ラトヴィアでの活動
みなさんこんにちは。合唱指揮者のKota Yanagishimaです。
WERKSTATT Podcast 今回は、ラトヴィア在住の合唱指揮者 山﨑志野さんにお話を伺いました。
山﨑さんは、今年の夏、これから来日されて、いくつかコンサートをなさったりするんですけれども、
彼女がなぜラトヴィアにたどり着いたのか、そしてその後の勉強、そしてこれからの活動について、いろいろ伺ってみました。
リモートですので、多少音声が乱れているところがあるのですが、ご了承ください。それではどうぞ。
本日は、ラトヴィア在住の合唱指揮者の山﨑志野さんにお話を聞こうと思います。よろしくお願いします。
ラトヴィア在住の合唱指揮者という形で申し上げましたが、それで合っていますか?
そうですね。
学生ではもうないんですよね。
もうないんですよね。
うんうん。卒業して、合唱指揮者として、そちらで今活動されているというわけですよね。
2足わらじの状態で、合唱指揮も、プロの合唱団で雇われて歌う歌い手という。
歌い手、合唱みたいな。
そうですね。
なるほど、ありがとうございます。
山﨑志野さんの名前って、多分日本だと東京カントアートのこの前式コンに出場されて、あれは去年かな、2023年ですかね。
2023ですね。
去年、去年です。私いました、そこ。
だったり、いろいろあると思うんですけれども、今年はちょっと一時刻、夏にコンサートをなさるということなんですけれど、
2つあるので、1つは土曜日、7月末、今月末27日の土曜日、京都で、アンサンブル・ムジクスという団体で、
コンサートがあるということですね。
はい、そうです。
はい、これはこの京都の団体なんですかね。
そうです、アンサンブル・ムジクスは、京都で活動している、少人数のアンサンブルのグループで、
実は長いお付き合いがありまして、私が留学をする前から、
私が島根県でやっていたアンサンブルとビートしたりとかして、長いお付き合いがありますね。
今回、帰国に合わせて、一時帰国に合わせて、何かやってくれないかということで、
ラトビアの作品と、ラトビアでもよく演奏されたりするウクライナの作曲家の作品だとか、
あとはバルト3国、エストニア、リトアニアの作品を交えたプログラムを組んでコンサートする予定です。
なるほど、なるほど、なるほど。
面白そうですね。
彼らは普通は指揮者を置かないの?
そうですね。普段は指揮者を置かないでやっていて、年に何回やっているんだろう。
1回か2回くらい、こうやって100円を読んでコンサートをやっているみたいですね。
なるほど。
前回は白井千明くんが呼ばれてやっていましたね。
なるほど、なるほど。若手のイケてる指揮者と。
そうですね、そういうプロジェクトがあって、その指揮者が、
何かクローズアップしてくださるのはすごいありがたい気がしますね。
本当に。
このチラシ見ましたけど、篠ちゃんのポートレートがえぐいぐらいでかい感じがする。
そう、でも千明くんのやつを見ても同じぐらいの。
ああ、そうですよね。
無理押ししてくれますよ。恥ずかしくなっちゃうけど。
ぜひ西のほうにお住まいの人にもコンサートです。お勧めします。
ぜひぜひです。もう、2月にも出演するから、
うちのコンサートもすごく楽しみです。
ぜひぜひぜひ。
うん、ぜひぜひ。
京都でのコンサート
いつもよろしくお願いします。
ぜひ見てほしいコンサートです おすすめします
ぜひです もう日本では聴けない プログラムばかり
あーそうなの 本当ですよね
そう
あとでそのレパートリーの話も したいと思いますけど
ほぼほぼ篠ちゃんが言ってる曲の 曲かも題名もなんか聞いても全然
わからないので
そうだね
本当に
そう
でも
学ばせていただく感じなんですけど
そう
でそれでもう一つコンサートが 8月10日土曜日
土曜日だね 土曜日こっちも土曜日ですね
でこれがコーリスクラーサスという 団体で東京でコンサートするんですけど
これはどういうものですか
これはコーリスクラーサスっていうのは このコンサートのために企画をされた合唱団で
でコンサート当日はそのコーリスクラーサス のステージとあとガイスマンのステージがあるんですね
合唱団
合唱団ガイスマンですね
合唱団ガイスマンっていう
であとは
ラトビア音楽の合唱団ですね
であとはあのラトビアのフォークドア グループのウズマニブさんという
グループの一緒に演奏するっていう 一晩でラトビア音楽を堪能するという
コンサートなんですね
で
すごい
そうですね
でまあ合唱団ガイスマンさんももちろん やるんですけど
彼らは割とこうラトビアのその歌の 祭典で歌われる作品
うんうん
東京でのコンサート
だから割とこう広く庶民的というのかな
まあ広くラトビアのそのいろんな人に 歌われている合唱の作品を主にこう
演奏されているんですね
で
まああの今回あの監督のタクさん 佐藤タクさんが声をかけてくださって
まあそのそれだけじゃないそのラトビア にあるもっとこう
なんだろアカデミックなその合唱の 作品というのかな
をこう
演奏したい
ということでコーリスクラーサス を立ち上げ
でその合唱団ガイスマンはそういう 割とその歌の祭典とかそういう
割と広く知らなかったものって コーリスクラーサスはまあアカデミック
のラトビアの
アカデミックなるほどね
ああ
作品を演奏するという
うん
そういうあの一晩でそういうもの ラトビアのその合唱事情をこう
音で体験できるという
ああすごい
はい
こうなんかふんふんって
僕も実は8月10日は一緒に歌わせて
そうです
はいすごく楽しみにしています 今週末からついついに対面の練習
が始まって
はい
4回3回練習をして本番に向かう っていう感じなんですよね
そうですね4回かな
素晴らしい4回4回
まだちょっと僕も対面で皆さん とお会いしてないのでどんな感じ
になるのかすごい
楽しみにしております
そんなことがあってまあつまり この夏は山崎篠さんの夏なので
このね合唱の会話なのであのせっかく せっかくねこういう方がいらっしゃ
るので
まあねあの山崎さんのことを知って おくともう少し楽しくなるかな
と思って
そうね先に言うとこの我々の関係性 っていうかなんかあると思うん
ですけどあの僕は個人的にやっぱり
ん何何
何が始まりでしたっけ
何が始まりかっていうとまあまあ でもやっぱりそのちゃんと喋って
こう色々変わるようになったのは お互いが留学をして僕は先に留学
2017年で終わりましたけどしのちゃん が留学中で一時帰国してワークショップ
こっち
あーそうでしたね
ねあったよね
あったよね
ボックスアリウスとかもあったり あったりもしましたけど最初あった
のいつか覚えてますか
なんか
うん
ワークショップとかじゃなくて 私がちょろっと帰ってる時に
うんうん
ツイッターのDMで連絡をして
うん
マリウスの肉のパーティーに
あーなんかそれもあったねそれも ありましたね
何でかそこに行くっていうのが確か 初めだったような気が
確かにそんな気があったそういえば そんなこともありましたね
あれが一番最初だったと思います
肉のパーティー
でも超一瞬エンカウントしたのは もっと前だって知ってます?
え
覚えてないからあの僕はネイキッド シンガー好きに
え
2013年とかだよね
そんな感じ
そうそうそう
あの時僕一時帰国してて
え
ちょうどもう留学始まったんで 一時帰国して
あれじゃない? 神楽坂の音頭ホール
そうそうそう
やってました
やってました歌ってました
タクさんとか
そうです
そうですね
あの津島さんとか
そうです
なんかね最後ご挨拶したような感じ
でもなんか集団の後ろの方にぴょこって
たぶん
そうです
あれ? あの時はまだ留学してないよ
してないです
あの時は
してない
休学してたんですよ当時
あーなるほどね
当時行っていた島根大学を休学してる期間で
その時に津島さんに声を掛けられ
ネイキッドシンガーズというものを 参加させてもらったんですよね
いいですね
いいですね
最初からあんまり普通じゃない感じ
普通じゃない感じ
今このような
この状態ももはや必然のような感じですけれども
そうか
そしたら
そうなのよ
あの時もいましたわ
それはそれは
それはそれは
懐かしいですね
懐かしい
ほんで一応
今日このためにちょろっと
台本にもならないような箇条書きのあれが
メモが残されているんですけれど
まあなんとなく時系列順にこうね
しのちゃんのこの足跡を
お話を伺えばいいと思うんですけど
いいですか
いいですよ
言える範囲でお願いします
いいですよ
覚えてたな
なんでもいいです
まあ今結局このこの
この状態じゃないですか
つまり合唱式者になって
今一回今このこの有様って言いそうになりましたか
この有様も本当に
本当に
なんですけど
最初最初
例えば合唱とかあるいは音楽で
このことと出会ったタイミングとか
のことって覚えてますか
音楽の出会いのタイミングって正直
覚えてないんですよね
実は私
姉も兄もピアノ習ってたので
ピアノの音が多分
いつも聞こえてきた
自然に家の中にあった
あとはなんかこう
クラシック全集みたいなCDがうちにあって
それもうちの両親がよくかけてたんですよね
なので多分もしかしたらそれが
本当に一番最初の出会いなのかもしれない
なるほどね
私がピアノを習い始めたのは4歳とかなんですけど
本当に練習をしない
タイタな子でしたね
それがまあ音楽の出会いですね
合唱は?
合唱は
自分が歌い始めたのは
合唱部に入った
小学校の5年生の合唱部に入ったんですよね
それがまあ自分で本格的に合唱を始めた
ポイントですね
それまでは
まあそれこそ自分の姉も兄も
どちらも合唱部で歌ってたので
そうなんだ、みんな合唱部だ
そう、みんな合唱部
兄は中学校で
中学校から合唱への入り口
混成合唱
仮ダーリンみたいな
中学校でね、男子ね
仮出されるやつで歌って
高校入ったら合唱部でみたいな感じで
よく合唱のコンサートとか
コンクールとか聞きに行って
ガーガー寝てます
妹として?
そうです
妹として
小さい頃から割と連れ出されてガーガー寝て
そういうことか
ガーガー寝て
自然に睡眠学習して
小学校5年生から始めましたね
うちの学校は
小学校の3年生から部活入れたんですけど
最初はバスケ部に入って
それは自分の意思というよりは
両親に勧められて入って
無理だってなって
造形部って言って美術部みたいに入って
絵描くのがすごい好きだったので
それ入ってけどちょっと面白くないなと思って
合唱部入ってみたら
勧めで入ってみたら
ずっとやってます
いいですね
クサレン感がありますね
最初は違うの始めた上にそこに戻ってきて
ずっとやってるの
いいですね
そうするとその後でも今は指揮者じゃないですか
最初は歌い始めてくると思うんですけど
今も例えば放送合唱団で歌ったりなさってるから
歌うほうもすごく多分
音楽としてすごい重要な部分
指揮者になってるじゃないですか
そこって何か店長のどっかにあるんですか?
結構ぬるっとしてますね
さっきからずっとぬるっとしてますね
そうなんですよ
ずっとぬるっとしてますね
よし私は指揮者になるぞって思って
部屋に来たわけでもないんですよね私は
あ、そうなの?
そうです
あ、そうなんだ
そうなんですよ実は
合唱指揮者への道
憧れはありましたねおそらく
中学校の合唱部でやってた時に
顧問の先生の指揮が
私がいた時に顧問が変わったんですよね
1年から2年
その時に新しく来た先生が
吉真根大学教育学部の部屋の合唱部で
小村さと氏先生という方が2年の時に来られて
なんかまだ中学生ながらにも
先生がブンブン腕振ってるので歌うと
あれ何か違う音?みたいな
じゃあその指揮図を払えた?
払えた
払えた
払えた
払えた
払えた
払えた
払えた
じゃあその指揮図を払ったんだ関係性が
なんか歌いやすいなとか
なんかこうしたらいいのかなみたいなのが
なんか腕振ってて分かるなみたいな
体験はすごいよく覚えてて
そこで面白いものだなっていうのは
ずっと印象に残ってたんですよね
でもまあなんだろう
やっぱり島根県にいると
なかなか合唱指揮者という仕事
あるなんて感じじゃないので
音楽の先生
だからまあ
歌うのは好きだし
部活合唱部やるの好きだから
音楽の先生になりたいなとかって
思ってた時期はありますね
そうなんですね
ちなみに最初は島根の大学
そうです島根大学に
島根大学に行って
教育学部
それは音楽家ですか
教育学部の
数学が
典型ですよね
はいはいはいはいはい
なんかすぐそれ聞きやすそう
数学なんだよ
すごい
どうしたのそれは
血抜き
血迷って
そうだから私がどこ行こうかなって
大学の進学先決めたりとか
はいはい
そういうのも結構迂々曲折というか
島根で大学教育に行こうって決めたのも
センターの結果の後なんですよね
それまではじゃあ浪人して医学部に行こうとかって
結構
そうだったんだ
いい加減なことを言ってますね
いい加減ではないすごいですね
でもそれは兄弟の影響というか
自分の兄が
そうなんだ
行ってたんですけど当時
この話を聞いて
面白そうだな
じゃあ私もそこ行こうかなみたいなこと
そのノリで医学部目指す人いるんだ
本当ですよね
何も考えてないから言える話です
いやいやいや
でももちろん成績は伴わなかったので
そうなのか
でセンター終わって
ちょっとじゃあ何か聞きたいものでも聞くかと思って
たまたま聞いちゃったのが
全日本のコンクールの全国大会の録音だったんですよね
それは郡山に中の演奏だったんですけど
すごい具体的に覚えてる
そう覚えてる
それを聞いてやっぱ合唱したいなって思って
定期的にその流れ
そう定期的にその流れ
必ず2、3歩違うとこ行ってから合唱に戻るっていう
そうですそうです
やっぱ合唱
やっぱ合唱
合唱したいなって思って
じゃあ何か
でワールドユース今ね
1年からまた今もやってる
再開してね
もう行きたいっていうのもあったので高校時代に
すごい
ラトビアへの留学決定
だからこれで医学とか行っちゃったら多分行けないだろうなと思って
じゃあ家から通える島田に行って
お金貯めてワールドユース行けるように頑張ろうみたいな
なるほど
数学ちょっと面白かったから
じゃあ数学科行くかみたいな感じでした
そこが最後がすごいすごいですね
数学が面白かった
なるほどね
そうです
長いですけどね
長くてヌルヌルずっと行ったんですよね
そんな感じにずっとやってたら
なんか気がついたら今があるみたいな
ほんとこういう感じです基本的に
なんか面白い
でも今話を聞いてる限りだとまだラトビアに出会ったっていうか
ラトビアに結局留学するじゃないですか
しかもさっき一瞬今篠ちゃんが言ったのは
式をするつもりで行ったわけでもなかったんですけど
そう
ですけど
どうしてラトビアの
じゃあどうしてリガですかね
リガの音楽院の歌手式会にどうやって到着したのか
着陸したのか
ラトビアにいると何百回くらい聞かれるんですけど
大体三つあってラトビアに来たきっかけが
一つは
中学校か高校の時に新聞の記事でラトビアに出会ってるんですよね
でそこになんか合唱の国ラトビアのが書いてあって
当時コンクールのために合唱一生懸命頑張るみたいな
合唱で頑張ってた女の子だったんですけど
合唱の国みたいな
どういうこと
確かにね
そうやってみたらすごいことでした
私たちはなんかいい演奏するために
一瞬のいい演奏するために合唱を決めてるみたいな感じの時に
それを見て
どういうことだろう
しかも国が独立する時に
合唱がこう
その人々の支えになったというか
アイデンティティとして合唱があるみたいな
会ったのがすごい印象に残って
っていうのが一番の出会いだったんですね
それはまたそうなんだって思って
新聞切り抜いてノートに貼ってたんです
なぜか
他大したものを切り貼ってないのにそれだけ切り貼ってあって
そうっていうのがあって
でもそれはそのまま流れ
だから私2年か3年かな
日本で留学前に3年か2年くらい
松原中留先生のところで
合唱プライベートレッスンを受けてたんですよ
それもやり始めたのは
中学校の時の面白いなっていう記憶と
その記憶ね
やっぱり合唱もっといろんなものを知りたいっていうのは
常にあったのでいろんなことを知りたい
大抵の視点からも合唱の式がどういうものかっていうのを知ると
いいんだろうなと思ってやってて
どんどん面白くなっていったんですよね
純粋に興味が強くなって
松原先生に音楽的にちょっと
もうちょっと勉強したいんですけど
どこかありますかって言ったらラトビアはどうだみたいな
松原先生は何回かお仕事で来てたみたいなので
そういう国がある
そういう面白い文化がここにあるっていうことを知ってたので
日本人誰もいないから
すんさん行ったらどうだみたいな
行かせたい感じをしますよね
ちょうどそのタイミングに
リーガー室内合唱団アベソールっていう
合唱団が神戸に来てて
それを聴いて
なんだこれ
指揮者も何やってるか全然意味わかんないし
でも音楽も横の流れがすごい
浮遊感だとか
波とかルバーとか
私の知っている音の中に
出会ったことのない合唱の音がするっていう
衝撃が相まって
その3つ
じゃあラトビアって思い返したら
あの国だって
生活というか
なるほど
リンクしていくんだ
合唱歌うっていうことは
単なる演奏じゃない国だみたいな
それどういう感じなんだろうっていうのが
全部合わせて
じゃあラトビアに行こうって
すごいでも自分であれだね
松原先生が
勧めてくれたことはもちろんあるけど
そのね中学生の時から
なんかアンテナに刺さってたわけですよ
そうですね今思うと
なんか刺さってた
なんかね今の話で言うと
そこに行くしかありえない
他の国の可能性がなさそうだもんね
そうですね確かに
僕なんかは例えばドイツに留学したんですけど
やっぱり最初からドイツ
生まれた時に決めたわけじゃない
で合唱式と
例えば音楽
そのものを
体験して学ぶ土地におると思ったんだよね
それでいろいろな可能性の中から
自分で意識的に選択して
ドイツって感じだったから
なんかそう
しかもここで合唱式を勉強したい
みたいな感じで始まったから
それと結構対照
ように話しのちゃんのエピソードはすごい
そうですね
それこそ横の流れがすごい
自分の生き様までも
そう生き様の横の流れがすごい
本当だ
でも本当にそう
素晴らしい
面白い
もっと知りたいなっていうのがやっぱり一番
確かに
もしかこれからのラトビアの合唱式が目指す人もいるかもしれないので
簡単に教えて欲しいんですけど
入るには何をしたらいいんでしょう
今どうなってるかちょっと分かんないんですけど
自分の時どうだったか
自分の時はこれで大丈夫なのって感じでしたよ
どういうこと
まずは自分が指揮をしている
ビデオの演奏を送って
あとはピアノを弾いている演奏もですね
10分あるかな
もっと短かったかな
ラトヴィア音楽院での留学生活
それを送って
それを審査にかけられる
おめでとう受かったから来てくださいって言われて
行ったら
入学式の前日だったんですけどね
今から試験やるよって急に言われて
怖っ
急に
試験の準備はしてないよねって言われて
えっ何それって
そんなものは知らないですけど
じゃあピアノだけ弾いていいよって言って
部屋に連れられてピアノを急に弾かされる
何それ
どういうこと
すごいですね結構
3人怖い顔した先生が座るところでピアノを弾いて
で楽譜を見ながらでいいからって言って
楽譜で見ながらピアノ弾いて
目のもっそこの意味はとか
クレセイドこの意味はっていう質問をされるっていう
逆にそこでダメだったらどうなったんだろうね
そうなんですよ
入試なのそれは入試だったの
今思ったより入試だと思いますよ
なんでなんで
おめでとうって言ったくせにみたいな
やばいねそれは
でその後にソルフェージュとか学転の試験もあって
普通に試験あるでしょ
普通に試験
試験忘れてたんだよ
クラスのレベル上げするテストかなって思ってたんですけど
それ終わってから事務室に行ったら
おめでとうって言われて
君はやっと正式に学生だよみたいなことをその時言われて
えっ私受かってなかったんだって
そうなのすごいね
っていう感じでした
なかなかなかなかですよそれは
ちょっとうん
僕の体験と違いすぎてびっくりしましたよ
私たちの台が正式に外国人の学生を割と多めに取った台らしくて初めて
あーそうか
そういうフェーズなのか
だからあんまりその整ってはいない
なるほどね
だから最近はもしかしたらもうちょっとちゃんとしてると思います
かもしれない
事前に練習があったり
でも何があるかわかんないっていうのが
面白い後から思えば面白いですね
そうです
その瞬間ちょっと
気持ちつけたらよかったですけど
そうだね
肝が必要です皆さん
肝が必要です皆さん
今これを聞いて何人がラトビアを諦めたか
諦めたって
でも逆に面白いよね逆になんか変な足切りとかじゃなくてね面白い人が
ねまさにシーノちゃんのように面白い人が
そう
イメージの人はねもうちょっとちゃんとシステム整った状態でやってる感じはありますね
大体指揮やってピアノ弾いて楽天ソロフェイジをやってぐらいですかね
まあ一般的な指揮家の感じですかね
あとコルキュームっていうのがあって指揮振った曲について質問
口頭指紋ですね
そうです口頭指紋
それもあります
それは英語ですか
英語で大丈夫です
勉強学業中はラトビア語英語はどんな感じなんですか
それもぬるっとしてましたね最初やっぱり全くしゃべれなかったので
個人レッスンで英語をつけて英語でその科目を
ザカ君の科目を教えてくれる授業とかあったんですけど
ソロフェイジとかあとなんか合唱の授業とか
個人レッスンじゃないのはラトビア語でした
だから何もわかんないまま座っているっていうのが
1年2年ぐらい
語学がねそれこそで超マイナー言語に入ると思うんですけど
ラトビア語って英語やフランス語ドイツ語に比べると
しかも当時私の時はさっき言ったようにちょうどチェンジするタイプ
外国人学生が絵の対応っていうのがまだきちんと定まってはいなかった頃
本当そういうサバイバル状態でしたね最初
でもまあ音があるので音があるっていうのは
例えばこれはチョーサンドだよとかって
ソロフェイジだとチョーサンドだよっていう時も
音が鳴ってみんなが答えてるのを聞いて
リアルだって言うのかみたいな感じで
なるほど
そういう感じのことをもちもちもとやって
最終的にラトビア語だけで何とかついてはいけてるのかなみたいな感じになって
素晴らしい素晴らしい
もちろん週にいっぱいレッスンはありました
ラトビア語の
ラトビア語のね
でもやっぱり
それは音題の中に
音題が提供してて
へえそれはありがたい
まあ外中の先生外から来てる先生なんですけど
ただ音楽用語とかは教えてはくれないので
個別のピアノレッスンと合唱の授業
そこはもう先生に個別に聞いたりとか
友達に教えてもらったりしてやってきましたね
なるほどなるほど
外国人じゃその当時は篠ちゃん一人が外国人だったんですか
それとも何人かクラスメイトにはいた
私だけでしたね
後にも先にも
交換中学じゃない正規の学生
ああなるほどね
私だけなんじゃないですかね
ピアノ家とオーケストラにもいて
私のない時代には5人いました全部で
音題の中にね
音題の中に
そうかそれはやっぱりそうだね
海外のヨーロッパの音題
僕ドイツのザールブルッケンっていう
ドイツ国内で最も小さい州の
たぶん一番小さい州立音題の一つだったんですけど
日本人12ぐらいいましたね
いっぱいいる
12ぐらいいた
一番多くて12で少なくて7人とか
そう考えるとなかなか
そうですね
ブラジルの子と中国の子
私感じでした
もちろん交換中学ではいっぱいいますけどね
それはね
なんとなくこのヨーロッパ中央ヨーロッパ
西ヨーロッパの合唱の
海外のところから見ると一度は行った
バルトを3国が北欧の
半年で
半年で十分かなみたいな
十分とは言えない
別の全然感じ方があると思うから
そこにずっと行ってるってことと
エラスムス交換留学
全然話は違うと思うんですけど
一度は必ず見ておきたい
みたいな感じはしてましたね
そうかそうか
合唱式以下全体はどれくらいの大きさですか
どのくらい私がいた頃は
20人ぐらい全部で
結構でかいですね
私の台は特に多くて
最初6人ぐらいいました
ただなんかこう
私その
なんだろ
個人プレーなんですよねうちの音楽院は
っていうのはグループで
合唱式のレッスンがあるってわけじゃないんですよ
常に先生と一対一
常に先生と一対一の
レッスンなんですよねうちの音楽院
だからピアニストが2人いて
先生と学生1人
学生は
1週間に90分
レッスンに行けられる
グループ
合唱式下でのグループは
ソルフェージュの時間とか
あとは合唱の時間でみんなで歌う時だけ
そういう感じで
なるほどじゃああんまりグループレッスンで
みんなでディスカッションしたりとかじゃなくて
一人一人が
そのスタイルは面白いですね
結構棒のテクニック的なところを
一人一人先生がよく見てくれて
あとは
作品のことについて先生が
その学生が持っている8曲の
8曲かな8曲とか7曲の課題を
しっかり向き合ってくれる
っていうシステムですね
合唱の授業っていうのは学生みんなで振ったり
プロでリハーサルしたりする感じ
そうですねでもなんかこう
みんなで歌ってたり
あと合唱の先生がいて一人
その先生が振ったりとか
ほんとなんかその
合唱団みたいな感じで
それをどうして教えてもらうとかはないんですよ
コメントをもらうとか
なるほど都道として存在してるみたいな
そうですだからひたすらいろんな曲を
やっていろんなコンサートをしていく感じ
だからその指揮者の立場でもできるってことですよね
そうですでも2人に1回2回ぐらいですね
面白いな
なんか絶妙なバランスですよね
なんかめっちゃ個人でバリバリやる頃と
話しがい感じの状態と
両方ある感じですね
なんかよしよしだなと思いましたね
ドイツだと授業の合唱だから
先生が横についてて
プロでのリハーサルの方向を見失っていくと
すぐ間に入ってきてこうするとか
好きなことやろうとするとすげー邪魔されるとか
結構あったので
僕の先生のことがご存知だと思いますけど
邪魔しに行く
邪魔しに行く
野心的な学生
いやいや
本当に邪魔する感じの時もあったから
そういうのは逆に
よくなかったですね
なんか北欧の考え方なのかなとか一瞬思って
きたんですけどそういう感じでもないんですかね
でも多分
単にシステム化されてないだけだと思います
いいですねなんかすごい
ずっと思ってました私は
自然な感じオーガニックな感じが
でもやっぱり
みんな学業と
プラスして仕事をしてるんですよ
パートタイムで
学生の合唱団で
式の仕事をしてたりってほとんどなんですよ
その合唱団には教育学部の
音楽家の子たちもいて
だから学生が前にやる時に
みんな大学生の
ある程度歌える子たちに
小学生向けのリハーサルみたいなことを
しちゃうんですよ
口調とかも
これなんでできないの?
もっとよく歌って具体的に
面白いね
その色んなのが見えるのも
我が身を振り返られる
そういうのがあって割と
もうちょっと上手く
そこのリハーサルでどういう風にするのか
そういうのを勉強できる場所なんじゃないのかな
っていうのは4年間
学部してた時ずっと
思ってた?
逆に言うと
そういうところで生き延びるじゃないですけど
自分でいろんなことを考える人には
結構好きに
いろんなものを教訓とできるというか
教育を受けたいですみたいな人には
あまり向いてないかもしれない可能性があるよね
そうですね
ここにいたら選べる
リハーサルをするとか
合唱団として
作っていくっていうプロセスの
コミュニケーションは多分あんまり
育たないなと思って
それがずっと気になってたので
マスタークラスを夏とかに
積極的に受けに行きましたね
スウェーデンでの大学院留学
学業の後半くらいでスウェーデン行ってますよね
それは大学院に行った時ですね
あれ大学院がそもそもスウェーデン?
いや
うちのラトビアの音楽院で
エラストマスっていう交換留学の
半年だけスウェーデンに行きました
全く違います
どうですか?
学校も綺麗だし
スウェーデンはそれこそ
多分ドイツみたいにグループレッスンなんですよね
基本的に
子供たちと常に一緒にいるというか
リハーサルをする時
合唱の授業も
積極的にリハーサルをさせてもらえるんですよね
だから必ず自分の番が
1ヶ月のうちに回ってくるみたいな
あとは
2月に1回
プロフェッショナルのアンサンブルで
3回リハーサルして本番みたいな
プロジェクトもありました
それは歌いて
12人くらいで
スウェーデン放送とかエリクストンチェンバーで歌っている人を
すごい人たち
集め演奏する
っていうのが割と早いサイクルで
うちの音楽院に比べると早いサイクルであって
スウェーデンでの学生生活
リハーサルをする時も先生が
ここはこうした方がいいんじゃないとか
チャチャ入れてくれるんですよ
チャチャ入れてくれるんだね
岡崎邪魔されるとか言ってしまいました
チャチャ入れるってちょっとマイナスですよね
ありがたいことですよね
介入してきて
コメントしてくれたりとか
指揮の振り方も
多分こうした方がうまくいくよとか
実際の合唱団の音で
体験できる
あれは一番良い
良いですね
良いフィードバックがあるってことですよね
それすごいめちゃくちゃ大事だと思う
自分でやったことが目の前で分かって
それを感じたらそうしたくなるじゃないですか
そうなんですよ
それがちゃんとあるのってすごい大事なことですよね
体の感じ
これだけでこんな風に音変わるんだとか
感覚がいられるっていうのは
一番
そこはスウェーデンで今知った
体験した
スウェーデンは国際色はどうなんですか?
まあ
ラトビアに比べたら豊かですね
スウェーデン人の人もまあまあいる?
います
やっぱりドイツの方が多かったですね
そうらしいんですよね
ゲルマン語じゃないですかスウェーデン語
だからやっぱり早いですねスウェーデン語の習得が
そうなんだ
っていうのもあるのかなとか思いながら
何人いたかな
大学院の合唱指揮家が
私と
3,4,5,6,7
7人いましたね
教会音楽家
2人含め
そのうち3人かな
違う2人がドイツの人で
1人はスイスからの交換留学
で私であと2人がスウェーデンの方
まあ
ラトビアに比べたらやっぱりいっぱいいますね
いろんなところから来てる人がね
学部の時に行けばよかったなって
すごい思います
学部の時の方が
監視できないもんね
そうなんですよ
必死だったんです
科目とか多かった?
多かったです
本当だよね
多いです
合唱の時間も長いし
週に3回あったんですよね
部活かって
本当にそう
一般教養みたいな授業も
いっぱいあったし
いやいや
だから本当に学部の頃って
記憶がない感じします
始まったと思ったら終わってる
みたいなのが繰り返されて
途中の記憶がない
私もないんですよ
最初の2年の記憶ってないんです
大丈夫なのかな
ちゃんと身になってるのかな
と何かになってると信じたいです
頭と体と
あれほど繰り返されていたことって
もうないな
私だけじゃなくてやっぱりあるんですね
谷さんとかもそう言って
記憶がなくなることで有名
空白の2年があるんですよね
そうそう
私はちょうどその後にパンデミックがあったんで
途中からそうだもんね
しんどいっていう時に
学校来なくていいです
授業もないです
家から出ないでください
なんて最高なんだ
いっぱいいっぱいだったので
めっちゃやばいです
どこにも行かなくていいんだよ
いいですね
そういう瞬間あるよね
強化が深すぎて
でもあれもあの時間があったから
多分大学に行くのも
困ってたり
色々考え直したりしました
コロナなのはちょっと
僕には想像できないな
ラトビアって自然が豊かで
ちょっと歩けば公園があったりしたので
結構あんまり窮屈な思いはしなかった
精神的に
それはもしかしたら
日本にいるよりも良かったかもしれない
本当にそうです
ちょうど春が来る頃だったし
なるほどね
あれは私は嫌いではなかったですね
あの時間はね
いや分かるでしょ
そうそう
ただまあ合唱はあんまり
普通にやってた時よりは
できない時間が長かったので
本当は4年の予定だったんですけど
学部だけで
空白の時を
もうちょっとちゃんとしたいなと思って
大学院に行って
なりましたね
なるほど
それが色々こう過ごしているんじゃないかな
本当にそうですよね
今は大学院を卒業したのって