父の死と喪失感
孤独なポッドキャスターが毎日、平日一人で孤独に語るポッドキャスト、平日回帰ファイル、火曜担当はアヤコPです。
こんばんは。2024年11月12日火曜日です。
なんかね、あの、1週間じゃないや、1ヶ月間お休みをしていたら、もう習慣というものがすっかり抜け落ちてしまっていますね。
ちょっと忘れてしまっていたんですけれども、火曜回帰ファイル始めていきたいと思います。
徐々にですね、父の死からちょうど1ヶ月ぐらい経ちまして、なんかまあまあ落ち着いてきたかなっていう感じはあるんですけど、
相変わらず手続きとかは、まだ終わってないものが実はたくさんあってですね、
それをちょっとずついろいろやったり、行政的な手続きもあるんですけど、それはほぼほぼ終わったけれども、
生命保険関係のやつとかがまだ終わってなかったり、
相続が終わってないですね。相続とかは、2年以内にやれば一応いいんですけど、
早めにね、よくわけがわからなくなる前にやっといた方がいいっちゃいいんですけど、
相続税はね、そんなかかるレベルじゃ全然ないので、家どうするかとかね、そういう話になるわけなんですけど、
うーんとね、まあまあそんな手続きをね、ぼちぼちやりながら仕事も復帰してやってはいるんですけど、
なんかね、なんというか、本聴詩にならないなーっていう感覚があって、
本聴詩っていうのは何なのかって、そもそも考えると、
まあその、ビフォア父の死みたいな、の世界観で生活をしてきた、
要は父がね、普通に存命の状態で生活していた時の自分と、
まあ父がいなくなってからの自分、
まあ自分自身何か変わってるかっていうと、
まあそんなあれですよね、
何か自分から何かが、
あのー物理的にとか、
なんだろうな、自分の体から何かが失われたわけではないんですけど、
で、なんかすごい喪失感があって、悲しみに、もう、
落ち、落ちまくってしまってるっていうわけでも私はないんですよね。
ないんですけど、それは自覚症状としてないんだけど、
なんかね、やっぱり、
こう結構ね、人の死というものを目の前で見る、
しかもその血のつながっていた、つながっている自分の憎しんが、
目の前でなくなっていく時のことをですね、
時のことというかそれを見ると、やっぱり何かが変わるんですよね。
あのー、明らかにその、
父がいた時のままの自分で良かったのかみたいなのが、
むくむくと湧いてきて、
時間の使い方がどうもね、
何かこう、手探り感の中にいるっていう感じなんですよ。
なんか、なんだろうな、
こういう生き方でいいんだろうかみたいなのがあって、
そうは言っても、
じゃあこういうふうに生き直すんだみたいなのも特になく、
何かね、こう、
何だろう、かすみをつかむような感覚になってて、
何か身が入らないみたいなね、感じになるんですよね。
それはだから、すっごい悲しいわーみたいな、そういう感じでもなく、
なんかどうしたらいいんだろうみたいな感覚に、
なってるんですよ。
でも普通に元気なんですよ。
元気でいると思うんですけどね。
私は比較的元気で、
母なんかと比べたら全然ね、
元気なんですけど、
元気として頭も回ってるんですよね、全然。
なんだけどね、別に鬱っていうわけでもないと思うんですけど、
ちょっとまた色々迷い始めてるっていう感じなのかな、自分が。
何かこの社会とか世の中に対する見方も、
何だろうな、何か違った見方になってきてるっていう気もしてて、
仕事をする毎日って何なんだろうとか思ったりとか、
かといって自分の好きな楽しいことをやってる、
まあやってるんですけど、やってるだけでいいのかみたいなのもあるし、
これは常日頃、この歌謡回帰ファイルでも、
一人でブツブツ、ブツクサ言ってたような、何がしたいのかなとか、
そこに結局根底は通じてるのかもしれないんですけどね。
日常生活の振り返り
それをいよいよ、
騙し騙しでできなくなったっていう感じなのかもしれないですね。
それほどね、人が死ぬところを目の前で見るっていうのはね、
結構すごいものがありますね。
まあちょっと、実際の父が本当に息、呼吸が止まってしまったときにはね、
言い合わせることができなかったんですけどね、間に合わなくて。
急だったんでね。
なんですけど、まあまあそれはいいとして、
数時間前まで一緒にいて、
もうなんかね、力も強かった、ぐーっと手を握ってくる父がですよ。
急にもう、こと切れてるっていうね、
その数時間の移り変わりの局面を言い合わせるとね、
なんかね、不思議なもんですよ。
不思議なもんなんです、本当に。
なんかね、どういうことなんだろう、これは。
なんかもう言葉で全く言い表せないんですけど、
ふといろいろなことを思い出したりとかもするし、
目の前のね、楽しいことにわははって笑ったりもする、もちろんするしね。
好きなものを見たり聞いたり読んだりしたりしてるんだけど、
なんかね、本当、なんでしょうね、これは。
不思議な感じですよ。
ちょっとまた時が経てば変わるのかなっていう気もしないでもないですね。
再来週49日みたいな感じなので、
今はね、一応仏教の世界ではまだ49日の間はですよ、
お父さんがそこら辺うろついてるっていうことになってるんで、
そこら辺が関係してるのかもしれないですけどね。
そんな感じで、この歌謡回帰ファイルもですね、
何を話していいのやらままならない。
ままならないんですよ。
ままならないので、このままならないまま今日も終わろうと思いますけど。
いや、最近ね、私とほぼほぼ同年代の友達も
お父さん亡くされたりとかしていてね、
そういう話をすごい聞くんですよ。
私より半年くらい前に全く同い年の友達がね、お父さん亡くしていて、
なんかね、父を亡くした娘が、
あの、続出っていう感じですね。
なんとも言えない。
なんでしょうね、この連続ぶりは。
まあ、年のせいなのかな。
いや、でもそんなことないな。
急になんか結構連続してね、話になってるんでね。
いやあ、なんかね、不思議ですね。
生命というものは。
私の今本棚の中に、途中まで読んでて読んでないやつがあってですね、
えっと、生命はなぜ、生物はなぜ死ぬのかっていうね、
本とかもあったりとかして、これ全然すごい前に買ったんですけど、
なんかね、そういうのも読んでみたりとか、
あと、資生館の本とかも最近買ったんでね、また読んでみたいなと思ったり、
なんか友達が勧めてくれる本とかもあったりとかしてね、
するので、ちょっとそういうのも手に取って、
読んでみようかな。
無為の価値
ちょうど今ね、仕事がそんなに忙しくないんで、
ちょうど今、スイートスポット的にね、いい感じなんですよ。
なので、でもまたね、ちょっと11月後半からバッタバタしそうな感じもしてるので、
このね、ちょっとスイートスポットになってるところをね、
の過ごし方、時間をね、あんまり無意に過ごさないようにしたいなと思ってるんですけど、
まあ無意になるのもいいかな。
まあ無意こそ過激ですよ、ほんとね。
無意こっちゃ。
はい、というわけで、火曜回帰ファイルお相手はアヤコピーでした。
また来週お会いしたいと思います。
おやすみなさい。