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皆様こんにちは、Kota Yanagishimaです。
今回が3回目となるシリーズ、佐藤拓さんに聞く。
前回から、拓さんの人物像についてお話を聞いているんですけれども、
今回は、拓さんが大学を卒業して、そしてイタリアに向かう、そこからスタートです。
どうぞお楽しみください。
その後、イタリアに来て、声学を学ぶっていうのはそれですか?
そうですそうです。でもその前に色々こう、色々あって、
一回実家に帰って、東京に住む必要ないので、実家に帰って、
実家の高校の時の音楽の先生に、
それまでピアノもソルフェイジも全然やったことがないから、
独楽でしかやったことがないから、
全部ついて習おうと思って、
毎日先生のところに通って見てもらって、
最初は実はドイツに行きたくて。
ドイツ。
ドイツ文学専修だったし。
そうなんだ。
そう、ドイツ文学専修。
ドイツ文学全然やってなかったけど。
ドイツの音大行きたいと思って、
何にもわからずに質問だけしてドイツに行った。
いいですね。
音大を行って受験したけど、当然通らなくて。
その後、せっかく来たからと思って、
半月くらいドイツとかフランスあたりをぐるぐる旅してて、
やっぱりこっちで勉強したいと。
ヨーロッパで勉強したいと思って。
当時ならせた歌の先生が、
イタリアにもともと強いでしょ。
イタリアだったら紹介できるんだけどなって言われたのを
断ってドイツに行ってた。
イタリアならっていう話で、
あんまりその時点までイタリアに興味がなかった。
でもやっぱり、
勉強するならまず一回イタリア行ってみようかなと。
歌の本当に基本を勉強したいと思って、
イタリアに行くことを決めて行った。
それもイタリアに行ったら、
本当は向こうの音楽院に入ろうと思ったんだけど、
先生に、行きゃ入れるよって言われて、
そんなもんなの?と思って。
行って、先生を見つけたら入れるよって言われたんだけど、
なんか俺が行った年に、
法律が変わってて、
海外の留学生は、
自分の国の
イタリア大使館を通じて受験をしなさいっていう風に
法律が変わってた。
日本だったらイタリア文化会館を通じて受験をしなさいっていう風に
法律が変わってて。
えー、そんなこと?
で、それは僕の先生も知らなくて、
でも行っちゃったからもう。
えーって言ってまた帰って、
あれこれ嫌だなと思って、
とりあえず1年間だけは残って、
もう先生を見つけてたんで。
もう滞在が決まって、
そうそう、もう1年滞在できるっていうことは確定してて、
その、語学学校のビザが出てきて。
あー、そっかそっか。
で、1年はですね、
一年は行けるって決まってたから、
で、先生も見つかって、
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その先生のとこで、
とりあえず1年は学ぼうと。
で、その先生が音楽院に推薦してくれて、
入れるよって言われたんだけど、
いろいろあって、
ちょっと思うところがあって、
日本に帰ってきて、
その思うところの話はちょっと長くなりますな。
えーと、
聞いておきましょうか。
あのー、
これもちょっと民謡とかの話に繋がる話なんだけど、
留学してたのが2005年で、
2005年の夏に、
京都の、
京都で合唱シンポジウムがあるっていうので、
で、
そのオープニングのコンサートと、
あの、
四季砲バスタークラスのモデル合唱団に、
当時僕が参加してたジャパンユース合唱団っていうのが、
出ることになって、
松原千鶴さんが指揮をして、
あの、
そのジャパンユース合唱団になって、
松原千鶴さんが指揮をして、
で、
それに呼ばれたのね。
で、それもぜひ出てほしいと呼ばれていって、
で、オープニングのコンサートもあって、
確かね、松下剛さん指揮の
カリボシキルーターのソロかなとかやってたんですよ。
へー。
オープニングで。
なんか全く記憶になかったけど、
やったな。
で、あの四季砲バスタークラスのモデル合唱団で、
自分も歌って、みたいな。
で、ジャパンジムのいろんな合唱団を見たときに、
なんか海外から来る合唱団みんな素晴らしくて、
で、日本の合唱団が出てきたときに、
これ言うと怒られるかもしれないけど、
面白くないなと思ったんですね。
日本の合唱団の演奏が。
すんごい難しい曲をめちゃくちゃ正確に演奏してるんだけど、
で、ちょっと日本的な要素を入れた。
民謡を題材にしたものとか、
日本の伝統芸能を題材にしたような曲をやって、
何にも面白くなくて、
あれ?と。
で、海外の当時すごい話題になったオスロ室内合唱団なんかも、
すごい感動したし、
フィンランドの女性合唱団なんかもすごい感動したし、
インドネシアの合唱団なんか踊り付きで、
すごいよね。
伝統舞踊付きでなんか合唱やってたりしたのを見たし、
あと、アフリカのどっかのケニアかどっかの合唱団が来て、
歌ってたんだけど、
ハーモニーの精度っていう尺度から見たら、
全然ハモってないんだけど、
すごい楽しそうに自分たちの音楽を踊りながら演奏してるのね。
それもすごい楽しかった。
1個の評価軸がなくて、
全部その合唱団のそれぞれのいいところだけを見て楽しめたんだけど、
日本人だけは、
みんながみんな何かの軸に沿うように演奏してるように見えたのね。
何かの軸?
コンクール的な軸だと思うんだけど、
つまり難しい曲を正しく演奏しようっていう軸が
どの合唱団にもあって、
面白くないなと思ったのね。
唯一日本の合唱団で楽しかったのが、
タジミ少年少女合唱団。
北越義夫っていう柴田美奈夫さんのシアターピースやってたんだけど、
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手回りしながら手回り歌を歌うとか、
縄遊びしながら手遊びしながら歌うっていうやつがすごく面白くて、
それだけが会場で唯一スタンディングオベーションを受けた。
タジミ少年少女でしたね。
タジミ少年少女。
僕も実は世界合唱シンポジウムに行ったのが、
それから12年後、
2017年にバルセロナの世界合唱シンポジウムに行きまして、
僕はその時ドイツ留学中だったんで、
師匠のザール・ブルック・リスナー合唱団という合唱団が出演したんですけど、
その時タジミ来てて、
日本の合唱に対する一般的な思いみたいな、
留学前すごく問題意識みたいな、
ちょっと今タクさんがお話ししてたようなことも似てるかもしれないんですけど、
あったりもしたけど、
だんだん日本の合唱のイメージがもはやドイツで6年生きてしまった。
自分がドイツ人には慣れないんだけど、
そっち側が自然になっちゃって、イメージなくなってた。
っていう中で、結構衝撃的でしたねタジミ。
何やったのかちょっと忘れちゃったんだけど、
結構お客さんもすごいびっくりしてて、
逆に僕はそれが良くて、その時びっくりした。
結構ヨーロッパの合唱も、
面白いものと面白いものじゃなくてないものがあるなって、
いうことに気づいて、結構いろんな演出とかしていろいろやってるんだけど、
なんで?みたいな。
なんでが出ちゃうやつと、
なんでが出る暇がないやつがあるっていう感じがしてて、
タジミはその時もすごかったですね。
っていう話でした。
それを見て、その後イタリアに帰って、
いろいろ反芻していて、
どうしては上手いのに、
関心も感動もしなかったのかっていうと、
タジミの歌なんてほとんどユニゾンで、
オケツギフって、
遊び歌をカノンとかユニゾンで歌ってるだけっていう、
すごい単純な曲なんだけど、ものすごい楽しくて、
他の国の合唱団の歌ってる曲も、
全然難易度で言えば難しい曲はほとんどなくて、
シンプルなハーモニーとかなんだけど、
何が違うのかっていろいろ考えたら、
やっぱり自分たちのその文化的な伝統に、
通じているかどうかっていうのが一つと、
深く通じているかどうかっていうことと、
あと一つは声だなって思ったんですね。
ちゃんとその人たちがその曲を歌うための声を持っていて、
このが歌いやすいよね、
これがこの曲にはちゃんと合うよねっていう声の出し方を、
分かってて演奏してるような気がして、
それは日本の合唱団には、
それはなかったかなと思って、
みんなやっぱりよく訓練された、
アンサンブルに適した声でみんな歌ってるんだけど、
それでは伝わらない曲が多かった。
と思ってて、
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じゃあそういう声って何なんだろうとか、
日本の伝統的な文化って何なんだろうっていうことを、
それまで全然自分はちゃんと勉強したことはなかったし、
イタリアにいたらできないと思ったよね、
そういうことをね。
このまま音楽院に入って3年4年いたら、
今すごく関心を持っているこの問題に対して、
イタリアからはアプローチできないと思って、
で帰ろうと思って。
1年のビザの期間を終えて、
日本に帰って、
日本でその勉強を少しずつ始めていこうという風に思って帰った。
そのシンポジウムがきっかけで。
なるほど。
面白いな。
日本に帰って、
そうしないと分からないですからね。
僕も留学しましたけど、
自分が着たことがない服を着るみたいな体験で、
それを着続けているとそれに似合ってきたりするんですけど、
結局でも何が学ばれたかというと、
ドイツ人にはならない。
ドイツ語がネイティブにはならないし、
でもいろいろな語法がすごく、
自分のお腹の中に伝わってくるような体験をいっぱいする。
あるいはそれに伝わりきっている人を見て衝撃を受ける。
僕はその師匠のザーラブル研修室内で6年、
ほぼ留学期間一緒に歌い続けて、
結構ヨーロッパ中に回りましたけど、
結構いろんな曲をやる。
キャッチーな曲もやるし、
かなりモダンな、ぶっ飛んだ曲もやる人たちでしたけど、
マックス・レイガーの3つの合唱曲という、
アカペラの3つの合唱曲、
30何番だったかな、があるんですけど、
それを演奏して、
レイガーの、しかも初期のエグいやつです。
いっそのこと自由にようにしてくれみたいな。
わけわかんない気持ちを上げてきて、
すごいみたいな感じのやつで、
めちゃくちゃ難しいんですけど、
でもそれがある程度通った時に、
自然なんですよね、演奏すると。
その難しさを、
難しさそのものとして捉えていると、
絶対見えてこない部分があって、
いわゆる、つまり和製でいうと、
百葉カデンスですよね。
調整が30に、
いろんな違うレイヤーの調整にワープして、
転調して転調して転調して、
いろいろ繰り返していると、
違うとこにいました。
そういう、いわゆる高輝度マガ的和製なんですけど、
それってなんかカッコよさを感じたり、
リハルト・ストロースとかカッコいいじゃないですか、
カッコよさを感じたり、
思うんだけど、
それに、それが、
そうである理由みたいな、
っていうのが、
しっくりきてなかったんだけど、
その演奏を、
聴いたっていうか、一緒に歌ってたんですよ。
すごい、
すごい正座に行く瞬間があって、
うわーって思ったんですよね、
その時の高音で、
しかもこれがコロッて行っちゃうんだっていうことを思った時に、
12:00
これは、
叶わないぞってすぐ思ったけど、
それが、
これは、叶わないぞってすごく思った経験があって、
たぶん逆に言うと、
精度で、精度だったら勝てるかもしれないと思いますね。
いろんな、あと練習の集中力とか、
向こうの人すぐ集中しなくなっちゃうのでね、
すぐ飽きるので、
指揮者も大変なんですけど、
でもなんか、
そのなんかしっくり、
なんていうの、しっくり行けるっていう感じ、
しかもあまりにも自分がこんなに複雑で、
一応分析とかするわけです、
だから、
しかも和製的な複雑な分析の方法を、
すごい手ほどきを受けて、
直後とか、理論家の先生とかのところに行って、
めっちゃオタクになって、
途中で、なんだこれはみたいな感じで、
なんだけど、
でも聞いたら、
ストンって感じがする。
ストンかよみたいな。
あんなに作画を考えたんで、
ストンかよみたいなのとかあって、
それが、
そう、
それもっと知りたいし、
この分野でもっとそれも馴染みたいと思いながら、
じゃあ私は何を持ってるんだろうって、
一つの大きな課題点かなっていうのは、
その時すごく感じましたね。
だから多分、
そういう意味で、
僕は帰国するかしないかっていう選択肢って、
僕自身の留学が、
卒業まであったので、
大きくエスパンで行って、
途中帰ったりしてましたけど、
その後、向こうで、
日本人合唱指揮者としてやっていく、
っていうプランもなくはなかった。
実際合唱では持ってたし、指導してたし、
かなり関係もあったし、
もちろん仕事としてもまあまあ成り立ってたし、
それをちょっと拡大していくと、
サバイブできるようなイメージはあったけど、
やっぱり帰ってくることにして、
っていうのは、
何回もたくさんおっしゃってたことと、
ちょっと似てるかもしれないけど、
結局だから、
自分で考える、
自分の、
言語化もできないしわからないんだけど、
自分の内側に、
ある種、
もともとあるであろうものを見つける、
作業みたいなことは、
ずっと外側の服を着てるとわからない。
だから、どっかで脱がなきゃいけないんだろうな、
っていうのがあって、
他のいろんな要因もありますけど、
そういうことで、
ちゃんと変えてやろうっていうのを、
今、たくさんと話したおかげで、
そういえばそうだったなって感じがしました。
あとね、
その話でちょっとだけ、
わき満ちそうに思い出すのは、
名前出すのがいいのかな、
向こうで日本人の有名な作曲家系の知識者の方と、
お会いして、
しゃべることがあって、
入学中、
卒業するのがだいぶ前ですが、
卒業の後半ぐらいに、
会って話すことがあったんですけど、
日本に帰るかはまだ決めかねてます。
15:02
彼は即答で、
母国語の国で帰って活動するべきだと、
はっきりとおっしゃってたんですよね。
そういう感じ、
その時は、なんでって思ったんだろうな。
うーんって言いながら、
なんでだろうなって思ったんだけど、
でも、確かにそうなのかなって気がします。
僕が帰ってきちゃったから、
そのバイアスが絶対あるので、
中立的なことを言えている自信はないけど、
でも、これは必要なことだったのではないかと、
思っていますね。
日本に帰ってきて、
イタリアで政学を学ぶのがこれで終わったわけですね。
そうですね。
その後、いろいろな日本での、
いわゆる探求する活動をやろうと考える、
っていうふうにおっしゃってましたけど、
どういうことを実際に行ってきたのか。
それが全然、何を勉強すればいいのか分かっていなかったので、
そうですね。
そもそも、自分がいいなと思う演奏の形から入って、
真似してみるみたいなのがあったけど、
それもちょっと違うなと思って、
やっぱり本質的に、
もっと根っこみたいなところから掘り当てていかないと、
僕がシンポジウムで聴いて感動した海外の合唱団の人たちの、
あれはもう本当に上積みだと思うんだよね。
出てきた表出でしかない。
ああいうものはやっぱり根っこから出てこないとないんだろうなと思って、
あれこれ、もっと帰っては来たけど、
やっぱりちょっといろいろ自分を活かしないといけないと思って、
外に出たいという欲求がずっとあったので、
ワールドユースクワイヤーを受験して、
ワールドユース行ってみたり、
あとアジアユースクワイヤーというのもあったので、
そこはアジアのメンバーだけが集まるから、
比較的近しい文化を持ってるかなと思ったけど、
行ってみたら全然みんな違くて、
インドネシアの人たちなんかすごい、
自分たちは日本に比べて合唱文化遅れてるみたいなことを
インドネシアの人たちが言ってたんだけど、
でも間違いなく作品のレベルじゃないんだよ、
作品がインドネシア人しか書けないっていう意味でのオリジナリティは、
多分日本にはないようなものはたくさんあったし、
演奏のレベルもすごい高かったし、
その人たちから受けた刺激も大きくて、
20代の帰ってきてからは、
結構そういうあちこち行って、
とにかくいろいろ歌ってみると、
民謡とか民族音楽に限らず、
いろんなものに触れるっていう機会を得ようと思って、
その中で少しずつ固まってきたような感じ。
30代に入ってからは、
20代の留学から帰って、
4,5年は全然仕事もなくて、
音楽の仕事ほとんどなくて、
自分でお金払って参加する活動の方がむしろ多くて、
18:02
30を超えたぐらいから仕事が増えてきて、
稼ぐようになってきたときに、
一回自分でそういうものを表出してみようと思って、
男性合唱で日本の民謡をやったことがあった、
31歳のときに。
それは、おそらく民族的なものをちゃんと合唱で表現してみたいと、
最初のきっかけだったと思うけど、
それが結構うまくいったんですよ。
できるだけ元の民謡の雰囲気を
歌っている人たちが感じてやってほしいと思って、
もうそんな民謡が残っていないんだけど、
現地まで行って、当時歌っていた人にヒアリングしてくるとか、
ちょっと歌ってもらうとか、
フィールドワークみたいなことを重ねて、
それを合唱団にフィードバックして、
みんなに伝えていって、
いろんな映像を取り寄せてみんなに見てもらったりとか、
ということを繰り返して、
いわゆる普通のクラシカルな声ではもう歌えないでしょ、
というところまで行って演奏するっていう。
それは結構自分の中では冒険だったんだけど、
もしかしたら怒られるかもしれないと。
この演奏を聴いた人に、
なんだこの声は。
邪道だな、ニロ者だなって言われるんじゃないかと思ったけど、
思いのほか好評で、
その曲を初め、小山清茂さんで4つの仕事を。
その曲をおそらく初めて演奏したのが、
久坂部義彦さん。
同志者グリーがどこかで演奏してた。
初めてか2回目かな。
久坂部さんはすごいその曲に思い入れがあったんだけど、
その演奏を聴きに来てたの、久坂部さんが。
あらあら。
久坂部さんが当時、今から50年くらい前にやった演奏は、
しっかりと訓練されたクラシックな声で歌う民謡で、
いわゆる同志者のちゃんとしたきれいなトーンの声でやってたんだけど、
はいはいはい。
これは久坂部さん怒るんじゃないかな、みたいなことをよく練習中に言ってた。
久坂部さんと打ち合いの限定でお話しする機会があって、
あらあらこれ怒られると思って。
怒る気がしたね。
久坂部さんが挨拶をしてた、打ち合いの席で。
第一声でいきなり褒められて、
あずさの仕事だったらね、
あれですよって言われて。
あれが民謡なんですよって言われて、
すごい。
ほっとしたと思って。
でその後挨拶して、ありがとうございましたって。
僕もね昔やったけど、昔はああいう風にはできない。
やっぱりみんなやっぱりああいう声は出せないから。
よく勉強したねみたいなこと言われて、ほっとしたっていうのは。
それで自信をつけて、こういう演奏でもいいんだと。
ちゃんと評価してくれる人はいるんだと思って。
逆にあれですよね、そういう声がこうだったみたいなので、
そういうそれがただ、
全員でそれを良しとしていたかどうか分からない。
イメージはもっとあって、
だけど方法がなかったみたいなこととか、
資料がなかったとか、
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実際にね聞きに行って。
それは具体的な説得力を持ちますよね。
それは本当に当時試行錯誤で、
答えでもなんでもなくて、
とりあえずこうじゃないかっていうものを提出してみたんだけど、
歌ってくれた人たちも、
聴いてくれた人たちにもすごい評価していただいたので、
じゃあこの方向性でいって間違いないんじゃないかと。
ただやっぱり、
メソッド化できないのでそれは。
とにかく聞いたり、真似したり、
体を動かしてみたりとか、
その時も演奏に実際体を動かす行為をつけたりしたので、
そういったことで変わっていくもの、
声の必然性みたいなものに少し気づき始めて、
声の必然性。
こういう曲だからこの声を出そうっていう、
そういうものじゃなくて、
結果としてそういう声が出てしまうっていうことが、
民謡の場合特に重要なんじゃないかなって。
その通りかもしれない。
こういう声色があって、こういうサウンド感があって、
逆に合唱だと、
ヨーロッパのサウンドに近づこうみたいな、
話もあるじゃないですか。
ヨーロッパのサウンドは、
みんなこれくらいの周波数で行ってみたいなのから、
やってるわけじゃない。
結局例えば言語に起因したり、
骨格には起因しないと僕は思ってるんですけど、
特に言語に起因している。
あと部屋の残響とか、
そのフィードバックの感覚とか、
その積み重ねでやっぱりああいう感じで、
そしてハーモニーがガスッと入りやすかったりする状態だったり、
するわけですよね。
すごい思ったのは、
僕はドイツの合唱団で、
男性合唱団のカペラリンブルクっていうのに入っていたんですけど、
僕が帰国した後、僕の手を伝って、
日本公演があって、
2018年に東京と松山と福岡で3カ所公演したんですけど、
どこだったかな、
全然響かない会場があったりするんですけど、
全然響かない、
いずれにせよ彼らは教会で歌う少年聖歌隊のOBなので、
聖歌隊で歌うスタイルなんですけど、
だから超でっかいリンブルク大聖堂ってめちゃめちゃ残響ある。
東京カテドラと同等かそれ以上。
すごい響く。
ところどころで歌うのが当たり前なので、
そういう歌い方なんですけど、
響かない、
それに比べたら日本のホールはどこも普通、
コンサートホールなんで、
残響だいぶ抑えられてますけど、
歌い方変えないんですよね。
歌い方変えなくて、
結構デッドなとこでも、
同じように歌う。
でもそうすることで、
なんて言うんでしょうね、
響くんですよねホールが。
不思議なんだけど。
その残響がある、
記憶が彼らの中にあるから、
それが人々の間につながって、
そのイメージが湧き立っていく。
ある意味ヨーロッパのサウンドっていう。
24:00
ヨーロッパのサウンドって、
自分で言い始めてあまりにもざっくりしているこの名称ですけど、
そういう、
それこそ体験的なものとか、
しかもその繰り返しで記憶されたものとか、
それが出ちゃったところに存在するっていうのは、
やっぱ同じだと思ってて、
そのアプローチに立ち返るっていう行為が、
絶対必要だと思うんですよ。
結果として、
ヨーロッパと同じにならなくてもいいと思うんですね。
クラシックであるにしても。
それに必ず立ち返るっていうことを指導したいなと、
日々思いながら生きています。
さっきのレイガーの話、
多分その和製振興には必然性があったんだと思うんだよね。
あったことを知らされました。
そういうところに立ち返ると、
日本人は日本の日本語と日本の演奏の環境と周囲の状況から、
こういう声になっちゃうとすれば、
それを良しとしたいっていうのはあるよね。
劣等意識を持ってほしくないし、
それがヨーロッパの人たちと違うから、
劣っているのだじゃなくて、
そこからスタートして、
その美を育てていくにはどうしたらいいかっていうことを、
やってないんじゃないかなって思う。
僕もこんなこと言ってますけど、
やっぱりどこかでは一つの様式がある。
その様式に従う歌い方を入れていくっていうことで、
ある意味で人々の生活感を変えるとか、
影響を与える試みをしているというふうに言い方ができるのかな。
逆に言うと真っさら、
真っさらでもないんだけど、
割と日本の文化っていうのは、
オリジンが全て自分の内側にあるというよりは、
結構色々なものの影響を受けていく。
それを取捨選択して、
タロコスパゲッティができたりするんですよね。
タロコスパゲッティ作りたいなって感覚がすごいあって、
取り込みをメソッドだったり、一つの要素だったり、
そういう単位で、それ自体がすごく説得的である、
コンビンシングであるものについては取り入れていって、
自分のものとするように、
鍛錬も必要かもしれないですけど取り入れていって、
その上で、
自分みたいなのに慣れていってもらえたら嬉しいなって、
いつも思ったりはするんですけどね。
27:03
民謡がそれがすごく鍵になっていくってわけですよね。
そうですね。
今だんだん日本の民謡を、
たくさん歌ってみることを通してっていうこともそうだし、
それを今、さっきの31歳でしたっけ、
男性合唱の日本民謡の特集の講演をやって、
それを自分が持ってきたものを、
みんなに聞かせてなんとかして、
なんとかっていう、
なんとかとかポッドキャストで使えるのかっていう、
すごい疑問が残りますが、
このまま全然切らずに聞こうと思いますけど、
いう体験があるんですけど、
だんだん合唱識者っぽくなってきてますけど、
合唱識者になろうとしてました?
合唱識者になろうと思ってたかな。
歌の方にやっぱり批准がずっとあったかもしれない。
でも、民謡に興味が増していくと、
どうしても合唱でないと表現できないものが増えてきて、
複数人って意味ですかね。
一人で歌う民謡っていうものは少ないので、
日本の民謡って集団で歌うものは結構あるから、
その何人かで歌うことの面白さを実現しようと思うと、
合唱にしたい。
伝えるためには指揮者として前に立てたほうがいい、
みたいな感じになっちゃうっていう。
いいですね。
その31歳の時にやった演奏は、
結局僕も歌ってました。
合間に自分のソロを入れて。
この民謡が歌われてた時に、
一緒に多分この歌も歌われてただろうっていう、
ソロの曲を勝手に入れて挿入して、
その後この合唱曲を歌う。
ちょっとだけシアターピースっぽい構成に変えて。
かっこいいな。
映像とか残ってないですか?
その時の映像が残ってないのは、
大阪のシンフォニーホールだったんだけど、
その中でビデオの許諾量がえらい高いらしくて、
音しか残ってない。
今度セミナーで音だけを聴かないと。
あ、マジっすか。
YouTubeにも上がってるので。
それは聞いてみなきゃ。
面白いな。
それもいいですね。
合唱指揮者になりたいっていうのは、
結構横島な感じがする。
なんて言うんでしょうね。
それはそれで僕は好きで、
そういう人も好きですけど、
横島さんに正直であることはいいことだと思うので。
指揮をして、
自分の表現を表出するっていうことも
面白いと思ってるけど、
それ以上に何か合唱団の人を
この歌に導いて体験させてあげたいっていう感じの方が強い。
30:03
僕はこの音楽、この歌いいと思うから、
みんなで一緒に歌おうよみたいな
感じの役割をすることの方が、
今は多いような気がするかな。
結局指揮って何してるかっていう話があるんですけど、
いろいろあるじゃないですか。
4日でオーケストラを統率して、
4日目の夜に演奏会するみたいな。
それを滞りなく行える人みたいな。
例えばそういうポジションもあるかもしれないけど、
僕の先生が言ってたのを今ちょうど思い出したんですけど、
自分が触れている音楽を読み込んで、
半分自分の身体のようになって、
心からいいと思って、
それを人に伝えたいと思った時に指揮者だよ。
だから指揮っていうのはテクニックはもちろんあるけど、
テクニックではなくて、
それを語る能力だということを言う。
手を通してとか、
あるいはすごくエクストリームな形だと、
それを聞いている自分の姿だけ。
内側で。
それで触れるみたいな。
いうことがあったりもしましたね。
割と指揮下に入る罠みたいなのがあって、
そういうことがなくなっていくんですよ。
ここでこうでしょみたいな。
ここでこう閉じるでしょみたいな。
ボッドキャストでは伝わらない。
やってるんですけど、
そういうことがどんどん頭に入っていって、
あと和製分析して、
次サブドメイナーズ飛んで、
次がパラレルの、
SPで、DPで、DDで、TSDTみたいな、
いうことをやっていくと、
どんどん忘れちゃう危険があるんですよね。
どの分野にも言えることなのかもしれないかなと思うんですけど。
そういう意味で、
しかも特に職業として、
それをやることになってきている場合に、
職業としてそれをやっている。
教える人である。
みんなにアウトプットしなきゃいけない。
そこがすごく軸になると、
危ねえなっていう感じがすごいしてて。
自分の内なる声があって、
民謡聞きたい音楽があって、
知りたい音楽があって、
そうして巻き込みたい人がいて、
指揮者をやるっていうのは、
ある意味理想的なスタイルなのかなっていうような気がしました。
すごいニッチな場所にいつもいる感じがするけどね。
それがだからそうありたいんじゃない?
逆にどうですか?
お母さんコーラス25団体持ちたいとか。
お母さんコーラス25団体?
難しいね。
それはそれで楽しいかもしれないですね。
それは面白みを見つけるとは思う。
始めてしまうと。
たくさん言ってきた話からすると、
ある種、自分の声があるいは日本人の声がこうであるっていうことを、
33:02
それをマイナスとして捉えてはいけないという話があったから、
逆に言うとあらゆる人と音楽ができる。
あらゆる人の音楽を見つけてあげられる力があるのかなって。
あるいはそこに視点があるのかなって気がします。
特に最近ボイントラ始めてそれはちょっと考えた。
この人の声を強制するっていうことはもう一ミリも考えてなくて、
できれば自分の声を好きになってほしいと。
自分の声のいいところを見つけて、それを育てて、
最終的に自分が歌っているその声を愛して生きてってもらった方が絶対幸せだと思って。
僕は自分の声好きだし嫌いなところもたくさんあるし、
なるべく自分の好きなところを良くしたいと思って。
嫌いなところはいずれなくなるだろうと思うし、
嫌いなところも突然好きになったりするし。
10年前まで自分のこういう声嫌だなと思ってたのに、
今何にも思わないところか、いいんじゃんとか思っちゃったりするっていう。
そういうのを個人ボイントレでもやってるけど、
合唱団の時もやっぱりそこを少しだけ気にしてるかな。
聞こえてるのはマスのサウンドなんだけど、
その一人一人の人たちがあんまり否定的に自分の声と向き合わないようにしてほしいっていう。
そこ結構重要なポイントですね。
僕このポッドキャストのたくさんとしゃべるシリーズの前に、
オンラインコーラスについて3回にわたって話したんですけど、
僕そのオンラインの合唱っていうのは、
ズームで練習したりリモートで録音したものを聞くことで、
個人の声に。
逆に言うと個人の声がものすごく鮮明に知ることができて、
あるいはこれまではそこまで聞けてなかったなっていうことにすごく気づかされる点がありましたね。
個人の問題っていうことが、
マスなんですよね。
マスでこういう何か、ここがこういう風になってるから、
こういう課題ってあるからこうやって伸びていこうよって。
このマスの問題を認識し、
それを解決するようにアプローチしていく様々な方法論みたいなことがあるじゃないですか。
でもなんかそこなんですよね。
そのマスの先に、その状態、ある状態、合唱状態を構成する一人一人の歌みたいなのが、
実際には存在しているわけなんだけど、
そこにものすごくフォーカスを当てることができて、
そうするとわりと驚くような違いがあるというか、
全然ここで問題、確かに問題Aはこの箇所で起きてるんだけど、
それぞれの人が問題Aの3分前にバグったとか、
大丈夫だったとか、問題Aその瞬間に何かやってるとか、
全然違うんですよ。
それぞれの理由が違うから、このことだけ言ってもダメなんですよね。
36:04
だからもちろんそれを丸っとして、
いろんな人がいろんな解釈ができるような言葉を選んだり、
歌い合わせ方を考えたりしていくわけですけど、
個人に直で行くと全然アプローチが違って、
それで作って、それがそれぞれある程度解決した時に出てくるその箇所の音というのは、
そこそのものを直した時とだいぶ違うものになるというのはすごくあって、
それはそうなんだよね。
なんで個人の話してたんだっけ今。
個人ボイトレの話。
一人一人の声を好きになってもらうっていう。
なんかそれすごくいいなと思いました。
なんだろう、個人ボイトレもそうだし、
合唱だからこれから、
今日はちょっとコロナ禍における活動について話そうと思っているんですけど、
だいぶ時間が伸びているので、
これはたぶんこの今話している回の次にはなると思うんですけど、
自分の声を好きになってもらう。
それを合唱指揮者として、
これは忘れてきてましたけど、合唱指揮者のポテンスとなって、
合唱指揮者としてそれをどう行うかということをちょっとこれから話していこうと思います。
難しい課題です。