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2017-10-04 18:08

第39回 早川周作氏(SHGホールディングス株式会社代表取締役)【前編】

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今回は、SHGホールディングス株式会社代表取締役早川周作様にお越しいただきました。
大学在学中20代前半から、学生起業家として数多くの会社の経営に参画して活躍。
その後、元首相の秘書としての経験を積みながら、現在は「日本のベンチャーを育てる」という意志のもと、日本最大級の経営者交流会を全国で主催されています。
著書として『人生が変わる!「夢・実現力」』『小さい夢から始めよう。』などがあり、幅広い事業を展開し、大活躍中の社長様です。
華やかな経歴を持ちながら「地道に勝る王道なし」と語る早川社長のインタビュー。大変聞きごたえのある内容となっております!


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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、早川社長様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
大学受験を目前に、家業が倒産し、お父様が上発、
アルバイトで確保をため、明治大学法学部に進学、
学生起業家として家族の会社の経営に参画、
その後、元首相の秘書として2年間勉強し、28歳で国政選挙に出馬、
人生となって経営者に戻ってからは、日本最大級の経営者交流会を全国開催。
弁護士、行政書士、公認会計士、税理士、社長士、その他の専門家と連携して、
約90社のベンチャー、法務大臣、営業主席などを指揮されていらっしゃる早川社長様でいらっしゃいます。
日本のベンチャーを育てるという原点に活動されていらっしゃいます。
それでは、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
最初のご質問ですが、ご出身は秋田ということでよろしいでしょうか。
秋田です。秋田県の秋田市でございます。
秋田県、秋田市。小学校、中学校時代はどんな幼少期を過ごしていましたか。
小学校のときはバスケットボールにハマっておりまして、熱中しました。
中学であまりいい学校ではなかったものでございますので、多少道を外れました。
そこで実は受けた高校すべて落ちてしまいまして、
なんと高校どこも行けずに一度働いて、そこから夏ぐらいからもう勉強をして、
なんとか秋田の地元を離れて千葉の新学校になんとか滑り込んだという。
そうですか。
つまりもう高校浪人をしているという、人生中学生から挫折をしているという。
中学はいわゆる不良みたいな感じですか。
不良といいますか、非常に人と同じことをするのが非常に苦手だった分類。
それは今でもそうかもしれませんが。
私の知っている早川社長様らしい。
ありがとうございます。
高校は千葉の方に。
そうでございます。
高校時代はどんなことをして過ごされたんでしょうか。
高校はやはり秋田の方々を見返そうという概念が非常に強くなりまして、
中学校の頃に後ろ指を指してきていただいた皆様方に、
やはり僕が国立の医学部とかに進学することによって、
それを見返せるんじゃないかと。
そこで高校で寮で暮らしまして、
本当に自衛隊やもしくは刑務所よりも厳しいと言われる寮生活を送りました。
つまり6時45分にラジオ体操をして、
もう小刀から含めて非常に厳しい寮で、そこで猛勉強をしました。
ですから、高校時代は寮生活と予備校が良いと、
本当に集団生活の中で自分が社会でどうあるべきなのかというのを教え込まれた3年だと思います。
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なるほど。
その後、明治大学の法学部というのは明治の中のトップクラスの学部でいらっしゃいますけれども。
とんでもないです。これは野間の学部ですからね。
そうでいらっしゃいますか。
明治を選ばれた理由とかなんかはあらゆる。
もともと高校の時に降参で1月15日にセンター試験が終わって、
その後親が連絡がつかなくなって、
1月30日に親が連絡がついたと思ったら、
突然泣きながら親父が会場を潰して蒸発をしたと言われました。
そこですぐ秋田に戻ったらガラスは割られたりとか、
差し押さえの紙は貼られたり、
非常に病み菌だとか症候ローンというのがブレークをしている時期でございましたので、
そこで受験を諦めざるを得なくなって、
そこで実は唯一助けてもらえたのが、
親や行政に相談しに行っても、
お前らなんて住むところも食べるものもなくていいんだよと言われたものですので、
そこで助けてもらったのが唯一弁護士でございました。
そこでその弁護士の先生に、
本当に困った人を助けられるような先生のような法律家になれますかと伺いましたら、
非常に勘違いする言葉を言われました。
それがお前は目が違うからなれると言われたんですね。
ですから荷物一つまとめてまた東京へ出てきて、
新聞配達をやってコンビニで働いて、
また自転車で予備校に通いながら、
一番学費が安い法律が勉強できるのが、
明治大学の、実は夜間の法学部でしたので、
そこで実はもう明治に対しては全くお見入れがなかったんですね。
ですからもう学費が一番その当時安く、
確かその当時34万円で年間の学費だったと思います。
ですからもう学費が安くて法律が勉強できる、
またなおかつ都内で便宜がいいというところで、
何の死亡動機もなくそこに行った感じでございます。
なるほど。
でもすごい早く頭らしい右翼曲折の、
それを突破できる力があらゆる。
いや踏んだり切ったりでございます。
大学時代は学生起業家としていろいろやられたということで、
どんなふうに過ごされていらっしゃったんですか。
たまたま大学1年生のときに、
同時に新聞配達と綱鉢というテンプレ屋で皿洗いとかをしている中で、
やはり法律をやっていきたい、
それを考えたときに法律事務所だとか、
法律にかかわる仕事をしていきたいなと思いました。
そこで実は入学式から六本持ち歩いて、
僕は学校に行っていたんですね。
そしたらたまたま席の後ろの女の子が、
今度は弁護士と食事に行くんだけど、一緒に行くと言われまして、
私も勘違いして、私気があるのかなと思ったんですけど、
そこで食事に行ったらたまたま法律事務所を紹介されて、
実は大学1年生の5月から法律事務所の、
新銀座法律事務所というところで働くことになりました。
大学1年生でそこの法律事務所で、
民事再生会社構成法競売、いわゆるそういった事業会社に必要なことを勉強して、
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大学3年生でたまたまそこの法律事務所の関係がある大学教授から、
約5,000万ほど調達をして、
不動産の競売事業というのと、
あとおにぎり屋をスタートしたのが商売の原点でございます。
そうですか。
そうです。
競売事業が一番最初。
そうでございます。
その当時のボス弁が非常に競売に興味を持たれていて、
約20年前で市場価格の半値ぐらいで買えた事態がありました。
また、たまたま大学1年生で民事再生会社構成法をやっていく中で、
立ち向きの交渉を立ち会う中で、
随分相手方の専業屋さんとかに気に入られる性格を持っていたものでございますので、
ですからそういった意味で競売で、
曰くつきの不動産を落として、
それを真っさらにして中間省略で流すとか、
もしくは大手の会社の小建て住宅用地を検知確認取れるかの確認をした上で、
うまく物件を調達して流し込むとか、
そういった事業が最初の原点でございます。
相当重かったんじゃないですか。
いや、その当時はぼちぼちでございますけれども、
社員数も280名ぐらいまで膨らんで、
仮入れとかも普通に20億30億は普通にできる環境にはあったので、
そういった意味では最初でもつらかったんですね。
借金で個人保証もついて、
なおかつ10時ぐらいに営業が帰ってきて、
そこから営業の、大変恐縮ながら懲らしめをしました。
そこでその後食事に行って、その後遊びに行って、
また4時、5時で鳴って、
サウナに行って、2、3時間寝て、また8時半から会議とかですね。
ですから最初の創業期に2年半で、
急性腸炎、肺炎、体調方針、全てストレスの病気を全部、
自慢ではございませんが、やってしまった感じでございます。
その頃は大学もあまり行かずというか。
本当にありがたいのが、今でも忘れないのが、
大学1年生で体育の授業が必須だったんですね。
本当に僕もどうにもならなくて、
仕事を勤めながら通いながらまた大学3年で創業しているので、
体育の時間とかは今で一番思い出深いんですけど、
一回も出ずに最後の回だけスーツを着て、
教授のところに行ったんですね。
100人ぐらいいる前で僕土下座をしました。
対応くださいって。
本当に僕はお金がないので、
留年したら通えなくなりますし、
また大学3年で志望試験を受けたいんですと、
そのためには絶対にこの科目が必要なんですと言って、
土下座をしたんですね。
そうしたら突然、教授室に呼ばれて、
お前は何であんな恥ずかしいことをするんだと言われまして、
僕はどうしてもこういった事情があるんですと申したら、
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当然私と明治大学で作文を書けと言われまして、
そこで2,30分で作文を書いて教授に渡しましたら、
感動したと言われたんですね。
それでなぜか単位をもらったというですね。
すごい話ですね。
いやいや、ですから本当にいろんなのを、
僕は本当に力はない、全くないですけど、
やっぱりいろんな方々に場面場面で、
最初の法律務所に拾われたり、
最初の投資家に拾われたり、
いろんな方々に支えられて、
なんと無事に大学も卒業できたというですね。
そうですか。
早川社長様のお話を聞くと、
何でも早川社長様はできるんじゃないかと思っていますけど。
そんなことないです。
もう全く何もできないです。
その後、大学卒業後、発達とも元秘書の秘書になられると。
この選択は司法試験でもなく、秘書というのは社長さんでもなく。
たまたま大学1年生で入らせてもらった法律務所に、
佐藤道夫先生といって、やっぱり検事長で札幌高校の検事長をやったり、
NHKのドラマ家で検事長所の役とかにも取り上げられた道夫先生が、
検察を辞めて参議院議員になっていらっしゃって、
その参議院議員で弁護士登録をしているのが、
実はうちの法律務所でございました。
そこで初めて国会に書類を届けに行ったときに、
パッと見たときに、実はチャックが半分空いていたんですね。
そこで、何だろうと、チャックを半分空いている方でも国会議員になれるのかという、
若気の至りで勘違いをしまして、
そこで実は大学3年で司法試験を受けたんですけど、
そこは択一はうまくいって、論文で駄目で、
そこのときにたまたま1位弁護士になるよりも、
原点で本当に親父が会場を潰せ、浄化したときに思ったのが、
やっぱり強い地域、強いもののためではなくて、
弱い地域、弱いもののために、
なんで社会基盤が働かないんだろうと。
そこで困った方々に手を差し伸べよう、そのために弁護士になろう。
しかしながら、1位弁護士になったとしても社会基盤は変えられない。
それを考えたときに、やっぱり僕が目指すところはどうなんだろうというときに、
たまたま出資の話が来ました。
そこで、いくらでも後で勉強はできると、
しかしこのチャンスを逃したらまずいというところで事業を起こして、
そこでやっぱり政治の世界に行こうというところを決めました。
社長業は学生のときやってらっしゃったわけですから。
もう21から25ぐらいまでやってました。
秘書に移られたときは、その社長業を一旦捨てるという感じですか。
それは株を売却して、ある一定のお小遣いをいただきましたので、
ですから2年半ほど無休でやらせていただきました。
そうですか。それはすごい話なんですよ。
この前お亡くなりの畑務秘書ということで、相当勉強になられたんじゃないですか。
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もともと実は25でその会社を離れたときに、いろんな政治の本を読んだんですね。
そしたらそれまで政権交代したのが細川畑内閣主管なくて、細川さんに会いに行きましたら、
何かピンとこなかったんですね。
お公式を作られたりして、いわゆるお殿様ですよね。
次に畑に会いに行きましたら、現職で早々たる国会議員とSPを引き連れている姿を見て、
まだ本当に慣れていなかったんで、ドラマのように感じました。
そこで僕は右腕に抱きついて、僕を国会議員にしてくださいって申したんですね。
そしたらまた勘違いをされる一言を言われまして、お前は目が違うから慣れるって言われたんですね。
ですからそこからデッチ防校で、随行からパーティーでも1日3カ所、4カ所回って、
また朝5時45分に迎えに行ったり、ずっとSPと内容詰めたり、もう出張同行したりとか、
ですから人間との付き合い方とか、政治家としてのあるべき姿とか、どういう信念を持って、
例えばこの前亡くなられた時でも、二階さんという元幹事長が、
あれだけのお人柄の方は今までの政治家ではいなかったんではないかと。
ですから本当に人間力あふれた親さんの下で勉強できたのは、
今までの経験の中で一生の宝かもしれないですね。
さらなる反射があるのと、先月新卒から10年間勤めた都内の会社を辞め、
地元に戻り父の会社に社員として入社したところです。
今はまだしばらくは父が経営を担っていく予定ですが、いずれは自分が社長を交代し、
ついていくことになります。
お外かしや話なのですが、一番心配なのは自分が数字に自信がないということで、
経理周りは父が前日と相談しながらやっていただけで、かなりどんぶり勘定でここまで来たとのことです。
経営は今のところ安定しているのですが、この時代よい状態が続くとは確証できません。
周囲の経営者の知人などのお話を聞くと、決算性の良いことや銀行からの有利な資金調査をすることなどが
経営の肝となってくるとのこと。
勉強期間である今様々なことを学べるチャンスです。
数字に強い社長になるため何ができるでしょうか。
切磋琢磨な質問で徴収なんですが、アドバイスをいただければ幸いです。
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ちょうどいいですね、今勉強期間ということですが、
まず経営の本などを読み合わさってみてはいかがでしょうか。
弊社でも社員には出独書として、ドラッガーの現代の経営でしたり、経営に関する本や
矢内さんが出る社長のノートということで、そういった本を出独書としてレポート提出というのを義務づけています。
本を読むと知識として入ってくる部分もありますし、想像力を働かせますと経営とはどういうものかというのも
想像できる部分もあるんじゃないかなと思います。
特に今もう社長になるんだということで思っていらっしゃるので、勉強するにはちょうどいいですし、
勉強すれば吸収することも多いんじゃないかなと思います。
本を読み合わさることが一つは重要なんじゃないかなというふうに思います。
もう一つは数字に強くなる社長ということで、決算書の読み方の勉強もそういう意味では本を読んでされたらいいんじゃないかなと思います。
特に自社の決算書を横に置いて本を読みながらどういう意味なのかというのを勉強されたらいいんじゃないかなと。
わからないことがあったら顧問税理士の先生がいらっしゃると思いますので、そこでお聞きになればだんだんわかってくるのではないかなと思います。
昔私は決算書を読めるようになったのは、私自身が会社でサラリーマンをした時に決算書ぐらい読めなきゃだめだろうということで、
本はほとんど読まずにお客様の決算書を読んで勉強し、毎日日経新聞を買ってそこの決算書が必ず出さなきゃいけないというのが、上場企業は出さなきゃいけないというのがルールになっていますので、
その決算書を見て何行というのはあって、実際に式法を見てみて当たって当たらないということで決算書をずっと読み漁ったことがございます。
実は決算書というのはすごいもので読めるようになってくると、決算書で社長様の性格というのは結構わかります。
また決算書を読んでいると業種もだいたい創造がついてきます。
それぐらい決算書というのは重要ですし、逆に言えばわかりやすいものですので、そういう意味では数字に強い社長になるというふうに思っていらっしゃるこのP社様の二代目社長様は素晴らしいですし、
ぜひ強い社長、数字に強い社長になっていただければなと思っています。
そういう意味では税理士さんにいろいろと聞くことも重要ですし、自分でもいろんな会社の決算書を日経新聞等にも広報として出していますので、見られてはいかがかなというふうに思います。
ぜひ決算書を読める社長になられ、良い経営者になっていただければと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポトキャストはここまでになります。
また来週お楽しみに。
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