説明過剰社会|ままならジオ(ままなラジオ)#011
2026-05-13 16:49

説明過剰社会|ままならジオ(ままなラジオ)#011

「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。

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なんかさあ、人間そんなちゃんとした理由があって動いてるわけちゃうって。今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の"ままならなさ"を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。僕、『弱さ考』という本を出してから、取材を受ける機会が増えたんですね。ありがたいことなんやけど、たまに困ってまう質問があるんですよ。「なぜ、鬱になるまでハードに働いてしまったのですか?」「なぜ、問い読を立ち上げたんですか?」とかね。あ、問い読というのは、僕がパートナーと共同創業したオンライン読書プログラムの会社です。めっちゃおもろいんでよかったらぜひ。この「なぜ、●●したのか?」系の質問は、その背景に「●●という行動をしたからには、明確な理由があるはずだ」っていう前提があるんですよね。もっと言えば、「人間は自分の意志で行動を選びとっているはずだ」っていう、意志とか意識への強い信念ちゅうか信仰みたいなもんを感じるんです。信じすぎとる。やから、「なぜ●●か?」みたいな質問を受けると「人間そんなわかりやすい理由で動いてるんとちゃうんやけどなあ」って心のなかでいつも思てます。就活とかもそうでしょ?「なぜ弊社を志望したのですか?」「それはですね〜、こうこうこうなのです、キリッ!」みたいな。あれはね、「それらしいことをあたかも本当のように言えるか?」のテストをしとるっていう部分もあるわけです。そんな全部のことに理由なんかないよ。御社のために大学4年間すごしてへんよ。就活なんかはその茶番っぷりがよくわかりますけど、僕は、僕らも現代の世の中のなかで似たようなことをしてるから、全然就活を笑えへんと思うんですよ。あまりにも行動には明確な理由があるものだという前提に縛られすぎているような気がしてるんですよね。僕、前、イベントに出て喋る機会をいただいたんですよ。京都の未来を、東京という場所で考える、みたいなテーマの。そんときに「東京『的』なものとは何か」っていうことを考えて、けっこう自分なりに発見があったんですよね。それが今日の説明過剰社会とつながってるんで、ちょっと話しますね。東京って、すべてにおいて目的ありきで設計されてるんですよね。たとえば、公園をつくるにも、「街に余白を持たせる」とかそういう目的の説明をして全部がつくられてる。でも、本当におもろいもんって、目的を持って設計できひん、っちゅうんが僕の感じてることなんですよね。そのときに一緒に登壇した長島さんって人がめっちゃおもろい人でね。ローランド・ベルガーっていうヨーロッパ系コンサルティングファームの共同代表にまでなった、肩書きだけみるとつよつよな人なんですけど、めちゃくちゃチャーミングなおじさまやったんですよ。なんかね、京都の三十三間堂ってお寺があるんですけど、その裏にね、ある自動車整備屋さんみたいなんがあったんですって。自動車の修理はお任せください、みたいなお店。そこをね、買ったんですって。しかもただ買うだけじゃなくて、なんか事業をそのまま継承するんだ!とか言って。だから、その古ーい建物が今もそのままあるんですよ。で、話を聞くと、なんか学生とかいろんな人が働いたり遊んだりできるようなよくわからんスペースを作ると。よくわからんことが許容されるスペースを作るみたいなことを言っていて。長島さんがおもろいのは、ほんまに自分がおもろいと思うことをやっていて、自分でもなんか説明がついてないところなんですね。そういう人ってめっちゃチャーミング。自分の行動の理由を一から十まで説明できる人より、自分でも説明できへんけどおもろいからやってる人のほうがよっぽどチャーミングです。で、二人で対談してたんですけど、そこから最近の渋谷という街に対するぼやきみたいな話でめっちゃ盛り上がったんですよ。渋谷って今でこそオフィスビルの街ですけど、もともとは怪しい若者の街やったやないですか。猥雑なものが猥雑なまま存在することが許されていたっちゅうか。わけのわからん店がいっぱいあった。今は、とくに中心部はもうツルツルのオフィスビルばっかりになってまいましたよね。最初はわけのわからなさが許容されてても、嗅覚鋭いビジネスパーソンがやってきて、きちんと目的を持った設計物をぽこぽこぽこぽこ立ててって、名も無き若者の居場所はなくなるわけです。渋谷に限らず、どの街も必ずそうなる。しかも、オフィスビルを増やす目的の部分では「クリエイティブ」とか「イノベーション」とかいう言葉が飛び交ってるんですよ? でも全然クリエイティブとかイノベーティブでもない。それは、やっぱ街全体が目的に埋め尽くされてしまって、その目的から外れるものはおられへん構造になってもうたからやろうね。この「目的をセットした瞬間、陳腐になる」って、街だけじゃなくて、新規事業とか全てに言えるような気がして。説明不可能でわけのわからんもんみたいなものの存在を許容しなくなると、かえっておもろいもんが生まれづらくなるでしょう? クリエイティブとかイノベーションってようはおもろいもんつくるってことやのに。それに「説明」から入ると、もうその瞬間からおもろなくなるんですよ。別に僕はイノベーションに興味がある人間ではないんやが、説明のつくもので溢れてる社会、「何か行動をするときにはきちんと説明ができなあかん!」っていう前提の社会はおもんないし、息苦しいし、窮屈やと思うねんな。「なぜ●●したのですか?」とか、「このプロジェクトの目的は〜」とか「説明できて当然」の世界観になってきてる。いや、みんなもっと「なんとなく」生きてるって。「なんとなく」って言葉が適当すぎるなら、説明不可能な欲求とか直感とかを大事にして生きとんねん。問い読やって、究極、つくった目的なんかないんですよ。ちょいムズ本を、仲間と、問いを立てながら、ひいひい言いながら読み切る。試しにやってみたら、その途中の対話や人の心の動きが学びのあり方があまりにおもろいから会社にしましょうってなっただけで。いや、今日の文脈でいえばこれも目的を設けずにやったから生まれたイノベーションなんですよ。問い読には社会的なビジョンもないです。立てんでもいい問いを立てたり、考えんでもいいことを考えたり、人と対話的にコミュニケーションを取れる人が増えたり、あんまり読まれてへんけど読まれたらめっちゃおもろい本が読まれたり、そういうちょっとした泡がぽこぽこぽこぽこできたらきっとおもろなるぞ、っていう、ただそれだけ。でも崇高なビジョンが、目的ありきで社会を変えていくって人間の歴史を振り返っても幻想やから。世界を変えるようなものってだいたい偶然か遊びみたいなもんから始まるからね。あんま計画されてへん。このあたりはマット・リドレーの『人類とイノベーション』っていう本が詳しく書いてます。いつだって社会を変えていくのは、小さな泡のぽこぽこなんですよ。説明がつかないけどおもろいことをやっている。ここは最高の遊び場や。そういう感覚で働けてることは、今、めっちゃ誇りに思ってますね。いろいろ言ったけど、世の中があまりにも「行動には理由があり、それは説明可能である」ってなっちゃってるんがちょっと息苦しかったんで、説明過剰社会っていうテーマで話してみました。すべてが目的に従属させられてしまったらおもろないんよな。ほんまにおもろいものは、大事なものは、説明ができへん領域に潜んどる。説明できないということは一種の豊かさである。そういうことを主張してみたいですね。説明過剰社会って、つまりはビジネスの論理が全部に染み込んでしまった社会ですから。いかに「説明」から逃れるかを考えることのほうが楽しく生きるコツちゃうか?って思いますね。いつだって深く息をしたいですよね。ままならジオ始めたんかって、そんなん究極やりたいからやってるだけですよ。理由なんて野暮なこときかんといて、ってなもんで。あ、最後に。このままならジオ、概要欄にフォームがあって質問大募集中です!僕が主催している、オンライン読書プログラム「問い読」の詳細も一緒に置いときますね。うまく説明できへんけど、最高の遊び場なんですよ。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

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