに傷をつくっちゃった。
目の下にね。
それでその頃の園長は僕の母だったんですけど、
非常にちょっと攻撃というかネガティブな攻撃を受けて参っちゃったんですね。
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歩くことができなくなっちゃって。
それでそのストレスで本当に体調を崩しちゃって。
このままじゃもう70過ぎてたから園長やるのはきついねって。
で僕の妻がこんなになったんですけど。
そして僕の妻がなったその年にですね。
円末で事故を起こしちゃうんですよ。
でその時にある意味それが大きなきっかけですね。
それまで人をずっと攻めることを攻めるとミスを見つけて攻める。
それで直していくっていうような発想だったのが、
相手からものすごく攻められたわけですね。
被害者の方から。
でそのものすごく攻められた時に、
どんなに自分での力をかけてもそれに返すことができない。
どんなに攻められても何にもできない。
攻めるだけでは何にも変わらないんだってことが嫌ってことがわかったんですね。
それは大きなきっかけです。
でやっぱり人間はそういったことでは変わることはできないし、
もう苦しみから逃れることはできないなと。
じゃあそれをどんなに厳しい時でも必ずそれをどうすればいい方向に考えることができるのか。
あとは清水秀夫さんの本。
ピンチはチャンスでありがとうっていう。
本当にピンチだったので。
だけどピンチはチャンスだって。
そこから何を築けばいいんだろうって。
お釈迦様はその頃ずっと本当に苦しかったんで。
お釈迦様は解けない宿題は出さない。
必ず解けるからこの宿題を出してるんだと。
だからずっとやり続けるっていう。
そういうような思いが持てるようになったのかな。
必ずいい結果に結びつくっていうふうには信じてましたね。
本日の3分コンサルティングはR税理士事務所様開業3年目でいらっしゃいます。
私は2年前に税理士として開業いたしました。
クライアント格闘の面で大変苦労しております。
多くの修行さんがそうでしょうね。
資格取得や事務所に所属する過程で専門分野について知識が高きこんだのですが、
考えてみれば集客やマーケティングに関しては一切学んでこなかったことに今更気づきました。
ほとんどの税理士さんはそうなんじゃないですかね。
弁護士の先生もそうですが。
ホームページを見直したりするのですが、目に見える効果も困っています。
最近修業でもクライアント格闘の一環としてセミナーを開催しているという話を聞くのですが、
私は全職でも同人数の前で話すなどの経験をしたこともないので、
自分にセミナーを開催できるのか自信もありません。
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やはりウェブや紹介だけに頼るだけでは不十分で、
セミナー開催などをすべきなのでしょうか。
よろしくお願いいたしますということでいらっしゃいます。
やるべきだとは思います。
結局税理士さんたちの差別化って何かなというふうになると、
単にいただいた数字を入力して、
税務署に出せる状態にして、はい終わりというのが皆さん方の仕事ではなく、
もう一歩踏み込んで、例えば資金調達の支援とか、資金繰りの放談とか、
そういったことをやられるのが差別化になるお仕事なんじゃないかと思います。
昔はお会いした顧問先が400以上ある税理士先生は、
潰れそうな会社さんの信用金庫にその社長さんを連れて、
パン屋さんを連れて、資金調達の支援までして、
経営相談に乗ったというようなことをおっしゃっていらっしゃいました。
だから顧問先が増えているんだと、こういう話でいらっしゃいます。
そういう意味では私の知っている税理士会計事務所で成功しているところは、
事業計画の作り方、中期経験からの作り方や、
資金調達の仕方、資金繰りの仕方などのセミナーをやったり、
コンサルティング分野まで踏み込んでやったりしているところが差別化ができ、
顧問先数を増やしていらっしゃいます。
セミナーをやるのは自信ないとおっしゃいますが、
全ての皆さん方、セミナーは初めてやる方がほとんどなんじゃないでしょうか。
私自身も若い頃は初めてセミナーをやり、よく失敗をしました。
でもその失敗から学ぶことで、
今現在は少しはマシなセミナーができるようになっております。
そういう意味では、税理士事務所さん、税理士さんでいらっしゃっても、
最初は実験というつもりでやりながら、
セミナー業というのを少し学んでいくことができればいいんじゃないかと思います。
もちろん、単に単にセミナーを開催すればいいというものではございません。
ある税理士事務所様の得意分野、差別化というのは何なのかということを考えて、
それに合わせたセミナーをやっていかなきゃいけませんので、
クライアント獲得のため、または税理士事務所を変えていただいて、
自分のところに来させるためにはどうすればいいかということを考えて、
セミナーを組み立てねばならないのではないかなと思います。
特に税理士事務所のリプレイスといいますか、
税理士事務所を変えるというのは非常に難しいのですが、
しかしながら中小企業経営者の皆さん方、
今日気になっている皆さん方もそうですが、
税理士事務所、会計事務所がうまく使いこなせていないという方が、
アンケートなんかを見ますと、
だいたい6割か7割がそういうふうにおっしゃっていらっしゃるという現状もございます。
そういう意味では、
税理士事務所を変えるというのもチャンスなのではないかと思いますので、
このチャンスを生かして、
うまくクライアント獲得をされたらいいんじゃないかなと思っております。
ぜひセミナーなどを頑張っていただければと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
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本日のポッドキャストはここまでになります。
また来週お楽しみに。