「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。
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考える人生、多くのことを知る人生って本当に幸せなのかしらん?そんなことをずっと考えて、ある一つの答えにたどりつきました。今日はそんなお話です。
ままならジオ。
『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。
もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。
考える人生、多くのことを知るってほんまに幸せなんかねえ。
最近、というかずっとそんなことを考えてます。
そんなことを考えるようになったのは、最近のSNSが大きいかなあ。
SNSのほうでいえば、僕たちはSNS以後圧倒的に多くのことを知ることができるようになったわけじゃないですか。
もちろんフェイクの情報も山ほど溢れててそれはそれで大きな問題なんやけど、「鋭い考察を発信してくれる」っていういい点のほうが大きかったと、まだ自分は思ってるんよね。
でも、多くのことを知る過程で人は「ああ、世の中はこんなすごい人がたくさんいるんや」っていう打ちのめされるような体験もするわけやん?
本当だったら会って話したりできない人のとても頭のいい考えが自然に流れてくる。それってほんまに幸せなんかなあ、ってよく思います。今自分が若い頃やったらどうなんやろう。今SNSで、一瞬で世界のトップクラスの人間の技術がかいま見えてしまったら、多くの子どもは「自分はこうはなれない」って絶望してしまうんちゃうかなあ。
もちろん、「自分が世界一になる!」って思って、才能が開花して、実際に世界一になるみたいなサクセスストーリーもあるやろうけど、それはほんの一握りの才能ある人にとっての希望であって。多くの人にとっては早すぎる挫折でしかないわけです。
いろんなことを知れてしまう世の中っていうのは、ある種残酷やなあと。
いやー、娘にいつからSNSをOKにするのかは、悩みますね。少なくとも僕は井の中の蛙でいられる幸福な時期が長いことは、悪くないんちゃうかなって思ってます。
あと、考えない方が幸せかも?たくさんのことを考えたり、知る人生が幸せか?って思うのにはもうひとつの理由がありますね。
やっぱり僕が出版業界にずっと身を置いてきたからそんなことを考えるんやと思うねんな。
やから、そこまでいったん振り返って話してみようと思います。
あらためて簡単に自己紹介をすると、僕は本の世界にどっぷりつかってきた人間なんですね。
出版社2社で働いた後に、NewsPicksパブリッシングという書籍レーベルを創刊した際の編集長を務め、ほんで退職して、今度は編集者から著者になって『弱さ考』という本を出した。
その後、「問い読」というオンライン読書プログラムを提供する会社を共同創業しました。
こう聞くと、すごい本好きなんだなと思われるかもしれないですが、そうでもないんですよね。もっと本好きな人は出版業界にたくさんいたし、そもそも「なかなか本なんて読めないし、読もうとも思わないですよね」っていう問題意識から、問い読だって創業しているんで。
新卒で出版社に入ったのだって固い決意があったちゅうよりは流れ着いたって感じですよ。
で、流れ着いたままに、最後まで染まれなかったというのが正直なところかなあ。
やっぱり出版業界って本を愛している人が多いから、やっぱりどこか本を読むことを尊いことやと、当たり前のことのように思ってる節があるんですよね。
つまり、「本を読み、より深く考えた人生のほうが幸せな人生だ」という価値観がマジョリティやったと。
でも、ほんまにそうかな?と思うところもあって。
本を読むっちゅうことは自分の世界を相対化する、客観視することでもあると思うんですよね。
知らなかったことを知る。この世の中が、人間の構造を知る。小説やったら他人の人生を追体験する。
そうすると、どんどん自分の人生「以外」のことを、その外の可能性を知っていくわけです。それによって救われることはもちろんあります。
ただ、その逆、まったく本を読まない人生が、読む人生に比べて貧しいものかっていうと僕は全然そうは思わないんですよね。
もちろん、出版業界の人全員が「本を読む人生のほうが豊かだ」と考えてるわけではないですよ?ただ、そういう空気があんのはたしかやし、もう一歩踏み込んで言うと、どこか本を特権化して、本を読める人をいちだん上に位置付けがちなんは、否めへんよなあと思うわけです。ひとことでいうと偉そうになっちゃうというか。
で、本を読むだけが考えるでは当然あらへんわけですけど、ここで、考える人生は幸せか?っていう冒頭のテーマにもっかい戻ってみたいんです。
考えることは、自分の人生を相対化することやと。
じゃあ、その逆は、自分の人生を絶対化してる状態なわけです。
ふだん使いの言葉で言えば、考える人は、自分を客観視できとることが多いんですよね。
深く考えない人は、より主観的に生きとる。
相対的に自分を見ることができる。客観視ができる。それは、偉いように聞こえるんですけど、でも、究極それをやらんと、生きて来れなかったということでしょ?
だいたい、苦しいから本に救いを求めるんですよ。太宰か誰かが「小説など読まぬで済む人生ならそれに越したことはない」って言ってたんですけど、ほんまそうやなって思うんですよ。
考えないと生きてこられんかった人生やった。そうやとしたら、その人生自体は尊いと思うんですけど。でも、あんまり深く考えへん人のことを下に見るのはちょっとちゃうんちゃうか?って思うんですよね。
そうやって自分に言い聞かせないと、考えたり本を読む人間はどんどん、「考えて生きる自分は偉い」「本を読む自分は偉い」と鼻持ちならん方向に行ってまうんですよね。自然と。
人間は、自分が好きなものを高く評価したがります。
それによって、その好きなものと結びついてる自分も立派な存在やと思いたがるからです。
ほら、バンドマンに聞くと、ギタリストはギターが一番かっこいいと思ってるし、ドラマーはドラムがいちばんかっこいいと思ってるやないですか。
あと全然関係ないけど、「もう一回生まれるなら男と女どっちがいい?」って聞いたときにだいたい男は男、女は女って答えがちなんも、この好きなものを高く評価する気持ちが影響してるんちゃうかなあって思います。知らんけど。
このあたりは、ピエール・ブルデューっていう社会学者が書いた『ディスタンクシオン』っちゅう本から僕はインスピレーションを受けました。
やから、本を読む自分に対して抑制的でありたいっちゅうか、「あんま調子乗ったらあかんぞ」って言い聞かせとくくらいでちょうどいいと思うんよなあ。
あと、これはみなさんともぜひ一緒に考えてみたいんですが、自分のことを客観視しない人生ってシンプルに幸せですよね?
だって、他人と必要以上に比べないってことやから。
今も昔も、愛されるキャラクターって、自分のことを客観視できてへん感じがするんですよね。寅さんとかね。
漫画やアニメの主人公になるような人っていうのはことごとく客観視が欠けてたりして、そこが魅力やったりするんですよね。それ、ちょっと憧れてまうなっていう。
まあ寅さんは極端やとしても、あんまり客観視せずに、周りをキョロキョロせずどっしり構えてのんきに楽しんでる人は、けっこう幸せやと思うんですよ。
それを、なんか俯瞰した感じで小バカにするのは、ちょっとちゃうなって。
まーほんまのことをいうとね。自分やって鼻持ちならへんやつなんですよ。こうやって語ったりしないと、すぐ「本を読んでる人が偉い」なんて思ってしまうちっこい人間なんですよ。
だから、出版業界で、「この人本を読んでる人が偉いと思ってるな」っていう人を僕が気に入らんのは、同族嫌悪なんですよね。結局。
同族嫌悪って、「自分がそうならないように気をつけていることを、堂々とやってる状態をみて嫌いになる」ってことやと思うんで。
自分が我慢してることをさらっとやられて腹立つっていうね。いや、これも大事なんよな。
同族嫌悪だけで一回できてまいそうやな。次のテーマそれにしよか。
「本を読まない人」っていう議論でよく例に出されるんは地方のマイルドヤンキーの人ですよね。で、これもおもろいんですけど、「マイルドヤンキー」とか呼んじゃう人は、どっかでその人らをちょっと小馬鹿にしつつ、憧れてるんですよね。
考えない幸せをそこに感じ取っている。それを認めると自分のアイデンティティが崩れるから、どっかでちょっと小馬鹿にしてる。必死なんですよね。
どんどんとっ散らかるけど、これは都市と地方の問題ですね。ほら、都市って、人がたくさんいて、競争的で、それこそ自分よりすごい人がすぐそばにおって、「自分なんて・・・」ってなりやすいやないですか。
それに対して、地方っちゅうんは、
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