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2025-10-27 27:58

【暮らしの研究室】暮らしに「そもそも」と問い直す


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サマリー

このエピソードでは、暮らしを整えることをテーマに、日常の見直しについて自身の思考を視覚化しながら話しています。特に、余白を持つことや無駄な時間の意義、個人事業主としての原点を探ることで、生活の本質に立ち返ろうとしています。 家計や心理的余白についての内省が語られています。家庭の理想的な暮らしやキャッシュフローに関する考え方、日々の親子の触れ合いの大切さが強調されています。 家族との時間を充実させるための朝の過ごし方について考え直す重要性が語られています。特に、家族とのコミュニケーションや触れ合いを増やす方法としての生活の見直しが提案されています。

暮らしの見直し
みなさん、おはようございます。きなこです。冒頭ちょっとマイクの調子が悪かったので、撮り直しました。
今回はですね、私の暮らしを整えるをテーマに、私の思考の断片垂れ流しラジオをやっていこうと思います。
題して、【暮らしの研究室】というテーマでお送りしていきます。
こんな感じで、思考の垂れ流し。私の中で答えが出ていないものなんだけど、今一度みなさんと一緒に考えていく場所を作りたいなということで、
こんな風な感じでやるんだなというのを体験してもらえたらと思って、今週一杯は無料で私の思考の断片を流していこうかなと思います。
今回はですね、生活のそもそもを考えるというテーマでお話をしていこうかなと思うんですけれども、
今、この放送を撮っている時というのは秋・土曜の期間に入っていて、
土曜ってね、他の放送でも話そうかなと思っているんですが、ちょっと前後してどっちが先かわからへんけど、
自分が今持っているものに対してもう一度向き合うとか、今自分が抱えている不満とか不安だとか、
そういうものをもう一度ひっくり返して再生に向けてどういう動きができるかというものを見直す時期、
季節の変わり目という風にも言われているので、そこを自分の生き方とか内勢というものに照らし合わせるととてもいい時間なんじゃないかなと私は思っていて、
実際に私も旧世紀学を勉強してきて、もうすぐ一年になるんですけれども、
やっぱりね、この不敗と再生なんで、一度壊す、そしてもう一度理想に向かってゴールに向かって作り上げるというのを
季節の変わり目に応じて4回やっていくといいんじゃないかなというので、私は最近いろんなものの見つめ直しをしています。
何の見つめ直しをしているかというと、まずは暮らしですね。
暮らしの中でもどういうところを見つめ直すのかという時に、まず自分の中にあるここがもっとこうなったらいいのになとか、
あとは一日の中で自分の気持ちが詰まっちゃったような瞬間だとか、そういうのを記録していって、
ここがデータとして断続的に続くのであれば、これは暮らしをやはり見つめ直す、もしくは自分の体調が原因かもしれないとかね、
どの道改善する余地がある部分なんじゃないかなと思って、いろいろ記録を取っていったんですよね。
あと私は結構思考がうるさい人間なので、どんなことを考えているのかというのをとにかくメモに取ったりとかしていて、
それを見返したりしていくとですね、結構同じことをやはり考えていたり、同じことに対して気持ちの塞ぎ、軽い塞ぎね、そんなストレスじゃないけど、
っていうのを感じるっていうのがわかったんですよね。
で、何かっていうと、私の場合はやっぱりワンオペで双子を育てているっていう、この状況への軽い行き詰まり感。
特に夜ですね、朝はともかくとして、夜に子供のイヤイヤを受け止めきれるゆとりがない時がある。
で、正直イラッとすることもあります。もうカンボでしてくれよとか、こっち疲れてんのにとかって思うこともあるんですよね。
で、それがやっぱり夜に多いっていうのは、どういう状況かっていうと、たぶん一日の活動の終わりっていうのもあって、
で、そこに対してさらにね、双子のエネルギーっていうのがすごいから、そこにもう避ける余白がないと。
つまり、これまで、今まで通りの日常を続けていると、私が余白を感じていない、体がね、心がね、そう教えてくれてるっていうのが一つ。
で、あとは、そう、同じことを考えているっていうので言うと、自分の予感とか、無駄なことをする時間っていうのを人的にとれてないなっていうのもまた一つありました。
で、無駄っていうのは、いろんな定義があると思うんですけど、この放送内における私の考える無駄の定義っていうのは、
それが何かしらの可閉価値を生む可能性かどうかはわかんないけど、自分の好奇心とか興味関心に従って活動する時間。
私の中ではね、この時間は結構大事にしたいなという気持ちが、去年のそうですね、ゴールデンウィーク明けぐらいからかな、どんどんこういう気持ちが膨れ上がってきてます。
で、結果としてね、やっぱりそういう、うーん、価値があるかどうかわからへんけど、自分の好奇心を満たす時間ってやっぱり楽しいんですよね。
それをちゃんと1日の間に、時間があれば無駄を組み込むのではなく、意図的に無駄を楽しむっていう、その時間を取り切れてないなと。
だから結果として余白が取れてないんじゃないかってなった時に、うちの1日のスケジュールっていうのの見直しの必要性。
私自身の事業目標にも響いてくると思うんですが、そこに対する必要性だとか、あとは家族としての時間の使い方だとか、そういうものの見直しってなった時に、
じゃあその今日のタイトルに変えるんですけど、私の中でのそもそも何が大事なのかっていうものに立ち返るっていうところになるんですが、
いろんな思考が降りてくるって話をしたと思うんですけど、私は結構やっぱり良くも悪くもワーカーホリック機質なので、
自分がやりたいことに価値をつけて仕事にしている人間ですから、ありがたい悩みなんですけど、仕事に追われるというよりも仕事を追っているような感覚で生きてるんです。
だからこれ自体はとっても楽しいし幸せなことです。
ただ、そこにどうしても暮らしでぶつかってくるのが仕事と生活、私においては家事、そして育児ですね。
ここの要素がとっても私の24時間の中で大きな割合を占めるわけです。
もちろん望んで生んだ子供だし、子供になるべく愛情を注ぎたいし、余白を持ってね。
そう、やっぱり余白なんですよね。余白を持って接するためにもですね、
思考の整理
自分が本当に心が満たされる時間っていうのは何なんだろう?
そもそも何で自分はこういう個人事業主をしたんだろう?だとか、そもそもこの仕事をする意義って何だろう?だとか、
仕事もそうですし、暮らし自体を整える意義みたいな。
何で私は味噌とか作りたいんだったっけ?とかね。
そういう自分のルーティーン、そうですね、暮らしのルーティーンかな。
まずは暮らしのルーティーンに対して、今自分が現状を送っている暮らしに対してのそもそもっていう目を向ける、立ち返るっていうところですね。
やっぱり習慣化してくると意味を考えずにやっていくので、
よくも悪くも、それが今の自分のゴールにフィットしていない習慣だったら、
どんどんと自分の心地いい状況、ちょうどいい状況から、
心と体にとって余白のあるゾーンから離れていく習慣を毎日送り続けているので、
それが小さなストレスというか消耗かなとなり、
それが結果として子供に対する余白のなさみたいなものが出てきているんじゃないかなっていうのを最近は内省していて気づきました。
もちろん完璧な母であろうとは思ってないし、子供に対してイラッとする時もしょうがないよね、疲れてるよねっていうところは受け入れているんですけれども、
ただ問題なのは、こうやって子供とお盛りをしている間にもブログの一本書けたらいいのにな、みたいなできないこと、
自分の影響の範囲外のことを考えてしまう思考の癖っていうのが、どうしても幅を聞かせて私に言ってくるんですよね。
こことどう折り合いをつけるか、じゃあそれは日中にはできないのかだとか、
あとはそもそも書きたいっていうね、肖像そのものは私の仕事でもあり好奇心を満たす両方でもあるんですよね。
ちょっとここの割合がまだ難しいところなんですけど、仕事でもあり創作意欲みたいな両方があるので、
どっちに紐付けるかっていうのは難しいかもしれないんですけれども、
じゃあそれを本当に全部ぬかりなく書き上げる必要があるのかとか、なぜそれを書きたいのかだとか、
そういうところも考えていく必要があるなと。
私の場合は一度折りてきたタスクっていうものを受け流す力っていうのがちょっと弱い傾向があって、
全部やりたいと思っちゃうんですよね。パクパクしたいんですよね。
だからどうしてもお腹がいっぱいになってしまう。
旧世紀学的に見ても、私のもともとの強い影響を持っている星みたいなものの旧紀学を使って考えると、
私は土星の星であり、受け入れる力っていうのがそもそも強い。
だけれども全部やろうとしちゃうっていうちょっとデメリット。
物事には良いとか悪いっていうのはないですからね。
メリットもあればその反対側にデメリットもあるので、そのデメリットの部分がちょっと幅を利かせすぎて、
それを本当にやりたいならばやればいいんだけども、実際に自分がこうやって何か閉塞感を感じている、
なんか気持ちがスタックしているっていうことは、きっと何か見つめ直すべきライフスタイルだとか、
それこそ考え方の癖とかの矯正が必要なものなんだろうなというふうに感じているんですね。
それを紐解いていくと、やっぱり自分自身がなぜ個人事業主になったのかっていう原点に戻っていくわけなんですけれども、
背景には私の場合はいろいろあって、それを紐解いていくと、やっぱり一番は自分が本当にやりたいこと、
自己探求
やりたいことっていうのにどれだけ価値をつけられるかっていうことに挑戦してみたかったっていうのが最初の起業のきっかけなんですよね。
あとはそれの後押しをするように起業せざるを得ないような環境、双子を妊娠し出産し、
そしてなかなか役剤師としてのパートの雇い先がなくて、自分で仕事を作るしかないかっていうふうに、
いい意味でバックアップが環境が整ったので、そのまま腹をくくって起業したっていう流れがあるんですけれども、
実際この仕事を作ったものを追いかける生活っていうのは本当に楽しい。
本当に楽しいが故の今度はさらにその先の悩みっていうところがあるときに、
じゃあ起業をして苦しい状態が続くんだったら、ある意味それってライフコーチとしてはどうなのかなって自分のライフに自信を持って、
私はこういうライフが楽しいんですっていう生き方を見せるっていうことがやはりライフコーチとしての生き方でもあるし、
私自身の人生を追い続けるゴールっていうところでもあるので、そこをもう一度見つめ直したときに、
じゃあ私にとっての余白って何なのかって、余白って3文字だけだとやっぱりちょっと抽象度が高いから、
それは心理的な余白っていうのはどういう状態なのかだとか、金銭的な余白っていうのは何なのか、
事業目標どのぐらいでキャッシュフロー率がどのぐらいだったら自分は余白を感じられるのかだとか、
それこそお金で言うときなこ家の家計ですよね。きなこ家の家計を見たときに、
私は一応うち2馬力だから、友働きやから、いくらお金を彼に、旦那さんにお渡しできるというような状況だったら、
お互い我が家にとってのちょうどいい心理的負担のないパーセンテージになるのかだとか、
そもそもそのパーセンテージ自体を高く見積もりすぎてないかとかね、
この間の放送でもクリスとセーブマニーに偏りすぎるのも問題だよねって話をしたんですけど、
それこそセーブマニーだけに偏りすぎてないかっていう疑問を向けるとか、
当たり前に思っていたものにもう一度Yとかそもそもだとか、そういうのを投げつけてみるだとか、
そういった形で最近はいろいろ内省をしています。
そもそも見つめた時に、我が家の家計の整理にも偶然つながって、
夫と私が家である程度のGPTを使って、こういう家計バランスがいいんじゃないか、
最初の5年ぐらいはこのぐらいで、その後はこのぐらいがいいんじゃないか、
こうするとお互いの余白も守られるし、みたいな今のところ考えられるベターなラインが見つかったので、
それをシェアしたりだとか、そういう風になってくると、
もともとの私、気持ちがスタックしまくっている時の私っていうのは、
理想の暮らしを考える
やっぱりなんやかんやで、夫の家計を支える手伝いをしてあげなきゃっていうような謎の正義感に駆られて、
売り上げをある程度した方がいいのかなとか、それこそ専業主婦ではなくて、
働き続けてみたいな、それは何のためにって言ったら生活をしていくためみたいなものが、
自分の中でも一本の柱ではあったんですけれども、
それって本当かなって考え始めた時に、ぶっちゃけ夫一人でも食べていけるような家計のやりくりをすればいけるんじゃないかとか、
極端な話ね、そうなった時に、めちゃくちゃ切り詰めたらそういうのもできなくはないと、
だけどそれは我が家にとっては幸せな暮らしではないと、
どういう暮らしが理想なのかっていうところに結局は行き着くわけで、
コーチングのゴール設定ですよね。
我が家にとってどういう暮らしをしている状況が幸福度も最大で、
だけど、キャッシュフロー的にも、じゃぶじゃぶお金を使いまくるっていうのは、
だから我が家はあんまりそこに価値は感じない人間なんですよね。
失踪が好きというか、失踪なんて言ったらいいのかな、
そんなにブランド品借りまくるとか、借り物を言わせてみたいな感じのではなくて、
基本的に家が好きなもので、旅も好きですよ、旅も好きなんだけど、
家でできるもの、庭移住とか、花植えるとか、ピザ焼くとか、
そういう家を拠点とした暮らしというのが二人とも大好きなんですよね。
そういう意味では、ちょっとお話はされるけど、
我が家は入籍前に住宅論を組んでいるんですよね。
だけど、未だに後悔していないし、住めば住むほど私たちこの家が大好きなんですよね。
二人にとっての本当に大好きな憩いの場みたいなパワースポット的な存在でもあるので、
そういう意味では決して安いお買い物ではなかったですし、
家を持つって、この令和の時代においてはあんまり賢い買い方ではないというような言われ方もされますけど、
私たちの人生観においては、人生で一番買ってよかったものというのはこの家になるんですね。
親子の触れ合いの重要性
だからやはりこの家を拠点とすると、レジャーでお金をかけすぎなくても楽しめてしまうというところが結構あったりするので、
そこをなるべく最適化するために家計をどれだけ絞っても幸福度が変わらないのか、
みたいなものを実験してみたりだとか、いろんな仮説が生まれてきて、今それを検証しているというような状況ですね。
夫の家計を支えなきゃという謎の正義感みたいなものもあったんですけど、
改めて今の状況において、私の役割というものが何なのかというのを家庭と経営の視点から考えたときに、
やはり昔ながらの考え方にはなるかもしれないけど、男は外で狩りをし、女は洞窟で子供たちを守るというような、
どうしてもその構造になっているんですよね。
やはりうちの夫は朝の8時過ぎには家を出て帰ってくるのは深夜の0時、典型的な日本のサラリーマンですね。
彼も喜んでやっているんですよ、その仕事をやりがいを持ってやっているから、
そこに早く帰ってきてというのもあまり言いたくはないが、
それによって子供との接点が減る、もしくは私の育児という部門の負荷が上がっているのは間違いない。
そういうのを資診卓とかで言うじゃないですか、ポートフォリオみたいなものを組んだときに、
私も狩りに出かける割合を増やしながら、洞窟の役割を増やすというのは明らかに、
虚の神としてはオーバーキャパシティなんですよね。
だからやはり今の状況において私に任せられている役割というのは、子供たちに余白を持って接すること。
それが私の中ではなんですけど、どれだけ高い習い事とか行くのもいい。
それも一つの体験なんだけれども、親子の時間の触れ合いだとか、
日々をとにかく楽しく過ごす、子供たちのできたを認めるという、
何気ないそういう関わりを増やすことで、結局子供たちの自己効力感を高められることができたら、
一つ高い習い事を通わせるよりも、ある意味値段もつけられないような時間を過ごすことができるんじゃないかなと。
その授業で考えた時に、子供の教育授業と言ったらいいの?育児授業と言ったらいいのかな?
だからそこのポートフォリオが実際大きくなっているから、
私の授業もなんやかんやで、そこまで無理して膨らます段階ではないんじゃないかと考えるようになって、
そうなった時に、限りなくミニマムな授業目標のボールと、
できるだけよく把握を残した上で、このぐらいまではいくんじゃないかなというマキシマムなボールを
いろいろ仮説で計算してみたりとなった時に、クライアントさんはこれ以上は関われるなら嬉しいけれども、
やっぱりババヤというものを、私の場合は優先順位の1位に置いているので、
私の余白というものを考えた結果、やっぱりこれ以上は持てないな、
それ以外の部分で創作という方にエネルギーを注ぎ、
そしてこのぐらいの授業目標に向けてコツコツとやっていくと。
そうすることで、我が家のキャッシュフローとしても理想的な数値になるし、
お互いの余暇の時間も作れるし、ある程度レジャー費というもの、
我が家の価値観としてはレジャー費というものは、そもそもなんでお金を稼ぐのか、
これも暮らしのそもそもを考えたんですね。
私の旦那さんはこの辺のポートフォリオとかバランス感覚というのにすごく長けている人で、
基本的に契約家である契約家というか、いい意味でお財布のひもを締めるときと開けるときのバランスがとても上手なんですね。
自分にとって幸福度が上がるというものには一切惜しまないタイプなんですよ。
キャッシュで何百万のバイクをバーン買うみたいなね。
別に普段のご飯は外食とかじゃなくても全然作るよみたいな、あるので全然満足、おいしいおいしいって食べるような。
そこの何がね、すごい上手なんですよね、コントロール、アクセント、ブレーキの感覚が。
そうなったときに、しばらくことばっかりに目を向けすぎて、大事な家族のレジャーとかっていうものに目を向けないっていうのは、
やはりこれから子供たちが大きくなるのもあっという間だと聞いております、先輩ももたちから。
だからこの子供たちが2歳児、3歳児、4歳児しか作れない思い出とか体験とか、そういうものには予算をはじめから確保しておくっていうレジャー費っていうのかな、体験費っていうものはちょっと予算を多めにとって、
その上で我が家の家計のキャッシュフローっていうものが健全なものである、我が家にとって健全な割合であるっていうのを作り上げるっていうのでね、
昨日ね旦那さんと話をしていましたね。
このレジャー費っていうのが最初はね、はじめから抜くっていう価値観は、結構当初はあんまりなかったんですけれども、
それこそ子供が生まれたときもあんまりなかったんだけど、大きく変わったのはやはり私がオーストラリアに行ってからですね。
やっぱり幼児の人たちって旅行をすごい行くらしいですね。
この間英語でもつかないスピーチでしゃべりましたけれども、やっぱり何があって、何のために働いているかっていう話だよねっていうことを言ってて。
やっぱりもちろんセーブマニーも大事だし、いざという時に備えるのも大事だけど、でもねって死んじゃったら全部なくなるしねっていう話。
そうなった時に、あの世に持っていけるのは思い出であり体験だから、そうなった時に一番価値を生むのってやっぱり体験なんだよねっていう話になった時に、
じゃあ今子供たちが2歳9ヶ月になりましたけど、今しか楽しめないこの体験を、3歳になったら3歳の体験をっていうものに、
もちろん何億円とかは持ってないからそういうお金の使い方はできないけれども、
限りある予算の中で幸福度が最大になるお金の使い方をどんと使う。ここは惜しまないっていう、この感覚でやると、
そもそも私たちは何のためにこの家庭というものを営んでいるのかっていうと、結局我が家においての家庭経営のゴールって、
幸福度?経験?体験?っていうもので、どれだけ笑ってるかっていうところ?多分。
経営で言ったらKPIだったっけ?どんだけ笑えてるか指数みたいなのが大事ってなった時に、そこを我が家ではフォーカスを置くことにしたんですよね。
そうなったら、やはり余白っていうのは見落とせない指標。だから定期的にその余白度っていうのをチェック。
それこそ土曜の度にチェックしていこうかなって思うし、それ以外の定期的にうちは夫婦で、
朝の時間の見直し
小さい夫婦会議はしょっちゅうしてるんで、そういうので擦り合わせたりだとか、
あとは朝の時間の過ごし方っていうのもやっぱり改めてじっくり見つめ直そうって思いましたね。
私に改めてなんですけどね、もともと思ってはいたけど、家に滞在している主人の時間が子供との家族時間が短いからこそ、
時間ではなく質をなるべく上げるためにはどういう朝食の朝の時間の使い方をすればいいかっていうね。
そうするとどうやったら朝一番のこの我が家の笑い指数とか幸福度が最大になるのかとか、
そういう今検証をしていると、やっぱり私今んとこ検証やってよかったのが、
昨日起きた出来事、面白かった出来事っていうのを共有する。保育園での出来事を共有する。
面白かった写真があったらそれを見せる。
別に私が一人でもある程度できるようなこと、例えばお皿洗いだとか、
そういうものの優先順位を下げて、どれだけ夫に双子、直接双子と関わるお手伝い、
例えばおむつ替えだとかお着替えだとか、一緒に朝ごはん作るだとか、
そういうところに時間を割いてもらうっていうような組み替えをしましたね。
そうするとやっぱり触れ合いも増えるから、
あとはその分洗い物がごてごてになったらどうすんねんって話なんですけれども、
我が家の実証結果なんですけど、朝洗って昼洗ってって2回に分けてやるのも、
昼にまとめて1回洗うのもそんなに時間的、そしてかつメンタル的な負担も変わらへんなってなったんですよね。
だったらもうそういう時は昼にまとめて洗うって割り切ってしまって、
大好きなオーディブルとか英語の聞き流しとか、そういうのを聞きながら洗ったらええやんっていう発想に至ったので、
やはり大事なものっていうのが変わってくると、それに応じてガチャンガチャンって暮らしっていうのが変わってくるから、
やっぱり暮らしっていうものに対して、そもそも私たちはこの問題あったけどどうなったんやったっけ、
そもそもどうしたかったんだったっけとかっていうものからどんどん枝葉を分けていってですね、
あれ何て言うんだっけ、マンダラチャート、ちゃうな、何だっけあれ、マンダラチャートじゃないか、
なんかありますよね、両学省がやってるような案なんで分けていったりとかして、
チャットGPTを時には壁打ちに使って、これは今は別にスルーしてもいい話題なんだったら、
これに関してはもう考えないようにしようだとか、そういうのを毎日30分ぐらいですけど、生活の見直しっていうのをやってます。
割とやってよかったなって、早くも3日目ぐらいなんですけど、再生に向けて動き出してる感が半端ないので、
ぜひ土曜を迎える皆さんも何か私の拙い人権結果のシェアではありますが、
一緒にそもそもっていうものを向けてもらえると嬉しいなと思います。
そもそも総研の視点
それで言うとですね、私昔モーニングショーっていうのを実家ではよく見てたんですけれども、
今もやってるのかな、コメンテーターの玉川徹さんのそもそも総研っていうのを結構好きに見てたんですよね。
そもそもこれって何なの?みたいなね。
他のメディアが取り上げない話題に玉川さんが切り込んでいくっていうやつなんですけれども、
習慣もなかなか定着化してしまえば切り込むことないでしょう。
だからそもそもっていうのをね、自分たちの暮らしにそもそも総研をしていくような形でやってみてください。
ということで、今日は暮らしにそもそもの観点でいろいろ見直してみる話っていうテーマでお話しさせていただきました。
また次回の放送でお会いしましょう。
ではでは、木中でした。またねー。
27:58

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