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2023-10-08 26:19

第158回「苦しくて、歌を辞めようと思った 〜 支えられた、送られて来た手紙 〜」オペラ歌手:翠千賀さん(前編)

▶️2023年10月マンスリーゲスト

『オペラ歌手』翠千賀(みどり ちか)さん

▶️今回の内容(目次)

02:26  翠千賀さんとの出会い

09:05  オペラ歌手を目指したキッカケ

14:00  大好きな歌を仕事にすること

17:28  歌と音楽の力

18:25  辞めたいと思った時に救われた出来事

23:22  6匹の猫たちとの生活

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翠 千賀(みどり ちか)さん プロフィール

東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。イタリア・ミラノ音楽院 プロフェッショナルコース留学。イタリア留学中には、ミラノにて 「ラ・ボエーム」のミゼッタ役、 アルクアート城でルイージ・イリッカ 記念式典に招聘されるほか、 ミラノ市主催のコンサートに出演。帰国後、当時の新国立劇場 音楽監督トーマス・ノボラツスキー氏に認められ、新国立劇場にて、「ザザ」の主役(日本初演)、 瀬戸内寂聴氏書き下ろしオペラ「ジークフリートの冒険」ラインの乙女、ワルキューレ役、「スペーストゥーランドット」トゥーランドット役などを演じる。二期会オペラでは「蝶々夫人」 ケート役でデビュー。 その後宮本亜門氏演出 「フィガロの結婚」ケルビーノ、「地獄のオルフェ」ヴィーナス、「メリーウィドー」シルヴィアーヌを演じる。東京室内歌劇場では「魔笛」侍女Ⅱ、「コジ・ファン・トゥッテ」ドラペッラ、「マノンの肖像」(日本初演)ではジャンを演じ いずれも高い評価を得る。東京オペラプロデュース主催、新国立劇場公演では「ラ・フィアンマ」・日本初演のエウドッシア、同劇場 2014年10月公演「戯れ事の饗宴」・日本初演のジネーヴラ、同16年10月「クリゼリディス」・日本初演の クリゼリディス。その他、これまでにベートーヴェン交響曲第9番ソプラノソロ、 ペルコレージ「スターバト・マーテル」ソプラノソロ、ベートーヴェン合唱幻想曲ソプラノⅡソロなどを歌った。 メディアでは朝日新聞上で称賛されたほか、モーストリークラッシック、音楽の友等に掲載され、テレビ朝日 「題名のない音楽会」にも数回出演した。二期会会員。

2015年から、テレビ東京「THE カラオケ★バトル」に挑戦。番組から「高音オペラ魔女」と呼ばれ活躍中。年間チャンピオン、トップ7 に輝く。2017年3月8日「燿宴」(徳間ジャパン)よりCD デビューを果たす。2016年8月、宮本亜門氏演出のミュージカル「狸御殿」(新橋演舞場)で十六夜姫に抜擢され、悪役に挑戦し好評を得る。新国立劇場でオペラ「ビバ・ラマンマ」「エトワール」に主演。ソロコンサート「夜宴」を展開している。

(株)オフィスコットン Official Web Site

翠千賀オフィシャルインフォメーション

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◉愛知北FMにて

第1・第3月曜日13:00~13:30

『伊藤由美子のCozy Space』

番組YouTubeチャンネル

サマリー

緑千賀さんのインタビューでは、オペラ歌手を目指すきっかけや大好きな歌について話しています。彼女はオペラ歌手としての役割を大切にし、若い人たちに舞台演技や舞台女優に興味を持ってもらうことも重要だと語っています。緑千賀さんは14歳の頃、アイドル歌手になることを夢見ていましたが、怖いイメージや将来の不安から歌手としての道を選びました。先生たちの支えもあり、彼女は今も歌手として活躍しています。苦しい時期もあったそうですが、送られてきた手紙が彼女を支え、やってみることを決めました。彼女はファンの支えを大切にし、猫を飼いながらレッスンも行っています。

00:10
こんにちは。番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何か、ということをテーマに、
あなたらしくいられる、ちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、
ついつい夢中になってしまうことや、個性を活かして自由に生きること、
そして、日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
伊藤由美子のCozy Space第158回
2023年10月のゲストは、オペラ歌手の緑千賀さんです。
緑千賀さんのインタビューは、第158回から第161回まで、4回に分けてお届けします。
インタビューの1回目は、オペラ歌手を目指したきっかけや、
大好きな歌を仕事にすることについてお話していただいています。
では早速、緑千賀さんのお話をお聞きください。
今日は、オペラ歌手の緑千賀さんにお越しいただきました。
よろしくお願いします。
ということで、今の今日は千賀さんの公演が愛知県であって、
それ私も拝見させていただいて、その後、今日インタビューを受けていただいているということで。
いやもう、あそこはそうじゃないところで、なかなかこの番組に出させていただくことが。
ねえ、やっぱりね、こうやっておしゃべりをちゃんとさせていただく機会もなかなかないので。
そうなんですかね。
なので今日はすごい楽しみに来ました。
いや、もう私も楽しみです。
千賀さんのワイン会、ワインの話はまた後からお聞きしたいと思うんですけど、
ワイン会に4回出させていただいて。
嬉しいですね。ありがとうございます。
いやいや、もうその時に、やっぱりそこでオペラっていうのが自分の中で近い存在になったんですよね。
やっぱり千賀さんを通して。
多分千賀さんに出会ってなかったら、私はオペラを一生に1回も見なかったかもしれない。
でもね、それもきっとあると思いますよ。
なかなかご自身で足を運ばない限り、オペラ歌手は石ころみたいにぶつかるわけでもないので。
だから行こうと思っていただけないと、やっぱりそんな機会はないと思うし、
でも私たちの職業っていうのは、やっぱり聞いていただく方がいて初めてなります。職業だから。
やっぱりふんぞり書いてて何も起きないから、やっぱり聞いていただくっていう、
やっぱり皆さんに近づく、私たちに近づく努力をしなきゃいけない時代になっているので、
だからちょっとでもそれで興味を持っていただいて、
じゃあ他の人の声も見に行ってみようとかしていただけるとすごい嬉しいですよね。きっかけとしてはね。
そうなんですね。私は今23年の9月に今日収録させていただいているんですけど、
ちかさんの舞台を初めて見たのが2021年の11月だったんですよ。
あ、本当?
戦国オペラの本能寺が燃える、あれを見たんです。
そうか。
完璧っていうのが言い方おかしいかもしれないけど、オペラそのだけっていうわけじゃなくて、
ちょっとこうなんて言うんですか、もう掛け算したような形なんですかね、オペラって言っても。
あれは基本的にオペラというよりもちょっとミュージカル近い。
そうですね、ミュージックな感じですね。
みんなマイクもつけてるし、
プラスやっぱり一般のオペラってあんまりよくわからないっていう方にも親しんでいただけるようなやっぱり戦国オペラみたいなね、
やっぱり題材プラス後半にちょっと皆さんが知ってる曲を歌うみたいな、おまけがいっぱいついてるみたいなものなので、
あれをきっかけにオペラってもしかしたら楽しいんじゃないかって思って、
若い人たちへの影響
見るようになってくれた方もいるみたいですよ。
そうなんですね、あの時に演じられてたのが、織田信長の性質ののお姫の役だったじゃないですか。
最初その少女の時代から演じられてたと思うんですよ。
私はもう、千香さんが舞台に出てきて、最初歌った時に、その少女時代の、あ、貴重って言うんでしたっけ。
貴重役の千香さんが歌った時に、すごいずっと取り肌立った。
今言いながらも取り肌立っちゃった。
本当にそれがすごい嬉しい。
すっごいね、なんかその少女の、なんか少女だったんですよ本当に、あの舞台上で。
嬉しかった、だいぶ少女の愛ですけどね。
いやいや、少女でいきましょうか。
でも本当にその少女の可愛らしさが出るプラス、その歌声聞いた時に、ずーっと取り肌立ったのすごいままできますよ。
それはすごい本当に、もう心の底から嬉しい褒め言葉で、私たちって今日の舞台でも言いましたけど、
オペラクションって例えば50なろうが60なろうが主役がお姫様だったら、お姫様を演じ続けられるんですよ。
でもやっぱり年齢に抗わなきゃいけないところがあって、それはやっぱり女性だから声もやっぱり老化していくじゃないですか。
そうですね。
オペラ歌手としての重要性
だけどそこをどうやっていかにクリアしていくかっていうのは、逆に私は今回、このオペラののお姫をやる、芸能界の方達ってやっぱりうまく作るんですよね。
そういうのをオペラだとしっかり発声しなきゃみたいな感じになるんですけど、舞台女優さんとかテレビ界の女優さんとかってうまくコア色だったりとか、
自分の出せることはすべてやってお客様に納得してもらう。
だからこの声いいでしょうじゃなくて、ちゃんと登場人物に寄せていって、例えば自分の歌の評価が下がろうとも、
声楽家として評価が下がろうとも、やっぱり寄せていくっていうのはいかに大事かっていうのを。
そうなんですね。寄せていくっていうことは、お客様に対して見たら違和感をなくすってことなのかなと思ったんですけど。
そうだと思う。やっぱり、例えば初試一つにしても、例えば40歳過ぎていくと、ちょっとやっぱりゆったりした動きになってくる。
確かに確かに。
だけど若い頃って興味があった時に、とにかく誰にでも見たい、聞きたい。
いつも首が黒く曲がってるみたいな。
そういう象徴的な動きをプラスしていったりとかで、お客様には、そうだよね、若い時ってこういう動きするよねって。
だからご自身が自分の経験で納得できるような動きだったり、詳細を入れていくっていうのが、それのテクニックっていうか。
そうなんですね。今改めて、私が2年ぐらい前に見た戦国オペラの話を聞けたじゃないですか。
そうすると今の話、本当に納得がいくんですよ。
よかった。
だから私はあの時に、キッチョー役のチカさんに少女を見たんでしょうね。
だいぶ本当におばさんなんですけど。
いやいやいや、おばさんおばさんって。すいません、私の方が年上なんでやめてください。いいじゃないですか、背番号で。
本当にそれを今言ってくださったのは、舞台役者としては最大の3次なんですよ。
やっぱり、いくらどんなに名前が売れてる方でも、名前イコール優秀さではなくて。
やっぱりこういう私みたいにまだ本当に皆さんに認知していただかなきゃいけない立場の人間が、一人の方でもそうやって思っていただけるっていうことは、もしかしたらそれがどんどんどんどん増えていくっていう。
そういう考え方でいると、すごいものすごい私は今日お話ししたことによってね、またなんか新しい技を結ばなきゃって思えるから。
そうなんですか。
そうなんですね。本当に思ったこと今言ったんですけど、やっぱりすごい印象的だったんですよね。
嬉しい。
だから私のオペラのスタートが、みどりチカさんのキッチョー役だったっていう。
それは本当に私がその良い印象を与え続けられるように、今これから若い本当に今私が教えているような20代の子たちが、何か舞台演技とか、舞台女優とは何かっていうのを少しでも私と接することによって、何か盗んでくれる人が増えたらいいなと思いますよね。
やっぱり指導者の立場になりつつあるので。
そうなんですね。歌も教えてらっしゃったりとかもしますしね。
そうですね。
オペラ歌手を目指すきっかけ
これYouTubeで私は見てしまったんですが、オペラ歌手を目指したきっかけをお話ししてたのがすごい面白いなと思ったんですよ。
どのYouTubeだったっけ?私が使ったYouTube?
違いますよ。なんか出演されてたんですよ。芸人さんみたいな人と女の人がいて、3人で喋ってるやつなんですよ。
インプルエンザー系ですごい鼻水ずるずるの時のやつかな。
ちょっとそこら辺までわかんない。
まだ若い私ですよね。
若いのかな?今印象的にはあんまりわかんない。
このぐらいだったでしょ。この方ぐらいの時じゃないかな。
その時におっしゃってたのが、シンクロナイドスイーミングを見てっていう。
そう。そうなんです。
今ここで話を終えちゃうのも変ですけど、その時に聞かれてたんですよね。
何かオペラ歌手、なぜオペラ歌手になったのかっていう話を。
それはね、人生で自分が本当にこれやりたいかもって思ったことが2つしかないんですよ。
1つは、小谷美佳子さんがシンクロナイドスイーミングを見てる時に全身とりはなかったんですよ。
なんて美しいものを全部で表現してるんだろうって。
で、終わった後のあの笑顔を見て、わーすごいなと思って、今でも話して鳥肌立つんですけど。
今日鳥肌立つ感じ。
ものすごい本当に衝撃だったの。
だって本当に美しかったんですよね。
美しかったんですよ。で、それを子供ながらに見ていて、これやりたいって思ったんですけど、泳げないんですよ私。
まさかの。
で、ここね、最近体、体作りのためにプールに通ってるんですけど、それでやっとね25mクロールができるぐらいになったので、
もうほんと犬かきがせいぜいできるんですよ。
あ、そうだったんですね。
潜れないの。
潜水ができなかった。
潜水できなかったってちょっとね。
無理でしょ。
無理ですね。
なので、もうやめ、それはやめて、で、たまたまその同時期に見てたNHKのリサイテル、外国人の有名な歌手が来てるのを見て、
なんて美しい世界だろう。私のために、その人のためにオーケストラが伴奏を弾いてる。
14歳での決意
50人60人の人が、その人のために。で、歌い終わった後にみんなでブラブラブラって声をかけて、で、その人はお姫様のようにお尻をするわけですよ。
そうですよね。ドレスを着て。
ドレスを着て。で、もうなんて優雅な世界だろうと思っていて、
もうやるとしたら、もう子供の頃から歌がうまいっていうのを言われてたので、
もうそれしかないと思って。
あと、アイドル歌手になりたかったんですけど、無駄がダメって言ったんですよ。
そうなんですか。だって可愛い頃。
いや、それがね、やっぱりアイドル歌手って、例えばアイドルとしてダメになった時に、どうやって食べていくっていうか。
そういうことね。やっぱり親御さんならではないけどね。
そうそう。で、その当時の歌謡会とか芸能界って怖いっていうイメージがどんどんあったらしくて、
この子が道を外れちゃいけないみたいなイメージがあったらしいんですよ。
だからせめて歌をやるんであれば、その音題に行ってくれと。
そしたら、もし歌い手としてダメになったとしても、学校の先生なりお家で教えになりできるじゃないみたいな。
でももうそんなことを考えずに、もう歌しかやりたくなかったから、
もう14歳で、当時の栗立音題の準教授、当時ね準教授だった方に門を叩いて、
そうしたら、もう海のものでも山のものでもないって言われて、
中学2年生の私は褒め言葉だと思ったんですよ。
その言葉ね。海のものでも山のものでもない。
私は天のものだと思った。
すごい。
だからそれだけ本当におバカさんだったんですよ。
帰りに来て寝落ちの母親にね、天のものでも海のものでもないって言われちゃったって喜んで言ったら、
海のものでも山のものでもないって言ったら、
あなたなんでもないってことよって。
先生優しいからあなたダメですって言わなかっただけで、
ブラウトに包んで言ってくれただけよって。
だからどっちかにちゃんとなれるように頑張らないと言われるんで、
そっから頑張って、出会った先生がやっぱり素晴らしい先生たちだったから、
こういう性格だからいい加減なとこもいっぱいあるんだけど、
一生懸命ヒートを伸ばしてくれようと怒られたことがない。
ずっと褒めていただけそう。
この子は怒ったらダメになっちゃう子だっていうのが見えたんでしょうね、先生たちが。
だからどの先生もピアノの先生に関しても、
次の新しい、もっと上の先生に就くのに、
あなたは絶対怖い先生じゃない方がいいって言って、
優しい先生にしてくれたりとか、
本当に人間関係、すごく良いところで育ててもらえて、
芸大に行ってって感じでしたね。
そうなんですね、14歳の時からずっと歌やってるってことなんですね。
そうですね。
私、悪くするところから、
なかなか大学も行っても自分がこの先どうしたいかって、
分かんなかったりする人が多いと思うんですよ。
先生たちの支え
結構早いうちから自分の道がそこから組み立てられてたって、
結構早めなんじゃないかなと思ったんですけど。
もうね、それしか見えてなかったというか、
だからお家帰ってもCDでポチッとプレイをして、
もう自分が主役になったように楽譜とにらめっこして、
有名歌手と一緒に歌うみたいなことをずっとお家で演技してみたりとか。
もうそこからもう訓練がされてるんですよ、今につながる。
夢見る夢込みのまま勉強できてるから、
苦しんでって思いをしたのは芸大受験の時だけ。
そうなんですか。
自分が本当にこれだと思うのに出会えるって素晴らしいことじゃないですか。
他にできたものがなかったんですよ、本当に。
皆さんそうやっておっしゃるんですよ、私、ポッドキャストのインタビュー。
でも本当にそうだと思うんですよ。
例えばこれが私がもっとお勉強ができて、
例えば理科とか科学とか得意だったら、
多分音楽だけに打ち込むことはないと思うんですよ。
だって他にでも褒められる分野があるってことは、
他でもいいんだもん褒められて。
歌しかなかったから。
でもその歌で今ね、それが職業になってるってことはやっぱりね、
誰もがそれができるわけじゃないじゃないですか。
まあそうなのですよ、そうなのですよ。
だから今こういう自分がこういう立場になって、
まさか自分がテレビに出たりとか、自分が主役できるなんて、
夢にも自分になりたいと思ってたけど、
実際そうなった時にはなんかちょっと自分の立場が、
夢見てるみたいなまま。
そういうことですね。
そう、現実に、地に足がついてない状態のこともあってしまう。
たくさん失敗もしてきたんだけれども、
でもどうなんでしょうね。
でもみんな多分それしかできないから、
それだけを本当にやってきてこれてるから、
あんまり自覚ってみんなない。
ないかもしれない。
こうやってインタビューされて改めて行かれると、
言葉としてはそれしか出てこないっていう感覚なのかもしれないですよね。
多分みなさんも同じように思うんですよね。
今が最終のゴールにいるわけでもないから。
そうですよね。
やっぱりどんな人でも日々成長、進化をしていくし、
進化をしているからこそ、
こうやってずっと職業としてもできると思うんですよね。
趣味ではないんで。
苦しい時と手紙の力
仕事としてだから正直苦しい時もあるわけですよ。
しかもだって大好きな歌を仕事にしちゃったりとか、
精神的にやられてる時でも歌わなきゃいけない。
だからそれがすごい自分で嫌になる時もあるわけですよね。
特にコロナの真っ只中の時に。
歌を歌うとみんなに目をかけるみたいな。
そういう雰囲気ありましたもんね。
声を出すってことはそういったのを拡散するんじゃないかなって不思議だね。
なのであの時なんかは自分がやってた、
声楽家も歌い手も息を使う職業の人はみんなそうだと思うんですけど、
全てを否定されて、
生きてる意味のないカテゴリーの人たちみたいな錯覚をしてしまうんですよね。
だから本当に生きた心地がしなかったし、
歌を忘れたカナリアは、
まさしくそれで何しててもつまんないし、
何にも気力が起きない。
そうなんですね。
本来は歌とか音楽で免疫力が上がりますもんね。
本当はね。
歌なんてメンタルとすごくついてるところがあるから、
やっぱりちょっと精神的に参っちゃってる人とかがリハビリするのにはすごく良かったりとかするんですけど、
自分たちがやられちゃうってパターンもやっぱりあるから。
今回のコロナの時は本当にそうなんですよね。
苦しかったですよね。
だから今がまた楽しいし、
ありがたにすごい感じるから。
歌える喜びもやっぱりさらにそれを経てきてるから、
思えるってことはありますよね。
あと皆さんの笑い声だったりとか、
笑ってる顔を見れるっていうのは、
もちろんお仕事だからお金いただいて歌ってるけれども、
何よりもそれが戻ってきた時は最高と思って。
そうなんですね。
今までずっとオペラ歌手と歌手、
声楽家でやってらっしゃるんですけど、
辞めたいと思ったことあります?
ある。
あるんですか?
ある。あるし、このままだったら辞めても別にいいんじゃない?
仕事がない時なんて思ったりしましたけど、
でも最終的に自分から歌を取った時に、
私って何の存在?
どんな意味があってこの世に生まれてきてるだろう?って考えたの。
今まで少なからずとも、
一人でもアチカさんの歌聴いて元気になったって。
何でか分からないけど。
分からないけど。
大宮さん、はい、どうぞ。
私もなんかドキドキしちゃった。
鳥肌とザッと立ちました、また。
でも本当にそうなんですね。
結局苦しいから辞めたいって思うことって、
結構過弁の時にあったりするんですよ。
特に私は、こういう女性同士のラジオだから、
私もプライベートで離婚をしてたりとかね、
いろんな苦しいことも、人には言えないくらい苦しいこともいっぱいあって、
その時も歌を辞めようと思ったんですよ、やっぱりね。
歌うことが辛かったから。
歌うこと自体が?
歌えないんですよ。声が出てこないんですよ。
そうなんだ。いろんな苦しすぎて。
そうそうそう。
だからそれは先週からお医者さんに薬飲んでてもいいから、
健やかにした方がいいよって言われて、
もう薬も飲みたくないんですよ、自分のプライドとしてね。
そこまではまだ元気なつもりでいるし。
だからそういうので、本当にただその時に励みになったのが、
昔やっぱりそういうことじゃないけれども、やっぱり辞めようかなって、
本当にハロー告ろうとした時に、
今までの皆さんから言ってもらえた一言だったり、
あとは、やっぱり私の歌で救われた人って手紙を書いてくれるんですよ。
そうなんですか。
で、私何も聞いてないのに、自分の反省の辛かったこととかがあって、
今乗り越えられているのはちかさんのおかげです、みたいなことを書いてくれるわけ。
そういうのが持ってあるわけじゃない、私は。
で、それを整理しようと思って捨てようって思ったりとかした時に、
この人たちの思いまで捨てることになっちゃうかもしれないな、私は思って。
そういうことか。
そうですよね。
ちかさんの歌を通して自分の人生のストーリーをそこに映したわけですよね。
それをまたちかさんに感謝の気持ちを込めて、手紙としてそこに託して送ったってことですよね。
で、その人たちは絶対ちかさん頑張って、それこそ大げさじゃないけれども、
私からしたらもうすごい夢の夢だけど、ただ紅白で出てくださいって言って、
もう気になるから期待して書いてくれるわけじゃない。
歌を辞めようと思ったが手紙に支えられて
そういうのを一緒に私の弱くなっている私と一緒に捨てちゃったら、
この人たちも一緒にまた弱くなっちゃうんじゃないかって思いもあったりとかして、
だが結局辞めてないかなっていう感じかな。
やっぱりそこでその方たちの手紙に支えられて、
またやっぱりやってみようっていうふうに思い直したっていうことですね。
本当にだから今も私の周りにいるファンの人たちと応援してくれてる人たちは、
本当に人間的にもいい人たちで、
私はやっぱりそういう人たちと一緒に歩んできてるから仲がいいんですよ。
どっちかというと皆さんとお話しするし、私も一生懸命名前を覚えて、
次の時に会った時にまたお話しできるようにとか、
やっぱりそれって嬉しいじゃないですか、ファンと一人してみればね。
だからそういうのを大事にしてるから、
とにかく逆にみんなも私がちょっとでも変だと大丈夫ですか、
ちかさんとか声をかけられるし、かけてくれるし、
だから本当にもうちょっとも私たちの関係ができてるから、
もう今さらやめられないかなっていう。
そうですね。
ですしやっぱりね、歌って多分皆さんからの反応があって喜びってきっと、
演じてらっしゃる方、歌ってらっしゃる方があるから、
それがこう日頃の苦労より勝るからやっぱり続けられるってあるんでしょうね。
そうですね、まさに本当にそう。
だからそこは本当にプライスレスっていうか、
なんかお金を払ってもらえるものではないから、
だから今日なんかもう最後マイウェイとかね、
歌った後に本当にみんなの心から復讐してるのが感じるじゃないですか、みんながね。
もう曲が終わるからやるんじゃなくて、
だからそれで、やっぱりやってよかったなっていう気持ちがやっぱり勝ると、
やっぱりここで負けてちゃダメだよなって思うかな、やっぱり。
そうなんですね。
じゃああれですね、やっぱりこの先もオペラ歌手、声楽家としてね、
やり続けるのも決まってますね、決まってますね。
そう、だからもうそれこそ80代になろうが90代になろうが、
もう死ぬまで歌って同じなんだろうなと。
ファンの支えと猫
もう歌しかないし、歌以外のことは全く何もできないから、
本当に猫の皿ぐらいもできる。
猫大好きなんですね。
そう。
6匹飼ってるって思ってませんでした?
そう、6匹、6匹です。
それはかなり好きだなと思いますよね。
でもね、かわいいのが、うちの猫たちはやっぱり常に音楽が流れてるでしょ?
常にママが歌ってるでしょ?
だから歌を歌って警戒するとか全くないし、
生徒さんのレッスンしてる時も、
私が例えば違うわよ、こうよとか言って声出したりとか、
あと生徒さんがうまくいっていい声出すとね、
1匹の猫はね、歌が大好きだから寄ってきてすりすりが始まる。
そうなんですね。
上手か下手かのバラメーターになってます。
すごい。
うちの猫が。
すごいそれ。
で、みんなちゃんとレッスン。
うちはレッスン室を開けて入ってきちゃうよね、猫が。
自分で。
そうなんですか。
普通ギャーギャーうるさいとこって猫嫌でしょ?
入ってきちゃう。
入ってきて、みなさんが歌ってるところでお昼にして。
だから猫カフェより先生の家の方が楽しい。
みんなうちに来てる。
猫好きが済まうというレッスン場があるかもしれない。
本当に不思議なことに猫ダメですという人が一人もいない。
環境を知らなくてもし申し込んできても、
けっと猫好きだったみたいな。
びっくり。
それを呼び寄せてますよ。
レッスンの生徒さんたちもまたできた生徒さんたちで、
本当に類は共用語じゃないけれども、
個性的だし、人の痛みがわかるような人たちばっかりだから、
レッスンしてても半分、例えば人生相談みたいになったりとか、
歌ってやっぱりメンタルとつながってるから、
歌ってると先生聞いてくれるって言って、
半分そういう話になったりとか。
そうなんですね。
でもそれによって、例えば悩んでたり、何か苦しかったことが
少しクリアになると歌が変わるってことですよね。
そう。
声の波長って変わるんですよ。
わかります。
3年くらいこのポッドキャストやってますけど、
自分の声も聞くじゃないですか。
もちろんレッスンの方も声も聞くんですよね。
みどりちかさんにご登場していただきました。
次回も引き続き、みどりちかさんに
音楽の指導者としての向き合い方や、
歌うときに大切にしていることなどについてお話ししていただきます。
番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は、
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新しく配信されたものがスムーズに聞けますので、
番組登録をよろしくお願いします。
この番組は音楽事務所ロイスタープロダクションの提供でお送りしました。
それでは次回もお楽しみに。
伊藤恵向でした。
26:19

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