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2024-08-15 20:07

#13【ゲスト回】飲食業からコーチへ/てつさんのキャリア

これまでのキャリアについて/飲食業界/倒れるまで働いちゃう/コーチングとの出会い/エネルギーの枯渇

田村 哲人 人と組織の力を解放する| GOAL-B認定コーチ|JCC認定キャリアコーチ|JCC1期|Studyshipコーチ|コーチ ← 人事 ← 外食企業マネージャー|

サマリー

てつさんは42歳で、飲食店業界で豊富な経験を持っています。彼のキャリアは軽井沢のそば屋から始まり、店長を経てマネージャーとして様々な業態で努力を続けていますが、最終的には人事部門を経てコーチングに興味を持つようになりました。飲食業から社内コーチへとキャリアをシフトし、役職に関係なく人をサポートしたいという思いを抱いています。メンタルとフィールドの問題に苦悩しながらも、自身の限界を感じて退職を決断しました。

てつさんの自己紹介
今日は、てつさんに来てもらいました。お願いしまーす。
お願いしまーす。
JCCで同じチームだった、ブリゲインってチームだったメンバーに続々と来てもらってるんですけど、
今日はてつさんということで、簡単な自己紹介からお願いします。
はい、ありがとうございます。
そうですね、自己紹介いくと、僕は今年齢は42歳です。
まさに昨日誕生日を迎えて42歳なんですけど、
職歴はもう一社のみで、出身群馬県なんですけど、
高校卒業して、18歳から飲食店の会社で働き始めたんだよね。
で、ちょっと戻るけど、小・中・高と、僕割と引っ込み事案で気を使うタイプだと。
で、なんか勉強もほとんどしなかったし、
部活も卓球部だったんだけど、そんなに頑張らなかったと。
そんな僕が高校卒業して飲食店で働き始めた時に、
入り口は結構安易で、飲食店だったらアルバイトしたことあったし、やれるだろう。
で、軽井沢のそば屋に、すげーかっこよさそうなところがあって、寮付きだったから、
そこで働き始めたんだけど、そこでめちゃくちゃ頑張っちゃって。
もう最年少で店長になって、本当に結構働いたんですよ。
もう店に泊まりながら、本当休みなく働いてて、朝から晩まで働いてて。
もう2年目ぐらいで店長になって、東京の店舗に今度移って、
同じ業態のそば屋、川上屋っていうそば屋が軽井沢から表参道に出すってなって、
そこの店長をやって、4年ぐらいまた頑張りましたと。
ここも本当すげー頑張って、昼、ランチから夜やって、朝までやってるお店だったんだけど、
それこそ本当に何時まで働いてたんだけど、朝9時から働いて、朝4時ぐらいまでやったんですよ。
ランチから朝までってそんな形態があったの?
そうそう。要は昼、夜、深夜っていう業態で。
これ本当狂ったようにやってて、パートのおばちゃんからゾンビがいるみたいに言われてるぐらい店に住んでて。
4年ぐらいめちゃくちゃやって、でもなんか今まであんまり頑張ってこなかった僕が、
めちゃくちゃ頑張って、その責任感みたいなのも出て、青山4年やって、
初めに入った軽井沢のお店に戻ったんですよ。
初代の店長がちょっとメンタルを病んじゃって、僕がそれ2代目で入ったんだけど、
これも行った時に結構悲惨で、もうアルバイトの女の子が泣きながら配膳してるとか、
パートのおばちゃんが休憩所に行くの怖い、愚痴が飛び交ってて怖いとか、
そこに店長っていうの行くんだけど、めちゃくちゃそこも頑張って、
もう毎週毎週コアメンバーを呼んで話をしたりして、
このままじゃダメなんじゃないかとか、本当はこうした方がいいんじゃないか。
だんだんそれを広げていって、あの年ぐらいでめちゃくちゃかっこよくなったんですよ。
当然僕だけじゃないけど、みんなの力合わせて、本当にみんなが変わって、店の雰囲気が変わって、
これすごい良い体験をして、そこからマネージャーになって、
業態変わって、今度さわむらっていう洋食の業態をやってて、そこもマネージャーとして初めて入って、
マネージャーとしての挑戦
今度全然知らない人たちばっかりだったから、どうしたらうまくいくんだろうと思いながら頑張ってて、
今度パンの職人とか、洋食の厨房のホテルでやってた料理長とか、
頑固で、すごい喧嘩とかしながら一生懸命やって、それ6年ぐらいやったんですよね。
で、6年目で僕倒れちゃって、倒れるまで止まれなくて、
軽井沢駅のホームで倒れて、怖いのが倒れてから進んで駅の改札、ピッて抜けて、
改札駅のホームに降りる階段で怒っちゃって、気づいたら救急車が運ばれてて、
頭から出血してて、その救急車の中で、すいません、会議遅れますって電話してて、
行けるわけないのに、それぐらい止まれないくて、それで治療して、今度復活して、
今度は和食の業態、スジューっていう和食の業態のマネージャーで行って、
ここもなんか、最初の河上屋の時はすげえ良かった。本当に全てを共にして乗り越えた。
だけど、業態が変わると同じ会社だけど違った文化があるみたいになっちゃって、苦戦したんだよね。
どうしてこんなにみんなが否定的なんだろうとか、同じマネージャー同士で、
どうしてこういう感じでみんなと関わってるんだろうとか思っちゃって、
だから僕が来たなとか思いながら振り立たせてたんだけど、思うようにいかなくて、すごい苦戦して、
その時にコーチング受けたんだよ。たまたま受けて、
30分ぐらい自分の話を聞いてもらうっていうコーチングがすごい良くて、
これは良いなと思って、それはザッパスっていうところのコーチングなんだけど、
そこでコーチングを学んで、これは良いと思って、社内でコーチングをやってたんですよ。
やったり、県庁、料理庁向けにコーチングの研修とかもやったりしてたら、
そういうのが好きなんだってことで、今度人事に行って、
人事に行って、今度人事のバックオフィス含めた人事の統括みたいなことをやるようになって、
そこでちょっと病んだんだよ。
人事に行った方が病んだよ。
そうなんだよね。まさに。
俺がちょっと苦しかったんだけど、人に携わるのが好きだし、
どうしたら人が元気になるんだろうかみたいなことばっかり考えてた。
今までそればっかりやってて、それがやりやすいように人事に行かせてくれたんだけど、
人事に行ったらなんかね、やりたかったことがやらなきゃいけないことみたいになっちゃって、
息苦しくなっちゃって。
なるほどね。
そう、動かなくなっちゃったんだよね。
意外?意外というか、そういうこともあるんですか?やっぱり。
いやー、これ何なんだろうね。そうなんだよね。
もしかしたら、結構マネージャーの時は割と自由にやれてて、
やりたいからやってるっていう感じだったのが、
人事に行ったらそれをやらなければいけないとかになって、
やらされてる感じみたいに自分が思っちゃったのかもしれないんだけど、
なんかこううまくいかなくなっちゃって、
自分がこうやりたいって思えばすごく熱くなるんだけど、
うまくそれが表現できなくて、
すごい期待されてたし、評価してくれてるのもわかったんだけど、
去年の7月ぐらいで体が思うように動かなくなって、
もう倒れやめたんですよ。
人事と新たな道
23年働いた会社を倒れやめるっていう。
それが結構すごい体験でした。
確かにそれはすごい体験。
すごいな、やっぱり鉄さんさすがやな、これ鉄さんやなって思ったのが、
この簡単な自己紹介からのこの語り。
これはこの語りがすごい。
ちょっと緊張しながら話したけど、よかったです。
すごいわ。
でもそのさ、途中途中すごい気になることがあってんけど、
めっちゃ頑張ったのは、そもそも飲食がめっちゃ向いてるとか好きで、
ただその目の前のゲームが楽しくて頑張れたみたいな感じ。
将来こういう、例えば飲食やったら自分のお店持ちたいとか、
地元で店やりたいとかそういうのがあるから今頑張ろうみたいな。
それが全然違う理由。
めっちゃいい質問だな。
それで言うと、
今この瞬間、気持ちが動いて頑張れてたっていう感じで、
自分がお店を出したいとか実は全くなくて、
料理にもそんなに興味がなかったと。
だけど、今お客さんが来たときに、
このお客さんをどうしたらもっと満足させられるだろうかとか、
どうしたら喜んでもらえるかっていうところをマジで素直に思えてて、
そこに最善を尽くしたいと思ったり、
あと自分がどう動いたら一緒に働いてくれてるみんながもっと元気になるかとか、
なんかねそういうことを本気で考えてたの。
うーん、すごいな。
めっちゃピュアにそこを考えてたよね。
もうね、ほんとそれだけ。
それだけが僕を駆動して、
約23年間動き続けたんだけど、
これがもうもはや無限に出てくるエネルギーに繋がってたんだ。
すごい。
それはさ、現場のプレイヤーというか、
接客する人だったら、
本当にそれ100%で仕事に向き合えるだろうなとは思うんだけど、
店長とかお店を回していく立場、
マネージャーとかの立場になっていくと、
そうではないことがいっぱい増えるじゃん。
例えば売り上げが上がらんとか、
そのためにどうしたらいいかとかって、
目の前のお客さんに向き合うのとはちょっと別視点というか、
の役割的な行動をしないといけないってなると思うんだけど、
そういうところはどうだった?
いやまさにそうで、
そうなんだよね。
ただね、店長の時は、
そう、店長の時もね、それをやっちゃってて、
その自分が割とピークタイムとかは、
もうプレイヤーで結構ガンガンやって、
みんなも盛り上げて、
だけど、みんなの主体性を奪わないように、
そこはいい感じで引くとこは引いて、
っていう風に店長の時はやれてた。
で、マネージャーになっても、
結構いろんな店舗を見るから、
いろんな店舗で自分が影響を、
いい感じで及ぼせるなっていうところを結構ピックアップして、
いろんな店舗回ったりして、
あとは、人の管理みたいな、
人のマネジメントは好きだったから、
割とそこに集中して、
で結構そこが機能してると、
自然と売り上げがついてくるっていう、
流れができてたかったさ。
あと人をどうしたら、
この人ここの店行ったらうまくいくんじゃないかとか、
人を移動したり、
そういうのもあって、
マネージャーの時は本当に面白かったのに。
あー、そうね。
それでもめちゃくちゃ面白いな。
確かにマネージャーのスタイル的なのって、
いろんなものスタイルがあるんだろうなって感じてて、
その中でも、
鉄さんは、
自分の影響がうまいこと及ぶところを見極めたりとか、
そもそも人に対する思いとか熱があるから、
そこを元にお店の売り上げを上がるようにしてた。
結局そこで働く人のモチベーションが高い方が、
直接的ではないかもしれないけど、
絶対に売り上げにつながる部分みたいなのがあんのよ。
ほんとね、そうなのよ。あるのよ。
だからそうか。
自分の向いてるところとか得意なところを生かして、
マネージメントをしてたってことや。
それだわ。それですわ。
気づいた?今。
そう、マネージャーの時はそれができてたんだよね。
で、みんなとの信頼関係ができてれば、
結構自分が得意なことで、
みんなにもお客さんにも貢献できてて、
自分が苦手なことはみんなができるから、
それがそれでやってってみたいなのが自然とできてて、
これがうまく作れてたんだけど、
だからすごい楽しかった。
うーん、なるほどね。
飲食業からコーチへの転身
途中倒れちゃったのは、
シンプルにハードワークすぎたってこと?
そう、倒れたのは、
ハードワークしちゃう、
ちょっと癖があって、止まれない癖があって。
ありそうだね。
疲れないんだよね。
ほんと単純なんだけど、
もう頑張らなきゃとか、
そういうのであると、
そこに行っちゃって止まれなくて、
倒れたことでやっと、
治療のタイミングで一回止まったっていう。
そうそう。
救急車で運ばれてるのに出血して、頭から。
帰りに行こうとしてたからね。
酔っ払う。
仕事のことしか考えてないみたいな。
そうそう。
それはそれであんまりまずいし、
だから強制的に、
年に一回ぐらいは倒れるみたいな、
のが序盤はあったんだよね。
なるほど。
その時の社長が結構見てくれてて、
いや、もっとサボんないととか、
武器と心が大事だからって、
すごいずっと言い続けてくれて、
それは結構ありがたかったですね。
理解のある社長っていう。
いや、ほんとにそうだった。
その後、人事に変わってからの、
マネージャーと違って、
やらされてる感というか、
やらなければならない感になっちゃった。
マストな状態になっちゃったっていうところが、
あったっていうところで、
マストになっちゃった、
ハフトゥーになっちゃったのは、
何が一番のマネージャーの時との違いなの?
いや、ほんとそうなんだよね。
なんかね、ハフトゥーになっちゃったのは、
それちょっと、
マネージャーの時に実は、
やっぱり人に対しての、
特化してやっていきたいと思うのが強くて、
だからマネージャーを降りて、
社内コーチになりたいっていう提案を
社長にしてたんですよ。
で、僕の意図としては、
やっぱりマネージャーだったり、
実業を引っ張っていきたいっていう人はいるし、
それが得意な人もいると。
僕はその人も含めて、
その人たちが力を発揮できるように、
伴奏していくことをしていきたいと思ったから、
もっと第三者的に関わりたかったんだよね。
社長にそのプレゼンをしたんだけど、
なかなか伝わらなくて、
いや、マネージャーのまま?
役職があるから、みんなテッチャーの話聞いてくれるんだし、
権限を失わない方がいいよってなって、
その辺から、
ちょっとずれ始めちゃってた、実は。
マネージャーの時から、
マネージャーやらせてくれてるのも嬉しいし、
やりがいもあるし、責任もある。
だけど、それを手放して、
そういう人たちを貢献したいとか育てたいとかいう、
自分の思いと、
あったまま、
でもやっぱりもう、
僕はコーチングやりたいんだ。
もしかしたら会社を辞める必要があるのかもしれない、
って思いのまま、
人事に行ったんすよ。
人事に行った時に、
もしかしたら社長は気づいてたかもしれないですね。
あの人だったら。
じゃあ、てっちゃんがやりやすいように人事というフィールドに来たよ。
だけどやっぱり人事は人事で問題あるし、
人事の中でやらなければいけないことが当然あるから、
いやもう、コーチングはいいけど、
まずはこっからでしょ、みたいな話に当然なって、
なんかね、やっぱ苦しくなっちゃって、
それもわかるんだけど、
でも、やっぱりもうちょっと俯瞰して、
もちろんその人事で必要な人は採用して、
その上で、もうちょっと全体の人に関わりたいんだって思いが消えなくて、
退職の決断
でもそれを揺るげない雰囲気というか、
言うと、いやいやハフトゥーが来るわけで、
この感覚が、ずっとあったままやってた時に、
あるタイミングでちょっとやる気っていうかエネルギーが枯渇しちゃって、
そう、これは結構苦しかったっすね、去年なんだけど。
確かにな、手前がそうじゃない状態が20年くらいあった。
無限にもう、湧き出てきたっすね。
その状態から急激になんか違う状態になっちゃって、
それが言うたら初めてみたいな。
なんでこんなに出てこないんだろうってなったんや。
まさに、ダブルできつくて、
なんていうか、実際に苦しいってこともそうだし、
あと自分に対しても苦しいんだよね。
頑張れない、頑張りたいって思いはあるんだけど、頑張れないっていう。
この頃なんかダブルでちょっと辛い時期を、
割と直近の1,2年くらい過ごしてて、
ある日、なんかたまたま小田原で海を見てたら、
海に月の光が夜で反射して、
海で月の光が照らされて自分が、
内面を照らされちゃった感じで、うわーって感情が出てきて、
ダメだ、もう辞めないと。
で、社長にそのままメールを送って、
辞めます。
これで辞めましたね。
なるほどね。なんか最後までドラマチックやな。
ほんとだよ。
リアルなんだよ、これ。そうなんすよ。
なるほど。最後、社長、前職に
社長とはどういう辞め方というか、
そのメールを送って最後終わりに。
ああ、そうだね。社長とは、やっぱ何回か会ってくれて、
で、やっぱちょっと僕としては、
意思はあるんだけど、このまま頑張れないと。
自分の状態もあんまり良くないから、
このままやっていけない。
体が思うように動かないし、気持ちも入らない。
だから、そしたら、
今とりあえず休んでいいから、
すぐ辞めるって決断するのもいいけど、
1回ちょっと何回か、週1ぐらいで会おうかとか。
で、そこから週1ぐらいで会ってて、
会うたびに、僕としては辞める意思はあるし、
でも社長は割とどういう関わりだったら残れるのかとか、
結構そこは真摯に向き合ってくれたんだけど、
でも最後の最後はもう辞めます。
っていうふうに言って、
もうパッと辞めちゃったっていう感じですね。
なるほどね。やっぱすごいわ。
すごいな。
その社長さんもすごいなって思うし、
そこまで引き止められる。
強く引き止められてるわけではないかもしれないけど、
なんとか残ってほしいなって思われる人材だったのもすごいな。
これはマジで。
ありがとうございます。
それはね、本当嬉しいし感謝してて、
あんまり引き止めない社長なんですよ。
だけど本当にその時ちょっと悲しそうだったんだよね。
それはちょっと胸が痛んだんだけど。
いやーすごい話が聞けた。
これはいい話だわ。
ありがとうございます。
ちょっと前編ここで終わりにして、
後編はちょっと知られざる徹さんを聞いていきたいなと思っているので、
いいですね。
いったんここで締めましょう。
じゃあ前半ここまででありがとうございました。
ありがとうございました。
20:07

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