00:06
タナカさん、明日、尾崎。
そうです、尾崎です。今日は2022年の7月15日の夜ですね。
明日の朝5時に起きて、車まで移動します。
1時に受付をして、その後すぐに宿に行って、寝まして、夜の8時にスタートということですね。
大会の意気込みとしては?
大会の意気込みですか?
どうですか?
80%から90%の力で走りたいかなと思います。
MFの時よりはモチベーションは?
ないですね。さらに低いですかね。
本当ですか?
そうなんですね。
明日でもちょっと心配なのは天気があまりよろしくなさそうな感じですけど。
さすがに雨だからDNFと。さすがにそこはないですよね。
そうですね。そこは大丈夫です。
2019年に尾崎があった時も雨でしたからね。
その時は100キロだったんですけど。
大丈夫です。そこは頑張ります。
田中さんなりに楽しんで走られるオンタケですか?
楽しんで。非常に憂鬱なんですけど。
憂鬱で走ってるオンタケってあんまりいないかもしれないですね。
どうなんですかね。みんな憂鬱なんじゃないかな。違うかな。
つつみさんはTwitter上ちょっと憂鬱そうでしたけどね。大丈夫かなって。
それはあれですよね。乾燥の心配があるからですね。
あれ関門がちょっと異常でですね。
ちょうど80キロが10時間半なのかな。
シビアですね。
何を言ってるかというと制限時間が24時間なのにイーブンペースで走れないってことですね。
そうですよね。
ちょっと自分でもタイムテーブルを作ってみたんですけど。
どうやっても24時間ペースで走るとどっからで無理しないとダメだっていうのが。
前半多分突っ込んで後半潰れるのを我慢。潰れないようにするっていう非常に難易度の高いペース配分になるんじゃないかなと思いますね。
かつ雨っていう。なかなか今までにないオンタケになりそうなんですよ。
2019年も雨でしたよ。それも100マイルも雨でして。
本当ですか。じゃあ田中さん的には2019年と同じような感じで。
僕が100マイル走ったのは2017年ですね。
03:07
その時は雨降ってなかったんですけど。
でも最後の方潰れまして。
非常に苦い思い出がありますね。
それをリベンジとかそういう気持ちでは今回はなく。
リベンジはする気は全くないですね。
ただ時間が過ぎるのを待つだけって感じですね。
そうですね。はい。
分かりました。選手の皆さんご文をお願いしております。
ごめんごめん。これ今日クラブハウスやってないけどやった方がいいのかな。
どうなんですか。なくてもいいと思いますけど。
分かりました。
田中さんどうですか。
誰が参加してるのって俺しか分からないからさ。
そうですね。
じゃあなしで。
なくても全然大丈夫です。
はい。
では本日のゲストをお呼びしたいと思います。
今回AKないですよね。自分ツイッター去ったんですけど。
今回クラブハウスで宣伝してないんで。
そうですよね。分かりました。
自分の中では竹田城城主ということで。
確かにそうですね。
32人目のゲスト竹田健太郎さんです。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
お願いします。
よろしくお願いします。
非常に光栄です。
いえいえありがとうございます。
お呼びいただいてありがとうございます。
竹田城城主というのは後々ちょっと出てくるかもしれませんが。
そうですね。
確かに素晴らしいお城ですね。
そうですね。
トレイルランナー向けなんですかね。
確かにトレイルランナー今絶好の場所ですねあれは。
そうですね。
コロナ中は非常に助かりましたが。
ちょっと病むぐらい。
帰りたくないぐらいやってましたね。
そんな感じでお願いします。
災害発生時とかちょっと大変かもしれないですけど。
ありましたよね。
でも見ました49階でしたっけ竹田さんがやられたのは。
一番上が49ですね。
ですよね。
普通の人はやっぱ降りるのも上がるのもやですよね一般的にどう考えても。
3本やられてましたもんね。
そうですね。
今もコロナ中今在宅とかだとめっきりやっぱり一日動かなくなるんで。
昼休みとか1時間なんですけどちょっと10分ぐらい延長してもらって。
その間で階段3本やってくるんで。
1時間で一応3本はできるってことなんですか。
できます。
06:00
冬場は4本できます。
暑さによって変わってくるってことか。
暑さによって気づいたのが暑さで1本変わりますね。
自分の場合は。
今やるともう1本目で汗が滝のように出て。
一緒に走ったことある方ご存知だと思うんですけど汗がひどくて。
もう1本2本やると靴も全部濡れるみたいな。
そうですよね。
やってます。
1本変わるって時間にすると1時間3本ってことはだいたい20分ってことですね。
夏場は1本。
そうですね。
夏場4本いけないんでだいたい3本の30回みたいな。
1本あたり何も暑さの影響とかないとたぶん上って下ってで13分半とか14分とかそれぐらい普通ですね。
本当にもうひどくなって。
そうですよね。劇坂でお会いした時も竹田さんとジミーさんだけは汗が異常だったっていうのは記憶にありますね。
年々ひどいです。
暑さもひどくなってますからね本当には。
でも竹田さんと田中さんの出会いは階段なんですよね。
一応階段なんです。
池上の階段で何がきっかけだったのか。
誰かの企画かなんかで。
のりさんのりさん。
のりさんだ。
そうですね。のりさんがやるんで来ないみたいなところで初めてお会いして。
でもSteam100マイルで会ってなかった。
お会いしたのは確か初年度で14年か15年なんですよね。
その時自分はTOTUSだったんで全く接点なく。
Facebookで市役も連絡手段になってるので田中さんっていう方がいて。
TDT最初の時のコンビニのうつろな顔のいい感じになってるプロフィールの写真だった認識しかなくて。
初めてお会いしたのが池上の階段で会ったっていう感じでしたね。
僕竹田君はその前から実は知ってて。
2014のUTMFに竹田君出てたでしょ。
MF出ました。
その時に僕が渡辺慎吾君とか萩原君のサポートをやってたんですよ。
09:09
多分共通の知り合いの玉井さんとか広瀬さんとかがいて。
西富士商科で竹田君がいるのを玉井さんとかが声かけてるのを見てそれで知ったのかな。
彼チーム100マイルだよみたいなそんな会話をした感じかな。
その時僕が竹田君を初めて見た感じかな。
多分死んでましたよね。
いつでも死んだ顔してるんだよ。
その時は結構みんな潰れてる人が多かった印象だよね。
時計回りか。最後の時計回りだよね。
なるほど。2014年っていうのも後々ちょっと出てきますけど。
ちょっと自分竹田さんが走り始めた時期から考えて結構びっくりしたんですけど。
それは後ほど追い追いお伺いしたいなと思いました。
すみません。ありがとうございます。
竹田さんお生まれというのはどちらご出身なんですか。
東京なんです。田舎とかなんでですね。
東京と埼玉の境の今でいう西東京市ですね。
西東京市ってどこが含まれるんですか。
当時は法屋とかですね。
こっちのほうですね。
西武池袋線のひばりが丘っていうところで、
ギリギリあの辺境なんですよね。
お生まれはギリ東京だったんですけど、
当時の自宅は埼玉のほうで。
っていう感じのそんな場所ですね。
ちょっと西東京市って言われるとなかなかパッと出てこないんですけど。
馴染みないですもんね普段。
そんな話が出てこないな。
小学校って上がってちょっとするまでそこで過ごしてって感じですね。
小学校からは西東京市からも。
出ていま練馬のほうに。
実家練馬なんですけど、練馬のほうでずっと今実家でそこから過ごしたって感じですね。
練馬もあれですよね。大江戸線が走る前ってあんまり電車ないですよね。
全然何も。練馬でも光が良かったところなんですけど。
団地があるだけで当時何もなかったですね。
電車も走ってないし、
スーパーというか商業施設今あるんですけども、
それも精油ぐらいしかなかったのかな。
本当に何もない。
できるんだよみたいな話があったんですけど。
何もなくて。
大江戸線もできるできるって言って、
12:01
結局中高。
もうすぐできて使えるかなと思ったら、
実家出るぐらいまで前線帰ってしまうんで。
そうですよね。
そんな感じでしたね。
その時、学生時代っていうのはスポーツって何にされてたんですか。
振り返ると中高はバスケ部だったんですよ。
バスケ部。
そうなんですね。
結構多いですよね。
多いです。
サッカー部とか多いですよね。
例に漏れずというかバスケやってて、
中学は結構ちゃんとやってましたね。
自分で入ったって意思はあんまりなかったんですけど。
友達と部活見学してて、
例に漏れずその流れで入って、
バッシュまで買っちゃって、
バッシュ踏んで踏むといいんだよって言われて。
スタブの服に書いてるやつですね。
結局入ってみたいなんで。
3年しっかりやって。
都大会とかも出たんですかね、当時は。
高校も一応続けたんですけど、
やっぱり熱量はどうしても落ちるというか、
途端に高校レベルが上がるんで。
上がりますね。
そういう兼ね合いもあったし、
高2、高3くらいかな。
遊び出しちゃったんで。
やらずにだらけてみたいな、そんな感じになり。
中高はバスケと、
親が結構テニスやったりとか動くの好きなんで、
そこに付き合ってテニスやったりとかはしてましたね。
竹田さん身長っていくつなんですか。
180です。
高校で180だと、
でもでかいのは90とかいますよね。
全然190とかいるので、
当時でもやっぱりバスケでポストとかだと、
センターとかだと、
もう通用しないですよね、高校だと。
確かに自分も高校になると途端に
推薦入学っていうのがあるじゃないですか。
推薦で。
先輩でやっぱり上手な方いて、結構背も高くて、
部の中でもかなり上手いのだったんですけども、
どっか熊山区行ったんですかね、推薦でバスケ。
でもやっぱり低い方かつ、
レギュラーになれなかったみたいな話は聞いてたんで、
先輩側みたいな感じはやっぱりありますよね。
ありますよね。確かに。
高校はありますね。
部活、自分の高校もインターハイ出る高校で、
入ろうかなと思ったんですけど、
15:01
バスケ推薦が多くて、
もう中学校の時から名前が轟いた奴らがいたんで、
無理だと思ってやってきたけどね。
行っても3年ベンチか、
もしかしたらベンチにも入れないかもしれないと思ったら、
もういいやと思った。
身長も高くなかったですし。
そうですね。バスケも高校はそうですね。
学生時代の推薦って本当に何とも言えない、
中学校の時ってみんなでワイワイやってるのが。
そういうこと考えずにというか。
胃の中の蛙じゃないですか。
夢中になれたみたいな。
高校になるといきなり現実を。
そうなんですよ。
そういう感はありますね。確かに。
初めて人としての才能というか、
勝てないものってあるんだなっていう壁が
ぶつかりましたね。高校の時に。
小学校で何かやってたわけでもなかったんで。
才能があって超うまいかっていう、
そういうわけでもなかったんで、
淡々と練習をこなして、
それでできたことをやったなっていうぐらい。
なるほど。
武田君ポジションはどこだったの?
センターでした。
中学の時センター、高校も?
高校もセンターでしたね、一応。
中学校でやると結構大柄ですよね、180だと。
そうなんです。小学校の6年で170あったんですよ。
そこから10センチしか伸びてないんで、
小6まで伸びて、そこから横ばいじゃないですけど、
そのうちしか伸びなかった。
小6から10センチですよね。
10センチ。
自分は小6から3センチしか伸びてないんですからね。
それ止まっちゃいましたね。
でもあれですね、コツコツやるっていうところと、
あとすぐ場所を買うっていうのは高田さんも調べていく中で、
今でもそういうとこありますよね。
ありますね。
中高ぐらいでやっぱり、中高も大も含めて、
今のライフスタイルじゃないですけど、やっぱりその辺で、
その頃からそうなんだなって。
そうですね。
思い返しましたね、今回ちょっと。
確かに見ていく中で、何か三学科なんかのグッズも
次の日に買ってたとか言わなかったんで、
それを見てたんで、その話を聞いて、
昔からそうなんだっていうのがちょっと今。
18:00
大体、後からいろいろ調べて後悔するみたいなことは結構ありますね。
勘違い良かったんじゃないかみたいな。
いいですね、やっぱりそういう人生って。
で、高校でバスケをちょっと熱量が冷めて。
そうですね。中高一環だったんですけど、大学受験はあったんですが、
勉強も適当にはやってたんですよ。
そこそこ推薦もらえるぐらいのレベルのことはやってて。
一応、点数ありますよね。
ありますね。
この点数であれば推薦してもらえるみたいなのがあって、
それを満たしてたんですけども、最後の最後ですね。
高3から受験時期になって、やや出席日数足りねえぞみたいなのがあって。
推薦には。
そんなのあったんだ。
本当に1日とか、その規定みたいなやつで、
それにちょっと足りないみたいになって、
いろいろ先生と話したんですけど、
いや、ダメだねとか言われて。
いや、もう全然勉強しなかったんで、本当に。
もうその瞬間浪人決定ですね。
というのが、本当にバスティ辞めてから、
突然打ち込むものがないっていうか、
特に熱いれてるものがなくなって、
普通に支度部になったんで、
遊んだりもしてましたし。
学校はだから、欠席とかはしてなかったんですけども、
遅刻のカウントで全部カウントして、
3回遅刻で1日欠席みたいなよくわかんないカウントがあって、
それ積み重ねたら足りないねみたいな。
そんなことがありましたね。
今思い出しました。
それ厳しいね。
厳しいですよね。
知ったのも高3の秋冬ぐらいで、
いやいやみたいな。
いやいや、もう受験シーズン間近じゃんみたいな。
そんな感じでしたね。
先生教えてくれよって感じだよね。
爪が甘いというかね。
その爪の甘さも今も引きずってますね、人生に。
ちょっと足りないみたいな。
そんなことはないですよ。
そんな感じでした。
ということは老人生活を送られて。
老人して一応大学入ったものの、
とにかく勉強大っ嫌いで。
21:02
そうなんですか。
ほとんど大っ嫌いで。
今ではそうでもないですけど、
仕事に必要なこととか学ぶことって面白いと思えるようになって。
当時そういうの分かってるやつが頭いいですよね。
それ分かりますね。
当時はそんな感じで、
勉強とにかく嫌いだったんで、
大学はパスしましたけど、
老人も大学も全然行ってなかったです。
全く行かずに4年。
4年というか一番行ったのが大学4年生みたいな。
単位取るためにも、
それは必死でしたかなり。
本当卒業でいなかったらやばいこれ殺されるとか思って。
全然行かなくても4年だけで単位取れたんだ。
そこはギリギリの必修科目とかは、
大変とかも懐かしいですよね今考えると。
問題の世界で。
ノート借りたりとか、
その辺はギリギリのことはやってたんですけど、
一番単位取ったのが4年っていう感じでしたね。
何やってたかってずっと働いてましたね一日中。
何してたの?
当時やってたの3つ主にやってて。
バイトってことですか?
バイトというか契約社員でしたね。
仕事じゃん。
仕事なんですよほとんど。
一個はラジオの制作会社所属して、
それこそこういう番組というか、
ガッツリ作ってるのを4年間やってましたね。
それが終わったらガソリンスタンドでスタンド買って、
スタンド終わったら22時からコンビニの夜勤入って、
朝の4時に上がっての繰り返しの生活を
土日関係なくずっとやってました。
区学生みたいな。
別にお金が欲しいとかそういうことではなかったんですけど、
ラジオっていうのに結構出会っちゃって、
元々中高とか結構ラジオ好きで聞いてたんですけども、
ちょっと縁があってラジオの制作やらないかみたいな話が、
それこそ入学してすぐあって、
最初そんなラジオの番組を作るなんていうことを思って
それに行かなかったんですけど、
雑用とかCDを整理したり借りたりとか、
そんな話かなと思ってたんですけども、
初日行ったらすごい怖そうな人が一人いて、
24:01
バリバリ業界人のディレクターみたいな人。
今から番組作るノウハウを叩き込むからとか、
初日から聞いてないんだけどみたいな。
っていうのから始まって、
それは趣旨が大学生で作るラジオ番組みたいな話の企画が
初めて気づいて、何も聞いてなかったんですけど、
そんなんで、ちゃんとそれもバスケじゃないですけど真面目にやってたら、
いろいろ番組手伝わないかみたいな話でいろいろ声かかって、
もうちょっとしたら製作会社の契約者になってました。
具体的にどんなことやるんですか?
そうですね。
メインは、その会社って今はないんですけども、
再開発で綺麗な二子玉がRiseになってるんですけども、
二子玉、あそこ再開発で当時、
ワンダーエッグっていうものがあったんですけど、
そのワンダーエッグの中にスタジオがあったんですよ。
公開放送する。
そこのスタジオ管理者をやってました。
あそこはどういうことをやってたかっていうと、
番組の中にPubを入れる代わりに、
スタジオの収録費のスタジオ代を無料にするっていうので、
いろいろ放送の番組を呼び込んで、
公開放送をワンダーエッグ内にやって、
ラジオ、生放送とか収録もやってたんですけども、
それのスタジオ管理者っていうのと、
そこでやる番組も、
エディみたいなのと、
モノニューヨークでやってましたね。
当時はナムコなんで、
声優系のお仕事とか結構多かったのと、
当時一番多いっていうのは、
平井健さんとかの番組とか、
ずっと3年4年やってたのは、
声優の日高範子さんとか、
タッチの人でしたっけ、
南ちゃん。
南の人ですよね。
ずっとADやって、
ABS京都っていうラジオ局、
新聞社でもあるんですけども、
そこの放送でやって、
年2回ぐらい京都行って、
生放送やるみたいなことに行ったりとか、
そんなことやってましたね。
編集とかしたりしたの?
やってました。
当時MDで完敗期にして、
27:00
懐かしいですね。
旧シートつけて、
放送局に納品するっていうところまでが仕事だったんで、
音取ってきて編集してとか、
いろいろやってましたね。
テープも切ったりとか、
懐かしいですけど。
そんなことをやって、
隙間にガソリンスタンドとコンビニ。
サスケだったら、
すげえ肩書きつきそうですよね。
もし武田さんがサスケに出たとき、
その頃サスケだったら、
すげえ肩書きがついたんだろうなって気はしました。
ラジオ、
そういう音楽とか好きっていうのは、
中高ぐらいからそんな感じで。
ガソリンスタンドで、
がっつり同年代のバイトの方に、
車とかバイクとか染められて、
なるほど。
全然それまで車とか一切興味なくて、
本当に親の銀チャリで30キロぐらいで走ってるみたいな、
そんな感じだったんですけども。
あそこでバイクの免許も取り、
車も免許取って、
車もバイクも買っちゃってみたいな。
ここが起点ですね、車は完全に。
そうですね。
仕事もして金もあるしみたいな。
そんな感じでした。
ラジオは竹田さんの世代は聞いてたのは、
オールナイトニッポンとかですか?
そうですね。
あとは結構FMも多かったんで、
音楽的にはホットワンハンドレットというか、
JFのスペックのやつというか、
あとTFMは結構帯でずっと長しっぱで聞いてたりとか。
そういう感じでしたね。
ずいぶん忘れちゃいましたけど。
すごいですね、3つの仕事を掛け持つというのは。
棚田さんこれ、いつ寝るんだって話になりますよね。
大学生なんでしょ。
大学生ですよ。
バイト4時に終わって、そこからバイクで帰って、
5時くらいから寝て、
6時、10時くらいに起きてまたスタジオに行くみたいな。
バイト1個でも良かったんじゃないかなって感じですね。
そうですね。
そんな感じでした。
そこだけ聞くと業界人な感じがしますよね。
そうだね。
全くそこからプッツリ就職したら関係なくなっちゃいましたね、本当に。
大学時代は何のスポーツもやらずにひたすら。
ひたすらバイク乗り回して、車乗り回して。
スポーツといえば唯一、マウンテンバイクをたまに。
30:05
車にキャリアつけて富士見パノラマとか。
簡単なコースを降りるみたいなやつとか。
当時でも山も登ってましたね、振り返ったら。
レッキングじゃないですけど、ピクニック程度なのかわからないですけど、
一応富士山と水戸山と西里山。
西里山はこれ何でかっていうと、
当時バイクで北海道グループもあるツーリングにハマってて、
その途中で西里に民宿に寄ったんですけども、
突然おばちゃんが若いんだから上がってきなよとか言って
むちゃくちゃなこと言い出して、朝5時に起こすからとか言って、
叩き起こされて、山っすよねみたいな感じなんですけど、
何も装備もないしどうするんですか、大丈夫若いからとか言って、
むちゃくちゃなノリで起こされて、登山口まで連れてかれて、
雨打ってるんですよ普通にこれ。
登っていいのかなとか思いながら、
装備はツーリングウェア。
いろいろと温かいかもしれないですね。
一応濡れてもいい。
ただ重いバイク、ライダー系装備みたいな。
ライダーブーツで。
ライダーブーツで行ったんですか。
一応登庁しましたけど、何も見えないですよね雨だから。
そうですよね。
そういうアウトドア系は結構当時から好きで、
体活かすのも好きだったんで、
たまにまた家族のテニス付きあったりとか、
そのぐらいは軽くやってたっていうぐらいですかね。
当時のバイクは何に乗られてたんですか。
当時はですね、2つ乗ってて。
2つ乗ってたんですか。
1つがヨンフォアっていうですね、
自分と同じ年ぐらいのバイク。
いわゆるキニシャって呼ばれるやつで、
マガジンでぶっこみのタグっていうやつあったと思うんですけど、
あれのマボウくんが乗ってたやつです。
古いフォアですね。
フォアか、はいはいはい。
ヨンフォアとか呼ばれてます。
それと、あと全然系と違うドラッグスターっていうの。
系と違いますね。
乗ってましたね。
やっぱり資金力があるんで違いますね、やっぱり。
勉強もせずにね、何やってんだって悲しいですけどね、本当に。
すごいな、だって。
100サラってまあまあいい値段しますよね、多分。
33:00
まあそうです。100万はしなかったと思うんですけど、
でもまあそのぐらいだったのかな。
すごい。
今思うと新車で買ったんだな、あれ。
新車で買ったんだ、すげえな。
ご実家から大学には通われたんですよね。
以上言ってました、バイクで通ってましたね。
稼いだお金はすべて。
出所に。
大学の時は家に入れるということも。
そうですよね。
酔いどれ越しの金は持たねえみたいな人生な感じですね、多分それは。
大学はひどい生活でしたね。
まあでもなかなか人が経験できないいい4年間を
僕は過ごしたのじゃないかなと思いますね、これは。
でもなかなか時間長くとってやるっていうようなことは
当時結構やったかなっていう気はしますね。
ちなみに学科とか学部とかは?
学部は経営学部です。
経営学部。
経営学科ですね。
じゃあ経営に関しては詳しいんだ。
はい、全く関係ないです。
今のお仕事とちょっとつながるところはあるんですか?
あるんですよ。
勉強してなかったと社会人になってから言えないので
必要なことは補強しましたけども
一応経営学科だし
会計とかやってた体で今経営なんですけども。
完全に体ですね。
後からつけてきたんですか?
後からつけてきてそういう感じです。
ナムコワンダーエッグでバイトされてて
武田さんのお仕事としては
今聞いてびっくりしたんですけど
縁はあったんですか?その頃から。
縁だけです、実は。
その縁で入ってたの?
知り合い聞いてないと思って言っちゃうと
そこの管理やってた会社って
当時のナムコの会長さんの弟さんが代表だったんですよ。
全然そういうの別に知らずに入ってやってたんで
4年になって
実は途中から知ってましたけどもちろん
中村雅也の弟さんだっていう話なので
ナムコとか受けてみるみたいな話が
何かしらでちょっと出て
自分のちょうどこの調子に当たるか当たるか
結構よくしていただいて
それで入っていって
36:00
そのままトントントンといきたいな感じですね。
就活だからほか2社ぐらいしたぐらいなんですよ。
その1社もひどいもんで
第3度時に事故って右足松葉杖だったんですけど
ぐるぐるの包帯と松葉杖で就活に行って
お前何しに来たんだみたいな感じで
当然落ちますよね。
一応就活は何社かしましたけど
結局そこいろいろお世話になったんでということで
ナムコに入ったっていうのが社会人の初めです。
そこで全てお仕事は終わって
今この仕事に乗ったというかそんな感じです。
4年間無駄じゃなかったってことですね。
お話を伺ってると。
そうですね。結局そんなご縁があって
自分で作ったコネクションというか
確かにそう考えれば無駄ではなかったのかなと。
大学4年間真面目に来たらこの縁無かったですもん。
この縁は無かったですね。
全く違う人生にはなってたかもしれないですね。
真面目に勉強は無いですね。
ちなみにラジオの制作会社は竹田さんが辞めるわけじゃないですか。
はい。
それは考え直してくれないかみたいなこともあったんですか。
要するにワンダイックの再開発ずっと延長延長で行ってたので
あれで無くなったんですよ。
要するにそれのつまりメインの。
普通にAMKのお仕事とか他のところで十分になったっていうのもあるので
そういう意味では世田谷方面の仕事とか言ってたんですけども
そういう系のラジオはその会社としては特別要らなくなったというか
なるほど。
タイミングであったのかもしれないですね。
あれ2000年?いや2003。
2001年とかですかね。
そのくらいでしたよね。
2002年2001年の12月末とかだったんで。
ですよね。
自分はナムコワンダーエッグの裏にあるフットサル場で
ありましたね。
潰れるまでやってたかな。
あそこにあれありませんでしたっけ。犬猫なんちゃらみたいな。
ありましたよね。
あったあった。
あそこの最終日自分行ったっていう記憶。
何しに行ったの。
当時付き合ってた彼女と三子玉行って行ったら最終日だから行ってみるみたいな感じで
行った記憶を今思い出してます。
三子玉ってそれぐらいしかないか。
39:03
じゃないですかね。
当時ないですよね。今本当に綺麗になりましたけど。
そうですね。
東急ハンズとちょろっと商店街あって
ナムコワンダーエッグがあるぐらいですもんね本当に。
あれ東急ハンズなんかあったっけ。あったかあったかあったか。
ありました。
ロータリーのところに。
貧相なバスターミナルでしたもんね。
そうですね。
ですよね。今考えられないですけど。
今考えられないですけど本当に地方のちょっとした一都市の駅の商店街みたいな。
本当そんな感じでしたよね。
そのぐらいの規模感でしょ。ワンダーエッグの方行ってそのぐらいでしたよね本当に。
確かにあそこの汚いところなんかアジャリって韓国料理屋が。
ありますね。
あそこでしょっちゅうフットサラを割って飲んでたような気がするな。
あれでもあそこって確か綺麗になってまだありませんでしたっけ。
あるかもしれないね。今でも店は自体は。
ありますよね。なんか見た記憶が覚えてますなんか。
確かにそうだね。東急ハンズあったね。
すげえちっちゃかった記憶がありますもん。これ東急ハンズっていう規模の東急ハンズでしたよね。
乗っていいのかみたいな。
そうそうそうそう。
品揃え的にみたいな感じですね。
金物店ぐらいの規模しかなかったっていうのはすげえ覚えてますね。
いや懐かしいな。
ちなみになんかその裏側にある教習所があったのかな。
ありましたね。
あそこにいましたね。
行ってましたね。あれ小山じゃない?
小山は向こうか。
小山は川沿いだけどもうちょっと西側かな。
で東急自動車学校だね。
東急自動車学校。
はいはいはいはい。なんかありましたね。
今スタバと公園になってるあたり。
はいはいはい。あのあたり。
ゼロカロリーエイドのところですね。
ゼロカロリーエイドのところですね。
あそこに通ってました。
なるほど。いや懐かしいな。
こんなにこたまの昔話しかないところではあるんですけど
竹田さん就職をそのまま御縁でされて。
ここから少しずつランに寄りたいんですけども
竹田さんの走り始めたきっかけっていうのが
ちょっとFacebook上で見ると
2011年の6月6日からジョブを始めたっていうのが
竹田さんのあまり頻度の少ないブログに書かれてました。
あブログなんかやってんだ。
あんまりこういうこと言っちゃいけないんでしょうけど
2投稿ぐらいしかなかったんですよね。
42:00
当時SNSとか当然やってなくて
今申し上げたとおり
そんな社会人まで送ってきてるんで
知り合いなんかいないですよ。
もう社外にゼロ。誰もいないです。
大学なんかそれはもちろんいないですし
地元も今川崎で乗り場が変わっちゃってるんで
続いてる方もいないですし
あとは中高も続いてないんで
社会人になればなかなかね
友達と会ったりとか少なかったんですけど
そういうわけでゼロですね。
社外に知り合いって。
だからこの時Twitterをやったのも
多分走り出したきっかけで
本当たまたま始めたっていう感じですね。
誰に発信するんだろう。
そういう自分の記録的に多分やり始めたっていうところで
だからフォロワーとかそういうんじゃなくて
ゼロですね知り合いっていうのが
2011年6月6日
これのきっかけが東日本大震災ですね。
あの日会社から歩いて帰って
今当然ねあんまり歩いて帰ったりは
推奨されないことだと思うんですけども
当時はもう帰んなきゃということで
革靴で歩いて帰りましたね15キロか
帰ったらもう全部停電になってて
艦棚とか大渋滞
なんかこれ動く気配もないなみたいな
わきを
そうですね
行くって
もう運動不足というか
やばいなこのままではって思ったのが最初ですね。
でもその前までは先ほど出てきた車とか
バイクではアクティブにはやられてたんですか?
まあまあとにかく仕事が最初店舗系
ナムコなんでゲームセンターなんで
最初店舗系の仕事してたんですけども
ちょっと数年したら
今の経理になった時に
いやいやバカみたいに忙しいぞこの職業と思って
やばかったんですよ本当に
土日は当然あるにせよ平日なんもできないし
土日も場合によっては出たりみたいなことがずっと
33ぐらいまでなんとなくずっとそんな感じだったんで
10年ぐらいでずっとそんな
たぶん経理になったら25、6なんで
たぶん4、5、6年ぐらいかは
そんな生活をしてたので
ちょっと余裕ができたのが
30代入ってちょっとしてからみたいなそんな感じでしたね
45:02
運動しようかなと思った時に
走るっていう頭にならなかったんですよ最初
走るのは辛いっていう思い出しかなくて
高校の時中高か
マイクを一周とか一回やらさせられてて
マジかよと思ってやってたんですけど
今では普通にやりがなかったんですけど
当時とかもやでやでっていうので
走るっていうのはきついっていうことしかなかったので
さっき途中でお話ししたマウンテンバイク
あれずっと転がって死んでたんですけど
当時買った自転車さんに行って
また乗ろうかなと思って
そこからですね
それの納車の日が確か6月5日で
頑張って乗ろうみたいな
納車が5日でその日に
たまたまイーストウィンドの方がそのお店にいて
そこからパタゴニアのですね
アドベンチャーレースの映像をその場で見せられて
なんだこの世界はっていうので
マウンテンバイクだけじゃなくてやっぱ走るとか
そういう意味みたいなことからですね
だから5日に納車されて
翌日感化されて
とりあえず走ってみるかみたいなのが
その日だったっていう感じです
これ何キロぐらい一番最初走ったんですか
最初の方の練習というかランというか
川崎市の中原平和公園ってあるんですけども
そこに行って
用具とかも何も持ってなかったので
とりあえずテニスシューズ引っ張り出して
上はマイケル・ジョーダのTシャツみたいな感じで
人の格好で行って3キロ
地獄ですよね3キロって最初は
翌日も体何も動かない
バキバキですよね
筋肉痛と起きられないみたいな
6日ってさっきもチラッとあったんですけど
広瀬さんっていう方のチームG
誕生日だったっていう
毎年広瀬さんを拝んでですね
まだ続けてますよっていうので
いつも思い出すんですけどね6日になると
最初3キロでした
そこからでもすごくびっくりしたのが
竹田さんが走られたのが2011年6月6日
その1年たってないですよね
そうですね覚えてる限りだと
ハセツネ30Kに出られたりですとか
そうですね確かに出て
48:00
2012年で1年で新越合格110
12年何出たかっていうと
まずハセツネ30から始まって
かすみがうらマラソン出て
おんたき100K出て新越110出て
ハセツネ出てホノルルマラソン出てますね
どう考えても考えられないですねこれ
走りすぎだね
ですね
どう考えても
田中さんに怒られるやつですねこれ
何がしたいのって
走りたいのって感じだよね
この1年とかこれからも続くんですけど
やっぱりもう楽しい
とりあえずやろうみたいな感じだったんですか
とりあえずどんな世界か知りたい
ハセツネのことをお話聞いて走ってる方に
そういう話って全然その世界知らないと思う
日本語なのに宇宙語に聞こえるじゃないですか
用語とか地名とか出てきて
例えば大田はとか言われても
何だそこは何なのそれみたいな話
大田から突っ込んでいくのが嫌なんだよねみたいな
そういう話とかっていうのを
どんな世界だろうなっていうのを追い続けて
どんどんその世界を見たいっていうので
ガムシャラだったんでしょうね1年最初1年
素晴らしいですよね
ハセツネっていうのは竹田さんの中で
結構毎年出られてるレースじゃないですか
当時やっぱりトレラン・ハセツネっていうのに
すり込みがあって
僕宮さんと相馬さんの手記を
ずっと毎日見るみたいな
そういうハマり性なんですかね
相馬さんの開講をずっと読んで
どんな世界かっていうのを想像してて
っていうのがトレランやりたいなっていう風に
思ったベースでもあったんで
ハセツネ途中からちょっと出られなくなっちゃったんですけど
毎年当時は出るようにしてたベース
一番相性が悪いレースなんですけど
そこが原点というかハセツネで出る
ちなみにごめんなさい
この時に広瀬さんとかと知り合ってて
影響を受けてたって感じなの
どちらかというと12年までは
アドベンチャーレーサーの方の憧れというか
そういうのやりたいっていうのに影響を受けてて
情報とかは広瀬さんとか
そういう方からいろいろ聞いたりっていうので
ほぼ独学状態ですねここは
51:01
どうやって広瀬さんと知り合ったの
広瀬さんとは11年走り出した年に
里山アドベンチャーっていう皆神で
イベントがあって
そのアドベンチャーレーサーの方の呼びかけで
チーム初心者で結成して
なんかやらないみたいな話に出たときに
たまたまそのチームに広瀬さんがいたという感じです
この田中さん広瀬さんという方
私ちょっと存じ上げないんで
ちょっとじゃあ教えますね
広瀬さんっていうのは
昔ですね今書いてないのかな
トレーラーマラソンとトレールランニングと
ドタバタ日記っていうブログがありまして
古典的なタイトルはいいですね
結構僕も始めた頃とかだと
ブログ自体が結構1位とかになってたのかな
なんかそういうブログランキング
トレーラーのブログランキングとかで
っていう方で
僕なんかはチームGって
渡邉くんとか萩原くんとかが入ってるメンバーに
広瀬さんがいたっていうのがいて
最近広瀬さん自体は走ってないんですけど
広瀬さん自体は例えばUTMB走ってたりとか
レイユニオンとか走ってるとか
結構有名な海外の100マイルを走ってる感じですね
最近はあんまり話しられてないみたいなんですけど
当時のインフルエンサーじゃないですけど
情報芸みたいな
そんな感じですね
感じだったんですね
でもあれですね
竹田さんのお話今1時間ぐらいですけど
やっぱなんか人との出会い
社外にお友達は少ないとおっしゃってましたけど
なんかいいタイミングいいタイミングで
こうやっぱり人との出会いで
そうですね本当に縁に恵まれました
それがすごく羨ましいですね
本当にいろんなタイミングで背中を追いかける方が
なんか現れるというか
縁があってっていうので
いろいろ繋がっていった感じが今かな
トレーラーとか運動に関しては
本当そうだと思ってますね
12年の9月の実は
そのチームG
広瀬さんとの繋がりで
ここで初めて山口さんと
竹田さんとお会いしてるんですね
連れてってもらって
そうなんですね
ものすごい早い方っていうイメージかも
今もそうですけども
当時も雲の上の存在みたいな感じで
ご一緒させていただいた記憶があって
もうなんか格好とかものとか
54:00
もうなんか一つ一つがかっこいいな
山口さんのノースウェイスのですね
でっかいダッフルザック
当時真似して買ったんですよね
来ましたねまた
かっこいいなあれと思って
山口さんなんかさっきとしてかっこいいんで
いいなと思って買っちゃいました
当時確か今でも使ってます
やっぱすぐ買う
竹田さん行動力っすね
失敗してることも多いですけどね
13年にUTMFで
その年UTMBも出てますからね
そうですね翌年なんか100マイル
もう今レースするっていうことではなくて
そういう世界見たいっていう感想だけですけど
エントリーしてMBもその時あったので
翌年もいろいろやりましたね確かにMF
13年はおんたけ100マイルに挑んで
これは100キロのか先ほど冒頭ありましたけど
やっぱり当時のレベルではやっぱりきつくて
当然計算はしててこれ
ほんと走んないと間に合わないんだなっていうのは
思ってましたけど
それをできる実力はなかったですね
本当に100キロで補給も
この頃からやっぱり胃腸の問題が
自分で出たくなってはじめて
それでだいたい潰れて終わるんですけど
この時も顕著で
エイトであんまりOSJ
この時あんまりほんとに営業充実してなくて
よく覚えてますけど
おんたけ今でも充実してないんじゃないの
100キロで駄目だったって感じですねここは
ちょっとそこで心入れ替えて8月まで
短い間ちょっといろいろ走ったりして
歩き通してMBをなんとか
竹田さんこの時かぶらぎさんの影響とかは
受けていたんですか
13年のMFの時に
今なくなっちゃったんですけど
小政大学にパークっていうですね
トレーニングをしてたところがありまして
石井さんという方が出たんですけど
そこにもとにかく入り浸って
大体何ならもうしごいてもらって
そこの企画でMFをパークでサポートしますみたいなので
初めての100マイルでいろいろお世話になった
っていう時に一緒にトレーニングしてる仲間から
かぶらぎさんっていう方がいて
かつ竹田さんもその前から知ってたのかな当然
チーム100マイルを始めたっていうのは
57:00
確かそこの情報で初めて知ってたんですね
1年目でやり始めてるみたいな
知りもしなかったし当然4月で
そんな途中から入れないですし
そんな実力もなかったんで
当時その頃知ってMFのゴールにいらっしゃって
ちょっと感動したみたいなのが最初ですね
その後激走モンブランとかはまだ
見てましたね
見てたんですねやっぱり
12年ぐらいから進入中
そういうのやりだしてからは激走モンブラン見だしたのかな
そうですね
まず竹田さんを語る上で
一つ聞きたいポイントが2014年
これ何でトルデジアンって言おうと思ったんですか
トルデジアン
いや率直な質問なんですけど
早いよねこれペースがね
びっくりしましたこれ調べてて
そうですね当時雑誌トレーニングライン
トレーニングライン
トレイルラーニングマガジン
あれは買ってよく読んでたんですけども
あのレース紹介で
自分が一番惹かれたのがやっぱトルデジアンだったんですね
今まで100マイルだと単純倍じゃないですか
そうですね何ですかね
それに対して自分とかだとちょっとビビっちゃうんですよね
100マイルだけこうだけど300キロだったらどうなんだろうみたいな
そういうのは竹田さんは考えつつも
ただやっぱりどういう世界があるか見てみたいっていう
好奇心の方がやっぱり強いんですかねそこら辺で
そうですね
なんかダメだった時はしょうがないべっていう感じですかね
それが良くも悪くもあるんですけども
よく海外も旅行とかしたりするんですけど
心配ごといろいろ治安が悪いとか
こうなったらどうしようこうなったらどうしようって考えて
できないよりは一回スパッとやってみて
できるとこまでやってダメであればそれはそれだよね
命までは捉えなければいいかな
そういう感じですかね
なるほどでトルデジアンは過去2014年と16年
出られてると思うんですけど
14 16長いほうも入れれば19ですね
竹田さんとってどうでしたかこのトルデジアンっていうのは
今となっては生活の中心というか
自分の心の支えみたいな
1:00:02
本当ですか
そういう感じですね当然出られないこともあるし
いつでも出られるっていうのがずっと続くっていうのも
難しいことだっていうのは理解してます
やっぱりあそこの地に行って
いろいろ感じなら走ってっていうのは
できる限りはやっていきたいなと
休みやっぱ長い必要なんで仕事が一番難しいんですけども
そういうふうには一応今思ってますね
急に300キロ走ろうって
田中さんもおっしゃってましたけど急ですよね本当に
急だねすごいね
2014年ってまだ100マル走ってないんじゃない
この時TDTで初めてで
2014年の時に走った感じかな
始めたのは多分そんなに変わんないんだ
そうですよねお話を伺ってると
ただ一個トルデジアンの前に分水嶺を挟んでるんで
この分水嶺で仮想トルデジアンじゃないですけど
そういうのを竹田さんの中で
MV終わった後により走るというよりも
山岳みたいな方面に行くっていう思考が
強くなったんだと思うんですね
2013年実はキリマンジャロ登りたいと思って
ニューラードルフィンズ呼び出して
そこで宮崎君野さんとかに指導
っていうかたまたまなんですよそれも
いろいろ聞いたりしてっていうところが13年からあって
結局その年はテロとかあって行けなかったと思ったんですよ
で14年残ってるんですよ
そのあたりからコーチとかより長くとか
言うなればTJRとかそういう方面がいいなっていう思考に
だんだんこの辺から変わってったっていうのは一つありますね
市役に入ったの14年ですけども
ベースはやっぱり100マイルのトレーニングしながら
やっぱりより巡航速度を上げるみたいな考え方でやるのが
いいだろうなっていうところで
でもやっぱり長い方に寄ってるみたいな
長くコーチでみたいなところが
思考してるのかなっていう気はしますね
竹田君自体100名山いろいろ登ってたりするじゃん
あれっていつぐらいから始めたの
100名山はそうなんです
最初に大学の時に富士山と西里みたいな場所あったんですけど
そこから全然動き出すまでやってなくて
多分13年のMFMBやるぐらいからちょこちょこやりだして
1:03:08
もう14年ではむちゃくちゃなことやってましたね週末は
朝一本登ってどっか近いとこ三つピックアップするんですよ
一本上がったらすぐ下山して移動して
二個目上がって三個目は日曜の朝に移動しといて
日曜バッと登って日曜の午後には家にいるみたいな
100名山一つずつトレーニングがあったら潰すみたいなことを
めちゃくちゃなことやってましたね
だから温泉なし現地のうまいものなしビールなし
何も一切なしひたすら速攻で上がって降りて移動するみたいな
これはでも今のスタイルになった
車かけるトレイルみたいな登山っていうのかな
そんな感じですね
そうなんですよね調べていく中でいろいろ山登られて
三学会にも所属されてたって書いてたんで
今日のお話で幼い頃から両親と登山してましたとか
そういう感じだったのかなと思ったんですけど
ゼロですね
一切ゼロだったんで
一切ゼロですね
そんな背景もなくだったんですね
そういうのはですね
車ですけど運転いくらしても全然苦じゃないですし
っていうのと書き合わさって
こういうスタイル車中泊スタイルが身についたって感じですかね
たぶんなかなか日本でもそういうことやってるやつもないかもしれないですね
アメリカのトレイルランナーとかそんな感じですよね
アントン・クルピッチカとかそうですよね
バンがベッドになってるよね
恥ずかしいですねそれ
キャンピングカーとかあればもっといいんですけど
自分の場合車も車なんで結構きついんですけど寝るのは
R34
あれで寝るのは非常にきついんですけど
やってますねそんなこと
R34で山に行くって言ったら峠走りぐらいのイメージしかないですけど
実は山に登ってるんですもんね
山に行くんです峠は地層です
なかなか珍しいですよねそれ本当に
いやーすげーんですよマジ本当に
この14年もトルデジン走られてそこから14年も15年も
またハセツネカップ出たり
これ今考えるとすごいですよね
すごすぎますよ
トルデってすぐにマダラを50走って
ハセツネ出てるんですよね
2ヶ月後にキリマンジャロが登ってるってちょっと
1:06:01
竹田さんのコメントでトルデジアン以降調子が悪いって
なんかハセツネかマダラって書いてましたけど
そりゃ調子悪くないなと思いましたけどね
今考えるとね
そうですね
悪いですねこれどう考えても
その後15年かつても自分の定点観測なのか
そうですね
気づいたらトレイルランナーみんな走ってるみたいな
大会になってるんですけど
なんかこれもこの時期がいいのかなって最初走りだしたら
結果みんな走ってて定点観測なってるみたいな感じでしたね
田中さんのソースもカツアって出てる毎年
そうだね2019がネットでサブスリーなのかな
2015だったんじゃないかな確か出てる出てる
ですよねこの年も15もかつたITJハセツネバンクーバーマラソン
滋賀高原行ってちょっとまた次の海外レース
これ自分今回竹田さん調べて初めて聞いたんですけど
グランドトゥグランド
そうですねこれもステージレースってちょっと
そうですね
これもうほんとバカなのし
砂漠レースっていうことをイメージしなかったんですよ
そうなんですか
全然普通のトレイルちゃんと調べろよって話なんですけど
普通のトレイルのステージレースぐらいにしか思ってなかったんですよ
もうガチの本当に砂漠レースっていうイメージはなかった
エントリーしてもっと言えば行くまで
蓋開けたらガッツリ砂漠レースだったっていうのは結果なんですけども
なのでかなり最初の入り口からかなり舐め切っていて
塩分要するに大会主催が用意する塩分タブレットがあるんで
それ仕送っていれば大丈夫だろうってもう舐め切ってて
あともう砂もそんなじゃないだろうと思って
普通に取れるだろうと思って舐め切ってて
頑張って走るぞぐらいな感じで行ったら
ガッツリの砂漠レースで見たって感じですねこれは
もうすごかったですねこれは
一応レースとしては7日間で6つのステージにまたがる
約171マイルなんで275キロ
そうですね毎日50キロとか
6ステージに分かれてて
でフィニッシュラインが一番高いところに
そうですねだんだんグランドキャニオンなんで
地層の変化を年代ごとにどんどん追ってって
いろんな特色のある地層とかそこの大地を見ながら
1:09:00
最後ピンク色になるんですね最後
見たいっすね
そこにゴールするってちょっとずつ標高を上げつつ
とはいえもうレースなんかに比べたら
全然標高差全然ないんですけども
そういうレースですね
でガッツリもいわゆる砂丘っていうんですかね
いわゆる皆さんがイメージするような砂漠っていう
ところもオーバーナイトステージであったりして
いやいやいやもうそこゼフ町でですね
書きながらロシア人にお前大丈夫かって言われながらですね
はいつ配ってレードとか行って潰れて
なんとかやったみたいな中身とかですね
苦戦しましたねこれ本当に
田中さんごめんなさいどうぞ
知ってましたこのグランド2グランドっていうレースって
知らなかったんだけどこの時竹田君とは仲良くて
そうですねこの時は
竹田君が帰ってきた時にこのレースのやつを
なんか発表会みたいな感じで
会いましたね
集まってみんなで集まってその話を聞くっていう場に
僕もいたんでこのレースはその時に知りました
ステージレースじゃないですか
後々出てくるレースもステージレースがちょっと多いんですけども
ステージレースってどういう感じで1日目から2日目2日目から3日目
みたいな感じでいくんですかこれって
これちょっとその中身必ず長いやつが書き辞としてあるので
ちょっと除くにしても毎日毎日決まった距離を走ってゴールして
ゴールしたらそこからもう10時間なんで
レストに当ててゆっくりのんびり過ごして
でまた翌日決まった時間に朝どんでスタートして
それを単純にステージ6回ですね繰り返すっていう
単純なんですけれどもなのでレストがちゃんと入るので
ぶっ通しよりは向き不向きもありますけれども
しっかりと1日ごとに走れるっていう特色があって
面白いかなと思いました食料とか必要なものは全焼煮なので
どんどん軽くなってくわけですよね食料という感じで
最初はもう元気な分最初重いんですけれども
背負って食べてっていうのでその繰り返しに耐えられるっていうか
結構精神にくるんですよねやっぱりいろんな不調が
休んでるといういろいろやっぱり砂漠だとあるんで
そういうのに耐えながらできれば面白いかなと思いますね
1:12:05
ステージレースだと今10時間休みがある
その10時間ぐらいだとやっぱり復活ってあんまりしないもんですか
全然やっぱドレジアンなんかと比べて
ぶっ飛しやってるよりかは翌日には特に問題なければ
結構元気モリモリに
もっとありますよ何ならスタート朝の8時だとすると
50キロ走って14時とか15時ぐらいには終わるので
早ければというか自分はそんな感じでしたね
当然歩き通してもっとかけて制限はもっと時間長いので
普通にいわゆるトレールやってるような感じでいけば
だいたいそのぐらいで終わっちゃうのであとはのんびり
ずっとお湯ばっか飲んでましたね
胃腸を整えて食べて
食べるものを持ち込んだものしかないので
そこで過剰に食べるわけにいかないですよ
なのであとは水水分大量に出てるんで
水をずっと飲むっていうのもわけにもなかなか入らなくて
あともできることって言ったらちょっと塩気というか
そうですね味もお湯飲んでましたね本当にずっと
中身にコーラが出てもうなんか歓喜するみたいな
コーラとビールがやってて自分が選んだんですけど
泣きましたね
知らなくて本当にそんなの出てきて大会が用意してるって
コーラ出てきてもうえーっと思って
忘れませんあのコーラの味は
いいですね
でも結果的に総合26位
そうですねずっと10位とか
いいやつ以外はそういう感じで
うまいこと言ってたんですけども
確かそのオーバーナイトで大ストップして
50位くらいだったのかな
そうですねステージ3でちょっと50位
で多分ベイの順位で50位くらいまで落として
ただ総合だと29位に
そうですねゼミのタイムの総合なんで
そこそこにまとめてたんでそこを
まあ破雪姉と同様にぶっ潰れて
砂漠の中で砂掴みながら
遠くの落雷とか見ながらゲーゲー吐いて
ロシア人おいお前大丈夫かとか言われて
またなとか言われて
そういう感じでよく覚えてますね
本当ダメでしたねあの時
これ結構youtubeで見ましたけど本当に砂漠でしたよねこれ
本当に砂漠で三角のあの砂丘を超えるのも
1:15:02
本当にしんどくてパッと一番上あがると
もうそういうのがいくつあんのみたいな
で夜で月曜ですっごい綺麗なんですけど
最悪の体の状態で
いやまあそうですよね
垂直みたいなこの砂のやつを
え何か数えて覚えてるんだけど15、20あったかな
そんな夜なのに写真フォトグラファーが手前はいて
ハイチーズとか言ってて
撮影覚えたんです
っていうような
そうですよね
砂丘ってあれ角度決まってるんですよね
暗測角って言ったら30度みたいな
あの角度って
なんで決まってんの
一番安定する角度みたいな30から32度っていうのが
砂が落ちない
で砂が溜まっても流れても絶対30度から32度の
保ってるみたいなんで
だから30度ぐらいをずっと伸ばすわけですよね
それ地獄ですねほんとに
なんかであるんだみたいな
いや地獄だそれ
でもただ田中さんまた2015年田中さんに怒られるやつですよ
確かこれ数ヶ月後にまた発説年カップ出てるんですよこれ
いや1ヶ月ですね多分
ですよねこれ
1ヶ月後発説年ですね多分
でもこの時一番いいタイムです今
そうですね
10時間49分
40分ぐらいだったのかな
吐きながら最後これもブタブタでしたけど
最後ラスト1キロぐらいかな
野間さんに爽やかな笑顔で抜かれてきました
陽子野間さんに
なるほど
ここからもあるとばんないですね2015年後
友さん達田中さんと青梅ターキーやられたりとか
そうですね懐かしいですね青梅ターキーとか
すごいな
16年も勝田で始まって
勝田で始まりトルヤって発説年
そうですね
トルデジアンと発説年これ近いんでどうかしてると思うんですけど
そうですね
2016年はあまり日本国内でちょっと収めたレースなんですかね
トルデジアン除いては発説年出て
だいたいレース1回出て海外はトレイル目指して自由に行くみたいな
そういうセットが多いのでこの年はトレイルではないんですよ
確かオロラ見に行ったのかな
そしたらマイナス30度ぐらいなんですけど
1:18:00
イエローのFとか当然極地なんで
中々Tシャツ1枚とかで走ってたんですよ
ちょっと寒いかなでも痛いって感じなんですよねもはや
でも汗だらだら走ってたらこの年からおかしいんです自分の感覚で
帰ってきて以降2016年の次の17年以降冬がおかしくなりましたね
と申しますと
まずコートがいらなくなりました
外人みたいな感じで
寒さ寄りに体が寄っちゃったのが
もうしっかり覚えてるのがこのイエローナイフで
おかしなことしたのがきっかりなのか全然分かんないですけど
この年以降厚刈りがひどくなったんですよ
すごいですねそれ
逆に言えば寒さは前にも増してちょっと強くなって
っていうことがターニングポイントなのかな
そういうことがありました
そうですねよく日本国内で真冬なのに
外人の方Tシャツでいらっしゃる方とかいるじゃないですか
多分そういう感じだったことですよね
Tシャツ短パンで普通に会社から走って帰ってくるじゃないですか
びちょびちょですもんだって
すごいな
寒さの量に本当にもううんざりです本当に
よくジミーに
ジミーは汗っかきなんで
ジミーによく言うんだけど
寒いところのレッスン出ればって
なんですよ
例えばオーカスアイランドっていう2月かな
2月かなんかにやる
ワシントン州でアメリカのワシントン州でやるレースがあるんだけど
それとか結構雪降ってる中走るようなレースなんで
そこだと強いんじゃないかみたいな
そういうあとアラスカとかでもレースあるんだよね
そうですね結構アドベンチャー寄りになってくるのかもしれないですね
これだとねもう全然寒いのオッケーなんだら
そうですね
有利じゃないかなと
なんだあの日本人はって言うから
すげえな
で2017年がTDT走られたり
このTDTもちょっとびっくりしましたけどね
これ何でしたっけ
なんかパルトロ75キロ約11リットル走って
水以外の購入はNGというバナナスタイルってやつですか
なんか自分に貸してTDTは
みたいですね
2回走ってるんですけど
何かしらなんかただ走るだけじゃつまんない
1:21:01
つまんないって言うのおかしいんですけど
そのくせ袋ぐだぐだになって
なんか皆さんご迷惑おかけしてる感じであるんですけど
何かしらちょっとプラスアルファ
そうですね17年は確か思いも持って
不要なものいっぱい詰め込んでっていうので
この時覚えてるのが
インソール忘れたんですよ
靴のインソールってことですか
あそこのスタート地点に立つまで気づかなくて
どうしようもないですよね
インソールなしで重い荷物持って
走ったのが17年だったんですよ
結果右の足の足骨広骨折しました
この年それやってから18年のしばらく中ぐらいまで
本当不調でバカだなって感じですよね
なるほど
そんなこともありました
例えばこの年に出たウルトラツアーモンテローザも
足の
走りましたけどやっぱりケアしたりしながら
結構苦戦しましたね
これもがっつり山岳だったんで
途中行きとかDS中断とかあって
レイにも漏れず入っていろいろあって
48時間ぐらいかかったのかな
そうですね
これもステージレース
これはもう一発の100マイルです
これ久々の海外では100マイルは
多分トルデジア以外は久々の100マイル
一応ステージごとに分かれて
ステージの組と100マイルの組と
っていうのは別なんですよ
ステージは多分楽しいと思います
確かちー百の
忘れちゃった
うかいさん
うかいさんが出てて
うかいさんがステージの出てて楽しかったって言ってましたね
武田さんはそうではなかったと
絶景すごかったですよ
本当に絶景ではありましたけど
100マイルもういつも辛い
辛いですよね
モンテローザってどこの国なの
モンテローザスイスですね
スイスからイタリア入って
またスイスに戻るみたいな感じ
ワンウェイではなく一周というか元のとこ戻るんで
スイスイタリアスイスみたいな感じで
1:24:00
一部トルデジアのグラシエと被る部分があったり
はい
ここやっぱあれですか
景色は相当絶景な
絶景ですね
本当にやっぱりセルマットいいですよね
セルマットからイタリア側にそっから抜けるんですけども
やっぱりマッターフォルムがいいですね
このレースなのでスイス側からのマッターフォルムと
裏側のチェルミニアイタリア側が両方見れるんですよね
そこを抜けていくいいレースだと思いますね
これヨーロッパ系ってやっぱりこの写真見る限りだと
結構やっぱあれなんですか
がれてるじゃないですけど
そうですか
なんていうんですかね
皆さん硬いとかそういう印象を持たれて
よくMBでもそういう話してますけど
でも日本もそういうとこありますし
こっち行ってそういう山場行けば
そういうとこあるんじゃないかなぐらいに
しか自分は感じてないっていうのが感想なんですけども
確かにヨーロッパ特有のっていうのはあるかもしれないですね
結局登りとしても約1万2000ぐらいですか
約1万2000ぐらい
これでもITRAポイントそんなにもらえないんですね
今ちょっとサイトを見てるんですけど
厳しいな
ステージレースだと4ポイントしかもらえないですね
ステージは多分あれをステージで分割してやるってことは
かなり負荷は低いと思います
どうですか田中さんこれ出たいと思いますか
モンテロウザ
いや調べたことないね
あんまり俺ヨーロッパを調べない
そうですよねやっぱり
HISOさんが30時間ぐらい
いましたね
結構きつい系の100枚ですよね
時間かかってって感じですかね
これやっぱりヨーロッパ系っていうのは結構
シングルトラックじゃないですけど
イメージとして細い道をずっと上に上がっていくみたいなイメージなんですけど
そうですね
場所によっては
細い綴らを行ったりとか
そうですね割とシングルトラック多いですね
ここら辺その100名山を1日で3往復した経験とか生きてくるものですかやっぱり
長くヨーロッパでやっぱり標高がまず高いのと
1:27:02
とにかく登らせて下らされる
それをいかに早くなくてもいいので
一発やって精神的にも肉体的にも壊れないことが重要ですね
トルデジアンなんか特に長い方だと
山にいることに慣れてないと結構
発狂とは言わないですけど本当にそれで精神やられちゃう
いるんじゃないかなって孤独でずっと山と自分みたいなのがずっと続くみたいな感じなんで
100マイルが倍になるとそういう感じですかね
そうですよね
かつ知らない国の山で一人って結構嫌ですよね
そうですねトルデジアン330であればマーキングもあるし割と周り人いっぱいいるのでいいんですけど
19年の長い方は結構辛かったですね
その19年っていうのがこれ記念大会になるんですかトルデジアンの何回かやって
10回だったのかな
増設されたやつですよね
そうです初回19年が150倍いきなりできて100人限定でみたいな話で始まったのが19年ですね
これはトルデグレイシアって呼ぶんですかこれは
グラシアとか
グレイシャーズとか英語とかイタリアの読み方はどうなんだろう違うのかな
言う人によって違うので自分どう言ったらいいのかなってたまにグラシアとか言う人もいるのかな
コースプロファイルとしては450キロ簡単に言いましたけど相当少なくて450キロって言いましたけど
で累積が32,000Dプラスで制限時間マックスが190
累積は結局現地の資料とか測ったやつとか見たら38,000なのか4万とか結局4万ぐらいあったんじゃないかなっていう噂ですね
多分本当は32,000ではなかったかなと思います
今武田さんのお話もありましたけど武田さんは先行した100人に
これあれですか一応レジストリーか何かレジストレーションして選ばれたって感じですか
そうですね資格があって明確に
そうですねやっぱり
トレディシアンの方を130時間以内だったかな
1:30:01
に完走していれば出られますっていう権利で
初回だったんでどんぐらい来るかっていうのも大会が見えなかったんですけど
結局100人で1回クリってプレイの一時期あったのかもしれないですね
一応念のためさっさと可能な限り早くエントリーしてっていうので一応問題ないっていうので通ったっていうのが一応レジストレーションでした
この450キロに向けて今まで最高がトレディシアンの330とかだと思うんですけども
何か練習方法っていうのはあれですかこれに向けてちょっと変えたとかそういったことは何かあったんですか
まずGPS使えないと体力以前にロストしてたらどうしようもないんで
そこはいろいろ機種をいくつか買って試したりっていうのはやって使い方をしっかりやったっていうのと
とにかく登りましたね距離はそんなでもないですけどとにかく登ったっていうと
最後の最後心配だったんで直前の8月に思想に行きました
本当ですかこれわざわざ
行きました1人で難しそうなところをピックアップしてどう回るかはだいたい頭に決めといて
ミラノからレンタカー借りて毎日そのスタイルです例のスタイルです
登っては降りて車で寝てのスタイルがここで生きてきましたね
風呂入って8日間やりました1日だけ現地で日本人の好きなおじさんが1人いて
仕事の方のところに泊めさせてもらってレアーダコーダーいろいろ話聞いて
一晩だけちょっと人間的な生活しましたけどそれ以外は登ってコースチェックして
どういう地形か全部見て移動して寝てっていうので最後も臭くてしょうがないんで
飛行機飛行場帰る前の高速のパーキングで止めて最後余ったペットボトルで
石鹸で洗ってこれが大丈夫だろう飛行機乗るみたいなそんなことをしました
それが極めつけでロストしてましたねやってなかったら間違いなく
2カ所をやっぱりこうだろうと思ってやったら間違っちゃって
1時間ぐらい行っちゃったっていうところがあったりとか知らないと厳しいところは
1:33:06
あの2カ所ぐらいやっぱりあってやったおかげで安心して通れたっていうのはありました
だから暮らし日本人他のお三方4人その時出てたんですけども自分含めて
他3人TGR選手だったので1人は思想同じように思想やってましたけども
初見でやっぱりしっかりやって走るんだからやっぱさすがだなって思いますよね
それだけいろいろ準備して何とか完走っていう感じなんで
完走できてよかったなとは思いますけど
つらかったです
この年あれですよね口見さんも出られてたんですよ2019年って
口見さんも思想してるんですよ
はい思想していろいろ情報公開しました
あっちはどうだこっちはどうだみたいな
であそこは苔があって川滑るから要注意みたいなそんな細かい話とかしたりとか
小野さんも出られてて
小野さんはもうすんなりやっぱり入賞してましたもんねさすがですよね本当に
すげーなここに行くまでにお金の話するのもあれですけど
いくらかかるんだろうって気がしますよね
その年試算したので150万かけてました
全部あれですねお盆の漁費が一番高かった
なるほど
お盆の往復の飛行機代が一番高かったのと
あと結構装備あんまり買い替えなかったりして結構無理してやってたんで
この年にいろいろ装備全部一新したりしたのと
あと買って売ったのもあるんですけども
GPSの装置を5台ぐらいいろんな試したんで
それも高かったかないろんな機材を全部買い直して
漁費とボロボロジェルとか全ての機関のトレーニングかかった食事代とか
そういうのも全部カウントしてそのぐらいだったのかな
漁費が一番かかってましたけど
漁費がなくてもまあまあかかりそうな
そうですねただもう何もかけなければたぶん本当に
飛行機代十数万エントリ費がちょっと高いですねなので十数万とか
ボロボロで二三十五万とかかかるのか二三十万かかる
ステージレースよりはちょっと安いかもしれないですね
まあでもあれですよね竹田さんとしてはそのくらいの思いをかけて
1:36:03
そうですねグラシェからそうできたらもう思い残すことはないぐらいに
この年はそういう気持ちでやりました
速さとか関係なくとりあえずやったということでやりましたね
これ名前がなんかあれですよね氷河って意味なんですよね
氷河ですねトルデジアンは黄色のイメージカラーですけど
青っていう感じで氷河って感じでやってますね
やっぱ風景とかも結構そうあれですか本当に氷河に触れるようなところをかせるんですか
そうなんですか
何か所かありますね代表があってあるのを横をよじ登っていくみたいなところもありますね
このレース口見さんも小野さんも二人してトルデジアンとは全然違うと
別問だと言ってましたねお二人のブログも見たんですけど
はしご鎖ロープがあればエイドがなく山小屋とライフベースのみ補給できる
トルデジアンよりも傾斜が急朝切りで滑るとか
これ読んでて命の券を感じたって口見さんは書いてましたけど
そんな感じだったんですかやっぱり
正しいと思いますね
走った人じゃないとわからないと思うんですけど
何回か竹田さんもこれ本当死ぬかのって思った感じですか
ちゃんと集中してやってなければやられるなっていう箇所はそれなりにあったと思うんです
ちゃんと集中して山道そうじゃないですか
そこでぐるっと行ってそっち転げたら当然もう助かんないよねっていうところ
里山だっていろいろありますし
そこは単純に走るのでイージーだからあまりそういうことを意識しないですけども
より手も使わなきゃとかそういうところが出てくると
やっぱり何回気を取られてとか立ててたんかとか
算定指示とかありますけども
ちゃんと普通に集中してれば何ら問題ないようなところではありますけど
何か事故ったりとかプラスアルファで雨が降ったらいい
何かの条件が悪かったりとかすると途端に危険度が増したりとかいう
本当に山ですよね山そのものっていう危ない箇所っていうのは
それなりに何箇所もあるかなっていう感じです
とにかくマイティングがないので
常に緊張感を強いられるっていうのは初回だったっていうのもあるので
そういう状態の中でしっかり集中して走る歩くとかではなく
1:39:04
ちゃんとトレイルに集中して歩けるかっていうことかなとは思いますね
眠気も出てくるんで
今年もいいでしょって
いきます
死なないようにねって感じで
いや本当ですよ
まずそこをですね集中して危ない箇所はしっかり通過すると
今年は失踪いかないの
3回目なんで一応
いやーってこの出時が177時間じゃないですか
そうですねそんなもんでした
だって変なしずっと緊張の糸っていうのは
緩むところもあると思うんですけどある程度ずっと緊張感っていうのを保つ状態を維持するわけじゃないですか
そうですね
どうなんですか終わった後の安堵感というか
なんていうんですかねこうプチンと糸が切れた感じで
って感じで切れるのか
トルデジアン終わった後ってなんか不思議なことにあんまり変わんないんですよテンションが
この450終わった時も眠いとか体重いとか当然体の影響はいろいろありましたけど
なんか気持ち的にはゴールした瞬間はすごい好評感あったんですけども
なんか終わって宿戻って風呂入ってっていうので
なんか普通に冷静でしたね意外と
ただやっぱり初めてレース後にめまいがひどくて
もう立てないぐらいにぐるんぐるん回って
こんなにですか
翌日帰るのすごい気持ち悪くて
帰る時日本に帰るの
帰る時も今までギリギリの状態で
なんで体調悪いのかなんでってこともないですけども
そんなことそこまでおかしくなったことなかったんでこれまで
それはちょっとびっくりというかやばいなこれって思ったのはありましたけど
それ以外精神的には至って普通ですね
レース中は1回潰れましたけど緊張しながらも淡々とやるっていう感じですかね
竹田さんが求めるものの完成形はこんなこういうレースが
1:42:02
もう一人でひたすら山の中に置き去り感ですかね
でも駐車は嫌いなんですよね
駐車
竹田さん駐車苦手ですよね
大嫌いです
俺駐車の方が全然いいんですけどねこっちだったら
駐車大嫌いで採血は寝てとりますね
なんか体調悪い人みたいだね
いないようにして布とかをもじもじしてて大嫌いですね
想像がつかない
今年も時期としてはほぼ同日ですか
同じです9月の上旬からまた金曜の20時スタートですかね
9月9日から中7日までですかね一応今年のスケジュールとしては
本当に無事に帰ってきただけ
コース迷うってことは帰ってなければ
何もGPSをかけなくても多分いけると思うので
そこはかなり有利かなと思うんですけど
そうですね残り2ヶ月
今年本当にちょっと体調悪くて何もできなかったんで
ちゃんと準備していきたいですね
高地低酸素ルームも滝田さん行かれてるじゃないですか
最近全然行ってないです
今年行きたかったんですけど本当にコロナもあったことで
今年ちょっと動き出しも遅かったので
行きたい気持ちあったんですけど
ちょっとまだ行けてないのでしょうがないんで富士山ばっかり行ってて
ずっと5月ぐらいからずっと富士山
さすが富士山ですね
血中酸素濃度が70とかだったじゃないですか
ちょっとFacebookで見たんですけど
そうですね
あれどういう感じなんですか血中酸素濃度70って
結構やばいレベルだと思うんですけど
70はあんまり弱さ感じません苦しいですけど当然
あんまりやばいかなって感じはなくて
一番見た数字で低いの50っていうのが一番あって
それは
それはやばいよ
6000か5800とかでトレッドミルで走れないですよね
ゆっくり歩いたりちょっとステップ踏めるかぐらいな感じでやって
ちょっと休憩と思って座ったらいきなりスイマが来て
スイマが来るんですか
1:45:00
結構眠くなるんですよね
ちょっと落ちたんですよ
そしたら一気に苦しくなって落ちたんですけども
パッとその時見たら53とかでした
これ寝てたらやばいなっていうのはあって
信濃さんに怒られました
死んじゃう可能性あるってことですか
そう死んじゃいますねやっぱり
怖い
寝るのがやっぱりコーチ一番つらい
ティーマンの時もそうだったかな
本当に最後の4700の小屋とかがもう
なんていうか寝られないんですよね
十分に慣れていったつもりでもやっぱ気圧同じで
酸素だけで調節してるんでやっぱり若干
現地と違う感じが当然あるんですけども
4千数百ぐらいまではその時も順調だったんですけども
最後5千弱になってくると
まあ普通に酸素を使う動作っていうのはまあしんどい
寝ると一気に呼吸が浅くなるんで
まあ寝るのがしんどい
一番ゆっくり座ったりゆっくり歩いてるぐらいが
一番楽でしたね
低酸素も結構当時変えましたけど
なんとなく感覚の中で5千300相当ぐらいから
もうずっと上がっていかない感じがあって
何回行っても慣れないですよそこから
毎回リセットでそこから何か早く歩けるようになる
何か数値が落ちるのが収まるとか
もう5千2、300ぐらいまであったんですよ
毎回いいないいな
突然そのいわゆるデスゾーンなんですかね
ベースキャンプじゃないですけど
そのぐらいにいったら自分のあくまで自分の場合ですけども
もう全然そこから良くならない
それをやってるっていう慣れはあるんですけども
何かそこでパフォーマンスが何か動くことに対して
良くなるっていうのは一切なかったりするとか言って
多分目的別に使い分けるにしてもやっぱりある程度の高度で
いろいろそれも考えながらやったほうがいい
本当に当時も一番マックスを目指して
いろいろやってたっていうところもあったんで
低酸素コーチっていうのもなかなか面白いですよね
竹田さん的に将来エベレストとかK2行こうとか
そういう8000m級は登りたいなっていうのもあるんですか
最終的には
コーチはありましたね
今は現実ね
1:48:02
知り合いでも行かれた方とかいて話聞いてると
ベースキャンプぐらいは行って
エベレスト見てみたいとか
そういう気持ちは折れるかっていうのは別にして
見てみたいとかちょっとやってみたいっていう気持ちは当然
実時の時にキャンプメイト
日本人ご一緒した中でセブンサミターがいたんですよ
要するに7大陸最高峰制覇者
エベレストの話とか
いろんな山やってる人で何が一番印象的でしたかって聞いたら
南極だって言ってました
全部が白というか氷の世界で
どことも違うっていうことを言われたのが非常に印象的ですね
記憶に残ってます
そうすると最終的にもしかしたら竹田さんを
7大陸制覇とかそういうニュースで見る可能性があるかもしれない
南極行ってみたいですね
南極何とか行けないかなとか
それはずっと思ってます
南極いくらぐらいかかるんだろうね
そうですね
エベレストほどじゃないみたいですけど
数百万は軽くみたいですね
すげえ
南米2回ぐらい行きましたけどやっぱ遠いですね
時間がないと本当に時間作れるかどうか
お金もそうなんですけど
もし南極行ったら竹田城で聞きたいですよ
竹田さん何か竹田さんにご質問は
竹田君は今のところトルデジアンがメインなんですけど
他に長いレースで出てみたいなっていうのはあったりするのか
本当にやっぱり休みに縛られちゃうので
仕事で一番空けても大丈夫なのが8、9なんですね時期的に
これ以外は多分休むとちょっとやばい
5日以上休めない感じなので
まとまった休みが取れるとしたらこの時期で
なのでトルデジアン一番時期的に合ってるっていうのはあるんですけど
それ抜いても常に暇っていう状態であれば
いっぱいやってみたい海外レースはありますね
長いやつから
1:51:01
アンドラとか
もうなくなっちゃいましたけど
アンドラとかも復活すればやってみたいですし
1回やってちょっと途中でストップして終わっちゃった
天候不良で
アメリカの方のレースもやっぱり田中さんとかに
慣れてますけど興味
ハードロックも今そうですよね
興味ありますよね
アメリカだとやっぱり200マイルのレースとかもあるもんね
そうですね
なかなかどれもこれもやってみたいけど
結局トルデジアンに戻っていくみたい
今そんな感じですね
トルデジアンの魅力は
そうですね
竹田さんにとってのトルデジアンっていう感じになりますね
コーチなんで
自分扱いなんでそこが合ってるんですね
やっぱりめちゃくちゃ寒くてもやっぱ辛いので
いろいろ装備の面とか
そんでトルデジアンぐらいっていうのも変なんですけど
最高地点3300ぐらいのところで
あの時期ちょうど向こうも季節が大会中に変わるなみたいな感じが
ちょっとあるんですね
始まった時は結構暑くてまだ夏の座所かなっていうのが
やってるといきなり北側にコース巻き込むと
もう冬なのかなみたいな感じで雪降ったりするので
そのぐらいであれば十分寒さ的にもちょうど合ってる
っていう感じですし
その標高も鳴らしとけば全然得意というか大丈夫なんで
そういう体に合ってるっていうところと
特有の4000メートル歩を見ながら旅をするみたいな
ちょっと旅要素もあったりっていうところが非常に魅力ですね
でイタリア語何言ってか分かんないですけど
すごい応援してくれるので
それはどこのコースとも同じだとは思うんですけど
熱狂的で面白いなと思います
竹田君には時期も暑さもちょうどいいっていうのが取るでしょ
時期暑さそうですね
何言ってるか分かんないとこもいいと思います
ありがとうございます
もしかしたらトルデジアンからアンバサダーとか来るかもしれないですもんね
そうだね
野間さんみたいに
すげーな
4回か
日本人最高って誰が何回ぐらいあるんですか
1:54:01
小野さんが今最高ですからトルデジアンと
グラシエ1回っていうのは同じですけど
小野さんは4回くらいトルデジアンって今5回ぐらい出られてるんですか
5回ちょっと分かんないですけど
5回は出られてんのかな
そんなに出てるっけ
1回ちょっと体調不良でっていうのがあったんですけど
感想確か4回か5回してるんじゃないかな
3回されてる方もちょろちょろいるので
4回やってくるといよいよバカだねみたいな感じですかね
あれ2年出たら1回休まなきゃいけないんだっけ
330のはありましたね
ちょっとコロナもあったので
その辺のルールが今ちょっとどうなってるかっていうのはあるんですけども
当初はありました2年
っていう縛りはあったので
10回できれば3000回
200マイル200タイムズは難しいですねやっぱり
掲げてましたね豊田さんも
トムさんにそんなこと
だって年に2回やっても100年かかるからね
そうですね
体ぶっ壊れますね
200タイム20回ぐらいでいいんじゃない
20回でも十分ですよ
本当に10回アドベンチャーグリーントルデジアを目指して
まずは今年クレイシャーに向けて
トレーニングを頑張るということで
富士山から世界へみたいなそんな感じ
いろんなそういう標語になったんです
富士山から世界を目指すから
富士山万々歳です
トレーニング場所として
なるほど楽しみですね田中さんも
感想報告をお待ち申し上げております
まずは生きて帰ってきてください
そうですねまずスタートラインに立って無事に帰ってくるっていうところで
そうですねそれが何よりです
ありがとうございます
ありがとうございます
最後業務連絡をさせていただければと思います
質問フィードバック等はTwitterより
ハッシュタグVlogTimer
ハッシュタグTimersとつけて投稿お待ちしております
また引き続きドネーションも募集しておりますので
こちらもよろしければお願いいたします
ではぴったり約2時間ぐらいのお付き合いとなりましたが
32人目のゲスト竹田健太郎さんでしたありがとうございました
ありがとうございました