あとは小栗さんが完走してくれることを僕は願っております。
そうですね、はい。
はい、では新年一発目のゲストをお呼びしたいと思います。
はい、大澤本成AKAクレイジーランナーさんです。
どうも、初めましてよろしくお願いいたします。
初めまして、大澤です。どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
初めましてとは言っても、バックヤードの東京大会で
そうですね。
私はスタッフとして拝見というのか見させていただいて、お会いしたことはあるので。
ただお話しするのは初めてなので。
そうですね、初めてだと思います。
はい、ちょっとそのところ大澤さんの過去のところから紐解いていきたいと思います。
はい。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
はい、大澤さんお生まれというのはどちらのご出身になられるんですか。
出身は北海道になります。
北海道で。
はい。
北海道ですとちなみにあれですかもう雪深いところだったんですけど、雪はあまり降らないところだったんですか。
雪はありました、はい。
北海道で雪降らないところってあるんですか。
ありますね、太平洋側、北海道の湘南と呼ばれている伊達市とか、南側はやや少ないと聞いているのと、
まあ、氷が多い地域とか、スケート大国の帯ひるとかはやや少なめですかね。
そうなんですね。
ちょっとそうかもしれないけど、雪はありますね、帯ひるも。
はいはい。
スキーの大会とかあります。
伊達市ってあれですよね、お相撲さん、力士の方何枚か出てますよね確か。
北海道はいると思います。
千代の富士筆頭にそうですよね、たくさんいらっしゃいますよね。
北海道は多いですね、はい。
そうですよね。
そんな北海道でお生まれになった大澤さんですけども、ちなみに学生時代ってどのようなスポーツを教じられていらっしゃったんですか。
中学校ですとか高校というのは。
走るのが好きだったんで、陸上部に所属はしていたという状況ですね。
ただあまり速くなかったですけど。
昔からスキーではいらっしゃったんですね。
スキーではいました、はい。
ただ最後お茶を濁したような感じだったんですけど、あまり部活は真剣にはやられていなかったんですか。
いや私なりには真剣でしたけど、タイムが伸び悩んで、悩んではいましたけど。
じゃあもうあれですよね、雪とか降ると冬のトレーニングとかっていうのは走ることもあまりできないんですか、北海道の陸上の状況なんですけども。
そうですね、基本学校の中で階段とか廊下を走ったりしてましたし、
僕は雪道が好きだったから割と外で走ることも多かったです。
雪道を走るってインターバルみたいなことでもできるもんなんですか。
インターバルは外ではやらなかったですけど、5キロとか少し高校生にしては5キロ10キロって長いかと思うんですけど、雪の中だと。
外に出かけて走ったりはしたことはあります。
インターバルは廊下でやってました。
何メートルくらいの廊下を走られてたんですか。
何メートルですかね、50メートル、100メートルはなさそうですけど。
多分そうですよね。
今でも多分北海道の中高生の陸上部っていうのはこんな感じなんですかね。
やはり急に時代が変わって、トレーミングとか入れてるのもあるんですかね、どうなんですかね、そこら辺っていうのは。
トレッドミルはなかったですね、僕の時は。やってる人いたのかな。
あまり原始的っていうのもあれですけど、できる環境で鍛え上げたっていう感じなんですね、そこら辺は。
そうですね、冬はやりくりするしかないんで、学内を一生懸命走ったり、筋トレは初一回やったりとか。
他のスポーツとかやってなかったんですか、冬の期間は。
中学高校ですか。
はいはい、その陸上と並行して、なんかよく雪国だとスケートやる、冬だとスケートやるとか。
大学時代でもやってましたけど。
いつか大学時代に飛んでいいんですか。
いいですよ、はい。
オリエンテイリングをやってたし。
冬のために特別にやってるスポーツ。
冬ですね、冬は学生の頃、趣味でクロスカントリースキーをやってました。
なるほど、じゃあ夏は陸上で、部活で陸上やってる。
夏が陸上までっていうのは高校までです。
大学は陸上はやってなくて、夏はオリエンテイリングで、冬はクロスカントリースキーとか、冬は普通に10キロ走とか20キロ走とか外でしてました。
じゃあ高校の時は陸上だけっていう。
そうですね、はい。
おかしいですか。
全然大丈夫ですよ。
クロスカントリースキーでも結構体力使うんですよね、これ。
自分も新潟の友達がやってるんですけど。
そうですね、走ることはしてたから冬場もオリエンテイリングの基礎練習の一環として、体力を落とさないためにやってたというか。
遊びでやってたんですかね。
クロスカントリースキーってごめんなさい、競技としてクラシカルとなんちゃらってあるじゃないですか。
フリーですね。僕は競技として大会に出たことはないんですけど。
趣味として。
大会があったんで、初めスキーの板をレンタルできるところから始めたんですよ。大会側で用意してくれて。
はいはいはい。
初めは10キロか15キロぐらいですかね、短いのから始めて。
完走できて、そこから板を先輩にもらって50キロとかやるようになりましたね。
50キロ?
急に距離があって。
しかもその時フリーとクラシカルのスキーの板違うんですけど、よく知らなくて。
そうなんですか。
クラシカルの板をもらったらしくて、それでスケーティングで50キロ走ってしまって。
クラシカルって真っ直ぐなんですか、こういうふうに。
真っ直ぐでワックスを塗るんですよね、グリップワックス。
蹴るために滑らないワックスを塗ったりする。
そもそも板自体が違うっていうのがあって、スケーティングには向かない。平行に動かすものなんで。
僕、スキーの板あんまり詳しくないんですけど。
できたとか別に受けたこともないし、自分の感覚でやってますけど。
スケーティングって刃の字に動かすやつってことですよね。
はい。オリンピックとかでもやってます。
お話を伺う限り、形としてはあまり向いていない板で50キロ走られたってことですよね。
そうですね。それを2、3回ぐらい。
年に1回の札幌国際スキーマラソン50キロっていうのがあって、それに出てたんですけど。
途中で板が悪いっていうのに気づいて。
板をフリーの板に変えたら、2時間ぐらいタイムが伸びたんですよ。
物でそんなに変わるものなんですね。
初めは6時間台だったんですけど、いきなり4時間台になって。
物って大事なんだなって、すみません。そこから。
ちなみに気づいたきっかけは?
気づいたきっかけは、たしか先輩がいらなくなったから新しく新調したのかな。
なんかくれたんですよね。
それでその前か、友達と行ったときにフリーの板入ってたんで、交換しあったんですよ、板を。
そしたら全然ギリついてこれた先輩が急に板変えたらついてこれなくなって。
なんだこれって言って。その板なんだって言われて間違いに気づいたんですよ。
じゃあそれがなかった。
そこまでは大変だったんですね。
ずっと気づかなかったってことですね。
全然気づかなかったんです。そこで初めて気づいて板は大事だってことで、その後先輩からもらってタイムが伸びたっていうのと、
その後自分でも学生の最後あたりに自分でもちゃんと買ってお金払って、
さらにいいやつを買ってワークスとかも勉強して、
店に通って、だいぶいい家物になったと思うんですけど、教えてもらいながら、
意識揃いましたね、ウェアから。
それでいろいろなスキーマラソンに参加するようになって、
相当意外でしたね。もっと6時間とかかかるのかと思いきや。
でも大体6時間台ぐらいだと思いますね、他の年出た時から。
ちなみに大学時代合わせてオリエンのほうもやられてたってお話なんですけども、
どちらかというと大学時代じゃメインはオリエンをやられてたんですか。
これいきなりオリエンテイリングをやろうと思ったきっかけっていうのは何かあったんですか。
いや、なかったですね。
いろいろサークル何をしようかなって考えた時に、
なんだこれはと思って。
興味を持ちました。
興味人口が少ないのと、
走るっていう自分の好きな範疇であるのと、
あと体育会系みたいなところもいいなと思って入りましたね。
結構体育会期数なんですよ、オリエンは。
僕が入った時はまだ体育会系じゃなくて、サークルだったんですよね。
僕が3年生の時に体育会系に格上げしていただいて。
部になったってことですね。
部とは言ってたと思うんですけど、
体育会系にすぐ上がれないんですよ。
上がると申請しても。
2年間ぐらいお試し期間があってですね。
体育会系直轄部って言うんですけど、
正式な体育会系じゃなくて2年間ぐらい様子見期間があって、
そこの間で活動とかを多分精査されたんだと思いますね。
体育会系になると何かいいことあるんですか。
わかんないですね。
いいことは。
ただ競技志向の人は集まってきますよね。
そういうことですね。
サークルっていうよりは体育会系の部活にした方が。
僕の時はサークル職が強かったので、
結構隣の女子大と遊んだりとか。
練習終わった後、車持ってる方が行くぞってどっか連れてってくれたりとか。
ゆるい雰囲気だったんですけど。
僕が先輩の立場として3年生4年生ぐらいになった時からは、
もうバリバリの後輩が入ってきてですね。
陸上部上がりの。
5000の持ちタイムが15分台とか。
そういう人が入るようになって、
ちょっとびっくりしたのを覚えてますね。
オリエンテイルリーグ、総力って大事なんですね。
総力は、オリエンテイルリーグの上位者ってかなり総力あると思いますね。
フルマラソンでも多分2時間40ぐらい出ると思いますね。
そうなんですね。
競技中そんなに走るんですか?
競技中もそんな結構なスピードで走るんですか?
競技中は速いのが速いので、かなり出すんですけど、
ペースコントロールしながら走ります。
スピード出しすぎると自分の居場所とか見失うことになりかねないので、
ちゃんと現在地を把握しながらペースを抑えていくという感じですかね。
そこが難しいところで、僕はトップスピードではなかなか走れなかったですね。
トップスピードでは走れなかったというのは、地図読みしながらトップスピードになれなかったっていう?
そういうことですね。
じゃあやっぱり地図読みが速いんですか?
地図読みしながらトップスピードになれなかったっていう?
そういうことですね。
地図読みが上手い人はトップスピードで行けるっていう感じですよね。
ただそれでもそうなんですけど、トップスピードじゃないかもしれないですね、速い人にとっては。
そういうことですね。
8割方ぐらいで抑えてるんじゃないかと思いますね。
リスクがやっぱり出てくるんで、ミスするリスクですね。
それを抑えるためには100より80ぐらいで走り続けるっていうところですかね。
じゃあその80の走力を上げるっていうのが大事なんですね。
そうですね、それはね。
なかなか難しい競技なんですね。パッと聞くとオリエンって普通のオリエンを予想したイメージしたんですけど、
5,015の人が入ってくるような。
ただ僕みたいな人も入ってくるので、僕はそんなに速くないんですけど、全然OKだと思いますね。
ちなみに大沢さんは学生時代の5,000の持ちタイムってどれくらいだったんですか。
なんか競合大学とかあったんですか、この北海道東北地区で。
東北大学が早いですね。関東地区では東大が早いですね。
そうなんですか。
頭脱い大学が早いですね。
そうですね。面白い。
地図読みがそういうことなんでしょうかね。
なるほど。4年間オリエンを大沢さんやられたと思うんですけど、
地図読みを学ぶというのはなんとなくイメージがつくんですが、
それ以外に何かオリエンで学ぶことってどういったことがあるんですか。
オリエンで学ぶこと、地図読み以外で。
ロープワークがそこらへんもあるんですか。
そういう技術はコンパスワークですかね。
それもオリエンテリアにも一環ですけど、
コンパスの使い方は一通り一通りというか、あんまり使い方ないですけど。
常に正しくコンパスを使うという技術ですかね。
そこは求められますね。
よくオリエンの方で指で現在地を地図で示しながら。
それサムリーディングって言うんですけど、親指で現在地を押さえながら。
僕はそれの癖がずっと抜けなくて、今でもウルトラのロードの大会とかでは地図を持ちながら、
必ずサムリーディングをする癖があるんですけど。
最近は皆さんGPXもらって、スマホではいどうぞって感じなんですけど。
そういうことなんですね。なるほど。
最近は紙の地図に見る人が少ないですよね。
時代が変わったというか。
前、竹風さんに地図読みを教わったときに、やっぱりサムリーディングはすごい重要だよとおっしゃっていましたんで。
そうですね。
指で押さえてないと逆にどうやって現在地を確認するんですかって聞きたいですけどね。
田中さんはレース中地図って見ますか。
見ない。
そうですよね。見てる時間もないですよね。
僕はGPXの時計見て。
はいはいはい。確かにそうですよね。
クロカン、オリエンを周りでやられた方っていらっしゃいましたっけ他に。
大学時代って。ゲストでもあんまりいらっしゃらなかったですか。
ヤギシタさんとか知ってます?ロゲーニングのテオって言われてます。
ヤギシタさん。はいはいはい。
彼はやってますよね。もちろんね。
さっき言った竹風さん。
竹風さんは学生の頃やってないんじゃないですかね。
学生の頃はやってないじゃないですか。
竹風さんは確か。
アドベンチャーレースやり始めてからでしょう。
そうですよね。面白い世界があるんですね。
その頃の靴とかウェアってあるじゃないですか。
オリエンやられた時。
はい。
どんな感じだったんですか。今とは全然違うと思うんですけど。
靴はないですよね。
ないからその辺で買うんですけど一発で穴開いてダメだったりとか試行錯誤してますよね。
それただのランニングシューズですか。
ランニングシューズやったらもうダメですし。
わけわかんないちょっと丈夫そうなやつで重たいやつとかを買ったりとかしてやりましたね。
実はオリエンティニング専用のシューズって売ってるんですけどね。
そうなんですか。
日本では最近は小手輸入して売ってる方いると思うんですけど。
北欧でメーカーがあったと思いますね。
すごいトゲトゲしてるやつがあって滑らないように。
なるほど。
それで軽かったりするんですか。
走りにくい。ロード全然走れないと思いますよ。
陸上のスパイクで走ってるような感じですね。
それはすごい走りづらそうな感じがありますね。
今だったらトレーラーシューズで十分だと思いますね。
でも当時流石に登山靴の方とかっていらっしゃったんですか。
登山靴だと走れないですよね。
流石に走れないやつですか。
流石に無理だと思いますね。
ウェアも専門のがありますね。
枝を貫通しにくいようなやつとか。
それを海外に発注して作ってましたね。
学生時代からだったことですか。
はい。
オリエンティニングの大会に出ればみんなそれ着てるんで、
一度出てみるとこれかってわかると思うんですけど。
割と普通に普及してるものです。
日本国内では。
その当時で海外に発注されてるっていうお話だったんですけど、
いくらぐらいかかるんですか。
一式揃えると全てにおいて。
海外で発注してるのは僕が窓口じゃなかったんですけど、
そんな一枚もしなかったと思うんですよ。
そうなんですか。
数千円で。
でも安そうですからね。
そんな高いもの使ってないですよ。
デザインはこちらで考えて送るので、
デザイン料とかですかなと。
なるほどなるほど。
各大学のデザインっていうか、好きな担当者のデザインっていうか。
はいはいはい。
そこでチームで合わせて。
チームで合わせるっていうか、
そうですね。その都市の大学はこの人が担当で決めるっていう。
担当者を決めるっていう。
それ大沢さんはやられたりしたことあったんですか。
僕はそれはやらなかったですね。
やるとセンスとか問われるものなんですか。
デザイン性というか。
結構適当に作ったと思うんですけどね。
割とカラフルにしたりとか。
はいはいはい。
これっていうのもありますよね。
まあそれはそうですよねやっぱり。
学生が考える。
成績としてはどうだったんですか。
大学時代のオリエン大会として。
僕はあんまりなんていうか。
優勝とかはしたことありますけど。
小さい大会とかで。
なかなかミスが直らなくてですね。
田中さんやったのはボーイスカウトとかですか?
小学校はあんまり。
学校でやったのかな。
オリエンテーションなのかなそういう意味で。
オリエンテーションか。
オリエンテーリングでしょ。
なんかあれですよね。
AとかBとか探して。
それをやった記憶ありますね。
でも小学校の時なんで。
それ向けのお手伝いとかしたことありますよ。
私も子供相手に。
確かに神戸山とか行くとありますよね。
コントロールサインって言うんでしたっけ。
白とオレンジのフラグが。
そうです。
パーマネントコースって言って。
常に常設されてるコースのコースですね。
そうなんですねあれは。
どっかに地図が売ってて。
そうなんですか。
これを手に入れてやれば自分で回れるというものが
整備されてて。
結構全国でありますよ。
高尾にもありますね。
高尾さん。
高尾にもあるんですか。
俺見たことあるかな。
高尾の売店に地図売ってますんで。
確か3種類あるんで。
買ってみてください。
そうなんですね。
時々それでお遊びで回ることもありますけど。
高尾の売店ってちなみにどこの売店ですか。
駅の売店ですか。
駅の売店。
本当ですか。
人がよく使ってるとこですね。
今も変わってなければ買えると思います。
駅出てすぐのとこですか。
そうですね。
今はセブンイレブンになっちゃいましたよ。
売店はないんですか。
駅出て右行くんですよね。
昔は売店あったんですけど今はセブンイレブンになってますね。
そうですね。
団子が売ってるとこですよね。
団子が売ってたかどうか分からないんですけど。
今はセブンイレブンです。
どっかで売ってるんでしょうね調べれば。
すみません情報が古くて。
ちょっと調べてみます。
ありがとうございます。
大学卒業されて多分就職等されたかと思うんですけども。
その間も走られるとか走るとか折り縁はずっとやられてたんですか。
折り縁は大学終わってほぼ終わったって感じですね。
社会人の1,2年はやったと思うんですけど。
本気で走ったり練習とかしてなかったからあんまりやってないですね。
だから辞めちゃった感じです。
辞めちゃってしまったんですね。
それが走ろうと思ったきっかけっていうのはいつぐらいで何をきっかけにまた走ろうかなと思ったんですか。
そこから10年ぐらい経ってすごい太ったっていうことですかね。
なるほど。
ありがちですけど。
ただ近所でジョギングするとかそのぐらいは続けてはいたんですけどね。
ただやっぱり仕事もご多忙かと思いますし。
ジョギングという点ではオリエンティティングはやってなかったけど大学卒業して30ぐらいまではマラソンとかにも出てたから。
そうなんですね。
まあまあサブ4ぐらいでは走ってましたね。
それでもやはり普通の人よりは運動してると思うんですけどやっぱり体調は徐々に悪くなってしまって。
そうですね太って成人病に近い状態になってきて。
そんなにですか。
近いというか血液検査がすごい星がいっぱいつくんですよ。
はいはいはい。
走っててそれなんですか。
そうなんですよね。
その時はだからそんなに週1回ぐらいとかですよ。
1週間で10キロしか走ってなかったらそうなるんじゃないですか。
いやどうなんですかね。
そうなんですかね。
周りの人よりは走ってると思いますけどね。
僕もそう思いますね。
お酒は飲んでましたね。
走ってないし酒は結構飲んでましたけどね。
もともとコレステロールは高いんで若い頃から。
だからそこは必ずついてるし不遂していろんなものが30代半ばぐらいですごい悪くなって値が。
それでちょっと運動ちゃんとしようかなと思って再開したというところですね。
それが2000年代、2000何年ぐらいになるんですか。
2006、7ぐらいですかね。
東京マラソンがその時第2回ぐらいに当たったんでそこぐらいから少しやり始めた気がしますね。
東京マラソン、ダイエットもありつつ東京マラソン第1回が当選してまたやろうかなと。
当選して、まだ倍率低かったんで通ったんですよ。
それが最も今一番悪いタイムですね。
それは何時間だったんですか。
4時間40何分だったと思う。
普通のシュニックより早いと思うんですけどね。
お笑いの西岡隅子さんが当時有名で参加されてて、途中ずっとついて走って一緒にゴールしましたね。
じゃあもしかしたらゴールシーンに映ってたかもしれないですね。
かもしれないですけどね。
その結果を見て結構ショックだったんですか。それともやりきった感があったんですか。どっちだったんですか。
いやすごい充実してましたね。ペースがうまくいったと思います。
刻みに刻んでって感じですかね。
そうですね。ゆっくりでマイペースで行くっていうのが最後までいけたんで。
じゃあ特に何かその頃から急いで走ろうとか、そういった感じは特に持たれずに。
確かに今 大人になってそういう 気分が味わえるってなかなかない
ですよね ですか
そうですね
へえ で 少し話戻って 2009年 覇説 に出られて このままじゃあ初めて
覇説年を走られたときっていう のは 大沢さんの中ではある程度
もう
もう目標通りぐらいのタイムで 満足でしたね
そのときってどんな練習されて たんですか 例えばこの覇説年に向け
てじゃないですけど
思想で行ったりとかがメイン ですかね あと通う山に そのとき
は茨城とか高雄が割と多かった 気がしますね
でも覇説年想定して全持ちみたいな 感じでやられてたんですか
全持ち
はい 水分持ったりみたいな そこら辺は特に想定せずに
寝ることは考えてないですね
荷物はじゃあ結構もうあれですか もう想定されてて
そうですね 一晩寝ずにゆっくり だったらいける そういうのにチャレンジ
しようかなと思って そんな寝る 装備は持たずにいきましたね
次翌年で2010年も覇説年出られたり 新越があったり あとは御滝 奥久寺
この段階でもなかなかすごいですよ ね
それはレースがもう練習みたいな 感じで 新越ってそれ第1回大会
ですかね
2010年は第1回なんですかね どうなんだろう
あれ距離は何キロなってます 110ですね
最初はどれくらいですかね
僕第1回から出てますけど 確か 第1回100キロだったんですよね
第1回が2009ですね
そうですね 第2回ですね
2回に出てるのか ただ完走できなかった ですね 知ってます
できてます
できてますよ じゃあその前の年 出てますね 新越
そうですね もしかしたら載ってないん で
載ってないってことですね
2010年は優勝が相馬さんでしたね
完走してないから結果が載ってない じゃないですか
そうだと思うんです これ
2009年は
2010年が初めて 多分2回目で初めて 新越完走されて
そうですね
温泉楽園 奥久寺 2011年が神奈川 瀬津根 また新越 第3回の新越
2011年走られ 2012年もそうですね また新越 美ヶ原 奥久寺
でUTMF
はい
ウルトラトレイルマウント富士 これが初100マイルっていうこと
ですね
そうですね これが初ですね
はい
これは初100マイル 走られてから もう何年ですかね 4年 4 5年経ちました
けども これって岡田さん 第1回の UTMFになるんですか これが
第1回ですね
第1回ですね
本当はその前の年に開催される 予定だったんですけど 延期になったん
ですよね
そうなんですか
延期から一応100マイル走る練習 はずっとしてて ようやく
かなったと
かなったということですね
これ100マイルっていうのを 多分 被開催されるっていうのを聞くわけ
じゃないですか 本当に多分国内 なんて100マイルってUTMFぐらい
しか多分ないと思うんですけど
はい 音だけがあったよ
音だけがあったんですか
音だけが先に開催しちゃったん です
すげえな
エントリーはUTMFが先だったと思います
初100を 国内でも少ない初100を やろうっていうときって パイオニア
の方たちはどういう心境で情報も ない中で100マイルに臨もうと思
うんですか われわれだといろいろ 情報があるじゃないですか 攻略
方向
攻略方向も何もなく とにかくワクワク 感があったから とにかく出るしかない
でしょっていう 出てみないと分かんない でしょって
じゃあ 特に怖さうんちゃうだ っていうよりも 楽しさというか
そっちのほうが
そうですね ただ普段50キロぐらい の練習はその時期積んでたんで
トレーニングで だからそこそこ 距離はいけるなっていうのはあった
し ただ100キロ以降どんだけ潰れる かですなと そこが経験がないから
そこは味わってみた どう感じる のか試してみたかったっていう
のありますよね
味わってみたいっていうのすごい
味わって その言い方変ですけど
結果的に36時間52分で第1回UTMF 完走されて これはもう想定どおり
な感じだったんですか 第1回
想定は39時間だったんです
じゃあ 想定よりも早かったんですね
だいぶ早かったですね
結果 やっぱり楽しいイメージ しかないUTMFでしたかも
いや そん時はなんだこのきつい のはっていう感じで
そうですよね
辿り着いた感じですけどね 結構 寝たんですよ 3時間ぐらいモトスコ
で
そうなんですか 3時間寝ても一応 予想 自分が想定してた速度 タイム
よりも早かった
そうですね 1回寝るっていうことも 醍醐味かなと思って ちょっとやって
みたかったんで もちろんボロボロ だったって言ってもあるんですけど
あそこで時間を使ってみました
2012年は田中さんが走られた年 でしたっけ
走ってないよ 2012 走り
12です トレラーを始めた年
トレラーを始めた年
そうですよね っていうか その 田中さんと大沢さんが出会うのが
C100かと思うんですけど それって 何年なんですか 14年ですか
13
13年 第1回
第1回 はい そうですね
大沢さんはC100に申し込もうと思った きっかけって何だったんですか
やっぱり100マイルのことについて いろいろ聞けるということで 門
を叩くしかないなって その時は 思いましたね
実際 門叩いたらどうでした 第1回 C100は
いや ボロボロ これでも確実ぐらい 引きずり回されて
伊原さん 友さんとか 伊曽さんも いたと思います すんごい感じで
ドラっていう感じ すごい
あれですよね 第1回ナミネムさんも
いたと思いますね
いらっしゃったんですよね
いた
田中さん 聞いたことあるから 田中さん 第1回C100の練習のとき
どうだったんですか
俺 第1回 第1回目休んだんだよ 2回目に参加した 2回目ってか
どうだった
2回目 ひどかったよ
やっぱそうなんですか 笑っちゃ いけないですけど これは
50キロ以上走ったことないのに 練習で50キロ以上走らされたからね
あれ 鎌倉のときでしたっけね
鎌倉で三浦50キロですかね
三浦50キロ
きつい でも この当時からだいたい 月1回ぐらいの練習ペースだったんですか
C100は
そうだね
月1回のと 当時 アキレウス連っていうのがあって
C100のメニューとは別に アキレウスが無料で開催してくれる練習会があってですね
それが定期的にありましたね
そのアキレウス連ってどれくらい いらっしゃったんですか
磯村さんとか
磯村さん
トモさんとか あと小島さんか
小島さん はいはいはい
山矢さんと
山矢さん はい
その辺りですかね 面倒見よくいろいろと見てくれたのは
たまに小川聡太さんとかやってましたよね
やったことありますね
どんな練習の内容だったんですか 無料のアキレウス連のときっていうのは
とにかくガッツリ走ると
らしいといえばらしい感じはしますね
とにかく距離を積むみたいな
かなり追い込んで途中やりますからね
きついな
その月1回の練習っていうのは相当楽しかったのか
それとも月1回来るのが憂鬱だったのかどっちだったのか
両方ありますけど楽しさのほうが上回っていましたね
アキレウス連と普通の練習違うから月2回あったんだよ
それがなるほど
でもアキレウス連月1までやってましたかね
そこまでやってないですね
結局アキレウスがどんどん故障していって
開催できなくなるっていう風に
やりすぎですね
落ち着いてましたけど
最初の頃は何となくコンスタントにやってた感じ
ちなみにそれ2年目以降なくなったからねその制度は
そうなんですか
いろいろ所持以上あるんでしょうって感じですね
C100で多分かぶらけさんのところから
100マイルのことをいろいろ教わったかと思うんですけども
その時のかぶらけさんっていうのはやっぱり
のりさん的にいう神みたいな感じでしたかかぶらけさんは
そういうオーラはあったと思いますね
当時まだかぶらけさんも若かったんで
練習会をぐいぐい引っ張っていくんですよ
先頭で走って俺についてこいみたいな感じで
今の立教大学の監督みたいな感じですよ
すごかったですね
それにだから早い人たちがついていくんですけど
もうレースみたいな感じでしたね
僕は後ろからだんだんすぐ遠くなっていくんで
なかなか見れませんでしたけど
それはあれですよね
ついていけなくなると肩叩かれるっていうのを
聞いた時もあったんですけど
翌年ラビット規模で出してトータスに
っていう方はいらっしゃいますね
厳しいな
でも最近でもあまりないですねそれは
初めの頃そういう方はいらっしゃいましたけど
最近は聞かないですね
最初は最近聞かないですね
大沢さんはちなみに鎮薬は
第1回は何年やられてたんですか
第1回は
第1期
1回辞めた
チャンピオンシップはいはいはい
しばわきさんの80周に
武者さんからちょっと聞いた話ですけど、辞めた理由が、脳が右いっていいか左いっていいかわかんなくなったから辞めたって言ってましたよね。
あれタイムアウトでしょ。
スタートしたんですけど、脳みそがもう処理ができなくなったみたいなんですよ。
それで怖くなって辞めたっていうのをちょっと聞きましたけど、この前。
怖い恐怖みたいになってますよね。
そこの次元に達したことはないですけど、すごいですね。
多分もう足が痛いっていう、あの辺トップグラスだと足が痛い次元じゃなくて、
いかに睡眠をとって普通でいられるかっていう次元に来ちゃってるんで、
なるべく早い時間で一周してなるべく寝るっていう。
そうなんですよね。結局睡眠時間をいかに確保するかに非常を置いた方が、
ゆっくりペースでギリギリ帰ってくるよりは疲れが取れてるような気はしますね。
多分80周どこだったらその次元。その手前であったらゆっくりペースでもいいと思うんだよね。
どっかにそこの境目があるはず。
ただ前提としては足が痛くならないっていうのが多分その前提かな。
足が痛くない。どうなんですか。
ウルトラやってると足の痛みは出るじゃないですか。どう考えても。
出にくくなるものなんですか。そこらへんは。
そこまでの周回数をやってるわけじゃないからなんとも言えないですけど、
痛みは常に出ますね。
ただね、話がちょっとそれますけど、トランス映像9年出た時の足の痛みは日々リセットされてましたね。
1500キロでしたっけあれ。
1100。
インターバル期間が8時間9時間あるんですけど、その中で睡眠も取れるわけですけど、
アイシングとかやってるうちに翌日結構回復してるんですよね。痛みが。
それで最後まで走り通せましたね。
っていう痛みの処理の仕方はあるんだなと思いました。
でもなんかあれですね、ちょっとわけがわかんなくなりますね。
ステージレースになると痛みの処理は各レースのインターバルごとでどのようにか回避できる。
なんとかできるのではないかという気がしました。
そうすると大沢さんも出られてる川の道とかあるじゃないですか。
あれもある程度ステージレースではないですけど、ちょっと各リード間で仮眠できたり。
あれでもやっぱりちょっと足は復活はしないんでしょうけど。
ステイする時間は圧倒的に少ないですね川の道は。
少ないですよね。
じゃああれはあんまり足の痛みの復活は望まれないものなんですね。
豆とかは初日にできた豆が5日目で軽減されてきたというのがありますね。
皮膚が再生してきて。
なるほど。
痛みがあれ結構なくなってるなっていうのは経験しましたね。
それトランスレーザーのとき?
川の道。
川の道の方。
500トジ20キロとかかな。
レースごとに全然違う特徴があるんですねそこら辺は。
そうですね。いかにだからそこをプラスとして。
寝れるとこはいかにやるか。もしくは寝ないでいくか。
川の道の場合は2時間ステイしなきゃいけないけど。
じゃあそうするとバックヤードって本当に異質な競技なんですね。
そのウルトラディスタンスの中でも。
寝る時間は短いは。
そうですね。
決まった時間に帰ってこなくちゃいけない。
歴史が浅すぎてうまく戦略が練れないっていう状況じゃないですかねまだ。
少しずつデータが集まってきてこれからどうしようかってところじゃないですかね。
あと注目を浴びる度に世界のウルトラランナーが目を向けてきて。
選手の参加層も厚くなってきたりとか。
早い人が参加するようになってくるともっと面白くなるんじゃないですかね。
ぜひNHKに入っていただいていいですかね。
大変だろ。
80時間もいいの。
確かに運営は年々大変になってきますよね。
サテライト大会じゃないとこだと去年はマックス51時間くらいやったのかな。
東京とかそうでしたかね。
傾向としては24時間で山があって、あと35時間で一つ山ありますね。
それを過ぎると多分一人か二人になる可能性が高くて。
40かな。
スティック抜けると50くらいまで行くけど。
そんな感じはしますね。
そのデータがあれば運営としては人が組めるんで。
だから35時間まで集めにして、後からその先は別に。
最悪一人でもできるみたいな感じにはなるんじゃないのかなと思いますね。
スティックに合わせて陣形を見た感じなんですね。
本当に30過ぎてから35ってすげえやめるよ。
35、6、7くらいもちょっとあれですよね。そこら辺って結構ドドドッと来るイメージはありますよね。
今回その時間俺が寝てたからさ。俺は楽だったよね。
寝てないとやってられないですからね。
寝ててもやってらんないよ。
なんでやってるんですか?
関わってしまったのでやるしかないですね。
ぜひ盛り上げてください。
大沢さんは今年とかではサポートはつける方なんですか?バックガードの際は。
そっか。2回ともつけてますもんね。
つけられたらつけたほうがいいかなって周りを見ていると感じますよね。
一人でテキパキ10分の間にできるかっていうと、たてのさんはそれで優勝してましたけどね。
まあそうですよね。
できるのかもしれないけど。
たてのさんが何分寝て何分ご飯というちょっとメソッド的なものが一番最初の頃ありましたけど、またそれからちょっとどうなんですかね。
メソッドって変わったんですかね。
あれじゃん、しばわきさんの早く帰ってきて10分寝るとかさ。
寝てないって言ってたからね。
そんな感じで余裕を持って帰ってきてゆっくり休むっていう。
余裕を持って帰ってきて結構立ち話とかしてくれるんですよね。
そうですよね。
なんかリンゴを持って歩いたりとかしてて、まるごとの。どっかで切ろうとしてるんだと思うんですけど。
すごいな。
そこで筋肉が冷えて足が痛くなるとかっていう発想じゃないんですかね、しばわきさんとか。
それが不思議ですよね。
不思議ですよね。
上野村は寒くて、本当に温めないとスタートができなかったですね、僕はね。
でもしばわきさんは一番目にバッと行くじゃないですか、スタイルとしては。あれなんでだろうと思って。
あれがもう自分の適正ペースらしいですよ。
あれ以上遅く走るのほうが疲れる。
最初っから行ってますもんね。
そうですよね。だいたい36分で帰ってきますからね、最初のほうは。
そうするとじゃあ適正ペースを見極めるっていうのが大事な一つのあれなんですかね。
だと思うよ。無理せず行けるペース。
いろいろとまだ試行錯誤というか、発展のしがいのあるバックヤードウルトラなんですね。
どうですか、でもやっぱり大沢さんはやっぱり、今年も破設年も多分22年、ごめんなさい。
昨年も破設年も出られてますし、あとは熊川リバイバルも出られてますけど、
あとは今年で言うと日光の1000人のペース、
カイドウ、ジャーニーランとかも出られてると思うんですけど、
やっぱりまだ今後もトレイルもウルトラも両方とも。
これあれですよね、DUVを見てるんですよね。
そうです。
今年大きいのは市街地に出てますね。
そうですよね。市街地もA17でしたっけ。
A17のところちょっと残念ながら、
200マイルまでは行ったんですけど。
そうですよね。ちょっと動画拝見しましたけど、市街地もやばいっすね、これ。
ありがとうございます。やばかったです。
やばいっすね、これ本当に。
途中なんか暴風とかも吹いてたじゃないですか。
鈴鹿が怖かったですね。
怖いですよね、あれ絶対に。
リタイヤかもって思ったけど、リタイヤできないんですよね、あの辺。
そうなんですか。
行くしかなかったんで。
リタイヤしたいってちょっと思ったんですよ。
でも下段するしないといけないんで、
もう行くしかないってことで。
まだ体力は、努力があったから大丈夫だったんですけど。
リタイヤしたいって思ったんですけど、