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2019-11-08 08:42

#28 私の表面だけを見てくれ from Radiotalk

#表面 #表と裏

「忘れてみたい夜だから」は、OLとバリキャリとオタクの中間地点にいる内海あさが、世界を小さく平和にしていきたい番組です。
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#ひとり語り
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こんばんは、うつみやさです。この番組、忘れてみたい夜だからは、私うつみが夜中にぼんやり考えていることを話す番組です。
さて今回のテーマは、私の表面だけを見てくれ、です。 こちらは元ネタがありますが、わかる方いらっしゃいますでしょうか。
アメリカの芸術家、アンディ・ウォーフォルの言葉の引用です。 作品としては、キャンベルスープ館やマリリン・モンローの版画が有名だと思います。
元々の言葉は、
シンプルに、うつみの英語が下手なことがよくわかりましたね。
和訳は、
うつみは、アンディ・ウォーフォルの残したこの言葉が好きです。
全てではないのだと、いつでも思い出させてくれる言葉だからです。
高校3年生の時に、異常な量のクラスの雑用を引き受けたことがあります。
中高6年間を締めくくる最後の1年間は、受験や部活でそれぞれが過去を迎える1年間でもありました。
誰だって受験を失敗したら、部活で後悔が残ったら、辛くて悲しいです。
クラスの掛かり決め、雑用ですよね。全然決まらなくって。
クラスの中で、押しつけ合いが始まったあたりで、私が全部やるよと申し出ました。
やりたくない人間が、押しつけられて引き受けたような仕事で、中高6年間の最後を締めくくるのを、私が嫌だと思ったからです。
そうは言っても誰が見ても異常な量だったので、何も全部うつみがやらなくても、という意見は出ました。
うつみだって他のクラスメイト同様に受験や部活があります。
しかし、俺やるよ、私やるよ、という手は上がりませんでした。
体育祭実行委員、体育祭応援団の副団長、文化祭掛かり、クラスTシャツの制作、学校全体の生徒会誌の表紙裏表紙と生徒会誌のクラスページ、
卒業文集のクラスページの表紙、卒業旅行の漢字、ついでに卒業アルバム制作委員会の委員長。
うつみは、引き受けるにあたって楽しそうに振る舞う、困っているところを見せない、ということを決めました。
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異常な寮を引き受けた理由は、クラスメイトが受験や部活だけに集中できる環境を整えるためです。
異常な寮をうつみに任せたことによる罪悪感は、彼らにとって雑音になると思いました。
それがこうそうしたのかわかりませんが、クラスメイトの多くは、受験勉強や部活の練習の合間に訪れる学校行事を、
雑用なしで純粋にシンプルな非日常として楽しむことができているように見えました。
おおむね満足しているように見えました。
しかし、数名は不満を表に出していました。
直接的な例としては、受験終わったやつが学校に来るなよとお言葉を頂戴しました。
うつみは第一志望の大学学部に推薦で早々と合格を決めていました。
そうは言われても、うつみの業務をその人に渡せるわけでもないので、うつみとしては学校に行くしかありません。
クラスの独裁者うつみは、クラスメイト数名の顕在化した不満を100あるうちの1人の問題であると切り捨て、無視しました。
うつみには表と裏がありました。
部活の練習は最後の全国大会を控えて緊迫していました。
5時間に及ぶミーティングで、部員が倒れるようなこともありました。
第一志望の大学学部以外を受ける気はなかったので、推薦でなく一般受験に向けた勉強が必要でした。
春先の全国大会で2位に入賞した後も、部活の正式な引退は文化祭のステージなので、夏休み中も部活の練習がありました。
受験科目の授業では、担当教員が学校を止めて1ヶ月授業をボイコットするなど不足の事態も発生しました。
卒業アルバム委員会では数ページ担当していた他のクラスの生徒が、受験でどうしても忙しいと締め切り直前に突然職務放棄をしました。
もともとうつみは、卒業アルバム委員会の中で最多のページ数を受け持っていましたが、
その生徒の職務放棄は委員長の任命責任であると位置づけられ、推薦入試の1週間前に急遽担当ページ数が増えました。
推薦で合格を決めた後、仲の良い友人が手荒く祝福してくれましたが、一般受験組からはろくに勉強していないくせにと影口を叩かれるようになりました。
確かに私は部活とクラスの業務に追われて、勉強に使える時間は少なかったです。
それでも夏の模試でB判定まで上げていました。
楽しそうに振る舞っていましたが、うつみは本当に楽しかったでしょうか。楽しいことばっかりだったでしょうか。
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そんな時にアンディ・ウォーフォルのあの言葉が胸をよぎります。
もしアンディ・ウォーフォルのすべてを知りたいのならば、私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、そこに私はいます。裏側には何もありません。
うつみは、百あるうちの一人の問題として顕在化したいくつかの不満を切り捨てました。
切り捨てたのはそれだけではないかもしれません。もっと強く深く誰かを不幸せにしたかもしれません。
それを認識しながらも、うつみはやっぱり楽しそうに振る舞うことをやらびました。
いろいろありましたが、それを見せる意味はないと思いました。
クラスの独裁者は、学校生活の楽しさを思い出させるアイコンとして存在するべきだと思いました。
そして迎えた卒業式の日、担任の先生からクラス全員に対する最後の言葉で、たった一人の生徒の名前が挙がりました。
うつみみたいな奴はなかなかいないことに、卒業してから気づく時が来る、と言われました。
自分の名前が出されたことに、うつみはとてもびっくりしました。
そして卒業して成人式の時、同窓会がありましたが、クラスメイトの一人に、突然、ふかふかと、在学中はお世話になりましたと、ぴったり90度、気まじめに頭を下げられました。
その子は気まじめで、どうしても現役で合格をしたくて、休み時間まで勉強していたのに、最後までD判定で、しかし最後は報われて、現役で東大に合格した子でした。
楽しそうに振る舞ううつみに対して、人によって受け止め方は様々でしたが、それでいいと気にしていました。
実際のところどうだったのか、本当のところはわかりません。
それでも楽しそうに振る舞ううつみを、何の苦労も知らなさそうなうつみを、その表面だけを見てくれと願いました。
そんなわけで今回のテーマは、「私の表面だけを見てくれ。」でした。
あんまり関係ありませんが、高校生の時に男子女子と分けて話をしていたら、突然、男子女子うつみっていうカテゴライズをされたことがあります。
男子女子に並ぶ概念がうつみってやばくない?
一人でカテゴリーを築くってどういう状況?
それでは、おやすみなさい。
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