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和田おはまです。今日は、言語化するって、大事というテーマでお話ししてみたいと思います。
私はですね、昨日、今所属しているイージークマというコミュニティのフォローアップ講義というのがありまして、今回はその人間関係ということをテーマに、実際にメンバーさんがそれについて発表するというのがありました。
お二人発表されていて、ちょっとまたブログでも書いてみたいと思うんですけど、そのうちの一人が床丸さんという方でですね、早速その講義が終わった後に、こんな感じの発表だったよというのをご自身のブログで書いていらっしゃったんですけど、
その発表自体もね、本当に何でしょうね、床丸さん自体がもう哲学者かみたいな感じですごい面白かったんですけど、そのご自身のブログの中でですね、カントっていう哲学者のことについて、分かりやすく解説したYouTubeの動画のリンクを貼っていただいてて、それを見たんですけど、それもすごい面白かったというか、なるほどなっていう感じでした。
いろんなことを言っている中で、私がすごく印象に残ったのがですね、例えばですね、なんかこの人好きだなとか、今日はここに行きたくないみたいな、そういう自分の意思っていうのは確かに存在はするんですけど、
例えば、なんかこう目の前にヒヨコがいるっていうのは、ヒヨコという物体を知っている人が見たら、みんな共通の認識なんですけど、その今自分が現在こんなことを思っているとか、なんかね過去のことを思っているとか、そういった意識を持っている人がいるんですけど、
自分が口で言わない、自分が言語化して言わないと、誰にも伝わらないっていうのが、言われてみれば確かにそうなんですけど、なんかまあ女性によくありがちなのは、なんで私の気持ちわかってくれないのとか、なんかそういうふうに言ったりとか、そういうふうに言われてみれば確かにそうなんですけど、
実際にね、やっぱりそれってこうなんでしょうね、その察してもらうことっていうのは本当に難しいというか、まあ多分不可能なんだろうなって思います。で、さらに、あのやっぱりね、なんかその自分のこう、まあわかりやすい怒っているとか、なんか腹が立つとか、なんかそういうふうに言われちゃったりとかするんですけど、
なんかそういうのって、何でしょうね、じゃあ実際何に対してもやもやしているのか、なんとなく腹立っているとか、なんかそういう感じが出るようになると思うんですよ。
自分で認識できるとしても、なんとなくムカムカするとか、ちょっとモヤモヤするみたいな、なんかそういうのって何でしょうね、じゃあ実際何に対してモヤモヤしているのか、なんとなく腹立っているその先に、自分は結局何を思っているんだろうみたいなのって、なかなか自分でも言語化できないところっていうのは結構あるんじゃないかなって思います。
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よく最近聞くのは、ノートに自分の感情とかを書いていきましょうとか、いろんなやり方があると思うんですけど、やっぱり言語化するっていうのは、ある日突然できるようになるわけじゃなくて、やっぱり自分の感情を丁寧に拾ってあげるとか、それを分かりやすく相手に伝える努力をするというか、
すぐにはできなくても、ただ単に腹立つっていうのを伝えるだけじゃなくて、私は本当はこうしてほしかったから、こういうふうにならなかったことに対して私はすごく腹が立ったとか、そういうのを相手に伝えることで、やっぱりその辺で人間関係っていうのはかなり変わってくるんだろうなって思いますし、
その辺のアウトプットっていうのは、やっぱり私は今ブログを書いたりとか、スタイフで喋ったりとか、そういうのがある程度はそれが練習になっているのかなと思います。
とは言ってもね、どれだけできているかとかわかんないですし、なかなかここまでできればいいとか、これが正解っていうのはないですし、何よりもやっぱり本当の自分の気持ちをそのままこれですって出すことはやっぱりできないので、
ただやっぱり自分が心地よく生きていくためには、やっぱりその能力っていうのは自分が磨かなければ誰も代わりにはやってくれないですし、本当にちっちゃな赤ちゃんって、なんかただ泣き喚いたり、あとちっちゃな子どもとかもうまく自分で言葉にできなくて、とりあえず怒っているとか暴れるみたいなのがあったりするんですけど、
やっぱりそういう言語を操れない、本当に幼い時と大人の違いっていうのはやっぱりそこの言語化能力なのかなって思うので、そのあたりをね、私も自分の感情を丁寧に見ていくとか、そういうことをさらにやっていきたいなっていうことを思いました。
ということで最後まで聞いていただきましてどうもありがとうございました。