ミッドライフクライシスをどう乗り越えるか|ままならジオ(ままなラジオ)#4|ままならジオ(ままなラジオ)#4
2026-03-25 12:50

ミッドライフクライシスをどう乗り越えるか|ままならジオ(ままなラジオ)#4|ままならジオ(ままなラジオ)#4

人生には「いい敗け方」が必要だ|ままならジオ(ままなラジオ)#4

「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。

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「人生にはいい敗け方が必要だ」今日はそんなお話しです。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。『弱さ考』で書いたとおり、僕は5年ほど前に鬱になりました。一時期ほどひどくはないですが、いまもうっすら鬱とけっこう鬱のあいだをいったりきたり、という毎日を過ごしてます。鬱を発症した時は30代前半でしたが、気づけば、僕も周りももう40近いんですよね。そしたら、いわゆる中年危機、ミッドライフクライシスの話題がめっちゃ出るんですよ。もう10年くらいするとこれが血糖値とか尿酸値の話になるんでしょうけどね笑。で、ミッドライフクライシスっていうのは、いわゆる人生の前半戦を終えた人が「自分の人生。このままでいいのか?」って悩むことらしいです。心理学者のユングって人は、この時期を「人生の正午」って呼んどるらしい。12時ジャストの正午ね。おしゃれやね。僕らは人生の夕暮れどきに向けて、準備をせなあかんのやと。ぼくの主観ですけど、ミッドライフクライシスはビジネスの世界でバリバリやってきた男性ほど悩む確率が高いです。女性ほど社会で生きるうえで障害物が多くないから、仕事というシンプルなゲームに没頭できてたツケが、40代になってまわってくるんですね。僕はたまたま鬱になって、「努力して、成果を出す」というシンプルなゲームから弾き出されてしまったんで、今思えば、早めにこのクライシスを体験したとも言えるんですね。なんか先輩風ふかせて言いますけど。やから、今はある程度整理できてるんちゃうかなあ、と思います。ミッドライフクライシスをどう乗り越えるかって、「人生のいい敗け方」を見つけるってことやと思うんです。これは僕の友人の言葉なんですけど。みんな、敗けることを、老いていくことを、諦めきれないんですよ。だから、「若い頃は流動性知能が強いけど、年齢を重ねたら結晶性知能が強いんや」、つまり人生後半戦では総合的な判断力で勝てるんやみたいな話に飛びついたり、シンプルにアンチエイジングにいそしんだりするでも、これってできるかぎり「勝てる自分」でい続けたいっていう前提なんですよね人生を勝ち負け的にしか見れないことが、ままならなさの根源になってる。もうひとつは、シンプルに何に対する「勝ち負け」をやってるのかが、自分でもようわからんくなってくるんですね。がむしゃらになればよかった20,30代を超えて。ほな、どうしたらええんかと。「人生の正午」を超えたら発想を転換せんとあかんのですよね。ひとつは、「結果」から「プロセス」への転換。結果に喜びを見出すんじゃなくて、心地よくやれてるかっていうプロセスの方を大事にする。もうひとつが、「相対」から「絶対」への転換やと僕は思ってます。人と比べる世界観から、自分固有の世界観を打ち立てる方向に、少しずつ人生を転換させていく。仕事ができるとか、そういう客観的で数値化しやすい基準で自分を誇ることから、もっと主観的で、誰にも理解されない基準での誇りを手にするってことですね。たとえば、僕の周りでも推しがいる人はあんまりミッドライフクライシス悩んでない印象ですね。逆に「自分で自分を応援してきました」っていうタイプの人が、何を、どう応援してええかがわからんくなってきてる。いや、まあかつての僕ですね。この転換がうまくできへん人がおる。それは結果・相対の世界でうまくいっていたほど顕著かもしれませんこの発想の転換ができへんかぎり、どこまでいってもしんどいです。どれだけ先延ばししても絶対老いますからね。結局、どこかで敗けてしまう。テクノロジーの変化はとくに若手に有利ですから、この時代はとりわけこの中年危機は顕著でしょう。「敗けたという事実」を、「いずれ敗ける」という事実を受け止めて他のゲームを始めるしかないんでしょうね。自分は取るに足らない、どこにでもいる一人の人間だということを認める。そういう自分とゆっくり、それこそ焚き火を囲むように並んで、二年、三年と時間をかけて気持ちの整理をつけていく。いや、自分が大したことない人間じゃないってことくらい最初からわかってたよ、っていう人もたくさんいるかもしれません。そういう人には、僕は傲慢でした申し訳ないというしかない。でも、周りにけっこうおるんよね。たとえうすうす自分は大したことないってわかってても、まだまだ可能性はある、って言い聞かせて生きないと、なかなかやっていけへんから。それは傲慢さでもあるし、弱さでもある。結果のゲームからプロセスのゲームへ。相対のゲームから絶対のゲームへ。両方とも突き詰めて言えば、今ここを楽しむということでしかない。でも「今ここ!」って力んで何かしようとしている時点で、やっぱりそれもちょっと無理してるんですよね。僕は本の中で、「さようなら、よりよい明日。」と書きました。結局、頭のなかで右肩上がりの線を描いているうちはうまくいかない、と思ったからです。右肩上がりを信じてやってきた人は、いざその物語を失うと次にはじめるゲームがない。市場価値を高めるとか、そういう言葉のなかで生きていかないといけない僕たちは、ある程度それは運命付けられてんのかもしれません。まずは右肩上がりの角度を少しずつ緩めていく。そして、もう誰も外部からゲームを与えてはくれへんねやな、自分なりのゲームをスタートさせなあかんねやな、その残酷さ、ままならなさを少しずつ自分に馴染ませていく。そこから始めるしかないんやろね。いまの資本主義社会があまりにシンプルなゲームを最初に設定してくるから、そこから違うゲームを自分で作り出していくのはけっこう大変なんやで、だから迷って当然なんやでっていう話でした。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想も募集してます。僕が主催している、問いの立て方が学べるオンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

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