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  2. #92 春祭りの準備
2025-04-16 15:03

#92 春祭りの準備

サマリー

地域のお祭りの準備や参加について話されています。この祭りは神事としての意味が強く、住民の参加状況や役割分担が何世代にもわたって受け継がれています。また、祭りの現代化と伝統の交錯、地域の人々との交流の重要性についても語られています。

朝の活動と準備
13時40分、今日の声日記です。 今日は6時10分頃に目を覚ました。
その後、漫画アプリで漫画を読んで、 朝食の支度を始めました。
今朝は、ご飯と昨晩作ったカレーが残っていたので、 一緒に食べました。
その後は、洗濯をして、語学アプリを3つしました。
Duolingoと、Dadadadaと、スピークです。
スピークがまた仕様が変わったのか、 従来はスピーキングが練習の基本だったんですけれども、
今はコースがあって、 コースは初級・中級なんて風にコースがあるんですけれども、
コースを選んで学習していると、途中で聞いて、 選択肢から答えるという問題が出てくるようになって、
話すのだけひたすらやりたいんだけどなぁという時に、 手放しをくじかれるような仕様になっています。
スピークのいいところは、アプリ名の通り、 喋るのにほぼ特化しているというのがいいなぁと思って使っているので、
それが続くといいんだけどなぁなんて個人的には思います。
その後は洗濯機が終わって、洗濯を干して買い物に出ました。
地域のお祭りの詳細
今日は食料を買いに行きました。いつもよりずっとたくさん用意することになりました。
なんでそうなっているかと言いますと、 間もなく地域のお祭りがあり、それの準備で料理を作るからです。
この祭りが、祭りというと出店だとか、そういうのを祭りと奉納するとか、
宗教的な意味合いのお祭りとは二通りあるかと思うんですけども、
今回の祭りは、自分の住んでいる地域で行われている神事、 神様に奉納するという意味合いが強い行事で、
出店だとかは全然なくて、
これが町内とか、昔の言い方で言うとムラ、 部落とか集落とかそういう意味の方のムラ単位で行われる祭りです。
それが間もなく行われるということで、その食料を準備してきました。
なんで食料がいるかと言いますと、 祭りの具体的な内容は、住んでいる地域がわかりそうなので多少ぼかしますが、
まず朝早くから、大体地域によるかもしれませんが、 朝の4時、5時前には始まって、
その地域の家一軒一軒と、あと神社を回って、 その各地で祭りの中心となる集団が、
舞というか踊りをその一軒一軒に捧げます。
その舞が一通り終わると、そこで食べ物を出して、
量で言うと十数人前、だからサッカーチームとか野球チームとか、 それぐらいの人数の量で軽い食事まで行く時もあればおつまみ程度の量をそれぐらいの人数用意して待つという祭りです。
その祭りの中心の活動をしているのの、役職みたいなのがありまして、 そういうのがあたると用意するものの量が増えて、その中に食事も含まれています。
全部を自分たちで用意する人もいたり、昔はそうだったようなんですけども、
時代が変わって、今はある程度の料理は他の人に頼んだり、 例えばスーパーに頼んだり、地元の飲食店に頼んだりとかするんですけども、
それを補う形で多少ちょっと料理がいるので、今はその材料を買ってきたところです。
今の時期になると、地元のスーパーがあるんですけども、 そこに行くとその祭りの集団を迎えるための振る舞い料理のための材料がたくさん並んでいます。
寿司コーナーにはもうどっさりと寿司飯と、 それに使うような材料、卵だとか、太巻に使う海苔だとかがたくさん並んだり、
あとオードブルの注文を受けるコーナーがあったり、 オードブルにできそうな材料がたくさん並んだりとか、
それに合わせてセールが行われたりとか、お菓子を振る舞うのもあるのかな? それもあるみたいで、
和菓子のコーナーに羊羹がどっさり並んでいたり、 作られている、
何だろう、何と言えばいいのか、 どら焼きのようなお菓子が並んでたりとか、
して、もう本当に出迎えるための料理はこちら!という感じで、 一大コーナーがこの時期できています。
この祭りなんですけれども、面白いなぁというか不思議なのは、 そこの地域に住んでいるからといって、
全員が参加するわけではないというのがミソで、 地域の中でもその自治会に入っている人と入っていない人がいて、
入っている人向けにやるお祭りであるようです。 だから村の輪に入っているかどうかというのがまずあって、
村の輪から入っていない、 まあ、
その例えば自治会には入っていないとか、
例えば、 アパートとか
マンション、集合住宅でその一軒一軒が入っているとは限らないようなケースの場合だと、
祭りの存在自体がそもそも知らせられなくて、いつの間にかやっていて、 いつの間にか終わっているという感じに近いです。
うちも昔はその状態で、というのも、 昔からこの地域に住んでいたわけではなかったら、
途中から引っ越してきたので、 最初その輪がどういうルールで生まれているのかわからなくて、
たまたまきっかけがあって、家族がそれに加わって、 今自分は
間接的にそこに接触するようになったという感じです。 この祭り自体も
名物のように扱われておりますが、このように地域の自治体全てで行われているわけではなくて、
例えばもう高齢者だけの地域だと、この祭りはもう実行できる人がいなくて消えているようですし、
そもそもその地域にはその祭りが存在しないという地域もあったり、
コロナ禍前だとか、10年前まではやっていたけれども、
もうその人数が揃わなくて、 やらなくなった、失われたという地域もあります。
今でも祭りが続いている地域は地域で、 結構ギリギリの人員で回したりとか、
今まで決まった日にやっていたけど、そうもいかないから、 なるべく休みが取りやすい日に祭りの方を合わせようとか、
もともとその祭りが一斉に行われるのではなくて、
だいたい4月から10月の間にいろんな日付で行われていて、
外部から見ると同じ祭りに見えるけども、 実態はそうやって細かく分かれていたり、
祭りそのものは知れば知るほど奥が深かったり、
逆にこれは大変だし、 つかなくなる理由もわかるなぁというのも見えてきたりと、
一言では言い表せないものになっています。
祭りの準備と感覚
この祭りの準備なんですけれども、 これもなんかこう、
ノリとしては本当何かの発表会とか、 何かの試合のような感じで、
祭りの日の1ヶ月ぐらい前からずっとその練習をします。
その前の練習と、楽器を使うんですけども、 楽器の練習を毎晩のように行っていて、
夜になるとその音が聞こえてきます。
こういう時、耳の感覚過敏がある人とかどうしてるんだろうと、
ふと思うこともあります。
遠くに離れているとはいえ、 結構な音です。
この祭りはもともと神事神社に奉納するという意味合いが強くて、
奉納して豊作を願うという意味合いが強いんですけども、
昔は若い男性、せいぜい30代ぐらいまでというしきたりだったようですが、
しかも長男だけとかそういう縛りもある地域もあったようなんですけども、
今はそんな時代ではなくなって、場所、町内によっては、
女性も参加OKになったり、
地域外の住人でもOKになったり、
その地域だけで舞を披露するんじゃなくて、
近隣だとか知り合いの地域に行って、
舞を奉納するということもあるようです。
祭りが終わる頃には、そうやって舞踊練習で足腰をやられて、
やられてというのは本当に身動きが取れなくて、
寝込んでるとか寝込むことすらもできず、痛みに耐えるという話をちょいちょい聞くという、
なかなかすごい祭りではあります。
話を戻します。
そうやって今、祭りの前の準備をしておりますが、
その合間合間にポッドキャストを聞いています。
そうすると、また今住んでいる地域とは違う世界の話が耳に入ってきて、
昔からの時間と今の時間をすごく行き来しているような感覚になります。
ポッドキャストの向こうでは、今最先端のものだとかに触れられている話をしていたり、
カジュアルな感じの人との接し方とか、そういう話をしているんですけども、
その祭りのことについて準備をしていると、
昔、昔、昔というのもこれも何か、いつからが昔なのかがわからないですけど、
体感としてはまだ、祭りとかに関しては明治・大正・昭和あたりの感覚が今なお生きているような錯覚があって、
そんな中、そういう時間と時間の間を行き来しているような感覚に襲われます。
祭りも徐々に近代化しているんでしょうけども、
思いがけず昔にとらわれるというか、知らないはずの昔の価値観に縛られそうになるというか、
無意識にふっと出てくるのが何なんだろうなぁという気がします。
自分はこの祭りを子供の時に見たとかそういうわけではないので、本当に知らないはずなんですけれども、
すごく大らかなところと、これでは守らねばならないという暗黙の了解みたいなのが絶妙な配分にあって、
その暗黙の了解的なものを求められると苦しくなるんですけれども、
大らかさとかそういうのに触れた時は、もう祭りも悪くはないかもねーという気持ちになります。
だから、ここの地域から抜けたいという人もいたり、
実際に他の土地に暮らしている人も多くいるというのを聞きます。
その気持ちはもしかしたら、
わかるかもしれないなぁなんて地域の行事から感じることはあります。
その一方でこの大らかさに触れていると、他のところから来た人間からすると、
いい形で次に続けたらいいんじゃないかなぁと思うこともあります。
今日の声日記はここまでです。
15:03

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