2026-01-06 10:16

第2回 死ぬときに「いい人生だった!」と言いたいという話。

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今回は、自分の人生観について話しています。

 

死ぬときに、

「いい人生だった!」と言って終わりたい、

という、かなりシンプルな願いについて。

 

大きな成功の話でも、

立派な目標の話でもありません。

その一瞬一瞬を、

後悔しないように生きたい、という感覚の話です。

 

仕事の選び方や、

人との関わり方、

日々の判断の基準が、

この考え方にどうつながっているのかを、

理由はあとから考えながら話しています。

 

少し立ち止まりたくなったときに、

よかったら聴いてみてください。

サマリー

このエピソードでは、「死ぬときにいい人生だった」と言える生き方について探求しています。人生の選択や基準、そして一瞬一瞬を大切にすることの重要性が語られています。

生き方の基準
考えながら、生きてます。
このポッドキャストは、教師として働く一人の大人が、
仕事のこと、趣味のこと、日常で引っかかったことを、
黒板の外側で考えながら話す番組です。
綺麗な答えや正解を出すことが目的ではありません。
わからなかったこと、うまく言えなかったことの理由後から考える時間を、そのまま声にしています。
通勤の途中や、少し疲れた夜に考え事を一緒に並べるような感覚で聞いてもらえたら嬉しいです。
こんばんは、パーソナリティでお勧めます。渡邊です。よろしくお願いします。
第2回は、死ぬときにいい人生だったと言いたいという話について、
お話をしていきたいなと思います。
これは別に、僕の思い話っていうわけではなくて、
自分の基準の話なんですよね。
職業柄というか、いろんなところで選択に迫られるのが現代だと思います。
皆さんもね、朝ごはんをパンにするかご飯にするかっていう選択だったりとか、
いろんな選択を無意識で行ってるんではないかなと思うんですけど、
選択ね、判断するっていうことにもつながっていくんですけど、
全てが全て、自分が意識的に判断をしているわけではないと思うんですよね。
以前読んだ書籍のところでも、全てを判断をしていくと脳が疲れてしまう、負担がかかるので、
基本的にはその判断を本当に必要としていないときには、
その判断はかなり自動化されているみたいな話がありました。
どうしても人と接するときには、その判断を自動化することが難しくて、
いろいろ意識的に判断をしていかなければいけなかったりするので、
そのときの自分の基準の話をしていきたいなと思います。
良い人生を考える
いつからかわからないんですけど、たぶん働いてからだと思うんですけど、
自分が最後どんな人生というか、死ぬときにどんな言葉を言って人生を閉じたいんだろうかなって思ったときがあったんですよ。
そのときにワンピースのドクターヒルルクでしたっけ?
いい人生だったって桜の木の前で日本書の灰を掲げているシーンが結構印象的ですけど、
別にそれにインスピレーションを受けているわけでは全くないんですけど、
最後にいい人生だったなっていうふうにボソッと言って、僕は人生を閉じてみたいなって思ってるんですよね。
だから成功したいとか、有名になりたいとかじゃなくて、
俺の人生、いろいろあったけどいい人生だったなみたいな感じで言えたら、
僕が生きてきた意味というか、後悔はあると思うんですけど、その中でも前向きにいけるかなって思ったわけなんです。
そのときにいい人生だったっていうために、どんなことをしていったら自分の人生が豊かになるというか、
最後その言葉につながっていくだろうって思ったときに、
別に常に順風満帆な人生がいい人生だったっていうわけではないなと。
いろんな人に囲まれることも大事だけど、もちろん孤独なのはいい人生じゃないなって自分の価値観の中にはあるので、
誰かと一緒にいたいなとか、いろんなことを考えていった中で、
やっぱりその一瞬一瞬を全力で取り組めたかっていう、
僕好きな言葉の一つに、人事を尽くして天命を待つもあるんですけど、
明日やろう、バカやろうとか、そういうような言葉がいくつかあるんですよ。
その中でもブリーチっていうジャンプで、今度もアニメが最後の千年結成編のラストの方のアニメを放送しますけど、
そのところで、黒崎一吾っていう主人公のお父さんが、ちょっと言葉は違うんですけど、
ある人が襲われていて、それを助けて、でも助ける時にも自分にも被害が出ちゃう時に、それでも人を救うんですね。
救われた人は、なんで私なんかのために、みたいなことを言うんですけど、
今日救わなかった自分を明日の俺は笑うだろうよっていう趣旨の発言があって、
それがすっごく自分の中では腑に落ちてストーンと入ってきていて、
なのでその一瞬一瞬、明日の自分に恥じないような生き方を毎日していきたいなっていうのが僕すごく思っていることで、
なので、じゃあそれが自分が恥じないっていう風になるのであれば、
どんな風な実際な行動とか思考していけばいいだろうって思った時に、
やっぱり自分なりのベストの答えを導いて、それに応じて行動していくっていうことがすごく自分の中では大切にしたいなと思っていることなんです。
だからどっちかっていうと後悔は絶対していくので、自分自身がその道に納得していたかどうか、
選択判断に自分の心から向き合えていたかどうかっていうことが僕の中ではすごく大事。
選択の重要性
で、その積み重ねが僕の最後の良い人生だったっていう一言につながるのかなと思っています。
なので、僕の例えば働いていたりだとかそれ以外でもちょっとモヤモヤしたいとか逆にいいなって思う時には、
やっぱりその一瞬一瞬を大事にしているかっていうその本人もそうだし、
あとはその相手の一瞬一瞬を大切にしているかっていうことをすごく自分も意識というか観点として持っているみたいなんですよね。
例えばよくいじめとかもあって、例えば人を無視するみたいなところがあったときに、
無視という行為がいけないことなんかそんなもん誰でもわかってると思うんですけど、
どこにこうイライラするかっていうと、
無視するという行為によって無視した相手のその一瞬一瞬っていう人生の有限の時間を侵害したというか攻撃したというか台無しにしたっていうふうに思ってしまうので、
そういうことはなかなか僕の中で受け入れがたいこと。
仕事をする上でも、例えば今無視の話をしちゃいましたけど、やはり自分が生徒とか目の前の人のことを思ってベストなことはやっていく。
だけどそういうような相手のことを思ってとか、そういうことが見えない仕事とかはどうしても手が伸びなかったりするかなと思います。
なのでいろんな仕事だけじゃなくていろんなお支えとかがあったときにも、やっぱりそれを受けるのか断るのかっていったときには、
そういうような相手を大事に思っているか、自分を大事に思っているか、そういうことをいろいろ自分の中で思考した上で選択しているかなと思いますね。
やっぱりそれが自分の中で大事にしていて、やっぱり基準は最後どう思っているのか。
途中は答えが出ないこともたくさんあると思うんですけど、最後自分が死ぬときにそういうふうに言えるような人生をくれたらいいなっていうのが僕の人生観でありますね。
なかなか苦しさとかもあって、みんながみんなそうは思ってないよねっていうところもそうですし、
あとはやっぱり正解とかこうした方がいいよみたいな、そういう道しるべとかがどうしても受け入れがあったとしても、
自分の中でちゃんと答えが出てないというか、よく思考していかないと選べないんですよね。
だから、昔そんなタイプではなかったはずなのに、いつのまにか熟慮してからじゃないと選べないみたいな。
よく言えば冷静かもしれないですけど、悪く言えば二の足を踏むというか、慎重すぎてしまうところとかもあるので、
そういう難しさとかはあるかなと思うんですけど、だいぶこの考え方にも慣れてきて、
今は考えた上で自分がベストだと思ったらちゃんと選んで、それに対して攻撃ではないですけどっていうのが来たら、
それを甘んじて受けるというか、そういう責任はあるかなと思います。
自分の人生観なんか変わるなと思うんですけど、ここ7年くらいは変わってなさそうですね。
ずっとこの価値観というか人生観はあるので、もしも今後変わるときには、それはそれかなと思ってますけど、
今はこの基準で生きていきたいなと思ってます。
聴いてるリスナーの皆さんも、最後どんなことを言って人生を閉じたいんだろうということはすごく僕気になるので教えていただきたいなと思ってます。
職業が教員というのは前回の放送でお話していただいたかと思うんですが、
自分の教育観みたいなものもやっぱりこの人生観の上に乗っているものなので、またどこかでお話しできたら嬉しいかなと思います。
ということで、リスナーの皆様、いつもありがとうございます。
今日はここまでです。
理由はまた後から考えていきたいと思います。
というので、締めのごく固定にしていきたいなと思いますので、ぜひよろしくお願いします。
ではどうもありがとうございました。
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