アヤコPの「君たちはどう生きるか」の解釈
コトクのポッドキャスターがお送りする平日回帰ファイル、火曜MCはアヤコPです。皆さんこんばんは。
2023年7月の18日の火曜日、火曜回帰ファイルになります。
3連休明けの平日ということで、3連休皆さん楽しめましたかね。私はですね、先週ね、金曜日に14日に例のね、
君たちはどう生きるかという、宮崎駿監督のスタジオジブリの作品をですね、見に行って、もう一個私が個人でやっている無限島の秘密というですね、ポッドキャストでも
いろいろちょっとお話をしたんですけれども、私結構映画の解釈とかですね、そんなに深くできるタイプではなくて、いろんな人の意見とか解釈とか文章とかをですね、ついつい見てしまうタイプですね。
あのですね、対話型アート鑑賞というものを私ファシリテーターをやってまして、最近ちょっとやってないんですけれども、あれってこう、名画をね、一枚の名画を複数人で見て、それぞれね、何が起こっているのかということをね、話し合って、話し合っててか、その自分の考えを言って、どんどんどんどんいろんなね、見方を見つけていって、
他の人が言う見方を聞いて、なるほどっていう感じで、それも見てですね、その上でまた自分が発見があるっていう、そういうね、絵画の鑑賞をするっていうですね、俗に言うアート思考ですね、鍛えるみたいなやり方をやってまして、
まあ1年、2年くらい前かな、ちょこちょこっとやってたりした時期もあったんですけれども、またね、ちょっとそれは、えーと、なんかね、簡単な回をできればいいかなと思ってはいるんですけれども、あのまさに今回の君たちはどう生きるかに関しても、えー、まあ映画とかに関して一般的にもですね、えーと解釈が難しいやつとか、何だったのかよくわからないってやつは、結構いろんな人のね話を聞いて、えー、
で、自分の中の解釈を作っていくっていうのが結構好きなタイプです。えーと、金曜日に見て、同日月と、まあ3日、間3日経ってですね、で、今日なんですけれども、結局どう思ったかっていうのをですね、今日話そうかなと思っています。
まあその前に、えー、今日ね、火曜日、朝からですね、ちょっと仕事でまた秋葉原に行きまして、なんかね、秋葉原に行くことがすごい多くてですね、相変わらずね、出口がわからない現象っていうのにね、あのぶち当たってるわけなんですけれども、ちょっとね、もう朝から今日は30度以上の、朝からですよ、朝から30度以上で、しかもね、もう秋葉原なんて、もうコンクリートだらけのね、コンクリートジャングルだから、結構ね、辛くてですね。
その後も、まあ打ち合わせが午前中いっぱいあって、で、同僚とご飯食べてですね、すぐ私はもう、あのホームの方に戻りたくなってしまうタイプなので、一旦港未来で下車を押してですね。
港未来ウルフツー行ったり、あのいつも行ってるカフェでですね、ちょっと仕事の続きしたりみたいな感じで過ごしたんですけど、結構ね、あのしんどくてですね、本当に。今だいぶ朦朧としているので、えー、なんかうまくしゃべれるのかなっていう感じがしてます。
うまくしゃべれないでしょうね。ちょっと暑さにやられてますね。暑さと例によって睡眠不足にですね、やられてるっていう感じでいるので、そんな状態でね、ちょっと話をするのはあんまりよろしくないですけれども、ちょっとね、散漫になりますが話してみようかなと思います。
えー、結構ね、解釈、まあいろいろ見まして、まあなるほどみたいな。結局、宮崎駿監督の私翼というかですね、詩小説というか、ご自身の今の気持ちとか、自分のちょっと思考性みたいなものが、割と大爆発させたような映画だったんだなというのが改めてわかります。
まさにですね、ご本人もどうやら詩小の後に、自分でもよく訳がわからないみたいなことを一応なんか言ってたっぽいんですけどね、まあそんなことはないと思います。ご本人はよくわかって作ってると思いますけれども、
見てる側としてはですね、やっぱり説明がすごく、説明してるところがないなというのがあって、なかなかね、解釈が難しかった。それってまさに混沌ですよね。もうカオス、カオスの一点張りだったんじゃないかなというふうに思ってて、
もちろんね、ストーリーもあるし、冒険活劇でも一応あったし、流れもあるんだけれども、まあまあなんかエンターテイメントとしての緩急をつけるとか、見どころをつけるとか、そういったわかりやすいね、ストーリーの作り方っていうのじゃなかったなっていうのがあって、逆にそれがね、観客に媚びてない感じがしていてですね。
本当、スタジオジブリというか宮崎駿監督だからできたんだなというような感じがしますね。ああいう作品を世の中に出せるっていうのは、ある意味ね、本当ステータスであり羨ましい限りだなという気がします。
もちろんいろんなね、メタファーとかパラドックスとか、いろんなところが描かれているので、要所要所においては響くものもあったり、ちょっと心がザワザワしたりするものとかもあったり、ちょっと面白いところもあったりとかするので、とにかくね、気持ちが整わないんですよね、ずっと見てる最中ね。
その感じがね、すごく新鮮な、ある意味新鮮な体験で、割とね、なんか昔私がよく好きで見ていたフランス映画みたいな感じに近いかなという気がしますね。
フランス映画とかですね、あとアジア系の映画ですね、台湾とかね、中国とかの映画の、なんかこれ何が言いたかったのかよくわからないみたいな、でもなんかすごく心に何かが残っているみたいな、そんな感じがしていますね。
それをね、いろんな解釈とかを見て、今の私の中に何が残っているかという感じなんですけど、なんかね、これまた言語化するのが難しいんですけど、割とこう信憑性のあるような形で、アナザーワールドというか、裏の世界というかですね、今の生きている、地球で生きているこの今の私たちが表の世界だったら、
死後の世界というか、そういったちょっと何ですかね、もう本当アナザーワールドですよね、そういった類のものが存在していて、そっちの方に一回行って、紙隠しというかですね、そういうものに会ってまた帰ってくるみたいな、そういうことって結構ですね、日常にもしかしたらあるのかもなぁなんてちょっと思ったんですよね。
なんかね、前ニュースレターとかでも書いたんですけど、ふとね、私はね、こう世の中の実態というものがふとわからなくなる時がありまして、別に分裂しようとかっていうわけじゃないんですけど、
なんか一生懸命この地球で生きている私たちで、いろんなものに囲まれて、いろんな人といろんな関係性作って、何か仕事を一生懸命やっていて、日々の生活をしていて、何かいろんなことに悩んだりとか、文字文字したり、なんかなんだろうね、もやもやしたりみたいなことを日々してるわけじゃないですか。
その営みがね、ふとね、これ何してるんだろうってね、ちょっとわかんなくなる時があるんですよね。あるというか、何してるんだろうって、ちょっとね、立ち止まってあえて考える瞬間がたまに訪れて、意識的にあるんですけども、
そういう世の中の実態がわかんなくなる感覚にちょっと似てるなって思いましたね。その映画の中で描かれていることが。
なんかね、ちょっと、何だろうな、悠大離脱したことないけど、悠大離脱的な感じになるんですよね、たまにね。で、そういうのないですか、皆さん。なんか、あれこれ何なんだろう、これっていう。
宮崎駿監督の映画「君たちはどう生きるか」の解釈
自分には何か手があって足があって体があってみたいな。何かしないけど一生懸命しようとして、毎日眠いとか寝不足になって何かニュースレター書いてとか、いろんな人と話して、物事を真に進めてみたいな。
この営みの一個一個がよくわからなくなってくるみたいな。そういう感覚をなんかちょっと引き起こしてくれちゃったなあっていう感じがしています。
でもね、結局回り回って、生きなきゃみたいな、生きるために生きなきゃみたいな感じの結論に私なるんですよ、すぐね。
そんなこと考えてもしょうがないし、存在はしているのだから生きなければいけないみたいな感じになっていて。
そこに変な交渉の意味を与えるとかそういう話じゃなくてですね、そういう次元の話じゃなくて、ただ生きてるから生きている。
このものが存在しているから、私はこれを使う。
ああいうものを作りたいと思う。何かを生み出したいと思うみたいな。
そういう生命のよくわからない根源的なからくりみたいなものをですね、思う時があって。
究極的にそういうところまで考えると、今回の作品で描いていたことも若干シンクロする感じがしてですね。
結局最後ね、ネタバレしていいのかな。見てない人は切っていただいていいんですけど。
僕は汚れた世界で生きていきますみたいな感じの結論になってですね。
結局現実世界に戻ることを選ぶ主人公がいるんですけど、そういう感覚に近い。そこが何か若干シンクロしたかなという感じがして。
なんかいろいろあるし、自分の中の矛盾とか世の中の関わり合いとかですね。
自分が生きてて世の中に役立っているのかなとか、立ってないよなとか思う時もあれば、
いやいや、何かしらのバタフライエフェクト的なものが絶対に起こっているはずで、
それを起こしていくのが、生きている意味じゃないんですけど、理由みたいな感じ。
生命が生きている、命をもらっている理由みたいな感じがしていてですね。
要は相互に影響を与えるために、生きるために生きているみたいなね。
だから作品の中で、世の中を操る方に王子様がいましてですね。
操る人の後継者を見つけたいみたいな。
それは血が繋がったものじゃなくてはいけないのだ、みたいなね。
だから魔人っていう主人公に対して、継ぎなさいと私の後継ぎなさいみたいな感じで脱信をしてくるんですけど、
そういう存在でいるんじゃなくてっていうことですよ。
要はそういうちょっと何ですかね、世の中をコントロールしたり牛耳ったり、
権力とかを持って、そういう権威のままにそれを利用して、
世の中のバランスをうまくとるみたいな若干おこがましいような存在と私は思いますけど、
そういうものになりなさいと言うんですけど、それを選ばずに、ただただ生きていくことを選ぶっていうね。
そこにはただ一つの生命体として、けがれることもあれば嬉しいこともあったり、
ずるいこととか悪いこととか情けないこととかもいっぱいあるけれども、そっちを選びますみたいな感じでね。
主人公の選択と生命の意味
最後になるんですよね、主人公は。
まあまあまあ、あんまり関係ないかもしれないけど、私も若干そう思う時があるなと思ってですね。
そう思っている自分に若干諦めというかですね、情けないなとか、
特権側に行けなかったというか、そういう存在になれない自分へのもどかしさ、情けなさ、
所詮は特にオンリーワンでもスペシャルでもなんでもないみたいな、
そういうところへの諦めもちょっとあるんですけど、そういうのでいいんじゃないってちょっと思ったっていう。
そこらへんを私は勝手に自分の中で落とし込みをしたっていう感じですかね。
よくニュースレターで名もなき私って連発するんですけど、
これはバクチクの曲の最近のイゾラっていうアルバムの一番最後の素晴らしい曲がありまして、
名もなき私っていうですね、素晴らしい曲があるんですけど、
結局そこなんですよ。名もなき私がたくさんいるんですよね、世の中に。
それの私はその一つでいいし、そこで高みを目指すというか、上を目指すということを別にしなくてもいいわけで、
そこへのもどかしさみたいなのがずっとあったんですよね。
仕事をしていく上でとか、特別な人オンリーワンになりたいみたいな、そういうのがどうしてもあったんですけど、
そういうことじゃないなっていうのを、まざまざと感じたっていう気がしまして、
それは全ての生きてる人が特別じゃないとかって、そういう若干違う次元の話をしたいわけじゃなくてですね。
優劣とか良し悪しとか、そういう話じゃ本当はないじゃないですか。
でも社会ってどうしてもそういうふうなレッテルをたくさん貼ってみんな競争してるわけで、不安なのか怖いのかあると思うんですけどね。
生存本能みたいなのもあったりすると思うんですけど。
いい意味での諦めみたいなね、そんなのをね。
いい意味での諦めと覚悟っていうんですかね。
そういうものとちょっとシンクロしたかなという感じがしておりますね。
結局こういう映画とかって、自分の今置かれている状況とリンクするところがあって、
それを見つけ出して自分の中に納得させるって、そういうところってね、結構こういう文学的な作品ってあると思うんですけど。
私はそんなことを思ったかなというような感じですかね。
結局宮崎駿が詩小説としてこれを打ち出したのであれば、見る側も勝手に解釈していいんですよ。
詩小説として、自分の中の詩小説としてですね、誰かの作品を結びつけて、
わざとそれに、わざとというかわざわざ、彼の思っていることを理解して、
共感しなきゃいけないとか、楽しめるとか、感動しなきゃいけないとか、
涙流すぐらい分からなきゃいけないとかって、
そういうのもね、ほんとね、なんか、まやかしみたいな風に私は思っていて、
みんなと同じところで感動しなきゃいけないとかっていうのもないし、
ほんとね、好き勝手に書いたんですよ、たぶんね、あの人は。
もうたぶん他の他人にもわからないいろんな仕掛けをたぶん盛り込んでいて、
一人で作ってね、たぶんニヤニヤしてるんだと思うんですよね。
そういう作品なんだろうなと思ってて、そういうことであれば、
自分の中の今の悩みとか、なんかちょっと感じてるモヤモヤ感とか、
そこを勝手に結びつけて、勝手に解釈して、勝手に覚悟を決めるっていう、
そういう楽しみ方もあっていいんじゃないかなってすごく思いましたね。
なんか伝わっているのかわかんないですけど、
ちょっとね、孤独なポッドキャスターとしてはそんな感じで、
私たち、君たちはどう生きるかというタイトルに込められたテーマをね、
私は落とし込んだというような感じです。
ちょっとね、また、またどっかで見れるといいなと思いますね。
ほんとね、でもね、いろんな人がいろんな解釈してて、見方をしてて、
ここでこういうふうに書かれているのは、実は宮崎駿のこういう思いがあってとかっていうのをね、
知ったりするのはむちゃくちゃ面白くて、よくそんなことに気づけるなというふうに感動するし、
いろんな人の視点で全然違うんだなと思ってですね、
そういう多様な見方がまたすごい楽しめる。
それはそういうね、いろんな見方を楽しめるっていうのはすごく面白くて、
どれが正解とかってあんまりないと思うし、
作った本人しかわからないと思いますけど、
私は私でいろいろ自分なりの個人的なところに結びつけて楽しんで、
すごい面白かったなというような感じです。
夏の暑さと生き方
えーと、あら、もうすぐ夏休みですかね。
夏休みですよね、小学校。
もう入ったのかな。
今週あれですか、就業式ですかね。
いやなんかね、例年暑いので外で元気で遊ぶとかね、海行ってバチャバチャするとかも結構ね、危険ですよね。
本当、熱中症でたくさん人が倒れてて、亡くなったりしてる人もいたりするし、
本当にね、なんか、
なんかね、昔の私の子供の頃の暑さとはまた違うね、
このモーッとした湿気と熱気、熱風がすごくて、
なんか単純に太陽のジリジリとした暑さを感じる夏じゃなくなってるなっていう感じがしてて、
なんかね、ちょっと夏、しんどいですよね、本当ね。
ちょっと体調に気をつけなきゃっていう感じですけど、
どうにもね、暑さのコントロールができないので、
あんまり無理をせずにね、やっていきましょう。
仕事もほどほどにして、睡眠もたっぷりとってですね、
ちょっとね、気をつけながら毎日生きていきましょう、本当に。
はい、そんなわけで、7月の18日の火曜回帰ファイルでした。
皆さんまた来週ね、元気に会いたいと思います。
来週は私は、こっちにいるのかな、ちょっと出張が入っているかもしれませんが、
わかんないですけどね、またお会いしたいと思います。
はい、それではお聞きいただきましてありがとうございました。