1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.293「ショパンコンクール..
2021-11-18 30:15

Vol.293「ショパンコンクールにみる願望達成の秘訣」

10月に行われたショパンコンクールで2位に入賞した反田恭平さん。彼のコンクールに向けた緻密な戦略と自己プロデュース力について、アキの視点でお話しています。

オープニングでは、アキの意外なルーツにまつわるお話をしています。

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こんにちは、あきです。
今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
さゆみさんがね、どうしてもちょっとスケジュールが合わないという関係で、今週は一人でさせていただきます。
次回はね、また彼女と一緒にできると思います。
で、今日はね、何を話そうかなとちょっと思っていたんですけれども、
せっかくなのでね、私一人で話せる話をしようかなと思います。
今ね、日本を取り巻く状況っていうのがね、結構いろいろ深刻になってきているっていうのもね、肌身で感じているんですけど、
その中でもね、ちょっと特別な国というか、新日課であり、いざとなった時に助けてもらったっていう意味では、
台湾っていう国があると思うんですけど、これをね、国として認めるか認めないかみたいな話はちょっと置いておいて、
で、この台湾が実は、私は行ったことは実はないんですけれども、
でも、実は私にとって台湾ってとっても身近な国なんですよね。
だからその辺の話をちょっとしたいなと思います。
この話はね、過去にしたことがあるのか、ちょっと私も覚えてないくらいなので、知ってる人は知ってるのかもしれません。
私はですね、もともと人からハーフっぽいと言われてきたことがあったんですね。
で、今時の感じとまた全然違う感じなんですよ、私がちっちゃい時の感じってね。
だからハーフってのはよくわからなくて、みんな言ってるって感じだったんですけど、私もよくわからなかった。
で、実際にハーフっていうのはお父さんかお母さんが日本人じゃないみたいな位置づけだったんですけど、
なんとね、それを言われたからとは全然関係なく、実は私の父は台湾で生まれたと聞かされてたんですね。
だから私はてっきり自分の父は台湾人だと思ってたんですよ。
で、うちの母はもちろん日本人なんだけども、父は台湾人なので、私はハーフだと思ってたんですね、違う意味での。
友達から言われてるハーフっていうのとちょっと違う意味で捉えてたんですけど、私はハーフだと思ってたんですね。
で、それは実は大きな間違いだったってことが後からわかるんですけど、ちっちゃい時はほんと小学校1,2年の頃ですよ。
そんなの全然わかんないから、台湾で生まれたっていうことしか聞いてないので、台湾で生まれたイコール台湾の人みたいなふうに思ってたと。
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で、どういうことかというと、私の父は台湾で生まれて、祖父母が2人とも台湾に住んでいた。
で、戦争の時に日本から台湾に渡って、多分台湾で出会ってるんですよ。
で、そこで結婚して子供が生まれ、うちの父が生まれたと。
で、最終的にはうちの父が5歳ぐらいの時に終戦を迎えて、7歳ぐらいの時に日本に戻ってきたと。
で、私の祖父は九州の人なので、九州から渡っていったという感じで、最終的には台湾から九州に戻ってきたという感じなんですね。
なので、私にとって台湾っていう国は、どういう位置づけで台湾に行ったかなんて日本の歴史なんて全然知らなかったので、わからないんですけれども、
とにかく台湾で生活し、私の祖父も政府関係で行っていて、祖母は現地のね、学校の先生をやっていたと。
当時は全部日本語でやっていたはずなので、日本語で教師をやっていたという形だと思うんですけれども、
住んでいた場所も台北ではなかったし、もうちょっと南の方だったんですけれども、
だから私の父はその後、結果的に台湾にね、自分が住んでた家を見に行ったりとかしています。旅行でね。
で、私の祖母は三人姉妹なんだけども、長女で、次女が実はそのまま台湾の人と結婚して、戦後もそのまま台湾に残り、長女と三女だけが日本。
長女は私の祖母なんですけど、日本に戻ってきたという形で、親戚もね、そういう意味では台湾の人なんですよね。
その娘も、その娘はね、日本語は全然喋れませんでしたね。遊びに来たんですよね。日本にも遊びに来て。
で、その息子さんは日本語を勉強したいって言って、広島に留学したりとかしてました。
そういう意味では、私にとってはね、まだ行ったことがないので、本当に是非是非、日本に戻った時に台湾に行きたいなとは思っているんですけど、台湾って非常に親近感のある国だと。
で、自分のオリジンついでにね、話をさせてもらえれば、私は日本の千葉流れているけども、台湾に若干親近感がある人間という形で思ってました。
で、その後ね、フランスに来た時に、語学学校に行ってたんですよ。ソルボンヌっていう語学学校に行っていて、そこがね、古い建物だっていうのもあるんですけども、雨の日にみんな土足で上がっていくじゃないですか。
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で、階段がつるつる滑って、滑ったんですよ。下りの階段で、ババーッと転げ落ちたというか、腰をずっと引きずって、微低骨を打ったんですね。
で、私もともと微低骨何度も打ってる人なんですけど、大人になってからは初めてで、これはもう悲惨な状態で、なんとか仰ざめながらね、家に帰ったんですよ。
でもこれはね、ちょっと相当まずいと思って、まずレントゲンを取りに行ったんですね。レントゲンを取った後に、そのレントゲンの写真を持ってスペシャリスト、そのレントゲンの骨を見てくれる先生、またね、フランスはすごい細かく分かれているので、行ったんですね。
そしたら、私の骨盤を見て、骨盤のレントゲンと私の骨盤を触ってね、君は日本人かと聞かれたんですよ。
で、私は日本人だと。どっちかに、どっか違う国の血が流れてないかと、一瞬その時に台湾の話を思い出したので、いやいや違う、私の父は日本の人だからと思って、いやいや全然純粋な日本人ですと言ったら、絶対違うって言うんですよ。
大きなお世話じゃないですか。絶対って少なくとも祖父母より一代前までは絶対日本人ですと。それはもう保証します。母方もどう考えても日本人だし、父方も絶対日本人ですって言ったら、あなたの骨は日本人の骨じゃないって言うんですよ。すごくないですか。
向こうも曲げないわけ。僕は悪いけど、ここに何十年も骨盤とか骨のあれを見てきて、骨盤の形をいっぱい見てきてると。アジア系の人の骨もいっぱい見てきてるし、日本人の骨もいっぱい見てきてると、あなたの骨盤の骨は純粋な日本人の骨じゃないって言われたんですね。
大きなお世話なんだけど、そんなこと言われてもとか言って。やっぱり大陸がどっか入っていると。でもね、大陸だけど、中国とか韓国とかそっちじゃないかもって言ってたんですよね。ちょっと細かく国名を言ってたんですけど、私も忘れちゃって、モンゴル系かロシアって言ってたかな。ちょっと覚えてないんですね、私も。
でもなんか中国とか韓国って言ってた記憶はないんですよね。なんかそっちから絶対。で、ひしきりに覚えてるのは、その人がロシア、ロシアは縁がないかと。ちょっとわからないって言って。母方の親戚が新潟にはいるけど、だからロシアに直結するわけでもないし、なので私にはわからない。
調べてごらん。絶対日本人のオリジンじゃないものが入ってるはずだからって言って、はいはいはいって言って別れた記憶があります。でもその後ね、家族にも聞いてみたけど、みんな?マークでそんなこと聞いたこともないし。
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だけどちょっとね、ヨーロピアンだと言われた。なんかね骨盤がどっちがどっちか忘れちゃったんですけど、多分ですけど日本人のいわゆる骨っていうのはちょっと楕円形なんだけど、私は楕円形の割には結構厚みがある感じの骨盤だって言われたような記憶があるんですけど、とにかく僕は日本人の骨を何回も見てきてるとね、きつく言われたので。
まあそうですか、じゃあちょっと調べてみますぐらいで終わったんですけどね。なんかそんな感じで自分のオリジンを親から知るだけじゃなくてね、全然関係ない人からちゃちゃを入れられるっていうこともあったし、夫ともね、いつかやってみたいねって、なんか今DNA検査をすると自分のオリジンが何パーセントどれぐらいが入ってるかとかがわかる。
で、わかったからどうだってわけではないんだけど、すごくこう歴史というかロマンを感じるよねっていう話もしてて、いつかね、ちょっとやってみたいなぁとは思ってます。
皆さんは自分のご先祖っていうのも含めてね、オリジンっていうのを考えたことがあるでしょうか。日本にいるとね、あんまり感じることもないかもしれないんですけど、純粋な日本人である私ですらロシアの血が入ってるんじゃないかとかね、いろいろ言われたり、台湾にこうやった心理的な親近感があったりとかする人間もいるので、
もしかしたら皆さんにもそういう感覚ってあるのかなぁと思いました。これはね、本当に軽いお話として聞き流していただければと思います。それでは本編スタートです。
はい、本編です。
今日はですね、ちょっと前の話になるんですけれども、10月にね、行われていたショパンコンクールの話をしたいと思います。
メールレターの方でね、ちょっと書いたことがあるので、読んだ方もいらっしゃると思うんですけれども、私自身は結構ね、クラシックが好きなんですよ。
知識も何も全くない人なんですけれども、勉強っていうのもしたことがないし、そういう意味ではね、本当にただ好きで聞いてるというだけなんですけれども、実はね、すごい好きなんですよ、クラシックは。
だから、例えば仕事のBGMみたいな感じでね、やる時も結構クラシックをかけています。
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妊娠中は、例えばなんか、一時期、今もそうだと思うんですけども、モーツァルトが体強にいいって言われてたと思うんですけど、モーツァルトがね、全然聞けなくてですね、ベートベンばっかり聞いてましたね。
激しいのばっかり聞いてました。体強に良かったか全然わかんないんですけど、なんかね、体強にいいからと言ってモーツァルトを聞ける気分ではなくて、ずっとベートベンが結構多かったような記憶があります。
でね、私もともとね、ジャズもすごい好きだったんですけど、妊娠を機にジャズが全く聞けなくなってしまったんですよね。今はまあまあ好きですけど、でも昔の方がヘビロテして、むしろクラシックよりも一時期聞いてた時期があったと思うんですけども、よくね、食の好みが変わるとか言うじゃないですか。
でも全くもって、ジャズが聞けなくなっちゃったんですよね。体質的に。聞いても何にも響かなくて。それでずっとクラシックばっかり聞いてたという感じです。
で、私自身はショパンコンクールって言ってもね、そんなショパンはまあ好きっていうレベルで、だからと言ってショパンコンクールにどうのこうのって言える立場とかね、ないんですけども、今回は6年ぶりなんですね。
もともと5年に1回だと思うんですけども、コロナの影響で1年伸びて6年経ったと。で、6年経って、まあ今回のこともあると思うんですけど、全部ね、YouTubeでストリーミングで生で聞けたんですよね。
今結構他でもね、いろいろね、リストのコンクールとかもね、この間やってて見てたんですけども、すごいですよ、このストリーミング技術が。で、特にショパンはポーランドがもう国を挙げてやる大イベントみたいな位置づけですので、本当にね、予備戦からね、ずっとやっていて。
で、まあ決勝戦のこと、本戦って言い方をするんですけど、ファイナルまで全部やってました。一人一人。で、たまたまね、私はヨーロッパに住んでいるので、ポーランドと同じ時間で聞けるじゃないですか。なので結構夜、ファイナルはほぼ夕方から夜にかけてだったんですけども、全部ほぼ生で聞けたと。
もちろんね、食事をしてる時間とかもあったので、聞けない時間もあったんですけども、結構見れたかなと思います。もちろんね、見始めたのが第2次とか第3次予選とかその位だったので、しょっちゅうYouTubeに上がってくるなと思ってたけど、まさか生でやってるとは知らなくってね。それで見始めたら結構ハマってしまったという感じなんですね。
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で、ショパンってピアノがもちろんメインなんですけど、競争曲、いわゆるコンチェルトを2曲だけ作っていて、で、ファイナルはね、この2曲の中から1曲選ばなきゃいけないんですよ。だからファイナリストはこの2曲のうちの1曲を弾くので、ほとんど同じ曲を聞く感じになります。
で、ショパンっていうのはある意味ちょっと特別というか、ショパンコンクールはショパンの曲しか弾いちゃいけないんですね。他は聞くところによると、例えばチャイコフスキーとかチャイコフスキーのコンクールでもチャイコフスキー以外を演奏してもいいと言われてるんですが、ショパンに関してはショパン以外のものは聞かないという前提なので。
で、ましてや競争曲2曲しかないので、ファイナルはもうどっちかを聞く。で、大体1番の方が多いんですけども、大体3対1なのかな。今回2人ぐらいしか2番弾いてなかったのかなと思うんですけども、どっちかっていうそういう仕組みになってます。
本当に国籍別を追ってるわけではないんですけど、たくさんの日本人の方がコンクールに参加されていて、で、第一次予選の方からずっと見ていくと結構な割合で日本の方もいて、最終的にはファイナルに行ったのは2人で、2人とも2位と4位に入賞したということなんですね。
で、もちろん演奏、ちょっと引き目で見てるところがあるかもしれないんですけども、やっぱりいいなと思ってたとかね、この人違うなとか、これあくまでも私の好みなので、全然審査員の視点ではないと思うし、またショパンコンクールだけじゃないのかもしれないんですけど、評論家の方が言うには、
その時にどの審査員に当たるかによって全く順位が変わってきてしまうっていうこともあるので、そういう意味では実力プラス運がないと入賞したり、もちろん優勝したりすることはなかなか不可能だという話をしてました。
で、私がね、ただの音楽好きで喋ってるというよりも、この人物像的なものとか、そういうのがどうしても好きで見てしまって、その後のインタビューとか、あとね、その判定というんですかね、最後のファイナルの後の2時間がめっちゃ長かったんですね。
2時間、結局2時間遅れで発表されたと思うんですけども、その間ファイナリストでインタビューしてるんですよ、ずっと。で、もうネタがないんだろうっていうぐらい、もうダラダラダラダラ喋るしかないぐらい待たされてたっていう感じだったんですね。
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で、その中の2位に入った方、ソリタキョウヘイさんっていう方は、ちょこちょこ音楽も上がってきたので知ってはいたんですけども、あんまりその人が何者かっていうことはね、全く知らずに入賞した後、いろいろ知ったという形になります。
で、彼は27歳ぐらいかな。で、4位に入られた方と本当幼馴染っていう感じでね、いつも励まし合ってやってきたっていうことなんですけども、小林アユミさんってね、方と一緒なんですけど、彼がね、すごく面白いなと思ったら単なるピアニストではないんですよ。
ビジョンがすごく面白くて、すごい偉大なピアニストになりたいという方というよりは、日本に音楽の学校を作りたいとかね、あとは指揮者もやりたいとかね、なんかそういうどちらかというと、一プレーヤーというよりはすごくプロデューサー的な視点を持っている方だなと、インタビューを聞きながら思ってました。
時々演奏で後からね、また見直してみると、ちょっと指揮者的視点で呼吸を合わせてるんだなとか、なんかそういう特にファイナルのね、オーケストラとの感じとかもそう思ったし、すごくね、視点がただのプレーヤーって感じではないなっていうのは私ですら感じました。
彼が言ってたのは、彼ね、昔からワンレングスなんですよ。ロングなんです、ストレートのね。最近は後ろでいわいてるんですけど、昔のアルバムのね、表紙とかを見ても、いわゆるワンレンボブみたいな感じのロングヘアなんですよね。
ボブも短いのから長いのからあるんですけど、結構とにかくワンレンでサラサラヘアなんですよ。
で、彼がこの6年間何をやってきたかっていうところをね、インタビューに答えていて、その視点がね、今のピアニストってこういう感じなのかと思って、すごく学びになったのでね、皆さんにシェアをしたいなと思いました。
彼の面白いなという視点は、このショパンコンクールに出ると決めた瞬間からすごく準備をし、もちろん肉体改造も見た目的なプロデュースもやってきたということなんですよね。
まず肉体改造はどういうことかというと、彼曰く日本のいわゆるコンサートホールというのは、すごく音響の面でも、あと座席の感じでもすごく弾きやすいんですって。
だけれどもヨーロッパっていうのは、場所がオペラ座とかね、そういうコンサートホールのものもあれば、教会っていう場もあるし、とにかくその場所を与えられたら、どのスタイルでも対応しないといけないわけで、日本のように弾きやすいコンサートホールばっかりではないと。
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教会の響き方とかね、あとその場所によって音の響き方があって、特にそのオペラ座みたいなところになると、そんなに広くはないんだけど、結構3階席、4階席とかあったりするの高いんですよね、上の方。
で、そこにいるお客さんに届かないっていうケースがあると。彼は170センチくらいだと言ってましたけども、ピアニストとかですごくが体も良くて、力も強くて、体格のいいいわゆる欧米の人たちは、響くのに対し彼は小柄だから、なかなか響かないんじゃないかと。
そういうことも踏まえて、食生活を変え、筋肉をつけて、最後の1年でそのつけた筋肉を脂肪に変えたって言うんですね。鍵盤へのタッチとか、あとその音響とかが全部変わってくるっていう風に言ってましたね。
だからそういう意味では、ピアニストもある程度その体格とかね、パワーっていうのは大切になってくるという風に言ってましたね。
あと髪の毛はずっと本当1年でオールアップにして、髪を後ろで弱えていたんですけども、これは何かしら自分の顔を覚えてもらわないといけないということを思ってたと。
確かに日本人から見てヨーロッパの人たちってみんな同じ顔に見えるんですよ。何人だ何人だってお隣の国だったとしても同じように見える。
つまり向こうから見たらアジアの人だってみんな同じに見えるわけですよ。そこをどうやったら覚えてもらえるだろうかっていうところで、特に海外での自分の見せ方っていうのを意識して髪を伸ばしてきたと言ったんですね。
だからやっぱり世界中の人に名前とか覚えられなくてもいいけど、少なくとも顔は覚えてもらわないといけないということで、彼はその髪型でインパクトを与えたという感じでやってたということです。
それがこうそうしたのか、ポーランドのねラジオとかなんかテレビとか結構インタビューにあると侍っぽいとかね侍マスターとか言われてたりとかしたとか言ってたんですけど、それはそういう意味では彼にとっては覚えてもらえるきっかけとして成功だったというふうに言ってました。
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あとねすごいそういう見た目的な作戦もそうなんですけども、今までの過去のショパンコンクールを全部チェックして、どういう曲でどういう流れでどういう人たちが上がってきたのかっていうのを全部正の字を書いてリサーチをやったっていうことなんですよね。
つまり人もそうだしどういう曲だと上がってきやすいのかとかそういうことも含めて、もう過去の要は傾向と対策ですよねショパンコンクールのそれを細かくリサーチしたっていうのはそういう意味ではね本当すごいなと思いました。
それが全部優勝するつもりでやってきたということなのでもちろん任意は嬉しいとは言ってたんですけど、彼の中では6年間準備を重ねてやってきたことなので当然という言い方はしてなかったと思うんですけど、ある意味こういう結果になって普通というかねそんな驚くべきことでもないっていう感じがしました。
だから彼のそういうプロデュース力とかね、ただの曲を弾ければいいっていう感覚戦略化的なね発想とかっていうのはなんか今の現代の若いピアニストならではなのかなと思いました。
これはね全然ショパンコンクールの彼の話とはまた違う話なんですけども、ある方が言っていて情報が早くってみんながリサーチしてくるからコンクールでのみんなのレベルはすごく上がってきてるけれども、でも作品としてはすごく平均的になってきていると言っている方がいらっしゃいました。
今までっていうのは国自体が分断されていてもちろん冷戦とかもあったりしてみんな命をかけて亡命する勢いで命がけで演奏のために国を渡ってきたみたいな感じだったんですよね。
だから個性という面では昔の方がすごい強い人たちが多かったと。
だから今はその情報が早い分個性が減ってるんではないかという言い方をしている方がいらっしゃいました。
私はこの時代にもちろん本当に生で聞きたいんですよ。ポーランドに行けるならば。でもなかなかそういうのが難しい中で生で体感してて何万人の人が同時に視聴しているんですよ。
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世界中の人がもちろん実際がある中で生で聞いてる人もいるし、後からアーカイブで見れるっていうのもあるんですけども、こういうのを国策としてやってYouTubeの音とかね、全然止まらなかったですかね、動画とかも。
ストリートファンいわくYouTubeの音と実際の音響はもちろん全然違うって言ってたんですけど、それはもちろんそうだけど、でもそれでもね、楽しめる環境っていうのは本当に素晴らしいなぁと思って。
やっぱりこのテクノロジーをすごく活用させていただきつつ、音楽を私の場合は実はなく楽しめたっていうのはいい機会で、次また今度は4年後になるんですけども、楽しみに。
ショパンだけじゃないんですけど、他のコンクールもこうやって見る人が増えていけば、クラシックはクラシックのね、人口というか楽しんでる人口とか増えていくんじゃないかなと思いました。
とにかくね、チャットとか見てても基本的にみんな英語で書いてくださいみたいな感じで言ってるんですけど、まあいろんなところからいろんなコメントして、もう本当に音楽のプロから私みたいなね、アマチュア、私は全然コメントなんかしませんでしたけど、すごいみんな熱くね、チャットでこう演奏中もコメントしてるっていうのは、そういう意味では普通のコンサートホールではありえないかなと思って。
なんかそういう楽しみ方もね、エンターテインメントとかね、まあそのコンクールって厳しい場面ですけど、そういう場面もどこからでも楽しめる時代になったなと思いました。
はい、それでは今回はおしまい。また来週お会いしましょう。ありがとうございました。
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パリプロジェクトで検索していただければすぐに見つかります。また次回お会いしましょう。
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