この時代の子育ての正解って?|ままならジオ(ままなラジオ)#3
「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。
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「この時代の子育ての正解、むずすぎひん?」今日はそんなお話しです。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。『弱さ考』は、現代社会のビジネスパーソンがどんなしんどさを抱えているかについて書いた本なんですが、その後にいくつかイベントをやらせてもらったんですよね。そのときに必ずといっていいほど出る質問が、「子育て」についてなんです。いったん子育てから離れるけど、いや繋がってるんですけどね、僕が『弱さ考』のなかで指摘したのは、現代のビジネスパーソンが成長のゲームに取り憑かれてしまっている、ということでした。人間にとって成長とか、変化とかってそもそもストレスやしね。資本主義のなかで生きているから、組織があなたに成長を求めてくるだけであって、本来、人は「私は成長や変化が大好きです!」って言えるほうが少数派なんよー、変化や成長がしんどいっていうのは生物学的にすごく当たり前のことなんよー、っちゅう話をしました。「でもね、井上さん」と。質問者の方は言うんですよね。「私はある程度、ああ、自分は資本主義社会の仕組みのなかで気づかないうちに競争をさせられていたんだな、って距離をとれたとしても子どもの子育てにどう向き合っていいかわからないんです」まあ、そうですよねえ。僕はいま長野に住んでますけど、東京とかにいたら小学校受験とか下手したら幼稚園受験とかあったりして、この競争社会に子供は一桁の年齢からほりこまれるわけで。かといって、まわりがいろいろと準備をしてるなかでうちの子はほっといたらええわ、って簡単に思えないのもまた親心なんで。そんなときに僕がいつも答えるのが、「今の世界で子育てできるのはむしろラッキーなんやないかっていうこと」なんですよね。あ、ちなみに僕にも子供がいるんですけどね。どういうことかっていうと、ゲームのルールが速く変わりすぎてるからです。いい大学に行って、いい会社に入って、そしたらいい人生が待っとる。もう、この時代、誰もそんな一本道のルートを信じてないですよね?でも、じゃあ、ほんまにそれを捨てきれてるんか?っていうと、そうでもないわけです。いい大学にいったら、そうやない大学よりは少なくとも可能性がやや広そうやから、みんなちっさい頃から受験させるわけで。結局「いい大学に入ればいいことがある」っていう価値観はぼんやーり生きとるんですよね。で、僕が「今の世界で子育てできるのはむしろラッキー」と思うんは、ついにその「いい大学に入ればいいことがある」神話が壊れそうやなって思うからなんです。いうまでもなく、AIの影響ですよね。もうすでに統計データに出始めてますけど、真っ先に仕事が代替されていってるのは、偏差値が高い人がつきがちな職業なんですよね。これ、僕はすごい象徴的やなと思うんですけど、医師や弁護士も長期的に考えたら相当窮地に立たされるんですよ。だいたい受験って、理系でテストが得意やったら医学部、文系やったら法学部、つまり医者か弁護士になるんが王道なわけやないですか。この両巨頭こそが、将来が見えないっていうすごい状況なわけです。これはごっつい地殻変動やなと。結局、子どもも大人も、いまの社会のなかで、「今は大変でもがんばってれば将来楽になる」っていうフィクションのなかでがんばってるんですよね。「今努力せんと後で困る」っていうのが前提になっとるわけで。これを僕は「成長の物語」って呼んでるんですけど、特に子供に関してはほんまにこれが終わりかかってる。少なくとも「テストの点数」で成長が測れる前提は壊れかかってる。じゃあ、「井上さんは未来のことがわかるんですか」って言われたら、まったくわかんないですよ。いや、もうわかんなすぎる。でも、わかんなすぎるのがむしろ希望やなって。どういうことかというと、少なくともテストでいい点が取れるっていう、めっちゃ狭い意味での知性自体は、これから将来を約束してくれるものではなくなりそうなわけです。で。親がなんで教育をがんばるかって、もちろん子どもへの愛もあるけど、「自分は親として子どもの未来のためにできることを全部してあげた」っていう安心感がほしいみたいなところあるんですね。でも、その未来のために何をしていいか今まったくわからんわけじゃないですか。だからこそ、どの時代の親よりも不安が募るわけですよね。で、この不安が、やっぱりよくないんですよね。少なくとも、「自分は不安から子どもにあれこれやらせようとしがちやな」って自分で認識できてないと、よくない。っていうのも、親だってそんな立派な人間やないですから、あれこれ塾や学校のことを調べたり、そのうえで子供のためを思って勉強をせえよっていうなかで、子供がそれに応えてくれへんかったら、腹立つやないですか。ほんで、不機嫌になるんですよね。その不機嫌の裏には、「自分はこんなに心配してあげてるのに」、っていう思いがあるわけです。でも、実際には「自分はしっかりやることをやった」っていう安心感を得たいっていう側面もあるわけで。やから、僕はこの時代に親にできることは、ごきげんでいることだけやなって思うんですよね。「こんだけ心配してあげてるのに」っていう理由から子どもに「あなたもちゃんと応えてよ」って思ってまうくらいなら、親の側の「こんだけ心配してあげてるのに」っていう気持ちを減らすくらいでちょうどいい。そしたら、その分不機嫌も減ります。もちろん、勉強なんて一切せんでええとか極論をいうつもりもなくて、僕だって宿題みたり勉強教えたりしてますよ。考える基礎みたいなもんはいつになったっていりますからね。でもそっから先のことはまじでわからへん。うちの子が大学生になる頃に、世界がどうなってるかなんてほんまにわからへんわけです。天才にだってわからへん「学歴」っていう言葉がけっこう意味を持った、っていうのが昔話になってる可能性もある。やから、天才ですらわからん状態で、不安からあれもこれもやらすより、好きなようにやらせて、あるいは、無理に何かをやらそうとせんと、自分のなかにある「あんたの将来のためを思って」みたいな気持ちを戒めて、せめてニコニコしてればええんちゃうかなって思うんです。人は不安になるほど、何かをしようとします。それでいて、自分が「不安を原動力」に行動していることから目を逸らしたがります。この時代、不安はどんどん増していきます。未来のわからなさがましてるから当然、ね?それであれば、いっそのこと、義務教育で最低限の足腰だけはしっかり鍛えてもらって、あとは好きにしてもらえばいい。備えあれば憂なしっていうけど、医学部も法学部も安心じゃない現代の教育で、いくら備えたって、憂いはへらんわけです。だから、備えない。もちろんそれは受験戦争的な意味で、ってことで、人間として大事なことはちゃんと教えなあかんとと思ってますよ。でも逆に、人として大事なことだけわかってたらそれ以上親に何もできることはないんじゃないですかね?未来に備えてしかめっつらになるくらいなら、今ニコニコしてようぜって話でした。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想も募集してます。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。
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