人が人を嫌うのはどんなとき?|ままならジオ(ままなラジオ)#22
2026-07-29 13:19

人が人を嫌うのはどんなとき?|ままならジオ(ままなラジオ)#22

「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。

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人を嫌いになるとき、その人は自分の「鏡」なんよね。今日はそんなお話です。

ままならジオ。

『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。

もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。

「人が人を嫌いになるのはどういう時か」?っていう、今日はそういう話をしたいと思います。

前回の「考えない人生」についての回でも話したけど、人が人を嫌いになる時って、一言で言ってまうと、やっぱ同族嫌悪なのよね。

僕は前回、自分が出版業界に長くいたのにその空気にあんまり馴染めんかった・・・みたいな話をしました。

「本を読むことは尊い」みたいな空気がどうにも・・・みたいな話をしました。

けど、もし本当に自分が「本を読んでることは尊い」「そうじゃない人はあんま偉くない」みたいな鼻持ちならんことを思ってなかったら、そんなに、なんちゅうか反応しないのよね。

何かを嫌になるって、それに対して反応してる、リアクションしてるってことやと思うんですよ。

ほんでリアクションしてるってことは、自分の内側にその人の嫌やと思う部分に反応する何かが隠されとると思うんですよね。

やから、自分自身のことでいうと、まずもって自分が「本を読んでる俺は偉い」と内心ではうすうす思っとるわけです。

でも一方で「それは嫌なやつよな〜」って思ってる自分もいるから、「嫌なやつ」側の自分を出さないように出さないように、って必死なわけや。必死に我慢して抑えとるわけ。

やからこそ、なんのてらいもなくそういう価値観を表に出す人を見ると、「嫌いやわ〜」ってなるっていう。

基本はやっぱ人間、同族嫌悪ですよ。悲しいかな。

今は僕の例ですけど、自分の中にある、うっすら感じていて頑張って蓋をして隠してる気持ちを、堂々と表に出す人、そしてその出してることにすら無自覚な人っているやないですか?いるやないですか?

いないとは言わせませんで?

そういう、自分が蓋をしている自分の気持ちを他人の中に見た時、人は人のことを嫌いになるんであって。「その人のことを嫌いになる」っていうふうに心を変化させることで、自分を守ってるんですよね。

やから、人を嫌うとき、人は自分をその人の中にみてるし、つまりはその嫌いな人は鏡に映った自分なんよなあ。

自分の中にある醜いものをその人の中に見ているちゅうか。まあ、それが醜いかどうかは知らんが、少なくとも自分の主観としては醜いと思っとるみたいな。

その気持ちが自分の中にあるっていうことから目をそらすためにその人を嫌うみたいな。

いや、今めっちゃいいこといっとるな。うん。これ今までの放送のなかでいちばんいいこと言ってる感あるな〜。知らんけど。

いや、こういうね、いやしい気持ちはいっそ正直に言っていったほうがごきげんで楽しい気がするんですよね。

ああ、もう一個言いたいこと出てきたわ。人は自分の本音を覆い隠して生きてるんちゃうかってことと関連して。

僕、編集者だったんですけど、ご縁があって自分で『弱さ考』っていう本を書く著者になる機会をもらったんです。ほんでね、そこで気づいたんですよ!

それは、その人が「書いたり話したりすること」と、その人が「本当に思っていること」ってぜんぜんちゃうなっていうこと。

もうちょい正確に言うと、自分がそういう人間やないと自覚してるからこそ、あえて、そうなりたいっちゅう憧れをこめて言ってる、みたいなことってよくあるんちゃうかなと。

たとえば、「弱さ考」ですごく反響があったのが、「これからは強くて優秀よりも、弱くてご機嫌だ!」っていう一文なんですよ。

強さを求めて頑張りすぎて、脳が悲鳴をあげて鬱になって、そのうつ状態はどうやらこれからも消えそうにないってなったときに、とっさに「弱くてごきげんだ!」っていったんですよね。

いや、その気持ち自体に嘘はないんですけど。

でも、それは、僕が「強くて優秀な人間でありたい」っていうことに、まだめちゃくちゃ執着してる裏返しなんですよ、今思えば。

過去の話やなくて、現在進行形でまだそういう気持ちがあるんですよ。

あるからこそ、そんな自分を認めたくなくて、「弱くてごきげんだ!」って力んで言ってるみたいな。何かやたらと力んで言ってるときは、嘘ですね。

仕事楽しい?ってきいたときに、楽しいです!ってびっくりマークつけて返してくるって人はあやしいですね。ほんまに楽しい人って楽しいとか言わないですからね。

うん。此の期に及んでまだ「強くて優秀」みたいなものを目指してる自分にうんざりしてるんやな。そういう気持ちがあるから、次は「弱くてごきげんな私に、なりたーい!」みたいに書くことで、断ち切ろうとしているっちゅうか。

自分で書く言葉によって自分を引っ張っていこうみたいな感じかなあ。知らんけど。

つまりは、その人がそういうことを書く、というのは執着してるからわざわざ文にまでして主張するんでやって、その人の本性はむしろその逆、みたいなことってめっちゃあるって、著者になって思いました。

やから、悟ってる感じのことを書いてる人は、煩悩の塊ですよ。むしろ、他の人と比べて煩悩が強すぎるから自分で自分を説得しとるんですよ。

だから、たとえば、寂しさについて語るんやったら「孤独が実は最高なんだ」みたいなことを言う人がいたら、その人は、たんにめっちゃ寂しい〜はずなんですよ。

やっぱそこまで孤独について悩んで、考えて、わざわざ言葉にして、みたいなことをせんと生きていけんほどには、気にしとるわけよ。

やから、人の言葉には、その人も気づいてない裏があるちゅうことよな。

「ほんとうは私はそういう人間ではありませんが、そんな自分のことを認めてしまうんが嫌でたまらんので、だからこそ」っていう長い前置きがあって、「だから●●です」「弱くてごきげんなのです!」キリッ!みたいに言ってまうっていうね。

いや、みんな嘘つきやと言いたいわけやなくて、人間って矛盾だらけよなあって。その人に演技をしてる自覚もないしね。

私は本音を話してるって思ってしまうところがなかなか怖いところですね。いや、ゆうてるおれもね。ままならジオなんか全部そうですよ。

「自分で自分の本心を見たくないから本当のことが言えない、本人もその構造に気づいてない」っていうんは、同族嫌悪と近いところにある心の動きやなって思う。

どっちも意図的に「自分の本心に気づいていない状態」をつくってるんですよね。

やから人が人を嫌うときっていうのは、その人のなかに自分をみてるときですね。

それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想もフォームから募集してます。

僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。

井上慎平でした。

ほんじゃあ、また。


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