ささきるさんの配信スケジュールの都合でお休みが続いた
おはようございます。
2024年6月19日水曜日、ささきるです。
水曜回帰ファイル始めていきたいと思います。
今回が3週間ぶりかな?ぐらいの配信だと思います。
なんだかね、水曜日に会議が集中していることが多くて、
収録する時間が朝の1時間ぐらいしか隙間がないんですけど、
その隙間の時間に会議の準備なんかをしちゃったり、
あるいは誰かから連絡があって対応すると、
なかなか収録できないってことが続いて、
それでね、ご無沙汰になってしまいました。
火曜日も時間に余裕があるし、木曜日も時間に余裕があるんで、
そこにとっとけばいいじゃないかみたいなのはあるんですけど、
必ず水曜日に撮ることにしてるんで、なかなか融通が効かせられなくて、
しょびさになりました。
だからといって何か特別なことをするわけではないんですけども、
ちょうど今朝聞いたポッドキャストとか、
あるいは今週見たニュースとかの話をしていきたいと思います。
三宅花穂さんの本『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』についての感想
一つ目なんですけども、今朝ちょうど会談の第230回、
なぜ働いていると本が読めなくなるのかを考えた。
これ話題の本、三宅花穂さんの本について喋ったやつですね。
これメディアヌッペでも取り上げたこともあって、
カイさんがそれをきっかけに本を読んだとおっしゃってたんで、
それについてさらに私が感想を述べるみたいな感じなんですけど、
お二人と似たような感想でしたね。
なぜかというと、中身面白いんだけど、
本のタイトルがなぜ働いていると本が読めなくなるのかということを、
中身がずれてて、終盤になるほどに片透かしを食らうような構成になっているので、
売れる新書の名付けとしては偉いタイトルだけど、
話としては座りが悪いみたいなところがありまして、
そこについて私もツッコミをしたみたいな感じだったんですけど、
カイさんもその辺を言われてたんですけどね。
一個新しい視点をもらったのは、花束みたいな声をしたっていう映画があると思うんですけども、
それ本の中でたびたび言及されてるんですけど、
私その映画そのものを読んだことがないので、
それに関する言及とか読み飛ばしてたんですけども、
薄田さんが花束みたいな声をしたのを見て、
見たときに文系男子として共感性周知って言葉を使ってましたけど、
見たくないものを見せられる感じがあるらしいんですよね。
そういう体験をしていると、その本の中のその部分の言及がすごい面白いと聞いたので、
これは薄田さんがそういうのを言うから気になってきて、
ちょっと見てみようかなという。
Amazonプライムで見れるらしいんで、今晩かなんか見ようかなと思います。
ちなみに聞いてて思ったのが、人によってそれぞれなんだろうなと思ったんですけど、
かいさんは漫画を読むのが好きで得意だから、漫画読むの全然ストレスじゃないっていうか、
忙しくても全然読めるんですけど、
本はなかなかこの本が面白いよっていう情報が入ってこないと手をつけづらいんですよねって言ってたんですけども、
僕そのちょうど真逆で、
漫画普段読まないので、漫画読もうっていうのってなんかよっこいしょって感じがするんですよね。
なんか、漫画の書き方っていうか文法って、
なんかある程度共通だけど、結構読み方が自由ですよね。
自由っていうか、なんて言うんだろうな。
文章って、次の文字読んだら次の文字読みますよね。
その文字読んだら次の文字読みますよね。
絶対にその文字読むって、次の文字読むって、
簡単なルールありますけど、漫画のコマってその文字ほど単純じゃないですよね。
いや、それ視点の誘導とかね。
台詞のスピーチバルーンの置き方どうだこうだってありますけど、
文字が絶対次の文字に続いているのに比べると自由じゃないですか。
だから、いろんな作家の個性ごとに読み方が違って、
なんか疲れるなって僕なんか思っちゃうんですよ。
でもね、漫画好きですってか、
別に子供の時から読んでたんで、漫画嫌いって人いないと思うんですけども、
カイさんと真逆だっていうのは、
漫画普段読まないから面白い漫画何かってお勧めされないんで、
読まないっていうね。
読む機会がないみたいなのがありますけどね。
ちなみに本で言うと、
僕の身の前で最近絶賛お勧めされているというか、
本日が発売日なんですけども、
教育夏彦の考説100物語の最後のシリーズ、
終わりの考説100物語っていうのはね、
とんでもない分厚さの、
毎回分厚い分厚いって言ってるから、
この分厚さの話、僕もしたくないんですけども、
なんとね、過去ないぐらい分厚いらしくて、
なんでかというと、
今回ね、多分かなりの部数吸ってると思うんですけども、
あまりにも分厚すぎて、
カバーを機械が巻けなかったらしくて、
人間の手で巻いてるらしいんですね。
これ何万部なんだろう。
数万部人間の手を巻いて出荷してるっていうね、
ついに厚さじゃなくて、
人の手でやりましたっていうことがね、
話題になるような、話題になるっていうか、
まあまあらしいんですけど、
もうね、いやこれね、
終わりの考説物語って連載してたんで、
ファンは調べようと思えば、
いっぱい調べる方法あったと思うんですけど、
そういうの情報遠ざけてきたんで、
特に僕初めて今日、
まあ多分Amazonで届くでしょう、
でっかい段ボールで。
それね、手に取ることになるんですけど、
もう帯にね、何書いてたかっていうとね、
忠善寺、誰誰、
多分ね、これ妖怪シリーズの主人公の、
忠善寺明彦のお父さんだと思うんですけど、
忠善寺が出てくるんですよね。
そして久しぶりの恩行の又市が出てくると。
そのね、今までやってきた教区夏彦の、
月物落としの恩明寺の忠善寺明彦の、
妖怪シリーズと、
あとその江戸時代からね、明治まで扱ってきた、
考説100物語のシリーズの、
その中間地点というかね、
つなぎ目になるエピソードだということなんですよね。
ちなみにあの妖怪シリーズの最新作の
ぬえの石踏みも、
その恩行の又市たちの末裔たちが、
チラッと出てくるんですけども、
なんとね、時代はね、かなり隔たってるんですけども、
その2シリーズの関連性を、
強く感じさせるやつが2作連続出るってことなんで、
いやー、これはね、楽しみだな。
何年付き合ってるんだろう。
ついに最終シリーズですね。
おっと、うるさいな。
失礼しました。
あとね、もう一個ね、これ面白くて、
津杉勲さんの本『草化をなぜ草化と読むのか』についての感想
今絶賛もうめっちゃ夢中になって読んでるんですけども、
これはですね、
おすすめしてくれたのは、
編集者の中又明雄さん。
勧められている本は、
津杉さんの、
津杉勲さんと読むのかな。
えーっと、
くどくのくど、
津杉勲さんによる、
草化をなぜ草化と読むのか。
知名と古代語っていうね。
これは知名研究、民族学研究の本なんですけどもね、
これちょっと中又さんの推薦の言葉をちょっと、
最初に紹介します。
胸のすく思いというか、
責念の恨みを晴らすというか、
とにかく私服の時間を過ごしている。
知名語言論における従来の言葉遊びを這いした、
実証的フィールドワークの成果で、
まさに十年に一度の名著。
川出には民族学に強い編集者がいるのだね。
全国民におすすめしますと。
私も国民として、
国民としてっていうか、
僕は元々こういうの好きなんで、
言われなくても多分読んだと思うんですけども、
すごいテンションでおすすめされたんで、
手に取って読んで、
今半分ぐらいなんですけども、
これは面白いですね。
ここで中又さんが批判するのは何かというと、
よくアイヌ語知名とかね、
朝鮮語知名みたいなやつを、
なんていうかな、
単純な言葉遊びで、
この言葉とこの言葉は似てるから、
この土地の語源はこうであるみたいなことって、
結構誰にでも言えて、
しかもなかなかそれはそれで反論が難しいみたいなことがあって、
そういう言論ってもう過去50年、100年とかなんで、
たくさんあるんですよね。
それ立派な学術研究所として出てなくても、
共同出版というかね、
地方の出版社とかから、
何の検証もされてないようなそういう本って山ほど出てるんですよ。
特に僕東北南大のアイヌ語知名の本とかよく見るんですけどもね、
毒にも薬もならないというか、
どちらかと言えば毒になっちゃうような、
事実じゃないような本っていっぱい出てるんですけども、
そういうのに対して、
これは本当に足を使って、
その地形を歩いて、
本当にこの土地がなんでこういう名前だったのかっていうのを、
古代語から探っていくっていう、
しかもそれがほぼ反論不可能なというか、
ほぼ間違いなくこうだろうと思うぐらい固めたものを、
ここで紹介しているんですね。
でね、これちょっと、
この草か、太陽とか日か、
日の下で草か、
全国にこの地名あると思うんですけども、
これはなぜ草かと読むのかっていうのが、
いろいろなぞ解きをしていくので、
ここで全部語れないんですけども、
単純にこの草って一言だけ、
この一語か、
ちょっと説明すると、
実論から言うと、
日当たりの悪いところっていう意味なんですよね。
同じ言葉に傘があると。
そういう傘っていうのは、
頭に刺す傘もそうだし、
あとは植物とかの傘、
ああいうのも日当たりの悪いところですよね。
日陰になっているところみたいな。
それを、その地形を実際歩いていくと、
東側から昇ってくる太陽が出てくるのが、
遅い地域、山合いの谷のような、
ポンチュのような、
それを草、古くからで言うと、
傘とか、
そういうふうに言ったみたいなことから、
実際に歩きながら調べていくんですけども、
そういうふうに語源を聞くと、
面白いですよね。
僕が知っているやつは今パッとしゃべれるやつで言うと、
花っていう言葉があって、
これ古代中世だと、
ファフィフフェフォーではなくて、
ファフィフフェフォーだったらしいので、
ファナって発音したらしいんですけど、
本の紹介
この花って言葉ね。
今いろんな漢字が皆さんの頭の中に浮かんでるんじゃないかと思うんですけども、
短所の短、先端の短、
これ花って言うんですよね。
これが言葉本来の意味らしくて、
先端にあるところ、先端のところみたいな意味なんですよ、花って。
人間の花ね。
人間の花っていうのは顔の先端にあるものですよね、花。
あとは植物の花がありますよね。
あれは葉があって茎があって、
その一番先端に咲くものですよね。
だから花なんですよね。
で、花からそうすればいいんだよっていうときは最初からそうすればいいとか、
その先端とか最初とかね、咲きっぽっていうかね、
そういう言葉が花なんですよね。
こういうのが組み合わさるとどういう言葉になるかというと、
草の花っていう字面があるらしいんですけど、
草の花、逆だったかな、花の草。
すいません、ちょっと今ね、パッと出てこない。
どっちもあるかもしれないしどっちかかもしれないですけど、草の花。
で、それはどういう意味かっていうと、
日当たりの悪い場所が崖のようなね、
とったんのところにある、そういうと草の花っていう風に言うみたいな。
で、漢字としては草、グラスの草に、
あとフラワーの花を当てるみたいな、
あとの方で漢字を当てるわけなんで、
草花みたいにパッと見えるかもしれないんですけども、
意味としては日当たりの悪い先端部分みたいなことなんですけども、
そういうのを実際にその土地がそういう場所だったのかどうなのかっていうのを
いって、それ一箇所じゃなくて何十箇所もいって、
それによって地名、地名から古代語を導いていくみたいなね、
そういう本なんですけど、とっても面白いですね。
これね、まだまだね、後半あるんで楽しみたいなと思いますね。
はい、これね、津杖勲さん、地名と古代語。
何の話だっけ。
そう、階段の話からそんな話になったんですけども、
もう一個ね、今朝聞いたポッドキャストがあって、
それはですね、朝日新聞デジタルのメディアトークの、
これは第、何回言ってた。
ナンバー100-157でありますけども、伊藤大地スペシャル。
正直に言ってよ、新聞はもう積んでるのっていう、
新聞業界はもう終わってるのか、新聞ビジネスはもう終わってるのか、
いうようなことを伊藤大地編集長に聞くってやつなんですけども、
話の構成がですね、伊藤さんってそもそもどんな仕事してるんですかみたいな
疑問に答えるっていう内容で、朝日新聞デジタルの中でも
よく知られていないという伊藤大地の仕事を
本人の言葉によって語るみたいなやつなんですけどもね、
これは非常に面白くて、要はニューヨークタイムズの例なんかを挙げて、
メディアっていう看板を、ニューヨークタイムズがそうですけど
メディアっていう看板を使って、今やある種ゲーム企業ともいえる
いろんなコングロマリーとなってるみたいなのがありますけども、
ジャーナリズムじゃなくて、メディア企業としてどういうビジネスモデルを作るかみたいなことを
チャレンジされていて、その事例なんかを紹介されているやつですね。
最近だとオフトピックなんかでもよく話がありますけども、
その話を伊藤さんが朝日新聞のデジタルのインサイラーとして
喋っているという点で、非常に価値がある対応というか、
そうか、伊藤さんってこういう仕事をしてたんだなと僕も知りました。
おそらく新聞業界、新聞社の中だとすごく異端な考えという風に見られるんじゃないかと思うんですけども、
異端というかね、ニューヨークタイムズがそうであるように、
むしろすでに成功しているやり方をフォローしようというか、
その場は紹介しているだけなんですけど、
ということなので、異端どころか、むしろ成功のフォロワーみたいな感じだと思うんですけども、
おそらく新聞社の中だときっとご苦労もあるんじゃないかと思うんですけども、
非常に真っ当な、期待できるような内容を言っていて、
すごく朝日新聞デジタルというか、朝日新聞、伊藤さんがやられようとしていることが形になっていたら
すごい楽しみだなということを思いました。
そうだったんですね。
プリンスと新聞ビジネス
アイチョウさんは僕も知っている人なんですけども、
そうか、こういうことをしていたのかと思って、すごく面白そう、羨ましいというか思いました。
という感じなんですけども、
余談としては今週、プリンスの電気映画のビューティフルストレンジっていうのを見に行ってきました。
これ元々のタイトルがミスター・ネルソン・オン・ザ・ノースサイドっていう、
ミナポリスっていうアメリカの北部の町に生まれたプリンスこと、
プリンス・ロジャー・ネルソン、本名はミスター・ネルソンというふうに言っているわけですけども、
ミナポリスに生まれたプリンスの実像に迫るというやつなんですけども、
プリンスってこういう人だったんだというのを僕は初めて知りましたね。
本当に初めて知りました。
めちゃめちゃびっくりしたというか、こういう人だったんだというのをますますファンになりましたね。
だからもう、僕亡くなってもう何年も経ってるんですけど、今一番プリンス聞いてるんじゃないかって聞いてますね。
プリンス聞いてる。
あとなんだろうな、最近。
もうあんまりベラベラ喋ってもしょうがないけど、最近はあれですね。
コーナッツに出たばっかりの、
あれあれ、全然断ってこない。
あればっかり聞いてる。
ビリー・アイリッシュのアルバム、Hit Me Hard and Soft、これ3rdアルバムなんですけども、
前回のアルバムがね、結構長くて重厚長大だったんですけども、今回10曲入りのコンパクトなやつでね、
すごくね、暗く内省的な内容でね、すごい良いですね、最高ですね、聞いてます。
このね、自分の暗さにぴったりくるというかね。
めんどくさいな、もう返事も書きたくない。
携帯の充電も切れたまま放っておく
今日一日を部屋掃除
誰にも会いたくない
切羽詰まって午後の資料も準備不足
教わったばかりの名前も忘れる
今夜すぐに布団に潜ろう
夢も見たくない
カレイドの底に沈む夜
僕らは誰の言葉も思い出さない
くたびれたフラクター
歌うボソボソと
はい、というわけで水曜かきファイルいかがだったでしょうか。
これもね、今日も時間ない中バタバタで撮りました。
何かいや、一個一個もっと喋りたかったな。
宮本さんと一緒にメイディングループでやるべき内容だったなと思いながら。
まあまあまあ、喋っちゃったんでしょうがないかな。
また宮本さんと喋るかもしれません。
なるべく頑張って続けます。
来週またお会いしましょう。
それでは良い一日を。