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2021-04-08 30:18

#006 佐藤拓さんに聞く (2) 合唱との出会い

合唱指揮者・アンサンブル歌手の佐藤拓さんとみっちりお話を収録してきました。


第2回からは拓さんの音楽家としての人物像に迫ります。


佐藤拓「日本民謡と合唱」~ 私たちは民謡をどう歌うか ~(全3回)

受講予約はこちらのサイトから。 https://choruscompany.com/seminar/210408initium/


(photo: Takuya Niimura)



This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit yanagi.substack.com
00:08
皆さん、こんにちは。続きです。
こんにちは。
引き続き、佐藤拓さんにお越しいただいて。
お越しいただいてっていうか、拓さんの家に来てるんですけど。
どうぞ、お越しいただいております。
そうですね。
Podcastを引き続き収録していこうと思います。
前回ですね、Initium AuditoriumとChorus Companyによる佐藤拓さんのセミナーのことについて紹介をしました。
このPodcastが、この回ですね、第2回になるんですけど。
公開される頃には、たぶんセミナーの第1回の当日か、それが終わったかぐらいのタイミングかなっていうふうに思ってます。
なので、セミナーのこともちょっと踏まえながらお聞きいただけるかもしれないし。
あるいはね、セミナーは宣伝しつこくてすいませんけど。
第1回終わった後もセミナーにまた行っていただいて、第1回からアーカイブ見ていただいてもいいし、第2回から単発で突入していただいても全然楽しめますので。
ぜひともですね、たぶんこんな話をしてくれる人はいないと思うので。
このことについて本当に熱心に、みんな考えてるけど、でも実践してる人はすごく少ないと思うので。
ぜひこの機会を逃さず、皆さんにお越しいただければなと思ってます。
Chorus Companyで検索するとサイト出てきますので、ぜひご覧くださいね。よろしくお願いします。
セミナーの話はとりあえず1回終わりにして、ここからはここからが何回に分かれるかね。
3ヶ月くらい持つと僕楽なんでいいんですけど。
週1でそうしてきたので、ここから130分くらい喋るといければしないですけど。
佐藤拓さんという人物についてちょっと話していきたいかなと思います。
佐藤拓さん、プロフィール、棒読みで読み上げます。
短いバージョンで。
短いバージョンでいいよ。
佐藤拓、岩手県市の石市出身、早稲田大学第一文学部卒業後、イタリアにて政学を学ぶ。
アンサンブル歌手、合唱指揮者として幅広く活動する傍ら、日本と世界の民族歌唱と発声法の研究実践に取り組んでいる。
2018年ラトビアの歌と踊りの祭典に合唱団ガイスマンを率いて参加。
2019年イタリアサルデーニャ島にて特殊発声による伝統合唱のテノーレスを学ぶ。
ということですね。
という感じで、今のだけでも短いバージョンらしいですね。相当情報があっちこっちにいっててすごいことになっていると思うんですけど、
03:07
なかなかすごく面白い音楽歴をお持ちですよね。
プロフィールって結構、音楽家のプロフィールって結構テンプレに入るじゃないですか。
学歴、指示歴、コンクール受賞歴、公表博数、検討を受ける。
活躍する。
活躍する活躍。本当ですよね。それはそれで全然いいんですけど。
たくさんの場合、え?え?ん?って思っていると次の全然違う場所の話になって面白いなという感じがしますよね。
イタリアで声楽を学ぶまではいいんですけど、あれ?みたいなのここからいろいろ来ますんで、
その辺についてもちょっと突っ込んでいきたいなと思います。
たくさんの完成形というか、これからかもしれない。これからさらに発展していくと思いますけど、
今のやっていることの幅広さというのは、今お聞きいただいている皆さんもだんだん分かってきた頃なのかなと思うんですけど、
音楽家になったわけですよね。僕も実はワセダなんで、同じ大学の先輩後輩の関係でもあるんですけど、
最終的に音楽の道に進まれたということのきっかけを聞く前に、どうやって音楽に出会ったのかというのかな。
特に合唱ですよね。どうやって始まったのかなというのを聞いてみたいですね。
僕はほんとすんごい田舎の出身で、超過疎地、今もう消滅の危機があるぐらいの過疎地。
県外集落みたいな。
県外集落のちょっと一歩手前ぐらいの、ほんと結構やばい田舎の出身で、子供の頃は音楽教育を一切受けてなくて、
ピアノもやってないし、歌もやってないし、でもなんか5歳ぐらいの時に地域の夏祭りで、
着物を着て一人でこいのぼりを歌っているのだけは記憶に残っていて。
一人でこいのぼりを歌っている。
屋根より高いこいのぼりをマイクの前で歌っているっていうのは覚えていて。
歌は多分好きだったんだと思う。
でも全然音楽に習うとかっていうことはなくて。
子供の頃はずっとゲーム音楽が好きで、音楽に目覚めたきっかけはゲーム音楽で。
例えばどういうゲームですか?
一番最初にハマったのはファイナルファンタジーの3と4。
この3と4のサウンドトラックを買って、ひたすら聴きまくって、
でも今でも全曲アンプ?ほとんど覚えているぐらい振り返し聴いて、
中学校に入るぐらいまでずっとゲーム音楽しか聴いていなかったかな。
僕とタクさんって何歳差?5歳差かな?
5歳差。
僕は4と5なんです。
4と5なんですか。
ちょっとだけずれてる。
4はでも友達の家でお兄ちゃんがやってるみたいな感じで、
5ぐらいから当事者性が生まれてるみたいな感じじゃないですか。
06:03
まだ持ってないんですけどね。
しかも4は難しくて、Easy Versionってのがあったよね。
ああ、Easy Typeってのがあったね。
Easy Type、超簡単なやつ。
あれ超簡単なんだ、それをやってましたね。
そうそうそう。
アンプね。
あれを聞いて、それを聞き覚えで覚えるみたいなような変わった子供。
だからあんまり歌とかも聞いてなかった。
でも覚えた?口ずさんで。
口ずさんで、ずっと毎日口ずさんでたね。
家に帰るまで、家の男の子僕しかいないから、
一人で帰って、その間ずっと歌ってた。
気持ちの悪い子供。
そうそうそう。
思いきり。
難しい、いきなり難しい。
で、合唱を始めるようになったのは、
中学生の時に、
特設合唱部に誘われて、
合唱やらないかって音楽の先生に誘われて、
しかもそれもちょっと騙されて入ったんだよね。
剣道部に入ってたんですけど、剣道部は声がでかい。
声がでかいやつをとりあえず合唱部に入れようっていう思惑で、
誘われたんだけど、
その時、生徒会の役員もやってて、
生徒会の役員ってのは合唱やるもんだよって音楽の先生に言われて、
あ、そうなんだ。
じゃあ行かざるを得ないかと思って行ったら、
別にそうじゃなかった。
それで初めてやった合唱が、
8人でアンサブルコンテストに出た
混成のグループの最初。
森の狩人アレンかなんかを
要請で歌ったのが最初で、
それで合唱ちょっと面白いなってなって、
3年生の時、部活で大会で負けた後も、
合唱部の方に特設で行って、
それでずっと合唱を始めて、
で、高校に入ってからはもう合唱部に
最初から入ろうと思って合唱部に入る。
で、そっからずっと合唱やってますね。
合唱が面白いと思ったっていうのはどういうとこなんでしょうね。
中学校の時合唱が面白いなと思ったのは、
友達でワイワイガヤガヤ騒げるっていうのが一番と、
部活違うけど仲良い友達がいて、
その人たちとよく毎日こう
ふざけてたりしたのが楽しかったっていうのと、
あと単純になんか合唱曲かっこいいなと思ってて、
なんか自分たちが歌ってた曲は何回も練習するから
あんまりそうでもなくなってくるんだけど、
大会とかに行った他の合唱団が歌ってる
それわかるね。
なんかやつ聞いて、
隣の中学校が
小木窪和明さんのインテラパックスの
知ったかなんかを歌って
かっこいいって笑って、
そうそうそう。
あとは海はなかったを聞いて
自分たちもやりたいってなって、
生徒の方からその学校先生に持って行って、
今度文化祭でこれ歌いましょうとか言って、
っていうなんか割とみんな男の子の方が合唱好きで、
09:00
ふざけたり大騒ぎもするけど、
みんな歌には熱心だったみたい。
で、あとちょっと当時好きだった子が合唱部にいたんだよね。
横島な考えがあって、
で、高校入った時にもしかしたらその子も一緒に高校入ったから
合唱部入るかなと思って、
入ったらその子は作動部に行っちゃって、
行かなくて作動部行かなくて。
作動部行かないよ。
行くなよ。
もう外で。
でもその時はもう合唱部に入ることしか考えてなかったので、
天秤にかかったら合唱だったんで。
作動部と合唱だったら合唱通りだよね。
ちょっと作動部やってる絵は浮かまなかったな。
でもその他の学校の演奏を聞いてかっこいいと思ったっていうのは、
僕もなんか体験がありますね。
僕は合唱自体は本格的に始めたのって、
高校の合唱部なんですけど、
で、コンクールも全然出てなかったんだけど、
一回謎のまぐれ勝利で、
全国大会になったことがあったんですけど、
その時にすごく開けましたね。
それこそシュッツとか、
初めて聞いたし、
今思うとそこに一つの何か、
なんか扉が開いた感じがあって、
それまでは自分の打ち込んでることがすごく楽しくて、
打ち込みきって、
それでもう高校で終えようと思ってたんですけど、
最後に、
それをなんか、
最後の方でコンクールで、
他の人たちの演奏をパッと聞いた時に、
これは、
ここで終わるっていうのはなんか、
なさそうだなっていう直感として。
なるほどね。
なんかそういう出会いがすごい大事なのかもしれないですね。
でもなんかその今出てくる具体的な曲が、
荻窪さんの失敗と、
そして海はなかったっていう、
ファイナルファンタジーとの繋がりを感じますよね。
でもちょっとなんかこうメロディアスで、
かっこいい感じ。
ちょっと似てますよね。
ちょっと荻窪さんは好きなんじゃないかなって気がしますよね。
なるほどね。
それで合唱と出会って、合唱部に入った。
合唱部に入った。
そしてそのあれですよね、その後、
早稲田大学で、
ハエある早稲田グリークラブ。
早稲田グリークラブの、
まあそうですね、
それは本当に高校の時にグリークラブ生で聞いて、
うちの地元に来て。
来てくれるんだ。
で、その辺すごい感動して、
で、憧れて、
で、親にも先生にも誰も言わずに、
グリークラブに入りたいので早稲田を仕事に。
あ、そうだったんだ。
それはもういいですね。
で、田舎なんで早稲田に第一志望で行きたいって言えない。
やっぱ第一志望は国公立大学じゃん。
ので、全然行きなかったけど一応外語大とか書いておいて、
で、早稲田の一部は当時は国語と英語と小論文しか無かったから、
英語だけ勉強してればいいととりあえず。
なるほどね。
で、外語大を第一志望にしとけば、英語だけやってればいいってことになるんで。
それで早稲田対策をずっとして。
へえ、あ、そうか。
12:00
受験勉強のスタイルからも推測されないようになった。
そうそうそうそう。
まさか早稲田に行きたいと本当に思ってるとは思ってなかったと思う。
あれを受けることになんだった。
自分のあれが似てるから早稲田も出願をするわみたいな。
そうそうそうそう。
で、もちろん外語大も一応受けて、
で、外語大も受かってたんだけど、
もうその豪華カップ見る前に早稲田の入学券払っちゃったもんね。
うーん。
そうか。
合唱がしたくて。
そうね。
売りに行きたくて。
売りに行きたくて早稲田に行きたくてね。
あんまり早稲田に入ってからそういうこと言わなかったよね。恥ずかしかった。
そうですよね。
そうです。なかなかね、なかなか言わない文化ありそうですね。
そう、ちょっと透かしてね。
いやいや別に。
なんか誘われたんだけど。
近かったからね。
全然近くにいいじゃん。
みたいなね。
いいっすね。
じゃああれですか、あの、
早稲田の新刊サークル期に
拉致られたりはしなかったんですか?
新入生の時は4回声かけられた。
早稲田から。
もう入りますって言ってたのに4回声かけられたから、
もう最終的にはなんか胴上げをされて。
なかなか4回も捕まんないよって言われて。
4回入りましたね。
すごいですね。
胴上げしそうだよね。
すごいですよね。
僕はあの、1回あの、
僕はその後、大学に入学した時は
早稲田じゃなくて、
根性合唱団に入って、
バッハとかメンデルソンとかになって、
それはそれで僕の今やってることにも近いなっていう気がするんですけど。
それより前に早稲田の新刊に参加したことがあって、
僕は高校が学院という付属高校のグリークラブ。
早稲田グリーとはちょっと違う名前のグリークラブ。
高校のグリークラブなんですけど。
で、その時、でその、で普通に頭ややこしいんです。
知らない人が聞くとややこしいんですけど、
高等学院のグリークラブは、
当時特にですけど、
その高校の合唱部出た後は、
早稲田のコールフリューゲルっていうサークルに入るんですよね。
男性合唱団。
ワセグリよりは小規模の、
室内合唱団風の男性合唱団があって、
そっち行くことになってて。
で、高2の時、先輩に、
そのちっちゃいから物量とか勢いで全然ワセグリに勝てない新刊。
なんで手伝ってくれって言われて、
高校2年生の時に、
ワセダの本部キャンパスのとこで、
縦カンじゃなくて、手でもつかめられるコールフリューゲルって。
で、2つ年上の新入生の人たちに、
合唱興味ある?とか言って、
ブースに勧誘するっていうのをやってましたね。
懐かしい、そうそう。
で、本人はコールフリューゲルには入らないと。
本人はそう、コールフリューゲルには。
その時、最初は楽しそうで行ったんだけど、
相手はガチで大変で、
なんで俺たちがやらされてるんだ、みたいになって。
15:00
親が、みたいになって、絶対入らないみたいな。
半分一でしたけどね。
コールフリューゲルに入らずに、
でもそもそもそこで婚姓に行って、
婚姓合唱やってて、
それはそれで面白い選択だったのかな、
っていう気がしてますけどね。
なるほどね、ワセグリに入って、
でもそれが一本だったんだね。
うん。
じゃあワセグリに入りやすいから一部だったの?
いやいや、文学にはもともと興味があって、
小説とかそういうのも書いてみたいなっていう欲求は薄っすら、
それは小学校ぐらいの時からあったかな。
文章を書きたいみたいな欲求はあったので、
文学には進みたかった。
東京で国公立大学で文学部があるところって、
都立大か東京大学しかないから、
なるほど。
ひとつ橋とか外語大はないから、
女子じゃないからお茶場も入れないし、
文学勉強しようと思ったら有名な人もいっぱい出てるし、
でワセだっていうのを考えたぐらい。
小説は書かないですか?
全然書けない。
試みたの?
試みたけど、
最初の産業を書いても何も書けない。
だから自分には向いてないなと思って、
読む専門になった。
全然想像できない世界ですね。
作曲とかもね、身近なようでいて全然世界違うから、
作曲家ではないなっていう確信を得ますね。
でもあれですよね、たくさん文章を書くの結構好きじゃない?
文章が好きっていうか、
苦でないっていうか、
割と昔から読書感想部みたいなのが得意で、
決められた枚数で決められたテーマ率で何か書くっていうのは
すぐにできる。
1時間くらいあれば、
1200から1500字くらいのようなペットを書ける。
すごい、僕その3倍くらい書く。
ただ内容を突き詰めて書くってなると
めちゃくちゃ時間かかる。
1回書いて1週間ほかして、
1週間後に見て、
もう1回全部書き直すみたいなことよくある。
ので、
時間かかることは時間かかる。
たくさんの文章を読みたい人はいくつか、
今インターネットでね。
特にブログ始めましたね。
ブログ、去年は。
コロナ禍効果ですか?
コロナ禍効果、
開業というか個人事業主になったので、
いろいろ宣伝もするために立ち上げて、
すごい充実のブログですよね。
自分でも見てみてすごいなんか変な人だなと思う。
何をやってる人なんだろうっていう。
本当に今の合唱活動とか、
リモートの活動とか、
宣伝ももちろん一つの目的かもしれないけど、
やってることについてすごくしっかり記録に残ってるし、
18:02
後々役に立ちそうな感じの文章があるかなって気がしましたね。
今まで自分の活動をあらゆるところに手を出して、
一応なんか自分が好きかどうかっていうので
判断して手を出してるんだけど、
多分外から見たらあまりにもいろんな変なことを
とびとびでやってるからよくわかんないんだなと思って、
自分の活動のポータルになるように、
日記のような感じで付けていって、
そうするとサルデーニャとかラットビアとか、
合唱とかいろんなところに繋がっていくかなと思って。
そうですね、それを統合する存在であるわけですからね。
面白いですね。
何ていうんですか、佐藤拓で検索して出てくる?
同性同盟の人いっぱい出てくる。
同性同盟でね、アレキサンダーテクニックの先生もいるし。
やばっ、それめっちゃ話近いじゃん。
コンタクス.コムですね。
https://contaks.com
コンタクス、これは何?拓さんとコンダクターですか?
メールアドレス大学生の時初めて作った時に、
学生指揮者になったばっかりだったので、
コンダクターと掛けてみたいなので作ったのをいまだに使ってます。
コンタク佐藤ですね。
コンタク佐藤。
contaks.comだそうです。
佐藤は多分合唱とかで検索すれば道場面に出てくる。
いいですね。
同性同盟と高校野球の選手が山ほど出てくる。
僕それを調べてね。
佐藤括弧拓ってのがいっぱい出てきて。
拓也とかね。
拓也とか拓司とかね。
いっぱいいるからね。
いいですね。
本当にブログ記事もそうですし、
オンラインでボイトレとかもね。
オンラインボイトレやってます。
めちゃくちゃ面白いはずなので、ぜひ行ってみてください。
さあちょっと話が今文章の話に動いていったんですけど、
次代の話にちょっと戻っていきまして、
早瀬栗で、今ちょうどアドレスの話で出ましたけど、
学生指揮者になったんですね。
学生指揮者っていうのは何年生?4年生?
4年生。
早瀬栗は4年生ですね。
僕の早瀬田根性合唱団3年生なんですけど、
4年生になって指揮者として、
それがもしかして指揮者デビュー?
指揮者デビューがその時に。
僕の時は、
早瀬田根栗って4年に1回か5年に1回、
海外の演奏旅行をやってて、
ちょうど僕らが海外演奏旅行をやる年、
その時は北欧とバルト3国を回るツアーを企画して、
大学3年生の2月に行くことになって、
その時はもう4年生は卒業卒団してるんで、
音楽的には全部3年生がまとめてやるってことになってたので、
実際にはもう3年生の夏ぐらいから、
21:03
学生指揮者としての本格的な活動が始まってて、
定期演奏会のための練習が当時は週に4日あって、
それとは別に海外演奏旅行の練習を2日組んでて、
週6日集まってて、
残りの1日は個人練習みたいなのをみんなこう、
講演とかでやってて、
学生会館の会談とかでやってて、
だから週7、8とか練習してる感じ。
初めて学生指揮者でデビューしたのが、
北欧の演奏旅行。
北欧で本番でデビューね。
フィンランドのホールで踏んだの。
すげえ旋律のデビューですね。
僕のデビューは北トピア桜ホールでした。
北は合ってる北、北欧と北トピア。
ベクトロ一種。
今思えばその時初めて振ったのが、
全部民謡で。
マミアミチオの男性合唱曲戦っていうのを、
自分で選曲して、
プログラムとして。
男性合唱曲4曲を集めてきて、
1つのステージにしたやつと、
あとは日本の民謡の編曲で有名なもの、
モガミガーフナートとかサイタルブシとか、
ああいうのをまとめたステージを1つ作って、
この2つを、
学識の僕が振って、
当時振ったのは本当に民謡だけ。
がデビューステージだった。
向こうの人は喜びそうですよね。
向こうの人はね、日本の民謡聞くと、
エキゾチックというか聞いたことないから、
すごい喜んでるんでしょうね。
そこから始まってますね。
北欧で民謡でしょ。
もうさっきのプロフィールの答えが合わさりそうですよね。
ラトピアと民謡で。
面白い、学生。
学識でも学識になろうと思ってました?最初から。
最初は全然思ってなかった。
入った時は、
1年生の時は実はやめようと思ってたグリーを。
入ろうと思って入ったけど、
ちょっと満足でいいな。
もっと広い世界があるんじゃないかと思ってた。
グリーグラウドって球体質なところがあって、
分かりますよ。大きなサークルに沿って。
音楽的な広がりがもうちょっとあるんじゃないかなと
思ってたんだけど、
それなりに面白いことやってたんだけど、
なんかちょっと満足できなくて、外を見たくなっちゃって。
やめようかなーみたいなことを思ったんだけど、
先輩にもうそく説得されて、
その時に、
学識になった方がいいよみたいな。
好きなことできるよみたいな。
学識になれば、自分がやろうと思っていることができるよって言われて、
それで簡単に説得されて。
早い、早い。
それからもう学識やってみようかなと思って離婚をした。
完全に僕も同じですね。
学識やるから残る感じだった気がする。
24:00
すごいな。
なんかライバルとか選挙とかあるでしょ。
話合議で決めるんだけど、
その時は誰も出なかった。
ダメだった。
やらせないと辞めちゃうしみたいな。
出てくれた方が本当によかったんだよな。
お互い切磋琢磨できるかなと思って。
すんなり決まりそうになったから、
逆に自分で自分の立候補に異を唱えた。
本当に俺でいいのか?
自分で自己批判を始める。
やばいですね。
早稲田っぽいですね。
学生運動みたいなことしてたし。
僕は河野の裏の危険な知事。
危険な知事。
やばいですね。
すごい。面白い。
それで初めて北欧で先列なデビューを。
先列はどこか分からないけどね。
庭園も振って。
最後の卒園とかですかね。
総別演奏会。
それで振って終わり。
やっぱり今もどうか分からないですけど、
汗ぐりもね。
僕は今世合唱だけど、
それでストイックにいっぱい練習してたんですけど、
学生会館って、
たくさんの頃って学生会館建て替わってた?
建て替わった。
俺が3年生の時に建て替わった。
文学部キャンパスの端っこにある。
汗ぐりと今世合唱では同じ階に部室が端っこと端っこみたいな感じであるんですよね。
その階の会議する机のスペースのところが練習場とかしてる。
個人練習みたいな。
1対1とかでやったりしてて。
だから汗ぐりと僕たちの今世合唱では場所の取り合いになったりするし、
一緒に隣にいてると汗ぐりの声がでかすぎて。
汗ぐりの声がでかすぎて練習できないみたいな。
階段の響きの境界みたいなところがある。
頭から抜く感じで。
ドアの向こうからううううううってすごいことが。
今思うと一体何をやってる俺たちは。
どっちもおかしいよみたいな。
すごいことだったんですけど。
だからその活動の密度みたいなので。
今思っても時間的にはめちゃめちゃ非効率だったりするんですけど、
異常にコミットすることででかいものを実現するみたいなことをやってきたから。
卒園終わって燃え尽きたりしなかったですか?
でも燃え尽きはあったかな。
やりきったっていう人もたくさんいるんだけど、
そこまでやりきった気持ちはもちろんあるんだけど、
でもこんだけできたからもっとこの先できるじゃんかみたいな風に思ってた。
やりたいことまだあるなとか。
っていう風なことを思って卒団したかな。
卒団するとき辞めるときに泣いちゃうっていうのはあんまりなかった。
その前にそういう感動的な場面があったけど、
27:02
最後の演奏会で泣いちゃうみたいな。
なんかもっとこの先やりたいことはあるからやんなきゃみたいな感じだった。
ワセグリストーリーというよりはもう、ある意味すでに音楽家になってるって感じですよね。
やりたいことってワセグリは終わりじゃない?どうやって終わるか。
その後こういう演奏会してみたりとか、こういうとこ行ってみたりとか。
そういうのがいっぱいあって、未来が見えてたってことですね。
それはとてもいいですね。
だからそういうことですよね。
だって普通は、普通はって言っていいのかわかんないけどね。
大学でサークルに打ち込むと就活役に立ちますよね。
いろんな問題解決して、記憶も含めてあるいはアピールポイントにもなって。
そんな形で社会に最も一般的な形で参入していくことができて。
やっぱり僕の大学の同期なんかも、合唱続けてる人、
たぶん全体の1割とか2割ぐらいいるのかな。
すごい少ない。
少ないね。1割いないと思うな。
それぞれ社会の中に入っていくけど、いい思い入れとして。
楽しいことも辛いこともってやつだと思いますけど、
いい思い入れとして残っていく。
たぶんそんな感じの活動だと思うんですけど。
たくさんその時点でも違う何かが、自分をドリブンする音楽的に何かがあった。
あったのかな。
でも就活をしなかったのも、気がついたら終わってたっていう感じ。
忘れちゃった。
なんかみんなエントリーシートとか言ってるけど、何の話?って思って。
全然就活しようと全く思ってなかったね。
気がついたらみんな就職していて、
あら?って思って。みんな就職してるじゃない。みんな就職と留年をしていて。
かなり高い割。
なんか決意を持って、よし音楽家になるぞって踏み出した感じじゃなくて、
なんかすごくうすらぼやりと、こっちしかないかもみたいな感じで。
めっちゃわかるな。
そうですよね。でももうそれが自然だったのかもね。
今一応聞こうと思ったんですよ。
どういうところで音楽家を志そうと決心したんですか?って聞こうと思ったんですけど。
決心のこの点がないんだよね。
気がついたらそっちの方向に向かって行っちゃった。
レガアートですね。
そうね。
レガアートですね。完全にアーティケーションって感じになって。
スーッと息の流れがそっちに行きましたね。
でも大学の4年生の終わりぐらいの時には、
音楽勉強したい、留学したいみたいなことをもう言ってた。
うすらぼんやり。
今回のエピソードはここまでとなります。
30:00
次回、早稲田を卒業したタクさんが今度は海外に行くところからお話を続けていきます。
どうぞお楽しみに。
30:18

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