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  2. #45 チーム犬の散歩のサイちゃん
2022-12-04 1:52:15

#45 チーム犬の散歩のサイちゃん

38人目のゲストは石塚 彩子 a.k.a サイちゃんにお話を伺いました。

Instagram ☞ @psi315

  • 神奈川県藤沢市生まれ
  • スポーツはバスケや器械体操
  • 中二で再びバスケ部
  • 高校時代はバンド
  • ベース→ギター→キーボード→ドラム
  • ハマったトランスレコード
  • スペイン語に費やした大学4年間
  • 保険会社かと思いきやファッション業界へ
  • 大変だった接客
  • トレランを始めたきっかけは歩けるから!?
  • 石川弘樹さんからトレランを学ぶ
  • 2009年見た激走モンブラン
  • 2010~2011年信越五岳
  • 2012年Tor des Geants初参戦
  •  Tor des Geantsにでるきっかけ
  • 2013年2度目のTor des Geants
  • 2014年UTMF
  • 2014年Tor des Geantsに向けたのトレーニング
  • 2014年Tor des Geants本番
  • 2016年KOUMI100のエピソード
  • 2019年HURTでの田中さんのサポート
  • 今後のトレランとの向き合い方


★編集後記★

田中さんの「彩子さんは面白いよ」から始まったこの回。蓋を開いたら本当に面白かったです。

色々とトレーニングや今に悩んでいるかたに聞いたいただけたらかなり刺激になると思います。

彩子さんのストイック具合と折れない心のメンタルの強さ。

話を聞いている私もかなり勉強になりました。

努力すること小さいことでもコツコツと毎日やっていくことの重要さを身に沁みました。

今回はありがとうございました。


質問・フィードバック等は「#welovetimer」「#Timers」と付けTwitterより投稿お待ちしてます。

ドネーションを募集しています。ポッドキャスト維持に役立てますのでよろしければこちらからお願いします。

www.buymeacoffee.com/welovetimer

サマリー

FTRレースの経験を通じて、参加者たちは挑戦や課題について語り合います。特に股関節の柔軟性や地味なトレーニングの重要性が強調され、トレイルランニングの未来についても論じられています。このエピソードでは、サイさんが中学校時代の体操の思い出や高校時代のバンド活動について話し、音楽やスペイン語の学びについても触れています。また、タバコの経験や大学時代の生活についても興味深いエピソードが展開されています。サイさんの経験を通じて、就職活動やファッション業界の厳しさが語られ、仕事における人間関係の複雑さが浮き彫りになります。さらに、サイさんが走り始めたきっかけや仲間との絆が強調され、走ることの楽しさが共有されています。このエピソードでは、サイさんが走り始めたきっかけやトレイルランニングの楽しさ、そしてタバコをやめた経緯について話します。また、トレイルランニングのイベントやレースに挑戦する中での経験や思い出が共有されます。ポッドキャスト「#45 チーム犬の散歩のサイさん」では、トルデジアンに挑戦した経験やその過程での苦労が語られています。サイさんは、初めてのレース参加でさまざまな挑戦を経て、達成感を得ました。2014年のトルデジアンに向けたトレーニングの過程や、UTMF、彩子さんのチャレンジ精神についても話されます。また、怪我を避けるためのトレーニング方法やビリー玉チャレンジなど、練習の重要性に焦点を当てています。このエピソードでは、2014年のトルデジアンでの体験を通じて、完走の挑戦や風邪の影響についての心理戦が描かれています。また、エディとの関係やその感動的なゴールシーンにも焦点が当てられています。ポッドキャストエピソードでは、ランニングや完走の体験についての興味深い話が繰り広げられています。特に、チーム犬の散歩と西子さんの活躍、心臓発作の経験が語られ、準備の重要性が強調されています。

FTRレースの振り返り
おつかれさまです。おつかれさまです。FTR、おつかれさまでした。
いえ、たいした成績も残せず。
49位?
そうでしたね。49でしたか?そのくらいだったっけ?50位以内だったですね。
目標は達成できたの?
できてないですね。
あ、そうなんだ。
ちょっと目標18時間とか切りたいなと思ったんですけど、ちょっと舐めてましたね。
どれくらいあったの?
20時間いくつで、思ってたよりも丸山。
サイの国の時に丸山通らなかったんですよ。
で、今回FTRで丸山通ったりして、ちょっと思っているよりもヘビーでしたね。
丸山って北のノース側の?
そうです。
あれ、丸山って前回カットされてたんだっけ?
そうなんですよ。FTR、あのサイの国の時は。で、今回が丸山通って、
ちょっと後半50キロでやられたというか、
まあでも平地は走れてたんで、ある程度練習の成果は出てたのかなと思ったんですけども、
原沢先生にも言われたんですけど、やっぱり股関節周りが硬いんで、
どうしても急凍になってしまうと、そこら辺で変に大体止凍菌を使ってしまって、
で、多分それが不運にも後々いろんな影響を及ぼしたんじゃないのというのをこの前ちょっと言われまして、
ちょっと今は地味に股関節周りをちょっと柔らかくしようかなと思っております。
股関節を柔らかく?
そうですね。たぶんよく言われるんですけど、ケツが使えてないってやつですかね。
まあなかなか難しいかなっていうところはありますけど。
まあそこを克服しないと。
来年黄色信号だぞという感じ?
いや、そこまでじゃないんじゃない?
いや、ちょっとまあまあやっぱり備えるべき。
まあでもいい前哨戦ができたのかなと個人的には思っております。
股関節とトレーニング
最後の国100Kを完走したということで。
そうですね。って思っていればって感じですけど、ちょっと来年また鍛え直して。
で、1月は田中さんも走られる。勝つか。
走るかどうかわかんないけど、エントリーはしただけ?
エントリー揃ったんですよね。
で、自分3月実は地味にですね、超えると90K出るんですよ。
なんで?
いや、一応経験としていろいろ出ようかなと思って。今年は。
あ、ごめんなさい。来年か。
来年は。
ちょっとレースをいろいろ入れて、ちょっと経験値を上げようかなと。
その次の最後の国以降の経験はまだ考えてないんだ。
次が御岳ですね。御岳2月1日に優先エントリーがあるんで。
エントリーするんだ。
一応御岳もして、浮かれば、中線で通れば。
あれ中線じゃない人だって。
私、はいはい。御岳は大丈夫ですけど、9月が新越をちょっと頑張って。
新越100マイル?
出れればそうですね。
で、後役払いをしようかなと。
役払い?後役払い。トレイルランナーになるんだ。
そうですね。やっと。
やっと。
なろうかなと思っております。
はい。
で、今日ついに38人目のゲストですね。
はい。
お呼びしたいと思います。石塚紗友子さんです。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
はい、オープニングで緑さんの回と女王の回は聞いていただけているとのお話を得られたので、
大抵の流れは多分ご存じかなと思われております。
はい、と思います。
あれだよ、紗友子ちゃんは原田治療院。
そうですね。
二郎さんが行ってて、紗友子ちゃんが行って、紗友子ちゃんが鈴木潤子さんに紹介したって感じですよね。
潤ちゃんを紹介したつもりはなかったけど、潤ちゃんが行っていた。
多分、紗友子ちゃんが行ってたから行き出したんだと思うんですよ。
多分そうだと思う。行きますよっていうふうには紹介してはいないはず。
多分それが縁で僕とアッちゃんが行けるようになったっていう。
そうですね。
鈴木さんも行ったりして。
そうです、そうです。
あとでいいか、この話は。
いいですよ、いつでも。
でも一応、2014年のトールデジナルの完走の時にもちょっとすげえブログがあったんで、ちょっとそこもお話というのもあるんで。
別に今でも全然構わない。
じゃあ後で。
ちょっとこれはですね、自分嫁にも送っちゃいました。紗友子さんのブログを。
なんで?
読んだほうがいいぞと。
ダメな人は読んだほうが。
ちょっと言っちゃいますけど、あの地味なトレーニングをやり続けるって、僕は相当だと思います、本当に。
ゲストの紹介と体操
地味?原沢さんの?
地味でしたね。
原沢さんに二郎さんと紗友子さんは優等生って言われたんですけど、僕は劣等生って言われて。
お前は本当に何もやらねえなって、いつも言われてるんで。
私は唯一言うことを聞いた人って。
言ってました。
本当お前は人に言うこと聞かねえって自分も言われてるんで、ちょっとその話も後ほど聞いていただければと思います。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まずは走る前にいろいろとゲストの方を深掘りさせていただきたいなと思うんですけども、紗友子さんご出身はどちらになるんですか?
神奈川県の藤沢市です。
じゃあ元々が今近辺が地元ということなんですね。
近辺。隣の。今は隣の隣の市区ですね。今は寿司市なんで。
藤沢市って言うとやっぱり小さい頃からもう海とかそこら辺にはかなり。
それが私が住んでたところはほんのちょっと内陸で、海は逆に憧れ。
そんな憧れって変ですけど、そっちに住んでみたかったなみたいな感じでした。
藤沢もじゃあ大船みたいにちょっと山側もあれば。
そうそう、もちろんもちろん。山側っていうか平坦な入り口になってる感じですけど。
そうなんですね。藤沢って言うとコンビニに行くといつもゴミ袋がすげえ高いなっていう印象が思って。
有料ゴミ袋ね。あれでも家の前まで全部回収しに来てくれるから。
そうなんですか。
そうですよ。一軒一軒取りに来てくれる。
へー素晴らしい。
すごいんです。
田中さん川崎は今わかんないですけど毎日ゴミ捨てに来ましたよね。
今でも行くよ。
そうなんですか、やっぱり。
あれ、あっちゃん今川崎じゃないのだって。
自分川崎マンションなんで自分はボンボン捨ててるだけなんだけど。
いや、ちゃんと歩いて50メートルぐらいかな。歩いてゴミは捨てる。
ちょっとそこ想像しにくいところもありますけど。
あの素材ゴミは唯一金払ってるんで。
はいはいはい。
家の前に置いとくと。ただなんか予約しなきゃいけないんでめんどくさいんだけどね。
めんどくさいですね。
それは自分も引っ越しの時につくづく思いました。
ちなみに小さい頃っていうのは何か、どんなスポーツをされていらっしゃったんですか。
小さい頃は小学生とか。
そうですね、小学校。
小学生の時に、えー確かちょっとバスケやったり、マット運動とかが好きだったんですよね。
機械体操ではなくマット運動。
機械体操的なのがあって。
小学校5年生の時にちょっと大阪の方、大阪じゃないや兵庫県の方に引っ越したんですよ。
その時に体操部があったから体操部に入った。
あれ?あってますよね。あってるあってる。
ちょっと待って、違ったかも。忘れちゃった。中学からだったかも。
でもなんかそんな感じで、機械体操をやってました。
ってことは鉄棒とか。
えーとね、平均台とか。
はいはいはい。
長刃?飛び箱みたいなやつ。
はいはいはいはい。
床、床運動。あったじゃないですか、バク転みたいな。
ありますね、はいはいはい。
ああいうのやってました。
あれですよね、でも小さい頃に機械体操すると後々すごく運動神経良くなるとかっていうのは聞いたことありますけど。
それがものすごく運動神経が悪くって。
そうなんですか。
めちゃめちゃ体が硬くて。
はいはい。
体操部の中でも一番体が硬くて。
へー。
先輩がこう上に乗ってまた割りとかするんですけど、毎日毎日なんて。
死にたくない。
みたいな感じでしたね。
それで柔らかくなるんですか。
一応ベタっとはくっつくように。
そこまでしないとならないのかな。
柔らかい子はそんなことしなくても大丈夫だけど、私は硬すぎるから毎日上に乗られでしたね。拷問でしたね。
僕も全然ダメですね。
ダメですね。どのくらいで慣れるんですか、ベタっと。どのくらいでつくもんなんですか。
どのくらいかかったんだろう、でも半年とか私はかかってたと思いますよ。
半年。
ちっちゃい頃だからたぶんみんな本来だったら簡単にベタっとくっつくんだと思うんですけど、私はそれがなかったから大変だった。
きついっすね、半年乗られるのは。
で、中学の時にまた中2、中2だったかな、の時にまたこっち帰ってきたんですよ。
そしたら体操がなくて。
で、ちょっと小学校の時にバスケもかじってたから、バスケも入ってみようかなと思って入ったら、まあ使えなくて。
バスケやってるうちに体が硬くなり、もう全然、解脚とかもまた元に戻り、ガッチガチの体になりました。
体の硬さが戻ってしまうんですか、やらなくなると。
やらないと、私の場合は完全に戻りました。
原沢さんにも、さえこさんは無理、硬いのはもう治らないみたいな。
治らないんだ。
前屈で手が届かないんですよ、床に。
僕も全然届かないですよ。
え、本当?
全然、はい。
あ、そうなんだ。
私も届かないですね。
え、本当?
はい。
でもなんかその、デッドリフトとかをやってれば、いつかはつくって言われ続け、途中で、もういい、頑張んないでいいみたいに。
二度とさえこさんはつかないから。
言われた。
え、でも体の硬さ、お話聞いてると先天的ではないけど。
いや私たぶん、側腕があるから、たぶんそれのせいもあって、先天的にひまがってるから無理っていう。
先天的なのかな、後天的なのかわからないけど、ひまがってっちゃってるからもう無理。
でもあれですか、体操のときは爆点とかもできてはいたんですか?
できてはいました。爆点爆中。
回ってる間ってどうなんですか?
ちょっと突拍子もない質問かもしれないんですけど。
覚えてないよ。
回ってるときは特に考えて、手つけるかなくらいしか考えてないから、世界が回ってるとかそういうのはないですよ。
はいはいはいはい。
たかが一回転だから。
いやー、ちょっと怖くて無理ですね。
最初はね、だから支えてもらって、パンツの後ろ側、腰のあたりをギュッと掴んでもらって、ひっくり返す感じでやるんですよ。
で、体がだんだん覚えていって、いつか先輩が手を離す。
まずじゃあ爆点から一応、導入は爆点からってことなんですよね、やっぱり。
導入は側天からかな。
側天のなんかあれですよね、ロンダートとかなんかありますよね、最後に体をひねるみたいな。
そうそう、ロンダートやって、で爆点。
で、最終的に爆中ということで。
そうです。
すごいな。
でもこれ子供の時の話だから。
いやいやいやいや。でも確かにクラスでうちいましたよ、爆点に憧れてた男子は。
ね、男の子はね。
よく体育館のマットを敷いて、ただ頭打って救急車呼ばれたりしてもいましたけど。
これちょっと面白いから言いたいんですけど、なんで田中さん黙ってるんですか。
こういう話してる時に半笑いで黙ってられると、ちょっと喋りにくいなみたいな気分になる。
いや、あっちゃん詳しいなと思いながら。
そうね、いろいろね。
友達がいないからこういうのが詳しくなっちゃったんですよ。
どうですか田中さん、なんかありますか体操の思い出。
いやー、測点はできるけど爆点はできないかな。
俺も爆点は憧れたけど。
そうなんですか。
飛び箱は得意だったかな。
中学時代の体操の思い出
ただ、飛び箱で手ついて1回転するとか、そういうの中学校時やったけど、そんなもんですね。
爆点はできないかな。
飛び箱の上で1回転するってあるじゃないですか。
俺あれで飛び箱で飛んだ瞬間に手ついて1回転するっていうのありますよね、体育の授業。
あんまあるね。
ありますよね。
あれで着地失敗して自分、何もないところに脳天から落ちて、1人DDTをやった記憶があるんですよね。
どういうこと?
このままどっかで横に行っちゃったみたいで、入った入りが悪かったんですよね。
手をつけなかったの?
手ついて回ったんですけど、この状態で滑ったかなんかで、
もうこの頭が下のまま、マットもないところの板に頭が落っこって。
痛い。
救急車運ばれたの?
多分それが元でバカになったかもしれないですね。
でも中学生ってそういうのが笑いになって終わっちゃうんですけど、今考えると何もなくてよかったなと思いますけど、本当に。
高校時代のバンド活動
いやなんか体操はね、星野富裕さんとかも、確か体育の授業で怪我されて動けなくなっちゃったっていう話を聞いたことあるんで、
いろいろと多分危険なスポーツだなっていうのを、小学校でやられてた斎藤さんが僕はすげえなと思いますけど。
でもその後バスケに行ったら全然使えなくて、試合に戻させてもらえず、どんどん運動が嫌いになり。
もう高校入ったら、あれですよ、バンドやって帰宅部ですよ。
そうなんですね。高校じゃないですか、軽音楽部とかだったんですか?
軽音楽部にも入らず、部活なんかやんないみたいな感じで、外の学校の人とバンド組んだりとか。
もうダメな感じに、夜大好きみたいな感じになっていって。
この頃がバンドブームの頃ですか?
バンドブームだったとは思いますよ。女の子はみんなプリプリとかレベッカとか好きみたいな感じ。
でも私は全然変なノイズバンドとかやってて。
ちなみにどんなのを聴いてたんですか?
でもいろいろ聞いてたんですけど、言ってもわかんないんだよな。
海外とかで言ったら、CureとかEcho and the Bunnymenとか、わかんないかな。
Cureは知ってますよ。
どういう感じなんですか、田中さん、音楽の系統として。
難しいな。なんて言うんだろうな。
なんて言うんですか、言うの。
とりあえずボーカルが化粧してるんだよ。
ビジュアル的な感じなんですか、そういうわけでもないんですか、まだ。
そういうのじゃない。
音楽は違う、ビジュアル系っていうわけではないんだけど。
Cureとか、何聴いてたかな。
日本はインディーズのバンドばっかり聴いてて、
当時トランスレコードっていうのがあったんですよ。
知らないですよね。
初めて聞きましたね。
ググったら出てくるかな、みたいな。
そこのレーベルの人たちの音楽がすごい好きで、
それのライブに行ったりしてましたね。
実はこの辺、女王とかもちょっとかぶってて、
唯一大人になってそういう話を知ったら、話が通じたって。
さすがの田中さんもトランスレコードは。
知らない。
日本のレーベルはあんま知らないんだよな。
ちなみにサイコさん、楽器は何にやられてたんですか。
楽器は一番最初にベースを買ったんです。
地味だから目立たないなと思って、
ギターをやってみたり。
子供の頃にエレクトーンを習ってたんですよね。
なるほど。
鍵盤は弾けたので、キーボードもやってみたり、
頼まれたらドラムもやってみたり、みたいな。
結構万能ですね。
万能というか広く浅く。
なかなかドラムとか手と足が一緒になっちゃうので、
難しくてできないなと思ってましたけど。
今はできないですよ。当時よくやってた。
でも全部カバーバンドだったんで、
これ耳コピしてきてみたいに言われて、はいはいってやって。
耳コピまでできたんですね。
耳コピしないと楽譜なかったです。
私がやってるような音楽は。
そういうことか。
そうでした。
スコアがないような感じだったんですね。
どんなバンドをコピーしたんですか?
先ほどの言ってたバンドみたいな。
ノイズもやってたし、
でも女の子系だとゼルダとか知ってます?
ゼルダ知ってます、はい。聞いたことあります。
ゼルダとかやってましたね。
あれは唯一女の子ばっかりでやってました。
頼まれたのはU2とかもやりましたよ。
それはドラムをやってました。
かっこいいですね。
U2渋いですね。
高校生でU2って言えばなかなか渋い感じですよね。
そうなのかな。
どんな曲やってたんですか、U2の。
ジョシュア・トゥリー。
ですよね。
ジョシュア・トゥリーの。
なんだっけ。
自分で今叩きながら曲を思い出して。
曲名忘れちゃった。
有名なのはいくつかありますよね。
サンデー、サンデーブラッディーサンデーとか。
それはジョシュア・トゥリーに入ってないですけどね。
今思い出したのが。
僕も大好きですね。
じゃあ結構この高校3年間っていうのは、
音楽に関してはかなり濃密な時間を過ごされてたんですね。
いろんな仲間といろいろバンドだったりとか。
濃密だったのかダメだったのか。
学校は楽しくは行ってましたけど。
そうですね。
学問は、なんて言うんでしょうね。
学問に勤しむ感じではなかったけど。
でも、かろうじて推薦は取って大学に行けるくらいは、
みたいな感じのノリで学校に通ってましたね。
洋楽聴いてたってことは、
ちょっと高校時でも英語とかには興味は。
全然ないです。
全くと言っていいほどなかったですね。
洋楽聴いてたというよりかは、
洋楽を聴いてる友達にこれを聴けと言われたから聴いてたくらい。
歌詞の意味を理解したりとかは全然してなかった。
もう本当にサウンドだけを楽しんでいたって感じだったんですね。
だいたい聴いてたトランスレコードなんていうのは歌詞すらない。
音ノイズだから叫んでたり。
インストゥルメンタルとかそういう感じじゃなかったですね。
一応ボーカルというかボイス的なものはあるけど、
歌詞としては成り立ってないようなものがほとんどでした。
ちょっと空耳アワーに流れそうな感じの。
大学生活とタバコ
呪文みたいな。
なるほど。
今トランスレコードのウィキ見てる人は知ってるとしたら、
ボアダムスは聞いたことがありますね。
ボアダムス懐かしい。
ボアダムスってバンドがあって、
ドラムがすごいんですよね。
2人ぐらいいるのかな確か。
ドラムが2人いるんですか?
確かだったんじゃなかったかな。
ツインドラムで。
確かにボアダムスってボーカルいないですよね。
違ったかな。
ボーカルがいなくて、いろいろ叩いたり。
変拍子とか変わった音楽をやる人たちがいっぱいいたと思います。
でも遠い昔で私も記憶が。
聞いたことないんでも。
別にスリップノットとかとはまた違う感じなんですよね。
叫んだりとかそういう感じでもないんですよね。
叫ぶのもあるんだけど。
なんだろう、なんて言えばいいんだろうな。
ちょっと後で探してあれば聞いてみたいなと思いますね。
メタルとかそういうのとは全然違う。
また違うんですね。
全然違う。
ちょっと気になるんで後で聞いてみたいと思います。
で、高校3年間はバンドに勤しまれて。
そのまま大学に推薦等で進学された。
進学をし。
ちなみに大学4年間、4年生の大学だったんですか。
4年生の大学行ったんですよ。
その時も英語がすごい嫌いだったから、
第一外国語、第二外国語をともにスペイン語を履修し、
まんまとそのスペイン語を落とし、
5年間スペイン語のために通いました。
スペイン語を履修したきっかけって何だったんですか。
スペイン語か中国語かどっちかが、
これからの時代は使えるかなくらいに思ったんですよね。
残念、中国語でしたね。
そうですね。
だけどスペイン語は発音が日本語に近いから、
発音しやすいかなと思って、
安易にスペイン語でみたいな感じでした。
そしたらまさか4年間首をしびることになるとは。
ちょっとつらい出来事で。
スペイン語って…なんだ。
スペイン語って挨拶って何でしたっけ。
オーラーとか。
メキシコ、はいはいはい。
4年間苦しめる結果になったんですけど、
結果4年でご卒業は。
4年でちゃんと卒業しました。
ただ毎回毎回スペイン語がサイコさんを襲ってきた。
しかもその落とした理由が、
テストの時に名前を書き忘れた。
それだけなんですけど。
高校入試みたいな感じなんですか。
名前がないだけでも大学で落とすこともあるんですね。
先生がちょっといじわる。
私しかいないじゃんって言ったんだけどダメって。
一人しかいないんですか。
順番に集めてて、前後の人が名前書いてるから
これ私じゃんって言ったんだけどダメでした。
いやいや普通そうですよね。
最悪な先生ですね。
そういじわる。
いじわるだったのか私と4年間過ごしたかったのか。
っていう謎だったけど。
なるほど。
ちょっとサイコさん見込みがあるから
4年間いた方がいいのかなっていう判断だったのかもしれない。
だったのかなみたいな。
と思いたい。
そうですね。
ちなみにこの大学4年間っていうのは何か
スポーツとかも全くされなかったんですか。
全く、全く介無ですね。
もうタバコ吸ってましたね。
ちなみに何吸われてたんですか。
タバコ吸ってみたい。
名殻何吸われてたんですか。
名殻は当時は長い、メインソールの長いやつ。
ピアニッシュとかですか。
そんな細くなくて太さが普通。
バージニアスリムライト。
あれを吸ってその後マルボロ、ライト、名殻。
なかなかまだセブンスターに行かなかっただけ良かったかもしれないですね。
セブンスターは吸ってないです。
僕フロンティアって名殻吸ってましたね。
インディア、インディアって言っちゃいけない。ネイティブアメリカンが飲むんですね。
だっけ。
それは違うかな。
違う。
フロンティアっていう日本のタバコかな。
日本?
確かに。
フロンティアでしたよね。
今でもないですよね。
ないんじゃないかな。
あんまり見たことないです。
田中さんも吸ってたんだ。
僕32まで吸ってましたね、タバコ。
私もそのくらいまで吸ってました。
そうすると一応皆様の20歳からと考えると12年間くらいはプラスマイナスあるかもしれないでしょうね。
そうするとなかなかサイコさんも良い感じの大学4年間を。
大学4年間何してたんでしょうね。
都内の方に出られてたんですか、通学というのは。
通学は東京とかですね、国分寺の方行ってました。
はいはいはいはい。
もしかあれですよね、三浦さんとかが。
三浦さん。
確か先輩とかですかね、もしかして。
分かんない、分かんないです。
三浦さんって誰?
三浦康子さんですね、お笑い芸人。
お笑いの三浦さん、私と歳どう違うのか分からないけど。
多分その大学だったんじゃないのかな。
ちょっと調べちゃおうか。
三浦康子さんですね。
大学と就職の話
大学、どこに書いてあるんだろう。
違うかな。
分からない。
wikipediaを見ているけれども。
違いますよ。
ここではないですね。
え、これだって東京外語大学って書いてある。
あ、そこではないんですね。
そんな、だって外国語をやらなきゃいけないじゃないですか。
外国語を出しちゃったからね、スペイン語って言っちゃったからね。
あ、違うんですね。
経営学部、経営学科という学部に入ってたんです。
ただ語学を履修しなきゃいけないからっていうので。
大学って語学を履修しなきゃいけないですよね。
そうですね。
自分なんかチケット買うと2週単位取れるっていう、すげー怪しいところだったんです。
チケット?なんですかチケットって。
いや、自分も確かドイツ語を履修したんですよ。
ドイツ語を履修してて、
寄付じゃないんですけど、援助のために、
援助のコンサートのチケットを買うと、
授業に1回も出てなくても単位が取れるっていう。
へー、それ。
それなんかおかしくない?
いいのか?
だから私は大学1年しか行かなかったんだよ。
そういう大学でいいのかなと思って。
なるほど、なるほど。
これ俺の回聞かれたらちょっとどこの大学がバレるんで困っちゃうところもありますけど、まあいいや。
今すぐ大丈夫だよって。事故でしょ。
そうですね、そうですね。
なるほど、4年間、お酒もタバコもいい感じの大学生活を送られて、
で、そこから今度は就職をされたかと思うんですけども、
これ一番最初の会社って何系の会社?
ファッション系です。
あ、じゃあそこもまさに女王と同じような感じ?
私の場合はスペシャルティストアって言われてるところでしたね。
スペシャルティストア、なんか聞いたことはありますね、そういう系の。ジャンルなんですか?
ジャンル?
ジャンルなんですかね。
まあでっかいセレクトショップみたいな感じですね。
はいはいはいはい。
に就職しました。
本当はね、保険会社行きたかったんですよね。
本当は金融を目指してたんですよ。経営学部だったんで。
はいはいはい。
ゼミも保険法を成功してたんで、保険会社に代理店研修生になって、
ゆくゆくは代理店になろうと思ってたんですよね。
はい。
だけど、途中から本当は全然金融興味ないんだよねって思い出して。
そういえば洋服好きだなと思って。
で、途中就職活動を両方向から行って、
で、スペシャルティストアが一番行きたかったところだったんで、そこから受かったんで、金融の方は全部蹴って。
業界の厳しい現実
いや、なかなか畑さん面白いですね。
途中で向いてないっていうか、あんまり興味ないことに気づくというか。
就職する前で良かったですよね。
そうですね。
そうですね。代理店研修生になっちゃってたらもう鬱になってましたよね、きっとね。
まあそうですよね。
はい。
で、結果、紗友子さんが好きな方向のファッション。
入られて当初っていうのはどういうことをされてたんですか。
販売ですね。
あ。
販売。それも、よく入ってから考えたら、販売っていうか接客。
人と話すのとかすっごい苦手で、なんでこの職業選んじゃったんだろうって思いながら。
でも好きなファッションのためなら我慢するみたいな感じでやってましたね。
だからいろいろこう、当時の私の年代的にはパワハラ、セクハラ当たり前の時代だったんで、
まあいろいろと自信を砕かれるみたいな感じでしたね。
なかなか厳しい。
厳しい。
一応半分外資だったんで、そういう面ではいいところもいっぱいあったけど、
時代が時代だったんで、なんかね、言葉の暴力に晒されてましたね、ずっと。
へえ。今ではもう完全にアウトみたいなことも、結構言われ続けて。
言われたし、自分もしたのみたいな。
言えない。
それはじゃあ、上司でなく後輩に向かってるんですか、上司に向かってるんですか。
自分が後輩に向かって、自分がされたことをなるべくしないようにはしてたけど、されたようなことをしちゃってたりしました。
すげえ時代だ。
時代だったなあって。
いやでも多分、田中さんどうなんですか、一番最初勤めた頃ってやっぱり、そういうことありきな感じだったんですか。
俺、ないよ。
田中さんだからないとかじゃないんですか。
田中さんだからでしょ。
俺だからないなとか。
田中さんがしてる派でしょ。
でもあるんじゃないですか、だって。
あんまり記憶ないかなあ。
先輩とかみんな優しかった。
それ田中さんにだからね。
唯一すげえ心に残ったのが、つらいって意味で。
仕事にインドに行ってて、3週間休みなく働いて、今はほぼアウトだけどさ。
アウトですね。
3週間休みなくて、土曜日の夜にメンバーと飲みに行きたくて、早く帰らせてくださいって言ったんだけど、仕事が残ったんですよ。
で、これが終わらなかったら、日本で何百人って人が待ってるんだよって。
上司に言われて、マジこうやってぶっ殺してやろうかなっていうふうに。
お前3週間休んでなくて、今ここでそういうこと言うのかと思って、分かりましたって、結局仕事して帰ったけどね。
偉い。
でもその後もちゃんと飲みに行ける時間帯には帰れたかな、ギリギリ。
目が殺意にあふれてたんでしょうね、多分もうそれは。
それが心に残る一言はな。
あとはそんなに。
いやでもファッション業界もでもそんなもんなんじゃないですか、多分休みなくというか。
いや、販売はむしろちゃんと取らないとダメで、休みはちゃんと週休2日あったし、でもサービス残業がすごかったです。
まあそうですよね、やっぱり。
でも好きでやってた部分もあるかな、なんか。
お客さん対応とかもね、私も今現にコールセンターなんで、いろいろと本当にびっくりするようなこと言われることはありますけど。
それが嫌で辞めたようなところもありますね。
まあそうですよね。
だんだん10年先週になってくると、役職ついてきちゃうんで、そうするとそういう対応しなきゃいけなくなる立場になって、
まだ当時法務部とかもちゃんとできたばっかりとか、そんなくらいの感じで、
対応の仕方のマニュアルもなく、謝れば謝るほどどんどんドツボにはまっていくみたいな感じになっていき、
これってもう金銭要求されてるよね、みたいな。
それで誰も助けてくれないんだ、みたいな、その会社の人が。
ってなって、結果最終的にはこれはまずいって言って本当に本社が出てきてくれたから良かったんですけど、
それまで当時の店長とかも一切、本当に困ったら出てくるからみたいな感じで、
いやもうマジで本当困ってるって言ってるのに出てきてくれないみたいな。
まあそうですよね。
でもそのお客さんの家の場所も名前も顔もはっきり覚えてて、
深いですね。
道端であったら危険みたいな。
深いな。
くらいのことありましたね。
そうですよね。
それがじゃあ一番結構忘れられない強烈な。
そうかな。
強烈でしたね、あれは。
もうお肌もボロボロになるし。
それ一回だけじゃなくて、しつこくなのか。
それはもうね、1年以上にわたる嫌がらせですよ。
ランニングの始まり
今はもう完全アウトですよね、行き妨害とかそういう感じのもので。
それがわりと社会的に立場のある方だったりしたんですよね。
何してもいいと思ってらっしゃったのか、当時だから。
いやー大変でした。
確かに。
自分も1回クレームで、自分の話するのもあれなんですけど、
すごいクレームで1時間くらい出ましたんですけど、
あんたどこ生まれって言われたんですよ。
川崎ですって言った瞬間に、大変だったね、じゃあねって言って、
あんた川崎なのによくそこまで頑張って育ったねってすごく同情されて、
どういうこと?
わかんないんですけど、
あなたにこれ以上言ってもかわいそうだからもういい、切るわって言われて、
クレーマーが川崎生まれに同情して、諦めてくれたってことが1回だけあって。
それは忘れられない思い出ですね。
忘れられないですね、あれは。
なんかしなきゃ同情されて、
思っては本当にやらなきゃよかった。
僕の話はどうでしたか。
いやでもその手は多かった。
その手っていうか、
責任者出しなさいみたいなことがあって、
私が出てくると、こんな若い子が責任者なの?みたいな感じで逆に同情され、
いいお客さんになってくれて、
ご飯食べに連れて行ってくれるとか、
お家に呼んでくれるとか、
ご飯食べさせてくれるんですよ。
大変よねって。
なるほど。
たまによく接客で、
クレームは宝の山的ななんかあるじゃないですか。
もちろんそうだったんですよ。
ほとんどがそうだったんですけど、
やっぱりもう完全なクレームというより嫌がらせみたいなのとなってるんでしょうね。
本当に一握りしかいないけど、
お金持ちのわがままみたいな。
そういうのが嫌になっちゃったんですよね。
そうですよね。
他のいいことでもうカバーできないみたいな。
はいはいはい。
なんかわかりますすごく。
誰と言わないですけど、
本当にさっき彩子さんが言ったように、
社会的に名誉があるというか、
そういう方ほど自分の思いを通らないことに対して、
こういろいろ言ってくる方っていうのはやっぱり多いなっていうのは。
だからあれですよね。
世の中先生なんて名前つけんのがよくないんですよ本当はあれ。
もう本当に言いますよ。
か、そこの世界でものすごいその人が虐げられて。
そうなんですよね。
いつは虐げられているのか、
心病んでらっしゃるなみたいな。
そこの境地に行くともうちょっと何でも広く見えますよね。
この人たぶんそこで病んでるんだなっていう境地に行くと。
深い。
深いなこれ俺何より。
楽だっただけかもしれないけど、
でも今思うとあの人も病んでたなみたいな。
深いなこれ何よりの話を俺からしてみたいな。
こんな話してていいんですか。
いや全然OKですこれは。
こういう話すると思ってなかった。
いや素晴らしいです。
ありがとうございます。
で少しずつちょっと話をランの方に持っていこうかなと思うんですけども。
ちょっとですね私、
サイコさんのブログ拝見させていただいておりまして、
忘れられない一節があったんですよ。
ちょっと結局メモしたんですけど。
後で走り始めを伺うんですけども、
思い返せば私が走り始めた当初は5キロ走るのをやっとと。
友達についていけずいつも待たせてしまう。
それが辛くて家に帰って泣いてばかり。
だから頑張ってみんなと走りたいと練習するようになり、
そのうちレースも楽しみの一つになり、
友達の輪も広がり走る距離もどんどん伸びたっていうのが、
いやなんかすごいいい一節だなと思ってちょっとこれメモ帳にコピーしたったんですけど。
いやなんかここってでも多分今田中さん、
今回FDAも定員が満杯になって、RCも満杯になって、
やっぱなんかそこらへんで田中さんがやっぱり走る上で、
田中さんオンラインコーチされてる中で、
いろいろとやっぱこういうところの横の繋がりというか、
なんていうんですかこうレースだけでもなくて、
っていうところっていうのはやっぱり重要にされているところでもありますよね。
サイちゃんのランニングの始まり
いやいいことだと思うけどね、自分自身も走ることによってね、
そういう意味では知り合いがいっぱいできて、
まあ会社の人より全然ね、
そうですよね。
ランで知り合った人のほうが仲もいいし、
それこそFacebookなんかほとんどランの知り合いばっかだからね。
そうですよね。
いやだからここがすごくいいなと思って、
まあこれがあったんで、
ちょっとまあいろいろ走り始め等からちょっとお伺いしたいなと思ったんです。
ほーとか言っちゃった。
大丈夫そこに敷居をあげているわけではないので大丈夫です。
さんこさんが走り始めっていうのは、
年としては何年ぐらいなんですか。
年が何年だったんだろう、
2008年だったと思います。
きっかけっていうのは何がきっかけで。
それはね一番最初は、
健康のためにお金のかからないスポーツをしたいと思ったんですよ。
それはジョギングくらいしかないなと思って、
いわゆる労働用のジョギングシューズを買って、
5キロ走って辞めたみたいな感じで、
1年間そのまま封印して、
その翌年にどうやって知り合ったかちょっと忘れちゃったんですけど、
葉山の方に知り合いができて、
山を走るトレイルランニングっていうものがあるんだけどやってみないって言われて、
もう5キロも走れないんで無理ですって言ったら、
トレイルランニングは歩いていいのよって言われて、
本当ですかって言って。
で、行ったんです。
まあ確かに歩いて行ってれば歩いていいですよ。
そしたらいきなり20キロだったんですよ、距離が。
まあ泣きながら歩いて歩いて着いてって。
みんな走って先に行っちゃうじゃないですか。
分岐でみんな時計見ながら待ってるみたいな。
気まずさしかないですねそれは。
ごめんなさいって言うとこっちが休む間もなくもうすぐスタートするじゃないですか。
一番つかいやつですねそれは。
だけどその後のタバコが美味しかったんですよ。
こんな美味しいタバコを吸ったことがないと思って、
これは続けようと思った。
ちょっとこれ田中さん初めてですね。
お酒が美味しいではなく、タバコが美味しいというのは初めてだね。
初めてですね。
本当ですか。
まだその日吸ってたってのはすごいですよね。
そうですね、確かに。
走ってる最中は吸わなかったですけど、終わってから。
よしっぷくと思ったら美味しかった。
その時トレランをされた時の靴っていうのはロードのシューズだったんですか?
その前の年、薬師場に行ったのかな。
ハイキングシューズみたいな、ちょっとハイカットのゴアテックスのトレッキングシューズみたいなのを持ってたんですよ。
それで走ってみたんです。
重かったよ。
滑らないけど重かった。
それで20キロか。
だいぶすごいですね。
でも歩いたんですよ、ほとんど歩いて。
いやー、エクストリームな。
だけど毎週末、葉山に集まってるよって言われて、毎週末行ってた。
行き始めたんです、そこから。
なんだかんだやっぱりタバコの美味しさもありつつ。
あのタバコの美味しさと、その後みんなで朝ごはん食べるの。
パンケーキを大量に焼いてくれるとこだったんですよね、集合してた場所が。
パンケーキも美味しくって、それ目当てで。
いいですね、それは。
そのうち、これはタバコ吸わない方がもっと楽に走れるぞって思い始めて、タバコもやめる。
気づくまでにどのくらいかかったんですか?
割とでも早かったかも、半年もかからなかったかも。
で、そこからもうきっぱりタバコもやめられて。
やっぱりではなかったけど、常態化するというか常にするみたいなのはやめて、農民に行ったときだけみたいになりました。
で、徐々に減らしていって。
ちなみにそのとき一緒に走ってたメンバーって今でも走ってたりするんですか?
今でも走ってますよ。この前私ペーサーをした長谷川直子さんとか、ハテさんってわかるかな。
前に走ってますよ。
そうなんですね、すごいですね。
全員が全員じゃないけど、何人かは走ってます。
そこから初めてレース等に出ようと思ったのは、いつぐらいからなんですか?
レースへの挑戦
それがたぶん2008年か2009年に。
まだらおが最初だったのかな。まだらおか青梅だったか、その辺に出たことがある。
青梅かな。でも青梅は乾燥できなかったんですよね。しかも。
でもそのときみんなハセツネに出たりしてたんですよね。
はいはい、ほぼ同期ですもんね、ハセツネは。
いつかハセツネに私も出れんのかな、くらいにぼんやり考えながら。
でもなんか、私ちょっと前後しちゃいますけど、
葉山にビーチっていうアウトドアフィットネスクラブがあるんですけど知っていらないですかね。
ちょっとずつだけですけど、はい。
それがオープンする前の前身的な店があったんですね。
そこでパンケーキ食べたり集まったりしてたんですけど。
で、その葉山のビーチができて、一応ご衆議会員的に1年目会員になったんですよ。
そこに石川ひろきさんがトレールランニングを教えに来てたんです。
一応私にトレールランニングの何たるかをレクチャーしてくれたのは石川ひろきさん。
超豪華じゃないですか。
そうそう、豪華だったんです。
その頃ひろきさんはもう超スーパースターってことですよね。
だったんですけど、私は存じ上げなかったので。
かわいい男の子くらい呼んでて、ひろきくーんみたいな。
当時別の男性と結婚してたんですけど、元夫に、「ひろきさんでー!」みたいな感じで言われて。
なに有名人なのって言ったら、もうトレールランニングの日本の第一人者だみたいに言われて。
でももうタメ口聞いちゃったからいいんじゃないみたいに。
でもそれから一応敬語を使うようにして。
すごいな。何たるかを石川ひろきさんから学ぶっていうのは。
でもそういう人多かったんじゃないかな、当時。
ハッピートレールとかいうのに出てる人たちとかもいただろうし。
私はそっちは行ってないんですけど。
せおさんとかは石川ひろきのおかげでハッピートレールに。
そうですよ。
のりさんがかぶら木さんみたいなものってことですよね。
のぶかさんにとってはね。
そこから、サイコさんがちょっといろいろブログ見る中で、2010年にCCCとか新越出られてるじゃないですか。
そこに至るまでっていうのはかなり大きくなるじゃないですか、振りが。
だから石川ひろきさんのレースにマダラオ50Kとかいうのに出て、トレールラン楽しいじゃんくらい思ってたんですよ。
福岡のところ走れて。
で、2009年に激走モンブラン見たんですよ。
あんなすごいコースなのに私の中ではフワフワトレールに映ってたんですよ。
ガッシャガッシャですね。
もう分かってないから。
だからじゃあUTMBは無理だけどCCCの距離なら頑張ればいけるかもみたいな。
ぐらいに思ってエントリーするっていうノリです。
素晴らしい。
だからほんと近所の鎌倉とか阿波山の里山走って、たまに箱根の外林山行くくらいの練習をしてたらCCC完走できるって思ってたんです。
思い込んじゃってた。
大事ですよ、そういうのはやっぱり。
だから大して練習もしないで行っちゃったんですよ。
すごいですね。
怖いもの知らずってすごいなっていう。
知らないことって多分重要ですよね、田中さん。
知らないこと?
まあそうだろうね。
結果は71キロ地点で中止になってしまったんですよね。
悪天候で中止。
悪天候で中止になってしまったみたいですね。
2010、あ、違うか。
2010年。
10年だね。
10年かな。
あれ、2010年で中止でもう1回走れたんじゃない?あれ、違ったっけ?
それはUTMBの人がCCCのコースを走り直せたのかな。
で、何だよそれって言って、私にももう1回やらせろとかって言って。
文句言ったけど絶対無理だったよねみたいな。
そういう感じの気持ちが後々のトルデジアンに繋がるんですね。
その時もだからまだ勘違いしてるんですよね。
トルデジアンに出ようって思った時も。
CCCは中止になったから完走できなかったくらいにしか思ってないんですよ。
でもよくよく考えたらあれ多分中止にならなかったらカーモンアウトで
多分完走できてないと思うんです。
あの時点で70キロ地点だと。
でも自分の中ではCCCの完走ベストももらっちゃってるし、
トレイルランニングの過去と成長
なんだかトレイルランニング楽しいくらい。
あれでも新越も走ってるのかな?100キロ。
2010年と11年に新越走られてますね、斎藤さんが。
だから制限時間さえ長ければ行けるって勝手に、
どんなトレイルでも行けるって勝手に思ってたんです、この頃は。
でも新越そんな短くないじゃないですか。
制限時間長い。
制限時間長くなかったですか?
22かな?確か。
結構長くないですか?あれ?
CCCは?
CCCも覚えてない。
CCCってそもそも距離が100キロなかったんですよ。
96キロとか。
でも20時間ぐらいあるんじゃないですか。
どうなんですかね、CCCの。
CCCも制限時間長かったと思うんですよ。
だから出てるんだ。
でも20時間を長いと撮れるのも素晴らしいなって思いますけどね。
2011年の新越19時間とかで走られてるんで。
よく調べましたね、2011年出てます?私。
はい、出てました出てました。
で、2012年次がUTMF出られて。
出ました。第1回。
第1回ですね。やはり制限時間が長ければと斎藤さんがおっしゃってたように。
これ歩き倒しましたもん。
44時間かけて。
44時間かかってるでしょ。
44時間12分。
この時だって次郎さんに、44時間も動くなんてすごいって言われて。
素晴らしいですよね。
約2日歩きっぱなしってことですもんね。
素晴らしいと思います、これ。
第1回の天地散開がひどかったじゃないですか。
あれね、あれですよ、渋滞に巻き込まれて動けなかったんですよ。
STYの中のダメな人の渋滞に巻き込まれて動けなかったんですよ。地獄でしたよ。
どいてもらえませんか、どいてもらえませんかって言っても詰まってるから動いてくれないんですよ。
私UTMFなんです、UTMFなんですって。
どいてくれませんかって。
ゾンビみたいな人たちが。
そう、ゾンビに紛れて。
すげー。
あれ、巻き込まれなかったらもうちょっといけましたね。
もういけなかったね。
で、MFの次が、これあれですよね、ちょっと彩子さんの資料で見たんですけど。
野沢4100D年代別優勝。
これがあっての2ヶ月後に、一番最初のトルデジアン。
はい、勘違いしていっちゃったトルデジアン。
残念ながら100キロ地点ぐらいで。
データエンドでリタイア。
これはあれですか、思ってた以上、舐めてるとは彩子さんの口からおっしゃってもらってましたけど。
舐めてました。
勘違いしておっしゃってましたけど、やっぱりもう今までやられてきたものとは全く異次元というか。
異次元というか、なんていうのかな。
もうちょっとライフベースがあるから眠れるって思ってたんですよね。
そのライフベースも温かい場所でちゃんと眠れるって思ってたら、
最初に着いたライフベースがたぶん4,50キロ地点ぐらいだと思うんだけど、
そこが外だったんです。私が寝かされた場所が。
トルデジアンへの挑戦
外?
どんじゅくってこと?
外にパタン開くようなキャンプ椅子の長いベッジの中に。
あれをここって言われて、いや、私中で寝たいって言ったら開いてないって言われて。
マジかみたいな。もちろん寝れなかったっていう。
このまま寝ないでいくのかみたいな。でもブルブル振れながら横になり、体も冷え、行かざるを得ないみたいな感じで。
だから考えが甘かった。本当だったらたぶん私は寝袋とかも持ってかなきゃいけない感じだった。
体力削られて、あそこの峠越えたらいけるかなみたいなところの峠に出たらものすごい恐怖で。
そこの上にいたスタッフが手を広げて待ってたんですよね。毛布みたいなのを広げて。
手を広げて待ってて。
真っ赤な感想をした人みたいな。
そこに私は、ガーってその人に捕まれ、ゴヤみたいなところに、その人たちの住め所みたいなところに連れて行かれ、
無線でリタイア、リタイアみたいな感じで言われて、行きたいんだけどって思った。
強制リタイア。
もうなんか停滞本省、南蛮停滞本省みたいな。
でも自分で次まで行くって言って行ったんですけど、もう次のところに連絡が行ってて、リタイア成功。
じゃあ次までは行かせてくれて。
誰かがね、日本人の誰かが、誰だったかな。
小野さんじゃん。
小野さんが、じゃあ連れて行きますよ、僕がみたいな感じで連れて行ってくれと。
レース中のハプニング
ちょっとじゃあ初めてのトルデジアンは、ほろ苦いというかほろ苦すぎ。
ほろ苦すぎましたね。
ちなみにトルデジアンに出てみようって思ったのは。
そうですね。
それはCCCに一緒に行ったお友達たちが、トルデジアンっていうのがあるんだよねって言って、説明会があるんだけど行かないって言って見に行って、
その時にお名前忘れちゃったんですけど、TJRとかにも出られてトルデジアン感想されてる方がいたんです。
私その時TJRも知らないし、その人がすっごい優しそうな細い男性だったんですよ。
体力がそんなになさそうに見える。その人が全歩きで感想できます。
全歩きで感想できるし、ライフベースがあって、しっかり毎回8時間くらい寝れますみたいなことを言ったんで、
楽しそう!って思って。
しかもすごい安かったんですよね、当時。300ユーロとか。そんな感じのエントリー費。
で、ご飯もついてくるし、至れり尽くせりっていう感じで。そんなにまだ出てる人もいないし、
これはいいんじゃないの?ってどうせお金使うんだったらみたいな感じで言っちゃったら、歩きき通せるのはTJRの人だったっていう。
超人にしてないとダメだって。
超人のスピードだったら歩きき通しても感想できるけど、私が歩いてたらまあ無理だよねっていう。
いやー。
知らないって幸せですね、でもね。
いやでも、いいですね。あんまり調べすぎるのは良くないですかね。
ちょっと前情報が先にたくさん来ると、変な恐怖感もいろいろ出てきちゃう。
でも私、結果3回も行っちゃったから、とんでもない金額を多分積み込んだと思うんですよね。
完走するまで。
途中から心を入れ替えていく中で、装備を揃えたり、パーソナルトリメイラーさんについていただいたりとか、そういうのもあったから、多分相当お金をかけたと思うんですよね。
確かに。
それが1回で済むんだったら1回で済んだ方がいいような気はしますけどね、情報があって。
健康のためにお金がかからないで始めたら。
おかしいなあ、みたいな。
車買えるぐらいにお金を出してしまったと。
そうそう。
多分あるあるじゃないかなと思いますけどね。
で、2013年。ここも多分トルデジアン等々に向けてになると思うんですけど、まず一発目がITJから始まって。
ITJ出てるんですね。
出てました。
11時間17分。早いですね。
まあまあ早かった?明るいうちに返ってきた気がする。
第1回ですよね、2013年。
第1回でした。まだちょっとリザルト見たんですけど、松崎旅行、修繕時間、山岳競争、ITJって書かれてましたからね。
イズトレイルジャーニーとかそういう感じじゃなかった。
最初からイズトレイルジャーニーって。
だったんですけど、リザルト上の種がこんな感じで書かれてたんで。
で、5月がトレニックワールドイン横瀬。
そう、これ初優勝。
そう。
優勝したんです。
すごいですね。
で、ブログ読んだんですけど、両手に抱えられないぐらいのお土産がもらえるのかなと思いきや、コンプレッションタイツ一足だったっていう。
サイコさんの夢は夢で終わったっていうブログがあって。
そう、お立ち台に立てると思って、すごい喜んだら、なんか滑り台かなんかの下に連れてかれて、ここで表彰します。
えーって。
夢と現実が出たっていう感じでした。
でも、1位は1位に変わりないから。
そうですね。
で、その2ヶ月後、モントレイル、黒姫。
これも3時間2分。
で、同月ですかね、御滝ウルトラにも出られて。
10時間44分と。
2ヶ月ぐらいおきぐらいにコンスタントにベースに出て。
出ましたね、当時。
これは頑張ってたんですよね。
トルデジアン観走したかったから。
すごい夏山とかもね、いっぱいちゃんと南アルプスとか北アルプスとか行ったり、富士山連とかもしたり、してました、ちゃんと。
それが2013年のトルデジアンに繋がるんですけど、結構しては残念ながら300キロ地点でDNFということで。
3マイル地点でね、転んで尾底骨をたぶん。
そうなんですよね。
ひびやったんですよ。
そうなんですよ。で、その前にちょっと、当初、一番最初ぐらいなんですかね。
で、2012年のちょっと反省を踏まえて、
タイコさん結構今回荷物たくさん持ってったじゃないですか、2013年。
シュラフだったり、シュラフカバーだったり、インナーシーツだったり。
で、そこら辺で前回の外で寝たところをクリアできるように。
で、今回も2013年も残念ながら外だったんですよね。
外だったんですけど、反省踏まえて解眠できたっていうのが。
まずここで、去年の反省を踏まえた大きいところだったと最後におっしゃった。
外じゃないとこももちろんありましたよ、ちゃんとしたところもね。だけど、ちゃんと寝れた。
ほぼ夜戦病院みたいな感じで。
でも寝すぎたかな。最初に寝すぎた気がします。
で、かなり解眠ができたようで、そのライフベースでかなりご飯もたくさん食べれて。
で、先ほどお話で出てたアルプスの重曹等の経験が効いて、常に先手の行動をどうも取られたみたいで。
寒くなる前に防寒衣着たりとか。
当たり前なんですけど。
いやいやいや。大事です。
で、その100マイルになる前までは、胃腸トラブルに関してもどうもすりおろしリンゴのゼリーを取ったりとか。
ちょっと気になったのが、その腹膜マッサージっていうので胃腸の回復も図られて。
結構その100マイル地点までは、かなりご自身の中でもちょっと望み通りのレース展開だったのではないかなと、ちょっとブログの方から。
いけるって思ってましたね。今回はいけるって思って。
ただ、その100マイル後で先ほどお話ししたその未定骨でどうも血便までも出てしまったみたいで。
ここからやっぱりあれだと、結構その2013年のトルデジアンはちょっと様相が変わってしまった。
経験から学んだこと
そうですね。そこから走れなくなっちゃったんですよ。痛くて。
とぼとぼ、とぼとぼ歩くみたいな。痛みをこらえてとぼとぼ歩く。
かなり痛かったですか。これもうひび入ってるぐらいですもんね。
かなり痛かったですね。かなり。
で、多分ブログに書いてあったんですけど、ロキソニンも導入されたけどもあまり治らず。
で、ここでまた一つ問題が発生するんですよ。
まさかの関門がっていうのがちょっとお話しした。
関門の位置と時間が違うみたいな。
そうそうそうそう。ありましたね。
なんか本当はこのメルジュっていうところが関門だったみたいなんですけど、スタッフの方が
ちょっとね、太鼓さんも聞き間違えたのかどうかは定かではないけど
サンデミボスが関門だよっていうのをスタッフの方から聞いて
本当にって思いながら進めてたんですよね。
そうそうそうです。
ゴールに向けて。
そうです。
ただ実はっていうところが。
そう、その先だったんですよね。だいぶ先ですけど。
でもここらへんはやっぱり全然気持ち折れることなく。
クリアできれば、その最後の関門さえクリアすれば
それこそ本当に歩いていけば絶対にゴールできる設定になってるんですよ。
なので、そこまで行けば大丈夫って思ってはいた。
そして毎年なんかその関門もめてたんですよね。
最後に3回目出た時もまだもめてたくらいなんで
もう一個下が関門だとかなんとかって。
毎年もめてるとこなんですよ。
もめるっていうのは関門の位置がずれるとかいうんじゃなくて
みんな把握してないですか。
情報が錯綜してると。
正確な情報がわからないっていう感じなんですね。関門の。
そうなんです。謎なんですけど。
単純にイタリア語がわからないからっていう感じではなさそうでしたよ。
みんながもめてる。
ブログの記事だと、ここに来る前に一番最初の方で水馬に襲われてしまって
防寒がおろそかなってちょっと低体温症になりかけて
透明な箱に捕獲されて毛布でぐるぐる巻きにされるっていうのを。
それが1回目のやつですよね。
手を広げて待ってたやつ。
これが1回目なんですか。
透明な箱っていうか小屋なんですよ。
そのレースのためにアオスタ州の人たちがヘリで釣って運んでくるんですよ。
その小屋を。スタッフ用に。そこにぐるぐる巻きにされて。
これが1回目でってことになっちゃったんですか。
そう。1回目です。あれ違った?1回目のはずです。
ただスイーパーの方たちもかなり優しくて
何時間かかっても構わないから一緒に車夜に行こうよっていうのを
皆さんいろいろ声かけていただいたみたいなんですけど
ただ最終的には感想に対する気持ちが足らなかったっていうのが
ブログの方で文末として書かれてて
残念ながらDNFということになってしまったんです。
最後はやっぱり気持ちいいですね。
気持ちがあっても時間間に合ってなかったけど
でも何時間かかってもいいよって言ってくれたんだから
時間間に合わなくても行こうと思えば行けたわけじゃないですか。
でもなんかいろいろ言い訳というか
帰ってみんなに迷惑かけるしとか
そういうのが余計なのが出てきちゃって
でも終わった後によく考えたら
行っていいよって言ってくれてるのに
悪いからって思った自分が悪いよねみたいな
ってことです。
どうですか田中さん。
僕も見習いたいですね、その気持ちを。
でもなんて言うんだろう。
トップ選手はそういうのやんなほうがいいんですよ。
トップ選手はもう次のレースとかもあるし
そんな無駄な体力使ってる場合じゃないんで
辞めるときは早速辞めちゃっていいと思うんですけど
私一般人っていうか
ドベの方にいるランナーなんで
そういう次のレースがとか
なんとかっていうのはないんで
っていうことです。
でも自分もただの一般市民のランナーなんで
そういうお話聞いてるとやっぱり最後は
気持ちなんだなっていうのはやっぱり。
気持ちですよね。
どこかねけど。
いや、どこかでゲストの方も前おっしゃってましたけど
トルデジアンへの挑戦
肉体が精神を凌駕するときは
やっぱりあるのかなって思うところもあるんで。
足折れてるとかだと辞めた方がいいと思うんですけど
その胃が痛いくらいだったら
まあ乾燥したら治るよねって思います。
素晴らしいですね。
足裏が痛いとか
はい。
治るよねって。
大体痛いですからね、みんな足裏が。
みんな痛いし。
で、2014年のトルデジアンに向けて
で、再度2014年UTMFにまた彩子さん出られて。
はい、2014年。
結構出てますね、UTMF。
UTMF3回出たんですよ。
あ、3回出てるんですね。
2回目がね、私乾燥できなかったんですよ。
2013年じゃなくて?
2013年が。
だから2014年にもう一回やり直さなきゃと思って
行ったんです。コース変わってるけど。
今の一言ちょっといいですね。
やっぱり彩子さんどこかでやっぱり一回
ダメだったものに対してもう一回
チャレンジしなきゃいけないっていうのは
やっぱり終わりになるところなんですね。
勝って終わる。
当時はあったのかな。
当時は。
でもそれがものすごく興味のないレースだったり
コースがものすごくつまんなかったとかだったら
もしかしたらもういいや
これは私のレースじゃなかったって思えるけど
UTMFまだ当時はね、まあまあよかったはず。
今みたいにロードばっかりとかじゃなかったはずなんで
そう、やっとかなきゃみたいな。
また当時は彩子さん好みなUTMFだった?
好みだったかどうかはちょっと分かんないけど
でもほらお祭りじゃないですか。
そうですね、確かにフェスですね本当に。
フェスだったから、そう。
あと100マイルレースが日本には
なるほど、はい、確かに。
あれ、あった?
2014年はあれですね。
2014年はあれですね。
あと御岳と、この年あれじゃないですかね。
八ヶ岳?
八ヶ岳1回あった、スーパートレイル。
好みの1回目じゃないですか、2014って多分。
ああ、もうそうなんだ。
うん、確かそうっすね。
そっか。
今ほどはやっぱり100マイルはまだなかった時ってことなんですかね。
うん。
で、2014年のトルデジアンに向けて
一番最初の冒頭でお話ありましたけど
その2014年、感想のために
私も田中さんもお世話になってる。
原沢さん、笑っちゃダメじゃんね。
原沢さん、はい。
大先生ですね、私からして。
お前嘘だろって思えるかもしれないですけど。
引かねえくせにって言って。
俺のこと引かねえくせに言ってるんですけど。
ちょっとブログも拝見しましたけど
まずトレーニングする前に治療というか
分かります。全て分かるんですけど何て言えばいいんですかね。
まずやる前に治すものはちゃんと治さなければダメだよっていう
田中さんのところだった方だって
じゃあまずはそこにもかなり地味にストレッチとか
踏まえて。それってどのくらいかかったんですか。
筋トレに行くまでの。
細かくは覚えてないですけど
行くと全然ダメってまず言われて
壁に向かせられて
肘と手を壁にくっつけて
ズリズリズリって伸ばしていくのとかやらないですか。
やります。
あれを延々と毎回みたいな感じで
いつになったら筋トレ
TRXとかが出てくるのかなと思って
今日はできないよみたいな
走っていっちゃったら全然ダメ
今日はメンテナンスとかマッサージで終わっちゃったりとか
もうどれくらい続いたんだろうそれは
ちょっと覚えてないですね。
どれくらいから通い出したんですか最初は。
最初いつだったんでしょうね。
ジローさんに今助けを求めちゃって。
原沢さんのところに行き始めたのは
いつからでしたっけね。
2014年になってから
トルデジアン
でもUTMF到底間に合わないって言われたんだ。
だから2014年入ってからくらいじゃないですかね。
2月か3月
到底間に合わないと言われて間に合わせてくれたんだから
2、3ヶ月あったんじゃないですかね。
トレーニング方法の重要性
でも確かに言われますもん。
確か西郷さん最後の方あれですよね
スクワットとかでも自分の体重ぐらいの重さを上げられてたんですよね。
上げてたはずスクワット、デッドリフト。
デッドリフトとかもそうですよね。
すげえ言われましたもん。
言うことを聞くとこうなんだよ。
僕からしてみたらいいお手本、大先輩なんですよ。
でも走んないでいいって言われたのはすごい楽だった。
走りすぎないでいいし
もっと地道なトレーニングをしていけば絶対にいけるからって言われて
無理に走って怪我するよりかは距離ばっかり走って怪我するより
体を作ることにフォーカスした方がいいって言われて
それが効いたんです。
でもあれですよね、週1回トレーニングで通われて
これやっぱりあれですか、ご自宅でもできることはいつもやられてたんですか。
いやだいぶサブったりもしましたけど
でも行くと筋トレさせてくれないみたいなところがあったから
ある日から多分ちゃんと次までにこれはやっとくことみたいなのは
それなりにやってたはず、家でも。
そうですよね、確かに自分もそれ
SNSが今ほどまだ発達してないじゃないですか、2014年って
今SNSが発達して3週間後に自分出たじゃないですか
ビー玉チャレンジで
やっぱりあそこまで宿題かせられると
やらないと終えないって気分になるんじゃないですか
ビー玉チャレンジって何ですか
なんですよ、ビー玉を握ってやれと
3ヶ月後にどのくらい
握ってやれって何ですか
足裏をこう
足裏を、はいはい
足の指でこう掴めるようになって
持ち上げるっていうやつ
持ち上げるみたいな
うちにもそのビー玉、二郎さん用にありますよ
最近言って
3ヶ月後にどのくらい変化が出たか試すからって言われて
これやばいと思って
久しぶりに、久しぶり?初めて?
いや真面目にやって
唯一そんどけだけ褒められましたけど
でも確かにやるとやっぱり
でも効果は本当に出るなっていうのは
そうなんですよ
やらないと出ないけどやると出るんです
ブログの方でもありました
やっぱり下りが怖くならなくなったっていうのが
多分あったんですけど
もちろん原沢さんのトレーニングもあったけど
並行して
あれ?ソータレンに出てたのかな?
違うな、ソータレン翌年か
どこに書いてました?下り怖くなくなった
ブログで多分トルテジアンが終わった後だと思うんですけども
多分言ってたっけな
下りが怖くない2014年10月25日の投稿で
へー
へーとか言っちゃった
原沢さんのトレーニングもあるんですけど
あとはちー百の方?
ちー百入ってましたよね
アインファバリンのナイトレーンなんですかね
チャレンジの成果
K様はちょっとどなたか私分からない
それでその方とも
川崎さんでしたねきっとね
川崎さん
あー
サーフェイスが
夜の練習一回だけやってましたよね
しかも鎌倉かなんかで
違ったかな2014年って
違ったかな
多分それかもしれないですね
多分色々サーフェイスがひどかったけど
全然下りが怖くないっていうのを
細子さん書かれてて
それね
その時だけだったかもしれない
いや違うんですよ
なんかねあれを買ったんです
ほか
ほかの
なんだっけ
スティンソンかな
なんかこう
新しくしたんですよ
靴を
それが
その一回だけ
神が降りてきたかのように
足に当てて
全く怖くなくって
普段絶対無理っていうところが
ドドドドドって降りられて
神と走ったからなんですか
やっぱり多分そこは
でもね
かぶらぎさんの真後ろ走ると
怖くないんですよ
すごい上手だから
はいはいはいはい
よく聞けますね
そう
今みたいにやってみって言われて
かぶらぎさんがいなくなると
途端にできなくなるっていう
目の前にいるとできるんですね
はいはいはいはい
確かにあの
私もLDRCにいた頃
田中さんの後ろ走ってると
自分も下り早くなったんじゃないかな
っていう錯覚を起こしたのと
多分同じような感じですよね
何も考えなくても多分いいみたいな
そうそうそう
自分だと
もう邪念だらけ
そうですね
自分も間違いない
あそこに置いたら滑る
そうそうそうそう
すげえ分かりますよね
横島な気持ちしか出てこない
本当に
で最後の方は多分
タバダスキトレーニング棟も
あーやってた
でそこまでを踏まえての
2014年トルデジアン
2015?
14ですね
14か
はいはいはい
完走したのはね
あの
二郎さんとの背面の背中の写真
一緒に多分手繋がれて
ゴールされるシーンっていうのが
やっぱり私も見ましたけども
素敵なゴールシーンで
あれ関さんって
常務の旦那さんが
堂々とコースに入り込んで
撮ってくれて
素晴らしい
本当はカメラマンが
ゴールの後ろ側から
私たちの正面の写真
撮ってるじゃないですか
そこのだから
その写真は真ん中に関さんが写り込んでる
素晴らしい
結局トルデジアンで
ハネムーンのような形になられまして
一応ブログ見ると
二郎さんは二郎さんの多分目標タイムが
終わりになられて
ただ
西子さんが風邪で
あまり体調も上がらなくて
二郎さんもあまり結果的に
調子が上がらない状態で
どんなというライフベースが
あってそこから一緒に
二郎さんと
ゴールまで行くような形になったみたいな
田中さんここでまた面白いエピソードが
一つ
西子さんは二郎さんには
絶対ペイサーなんてお願いしないと
歩けば怒る
サボれば怒るという
もたつくと怒るということがあって
ただこのトルデジアンでは
とも違ったみたいで
西子さんがお腹を下されても
そこら辺でお腹下したように
多分バナナとか
いろいろ用意してくれて
あとはスイマンに襲われたときの
ビンタ
ビンタ
自分みたいだと思ったんですけど
これ
DMJの人たちがやるんですよね
トルデジアンへの挑戦
眠くなると
ビンタみたいな
そうなんですか
知ってんのは伊藤さんが
ともさんに気合い入れるために
あれです
あえてDMJの人って
言ったのに
そうです
これが
一番の感謝だったと
西子さんおっしゃっておりまして
どうでしたか
2014年のトルデジアン
いろんなトレーニングを経て
結果感想ということでしたけど
やっぱり
手応え
つかんだものというか
去年またその2012年とも
違うものっていうのはやっぱり
肌で感じられたものになったんでしょうか
今度こそ
楽しもうと思ってたんですよね
もう体は
出来上がってるし
本当にね写真見ても全然違うんですよ
その前のお年とかと
体つきが自分で
自分でもはっきり分かるくらい
体が違くなってたんで
自分の中ではもう絶対
感想できるって思ってて
行ったんですけど
前日に
プールで泳いだら風邪ひいちゃって
なんでプールで泳いだんだかっていう
感じなんですけど
風邪ひいちゃって
いや最悪だどうしようと思って
途中で
もう
ドクターストップみたいなのかかったんですよ
これこの先行かせられないって
言われちゃって
それを
前の年に
スイーパーとか
一緒に
歩いてくれた人たちが
そのライフベースとかでボランティアでいて
その人たちに泣きついて
先生に
上手いこと言ってくれみたいに
彼女はもうこれが最後なんだ
みたいなことを
言って
何時間
時間を挙げて
何時間時間を挙げるから
寝てきなさい
寝て熱がその時点で
ちょっとでも
下がってたら生かしてあげる
って言われて
寝て起きてきたら
絶対下がってないみたいになって
ボランの人たちが
アイス食えアイス食え
体を冷やしてくれて
先生のところは
下がった
全然下がってなかったんだけど
行かせてもらって
その時も
やっぱり私はトルデジアン
完走させてもらえない
運命なんだみたいに勝手に
横になって寝てる時は
思ってたんだけど
辞めるか行くかみたいな感じで
考えた時に
これで諦めたらやっぱダメでした
みたいな
絶対風邪だし
いつかは治るし
死なないって思って
ギリギリまで行かなきゃ
って思って
今度は二郎さんもついててくれるし
日本人の
お友達もボランティアしてくれてたり
してたんで
先回りして次のライフベースで
待っててくれたりとかしてくれてたから
みんなを
がっかりさすわけにはいかん
みたいなのもあったし
とにかく今回は
飲んで食べて楽しむんだ
と思ってたから
やり切んなきゃと思って
その気持ちだけで
行ったんで
辛いには辛かったんです
こんなはずじゃなかったっていう
本当はもっと
出来上がって自信を持って
辛い
ほとんどが辛かったんで
でも最後の山小屋のあたりには
もう治ってたんですよ風邪
やっぱり治ったと思って
何日かあると
風邪って治るんだみたいな
感じでした
ブログ見る限りだと
そんな感じじゃなくて
もっと楽しく感想できたのかな
と思ったんですけど
実はそうではなかったんですね
エディとの関係
辛かったです
最後だからあんま私
書いてなかったですよね
書けないようなこともあったんですよね
お医者さんに
立てついたり
他の
二郎さんの方の
ポッドキャストでも言ったんですけど
先生が診断書
みたいなの書いて
書かれたんですよ
それをね私が
二郎さんがピャーって取って
ビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビ
やぶいたりしたんです
先生怒っちゃって
何そんなの
その辺をブログに書けないなと思って
もう時効ですからね
実際に熱が下がったら行っていいって
言われたんだし
本当は下がってなかったけど下げたし
気持ち 気持ちいいですからね やっぱり
そこらへんは
でもお医者さんとしては行かせられない
っていう
ことだったんでしょうね
でも最終的には医者をもう超えた
ってことですよね
現代医学を超えたってことですよね
現代医学は
現代医学を超えたというか これが
人間の体の常識だなっていう
風邪は治る
風邪は治る
素晴らしい
そうですよね
その時お腹も下されて
それがつらかったんですよ
もう出ちゃう出ちゃう
っていう
脱水意味にはならなかったんですか
お腹下したことで
脱水とかは
あんまり考え
そんなこと考えるような
確かにそうですよね
脱水になっちゃうとかではなかったですね
エネルギーが失われて
脱水して
エネルギーが失われていく
とは思ってたけど
大事なエネルギーが
次元を超えてきましたね
そこは
でも人間ってたぶん
自分の体だけで
水さえ摂ってれば
生きていけたりするじゃないですか
何日かは
自分を燃やせば
だからたぶん
それを信じたでしょうね
すごいな
どうですか田中さん
本当に僕今年
ハードを辞めてるから
次回は
最悪水があれば
大丈夫っていう
水がなくても大丈夫なのかもしれないよね
ハードほど熱いと分かんないけど
1日ぐらいだったら
どうにかなるっていう
月で
行ったほうがいいなと思いました
はー
ちょっと
ある情報筋から
さやこさんのことで1つ聞きまして
個人的に
これ楽しいよっていう情報が
1個あったんですよ
2016年の
神戸100
エディさん西岡さんと
楽しいことが
エピソードがあるっていうのを
聞いたんですけど
楽しいエピソード
私は個人的に
このエピソードが好きっていうのを聞きまして
ごめんなさい私も何かわからないんですけど
何かあったんですか
エディさん
エディ
エディは
コウミ
ほとんど楽しかったですけど
コウミね私
これも感想できると思ってたんですけど
途中でね
ジェル持って出るの忘れちゃったんですよ
はい
しまったと思って
案の定やっぱりちょっと
具合が悪くなってきて
5週目かな
すごい時間かかっちゃったんですよ
はい
確か4週目からペーサー付けられるんだった
そうですねはい
だからすごい待たせちゃったんですよね
エディを
エディもこの時点で
エディは無理だなって思ったから
はい
4週目行けば終わりだって
自分本人の役目は終わりだと思ってたらしいんですよ
はい
で4週目戻ってきて
私はもう
何が何でも
5週目は出るつもりだったんで
はい
具合悪いながらも
行くって言ったらえ行くの
みたいに言われて
もうやめなよくらいの感じだったんですよ
それがまた
カチンときて
やる気をさらに
起こさせたっていうか
いや行くでしょみたいな
で行って
ずっとスイッパーが後ろついてる中
行って
結局間に合ったんですよ
そしたらエディが
ゴールで
うわーって泣き始めて
私のレースなんだけど
みたいな
全部はエディに
持ってかれたんで
でその時私は
エディがなんで泣いてるのかが
わかんなくって
お前私のレースだぞくらいに
言ってたんですよ
でも自分は完走できたし
嬉しいしすごい野菜もらって
表彰されて
最終ランナーだったのに入賞したんですよ
そうですね
女子5位だったから
すごい嬉しくって
ニッコニコで帰って
翌日だか翌々日だかに
エディが
ソーシャルメディアに
私がどれだけ頑張ってたか
みたいなことを
挑戦の意味
頑張りを見て
感動で
泣いたらしいんです
そんなこと
一つも知らなかったから
それを見てやっとそこで泣いて
電話して
エディに
ペースアウトしてくれてありがとうって
やっとそこで言った
確かにちょっと今
サイコさんの話気になって調べたんですけど
1週目が5時間24分で
入って
2週目が6時間16分
おっしゃったように8時間
3週目が8時間25分
ここから異常っすよ
4週目7時間48分
最後が7時間54分
これ泣きますね
普通夜は
夜具合悪くなったら
時間かかっちゃうじゃないですか
だから夜が明ければ絶対
大丈夫なんですよ
いやーすげー
だからそれさえ分かっていれば
諦めちゃいけないんですよ
こんだけ落ちたから
そのまま落ちていくっていう
考え方が
いや復活する
透明な足出てくるとか
気持ち悪さは収まるとか
胃が動き始めるとかっていう風に
思えれば
時間は縮めていけるから
間に合うはずなんですよ絶対
間に合ってしまう
今回ですね田中さんと
次回のゲストどうするって
話をしてて田中さんが
サイコさんを押されてて
絶対面白いエピソード持ってるから
って田中さんがおっしゃってたんですよ
本当に面白い
エピソードしかないなっていうのは
ダメな人なりのね
これはちょっと
勉強になりますね
でも本当はもっとその前に
練習しろよとかあるかもしれないです
もっと横に
走るスピードをつけとけよ
とかあるんですけど
あと眠さに
負けやすいんで
そういうのを克服しろ
とかあるんですけどね
エディさんの意見は僕横で見てましたからね
そうなんですか
どうでした生で見てて
なんで泣いてんの
ずっと見てて
あの場にいた人たちは
みんなエディの気持ちは分かってたはずだって
後で言われたけど
多分分かってたと思いますよ
ランニングエピソードの魅力
分かってないのは私だけだよって
みんなに言われて
そうなの
もうなんかやめようよ
やめようよって言ってたし
なんでそんなこと言ったくせに
ここで俺が走り切った
みたいな感じで泣いてんだよ
前のレースじゃねえんだよ
いやすごい
確かにこれは面白いエピソードでしたね
ありがとうございます
あれですよジローさんとかだと
走れる人じゃない
いける
頑張れ的な感じで
時間チェックされて
ずんずん先に行かれて
たまに振り返られてみたいな感じの
ペースをしてもらってたんで
ジローさんには
それよりかはもうやめようよって
言われた方が
私はたぶん頑張れるっていう
引っ張れるよりかはもう
逆に足を引っ張られた方が
何くそみたいに
なるんだなっていう
面白え
最高っすねこれ
すみませんこんな話
いやいやいやいや面白いです本当に
田中さん何かサイコさんに
ご質問等々ありますか
聞いてみたいことですとか
ここからといろいろ
そうですね
心臓発作の経験
2019年
ハートのサポートをしてもらったんですよ
そうなんですか
そうなんですよ
あの時
僕は5週目で
4週目でこけて
5週目が8時間かかって
そこの時は
無事に完走できたんですけど
今年がダメで
また来週じゃない来月か
ハートなんで
ちょっともうサイコさんの話を聞けて
諦めない気持ちで
今回は
頑張るかなと
思います
私田中さんに
大目の
大目たき
大目たきで
お世話になったじゃないですか
チーム犬の散歩っていう
そうですよね
田中さんが飼い主で
私たちが犬で
そんな
そんな主従関係のあるチームなんですか
引きずり回されるみたい
あの時にすごく
走り切らせてもらえたんで
お世話になってたから
絶対に
一度
恩返しがしたいなと思ってて
ハート
一緒に行けるって分かったから
じゃあ何か手伝えるかな
と思ったら全く役立たずで
いやいやいや
すいませんでしたっていう
感じだったんですけど
ちなみに田中さんと
西子さんの出会いというか
お知り合いになったきっかけ
っていうのは覚えてないんだよね
TDTなのかな
やっぱTDT
TDTなのかな
TDTに
みんなが出るように
みんなで走るようになる
ちょっと前に
2014年
お試しやったんですけど
その時いました
じゃあその時かも
お試しに
私半分だけ行ったんですよね
大目まで行ったのかな
その時ですかね
なんか
チーヒャクもいた
でもチーヒャク
カメでした
僕はあれか
ウサギか
そっちは先なのかな
だいたいその辺ですよ
2014年
じゃあもう8年の
お付き合いに
そうですね
西子さんとはそんな感じだもんな
西子さん結局最後に出たレースって
さっき言ったコウミ
日本は
日本ではコウミ
その後私アメリカに
アメリカでは100マイル何本か
そうなんですね
そうなんですね
カベリーナと
ボントゥランと
あと平地で
ぐるぐる走るっていう
グリフィスパークの中をぐるぐる走るっていう
やつ
24時間で走るみたいな
100マイル
ああ
あれ哲郎さんも出たやつでしたっけ
バックホンダランチン
バックホンダランチンのじゃないんです
それは違うものに
出てて
それももう間に合わないやと思ったら
24時間切れなくても
バックル上げるよ
みたいに言われて
バックルだったかな
上げるよって言われて悪魔のささやきを
受け
じゃあ走ろうって言って
24時間
何分とか
バックルもない
やっぱアメリカの
アメリカってそんなに頻繁に100マイルが
ある国なんですよね
いろんな種類のが
カベリーナとかっていうのも
超ゆるゆる
なので
ハロウィンのお祭り
そんな感じで
ハロウィンの日にやるんですけど
いいですね
日本の100マイルって
自分もそんなに出たことないんですけど
ちょっと悲壮感漂うじゃないですか
そう
楽しいだけっていうのが
あんまりないのかな
DDTとか
レースじゃないけど
ああいうのは
楽しいじゃないですか
そんなに
日本の100マイルレースか
レースは本当
結構
ハードコアが多いなと思ってて
もうちょっと上みたいな感じ
DDTはそんな感じなんですけど
ロンドゥーランドとか
超楽しいですよ
みんな横で
ビアマイルみたいなのもやってるし
みんなお祭り騒ぎで
バンドが入って
そういうのできたらいいですよね
本当はね
第1回トモさんが優勝したんですよね
そうなんだ
へえ
じゃあそうすると
日本でのレースは
あまり今はちょっと考える
何かありますか
日本で出たいレースは
私そんなことやってるうちに
バックオンザランチだっけ
さっき言ってた
バックオンザランチに出て
それ何年だ
2019年
にバックオンザランチに出て
50マイルで
リタイアしたんですけど
そこで若干
心臓発作的なものが起きまして
振り返る重要性
この4日後くらいに
救急車に運ばれて
心停止しちゃった
ちょっとね
もう復活っていうか
走れるんですけど
スピードレーンとかができない
体になってしまいまして
だからね
まだ
本気でレースに向けて
準備とか
する感じじゃないんですよね
楽しくだけだったら出てもいいんですけど
でも楽しく走るんだったら
自分で走れんじゃんみたいな
確かに
例えば短いレースとかだったら
と思って
なるほど
じゃあちょっと当分は
違う形でいろいろと
トブライルに関わっていく
っていう感じなんですかね
コロナもあって
本当にレースあんのみたいな
感じのもあったし
ちょっと乗り遅れてるところもあるんですけど
本当だったらボラやったり
とかね
いいと思いますし
でもなんか
マーシェルみたいなことやって
自分が運ばれちゃうと大変だし
ちょっとあれですね
走るのはいろいろ考えますね
面白いですね
人が
いろいろありますね
私思ったんですけど
心臓放射は
走ってたからなんじゃない
みたいに言われたことがあったんですけど
よく考えたら
ちゃんと練習してなかったなと思って
ちゃんと練習してないのに
この年3本100マイル入れたんですよ
3本ってなかなかですね
ゆるいやつなんですけど
だけど
その考えはすごく良くなかったなと思って
私年1回100マイル
出るか出ないか
くらいでいいやって思ってきたのに
ここに来て突然やっちゃった
みたいなのがあって
それがあれだったんだよな
その前の年の
11月に
リオデルラゴンに
行って
これまたね
スイマに勝てず
最後の最後でやめちゃったんですよ
すごい後悔して
翌年のリオデルラゴンを
ちゃんと走れるようにならなきゃ
って思ったくせに
全然練習しないで
その100マイルを
何本かぶっ込んだっていうのが
いけなかった
気がする
地道な原沢さんに教わった
トレーニングをしないで
いっぱい走ればなんとかなるみたいな
それもまとめて走ればなんとかなるみたいな
考えを起こしたのが
確かに心臓には
負担はかかる
地道にやってれば
負担はかからなかった
いやいやいや
そんなことはないです
年齢的なものももちろんあるんですけど
高年期的なものとか
のが関係するような
症状なんで
ちなみに今は
もう良くなっているか
治んないんですけど
もう治んないんですよ
これはだから薬をずっと
飲み続けて
抑えて
状態
旗から見たら健康そのもので
わからないんですけど
確かにそうですね
なるほど
でもやっぱり
健康でいるためには小さい
積み重ねをしていたほうが
皆さん
良いよっていうところも
やっぱり
ちゃんと考えていなかったけど今回
このポッドキャストに
呼んでいただいて
自分ってどんな風なレースに出てたんだっけ
って一回振り返ったんですよ
すみませんありがとうございます
そしたら心臓発作の年
やばいじゃん
全然練習
Googleフォトとかで過去の写真とか
見せたんですけど全く走ってないんですよ
全然走ってないのに
近所ちょろっと走ってるくらいなのに
100マイル100マイル
100マイルみたいなのやってるから
いやー倒れるよねみたいな
なるほど
気が付かせていただきました
ありがとうございます
手遅れだけど
いえいえそんなことない
他の人には役立つかも
いや役立ちますよこれは
何事もやっぱ準備が必要だよ
ということが
特別な才能がない人は
本当に地道に
やったほうがいいと思います
私が肝に銘じます本当に
頑張ります
ちょっと最後に
情報だけ言わせて
お伝えさせていただければといいます
質問フィードバック等は
TwitterよりハッシュタグWeLoveTimer
ハッシュタグタイマーズとつけて投稿待ちしておりまして
またドネーションも募集しておりますので
よろしくお願いいたしますと
では2時間ちょっととなりましたけども
すみません長い間ありがとうございました
本日38人目のゲストは静川紗友子さんでした
ありがとうございました
ありがとうございました
01:52:15

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