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和田おはまです。今日は、自分の当たり前は、当たり前じゃないというお話をしてみたいと思います。
最近よくですね、毒親とか、親との関係に悩むみたいなことを、ワードとして聞くんですけれども、
私のところはですね、母親が結構、なんていうのか、すごい感情的な人で、
結構ですね、気に入らないことがあると、1ヶ月ぐらいですね、家族の誰とも口を聞かなかったり、
ということがありました。なんて言うんでしょうね、本当に感情的になっちゃうと、父親はもちろん、娘である私たちも、
手がつけられないという感じで、精神的にあまり強い人じゃなかったんだろうなって思います。
今でもすごい嫌だったなって思うのが、大晦日になると、紅白歌合戦が始まるような時間になってから、
掃除を始めて、あんたらのせいで、また今年も紅白がちゃんと見れへんかった。
私はもっとゆっくり紅白を見たかったのにっていうのを、毎年その下りがあったんですね。
それを聞くのが嫌だから、一生懸命大晦日にお掃除を手伝ったりとかしても、結局私たちのやり方は気に入らないから、
自分でまたやって、最後その下りを言うっていう感じで、今私が大人になって思うのは、
彼女は逆算するとかいうのができなかったんだろうなって思うんですね。
紅白をゆっくり見るためには、1週間前にはこれをやって、3日前までにこれを終わらせてっていう、
逆算することができなかった人なのかなって、大人になった今はそう思うんですけど、
子供の時はそういうのも分かんないから、何でうちの母さんはこんなにすぐ聞きにくいのか、
何でうちの母さんはこんなにすぐ機嫌悪くなるんだろうって思って、それで大人になりました。
私、今の主人と再婚して、もう5年半ぐらい経つんですけど、
再婚した当時、すごい衝撃的だったのが、夫の実家って全くそういうのがないんですね。
夫のお母さんも、今は施設に入っているので、なかなかちゃんとお話はできないんですけど、
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夫が言うには、感情的に物を言うとかいうことは子供の頃からなかったっていうことで、
友達の家とかに行って、よそのお母さんってこんなにガミガミ怒ったりするんだっていうことを初めて知ったっていうぐらい、
感情に任せて何かを言うっていうことが全くないっていうことでした。
なので、夫もそういうことは全くないですし、もちろん機嫌悪くなったりとかはしますけど、
それですごい大きな声を出したりとか、そういうことは一切ないですし、
夫のお兄さんとかを見てても、全くそういう感じで常に穏やかなんですね。
で、それを見ていると、特に子供の頃って自分の家しか比べるものがないので、
自分が育ったところが当たり前って思って大きくなっていくんだと思うんですけど、
やっぱり当たり前の基準自体が本当にそれぞれ違いますし、
大人になってからも、いろんな尺度っていうのは物差しですよね。
そういうのも全部人によって違うんだなっていうのをすごく思います。
それに気づくっていうのは、やっぱりそういう人との違いが分からないと比べようがないので、
そういう意味では大人になって、いろんな価値観に触れたり、いろんな人と分かり合ったりするっていうのはすごい大事かなって思いました。
なので、私の親がいわゆる毒親だったのか、その辺はもう私も分からないですし、
昔はだからすごい自己肯定感が低かったっていうのは、そういうところもあったのかなって思うんですけど、
でも私の親ももう亡くなっているので、今更それを明らかにするよりは、
これから自分の子供とか自分の家族に対してどういうふうに接していったらいいのかっていう、
結局うちの母親の場合はどうしても反面教師っていう形になると思うんですけど、
自分や自分の周りの人が心地よくいられるためにはどうしたらいいのかっていうのを大事にしていきたいなっていうふうに思います。
ということで、今日も最後まで聞いていただきましてどうもありがとうございました。