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2023-10-14 24:55

第159回「オペラ歌手は¨声を楽しむ¨声楽家〜だから私は色んな歌を歌っていきたい〜」オペラ歌手:翠千賀さん(中編1)

▶️2023年10月マンスリーゲスト
『オペラ歌手』翠千賀(みどり ちか)さん
▶️今回の内容(目次)
01:59  声を整えると人生が変わる
04:33  若い人たちへの期待と向き合い方
07:05  イタリア・ミラノでの留学経験
10:22  日本に帰ってきた意味
16:52  曲に関わる人たちの想いを乗せて歌う
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◉翠 千賀(みどり ちか)さん プロフィール
東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。イタリア・ミラノ音楽院 プロフェッショナルコース留学。イタリア留学中には、ミラノにて 「ラ・ボエーム」のミゼッタ役、 アルクアート城でルイージ・イリッカ 記念式典に招聘されるほか、 ミラノ市主催のコンサートに出演。帰国後、当時の新国立劇場 音楽監督トーマス・ノボラツスキー氏に認められ、新国立劇場にて、「ザザ」の主役(日本初演)、 瀬戸内寂聴氏書き下ろしオペラ「ジークフリートの冒険」ラインの乙女、ワルキューレ役、「スペーストゥーランドット」トゥーランドット役などを演じる。二期会オペラでは「蝶々夫人」 ケート役でデビュー。 その後宮本亜門氏演出 「フィガロの結婚」ケルビーノ、「地獄のオルフェ」ヴィーナス、「メリーウィドー」シルヴィアーヌを演じる。東京室内歌劇場では「魔笛」侍女Ⅱ、「コジ・ファン・トゥッテ」ドラペッラ、「マノンの肖像」(日本初演)ではジャンを演じ いずれも高い評価を得る。東京オペラプロデュース主催、新国立劇場公演では「ラ・フィアンマ」・日本初演のエウドッシア、同劇場 2014年10月公演「戯れ事の饗宴」・日本初演のジネーヴラ、同16年10月「クリゼリディス」・日本初演の クリゼリディス。その他、これまでにベートーヴェン交響曲第9番ソプラノソロ、 ペルコレージ「スターバト・マーテル」ソプラノソロ、ベートーヴェン合唱幻想曲ソプラノⅡソロなどを歌った。 メディアでは朝日新聞上で称賛されたほか、モーストリークラッシック、音楽の友等に掲載され、テレビ朝日 「題名のない音楽会」にも数回出演した。二期会会員。
2015年から、テレビ東京「THE カラオケ★バトル」に挑戦。番組から「高音オペラ魔女」と呼ばれ活躍中。年間チャンピオン、トップ7 に輝く。2017年3月8日「燿宴」(徳間ジャパン)よりCD デビューを果たす。2016年8月、宮本亜門氏演出のミュージカル「狸御殿」(新橋演舞場)で十六夜姫に抜擢され、悪役に挑戦し好評を得る。新国立劇場でオペラ「ビバ・ラマンマ」「エトワール」に主演。ソロコンサート「夜宴」を展開している。
(株)オフィスコットン Official Web Site
→翠千賀オフィシャルインフォメーション
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◉愛知北FMにて
第1・第3月曜日13:00~13:30
→『伊藤由美子のCozy Space』
→番組YouTubeチャンネル

サマリー

第159回「オペラ歌手は¨声を楽しむ¨声楽家〜だから私は色んな歌を歌っていきたい〜」では、オペラ歌手の翠千賀さんが音楽の指導者としての向き合い方や歌うときに大切にしていることについて話しています。翠千賀さんは様々な要素を通じて声楽を楽しんでいます。彼女の活動はオペラ界に新たな風を吹き込み、人々に感動と喜びを与えています。彼女は多くの攻撃的な歌だけではなく、昭和の名曲や失恋ソングなども歌いたいと思っています。彼女の話を聞くことで、皆も幸せを追求し、頑張ろうという気持ちをもらえます。

00:10
こんにちは。番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何か、ということをテーマに、あなたらしくいられるちょうど良い場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
伊藤由美子のCozy Space第159回。
2023年10月のゲストは、オペラ歌手のみどりちかさんです。
みどりちかさんのインタビューは、第158回から第161回まで、4回に分けてお届けします。
オペラ歌手の指導者としての考え方
インタビューの2回目は、音楽の指導者としての向き合い方や、歌うときに大切にしていることなどについてお話ししていただいています。
では早速、みどりちかさんのお話をお聞きください。
でもそれによって、例えば悩んでいたり、何か苦しかったことが少しクリアになると、歌が変わるってことですよね。
そう。声の波長って変わるんですよ。
わかります。私も3年くらいこのポッドキャストやってますけど、自分の声も聞くじゃないですか。もちろんゲストの方の声も聞けますよね。
これ本当に嘘つけないなと思うんですよ。収録して編集して聞くときに。
体調も上がりますもんね。
こればっかりはね、本当に正直、声、嘘発見器じゃない。
本当に嘘つけないなと思いますよ。
気をつけないと、そろそろみんなに分析されちゃったら大変ですよ。
あの時はユミックさん、あんまり乗ってなかったんじゃない?とか言われたのかもしれないですよ。
ここの1年くらいは全然大丈夫。最初の頃はまだ慣れてなかったからね。
緊張もあると思うんですよ。
ですけど、たぶんやっぱり声って変わるなって思いますね。
あと人に聞いてもらおうとすると、とにかくやっぱり声も張らなきゃいけないってことは、体も張るからすごく姿勢が良くなったりとか。
やっぱりね、オペラ歌手の大先輩の先生方とか90歳とかまだ皆さんお元気でいらっしゃいます。
誰一人としてね、背筋が曲がってないの?いないの?
姿勢が良いってこと自体もかっこいいですもんね。
そう、だから私はすごいなと思って言ってた。この間もね、93歳っておっしゃってたかな?
私が学生時代の時にいらっしゃって、在籍してた教授の先生にお会いした。
あら元気?みたいな感じでね。
そしたらもう私93歳よって言って、背筋がピッと。
もう素晴らしい。私もこうなれたらいいなって。
93歳で一人で電車に乗って東京の街を歩いてきて、スタジオまで来てるわけですよ。
なんか憧れのそういった先輩が周りにいらっしゃってすごい良いですね。
そう、本当にだからやっぱり皆さんストイックだから。
だからなんで先生お疲れになっちゃうからね、お家で配信見てた方が楽なんじゃないですか?
言ったら、何言ってんの?やっぱり生で聞いてあげなきゃダメでしょ?
私だからね、みんなが上手くなるまで死ねないのよっておっしゃってたけど、
でもやっぱりそうみんな同じ形なんだとか、やっぱり育てていく人材を見届けてから、
やっぱり自分が引退するなら引退したいんだろうなって。
そういうことなんですね。だから千川さんは歌い手としてもだけど、
教育者っていうかね、そういった歌を教える立場を両方やってらっしゃるから、
学ぶことの重要性と若い歌手たちへの期待
やっぱりその部分が先に見せていただいてる先輩たちの今の話なんですよね。
本当にだから若い子たちに私が期待しすぎる部分もあって、
この間も生徒、生徒っていうか弟子に問題受験の子もそうだし、
今問題出てプロになろうとしてる子も、やっぱり彼女たちは彼女たちに頑張ってる。
だけど私から見ると全然頑張ってないように見えるんですよ。
勉強量が身に染みて出てきてないの。
感じないんですね、それが。
私がやってた量に比べたら多分5分の1ぐらいしかやってないんですよ。
だけど今の子どもたちっていうのはどっちかっていうと自由に育てられてるっていうか、
それが良しとして育てられてる子たちだから、やらなきゃっていう量が少ないんですよ。
だから彼らの中ではもうキャパシティいっぱいでやってるけれども、
芸を磨いていくためにはキャパシティ以上のことをやっていかない限り、
人の上には立てないからっていう話をするのに、
やっぱり厳しいこと言わなきゃいけないじゃないですか。
そしたらやっぱり泣いちゃって、2人とも。
最近よく泣かしてます。
あんまり強く言われるシチュエーションがないのかもしれないし。
だから後で先生ありがとうって2人とも言ってるし、大体言ってくれるけど、
やっぱり僕は学校の先生にしろ、厳しいこと言ってくれないから、
絶対先生についていきますみたいなことを言ってくれても、
私の昭和期質なんでその辺はね。
でもやっぱり愛があるからこそ伝えたいってことあるんですか?強めに。
だから絶対に自分が教えた人は、1回でも教えた人は、
やっぱり上手だねってみんなに言ってもらいたいし、
あとやっぱりプライドを持って歌に取り組んでほしいって思いはやっぱりあるから、
ただやっぱりちょっとその道を外れた時に厳しく修正したくなっちゃうよね。
でもそれをクリアしていかないと、やっぱり本物っていう歌い手にはなれないんでしょうね。
なれないと思います。
自分のプライドをポキンと折られたぐらいで、
例えば怒ったりとか泣いたりしてるようじゃ全然ダメ。
もういいや、やめちゃおうとかってそれまで簡単に言っちゃったら。
それをこの野郎と思っていつか師匠を超えてやるって思う人だけがやっぱり上に行く。
それはどこの世界もそうじゃないですか。
やっぱりどんな業界でも同じでしょうね。
そこの道で仕事としてお金をいただいてやるってことはやっぱりそういうことなんだなって。
絶対そうだと思います。
イタリア留学とオペラ歌手としての成長
オペラ歌手になる前に、イタリアの方のミラノに留学されてるんですよね。
イタリアのミラノ音楽院のプロフェッショナルコース留学って書いてあったんですけど、
これやっぱりオペラ歌手になるための舐めに行かれたっていうことで良かったですか?
この時は明確にオペラ歌手になろうっていうよりも、
とりあえず留学っていう感じのアバウトな感じだったんですよね。
でもやっぱり向こうでいろんな、例えば劇場に出入りさせてもらったりとか、
人の技を盗む機会があると、やっぱり真似したくないじゃないですか。
そうですよね。
どんどんどんどんやっぱり人の真似をして吸収する方が、
学ぶっていうよりも何か盗んでやろうっていう方が自分にも刺激になるし、
上達が早いでしょ。
そこであれ私なんか前より全然上手くなってるかもみたいな感じになって、
やっとやっぱりオペラ歌手。
やっぱりイタリアに行くと上手い人いっぱいいるんですよ。
やっぱりだってそれは美しいし、骨格も違うし、
やっぱり私たち東洋人なんだって思い知らされることもいっぱいあったから、
これどうなんだろう、ダメなんじゃないかな、私見たら挫折する時もあるわけですよ。
そんな中でもやっぱり日々やってて、
先生、マエストラってその師匠に、
いいじゃないって言われたりすると、
私ちょいいいかも、ちょっと日本に帰っても頑張ろうかなって思えたりとかして、
でイタリアにいる間にちょっと本番の機会をもらったりとかして、
そうするとイタリア人の観客に褒められたりすると、
ますます一気になりますよね。
やっぱりその賞賛を受けたらね、やっぱりそれがまた次のエネルギーになりますもんね。
だからその時に言われたのが、
それはね、ローペラっていうオペラ雑誌の編集長がたまたま聞いててくれて、
日本でいう音楽の友みたいな有名な雑誌の編集長に言われたのが、
あなたは東洋人とは思えない様子を持っていて、
東洋人だけどね、だけど背が高かったりとか、
顔立ちも日本人っていう感じではない。
そして歌声もちょっと今まで僕が聞いてきた日本人の声とは違う。
だからもっとあなたが成長するためにもっともっと頑張ってほしいし、期待してるよって言っていただいて、
すごい悔しかったのが、その後日本に帰ってきて、
すぐにそのオペラ雑誌の主催の講演に出てくれって言われたの。
だけどその帰ってきたのが、イタリア経済危機まったくなかったんですよ。
で、行かなきゃなんていただけますかって聞いたら、
300ユーロしか出ないって言われたの。新人だからね。
300ユーロじゃ飛行機にも乗れないわけですよ。
で、ごめんなさい、飛行機代出していただけますかって言ったら、申し訳ないけど、
もう今回はこっちもカツカツの経済状況がやってるから出せないんだよって言って、
泣く泣く諦めたっていうのは。
だからあれでもし帰ってたら、また向こうでもうちょっと歌ってたかもしれないなって。
でももう日本帰ってきちゃったからね。
でも物事って全てがうまくいくために起こってるという風に考えるとしたら、
キカさんがそこで日本に帰ってきたっていうのにも今意味があるのかなと思ったんですけど。
イタリアでの経験とお化粧
あ、そうだと思う。それで日本に帰ってきて、2年もしないうちにカラオケバトルとかだから。
そうなんですね。
そう、だから最初の頃の私のお化粧とかめっちゃイタリア人、
イタリアにいる日本人の女の子みたいなお化粧の濃さですよね。
そうなんですね。やっぱり環境でメイクも近くなってきますからね。
だってね、街中ね、やっぱりウィンドショッピングとかをしてると鏡も多いわけじゃないですか、街中にね。
でね、ふんとね、ウィンドショッピングをしてて、ふんと鏡が目に入ったんですよ。
いやーこれずいぶん平たい顔の人だなと思ったんだって。
イタリア人に囲まれてるから自分が掘りが深くなってると思ってるわけよ。
この人かわいそうに掘りがなくてね、ぺちゃんこじゃない顔って言ったら私なわけよ。
え、地下産でそう思うの?
そう、だからどんどん目の周りのメイクが濃くなってくるんですよ。
どんどん掘りが深いようなメイクなんですよ。
びっくり。あの衝撃は忘れられない。
だからほんとにヨーロッパ帰りの日本人ありがちな、ほんと目の周り全部アイラインで囲ってますよ。
あれはね、掘りの深さとか目を強調して大きく見せるためですよ。
わかりますね。
でしょ。
どうする知り合いの人がメイク変わってますから。
でしょ。だからあれはね、ほんとね、頑張って掘りの深さを負けないように見せるためですよ、マジで。
あれは忘れられない、ほんとに。24とかも。
あれでもちかさん、もっと大切なことがある気がするんですが、日本に帰ってきた理由。
元に戻すと、やっぱりイタリアに滞在しているんじゃなくて、やっぱり出演できないこともあり、日本に今いるわけじゃないですか。
それってやっぱり意味があってそうなってると思うんですね、私の中で。
カラオケバトルも一個そうだと思うんですよ。
カラオケバトルって言いますけどね、あるテレビ局のカラオケのヘイスオフさん、チャンピオンに何回もなれて。
そこでやっぱりオペラっていうところが、やっぱりそういうところでちかさんを通じて少し短いなっていったっていうのが一つあると思うんですけど、
まだなんかある気がするんですよね。
カラオケバトルとオペラ歌手の融合
本当に何もわかんなくて言ってますよ、これ。
未来に?
未来に。
だから今ね、ありがたいことなんか、私は勝手に自分のやった一個成果かなと思ってるのが、
私がその某カラオケ番組に出る前はね、オペラ歌手がデンカを歌ったり、ポップスを歌ったりっていうのがね、タブーだったんですよ。
そう、そういう人は見たことなかったです。
それこそ本当その当時所属してたオペラ団体からは、バラエティーに出てる人はうちの団体にはちょっとそぐわないみたいな嫌味を言われたこともある。
もう今その団体いないからいいんですけど、悔しいなと思ったの。
だってオペラ歌手って声を楽しむ声楽家ですよ。
これ歌いません、あれは歌いませんって歌好きなんですよねって私の中で思っちゃうわけ。
だから私も大好きなミソランヒバリさんだったり、ポップスでもいいですよ、私チューブとかも歌っちゃいますからね。
でもそれを歌って何が悪いのって思うようになっても、私はライブでもいろんな歌を歌わせていたの。
そうしたらそれで2、3年後に経ったら今普通にオペラ歌手が歌う演歌の会みたいなのをやったりとか。
あるんですね。
そう。
すごい。
で。
シクラさんそこに負けずやったんですね。
そう。で、多分それは私が公にやることによってみんな多分そちらを受けるってのを知ったんですよ。
オペラ歌手聞きたいですね。
楽しいでしょ多分その方がね。だって技術はみんなあるわけだから。
で、そうしたらうちの師匠がテノーロの先生なんですけどね。
それこそ今パーキンソン病でもう喋れなくなっちゃったんですけど。
そうですね。
その前にねお前のね才能をね前からね僕は知ってますけど君は演歌を歌っても上手いんだねって言ってくださって先生がいらっしゃったら老人法、福祉施設に訴えに行ったの。
私はそれを認めてくれたねもう80歳の師匠ですよ。
頭固かったらそんなこと言えないじゃないですか。
もう泣けてきちゃって先生の前で。
だからその時に奥さんにチカちゃん泣きそうになってたでしょ。
先生も伸び年だよそんなの頑張りなさいよって言ってくれて。
テレビ番組とかも先生見てくれてるわけですよ。
もう今いろいろ喋れないけど私が先生これ出るよって言うと奥さんの二人見てくれて。
看護師さんも含めてみんなで見てるんだって。
やっぱり日本歌曲の大会だからうちの師匠は某私が所属してたオペラ団体の日本歌曲の会にお前は教えに行きなさいと。
君みたいに歌える人はいないからちょっとちゃんと教えてやってくれと。
そんなことって私にとって師匠にそう言ってもらえるって。
すごいまた鳥肌立ってる。
だからそれってもう私にとっては師匠に認めてもらえた瞬間。
もう師匠がこれでうがい悪くなかったら絶対一緒に歌いたかったっていう本当に大好きな師匠。
私は師匠は今亡くなった最初の14歳の時についた恩師と日本の今入院なさってる師匠しかいないと。
オペラ歌手としての翠千賀さんの使命
二人の私の恩師しかいないと思っていて。
もう一人は私がここまでになるまでに見ていただけずに亡くなっちゃってるから。
今そのねまだ頑張って病気と戦ってる師匠にそう言ってもらえて。
私より年上の生徒さんたちも教えて。
これが私がカラオケとかを嫌がらずにやった何かお褒美なのかなって。
もちろんお仕事も広がったし、いろんな方と出会えるようになったけれども。
やっぱり師匠の言葉はその一つで自分がどうでもとそれを歌っていい人なんだっていうお墨付きをもらったような気がする。
さっきの公演もねオペルも歌うし演歌も歌うし。
昔の昭和歌謡の名曲いっぱいありますけどそれも歌って。
私はいろんな方の歌手の方にあれこれちかさん歌じゃないかと思うくらいの曲もありましたからね。
そうでしょそれが私の狙いなんですよ。
そうなんだ。
だってカバーをするってことは私たちカバーのスペシャリストですよ。
だってモーツァルトが作った曲を何千人何万人何億人っていう人たちがカバーしてきてるわけですよ。
そうですよね。
歴史が違いますよね。
なので作った人たち例えば作曲家作詞家が作ったものをどうやって料理して皆さんの心の中にずっと入っていくかっていうのが私たちの仕事だと思ってるので。
そうなんだ。
原曲の元々歌われた方のことはリスペクトしつつ曲を一から命を返させるっていうのが私の使命だと思ってるので。
そういうことなんですね。さっき聞いたばっかりなんで私も完全にあれこれちかさんの歌じゃないかって本当に感じたからそういうやっぱり気持ちがあっての伝わってるんですねこっちに。
そういうことですよ。だからそれを地方に行っても歌わせていただいてそうするやっぱり皆さん同じこと言うんですよ。
あれってあなたの歌じゃないわよねって。違いますよ何々さんのですよって言うとあれってだいぶ違うんだけど。
本当にそれも超有名な曲ばっかり今日も歌ったじゃないですか。
その元々の歌手の方のイメージもかなり強めの方の個性が強い方の歌う。あれでもこれちかさんの歌でもいいぐらいみたいな。
それは私にとってはしめしめってやったってその解釈の仕方で間違ってなかったんだって。
だから本当に例えば今日、某タイトルがカネがついてるやつ。この間も歌ってきたんですよ。
そしたらもう皆さんが号泣しちゃったのね。
今日あの曲が一番私の中でヒットしてます。
あれでなんか皆さんのなんかちょっと辛かったこととかがなんか浄化されるみたいな感じみたいで。
浄化される感じわかります?
だからなんかすごいなんかこの間私それで逆にみんなにあれはねどこ行っても歌った方がいいよって言われて。
じゃあ入山氏でもちょっと歌おうかなーって思って歌った。
そうなんですね。浄化されるとわかりますね。
だからそれは本当に逆に作った方が素晴らしい。
そこもありますね。確かに。間違いなく名曲ですもんね。
やっぱりクラシックと違って作曲がスポットライトを浴びるってことがあんまり歌謡曲の場合ないのでね。
素晴らしい方たちなんだけれどもこの人の曲ですっていう感じで歌うわけじゃなくて歌ってる方がスポットライトをやっぱり浴びちゃうから。
やっぱりそれも曲を楽譜としてやっぱり見直してあげて作り直すっていうのは絶対必要な作業なんじゃないかなって。
そこはやっぱり千香さんが丁寧にやってらっしゃるからの歌なんですね。
だからほら翼の歌の時もちょうどタイミングよく。
タイミングよくね。私のラジオ番組に出ていらっしゃった方がいらっしゃいますけど。
でその後でしょ私が歌ったの。
本当に。
全然解釈の仕方が違うと思うんですよ。
そうですね。
だけどあれもすごい評判が良かった。
私作った方もすっごく嬉しいと思いますよ。
ただみんな残念ながら聴いてもらうチャンスがないからね。
その大元の方に。
そうですね。
生で聴いてもらって。
そうですね。
オペラ歌手としてのイメージ
聴いてもらってっていうのがやっぱり本来はね。
昔はやっぱりそうじゃないですか。
この声を聞いてこの情報を聞いてこの子だったらこういう歌を作ったらいいのかなって。
今は作る方が先になっちゃってるから。
そこはねいつかそういうのができたらいいなって。
みんなやっぱり私のオペラのイメージが多くて。
攻撃的な歌がすごい多いと思ってるから。
ちょっとそこはね。
これをやりたいことがない。やっぱり。
そうなんですね。
これ多分こうやって喋ってると。
ここね、1年2年3年かわかんないですけど。
実現してる気がしますね。
じゃあ大笑いしましょうね。もし本当に。
最初に予縮しときましょう。
ちかさんおめでとうございます。
このアルバム楽しみにしてたんですよ。
数年前に言ってたじゃないですか。
そうはやりたいですよね。
やっぱり言うと実現が早くなると思うんですよね。
言葉ってあると思う。
絶対あると思います。
だって今の曲いいですもんやっぱり。
そうね。だから生まれ変わらせる。昭和ってとにかくいい曲がいっぱい。
いっぱいありますよね。
だから本当に生まれ変わらせるっていう作業はやって全然逆に新しいと思うんですよね。
そうですね。本当に若い子も昭和の歌すごいフォーカスしてる人多いじゃないですか。数年前から。
それっていうのは年代経てもいいものはいいっていう証明ですよね。
そうなんですよ。
いい意味でシンプルじゃないですか。構成が。
後で聴いた後にどういう人だったのかなこの人とか。宿題が残るの頭にする。
情景もイメージしやすいじゃないですか。やっぱりその絵が浮かんでくるとか。
自分がやっぱり口ずつ見たいって思うような曲がやっぱり多いと思うんですよ。
あとすごい失恋した時に歌がなくなってしまうとか。
ありますよね。そういうのは。
そういう曲もやっぱり今だからそれが残ってるんですよ。
そうですね。
じゃあずっとそういったものをちょっとね。
やれたらいいな。やります。
昭和の名曲や失恋ソング
やります。
言霊積むかもしれない。
そうですね。これどっかで伝わると思うんですよ。
やりたいよね。
こういう話は本当に楽しいですよね。
あと人が幸せになっていくのをその時に見れるみたいなみんなの笑顔を作ったりとか。
そうですね。やっぱりそれはね。
最高ですよ。
私の場合は建築士なので家作りをもともとやってきて。
それはやっぱりこうね。
だって幸せを作るために。
作るために絵を作るわけじゃないですか。
それが徐々にラジオ番組になってきてる。
それがね。本当にすごいと思いますよ。
でもこれは私の話なんですけど。
ただそれもやっぱりこの番組を聞いたことによって、
ちかさんのお話を聞いたことによって
私はこういうことをやりたいけど、
ちかさんがそうやって苦労もしてきたけど、
でも乗り越えて今楽しそうにやってるっていう声を聞いて、
じゃあ私も頑張ろうっていうのも幸せをもしかして伝えてるっていうことも
どっかあるじゃないですか。
それは楽しいと思うと一緒なんでしょうけど。
本当に。
だから昨日ね、西川美禰子さんでお舞台を見に行って、
14回死にかけたっておっしゃってたの。
昨年?
昨年ですよ。
それで私も何か調べてないかも分からないですけど。
みどりちかさんにご登場していただきました。
次回も引き続き、みどりちかさんに
ワイン輸入会社の社長としての活動についてお話していただきます。
番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は、
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新しく配信されたものがスムーズに聞きますので、
番組登録をよろしくお願いします。
この番組は音楽事務所ロイスタープロダクションの提供でお送りしました。
それでは次回もお楽しみに。伊藤絵美子でした。
24:55

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