00:06
田中さん、UTMBも終わりましたね。
終わりましたね、はい。
だからUTMBどうなんですかね。ちょっといろんな人の投稿を見たんですけど、例年よりもコースが辛かったんですか?
いや、コース一緒だったんじゃないかな。
だから多分皆さん結構辛いとおっしゃってる方が何名かいらっしゃいましたけど、それは多分あれですかね、UTMBが初めての方だったからですかね。
そう、例年と変わんないじゃないですか、そんなに。コースはね、コース変わってないから天気が良くて暑かったっていうのがあるのかもしれないかな。
私の記事でが、サポート役で回っている方がいるんですけど、走りやすすぎて、突っ込みすぎて潰れてリタイアする日本人が多かったと聞いてます。
藤岡先生も藤岡さんもおっしゃってましたけど、やっぱり一番スタートの演出でかなり気持ちが高揚されるっていうのはおっしゃってて、
あのところをどう抑えるかがちょっとまずは肝だなとは言ってたんですけど、田中さんもやっぱり一番最初は街の雰囲気というかスタートを聞くとかなり高揚した感じはありましたかね。
だって普通に走ってるつもりで4分15秒で走ってたからね。
え、マジですか。
マジマジマジマジ。
時計見たら4分15秒なの?みたいな。
そんな感じで、周りの流れがそんな感じだから、やっぱりそうなっちゃう。
ちょっとしたテンポ走みたいな感じだったんですね。
それも3キロぐらい背負ってたからね。
怖いですね、それは。
そうなっちゃうよ。
そういうことで藤岡さんが言ってるのは。
ってことですね。
常々言ってますけど、いろいろあんなみんな金持ってますよね、本当に。
持ってないです。
マジで各地行ったりしてMB出るのも大変だったと思いますしね、本当に今。
だって新産でしたっけ、新産。
前回行った時より飛行機が2.5倍ぐらいのお金がかかったって言ってたんで。
やっぱりこれは物価高のおりとかサーチャージとかいろいろあると思うんでね、優高が高いのがあると思うんで。
でもユーロと変わってないの知ってた?
ユーロはそうです、130、140行ったり来たりってことですよね、今ユーロとしては。
だから2019年UTMB行ったけど、ユーロは変わってないから、飛行機代だけですよ、多分。
原油が高くなってしまった。
原油高とコロナであんまり便数が少ないから、少ないと価値が上がっちゃうでしょ、そういうことだと思うけど。
海外に出るとやっぱり社会情勢を加味しないとなかなか島国のランナーは海外行くのも大変だってことですね。
今度僕はアメリカ行くときは佐藤のご飯をいっぱい持ってくんで大丈夫です。
田中さんちなみにベアはあとちょうど3週間後ぐらいですか?
4週間ですか?
3週間?どっちだろう、忘れちゃった。
7月31日。9月23日ですよね。
03:01
3週間だね。
3週間なんですよね。
ちなみに現地にはいつ頃入られるんですか?
19ですね。9月19日月曜日。
日本で言うと敬老の日ですね。
そうですね。
なるほど。
そのまま向こうで過ごして。ユタですよね、ベアは。
ユタ州ソルトレイクの北のローガンという町カスタードですね。
じゃあちょっとまたこれも終わさせていただければと思いますのでよろしくお願いいたします。
じゃあ今回ゲストをお呼びしたいと思います。
今回34人目のゲスト。
ちなみに私も田中さんも今Zoom上で会うのが初めて。
そうですね。
田中さんはないパターンですよね?
僕はないパターンです。
大体いつも自分は初の方が多かったんですけど、ご紹介したいと思います。
針ヶ谷カナエさんです。よろしくお願いいたします。
お願いいたします。
今Zoomでやってるんですけど、後ろは富士山のポスターですか?
そうですね。これは気に入ってこのポスターシリーズを3枚目ですかね。
奥多摩シリーズと熊谷シリーズと富士山シリーズで今集めてて。
そういうシリーズのポスターがあるんですね。
手書きで細かく書いてて気に入って買ってしまっているんですけど、
意外にどこかの駅にお店があって、そこでいろんなシリーズが売ってるんですよ。
そこを見かけて富士山シリーズを買いました。
それは聴観図的な地図ってことですね。なるほど。富士山を中心とした。
説明はあるんですけど、動物やらいろんな説明があって。
いいですね。手書きっていうのがまた味があっていいですね。
ちなみに田中さんと金谷さんはほぼ同世代ですよね。おそらく。
そうなんですか。
お調べ上同世代でした。
そうなんですか。
年齢を申し上げるのもあれかなと思ったんですけど。
僕トラ同士です。
トラ同士。私牛なんですけど、うちの主人がトラです。
6年割は引っ越したですかね。
そうですね。僕ははい。ほぼ同世代ということですね。
事前に金谷さんからいろいろ資料をいただきましたけど、歴が素晴らしいですね。
いただいてるだけでも、とりあえずランニングを始めて10年というのがわかりまして、
そこら辺はいろいろと紐解いて活かさせていただければと思うんですが、
今回金谷さんをご紹介した経緯なんですけども、
私も田中さんも認識のある里徹さんから強烈なオファーがございまして、
ちょっと里徹さんに仲介していただいて、金谷さんご紹介して今回、
いろいろと皆さん仕事してるんで、いろいろとリスキリスキで今回収録に臨ませていただいたという形なんですけども、
06:09
当初はかなり緊張されてたんですけど、どうですか。
どうですか。いざ始まると。
いや、全くこれがどうなるのかがわからなくて、こういうの始まって。
全然2回目なんですよ。
そうなんですね。
使ってないんで。
でも本当に緊張せずに、ふだたん通りで結構でございます。よろしくお願いいたします。
金谷さんなんですけど、まずおいたちの方からちょっとお伺いできればと思います。
金谷さんはご出身はどちらがご出身なんですか。
ほぼほぼ千葉県の松戸市で、生まれは東京なんですけど、育ったのは5歳後、千葉県松戸でずっと来ました。
今も実家はありますね。
そうなんですか。僕はあれですよ、金谷さんと同い年の友達が松戸にいますね。
でも大きいですけど、どこら辺なんだろう。ランナーですか。
いや、ランナーじゃないです。フジロック仲間で。
名前なんだっけ。あ、忘れちゃった。フジロック毎年行ってる大ちゃん。
新松戸っていうところなんですけど。
新松戸ではないですね。そう言ったらまさに松戸でしたね、家が。
松戸市の新松戸なんですけど。
じゃあもしかしたらお知り合いかもしれないですね。
同じ中学校だったら面白いですね。
そうですね。
でも意外とあるかもしれないですよね、こういうのは。
長岡くんて一緒ですね。
知らないかな。
松戸って自分も1回だけ降りたことあるんですよ。
意外と大きい駅ですよね。
蘇豪とかありますよね、今松戸駅って。今あるかどうかわかんないですけど。
ありますけど、自分は松戸は大きいと思ってたんですけど、
どうやらその先の柏の方がね。
確かに。
柏の方が奥だから絶対に柏より負けるはずだと思ってたんですけど、
自分も実際に柏に行ってみたら、あれ、全然松戸よりもすごいぞと認めざるを得なかったですね。
確かに、まあそうですよね。柏の方がちょっと大きい。
やや有利かもしれないですね、柏の方が。
確かに。
松戸ってでもあれですよね、コチカメで読んだ情報なんですけど、
結構昔はいろいろと、何ですかあれ、雑木林じゃないですけど、
木々がたくし、結構自然溢れるところだったんですよね、昔は。
そうなんですか。
晴れ傘の頃はもう結構都会的な感じで。
都会ってはないですけど、松戸を意識しだしたのはもう高校ぐらいなんで、
松戸とかって全然行かなかったし、
09:01
高校で通学とかで、通勤とかで行くようになって、
松戸の駅を使うようになっただけで、それ以外はもう家の近くじゃないです。
あんまり松戸周辺にはいかなかったってことなんですね。
小さい頃は。
ちなみにその学生時代ですね、小さい頃って何かスポーツはされてたんですか。
中学はバレーボール。
高校はバレーボール入る予定がちょっと迷ったから柔道部に入りました。
柔道部ですか。
柔道部。
ちょっと待ってくださいね。
まず中学校時代はバレーボール。
バレーボール部に入られたきっかけっていうのは時代的に流行ってたんですか。
本当はエースを狙いを見た時にテニス部に入るんですけど、
エースを狙いの後にアタックナンバーを見ちゃったんですよ。
ナンバーを見たらやっぱりバレーじゃないですか。
で、バレーボールに当たり前のように入りました。
イメージとしては回転レシーブとかそういうきつい練習しかイメージがないんですけど、
やっぱり実際そういうものになったんですか。
入られて中学校時代のバレーブっていうのは。
今じゃ多分考えられないでしょうけどね。
やっぱりそうですよね。
もう体育館で暑い中当たり前にクーラーもなく、水飲みもどこに飲めない、
ごきげんになって、それなりにしんどい練習はしてました。
そうですよね。でも今考えると水が飲めないって、死ななかったからいいもん。
今は考えられないですよね、水飲まないって。
それも今みたいに水筒、保冷剤とかないじゃない。
ないですよね。
ハッキリと言うと魔法瓶があったんですけど、あれってガラスでできてて、
ちょっと高級なやつは。
大変なことですよね。
ああいうのはちょっと使わせてたまにはもらってましたけど、
落っことして割れちゃって怒られた記憶がありましたけど。
そうなんですよね。割れると中でガラスがガシャガシャになるんですよね、あれ。
簡単に冷たいドリンクは学校には持っていけなかったですね。
飲めないんですよね。
確かに自分もそんなに高級な魔法瓶なかった気がするんですよね。
1回に1台作って。
本当そんな感じでしたよね。
昔ながらのこのぐらい大きめのやつに飲み口の蓋が付いてるやつってやつですよね。
いや、懐かしいなあ。
バレーブ時代はどうだったんですか?
いやいやいやいや、全然全然。
12:01
大した結果も出せずに。
2軍が時々誰かが怪我して1軍になれたっていう成績なだけなんで。
もう学校自体も全然有名でもなかったし。
でも一応3年間バレーを。
バレーバポジションとしてはどこだったんですか?
背はあったんですけど、なんか苦手だったのか一応レシーブというか、
そっちの裏の方でしたね。
そうですよね、この頃は今でいうリベロランというポジションなかったですもんね。
ずいぶんルール変わっていっちゃって、今よくわかんないですけどね。
そうですよね。
今はラリー制ですけど、昔はサーブ制でしたもんね。
サーブ権制って言うんですか?
そうですね。
サーブ権が変わって得点が入るっていう時代でしたよね。
どっちがいいんですかね。
見てる風にやっぱりラリー制の方が面白いんですかね。
今は全くバレー見てないですね。
ランの方ばっかりですね。
確かに。
たまにスポーツで見るんですけど、わけのわかんないポジションがいろいろ増えてて。
田中さん最近バレーボールってオポジットっていうポジション知ってます?
知らない。
多分なんか自分も去年ぐらいから知ったんですけど、
今日本代表で西田選手っていう有名な人がいるんですかね。
西田選手っていう有名な人がいるんですけど、
多分そのポジションがなんか昔オポジットっていう。
どういう役割かわかんないですけど。
テントリアみたいな感じですね。
右でもなく左でも。
わかんないですけどオポジットっていうのができて。
そんなの自分たちが中学校高校の時は多分ないよなと思ったんですけど。
先に聞いた言葉なんですよ。
子供がなんかジャンプの漫画ハイキューって知ってる?
知ってます。
あれをAmazonプライムとかでよく見てて。
それでちょっと見てたけどね最近。
バレーアニメ。
田中さんがバレーアニメ見てたんですよ。
そこにオポジットって出てなかったけど。
そうなんですよ。
最近できた言葉なんですよオポジットっていうのは。
リベロぐらいは知ってるけどそれぐらいかな。
自分もリベロ結構精一杯で。
右ウィング左ウィングとかウィングスパイカーとか。
まあ聞いたことだったんですけどオポジットっていう言葉ができて。
知ってる人がいればぜひTwitterで教えていただきたいですけど。
一応そういうチームの中心となるポジションみたいですねオポジットっていうのは。
それよりも私がちょっと金谷さんで気になる点っていうのが高校ですね。
バレーボールに行こうとしたものの実際にやられたのは柔道と。
そうですね。
もう女友達と面白い部分って武道系の体育館見学審査。
剣道部がリー柔道部がリーの柔道部のところ通った時にめちゃめちゃかっこいい先輩がいたんですよ。
15:03
女三四郎みたいな方ですか?
男性です。
男性の方で?
ひびきり系じゃなくてすごく細め系の柔道っていう感じじゃなさそうな男性が道具練習してるんですよ。
そこで私6人ぐらいで見学しに行ったらみんなその仲間がハートマークになっちゃって目が。
かっこいいってなって見てたらその時もちろん柔道部員なんで女子ゼロだったんで
お前らちょっと面白い部分で見てんじゃねえと。
本気でやるんだったら今度ベルビー弁当持って来いと。
ってなった瞬間にみんなドキュンとやられて一気に女子部員6人が。
そのまま?
そのまま入りましたね。
その先輩がお前ら見てんじゃねえと、見せもんじゃねえとってことを言ってきたわけですか?
そうですね。その先輩は3年生の部長だったんですよ。
3年生の部長なんで、引退試合は5月じゃないですか。
そうですね。
私たち4月入りまして、たったの1ヶ月ちょっとで先輩引退しちゃったんですよ。
残った人たちはもうザ・柔道部員っていう感じの。
分かりますね。耳が潰れてザ・グリップクレアっていうの。
とりあえずでも入っちゃったもんだからね。
そんなんで辞めるわけにもいかずにやられました。3年間。
一応口笛は持ちました。
すごいな、それは。
そのままの意味言い方は悪いですけど、ちょっと動機不純だと思うんですけど。
ままの意味言い方は悪いですけど、ちょっと動機不純なところで柔道部入られて。
でも3年間やられて。
もう残った人も、もちろん半分以上辞めて、残ったのは2人、3人。
一応半分は残りましたけど、そのうちの人。
その先輩はあれですか、ちょっとシュッとした感じで。
そうなんです。
見た感じ的には、あんまり柔道っぽくないような感じがあったってことですね。
そうですね。
特に何かの投げ技に突出していたとか、関節技に突出していたってわけではないってことなんですよね、その先輩は。
そうですね。
特に、ただもうその人が道具を着ていて、ランドリーカーなんかでやってるシーンを見ただけでももう。
やられちゃったということですね。
結局3年間やられて、帯は黒帯までいかれたんですか?
黒帯はもちろん取りまして。
すごいですね。
当時矢原ちゃんが入り出した時代で、少し漫画読んで、面白いなって思い始めた時があったんですけど。
18:00
なるほど、はいはいはい。浦沢直樹さんの漫画ですよね。
そうだね、持ってたよ。
ですよね、自分も読んでました。ニッテリの漫画見てましたね。
漫画じゃん。
アニメ。
はい、アニメで見てました。アンドゥ・トロワーっていう人いましたよね。
そうだね。
名前忘れちゃいましたけど、大里狩りが得意になったんだよね。
そうそうそうそう。
矢原さん、これ柔道時代は何が得意だったんですか、俺は。
じゃあ、払い腰です。
払い腰。
内股ではなくて払い腰ですね。
結構あれですね、相手の内側に入って、首はどっちですか、オーソドックスですか。
はいはい。
ってことは、じゃあ右手が前ってことですね。
そうですね。
右手が前で、ってことなんですね。
はい。
じゃあ、利き手は右利き手でいいんですよね。
右利き手、はい。
先生がいろんなのを見て、動きを見て、背が低ければもちろん背投げとか。
はいはいはい。
260はもちろんあったんで、そしたら内股か払い腰かどっちかだな、みたいな。
で、私は、うん、じゃあ払い腰だな、お前は。
払い腰。
じゃあ、もうあれですか、ずっと払い腰に入るまでの打ち込みを高校時代は何回も何回もやらされてた感じですか。
ちょっと覚えてないですけどね、一応はこんな感じですね。
へー、でも柔道部も柔道部で、バレエ部もそうですけど、やっぱりでもあれですよね、校庭を何週か走られたりとか多分する、そういう有酸素系の運動もされたと思うんですけど。
校庭は、いや、結局なんか室内道場をぐるぐるぐるぐる回ってただけなんですよ。
はいはいはいはい。
っていうのは、部活ではしてない気がします。
じゃあ、この頃は特に何か、晴川さん自身走られるっていうことは、特に何か好きとか嫌いとかそういう部分はあまりなかったって感じですか。
高校は、ただ、小学校、中学校で、大会とかあるじゃないですか、マラソン大会。
ああいうのでは、気づかない間に、あれ、意外と上位なんだなっていうのは気づいていましたけど。
ただ、片手に吸入器を持ちながらいつも走って、本当に。
それ、全速か何かを持つことなんですか。
全速、そうですね、いつ頃だろう、6歳ぐらいから引っ越ししよう境に全速持ちになってしまって。
もうもうもう、年差が起きると、もちろん立ってもいられない状態で。
そういう素晴らしいものができて、これを病院でもらって、苦しかったらきついんです。
薬なんですけど、それをすると気管が広がって楽になるっていう感じ。
ずっと20代過ぎまで。
21:01
そうなんですね。
常に持ってないと怖い。
はいはいはいはい。
意外とトレイルランナーで全速の方って結構多いですよね。
チャンプさんも全速持ちで。
なんですか。
しょっちゅう全速のホスターが出たって言ってたのも、昔言ってた記憶がありますけど。
確か誰かも全速持ちって聞いたことあるんですよね。
誰だっけな。
でも意外とランナーと全速って結構、紙一重のところありますけど、あんまりそこら辺に対しての恐怖というのはあんまりないもんなんですか。
その薬があることで意外と安心できるっていうか、忘れちゃった方が変にちょっと苦しくなっちゃったりとかしてましたけど。
なんかでもスポーツ選手で一回いましたよね。
全速の薬吸ってこの期間広くしてドーピングに引っかかったって人。
そうなんですか。
何の競技か忘れちゃいましたけど。
なんだっけな。何かかで聞いたことありますね。
ちょっと思い出したらまたこの話を振ります。
でも小学校中学校はそれなりにはちょっと早くて、高校はちょっと覚えてないですね。
あと一気にちょっと体重も増えちゃったんで。
それが柔道部が影響ってことですか。
そうですね。あとはやっぱり思春期に入って食べて。
はいはいはい。
これまで大切だと思ってたら、部活終わって当たり前に友達とファーストフードでハンバーガーセット食べるじゃないですか。
ただいまで普通にご飯食べる生活を高校入ってから続けてたら、もう当たり前に5、6キロ太りましたね。
5、6キロで済んだのかな。
でも柔道の場合階級制じゃないですか。
たぶんあれが性立派も終わりになられると思うんで。
そこら辺でやっぱり顧問の方からもうちょっと食べろみたいな感じはあったんですか。
いや特に特に何もないです。
自分ではない。
その高校時代ってあと何キロ級で柔道の試合をやられてたんですか。その時は。
たぶん48、56、62とかだったんですけど、私は本当だったら48キロ級で行きたかったんですけど、ところがあっと太って56キロ級でした。
56キロ級で試合前プラマイゼロ、プラマイ1だったかな。
体重の測るチェックがあって、ちょっとオーバーしちゃって焦ってそこら辺走って少し落としましたね。
格闘技はそういうもんですよね。確かに私もキックやってた時は10日で8キロ減量があったんで。
そんなに。
あれは今でも思い出しますけどまあ辛かったですね。
24:02
そんなに落ちるものがあるんですか。
落ちるものがありましたね、その時は。
あの時は朝起きてクラッカー1枚食べてそれがご飯終了でしたからね。
水分は氷5個ぐらいっていう。氷だとずっと舐められてるんで、量の割にはずっと喉を潤すだけで。
暇さえあれ走った後練習してっていうので10日で8キロ落として、ただ次の日起きたらもう5キロ戻ってましたけどね、試合が終わって。
え、ボクサーなんですか。
昔キックボクシングやってて。
7日で5キロってすごいですね。
試合終わって普通にご飯、普通にご飯食べたんですよ。
やっぱり今まだ調子よくないんで、普通にご飯食べたら朝起きて5キロ太ってて、4回ぐらい体重計見ましたよね。
その2日後にはもう完全に元に戻ってましたから、急な減量は絶対ダメだなと思いましたけどね、あれ以来。
本当にもう皮膚という皮膚がカッサカサになりましたし。
おすすめは絶対しないと思うんですけど、おすすめは絶対しないです。危険です。
ドクターストップ一歩前だったんで。
危なー。
絶対やらないと思います。
で、有川さん高校を中途半端に3年間過ごされて。
これ高校卒業後っていうのは大学とかどちらかに進学されたんですか。
単体に入って全く運動はしなくなり、また体重が知らない間にどんどん増えていって、60キロ以上になりましたね。
本当ですか。
でもその時自分は、とってると思ってないんですよね。別に普通って思って。
たぶんうちの姉がいるんですよ、一人。
で、うちの姉も昭和49年の早生まれ。
たぶん晴川さんとか田中さんと同い年じゃないですか。
ちょっとバブルはじける前ぐらいですよ。
はじけたのかな。
はじけてたよ。
大学入ってた?
はじけてました。
はじけてた。
でもうちの姉見てたときに、大学に行くにしても夜のお店みたいな格好して大学行ってる感じだったんで。
友達がいましたね、ボディコンを着てて。
そうですよね。
ちょうどその時期でしたからね。
そうですよね。
イケイケというか、たぶん大学生っていうのがブランドじゃないですけど、大学担大がブランド化してたときみたいな感じですよね。
今の子ってボディコンって言葉知ってるんですかね。
ボディコンを万年って言葉ですよ、今怪しいかもしれないですよね。
まさしきその時代ですからね。
そうですよね。
田中さんの場合、大学に女性ってあんまりいらっしゃらなかったですよね、そこまで。
いないね、40クラスに1人いた感じかな。
27:00
1人ですか。
1人、そうだね。
そうするとまたそういう感じの方とは違う。
全然そういうのはいなかったよ。大学入った時ってまたジュリアナやってたのかな。そんな感じだったかな。
ギリやってた感じだった気がするけど。
かもしれないですね。
担大だと2年じゃないですか。この2年っていうのは相当多加された2年ですか、担大を。
どうですかね、その後の社会人になってからの方が弾けてたかもしれませんね。
そうなんですね。社会人のお話も伺いたいなと思うんですけど。担大卒業されて社会人になられて、そこでお話がありましたけど、かなり遊ばれたということなんですけど。
どんな社会人なんですか。
一応そこで体重を一気に落として、夏は海に行くじゃないですか。
今では黒ケーキになったりとか。今で言う合コンみたいなのもあったりとか。
仕事をしながらも、そっちの方が楽しかったっていう記憶しかないですね。
アフターファイブってやつですよね。
そうですね。そんなつるんでる人たちもいたんで。
同じメンバーで繰り出してたみたいな感じですね。
それ就職された場所っていうのは東京都内に就職されたんですか。
はい、都内ですね。
ちなみに差し支えがなければって感じなんですけど、どのあたりでいつも遊ばれてたんですか。アフターファイブは。
大体いつも池袋なんですよね。
池袋。池袋ってどういうところで遊ぶんですか。池袋はわからないですよね。
遊ぶって言っても飲むって感じですけどね。
はいはいはい。
一般的に渋谷とかって言いがちなんですけど、渋谷もちょっともちろん行きましたけど、どっちかっていうと池袋派でしたね。
職場が近かったんですか、池袋に。
いや、全然全然。
そうなんですね。
なんとなくみんなが。
仲良い友達が集まれる中心が池袋みたいな。
あと友達もバイトしてたのが池袋だったりとかっていうのもありましたし。
池袋ってでもわかんない。サンシャイン60くらいしか自分のイメージがないですよね。
逆口ですね。そっち方面じゃなくて、それ東口かな。西口の方ね。
ちょっとわかんないですけど、あれですよね。メトロポリタンでしたっけ。なんかそういう地がある方ですか。
そうですそうです。
30:00
池袋か。池袋はちょうど池袋って真ん中じゃないですか。山手線の中でも。
間に渋谷、新宿があっちゃうとどうしてもそこで降りて、あんまり池袋っていったイメージがないですね。
神奈川方面は渋谷があるからさ。
そうですよね。
東京の中央線とかだったら新宿か。だから池袋って言ったらどちらかというと埼玉方面の人がよく行くのが池袋。
あと北って感じだよね。
なるほど。池袋で。どのくらいっていうのはあれですけど、何年くらい生活をされてたんですか。
アフターファイブを楽しむような。
そうですね。言っても23歳くらいまでちょっと楽しんでましたけど、それからはスポーツの方とか結構そっちの方に夢中になったっていうのはありましたけど。
そのスポーツっていうのは一番最初に何が夢中になられたんですか。
冬は例えばスノーボードだったり、そこからあとは夏はボディーボードだったり、あと冬もボディーボードやってたりとか、冬もジムに行ったりとか。
あとはエアロビックスですね。週に5回ぐらいもジム通うとか。
エアの。
ボディーボード行った後に帰ってきてそのままジムに行って、エアロビックスのレッスン。
元気ですね。
それでちょっとサウナ入ってヘロヘロになってやりすぎだったの。貧血でちょっと危なかった時がありましたけど。
そうですよ。危ないですよ本当に。めちゃくちゃ。今のお話週末のお話ですよね。
週末、エアロビックスはもちろん平日。
平日もはいはいはい。
終わってキンコンカンコンなってすぐに地元のジムに行って、エアロビックスやって。
エアロビックスってあれですよね。意外と心拍というか相当有酸素運動になりますよねあれ。
そうですね。
この中で初めたきっかけだったんですかエアロビックスが。
なんだろう。ちょっと体重落としたいなーから始まってスポーツジムに行って、何ができるかなーでエアロビックスをちょっと見てたら、
少しずつ知らない間にハマってましたね。あとはやっぱり先生が、タイプの先生がいて、そこからなんかかゆい詰めてたっていうか。
女性なんですけどね。ああなりたいなっていう。
はいはいはいはい。
遅すぎない、すごいこういい感じの中肉中税のかっこいいインストラクターさんがいて。
33:04
はい。
もうそこからもう通っちゃって。
これ意外とスポーツインストラクターの方たちって自分も昔ちょっと知ってたことなんですけど、他の仲間のお話から聞くと、
結構ファンみたいでフリーのインストラクターさんってお店が決まってないじゃないですか。
Aのスポーツジムに行ったりBのスポーツジムに行ったり。でもファンの方たちってそういう追っかけされる方もいらっしゃったみたいなんですよね。
すごいですね。
この方はそこまで行かずに、ただスタジオ専任の方に憧れて集合でやられて。
これ何分コースのコースだったんですか?
最低でも1時間ですね。
1時間!これ1時間か。その時ヘビーですね。
1回でもちょっと行かないと、振り付けがあるじゃないですか。振り付けを遅れをとっちゃうから、とにかく電池あんで。
いいですね。遅れをとっちゃうっていうのがやっぱりストイックな感じが出てますね。
別にご両親も運動は好きだったんですか?
どうでしょう。うちの母は分からないけど父親はラグビーやってたんですけどね。
なるほど。じゃあどっかでスポーツにはちょっとゆかりがあった感じなんですね。
ですかね。
エアロビーをスノーボード、マリンスポーツ、エアロビーで、仕事っていうのはどんな感じの仕事をされてたんですか?
もう普通のジムですね。トヨタ自動車から。
じゃあそこでもう本当に5時まで仕事を、言い方悪いですけどちょっと機械のようにして。
残業する時はありましたけど、でももう自分で管理できたんで、帰れる時はもうスパッと。
でもそれが多分一番いいですよね。ぐだぐだぐだぐだたまにいるじゃないですか、残業してる。
会社の人に聞かれたら俺もうちょっとあれですけど、意味があんのかわかんないのかずっとぐだぐだ残業して。
してたかと思うんやけど、どっかタバコ吸いに行っちゃったりとかしてるやついるじゃないですか、本当に集中もせずに。
それがいいと思いますよ。寺田さんどうですか?部下が無意味な残業をしたら。
無意味な残業したら、いやどうなんだろうね、俺先帰っちゃうから残業してるかどうかもよくわかんないから。
そうっすね、田中さんもスパッと定時でスパッと帰られる。
定時でチャイム鳴ったらもうチャイム鳴る前に帰っちゃうかもしれない。
最近リモートワークなんで全然早く始めて勝手に早く終わってます。
田中さん最近お仕事はリモートなんですか?それとも実際に出勤されてるんですか?
もう出勤して、せっかく職業なんで、現場に出なければ成り立たないんで。
36:07
じゃあ今、昔の仕事とは違う仕事みたいな。
全然違います、はい。
あんまり今の特にそこまで乱に影響があるような感じでは。
仕事ですか?
はい、今のお仕事もあんまり時間に長く拘束されることもあまりないような感じなんですか?
いや、もう今は完全に接客業なんで、早くというかもう帰りは10時、11時になるんで。
そうなんですね、そのくらいになっちゃうんですね。
最初20代の頃に働いてたOLは26ぐらいまでで、ちょっと一気に場所を変えて仕事も全部本当に変わったんですよ。
そこからも飲食業。
飲食業。
はい。
どんな飲食業だったんですか?
実は26の時がちょっと天気で海外に。
どちらに?
ニューヨークなんですけど。
はいはいはい。
だから実は2011年の私10月に出発したんですけど、実はその9月がテロの時で。
9.11ですよね。
6月にニューヨークに出発して。
親戚、おじがニューヨークで経営してたレストランがあって、ずっと10年ちょっと働かせてもらって、日本に2012年に帰ってきたんですけど。
じゃあニューヨークの飲食業で仕事をしてたと。
はい。
すごいですね。
ちょっとなかったんですけど、やったらやったで、自分が好きなことに今気づきまして。
で、帰ってきても飲食業をやりたいなと思って、今に至るというか。
じゃあ今ニューヨークでやられた飲食業をこちらでもやられてるっていう。
全然また違うお店なんですけど。
はいはいはい。
ちなみに何系の飲食だったんですか?
ニューヨークですか?
はい。
ニューヨークはもういわゆるあれですよ、寿司もあれば天ぷらもある。
あるジャパニーズレストランですね。
ジャパニーズレストランですね。
はいはいはい。
鰹丼もうな丼もある、カリフォルニアロールもあるみたいなね。
はいはいはいはい。
ニューヨーク何でもありましたからね。
ありますよね。
確かに。
ニューヨークって本当に日本外、韓国外、中国外がきっちり分かれてるじゃないですか。
街のパッパッパって感じで。
ただチャイナタウンはすごいですね。
もちろんコリアンタウンもありますけど、日本タウンって意外に小さいというか、日本タウンっていうところってない?
39:06
多分ないですよね。
日系のレストランが並んでるなぐらいで。
やっぱ中国、韓国は恐ろしいなと思いましたけどね。
ありますよね。
見たら。
はいはいはいはい。
でもまあ26でニューヨークに行かれて10年。
でもこれ別に何の気なしにニューヨークに行ったってわけでもないんですよね。
でもなんかふとニューヨークに行こうみたいな感じだったんですか。
その親戚が住んでて、旅行では何回かオエリジナル行ってて。
行って、いつかちょっとお店手伝うから始まって。
そうだねって言って、じゃあどうしようかって言ったら、ビザがないから。
こっちで働きながら弁護士さん相談して、ビザ申請して、グリーンカード申請して。
で、ただ単に私は働きながら待っていたら、はい取りましたよ。
あ、取れたんだ。
で、ニューヨーク、あと半年以内に出発しないとグリーンカードの金切れちゃうよ。
アジャレ行かないと。
取れたで、やっぱり寂しいじゃないですか。
まあそうですよね。
日本楽しいしみたいな。
そっか、この時期にもう自分はアメリカに行かなくちゃいけないんだ一人でっていうのがあったんですけど。
まあ行きましたね。
そっから知り合いもいないしっていうね。
アメリカの生活はどうでした?
そうですね。
まあでも楽しかったですね。
本当にアメリカっていうか、とにかくいろんな人種がいて勉強になったし。
すごいなって。
皆さん言うけどニューヨークって特別なところって言いますよね。
確かに。
行かれた時期がちょうど9.11が終わって、アメリカとしても一番情勢が不安定というか。
その時期に行かれて、そこで10年っていうのをやっぱりもう見た。
アリガイさんが行かれた中でもやっぱりその10年ってアメリカも相当大きく多分変わられた10年だと思うんですけど。
やっぱり目の前見てて変化点っていうのが一番何か変わったとかって感じる部分ってありましたか?
皆さんの沈んだ時を見た時に、自分はもう全く見てない、経験してないところから入って。
みんなの一生懸命、辛いけども乗り越えなきゃいけないっていう。
グッと胸に刺さったっていうか、自分は何も知らないで、
東京都、ニューヨークに到着して、生活してもいいのかなっていう気持ちにさえちょっとなってしまったぐらいに。
42:03
そういうものをずっとみんなが抱えてるっていうか、何年経っても抱えてる気がしました。
ちょっと話は前後しちゃうんですけど、今年ウェスターンステイから出たじゃないですか。
その時に日本人で何人か出てると思うんですけど、山田さんっていうのはお会いになりました?
会いましたね。
山田さんがニューヨークにお住まいなんですね。
ブルークに生まれてるみたいで、私もその方に会って、
今日は2人ぐらい行ったのかな。話は少しさせてもらったんですけども、時間なくて。
もちろんレッスン中に1回会って、出されたっていうのを抜かしていったのはあるんですけど。
山田さんもニューヨークに、今ちょっと帰省して日本にいるんですけど、お住まいはニューヨークで。
タイム的にもちょっと後でお話します。
ちょっと山田さんとほぼ一緒じゃないですか、似たような時間帯ですもんね。
晴川さんゴールされた時間が26時間ぐらいなんで。
時間以上は違う。
でもレース中ちょっとお会いになられて。
1回だけ。
いやー、そうっすよね。10年アメリカか。
でもなんかもっと早くからランに出会ってたらよかったなっていうのはありますけど。
でも確かに。
目覚めたのがちょっと遅かったですね。
いやいやいや。アメリカ行くと言うのも、自分も観光で2回ぐらい、3週間を2回行ったことあるんですけど、ニューヨーク。
ちょっと別盤ですよね、ニューヨークって。
アメリカの街の中でもちょうどグラウンドゼロからセントラルパークまでずっと歩いていけるじゃないですか。
歩いててもニューヨークってちげえなって思いましたもん。
特にそこでタイムズスクエアなんか見た日には。
今思うとですね、でもその時は全然何も思ってなかったですね。
帰ってきて、どんだけすごいところに住まわせてもらったんだなって、今聞きましたね。
生きることも精一杯なところもありますからね。
やっぱりその10年間って絶対一生の糧になりますよね。
でもやっぱり今アメリカに行ってた10年間っていうのは。
思い入れたいと思います。
ちょっとここで少しずつ話を乱の方向に行っていきたいなと思うんですけども。
ちなみにハリガーさんが走り始めた時期、走り始めたきっかけっていうのは、
45:03
どういった経緯があったんですか?
友達がニューヨークシティマラソンを走るっていうので、
センタルパークの近く、残り35キロ地点あたりかな。
もともとマラソンって好きだったんですよ、テレビで見るのが。
特に女子マラソンが好き。
それは小さい頃だったんですけど、もう全然大人になってからマラソンなんて興味なかったんだけど。
実際、普通の生で見た瞬間にビビビッと走ったんですよ。
それはニューヨークマラソンのことですか?
ニューヨークシティマラソンを応援していた時に、すっごい感動しちゃって。
一般市民がフルマラソンを走ってるんですよ。
テレビって普通にすごい人しか走らないじゃないですか。
普通の人が走ってるのを私は生で目の前で見た時に、そこでビビビッと。
かっこいい、これ私絶対にニューヨークシティマラソン走るって思った。
誰もが出れるかって言ったらそうでもないんで、条件に。
そうなんですね。
もちろんあるんですけど、抽選なんて本当に倍率が高いんで。
じゃあどうしたかったら、いくつかのセントラルパークでレースがあるんですよ。
ニューヨークロードランナースっていうレースがあって。
それを10回走って1回ボランティアすれば、次の年の走れる権利をもらえるっていう。
それにその次の年から参加しだして、
2年越しでやっとその次の年のニューヨークシティマラソンの走れる権利をもらったっていう感じですね。
かっこいいですね。走るのがニューヨークで走るって。
それ何年ぐらいの話なんですかね、出走したのは。
初めてのフルマラソンがニューヨークシティマラソンが2019年ですね。
2009年。
2009年でニューヨークシティマラソン走って、それが初めてのフルマラソン。
じゃあ走り出したのは2007年ぐらいですかね。
冬ごろから始めて、全然月に10キロ20キロの世界で。
でもやっと2018年の後半になってから月に100キロぐらいとか走るようになって、
いろんな10キロレースとかハーフマラソンになって、
進んでいって2019年のニューヨークシティマラソンに備えて。
最初のフルマラソンはタイムはどれぐらいだったんですか。
3時間39分ですかね。
早いですね。
一度も歩かないように頑張って走って、本当に初めてだったので感動しましたね。
48:01
こんなに感動するのかと思って。
あれわかんないですけどニューヨークの街中を走るんですか、ニューヨークシティマラソンっていうのは。
そうですね。
どのあたりを走るんですか、ニューヨークの。
ファイブゴローとかそれぞれのスタティンアイランド、ブルックリン、クイーンズ、
でですね。
そうなんですか。
それぞれの街の色も違うし、観客も違うし、センタラルパークでゴールみたいなね。
東京マラソンの人に怒られちゃうかもしれないですけど、規模が違いますね。
伝統も違うでしょ。
ですよね。
それはちょっとテンション上がりますね。
アメリカだとニューヨークとボストンマラソンがメジャーの大会ですよね。
やっぱりボストンマラソンは憧れだったんで、それこそトレイルは憧れてた。
MVだったら。
その時アメリカ住んだ時は憧れてて、一応権利をもらって走りましたね。
ボストンマラソン。
ボストンは年齢か何かでタイムがあって、そこをクリアして早い順に当選するみたいな制度でしたよね。
当選とかもそうですね。だいたいほぼクリアしてたら。
行けちゃうもんなんですね。
意外にタイム基準がギリギリ1分とか2分とかだったら落とされることはあるかもしれないけど、
3時間半だったら、3時間20分自分持ってたら絶対に走れる。
でもあっちゃん知ってる?ボストンマラソンは記録にならないんだよね。
アンオフシャルってことなんですか?
下りが長いんだよね。確かそう。で、アンオフシャルになる。
ボースの基準化なんかがあるんですよね。
確かに。アンオフシャルになる。
でも、たぶんボストンマラソンって伝統あるんですよね。聞いたことあるんです。自分の名前は。
メジャー大会って6大会があって、ごめん、俺全部言えないんだよ。ニューヨーク、ボストン、東京、シカゴ。
シカゴもそうだっけ?
はい。
じゃあシカゴ、ベルリン、ロンドンとか。
うん、そうです。
ただ、その中でもアンオフシャルなボストンなんですね。
アンオフシャルだと思うんだけど、確か。
ワンウェイだったからじゃなかったかな?グルーっていうスタートゴールじゃないからって私はそれで聞いたんですけど。
そういう意味では東京マラソンはワンウェイですよ。どちらか。東京マラソンは確か。
一応あるんですね。陸連の中で全体のナンパがどうでもねえ、こうでもねえみたいなのがあるってことなんですね。
51:08
世界陸連なのかな?日本陸連ではないけどね。
まあそうですよね。
いやでもいいですね。ニューヨーク、ボストンマラソン。
シカゴは行かれたんですか?
行ってないです。
シカゴはまだなんですね。じゃあいつかはシカゴも走られてみたい。
行きたいですけどね。もうフルマラソンで海外っていうよりかは、海外行くならもうトレイルだよ。
そうですね。ちょっと今トレイルっていうのが晴川さんが出てきましたけど、
晴川さんの中で徐々にマラソン、多分もともとはマラソンをやられてたと思うんですけども、
徐々にどのぐらいから何年ぐらいからちょっとずつトレイルにシフトをチェンジされていったんですか?
それ日本に帰国されてからですか?2012年以降の。
帰国前、いつ頃だったかな。2011年。
マラソンを始めてフル走って2年後ぐらいに。
夏暑いから練習するんだったらちょっと山を練習したほうがいいんじゃないっていうので、
当時のトレイルと、でも向こうの山って言っても本当にこっちの山と違って走れるトレイル。
そうだね、じゃあ涼しいところが走れる練習になるねって言ったときに、
それからトレイルっていうのが少しずつ自分の中で出てきて、
でも全然なんだこんなフラットなのに、こんな何が練習なんだろうと思ったら、
その次の日の筋肉痛って言ったら半端なかったですよ。
でもニューヨーク、山田さんもおっしゃってましたけど、ちょっと離れないと山ないんですよね。
ニュージャーシーの方に行かないといけないっていうのを聞いた記憶があります。
じゃあニュージャーシーの方まで行かれて。
みんなで電車で行ったりとかして。
で、あと大会は車で行ったりとかして、
なるほど、それが元々提供いただいた2012年のNJウルトラとかノースフェイス、
これもひかんの?
ひかんの、ニュージャーシーの方で行ったりとかして、
で、あと大会は車で行ったりとかして、
なるほど、それが元々提供いただいた2012年のNJウルトラとかノースフェイス、
これもひかんでいいんですよね、2012年のは。
はい、もひかんはオハイオ州で。
これちょっと調べたんですけど、もひかんってマウンテンバイクもある競技みたいですね。
そうなんですか。
ランと一緒に。
そうなんだ、でも本当にそれぐらい行けるトレイルというか。
いや、でも田中さんすげーのが2012年のこのNJウルトラトレイルフェスティバル、
これ100Kですか、100マイル、100Kですか。
54:02
100Kですよ。
100Kですよね。
総合サインで女子1位ってのはすごいんですよね、これ。
ちなみにタイム11時間っていうのはすごいよね。
ですよね。
いやいやいや、小さい大きい関係なくすげー。
100キロ11時間ですからね。
初めての100キロだったんですけど、
ちょっと初めての100キロだから走れるかなって思いながら走っていたんですけど、
走り切ったときはちょっと初めての100キロ自分が走れたんだつってちょっと感動しましたね。
それも一応女子知らない大に1位だったみたいで。
ですよね。それまで最長って何キロだったんですか。
最長は50キロぐらいですかね、トレイル。
あ、違うか。
反転が50マイルだから80キロか。
80キロか、はいはいはい。
これ11時間ってアップダウンあったんですか。
あって11時間ですよね。
いや、もうほぼほぼないですね。
フラット。
ただの砂利道ですかね、ちょっと走る。
それでも11時間って早い、すごいですよね。
すごいですよね。
たぶん晴江さん自身があんまりすごいっていう感覚がないんですよね、たぶんゴールしたときには。
どちらかというとやり切ったっていう感じの方が強いんですよね、たぶん。
そうですね、100キロのタイムもどれぐらいがすごいのか。
ただ無我夢中で走ったらそのタイムだったって。
ただ単に小さいレースだったから1になったぐらいなのかなっていう感じだったんですよ。
そんなことはない気がしますけどね。
そこから日本に帰国されて2013年が八ヶ岳スーパートレイル。
これよく聞きますね、いろんなゲストから八ヶ岳で。
これもすごいのが26時間44分で総合22位、女子って2位。
これもすごいですけどね。
そうですね。そうですかね。
ちなみに僕このレース出てリタイアしてますね。
それがそうですよね。
初100ですよね、田中さんの。
100マイルチャレンジでラスト10キロでリタイアしましたね。
ラスト10キロ?
ラスト10キロが乙美子っていう英都でそこから多分結構山入んなきゃいけなくて。
はい、ドロドロでしたね。
ドロドロでしたよね。
で、僕もう潰れてて、その前からもう潰れてたんですけど、
その英都に入ってもう座っちゃったんですよね。
それがダメで足が固まってもう一歩も歩けなくなりましたね。
それで辞めちゃいました。
ホロに意外。
休んじゃったら固まりますよね、でもやっぱり。
57:01
意外に意識して潰れて座らざるを得ない時とか休憩せざるを得ない時はゆっくりするけど、
なるべくトレイルレースとかって座らない方が私は。
サポートとかいてベンチ用意してくれて、
はい、ドロドロ座ってっていうのはありますけど、
それ以外別にそういうのがなければ、
どっちかっていうとタッチながら補給したりとかして出発してますね。
その後固まっちゃうから。
じゃああんまり英都も長いせずに5分とか10分ぐらい、
10分未満でも出ちゃうって感じですか?
潰れてなければ、あんまりゆっくりしないかもしれないですね。
田中さんもよくおっしゃってますもんね、英都は長いしないって。
それはあれだよ、英都で人を抜くためだよ。
戦略的英都。
でもあんまり長いしないほうがいいと思うよ、足が固まるんですよ。
そうですよね。
あると思うんで。
ここからもすごいのが上州、帆高。
それも一緒に。
上州、帆高も俺出てる。
田中さん出られてるんですかね?
出てる。
田中さんちなみにこれ何時間だったんですか?
19時間ぐらいだったんじゃないかな。
19時間。
帆高が俺が27位だったかな。
上州11位だったら年代別に入られてますよね、たぶんね。
いやー入ってないんじゃないですかね。
入ってないんでしたっけ?
この時期はボロボロだった。
全然そういうのなかった。
まあでも潰れても26時間っていうのがね。
で、次2015年が筑波連山。
これもでも女子1位。
そうですね、これは初めての1位っていう。
ちょっと嬉しかったですね。
でもこれももう本当に途中でブラフラでボロボロでゲロゲロになって、
ああもう無理だなと思ったら復活したんですよね。
復活して。
はいはいはい。
なんか女子はい1人抜き、はい女子1人抜き。
知らない間にどうやら1位になってたらしくて。
で、今英語の人に声かけられて今1位だよって言われて、
え、そうなったんだって。
で、そこも赤だったんですけど。
一応ゴール切って初めての優勝だってちょっと嬉しかったですね。
優勝か。
いい響きですね。
いい響きだね。
いい響きですね。
1勝2位だろうなと思いますけどね。
そんなことないよ。
これからどうなるかって感じですけど。
で、あとは連続出場レースが何個かありまして、
人の1つがUTMFが2013年、14年、18年、19年と。
これもでもタイム見ても13年が一番良かったんですね。
33時間で。
そうですね。
1:00:00
その時ってはっきり言ってトレイルってあんまり日本のトレイル走ったことなかったんですよ。
で、それなのに知らなかったからこそ楽しめたから楽しめて、
あとはビギナーズラックじゃないけど、
走れば走ろうとどんどん遅くなっちゃってるんですよね。
最初本当にそのタイムで走れたって今でもちょっと考えられないぐらいですね。
その時タウンドで一周したコースの時だったんですよね。
2013年。
2013年どっちまでだっけ。
2014までだったかな。
15年までだったかな。
ラウンド一周は15年までで、
13年は時計回りでしたっけ。
いや違う違う、半時計回りですね。
半時計回り。
最初に天使行ってですよね。
で尺子で降りてっていう感じですもんね。
最初天使をこんなに日本の山ってすごいんだなって思ったのが天使でした。
ちょっとやっぱり今まで、
そうですよね、その前年まで、
あ、大丈夫です。
ニュージーランドの、
違う違う、ニュージャージーの山とはやっぱり全然違うもんですよ。
天使さんがやっぱり。
走れるトレイルなんで比較的アメリカは。
はいはいはいはい。
本当UTMFって初めてですね、ああいうコースは。
でまた連続出動というと延山ウルトラマラソン。
これ延山ウルトラマラソンこれ。
田中さんこれ成績が尋常じゃないぐらいすごいですよねこれ。
どの年か押さえたんですけど、
宮崎君野さんよりも早かったタイムがあったんですよ。
そんなことないんじゃないですか。
君野ちゃん初めて。
そう、一個あったんですよ。
何年かちょっと押さえたんですけど、
マジかと思って、
いやすげえなと思いましたね。
いやいや2013年が11時間、2015年10時間、
2016年が10時間16分の女子3位。
これがたぶんあれですよね、
はりがさんの中での延山ウルトラのベスト。
はい。
やっぱ好きなんですか。
ずっとこれって延山ウルトラって自分出たことないんですけど、
走れる。
そうですね、もうトレイルレースというかもうロードレースのちょっと
こう上りアップダウンがある。
はい。
こういう走れるコースが好きという感じですかやっぱり。
いや好きだと思ってなかったんですけどね。
とにかくまあひたすら歩かずに走るっていう、
まあでもやっぱり80キロ過ぎの真越峠っていう難所があるんですけど、
そこはやっぱり歩く。
そこからはやっぱり歩くけど、
それまでいかに走り続けるかがポイントだなって。
田中さんどうなんですか。
自分出たことがないんでわからないですけど。
延山って累積2000位あるよ。
だからぶっちゃけ言うと御滝の道がちょっといいぐらい。
1:03:03
なるほど。
えー累積2000があって野麦トポキ以外を走り続けるってなかなかですけどね。
標高も結構高いですもんね。
そうですね、たぶん高いですね。
スタートが1000メートルなんでね。
そうですよね。
確かに。
だから延山ってだから別に普通の100キロウルトラとはちょっと違くて。
ちょっと違うんですね。
下手したら2016年とか普通にフラットで走ってればサブテンやれる実力ぐらい全然ありますもんね。
ですよね。
一回それでサルマにサルマを走りました。
一回だけ自分ロードのフラットのタイムってどれぐらいなんだろうなと思って。
サルマを走った時は土砂降りのサルマだったんですけど。
一気に9時間36分とかだったかな。
まあ行きました。
やっぱそれぐらい走力ありますよね。
大人って言い方だけど目標としてはサブスリー、100キロ、サブテン、富士登山駅での感想かな。
確か。
それが結構ある時期ステータスになってた時あったかな。
グランドスラムってやつですね。
富士登山か。でも晴山さん富士登山も走られてるんですよね。
そうですね。一応山頂は2回行きましたね。
じゃあグランドスラムっていうのも達成されたってことですか。
いやいや全然フルマラソンはサブスリーだったじゃなくて。
でもとはいっても。
とはいっても11分ですよね。
3時間11分。すごいな。
次が破雪年。これも2013年から18年まで6回出場されて、最高位が2017年の女子順位で11時間29分05秒。
確かどっかの都市で靴間さんが一つ上だったんですよ。
靴間さん2017年かな。佐紀さんが9位かなんかで、その次が晴山さんいらっしゃって。
そうですかね。
これどうなんですか順位としては。
いや素晴らしい。
相当なもんですよね。やっぱり素晴らしいってことですよね。
素晴らしいんじゃないと思います。
ですよね。
でもこの年はラッキーなことに素晴らしい選手。激進した年だったんですよ。
なので自分の中で10位はラッキー10位だと思ってますけどね。
破雪年って気温によって暑い時とかって有力選手が飛ばして潰れるって年も結構あるじゃないですか。
はい。
そういう意味で言うと、ちゃんとそのペースコントロールをちゃんとできたっていう意味では、多分2017年ってそういう年だったんじゃないですか。そういう意味で言うと。
1:06:10
潰れてましたね。
結構いろんな選手潰れてる年とかってありますもんね。
そうですよね。全持ちで皆さん行くんだから、その重さとか気を考えれば潰れちゃう時は簡単に潰れちゃいますよね。
すげーな。
でも破雪年って走り始めてたのが、最初が12時間半だったんですけど、走れば走ればやっぱりどんどん遅くなってたんですね。
で、なんかもう破雪年って全然ダメじゃんと思ってた年に、いきなりこの11時間29分って出して、
なんか本当にこの時は体が本当に軽くてというか、落ちなくて楽しかった記憶がありますね。
何か練習を変えたとかそういうわけでもないんですか、この17年破雪年の外に行ったっては。
ないですね。
普段ってどんな感じで練習されてるんですか。
きれいっていつ頃までだったかな。レースが練習みたいな感じではあったんですよ。
なるほど、はいはいはい。
前、千葉県の松戸に実家にちょっとまた戻って住んでたんですけど、いつか埼玉県の川口に住んでて、
そこからもう山遠いじゃないですか。
遠いですね、川口は。
別にそんな山恋もしてるわけでもなく、レースに出てって。
で、あとは付き合いだした男性に山連れてもらってって。
で、実は結婚したのが最近じゃないけど、5年前ぐらいで。
そっから、実は最近反能に住んで引っ越してきたんですよ。
反能に。
奥武蔵ですね。
2年前ぐらいから引っ越ししてきて、やっと山を今練習で走ってるなっていう感じがあって、
それまでは本当に山ってあんまりレースとか、あとたまに友達に月1回連れてってもらうぐらいで。
絶対してなかったのにも関わらず、昔はまだ走れたのは年がまだ若かったからかなって。
いやいやいや。
あれなんですかね、田中さん、特に山行ければ一番ベストなんでしょうけど、行かなくてもやっぱり普段のロード走られたりとか、
そういうのがあるとやっぱり山も登れるものなんですか?
全体的なパフォーマンスで言うと、やっぱりその心配能力が高ければ、まずはいい成績を出せるかなと思うんだけど、
1:09:00
それプラスアルファオプションとして山を走れると、もっといい成績を出せるんじゃないかなとは思います。
そうすると、じゃあ張り返さん反応に引っ越されて、自分反応最近ずっと西の国以来忌まわしい過去しか自分はないんですけど、
じゃあもう伸び潮だらけってことですね、やっとここ最近で山練習を。
そうですね、コロナでいろんなレースなくなっちゃって。
なくなってますね、はい。
その中で良かったかなと思ったのが去年のFTRの100キロが、それはもう引っ越しした後だったんで、
比較的もう山は少しでも走れる体質になってたんで、ちょっとの登りでも昔は歩いてたけど、今は走れる。
そんな感じで練習してたらFTRは意外と上位で完走できたんで潰れなく、マイペースで行ったら優勝かなって感じですね。
ちなみに反応でどういうところで練習よくされてます?
もう一人の時は家から天然山、遠野津山、そこからちょっと時間があれば反応アルプス行って、
隅坂とかあっちの方行って、東アガノ。
時間がなければもうそこから電車で帰るとか。
あとは西の国の時の練習とかは東アガノまで電車で行って、
東アガノからぐるっと武寺とか、一部を行って西アガノで電車でまた乗って帰るとか。
じゃあ基本トレイルが多いんですね、反応。
あとはつなぎで漏れなくロードがあったりするから、
今は冬、フルマラソンを目指していなければもう行けるだけですね。
結構顔振り峠でしたっけ、あのグリーンラインでしたっけ?
グリーンライン。
あの辺で峠走とかも結構できるじゃないですか、反応っていうのは。
結構万能っていうよりは万能ですよね。
そうですね。
ただ僕はもう反応のトレイルの進まなすぎ具合が非常に…
申し訳ないですよ、嫌いなんで。
全然進まないですよね、反応のトレイルって。
あれすげえな、すごいと思いますよ本当に。
よくチーム100マイルで反応で練習するんですけど、
よくカブラギーさんが、まだこれしか進んでないのって、
時間の割に進んでなさ具合を自分で選んでる割には毎回そんなこと言ってるんで。
1:12:05
そういうのが結構、僕の印象としては非常にありますね。
確かに、ギザギザな下りとかも嫌いですね。
下りが本当に大嫌いなんで。
びっくりするぐらいに、今主人も走る人なんですけど、
主人が今言って、よくそんなヘッポクの下りでいつも入賞とかできてるよねって言われるぐらいに、
本当に下りがダメなんですよ。
ただベースになるとちょっとスイッチが入って走れるようになるんですけど。
自分も本当にうっそいな自分って思いますよ。
前は怖いもの知らずで走ってたのが、年々ちょっと下り転んでお尻打ったりなんやらで、どんどん遅くなっていって、
上りはその代わり少し速くなったおかげで速く走れてるんだけど、とにかく下りは嫌い。
正直僕も全然下りが、何ですかね。
まず目が悪くなりましたっていう話と、反射神経が悪いんで、昔ほど俊敏に下れないんで、下りは練習であんまりちゃんと本気で走ることはなくなりましたね。
遅くてもいいかなと思ってて。
マジでやるならネジを1本飛ばしてやるけど、それを別に練習でやる必要は全然ないんで、やらないし、
例えば僕がそれをやるときはショートレースで下りも飛ばさなきゃいけないとき以外はまずやらないですね。
怪我するのが怖いんで。
僕それでもいいと思いますけどね。
なるほど。やっぱりでも下りは怪我しやすいっすもんね。
念頭するよね。
自分も最近は下りが怖いっす。膝ひねるんじゃないかっていうのがずっと頭にノリがあるんで。
ただ今回の去年、晴川さんが出られたFTR、ちょっと自分もこのタイム参考にしたいなと思いつつ、
今年ちょっと出るんで、まだコースで出ないんですけど。
コース同じですかね?
多分同じだと思うんですけど、一つのベンチマークとして素晴らしいタイムだなと思って。
自分がいざこのタイム走れるかわかんないですからね、本当に。
抑えながら抑えながらいって、それが良かったのが潰れなくて。
あとは補給もやっと最近ちょっと学んだところがあって。
今まで右にスプライト、左にコーラみたいな。
今思うとちょっとアホかと思うぐらいに。
今もスプライトを抑えながら行って、
1:15:00
今思うとちょっとアホかと思うぐらいに。
今も普通に麦茶とか電解質とか、あとマルテンあるんですけど、
そういうのをドリンクにしてきちんと補給もジェルもしっかりとりながら。
コーラとかはエイドでちょっと取るぐらいには暇。
ロングレースでFTR潰れなかったのが初めてぐらいかな。
それまでも100マイル全て私ゲロゲロだったし、
あとは今回のベスト8も初めて履かないで、
普通に潰れないで走れた100マイルは今回初めてでしたね。
やっとこの歳になって、やっと学んでできたからなのかなって思うので、
次の100マイル、一応予定はしてるのは才能組。
あれは本当にもうちょっと難しいと思うんですけど、
自分がどこまでこの補給学んで潰れないで走ってゴールできたらなっていうのは。
来年、晴川さんも才能組に就僧されますか?
実は今年もエントリーしてたんですけど、
エントリーしてたんですけど、故障して。
なので実はウェスタン施設も故障してて走れないかもしれない状態で、
今ギリギリ治って先生にやめとけって言われながらも走ってたんですね。
石井君先生にちょっと呆れられたぐらいですね。
いやいや、医者なんてそんなもんですよ。
ちょっと怖かったですけどね、先生。
まあいいんじゃないですか。才能組走らなくて、ちゃんとウェスタン施設は走れたんで、
僕はいいと思います。
ちょっと来年ニューサンピアでお会いできること、
私もちょっと今年のリベンジがあるんで、来年こそ。
あんま大きい声じゃ言えないんですけど、来年ペーサーが決まってまして、
JR田中さんがペーサーなんですよ。
一応やるというふうに約束しましたんで。
感想よりも田中さんについてもらうことがまず緊張で、
ここのワンステージを越えなきゃいけないっていうのがちょっとあって。
楽しそうですね。
来年サンピアでお会いできること楽しみにしてます。
今ちょっと田中さんからお話がありましたけど、今年のウェスタン施設2022。
ちょっと今、怪我のお話もあったんですけど、ちなみにどの部位を怪我されてたんですか。
実は蔡の国の前はスネをしてしまって、歩けないぐらいに。
席以下に1.5年以上なし。結局よくわからないまま2週間がたって。
1:18:02
蔡の国の1ヶ月、3週間前に怪我しちゃったんですね。
2週間も歩けないぐらいの状態で、走れないぐらいの状態だったんで、
蔡の国でやめて、治ったなと思ったら今度はひろこしですね。足の甲。
足の甲がまたその後になって膨れだして、またそれも歩けなくなって。
結局1ヶ月、1週間ぐらい、まったく歩くどころか走れない。
ひろこし施設も治るか治らないかで、どんどんウェスタン施設に近づいていって、
焦って、でももう行くしかないのかなっていうのはあったんですけど、
ペースターの方とかに迷惑かけたくないから、ギリギリまで悩んだら少しずつ良くなって。
良くなったんですけど、席間の先生に連絡に取ってもらったら、
いやまだこれ走るところじゃないよ。
え、何?アメリカン?何キロ?160キロ?
いやいや、グリグリ。ちょっと笑われたというか、ちょっと半ギリ状態だったんですけど。
でも、無理はしません。無理はしないですよ。
で、私はちょっと嘘をつきながら、実際には自分の足と相談しながら行ったら、
静かに足は黙っててくれて走りましたね。
もうほぼほぼ治ってはいたんでしょうけど、先生は行ったらポキって行くよっていう意味で言ってくれてたんで、
なんでウェスタン施設でも感知したって感じですね。
これなんかよくありますよね。レース前行きたかったけど走ったら痛みが治ったって人って結構何人かいらっしゃいますよね。
星野ゆかりさんも言ってましたもん。アメリカのレースに行く前がものすごく足が痛くて望んだんだけど、
アントン・クルピチカとかいろんな選手を見たら怪我が治ったっていう。
確かゆかりさん言ってて、やっぱなんか人間ってそういうところを凌駕してくるのかなってちょっと思いましたけどね。
いや、まだ医者もそうですよね。無理はしませんからって言っても走る距離が160キロだから無理をしてますからね。
あちゃあちゃ、メンタルだよメンタル。
そういうことなんですね。
そこはもうメンタルが肉体を凌駕するんですよ。
そういうことなんですね。
これもうウェスタンステイツはあれですか、ロールオーバーされてて、
何年か前にコロナ前ぐらいに走ることが決まってたって感じなんですか、本来であれば。
はい、そうです。
ちなみにはりかさん当選されるまでどのくらいかかったんですか、ウェスタンステイツは。
3回目でした。
3回目。
やっと当たって、3回って多分短い方だと思いますね。
短いと思いますね。
1:21:00
自分も当たると思ってなかったら3回目で当たっちゃったって逆にそんな感じでしたね。
知り合いに言わせると簡単に走れるレースじゃないって聞いてたんで、誰かのサポートがなければ難しいレースだよって言われてて、ワンウェイだし。
ちなみにどんな日程で行かれたんですか。
実は昔ニューヨークに住んでた友達が今ラッキーなことにサムラシスコに移住しまして、サムラシスコ空港のジャパンタウンに住んでて、
彼女のところに一泊させてもらって、昔一緒に働いてた仲間が山の前に住んでるんで、そこに経由してご飯食べて、そこから彼女の運転でレンタカーでスタートホールに乗ったんで、
予定よりかは2日前だったかな?にサムラシスコ空港に着きましたね。
レースの2日前ですか?
3日前だった。
3日前、だから水曜あたりですか?火曜。
水曜だったかな。
結構直前なんですね。
なんていうんですか、土曜日、金曜日。
土曜日スタートですね、確かウェスターン施設は。
水木現地に泊まったんで、火曜日か火曜日に到着。
火曜日に入って水木でスコバレー、タホリュー、タホの青コミ。
ちなみに先ほどお話しになったペーサーっていうのは現地の知り合いだとかっていう。
そうですね、もう全然ペーサーとか考えてなかったんですけど、
サポートしてくれる女性っていうのがニューヨークに住んでたトレイル仲間が
全然知らなくなってたサムラシスコに住んでる女性がいるんですけど、
サブリナサンテイ女性、日本人女性なんですけど、
彼女はいつも日本人何男が来るとサポートをすごく喜んでしてくれる女性がいるんです。
今回、やっぱりウェスターン施設はペーサーつけた方がいいよって言われて、
どうなんですか、もしよかったら誰か紹介するよって言われて、
彼女に合わせたら2人紹介してもらって、
真ん中で40キロ40キロで2人の男性がペーサーつけに。
フォレストヒルからペーサーがついて、その半分でまた交代みたいな。
1:24:03
もともと何時間ぐらいで走ろうっていう計画は何かあったんですか?
もう怪我してなければどうなんだろう。
多分ダメ元でも頭はあったと思うんですよ。やるならやっぱり。
もう怪我してしまって、そんなタイムではないと思いながら、
自分でタイムテーブルで一番奥の関門の時間帯と、
もう一つはやっぱりサブ24の時間2つでペースにいるんだろう。
もちろん全然サブ24は無理なところにいてずっと走ってたんですけど、
でももしかしたら26時間とかで走れるのかなみたいなところまでいたんですよ。
でもとにかくタイムは全然意識してなかったですね。
じゃあとりあえず自分の出せる気持ちいいペースって言い方も変なんですけど、
淡々と走るみたいなそんな感じで。
そうです。気持ちいい感じっていうか。最後だけは霧のいい時間帯。
今これって例えば40何分だから、あと何キロだったら27時間台行けるんじゃないの?みたいな。
タイム狙ってなかったのに最後の方に欲が出て、
ちょっと切りたいなって言ったらその計算の方も、
え?厳しいかもしれないけどじゃあ頑張るかって言ったら最後猛ダッシュですよ。
結構すごかったですね、あの追い込みは。
こんなに自分最後まで走れるんだみたいな。
なるほど。ちょっと今、針ヶ谷さんのウエスタンステイツにある各エイドボートのタイムがあるんですけど、
オーバンレイクトレイルのポジションが確かに86位になってるんですよね。
その前のグリーンゲートっていうところでポジションが170位だったんですけど、90位ぐらい上げたってことは、
この辺から急に飛ばしたって感じですか?
これなんか全然わかんないんですけど。
多分淡々と言ってれば皆さん落ちていくから漏れなく上がってったのかなと思いますけど、
本当に何もなく滑れることなく進んでたんで。
その間は足のこととか一切忘れてましたか?
もちろん前半は足のことしか考えてなかったです。
もう怖い、怖い、怖い。
ペース大丈夫かなって。足と相談しながらとにかくゆっくり進んでって、
途中から少しずつこのままいけるなっていう気があったんですよ。
1:27:04
そこからは足のことは考え…ちょっと薄らぎましたね。
無茶したらテーサーの方2人いる前に足がポキッとなって終わっちゃったら、
本当に一番それが申し訳なかったんで。
待ってくれてる人のためにも、あとは日本で結構迷惑みんなかけちゃったんで。
そのためにもとにかく前半は落とし落としで。
テーサーついて走ってたらもうちょっと確信はした。
もう足は大丈夫なのかなっていうのは何だろうか。
あとはテーサーと喋りながら楽しくこのまま進んでいけばゴールできるなっていうのはありました。
やっぱ強いですね。お話を伺ってても。
タイム見て26時間58分っていうのは27時間を切るっていうのを何となく伺えたんですけど、その辺は意識されたんですか?
それはもう最後の最後で。
最後の最後で27時間切れるなと思って頑張ったっていう感じですよね。
27時間26時間だったら自分はこの位置にいるっていうのが全然チェックしてなかったんで。
ただ走ってたらその時間帯だったから27時間切ろうかなーって。
ちなみに終わった後足はどうでした?
全然大丈夫でしたね。
走れるウェスター施設って皆さんに言ってたけど、走れるトレイルって聞いてて。
普段あるし取れなかったんですけど、やっぱりコース的にはそこまでダメージがなかったコース。
すげー。
すげー。
その後足は治ったって感じなんですね。
肥料骨折の部分は治って、1週間以降の先生にとりあえずレース後に来なさいって言われて。
もうまんまに行って、レース時に取ったら綺麗な状態になってて、150キロ完走しましたって言ったらちょっと笑う。
じゃあ肝心ですねって先生も喜んでくれましたね。
これが精神が肉体を凌駕する瞬間ですね。
体を治しちゃうってことだよね。
すげー。現代医学超えてきましたからね。
すごい。
でもあれそうにスプリットウェストも大体170前後ぐらいを推移されてて、見ててもあんまり落ちてない感じは田中さん見受けられるじゃないですか。
やっぱりそこら辺ってやっぱりもう晴川さんがおっしゃったように前半は足とご相談しながら、とりあえずあまり欲張らずにずっといった感じがレースとしてはすごくいい展開になったって感じの代表例みたいな感じなんですかね。
1:30:17
基本はやっぱり100マイルは最初70マイルはちゃんと賢く走り、ペースをきちんとコントロールし、最後の30マイルは気持ちで走ると。
気持ちで。
だから多分まさにそんな感じの走りだったんじゃないかなと思いますね。
ですよねー。
実際にどうでしたか。ウェスターンステイツを走り終わった後、あのタイムバックル、ゴールデンマックルも多分もらうと思うんですけども。
普通のバックルですね。
普通のバックルじゃっけ?
シルバーバックルはサブ24で。
今見せて、ZOOMで見せてもらってるバックルですね。
かっこいいっすねー。
他のレースと違ってきちんと裏に書いてあるんですよ。2022って名前付きなんですよ。
初めて出た100マイルの時は多分これ使い回しなんでしょうね。何ももちろん裏に書いてあったし。
あと申し訳ないけど、新越語学もですね。
2回完走してるんですけど、100マイル。2回同じメダルでした。
CSで?
何もないっすね。
結構僕バックルの話で言うとお勧めなのがですね、タホコってあれ?
ウエスタンステイツの西側からスタートするじゃないですか。
東側でやるレースはタホリムっていうのが7月頭ぐらいにあるのかな。
そこはですね、実はバックルが全部手作りなんですよ。
バックルは全部手作りで、ゴールした後に全部後ろにタイムまで、タイムの名前を刻印してくれるのかな。
そのバックルは多分一番かっこいいかな。一番かっこいいっていうか、僕が持ってるのはですね。
もちろんウエスタンステイツのシルバーバックルと普通のバックルも持ってないんですけど。
そういう意味でバックルっていろいろ面白いですよね。
アメリカならではですね。
そうですね。
原田さん、ウエスタンステイツは知ってみてどうでした?
そうですね。
やっぱり憧れてたのが、今回やっぱり怪我をしたからこそなおさらゴールがちょっと感動的だったっていうのがありますね。
初めての100マイルの時もちょっとゴールは号泣でしたけど、今まで9回走ってる100マイルの中で、MBもちょっと感動的ではあったんですけど、
久しぶりにそれを越す、今回ウエスタンステイツ。
レースの前の辛い怪我を克服、怪我と戦ったところもあり、すごい周りに負けたっていうところもあって、
1:33:08
なおさらサポートをしてくれたのって、100マイルってあんまり一人で行ったりとかして、一人で感想するんですけど、今回は一人で行ったりとかして、
100マイルってあんまり一人で行ったりとかして、一人で感想するんですけど、今回はテイサーの方、クルーの方が常に行ってくれてっていう感じのゴールだったんで、
もう全てが、実はゴール後、テイサーの方が前に走りながら、一人で実は関係もあって極まって、
多分ゴール確信して、ゴールのシーンを想像しながら勝手に泣いてたんですけど、後はゴール手前にトラックがあって走るんですけど、
それはもうやっと帰ってきたっていう感じで、ゴールしたらやっぱり泣いてしまったのはあるけど、
本当にそうですね、レースで久しぶりに感動したというか、いいですね。レース感性が特別だと思います。
すごいじゃあ特別な体験だったってことですよね。
エイドの皆さんももうびっくりするぐらいに今まで出たレースの中でないぐらいに、もうカモンじゃないけど、
みんなが何したい、これしたい、あれしたいって、びっくりするぐらいに来るんですよね。
でもその一体感っていうのも楽しかったし、ゴール後ももうみんなシルバーバックルをベルトにさしている、絶対どう見てもおじいちゃんだろうみたいな人が、
過去の人もそうなんですよね。俺は今まで昔走ったんだぞっていうのを見せびらかしたい人が結構いっぱいいたりとかして、
でもそういうのもすごい楽しい。メダル授与式とかもそうだけど、いろんな人がいて。
本当はアメリカの100マイルっていうのは各RD、全レースもそうなんですけど、
多分ウエスタンステイツって歴史があると思うんですけど、僕いろんなレース出てて、やっぱり各RDが自分たちの100マイルレースを誇りを持ってやってるのが非常に僕はすごいいいなって思いますね。
日本でもそういうレースが増えるといいなと思いますね。
びっくりすると引き意味でしたもんね、後半は。入る手前からさあ向こうからガッて来られるなっていう。
俺たちは何でもしてやるから早く来いよみたいなそんな感じですよね。
いいですね、アメリカのレース。でもそうですね、ウエスタンステイツ。ある意味ウエスタンステイツ走る前からちょっとドラマティックな感じで始まったってことですよね。足のおけがから始まり。
1:36:10
そうですね、あとはコロナで延長延長で、一瞬伸びすぎちゃってて、当たった時の感動っていうのが薄れてて、本当に走れるのかなっていう。
だからちょっとサイノ国もエントリーしちゃったんですけど、去年もサイノ国はエントリーしてたけど、去年はコロナで中止になっちゃって。
今年もウエスタンステイツ走れるかもしれないけど、でも万が一の保証でサイノ国エントリーしてて。
ただ見送って正解だったって感じですね。
神様がサイノ国走るなっていうんで怪我をさせたのかもしれない。
そうですね。
俺その時神様来なかったですね。
いや、頑張れよって。
そっちの神様が来ましたね。
田中さんもウエスタンステイツ走りたい人として、やっぱりこういう話を聞くと、より走りたい熱が高まるんじゃないですか。
いやいや、走れますよ。別に高まるというか、昔から走りたいのは変わらなくて、言ってるようにいつか必ず走るし、毎年クオリファイをクリアしてるんで大丈夫ですよ。いつかは走れます。
大変失礼しました。
田中さんは何かハレガヤさんに質問、これ以外に質問ございますか。
そうですね。僕、さっきのトレーニングの話って、トレーニングで自分でこれは聞いてるトレーニングっていうのってあります。
なんでそんな質問してるかっていうと、やっぱりハレガヤさんの成績ってすごい素晴らしいなと思っていて。
このポッドキャスト出てくれる人たちって、基本僕の知り合いが多いんですね。
その人たちはどんなトレーニングしてるかって大体知ってるんですけど、今回ハレガヤさん初めてあまり認識はなかったんですけども、どういうトレーニングをするとこういう成績を出せるのかっていうのは非常に興味があるなと思いまして。
最近は本当に山の近くに住んでるから、常に山を走れるようになったおかげで山足ができたなっていうのは自分でも思うんですけど、でもその前はちょっと自分で何なんだろう。
普段よくどんなトレーニングをされてます?
今は反応に済んでからは、とにかくなだらかな登り、山の登りを止まらずにゆっくりでも。
筋トレとかはしてないんですよね。スクワットは一応気づいた時には気をつけて、1日100回、夜寝る前にとは言ってますけど。
1:39:10
スクワットって自重でやってるんですか?自分何も持たずに。
何も持たないです。
自重で。
で、緩やかな坂は走る。
走りますね。
普通の例えばフラット、平坦なところでスピード練習とかってされたりするんですか?
スピード練習は普段はしないですね。ただフルマラソン近くになって、ちょっとタイムを狙いたいなってなった時にスピード練習は、コロナ前はしてましたね。
例えばどういう練習?
その昔は1キロのインターバルとか、1キロかける5本とか、あとは5キロ、例えばオダフィールド、フラッと行って、5キロどれくらいのペースで走れるかなっていうのを走ったりとか。
ちなみに練習だとどれくらいのペースで走れるんですか?
そうですね、その時は20分、20秒とか。でもそれを本当1人で、1人連で挑んでいけるかなって言って、それぐらいだしたんで。
今はどうだろう、走れるのかな。それはでもコロナ前だったんで。
コロナ前はトラックで5キロ20分半ぐらいで走ったりとかしていて、あとは線のインターバル。
今はトレイルを走るっていうのがトレーニングっていうことですね。
それで今、ウエスタンスで26時間58分っていうのはすごいなと思いますね。
なかなか男性でも下手をすればこのタイムで出せませんからね。
1回だけYouTubeちょっと見たことがあって、キロ3分50ぐらいで走ってる動画見たことありますよ。
サット鉄さんから送られてきた動画だったんですけど。
3分50じゃないですか。結構早めのペースでトラックにしてるのを、お仲間としての。
あれ、もしかしてあれですかね。
実は結婚日とか、イベントでそういう動画を撮ったんですよ。
それでみんなでハンデをつけながら、誰が1位を取れるかみたいな。
その時、3時間50分。でもあれは遅かったですかね。
本当ですか。すごい。
反応に済んで、今までなかったものがまた身について。来年のサイノ国、楽しみですね。
1:42:05
チャレンジですね、とにかく。
サイノ国って自分の100マイルの中で、一番今は感想したいレースになってしまった。
昔って知らなかったんですよ、サイノ国っていうレースみたいな。
信山ばっかりその時期走ってたんで、信山と多分時期がかぶってるんですよね。
そうですよね。
いつも信山は団体で、いつも仲間内で行ってたんで、その時期は当たり前に信山っていう頭があったんですけど。
いつか1週間ずれたから、サイノ国っていうトレールレースがあるから応援してみようかって言ったときに、初めてサイノ国っていうレースを知って。
その後、ニュースサンピオで応援してたら、なんだこのレース、ちょっとビビってきた。
かっこいい、ちょっとこれ走りたいなって。
結構晴れがやさんの心を動かすのがビビってくるのが、やっぱり電気系が多いってことなんですね。
そうだね。
かっこいい、みんな戦ってる姿かっこいいとか。
じゃあ、来年のターゲットレースは、まずはサイノ国。
そうですね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ちょっとここで業務連絡をさせていただければと思います。
質問フィードバック等はTwitterより、ハッシュタグWeLoveタイマー、ハッシュタグタイマーズとつけて投稿お待ちしております。
また、Podcast維持に引き続きドネーション募集してますので、もしよろしければ、ショーノートからよろしくお願いいたします。
約2時間ちょっとですね。
晴れがやさん、最初のとき2時間も喋れるかしらっておっしゃってましたけど、意外と結構喋れるもんだと思います。
そうですね。
本当にありがとうございました。
思ってたことがちょっと話せなかったんで残念ですけど。
本当ですか。ちょっと待って、ちょっと足らなかったところが。大丈夫ですか。
大丈夫です。
いつかちょっとレースでお会いできたら。
そうですね。まずは来年ちょっとお会いできれば、それ以外でもお会いできるタイミングがあればと思います。
ありがとうございました。
今回ありがとうございました。今回34人目のゲスト、はりかえかなやさんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。