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サマリー
話者は、雨の日に気分が落ち込む気象病のような症状と、過去のキャリアに関するトラウマ的な出来事を、ゴミ処理に例えて語っています。長年見て見ぬふりをしてきた問題に直面し、一人で抱え込もうとする自身の姿勢や、他者に頼ることの難しさについて内省しています。
日常のルーティンと気象
ふじこひろです。 13時49分、ひとり声日記です。
今日は動きながら喋ってみます。 今、
お湯が沸いて、 これから
麦茶を入れるところです。 麦茶飲まないままだいぶ経ってまして、
いい加減飲もうかなと思います。 最近は、麦茶を
あったかいまま、濃いめにして飲むのが好きです。 濃いのっていうのは、どれぐらいかというと、
コーヒーぐらいの色と、
ちょっと苦さというか、
なんというかが、出るまで
やるのが好みです。
今日は 外がなかなかの雨になってまして、
もしかしたら雨の音が入っているかも しれないです。
本当今年の夏は、降るときはもう、
バケツをひっくり返したみたいに、ザバザバと降り出しまして、 降らないときはもう全然という、
柔らかく 降ってくれるのがなかなか
ないなぁと 思います。
あと家の中に今いるんですけども、湿気がすごいです。 湿気に耐えかねて、気温としてはまあまあなんですけど、
もうエアコンを今つけ始めました。 床がもうじめっとするような、そんなような
湿度です。 最近の話をします。最近は
天気のように またドヨンとしてましてというか、
自分の感覚が 天気と連動しているのではないかという、
雨が降る前あたりからもう 身動きが取れなくなって、
晴れている日だと 少し身も心も軽いなぁと
いう気がします。 一番厄介なのが雨が降る前ぐらいで、
空を見てても天気予報を見ててもなかなか 気づきにくいというか、なんでかなぁと思ったら、
なんだ雨が降るからかと思う。 もう雨のせいにしてしまっています。
気象病って自分で言っていいのかなぁと、 あんまり自信がないんですけども、
気象病の一種かなぁと思ったりもします。 今
暖かい麦茶を飲み始めています。 だいぶ
色が濃くなりました。 コーヒーの、アメリカンコーヒーぐらいの色になりました。
キャリアの振り返りとトラウマ
この夏は、
これまでの人生を振り返るようなのを
聞いてたりしまして、今あぐらをかきながら、
揺れながら喋っています。 肩がすっごい凝りやすくてですね。
動くのが好きというよりは、動かないと、 もう本当に痛くて痛くてしょうがないという、
おばあちゃんのような理由で、 いろいろ揺れています。
話を続けます。 キャリアを振り返るというのを聞いたりした時に、
自分のキャリアって何だったんだろうなって思うんですけども、 私の場合はキャリアがないとこから始まっているとこがありまして、
今もないんですけども、学生時代にですね、 いわゆる一般的なキャリアというのが、
全部なくなるような出来事がありまして、 その間は学校には所属してたんですけども、全然行かなかったので、
どこにも所属してい(る感覚が)ないけど、無職にもなりきれてないという中途半端な状態でして、
その時は結構辛かったなぁというのを、 今年の夏思い出していました。
なんで今年の夏思い出したかと言いますと、 そういう思い出すきっかけがありまして、
なんとか今まではごまかして、 ゴミ箱に蓋を閉めるような感じで、
蓋を閉めてとりあえず、 見えない、臭わないというふうにしたんですけども、
ちょうどゴミ箱の蓋を開けざるを得ないのがやってきてしまいまして、
そしたら中で腐ってる腐ってる、 腐ってすごい臭いになっちゃってて、
しかもドロドロする汚れ、固形物だったのが、 溶けちゃってるよというような状態になってまして、
本当処理が大変なことになっています。 臭いものが出た時に即座に処理をするなり、
間が空いたとしても、 そんなドロドロに溶ける前にもうちょっと適切に
処理しときゃよかったものを、 当時からしばらく経っても、
消臭剤を撒いてみたりとか、 とりあえず蓋の量を増やしてみたりとかして、
見てみぬふり、臭っても臭わないような感じで、 数十年やってました。
それでいて、外向けには、 ゴミの正しい処理の仕方とかいうのを話してみたりですとか、
そうそう、ゴミってちゃんと生ゴミだったら、 早めに燃やすなり、土に埋めるなりした方がいいよね、
とか言っててアホだなぁと思うんですけども、 そういうことを人に話したりしてた割には、
結局自分のゴミは、 長いこと残したままでした。
別にゴミが出ちゃうとか、 それだったらそれでいいんですけども、
処理方法を、 土に埋めるしか知らなかったりすると、
土に埋められないときに、どうしようってなってしまって、 今だったら、もうちょっとコンポストにする?とか、
冷凍保存しておく?って後から、 ちょっと処理はしなきゃいけなくなるけどとか、
そもそもゴミが出にくい環境づくりから始める?とか、 いろいろ言えるんですが、
人に対してもし聞かれたら多分、そう答えるし、 腐らしちゃっても、処理方法はあるよって言うんですけども、
自分に対してはそれはできなかったなって、 やっぱり土に埋めるのこそ正しいでしょうというか、
燃やしたって燃え切らないじゃんとか、 なんなら灰が残るしとか、
生焼けになっているしとか、ああだこうだって、
人によっては、いやそれはゴミじゃないよ、 肥料になるよって言ってもらったりとか、
そういうの聞くんですけど、 自分に関してはちょっとそれが信じられないというか、
人のは肥料になるかもしれないけど、 自分のはただ単に腐らせた何かだよねっていうのが、
変に意固地になっているというか、
というのが、まだ例え話でしか話すことができないなというのが、 根が深いなと思います。
そのゴミ箱から遠ざかる生活をするという手もあったんですが、
どうしてもちょっと色々な事情で、 ゴミ箱から離れられないというか、
近寄らなくいけなくなってしまって、 困ったなぁと思っています。
他者との関わりと内省
ゴミ処理もですね、 最初は多分一人でできる量だったんですけども、
ちょっとドロドロに溶けちゃったりとか、 量が増えてしまったりとかで、
一人で処理するのも限界だなぁというのを 感じてはいるんですが、
一人で何とかしようというのに慣れてしまってというか、
そうした方が自分の環境的には 手っ取り早かったよねというのがあって、
うまく人に頼るとか、 誰かとやるというのはできていないなぁというのも感じます。
そういうのを感じたのが、 最近読んだ本の影響なんですけれども、
道具とか技術に頼るのはやっていきやすいし、 これからもやろうと思うけれど、
人は難しいなぁと思ってしまう。
けれど一番引っかかっているのは やっぱり人なんだよねっていうのが、
またループになってしまいました。
今日の声日記はここまでです。
11:13
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