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こんにちは、採用の仕事をして13年、営業のマネージャーをしているバーキングマザーのわかまろと申します。
今日はですね、ツイッターで、八日目の蝉の映画がやっていたという話題を目にしまして、そのことについてお話をしたいなと思っております。
多少ネタバレを含む話になりますので、ちょっと嫌だよという方は、ここで油断をしていただければなと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
八日目の蝉って映画がすごく有名ですよね。私、映画でハマって何回も何回も見ましたし、あとその後小説も買いまして、小説がもう映画以上に味わい深くて面白くて、これも何回も何回も読みました。そんな作品です。
八日目の蝉について、今日は子供を産む前と産んだ後、自分が母親になる前となった後で、見るポイントが変わりましたよというお話と、あと小説はこういう面白いことが描かれているので、ぜひ読んでくださいという話をしたいなと思っております。
母親に、そもそも前提、八日目の蝉というのがどういうストーリーかというと、あるところに不倫をしている男女がいるんですよね。女性の側が、女性は独身なんですけども、男性側が結婚していて、女性側が野上美や木箱というですね、長崎博美さんが映画で演じる女性なんですが、妊娠をしてしまうんですが、男側に頼まれて忠誠をするんですね。
忠誠をした後に、男性側が妻がいますので、そこに子供ができているということが分かって、子供を見に行って誘拐をしてしまって、そこから逃避行が始まり、宗教視察に身を隠したりとか、あと最後は小戸島に行き着くんですけども、そこで穏やかな暮らしを送っていたが、結局女性は野上美や木箱を買って、
女の子は逮捕されてしまって、女の子は元々の上司のものに返されてしまって、その後という話なんですね。
これ、親になる前と後で見るポイントが変わったなと思っている一番の点が、誘拐された側の母親の目線に立ってしまうという点ですね。
物語自体は木箱の目線で進んでいくので、木箱は圧倒的に被害者で、誘拐した子供との温かい関係というのがずっと描かれていくので、視聴者としては、小説もそうなんですけども、読んでいる側としては木箱を応援したくなっちゃうんですよね。
ずっと木箱と一緒に娘が、娘って香るっていう名前を木箱は名付けるんですけども、ずっとずっと生きててほしいな、一緒にいててほしいなっていう、そっちの側を応援する目線で、最後木箱と香るが別れる場面では涙が止まらなくなったりとか、そういう感じで作られているんですけども、一番の被害者って産んだ側の母親ですよね。
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夫が不倫をしていた挙句、子供を卸させて、そして自分の子供が誘拐されてしまうという、これで気を狂わない母親はいるんだろうかっていう感じなんですけども、もしそっち側に自分が立ったらって思うと、帰ってきた子供がですね、不倫相手に対して、元不倫相手に対してすごく愛着を持ってるんですよ。
自分に対して、あなたはママじゃないって、元々のママに会いたいっていうのを言い続けたりとかして、こんな状況があって、もしこういう状況が起きたら、自分はどう解決するのかなとか、どういう心情に陥って普通に子供に接せられるのかなっていうのをすごく考えます。
なので、子供が生まれる前と後で、見る目線っていうのがすごく変わりましたっていうのが一つあります。
小説がですね、すごく面白くて、映画も素晴らしいんですけども、小説で描かれてるけど、省かれてる場面っていうのが結構あるんですね。
なので、ぜひそこら辺も見ていただきたいなと思うんですけども、小説に描かれていて、私がお気に入りの場面っていうのはいくつかありまして、まずキワ子がですね、男性のことを諦められなくて、右往左往するっていう場面があるんですよね。
ここら辺、人間のだらしなさというか、人間って正しいからこう、ダメだからこうって割り切れる部分じゃないんだよなっていうのがすごくわかって、面白いのがまず一つと、あと逃げていくときにですね、映画だと最初に宗教施設に逃げ込むんですけども、その前に
ごめんなさい、宗教施設の前に友達の家ですね、友達の親子の家に行って、その後宗教施設なんですけども、小説だとその間に名古屋のですね、ある一人で暮らしている寂しい老婆のところに、おばあさんのところに駆け回れるんですね。
そのおばあさんのところは、昔は確実に幸せな暮らしをしていた形跡があるにもかかわらず、今は誰もいなくて、どうやら老婆の娘さんたちと土地の利権問題で争っているらしいっていうのが明らかになります。
そこのおばあさんの心境とかですね、あとその宗教施設にその後駆け回れるんですけど、そこでも子どもを手放したりとか、子どもが産めなくなったりとか、そういう女性たちが駆け回れているっていうのが描かれていて、
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そうするとその女性たちの一人一人の悩みとか、その心境にあるものっていうのをついつい想像したくなったりします。
あとですね、描写として木箱はですね、結構こまめに料理とかをするんですよね。料理をして粗末な台所でもいろいろ作ってあげるんですけども、
本当のお母さん、本当の母親っていうのは家に帰っても料理をしないんですよね。料理をしないし、もしくは実は自分ももともと不倫をしていたっていうのが小説の後の方になって発覚されたりとかして、もうダメな母親っていうのが、と野宮木箱は誘拐はしたけどいい母親。
すごく愛情を込めて、黄金をあげないしいい母親っていうのがすごく対比で描かれていて、なんかいろんな母親像っていうのが一つの作品の中にたくさん出てくるんですよね。
それを思うと、一言に母親と言っても、いい母親、悪い母親って一口には言えないけれども、みんな共通しているのは子どもに対してめちゃくちゃ愛情を注いでいるし、愛情を持っているし、それを歪んだ表現方法でしか表現ができなかったとしても、
そういった気持ちを持っていて、その気持ちを持っているからこそ、娘たちっていうのも自分の中に愛情を持っているっていうのを自覚して過ごせているっていう話が、小説の方が結構わかりやすく書かれていて、なんか考えさせられるなっていうふうに思っています。
ということで、今日は私の大好きな作品、八日目の蝉についてお話をさせていただきました。
これを聞いて、もう一回映画見てみたいとか小説読みたいって思っていただけたら幸いです。
それでは今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。また明日も聞いていただけると幸いです。