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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、私の大変尊敬する、かつ大好きな吉田社長様です。
吉田社長様は、出版界のジャイアンと呼ばれております。
私は年間千人ぐらいお会いしているのですが、この方ほど天才だと思ったことはございません。
ジャイアン、本日はよろしくお願いいたします。
皆さん、こんにちは。出版業界のジャイアン、胸に希望をお腹に志望を、キャッチコピーでやらせていただいております。
よろしくお願いいたします。まずは、経歴を私の方からご紹介させていただきます。
1960年、新潟県六日町生まれでいらっしゃいます。
大学を卒業後、童話作家・ライターとして、自身も含めて200冊以上の本を作りになっていらっしゃいます。
ご自身の本で最も売れたものは、日本村100人の仲間たち45万部だそうでして、出版業界のジャイアンというふうに呼ばれていらっしゃいます。
今までプロデュースした著者は、ある日の高見澤さんや小室哲也、所 上司、片岡鶴太郎、テリー伊藤、オリエンタルラジオ、濱田光一、
オバマ大統領、堀江もん、ドクター中松など幅広い事務所でプロデュースをされていらっしゃる方が、吉田社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
では、最初の質問からさせていただきます。
ちょっとジャイアンというふうに呼ばれていらっしゃるんですが、何でジャイアンというふうに呼ばれるようになったんですか。
これは、今私、本田健さんと毎年何回か出版セミナーとか出版合宿をやらせていただいているんですけれども、
今日本で一番本が売れている本田健さんがつけてくれました。
ジャイアンのキャッチコピーは、お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの。
多分ですね、私の結構なジャイアンぶりで、多分ジャイアンというふうに名前をつけてくれたんだと思います。
そうですか。大変ユニークなキャッチコピーだと思います。
さて、ジャイアン、吉田社長は新潟県六日町出身とのことでいらっしゃいます。
子供のころの思い出とかはございますか。
私はですね、新潟県六日町というところなんですけれども、皆さん知らないと思いますけれども、
一番有名なのはお酒ですね、八回産というのがあります。
それから田中角栄の選挙区なので、今は田中牧子がいますけれども、
ほとんど何もなくて、スキー場とお米と温泉ですね、これしかない山奥で生まれたんですけれども、
この前もちょっと帰省しましたけれども、まだ雪がたくさん残っています。
そういうところで生まれました。
いらっしゃいますか。何か小さいころは大変なご病気をされたというふうにお聞きしているんですけれども。
心臓の病気でですね、小学校4年生のとき手術をしたんですけれども、
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心室中核血損というですね、心臓に穴が開いていたんですけれども、1センチくらいですね、
たまたま血管が塞いでいて助かったんですけれども、
私自分の命というのは多分もう神様がくれたもので、自分ではもう拾い物だと思っていますので、
ですからそこでちょっと人生の価値観が変わりまして、小学校4年生です。
もう人生一回きりやり残したことがない人生を送りたいと思いまして、
今それが多分自分のジャイアンを作ったんだと思います。
何か小さいころには自分を勇気つけて本に恩返しをしたいというふうに考えるようになったというふうにおっしゃっていらっしゃいます。
はい。私自身が小さいときに心臓悪くて一緒に他の子供と遊べなかったんですよね。
遊んでいると近所のおばちゃんたちが遊ぶなとか言われたりしてですね、非常に悲しい思いをしまして、
当時の友達が本しかなかったんですね。ずっと本を読む子供として育ったので、
自分を勇気づけてくれた、元気づけてくれた本にお返しをしようと思いまして、
今日本で一番最初に出版プロデューサーを名乗ってですね、
32年間に今1800冊の本を全部商業出版ですね、印税がもらえる本として作っています。
中には先ほど新大地社長がおっしゃったように、いろいろな芸能人とか芸人、政治家、文化人、著名人の方の本もやらせていただいております。
なるほど。今はもうご健康でいらっしゃる?
今はもう健康で、体重が112キロぐらい、人生最高なんですけれども、とりあえずこれはお医者さんからもまずいと言われたので、
今はちょっとですね、健康を今年の一番最初の目標として今痩せるようにセッティングしております。
後ほど健康のお話もお聞きしたいと思うんですが、その後大学で東京に来られていらっしゃいます。大学では何を学ばれたんですか?
私は法政大学というマイナーな学校なんですけれども、大学では文学部、日本文学科で古典とかを勉強したり、
あるいは幸福論、人はどうしてやら幸せになれるか、幸福論ゼミをやったり、それから戦後文学ですね、もういろいろやりましたね。
大学に行くというよりもバイトしに行っていたような感じもありますけれどもね。
今の一番プロデューサーという地位はこの時に少し形成され始めたという感じでいらっしゃいますか?
もともとはSF作家を目指していましたので、SFを書いていたんですけれども、全く売れないんですね。一本も売れない。
で、たまたま書いたSFが改正者、萌えの童話大賞に受賞しまして、ここで人生のメンター、童話作家の寺村輝男先生に知り合いまして、
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お前は俺の弟子になれと言われまして、ずっと個人的にも教えていただいたんですけれども、
寺村輝男先生は僕は王様とかですね、おしゃべりな卵焼き、多分皆さんも一度は読んだことのある童話の先生だと思いますけれども、
10年前に脳一血でちょっと亡くなってしまったんですけれども、本当に私が心から尊敬する唯一無二の先生です。
では就職せずにそのままお弟子さんになられてそのまま童話作家になったんですか?
いや、総合警備という会社にずっと勤めてたんですけれども、いつの間にか社員になってどんどん出世していって、
実は私この話をするのこれが初めてなんですけれども、長い人生の中で隠してたわけではないんですけれども、
なんと警備司令という社長クラスまでになってしまいまして、これまずいなと。
自分は作家として生きるのに、警備会社で役員一歩手前なんですけれども、そこまでいったらまずいよねということで辞めました。
そうですか。警備会社は何年ぐらいいらっしゃったんですか?
警備会社は11年いたんですよ。しかも退職金もめちゃくちゃもらって辞めたんで。
存じませんでした。初めてですね。
最後は研修所に行って2万人教えてましたよ。
そうってらっしゃるんですか。
そうなんですよ。これ誰も知らない私の秘密誌なんですけれども。
そうってらっしゃるんですか。
警備会社に勤めたのは自分で作品を書きたいので、この頃たくさんの童話を発表してます。
何冊ぐらい童話は?
童話は100冊以上ですね。
あとビジネス書とかそういう企画ものを自分自身で自分の名前で出してる本も100冊近くあります。
ですから童話、紙芝居、絵本、そしてビジネス書、実用書、全て含めて自分自身の名前で200冊ぐらい出てると思います。
そうですか。警備会社のつまみながら出してるのも結構。
結構ありますね。そのときに書いたメモですね。私メモで本を書くんですけれども、そのときのメモって今でも2万枚ぐらいありますね。
なるほど。お辞めになった後は、いわゆる出版プロデューサーになられた感じなんですか?
最初はライターとして10年間全く食えない時代でした。それから編集プロダクション10年間もっと食えなかったです。
それから出版プロデューサーとして10年、ここが大ブレイクしました、大成功しました。
ライターとか編集プロダクションがなかなかうまくいかなかった理由というのはどういうことですか?
ライターは労働集約型なので、どんなに頑張ってもやっぱり2ヶ月か3ヶ月で1冊書き上げる。
それで原稿料50万もらう。もうカツカツですよね。結局年収としては300万ぐらいだったと思います。
編集プロダクションは事務所を借りる、それから人を雇う、機材を入れるということで、
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結局必要経費がどんどん出てくるんですね。あるいは出版社が倒産したりするんですね。
ですから出版社が倒産しなかったら今頃天才工場はビルが建ってます。
やっぱり一番苦しいのは、今は編プロだと思いますけれども、なかなかいい仕事がないし単価も安い、叩かれてしまう。
で、これじゃいけないと思ってやり始めたのが出版プロデューサーなんですけれども、
これもきっかけがあるんですけれども、お世話になっている社長さん、
名古屋にありますマーケティングトルネードの佐藤雅宏社長が、
吉田さんのやってるのは工学商品ですよっていう一言ですね、この一言が自分の運命を変えたんですけれども、
それから出版プロデュースを目指すようになりまして、ガラリと変わりましたね。
どんなぐらいガラリと変わりましたか?
今までは出版社からお金をいただいてたんですけれども、お金をいただく先を変えさせていただきました。
経営者ですね、成功している経営者です。成功している経営者から私の方で本をプロデュースさせていただきます。
しかも、講談社、衆営社、源頭社、PHP、三笠、徳間、そういうところから本が出せます。
実際にもう100%出せているんですけれども、全部商業出版です。
本も売れますと。反則もお手伝いします。
私自身が直接関わる場合はかなり高額なんですけれども、でも実際本を出した経営者の800人、私がプロデュースした方がいらっしゃいますけれども、
800人、800社、1社も売上げが下がった会社はないです。
ということで出版プロデュースに切り替えてから非常に会社がうまく回り出しました。
なるほど。編集プロダクションと出版プロデュースって割と近いご商売のような感じが、イメージがあるんですけれども、違いは何だと。
ですからお金をどこからもらうかですね。出版社も今苦しいのでなかなかお金は払いません。
編集プロダクションは出版社からもらいます。
つまり商品は一緒だけども、もらう先を変えてイメージを変えたという。
そういうことですね。出版プロデューサーも今私は2つ作っているんですけれども、
全く無料で本を出す仕組みを今から12年前に作りまして、ちょうど12年前に作りました。
それが企画の卵屋さんというNPOです。
こちらは全国の優秀な著者、まだ世の中に出ていない企画を集めまして、
それを無料で出版社1,000人に毎日企画書を送ります。
こちらは本が出たときに成功報酬として印税の3割をいただいているんですけれども、
こういう形で無料で出せる出版と、私自身が直接関わって100%プロデュースする、
100%出版保証、そして本が出なかったら100%返金保証というこの2つでやっています。
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NPOの方は比喩団体ですので、こちらの方は大赤字ですね。
たぶんもしかしたら過去の赤字というのは数千万になっていると思いますけれども、
これはボランティアスタッフが、企画の卵屋さんの出版プロデューサーが30人ぐらい、
ボランティアでやってくれているから存在しているのであって、会社としてやったら大赤字ですね。
天才工場は株式会社なので、株式会社は利益を追求するのが目的なので、
こちらの方はきちんと著者さんと話し合ってお金をいただいて商業出版しています。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポッドキャストはここまでとなります。また来週。お楽しみに。