「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。
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▶︎ 読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)言語はすごい。言葉はすごいで?でもたまには脳から言葉を引っこ抜いてみんと、大事なもん忘れてしまうで?今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の"ままならなさ"を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。今日は言葉を抜いて、身体で感じるっていうことについて話してみたいと思います。言葉を自分の意識から抜き去ることの大事さみたいなことかな。これ、問題意識は#7で話した言語化を万能しすぎることの違和感っていうのとつながってんねんなー。つながってんのよ。何に対しての違和感かっていうと、世の中のあらゆるもんは言語化できるっていう、その前提ですかねー。言語化万能時代というか。でも僕は、世の中の大半の価値は数字にも文字にもできないっていうことを強く思ってんのよね。ここは以前も話した、僕が『シン・ニホン』の編集を担当させてもらった安宅さんの文章をあらためて引用させてもらおっかな。ロジカルシンキングの鬼とも言える安宅さんが書いた、とても文学的な一節です。さて、引用です。知覚って言葉が出てくるけど、安宅さんは知覚こそ知性だって主張してるんで、知性って置き換えてくれていいです。いきまっせ。「知覚を鍛えるために必要なもう1つのマインドセットは、言葉、数値になっていない世界が大半であることを受け入れることだ」「世の中の大半は数字にも言葉にもなっていない」「自分では数値化・言語化できていない部分にほとんどの情報があると受け入れられない人は、知覚できることも限定的になってしまう」はい。引用終わり。言葉にできへんものに大事なものは宿るっていうね。まあでも、あらゆることを全肯定もせず全否定もしないっていうのが僕の思考のスタイルというか文体なんで。まずは言語のすごさってものについても話してみよかな。人間のすごさってなんやと思います?なんで人間だけがこの地球をほぼ支配するような状況になってるんやと思います?僕なりの考えでは、一言で言ってしまうと、ありえないぐらいの規模のでかさで社会を形成できることです。人間ってばかでかい規模の社会をつくれるから、集団的知性っていうものを発揮できるんですよ。一人の知性ではなく、集団規模での知性がすごい。この「集団的知性」っていう言葉についてはちょっと説明がいるかな〜って思います。基本的に、集団が大きいと、社会は技術的に発展していくんですよ。マット・リドレーの『繁栄』っていう本におもろい例があるんですけど。タスマニアってあるやん?あのオーストラリアの横にちょびって浮かんでるところ。あそこって昔はオーストラリア大陸と繋がってたんやって。でも海面があがって約1万年前にあそこだけ切り離されてもうた。そしたら社会の人数が一気に数千人にまで減ったと。そしたら、それまで持っていた、釣り針や槍みたいなテクノロジーが数百年かけて失われて衰退していったらしいんよ。理由は2つで、一つは、技術を次世代に伝えようとしても担い手の絶対数が少なすぎて、誰かが死ぬと技術ごと消えてもうたこと。もう一つは、集団が小さいと分業が成立せえへんから、専門化が起きひんっちゅうこと。集団が小さいと分業が成立せえへんっていうのはあれやな、数千人の集団やと「左利き専門店」みたいなんって成り立たへんやん?まあこれはわかりやすい例のひとつで、さっき言った「なんで人間がここまで地球で支配者みたいな顔してられんの?」っていう問いの答えは、やっぱりでかい規模の社会を築けたからなんよ。他の動物は、せいぜい数十頭くらいしか群れの数を増やせへん。あんま社会がでかくなると維持できんくなって分裂すんねんな。人間はすごい。社会がでかいからすごい。っていうのをまず頭の片隅に置いといてもらえたら、と思います。また話変わるけど、宗教っていうのも人間がばかでかい社会をつくる上での一つのテクノロジーなんよな。まったく顔を合わせたこともない人が一体になれるってすごいことやん?宗教が人間を束ねるためのツールやったっていうのは、ロビン・ダンバーっていう人が『宗教の起源』っていう本のなかで主張してることです。で、言葉。言葉も人間が大規模な社会をつくるために欠かせないテクノロジーなんよね。言葉っていうものがあるから全然知らん人ともコミュニケーションが取れる。本なんか、なんと昔の人との対話も可能にしちゃったりする。まさにそうやって、「集団的知性」が蓄積していくんよね。やから何度強調しても強調したりひんのは、言語ってやっぱすごいなちゅうことよね。言葉こそが人類の暮らしを支える屋台骨になってきたってことよね。僕は「言語化万能論」とかを批判してきたし、「説明過剰社会」みたいなのも批判してきたけど、根底には言語すげえ!っていう感動に近い思いがあるんよ。言語によって人間は栄えた。やけど、いまの時代は言語に頼りすぎてバランスがちょっと偏りすぎよっていうんが僕が言いたいこと。世の中には言語化できる情報と言語化できない情報があるのよね。非言語の世界っていうんは、いわゆるあれよ、五感の話よ。さっきも散歩してたんやけど、ああ、風が気持ちええなあ、太陽ぽかぽかするとなんでこんな心地良いんやろうなーっていう。人間って突き詰めると心地よく気持ちよく生きることだけを求めてるんやなって思う。でも、ここで大事なのは、言葉ってときに人間の不快感を覆い隠してしまうとも思っていて。いや、僕『弱さ考』って本を書いたんやけど、読者からよく「私は今こんな状況で迷ってます、どうしたらいいですか?」って聞かれるんよ。転職すべきかどうか?会社休むべきかどうか?みたいなね。で、そんときにいつも言うのが、言葉を抜いてみたら?ってことなんですよ。どういうことかって言うと、さっき言った言葉が人間の不快感、「心地よくない感じ」を覆い隠してまう、ってところをもうちょっと説明しよか。ミッション・ビジョン・バリューとかってあるやん?あ、ここでつながった!「ミッション」って使命っていう意味の、バリバリの宗教用語やからね。今の時代、宗教って言うとオカルトみたいに思われるけど、形を変えてビジネスの世界でもバリバリ生きとるんよ。それも結局、顔を合わせたことがない人がたくさんいるくらいでかい社会を束ねる、っていう役割は変わってへん。かつて宗教が果たしていた役割が、いまの会社で言えばミッションとか、ビジョンとかバリューよね。で、よくあるんが、自分は感覚的に言えば今あんまり心地よくないんやが、ミッション・ビジョン・バリューにはすごい共感してるんです、みたいな状況。会社に勤めてるとあると思うんよね。そういう時に、言葉が「心地よくない感じ」を覆い隠してしまったりする。なんかさ、「僕は自分が心地いいか考えて、心地よければつづけるし、心地よくなければやめます」みたいな行動基準の人がいたら、この時代やとすごく今アホっぽく聞こえるでしょ?言語化優位な世の中になってくると、五感的なもの、感覚的なものってすごく地位の低いものになっちゃうのよね。でも、実際にはそこがめっちゃ大事なわけで。究極的には心地よさのために生きてるわけ、人間は。だから本当に大事なことについて迷ってるんやったら、AとBの選択肢それぞれを選んだ先を想像して、心地いいのか心地よくないのか?を感じる練習をしてみたらいいと思うねんな。で、それをするには、一回脳の中から言葉に出て行ってもらう必要があって。言葉が飛び交っているうちは、本当に大切な心地よさをきちんと感じ取れへんことも多いんよ。やから言いたいことをまとめるとこんな感じかな。言葉はすごい。それは人間のすごさの根底にある。でも現代は、バランスの問題として、言語が偉くなりすぎてる。その結果として、五感的なもの、もっとプリミティブな気持ちよさ、心地よさ、っていうものが価値下げされてしまっとる、と。でも後者の心地よさとかってすごく大事なんやから、ときには、意図的に思いっきり言語を抜いて、迷ったら言語抜きで、気持ちいいか気持ちよくないか、心地いいか心地よくないかでもっといろんなことを判断していっていいんやと。なんかそういうことを言いたくなるんですよ。思えば、僕はもっと人間の中の、動物としての土台をもっと大事にしようや、あくまで人間って動物の一種やねんでって、そんなことばっかを繰り返し伝えようとしとる気がしますね。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想もフォームから募集してます。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。
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