こんにちは。番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何か、ということをテーマに、
あなたらしくいられる、ちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、
ついつい夢中になってしまうことや、個性を活かして自由に生きること、
そして、日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
伊藤由美子のCozy Space第158回
2023年10月のゲストは、オペラ歌手の緑千賀さんです。
緑千賀さんのインタビューは、第158回から第161回まで、4回に分けてお届けします。
インタビューの1回目は、オペラ歌手を目指したきっかけや、
大好きな歌を仕事にすることについてお話していただいています。
では早速、緑千賀さんのお話をお聞きください。
今日は、オペラ歌手の緑千賀さんにお越しいただきました。
よろしくお願いします。
ということで、今の今日は千賀さんの公演が愛知県であって、
それ私も拝見させていただいて、その後、今日インタビューを受けていただいているということで。
いやもう、あそこはそうじゃないところで、なかなかこの番組に出させていただくことが。
ねえ、やっぱりね、こうやっておしゃべりをちゃんとさせていただく機会もなかなかないので。
そうなんですかね。
なので今日はすごい楽しみに来ました。
いや、もう私も楽しみです。
千賀さんのワイン会、ワインの話はまた後からお聞きしたいと思うんですけど、
ワイン会に4回出させていただいて。
嬉しいですね。ありがとうございます。
いやいや、もうその時に、やっぱりそこでオペラっていうのが自分の中で近い存在になったんですよね。
やっぱり千賀さんを通して。
多分千賀さんに出会ってなかったら、私はオペラを一生に1回も見なかったかもしれない。
でもね、それもきっとあると思いますよ。
なかなかご自身で足を運ばない限り、オペラ歌手は石ころみたいにぶつかるわけでもないので。
だから行こうと思っていただけないと、やっぱりそんな機会はないと思うし、
でも私たちの職業っていうのは、やっぱり聞いていただく方がいて初めてなります。職業だから。
やっぱりふんぞり書いてて何も起きないから、やっぱり聞いていただくっていう、
やっぱり皆さんに近づく、私たちに近づく努力をしなきゃいけない時代になっているので、
だからちょっとでもそれで興味を持っていただいて、
じゃあ他の人の声も見に行ってみようとかしていただけるとすごい嬉しいですよね。きっかけとしてはね。
そうなんですね。私は今23年の9月に今日収録させていただいているんですけど、
ちかさんの舞台を初めて見たのが2021年の11月だったんですよ。
あ、本当?
戦国オペラの本能寺が燃える、あれを見たんです。
そうか。
完璧っていうのが言い方おかしいかもしれないけど、オペラそのだけっていうわけじゃなくて、
ちょっとこうなんて言うんですか、もう掛け算したような形なんですかね、オペラって言っても。
あれは基本的にオペラというよりもちょっとミュージカル近い。
そうですね、ミュージックな感じですね。
みんなマイクもつけてるし、
プラスやっぱり一般のオペラってあんまりよくわからないっていう方にも親しんでいただけるようなやっぱり戦国オペラみたいなね、
やっぱり題材プラス後半にちょっと皆さんが知ってる曲を歌うみたいな、おまけがいっぱいついてるみたいなものなので、
あれをきっかけにオペラってもしかしたら楽しいんじゃないかって思って、
だけどそこをどうやっていかにクリアしていくかっていうのは、逆に私は今回、このオペラののお姫をやる、芸能界の方達ってやっぱりうまく作るんですよね。
そういうのをオペラだとしっかり発声しなきゃみたいな感じになるんですけど、舞台女優さんとかテレビ界の女優さんとかってうまくコア色だったりとか、
自分の出せることはすべてやってお客様に納得してもらう。
だからこの声いいでしょうじゃなくて、ちゃんと登場人物に寄せていって、例えば自分の歌の評価が下がろうとも、
声楽家として評価が下がろうとも、やっぱり寄せていくっていうのはいかに大事かっていうのを。
そうなんですね。寄せていくっていうことは、お客様に対して見たら違和感をなくすってことなのかなと思ったんですけど。
そうだと思う。やっぱり、例えば初試一つにしても、例えば40歳過ぎていくと、ちょっとやっぱりゆったりした動きになってくる。
確かに確かに。
だけど若い頃って興味があった時に、とにかく誰にでも見たい、聞きたい。
いつも首が黒く曲がってるみたいな。
そういう象徴的な動きをプラスしていったりとかで、お客様には、そうだよね、若い時ってこういう動きするよねって。
だからご自身が自分の経験で納得できるような動きだったり、詳細を入れていくっていうのが、それのテクニックっていうか。
そうなんですね。今改めて、私が2年ぐらい前に見た戦国オペラの話を聞けたじゃないですか。
そうすると今の話、本当に納得がいくんですよ。
よかった。
だから私はあの時に、キッチョー役のチカさんに少女を見たんでしょうね。
だいぶ本当におばさんなんですけど。
いやいやいや、おばさんおばさんって。すいません、私の方が年上なんでやめてください。いいじゃないですか、背番号で。
本当にそれを今言ってくださったのは、舞台役者としては最大の3次なんですよ。
やっぱり、いくらどんなに名前が売れてる方でも、名前イコール優秀さではなくて。
やっぱりこういう私みたいにまだ本当に皆さんに認知していただかなきゃいけない立場の人間が、一人の方でもそうやって思っていただけるっていうことは、もしかしたらそれがどんどんどんどん増えていくっていう。
そういう考え方でいると、すごいものすごい私は今日お話ししたことによってね、またなんか新しい技を結ばなきゃって思えるから。
そうなんですか。
そうなんですね。本当に思ったこと今言ったんですけど、やっぱりすごい印象的だったんですよね。
嬉しい。
だから私のオペラのスタートが、みどりチカさんのキッチョー役だったっていう。
それは本当に私がその良い印象を与え続けられるように、今これから若い本当に今私が教えているような20代の子たちが、何か舞台演技とか、舞台女優とは何かっていうのを少しでも私と接することによって、何か盗んでくれる人が増えたらいいなと思いますよね。
やっぱり指導者の立場になりつつあるので。
そうなんですね。歌も教えてらっしゃったりとかもしますしね。
そうですね。
50人60人の人が、その人のために。で、歌い終わった後にみんなでブラブラブラって声をかけて、で、その人はお姫様のようにお尻をするわけですよ。
そうですよね。ドレスを着て。
ドレスを着て。で、もうなんて優雅な世界だろうと思っていて、
もうやるとしたら、もう子供の頃から歌がうまいっていうのを言われてたので、
もうそれしかないと思って。
あと、アイドル歌手になりたかったんですけど、無駄がダメって言ったんですよ。
そうなんですか。だって可愛い頃。
いや、それがね、やっぱりアイドル歌手って、例えばアイドルとしてダメになった時に、どうやって食べていくっていうか。
そういうことね。やっぱり親御さんならではないけどね。
そうそう。で、その当時の歌謡会とか芸能界って怖いっていうイメージがどんどんあったらしくて、
この子が道を外れちゃいけないみたいなイメージがあったらしいんですよ。
だからせめて歌をやるんであれば、その音題に行ってくれと。
そしたら、もし歌い手としてダメになったとしても、学校の先生なりお家で教えになりできるじゃないみたいな。
でももうそんなことを考えずに、もう歌しかやりたくなかったから、
もう14歳で、当時の栗立音題の準教授、当時ね準教授だった方に門を叩いて、
そうしたら、もう海のものでも山のものでもないって言われて、
中学2年生の私は褒め言葉だと思ったんですよ。
その言葉ね。海のものでも山のものでもない。
私は天のものだと思った。
すごい。
だからそれだけ本当におバカさんだったんですよ。
帰りに来て寝落ちの母親にね、天のものでも海のものでもないって言われちゃったって喜んで言ったら、
海のものでも山のものでもないって言ったら、
あなたなんでもないってことよって。
先生優しいからあなたダメですって言わなかっただけで、
ブラウトに包んで言ってくれただけよって。
だからどっちかにちゃんとなれるように頑張らないと言われるんで、
そっから頑張って、出会った先生がやっぱり素晴らしい先生たちだったから、
こういう性格だからいい加減なとこもいっぱいあるんだけど、
一生懸命ヒートを伸ばしてくれようと怒られたことがない。
ずっと褒めていただけそう。
この子は怒ったらダメになっちゃう子だっていうのが見えたんでしょうね、先生たちが。
だからどの先生もピアノの先生に関しても、
次の新しい、もっと上の先生に就くのに、
あなたは絶対怖い先生じゃない方がいいって言って、
優しい先生にしてくれたりとか、
本当に人間関係、すごく良いところで育ててもらえて、
芸大に行ってって感じでしたね。
そうなんですね、14歳の時からずっと歌やってるってことなんですね。
そうですね。
私、悪くするところから、
なかなか大学も行っても自分がこの先どうしたいかって、
分かんなかったりする人が多いと思うんですよ。
仕事としてだから正直苦しい時もあるわけですよ。
しかもだって大好きな歌を仕事にしちゃったりとか、
精神的にやられてる時でも歌わなきゃいけない。
だからそれがすごい自分で嫌になる時もあるわけですよね。
特にコロナの真っ只中の時に。
歌を歌うとみんなに目をかけるみたいな。
そういう雰囲気ありましたもんね。
声を出すってことはそういったのを拡散するんじゃないかなって不思議だね。
なのであの時なんかは自分がやってた、
声楽家も歌い手も息を使う職業の人はみんなそうだと思うんですけど、
全てを否定されて、
生きてる意味のないカテゴリーの人たちみたいな錯覚をしてしまうんですよね。
だから本当に生きた心地がしなかったし、
歌を忘れたカナリアは、
まさしくそれで何しててもつまんないし、
何にも気力が起きない。
そうなんですね。
本来は歌とか音楽で免疫力が上がりますもんね。
本当はね。
歌なんてメンタルとすごくついてるところがあるから、
やっぱりちょっと精神的に参っちゃってる人とかがリハビリするのにはすごく良かったりとかするんですけど、
自分たちがやられちゃうってパターンもやっぱりあるから。
今回のコロナの時は本当にそうなんですよね。
苦しかったですよね。
だから今がまた楽しいし、
ありがたにすごい感じるから。
歌える喜びもやっぱりさらにそれを経てきてるから、
思えるってことはありますよね。
あと皆さんの笑い声だったりとか、
笑ってる顔を見れるっていうのは、
もちろんお仕事だからお金いただいて歌ってるけれども、
何よりもそれが戻ってきた時は最高と思って。
そうなんですね。
今までずっとオペラ歌手と歌手、
声楽家でやってらっしゃるんですけど、
辞めたいと思ったことあります?
ある。
あるんですか?
ある。あるし、このままだったら辞めても別にいいんじゃない?
仕事がない時なんて思ったりしましたけど、
でも最終的に自分から歌を取った時に、
私って何の存在?
どんな意味があってこの世に生まれてきてるだろう?って考えたの。
今まで少なからずとも、
一人でもアチカさんの歌聴いて元気になったって。
何でか分からないけど。
分からないけど。
大宮さん、はい、どうぞ。
私もなんかドキドキしちゃった。
鳥肌とザッと立ちました、また。
でも本当にそうなんですね。
結局苦しいから辞めたいって思うことって、
結構過弁の時にあったりするんですよ。
特に私は、こういう女性同士のラジオだから、
私もプライベートで離婚をしてたりとかね、
いろんな苦しいことも、人には言えないくらい苦しいこともいっぱいあって、
その時も歌を辞めようと思ったんですよ、やっぱりね。
歌うことが辛かったから。
歌うこと自体が?
歌えないんですよ。声が出てこないんですよ。
そうなんだ。いろんな苦しすぎて。
そうそうそう。
だからそれは先週からお医者さんに薬飲んでてもいいから、
健やかにした方がいいよって言われて、
もう薬も飲みたくないんですよ、自分のプライドとしてね。
そこまではまだ元気なつもりでいるし。
だからそういうので、本当にただその時に励みになったのが、
昔やっぱりそういうことじゃないけれども、やっぱり辞めようかなって、
本当にハロー告ろうとした時に、
今までの皆さんから言ってもらえた一言だったり、
あとは、やっぱり私の歌で救われた人って手紙を書いてくれるんですよ。
そうなんですか。
で、私何も聞いてないのに、自分の反省の辛かったこととかがあって、
今乗り越えられているのはちかさんのおかげです、みたいなことを書いてくれるわけ。
そういうのが持ってあるわけじゃない、私は。
で、それを整理しようと思って捨てようって思ったりとかした時に、
この人たちの思いまで捨てることになっちゃうかもしれないな、私は思って。
そういうことか。
そうですよね。
ちかさんの歌を通して自分の人生のストーリーをそこに映したわけですよね。
それをまたちかさんに感謝の気持ちを込めて、手紙としてそこに託して送ったってことですよね。
で、その人たちは絶対ちかさん頑張って、それこそ大げさじゃないけれども、
私からしたらもうすごい夢の夢だけど、ただ紅白で出てくださいって言って、
もう気になるから期待して書いてくれるわけじゃない。