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2022-04-06 33:01

第274回 平良真人氏(THECOO株式会社代表取締役CEO)【前編】

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今回は、THECOO株式会社の平良真人代表にお越し頂きました。

会員制ファンコミュニティプラットフォーム「Fanicon(ファニコン)」の運営や、インフルエンサーマーケティング及びオンライン広告事業を展開する、マザーズ上場企業の社長様です。

コロナウイルスの蔓延によりエンタメ業界の市場規模が80%縮小する中、CAGR(年平均成長率) 68%を叩き出す新鋭企業。
「3度の飯よりロックが好き」な平良氏が語る、常識を打ち破る人生哲学から経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。


なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/




00:06
社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBiz)THECOO株式会社代表取締役CEO 平良真人様でいらっしゃいます。
まずは経歴の方をご紹介させていただきます。
ひとつ橋大学社会学部卒業後、伊藤中将治、ドコモAOL、ソニーにて営業マーケティング、ビジネス開発にて携わる
2007年グーグルジャパン株式会社員ご入社、2014年ルビーマーケティング株式会社を設立
2016年THECOO株式会社員社名変更、そして昨年2021年東昌マザーズに上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
平良社長様、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は香川川とのことで、小学校時代はどんな少年でいらっしゃいましたでしょうか?
そうですね、神奈川県の横浜出身なんですけれども、横浜は広いので、ほぼほぼ鎌倉市との境のようなところですね。
鎌倉って三方が山で囲まれているところの山側ですね。なので非常に都会ではない、田舎でもないですけど、そんな都会でもないところで生まれ育ちました。
年代的に団塊ジュニアの世代の人たちがすごくクラスも多くて、ただ元気でしたね。毎日外で遊び回っていたし、やんちゃだと思いますね。野球もサッカーも好きだったし、運動もよくしていましたね。
ガキ大将か何かでいらっしゃったんですか?
いや、そういう感じじゃないです。本当に遊び回っていましたね。外で遊んでいるのが大好きでしたけど、一方で家でレゴブロックでよく遊んでいましたね、一人で。
ゲームを買ってもらえなかったので、レゴブロックでよく遊んでいましたね。それがすごい好きでしたね。
なるほど。中学時代はどんな思い出がございますでしょうか?
中学は、図書会生という中古一環の私立に行ったんですけれども、私が中学校を再開した1期生で、当時、今もだと思うんですけど、徳間ジャパン、徳間書店ですね。
徳間社長が校長先生で、ちょうど図書会生を買われたんだと思うんですけど、そこで教育開学みたいな、学校の開学みたいなのを始めて、1期生で入って、一番上が昔からあった高校1年生しか先輩がいなくて。
高校1年生と中学校1年生というのは、あまりにもいろんな意味で違いすぎて、めちゃくちゃ、いい意味でも悪い意味でもかわいがられて、もっと端的に言うと、いわゆるビーバップハイスクール、ヤンキーな人たちがいっぱいいる中で、
03:10
純真無垢な、急に勉強しなきゃ、私立で新学校になるぞみたいな、当時の偏差値は神奈川県で一番下だったらしいんですけど。
そういう少年たちが混じるっていう、あまりない経験をしてきたんじゃないかと思ってるんですけど、その中でずっと機械体操をやってました。
6年間体操が好きで体操をやってました。
運動神経もよろしかった?
あんまり悪い方ではなかった気がしますね。すごくスキー、身長はそんなに僕は高くないので、ゲズリライのところも今ほどじゃないですけど、当時もあったんで、身長低くても目立てるというか、活躍できるスポーツになった時に自然と体操になったんです。
当時からバレエとバスケットボールだけ大嫌いでした。なんでこのスポーツは柔道みたいに身長別ってないんだろうと思ってました。
なるほど。高校時代は何か思いでございますでしたか?
中学校上がる前くらいから本当に僕は体操ばっかりやってましたし、一方で音楽が大好きで、ロッキー音を中学校3年生くらいからずっと読み始めて、そこからもずっと洋楽、洋歌、ホワイトロックを聴いて、
この2つが運動することと音楽を聴くことというのが僕の趣味というか、今でも続いてるんですけど、ずっと軸になってやってましたね。
勉強はなんだかんださせられてたので、学校でほとんど授業は聞いてなかったですけど、寝てましたけど体操で疲れちゃったりしてて。
でもなんか試験になっては夜よくやってた気がしますね。勉強はとりあえず落ちこぼれることなくきちっとやってた感じですかね。
この後、ひとつ橋大学に進学されているということは、頭がよろしかったんじゃないでしょうか?
いや、すごい頭悪かったと思いますね。自分でも今でもそう思いますけど。頭いいけど勉強はできなかった。いわゆる受験勉強はできなくて、元気でよくあんなかったんですよね。
先生も無理だって言われたんですよ。やめとけと。
元気でよかった大学があったんですけど、なんか知らないですけど、ひとつ橋を見に行った時に図書館がすごくかっこよかったんですよね。
いわゆる今で言えばハリポッターみたいな感じでした。すごいかっこいい大学だなと思って。
ここに行きたいなと思って。スイッチ入ってそこから現役で私立受かったんですけど、やっぱり浪人するって言って浪人してから決めたら僕は何でも結婚詰めてやるので、
1日16時間ずっと勉強して、6時間寝て、2時間フロイドをご飯って決めて、それを落ちた日から合格通知もらう日までやりましたね。
06:17
それは1日も怠けずずっと勉強しましたね。
もともと意思が強いお子さんでいらっしゃったんですか?
どうなんですかね。
あとこれも聞いたんですけど、うちの親に先生はやめとけって言ったらしいんですけど、僕は試験受けて差がわかるじゃないですか。
合格ラインまでの申しとか受けたら。
で、何となく逆算して時間が足りないなと思ったんですよ。
国立だったので5教科やって、こんだけの知識、言っても詰め込みのものなので、受験勉強もって。
現役で受かるには圧倒的に時間足りないなって。
逆算はないし、学校の授業を受けなければよかったのになと思ってたんですけど、それが邪魔だなって思ったんですね。
行かなきゃいけないしなみたいな。
時間があれば受かるんじゃないかなって、逆算をひとときに思ったんですよね。
そこがあったんで、1年だけやらせてくれって決めて、そこがなんとなくゴヤッと見えたっていうか。
ただ排水の人間があったので、今までの人生の中で老人の1年間でやり切ったっていうのが、
僕にとっては、だいたい時間かければできるんだな、みたいな経験値としてずっと持ってるかもしれないですね。
なるほど、素晴らしいお話ですね。
大学時代はどんなふうに過ごしたらいいと思うのでございますでしょうか。
憧れでやっと入った、本当に苦労して入ったと思うんですけど、憧れのキャンパスライフみたいなのが意外だったんですけど、
中高の友達とかがすごい仲良くて、6年間ずっと一緒だったので、しかも2クラスしかなくて60人しかいなかった。
でもすごくみんな仲良いんですよ。男ばっかあったんですよ、男子校で。
初めて6年間違う友達と触れたときに、あんまり面白くないなと思っちゃったんです。
音楽好きだったんで、とにかくロックバンドやりたくて。
ひとつばしに行きたかったのも、さっき言った図書館もあるんですけど、
当時、小澤賢治さん、フリッパーズギターで今ソロである小澤賢治さんが東京大学の分散に行ってて、ロックンローラーだったんで、
なんかかっこいいなって、ほとんどしょうがない理由で、俺も国立に行こうってロックンローラーになると思ったんです。
09:02
そんなやつひとつばしに一人もいなくてですね。
入った瞬間にみんな、卒業したら銀行に行くみたいな話をするのが結構いて、びっくりしちゃったんですよ。
私の当時は銀行だったら、一番行きたかったのが日本工業銀行で、
同じひとつばしの先輩の三木谷さんが行ったとこですよね。
なんで銀行に行くのに工業やるんだろうと思ったくらい、何も知らなかったんですよ。
工事する銀行があるのかな、みたいな。
それぐらい何も知らなくて。
将来何やるの?みたいな。
哲学者かロックンローラーになりたいんだよね、みたいな話を。
話が全然合わないですよ、みんなと。
なので、自分がやってないにもかかわらず、この役つまんないなって思った。
そんな話で何もしてなかったんですけど、
音楽バンドに入ろうとしたら、バンドなんか楽器ができない奴はダメだよ、みたいな感じはあったので、
いいかと思って、ふらふらしてたら、
放送研究会っていうのがあって、
音楽の趣味が似てる人たちがいたので、この人たちと話し合うかもと思って、
そこに行ってて、そこで何をやるかというと、
ラジオドラマを作ったりとか、ラジオのDJですね。
クラブのDJ、ラジオのDJですね。
やる人がいたりとかっていうのがいて、
僕はそんなのに全く興味なかったんですけど、
音楽の趣味があったんで、ずっとそこに勉強をほとんどしないで、
東京女子大、公式の東京女子大とのひとつ橋の
委員会っていうんですかね、委員会の部活だったんで、
部室が東京女子大になるんですよ。
なので、ひとつ橋よりも東京女子大の方が行ってたんですよ。
オフィシャルに男子が入れる部、みたいな。
なるほど。楽しそうな思い出ですね。
全然勉強してなかったですね。
なるほど。ありがとうございます。
その後、新卒で伊藤中将寺にご入社ですか?
そうです。新卒で伊藤中将寺に入りました。
伊藤中将寺、今までの話からするとあれっていう感じはするんですか?
何か選んだ理由はございますでしょうか?
厳密にはそこしか入れなかったっていうのが現実なんですけど、
さっき言ったみたいにロックンローラーが哲学者になろうと思ってたんですけど、
楽器も弾けないし歌も下手だし、ロックンローラーじゃダメだなって。
哲学者になろうか大学に行こうかなと思って、
ゼミとかで勉強し始めたんですけど、
なんかあんまり面白くないなって思ってるうちに
12:02
就職活動をしなきゃいけなくなっちゃいまして、
やるかって何もやってなかったんですけど、
就職活動をするかって始めた時に、
みんながやってるように自己分析して、
なんで働くってなんだろうとか考え始めて、
その時にやっぱりエンタメに関わりたいなって思って、
商社と、エンタメに関わってもしくは海外で働きたいなっていう、
すごい手段に追いついて、
商社とマスコミと屋台店とレコード会社って決めて受けたんですけど、
大学時代何もやってなくて、勉強もしてなくて、
入れるわけないですよね。
片っ端から落ちてですね。
8年は僕にもかからない。
なんでか一方中障子だけ、
一方中障子、スペシャルTVが今でも株主なんですけど、
スペシャルTVがあるし、スペシャルTVめちゃくちゃ行きたいなと思って、
スペシャルにある日一方中行きたいなと思って、
先輩がなんかお前面白いなって言って、卒業式の先輩が、
面接を進めてくれて、
他の商社もしだめだったんですけど、一方中だけ。
で、たまたま入れたっていうのがですね、
本当に運でしかないですね。
やっぱり頭もよろしいなというのを感じさせていただきますけど。
そんなことないと思います、本当に。
一方中障子はどんなお仕事をなさっていますか。
一方中障子いろんな部署があって、
で、資料を書くんですけど、
宇宙情報っていうところにはスペシャル司官部署があって、
宇宙情報部門みたいな。
放送事業やりたいですって書いてあるんですけど、
配属された四月一日は鉄鋼部門だったんですね。
自動車メーカー向けに鉄の、エンジンの部品とかになる鉄の
販売をわいわいしている部署だったんですけど、
しかも国内で。
で、なんだこれっていうふうに配属と言われて、
鉄鋼ってなんだよと思って。
始めるの本当によくわからなかったです。
そこで、
なんだろうなと思ったんですけど、
とりあえず頑張ってみるかって、
やったいって一生懸命やったんですけど、
帰ってから気づいたんですけど、
一方中障子の同期とかと話したら、
ひとつ橋の同期と同じですよね。
みんな社長になりたいって言ってるんですよ。
一方中って社長さん一人しかいないよなと思ったら、
どうやら大量のグループ会社があって、
そこで早く経営を勉強したいみたいなことを
今から考えると言ったんですけど、
あの当時言葉じゃなかったですけど、
15:02
意識が高い人たちがいっぱい周りにいたわけですね。
僕は一方でスペシャルで音楽番組作りたいとかと思って
入ったんで、しかもそれが全然違う部署に行って、
そういうビジネスの能力を高めたいって人たちに
どんと放り込まれて、大変でしたね。
何もできなくて、勉強もしてないし、英語もできないし、
周りはなんか、とにかくビジネス能力の高い人たちが
たくさんいるわけですよ、先輩たちも含めて。
かつ体力もあるし、お酒も飲むし、
僕下校なんですよ、お酒飲めないんですよ。
本当に大変でした。
3年間ぐらい遠くまでやってましたけど、
失敗ばっかりするし、
大丈夫かなって自分でも周りでも思ってて、
同期で120人くらいいたんですけど、
英語のスピーキングの試験に向からないと
昇進できないんですよ。
昇進できないんですよ。
それが条件だった。
残り3名に残って、英語ができなさすぎて。
にわさんが社長になった時に、
新卒はみんな4ヶ月間アメリカでホームステージで
文化と工学を学びなさいみたいなのが始まって、
それが僕が3年目の時だったんですけど、
タイラーは英語できないから新卒に戻って行ってこいと
言われて、混ぜて行かせてもらって。
で、やっと海外行けると。
バージニア州ってほとんどワシントンDCに近いと
言ったんですけど、
大学にのイングリッシュランゲージセンターとかで
留学生ばっかり英語を勉強する、
入学するために英語を勉強するところに
毎日通って、
18歳とかの外国人たちと一緒とか、
アラブ人とかアジア人とかスパニッシュの人たちと
3単元のSとか一緒に勉強するんですよ。
これは絶対英語喋るようにならないなみたいな、
思ったんで、
学校中に張り紙して、
僕と1時間話してくれたら
時給10ドルぐらいあげるよみたいな、
張り紙をしたら、
大量に来たんですよ。
そこからいろんな人と話す。
ほとんど僕もそこで学校の授業受けない。
とにかく空いてる時間、
学校でみんなと10ドル払って話しまくるみたいな。
仲良くなることができて、そこから
音楽が僕も好きなので、
18:00
夜になったら
カラオケが流行ったんですよ。
カラオケ行って、
日本の曲とか歌うとみんな喜んでくれて、
ラルカンシェルとか歌ってました。
そしたら喜んでくれて。
そんなこんな人と英語が喋るんだって。
すごい楽しい4ヶ月間、
給料払わないで、
もらっていながら英語を一生懸命
勉強しながら戻ったら、
試験に落ちたっていう。
めちゃくちゃ怒られましたけどね。
それぐらい落ちこぼれだったっていう。
お聞きすると、やっぱり行動力はあられるんですね。
そうですね。
人と話すのは全然苦じゃないし、大好きなんで。
いまだにそこの時に知り合った友達が
日本に来てて、ずっと家族ぐるみで仲良いですけど。
元は僕の英語の先生だったんですよ。
なるほど。
その後、伊藤中将時からどこもAOLに移ってらっしゃるんですが、
これ何か移られたり言われますか?
当時、勝者不要論みたいな。
これ常に繰り返して出てくる話だと思うんですけども。
っていうのがあって、
その時に勝者ってどういう風にして価値を出していくんだみたいな
先輩方が議論をしてて。
時に我々は鉄鋼のビジネスをしたので、
鉄鋼メーカーと自動車メーカーの
ジャストインタイムでデリバリーするために
サプライチェーンをきちっとインターネットを通じて
構築しようみたいなことを先輩がやってて。
それを僕も少し手伝ってやってる時に、
インターネットってなんかこう、
民主的で、
世の中を変えてしまう。
言葉で言うと、世の中を変革してしまう
すごい力があるんじゃないかって魅力を感じて。
当時そのゴーンさんがですね、
鉄鋼メーカー、ウィフィメーカーを集約して
コストダウンしたっていう夢もあると思うんですけど、
その中に我々のビジネスも当然のごとくインパクトがあって、
鉄鋼メーカーを集約する、
購買メーカーを集約するってことは、
だから勝者も集約されていく。
どうやって価値を出すかっていう流れもあって。
その時に、
インターネットで受発注をしていくっていうのが、
エンドユーザーとメーカーをダイレクトでつなぐんだなっていうのが、
すごくいい世界だなって思ったんですよね。
自分が欲しいものを直接メーカーに発注できちゃうんだって。
すぐにインターネットのビジネスをやりたいなって思って、
21:01
Amazonと楽天とYahooとAOLにリジメを送ったんです。
最初の3つは、
もちろん何の経験もない人間を取るわけもなく、
面接にも呼ばれず、
AOLだけ面接に呼んでいただいて、
当時、ドコモと三井物産と日経新聞とAOLの上に便利なんですよね。
便利を知らせたら、
上司は三井物産から来た女性の方だったんですよ。
そこで初めてインターネットのビジネスをやるようになったわけですね。
伊藤中少女の方から引き止めにあった人がなかったんですか?
アメリカにワーク編集まで行かせてもらって辞めるという後ろめたい気持ちはもちろんあったんですけど、
インターネットに対するワクワク感が止められなかったですね、僕自身。
AOLでの思い出とかございますか?
AOLに入った時は、いまだにその時の仲間と仲良いし、
いろんなところで活躍している人がいるので、感謝しかないですけど、
正直、当時の時は何にもビジネスとか経営をするとか、
そういうことに興味のない人が言われたことをただやってたっていうだけだったと思います。
正直、本当に自分から主体的に何かをやろうっていうようなことはやってなかったなっていう。
自分で考えてなかったんですよね。
言われたことをやってるだけだから、たくさん失敗もするし、考えてないし、怒られるし。
AOLに入った時に初めて、自分で主体的に考えてわからないことだらけだったんですけど、
インターネットの上りと下りの違いもわからなかったぐらいだった。
なぜかADSLのブロードバンドの商品企画みたいな、プロダクトマーケティングみたいなのを、
マーケティングもやったことないんですけど、
任せてもらって、ひたすら勉強しましたね。
初めて、自分でそこから初めてビジネスっていうものを勉強し始めましたね。
ただなんか、当時の時に言われたことをただやってただけでも、
すごい人たちに囲まれたんだなっていうのは感じて、
なんかこう、AOLに行った時も主体的にやるっていうことは自分で始めたんですけど、
基本的なビジネススキルみたいなのを勝手に身についてたんだろうなっていうのは感じて、
やめてすごく感謝をしましたね。
すごい人たちに囲まれたんだなって。
だからこう、知識も経験も全くなかったですけど、
24:01
主体的な動きは何かこう、何かものを考えて決めていくときに、
そんなになんかこう、気遅れすることはAOLの時はなかったですね。
知らないこともなくなったと聞けば、受けてもらいましたし。
いい人がすごく多かった。
それはなんかこう、やめてはあったことで、
ただ働く、働くということの意識が、
興味がすごいあったっていうのは強いですよ。
ガラッと変わったのがAOLからですね。
その後、ソニーに移られてますが、これは何か経緯あられたんですか?
それもやっぱ、海外で働きたいなってずっとなんかあったんですよね。
たまたまなんですけど、ソネットの仕事をソニーで海外を支援するっていうチームがあって、
これは何か同じISPで、インターネット接続プロ材の仕事で海外でできるって、
試験も行かせるし、いきなり海外で仕事するっていうのは面白いなと思って、
受けたら採用していただいて、
ちょっと英語も当時の時、試験で落ちたものもできたんで、
で、入社して入ったって。
ソニーに入社して、ほとんどだからハードウェアの仕事しないで、
インターネットの仕事、ソネットの仕事です。
で、入社して、3日後に香港に2年間出張します。
2年間出張、行き放しじゃなくて、経費生産だけしに3ヶ月に1回帰ってくるって。
ずっとホテルに2年間住んでました。
あちこちに行ってるのに。
で、ありったらえることをしましたね。
ソネットに関わるエンジニア以外の仕事、
カスタマーサクセスチームを作ったり、営業も作ったりとか、
何でもやってた感じですね。
それはそれで、英語で海外で仕事するっていうことはどういうことかみたいなのは、
憧れが受けあったんですけど、
実はハンディキャップしかないんだなっていう。
同じことをやってて、ハンディキャップしかないんだなみたいな。
でも面白いな、新しいとこにいるってすごい面白いなって言って、
はじめちょっと3日ぐらい寂しかったんですけど、
3日後ぐらいから全く寂しくなったんですよ。
ありったらえるところで、自分でまた中国語の先生探したりして、
週末、中国語を勉強したりとかしながら、毎日楽しく忙しく働いた。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはG社様でいらっしゃいます。
弊社は全国のエステサロンを経営している会社です。
現在までの評価軸は売上のみを基準にしており、
マネージャー職への昇格も売上成績の高い順にしています。
先日、マネージャー以上のメンバー複数名から、
人材育成の評価軸がないのはおかしいとクレームがありました。
本来、インセンティブを改ざんさせていなくても、
人材育成に熱心に取り組む状況が理想でしたので、
27:01
これまで売上のみを評価対象としてきました。
今後、マネージャー職以上にインセンティブをつける場合、
育てた部下の売上の何%といった評価チーフだけではなく、
ソフト面の育成、オペレーション等、
目に見えてこない部分も評価したいと考えています。
新人スタッフとはいえ、技術力の優劣もありますし、
教え方にも差があります。
不公平感のないような人材育成の評価軸をつくる場合、
どのような点に注意して加点すればよいのか、
ご表示いただけますでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。
人事評価制度は大変難しいので、
もしよろしければ、一度無料で計算が載りますので、
何なりとおっしゃっていただければと思うんですが、
私の会社、ウィズビズでは、実にと、
能力給という基本給と、いわゆる業績給という給料と、
あと、商用と、プラス事業課給という、
事業をつくった場合に支払える給料というのを
4つ軸を持っています。
業績給は名前の通り、達成率プラス周りの人たちに
感謝されているかどうか、みたいな軸に
業績給を毎月出すことにしております。
このときに重要なことが一つありまして、
チームの達成率と個人の達成率を評価するようにしています。
マネージャークラスになると、
チームの達成率が2倍になる感じになります。
そんな感じで評価をさせるようにしています。
そのことによって、やっぱり部下を育てないと、
ある意味チームは達成しないので、
それも育成というテーマにはなると、
こういうふうに考えてそういうことをしています。
一方で能力給という月額の基礎給料の部分は、
月額26万とか30万とかいう部分は、
6項目か7項目ぐらいありまして、
そこのいわゆるテーブルがあって、
そこに事ができるようになったかどうかで、
半年に1回評価をしていって、
給料が上がったり下がったりするようにしております。
その中には、いわゆるマネジメント力的なこともあったり、
または戦略立案みたいな部分があったり、
またはコミュニケーションみたいな部分があったりして、
それもその評価軸の中に、
人を指導できるようになっている、なっていないみたいな部分が
出てくるようにわざとしています。
ですから、基本給の能力給の方側が、
賃としたその人材の育成力なんかも含めた能力給、
業績給の方は売上げに、もしくは達成率に合わせたもの、
というふうにして、
二軸で給料が決まってくるような形にわざとしております。
そういう意味でいきますと、
そういう能力給的な部分をご導入されたらいいのではないかなと思います。
ちなみに公平感のある人事評価制度って非常に難しいです。
30:00
はっきりと私なんかはですね、
部下と給料が一緒になったときがありました。
それは文句言ってもしょうがないので、運が悪かっただけなので、
一生懸命そんなことは無視して働きました。
そうしましたら、部下と給料が一緒だったのに、
なぜか私は装備給ですね、二階級特診で役員になったことがあります。
ですのでですね、はっきりと給料っていうのは運があります。
会社の業績が悪かったら、どんなに成績が良くても給料が上がりません。
逆に言えば、ちょろっとした良い成績を出していないけども、
会社の業績が良かったら、結構給料が上がっちゃったりするときがあるわけですね。
そういうものですので、評価制度について不満とかが出るのは、
当たり前だとまずは思っていただくことも重要だと思います。
ですし、はっきりと運はあるというふうに宣言してもいいんじゃないかなと私自身は思います。
時折、評価制度に文句をつけてくる社員というのはおりますが、
それはそれであすし、公平な制度っていうのは簡単ではないですし、
ある程度公平にはなったとしても、ある程度でしかないと思っていただいて、
その人事評価制度を作られるのがいいんじゃないかなと思います。
この辺、大変難しい話で話し始めると、ご相談の後3時間、5時間、さらっといってしまいますので、
もしよろしければ無料で経営相談に乗りますので、何々とおっしゃっていただければと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。
33:01

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