キクハマ盆踊りの始まり

近藤淳也のアンノウンラジオ

こんにちは。こんにちは。

今日のゲストは、永谷咲子さんです。

こんにちは、よろしくお願いします。よろしくお願いします。

あれ、なんか静かな挨拶ですけど。
このアンノウン京都がある五条楽園といいますか、
菊浜エリアで、だいぶ昔から地域に入って活動されている、地元ではさっこさんと皆さんが言っている人が多いですね。
さっこさんこと永谷咲子さんです。よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

だいぶ前から是非と言ってたんですが、ついに実現しました。

もう少しご紹介しますと、五条モールという施設というかがあって、そこでエデンっていう、あれは居酒屋。居酒屋かな。
をされているということですけど、自己紹介をお願いしてよろしいでしょうか。
永谷咲子です。五条モールの代表をして、五条モールの中でエデンっていう居酒屋をしてます。
あともう一個、梅雨さんから20メートルぐらい下がったところ川沿いに、高瀬川沿いに、あかり商店っていう、たちのみのような雑貨販売もちょこっとやってるお店も、そこは共同でやってるんですが、私が代表をさせてもらっててやってます。

そんな咲子さんですけども、さっき衝撃の登場の仕方をされていて、いきなり骨折ったわって言って現れたんですけど、何をしたんですか。

掃除、掃除をしてて、繰り返って、打撲して、右肘を多分ひびが入ってます。
よくあります。
よくあるんですかね。

ちょっとね、そんな大変な時にわざわざ来ていただいて、ありがとうございます。
最近は、何がホットトピックですか、咲子さんは。

今年の9月3日に菊浜盆踊りをまた再開するんで、それがホットトピックですね。早く自治連合の皆さんと会議しないといけないんですけど、全然できてなくて、と思ってます。

菊浜エリアの盆踊りを立ち上げた人ですか、咲子さんは。
もともとあったとかっていうわけでもなくて。

全くなかった状態で、ずっと盆踊りが好きで、あちこち踊りに行ってて、やりたいなと思ってて、五条網路の前の道路を封鎖して盆踊りやろうかなと思って。
何年か前から菊浜自治連合さんに盆踊りしたいけど、場所がない、運動場は貸してもらえないみたいなことを聞いてて、じゃあもう五条網路の前を封鎖するとか、公民館を借りて公民館の中でちっちゃくやるとかっていうのを思ってて、公民館貸してほしいって言って。
ここの菊浜自治連合っていうのがあって、そこの団長会議っていうのがあるんですよね。各消防団とか、いろんなそういう団があって、それの団長会議に挨拶に行こうと思って。
で、自治会関係の人らに話ししてたら、ふっと向こうが、さこちゃんも運動場を借りるように俺が下町交流館の館長に言うたし。え、言うたんですか?って。
会長さんが、梅川会長さんがやってくれはって、だからさこちゃんもやりって言って、え?って。もう今7月ですけど、やりますって。
キクハマ盆踊りの成功と進化

それで、門が立つから、菊浜盆踊り実行委員会を立ち上げて、会長は上村さんっていう方。川、この高瀬川保障委員会、菊浜のエリアの会長さんやってらっしゃる方で、
上村さんを長に添えて、私が副になって、ほぼそこから2ヶ月、私が一気にやっつけてしまって。
そんな経緯だったんですか。じゃあでも、共感してくれて、話しつけてくれたってことですよね、運動場のことは。

あれは2019?何年でしたっけ?

コロナの前の年やから、2019かな。ですよね。うん、たしか。

でも、もともとなかったっていう割には、すごい盛況でしたよね。

ね、300人ぐらい来てくれさって。
ろうにゃくにゃくにゃんにゃ。

いろんな方が来て、もう20、30ぐらいになって踊ってたんで、どんどん盛り上がってるお踊りって感じでしたけど、大成功じゃないですかね。

自治会の人らの協力なしにはね、絶対進めないんで、すごいあれは。
ヤグラ立てたのも自治会の中の人が、足場立ての会社をやってらっしゃる方で、もうさんっていう人で、足場どうしようみたいなこと言ったら、もうさんに言ってみたらどうやって。
もうさん捕まえて、もうさん足場がない。お前が組むんやったら、手伝うんやったら、組んでもええぞって。
ほら、組むって。で、一緒に組んでもらって、もう機材全部タダで貸してくださって、もうさんが。

すごいですね、そうやっていろんな人を巻き込んでいって。

で、ちょうちんもないって言われて、方園学区の仏子おじさんが盆踊りをずっと何年かやってはって、盆踊りのちょうちん持ってるの知ってたし、仏子おじさんの太刀の佐々木さんって方がいて、お寺さんの方で。
で、佐々木さんに、ちょうちんがないんですよね。
貸してほしいんですけど、って言ったら、ええよって。
で、借りに行って、で、方園学区って書いてるちょうちんがちょこちょこ見えてた。

あ、そうか。

そうなんですよ。

まあ、それが第一回。
第一回。

で、今年はもうヤグラを組まずに、菊浜の町の中で灯篭流しっていうのを、また覚えてある。
あれの灯篭を、子どもたちが絵描いて毎年灯篭を作って、正方形のやつ、あれを地面に円形に並べて、で、それで盆踊りのヤグラ代わりにしましょうかって。

運動場で?

運動場で。2017年か18年ぐらいに、立成小学校がホテルの工事前に、盆踊りを復活させたんかな。
なんかなんかやってはって、で、そこも地元の人が灯篭を作って、地面に丸く置いてやってはって、で、それもすごい情緒があってよかった。
だからそれと同じ形で、今年は開催。
で、自治会の方から、もうやっぱ高齢化がすごい進んで若手がいないから、そういうのを、一つの祭りを合併、合併、二つか、二つを合併させて手伝ってほしいっていう案が出たんで、それに変えた。
今年のキクハマ盆踊り

どこかと一緒にやるってことですか?

ここの町の中の灯篭流しと盆踊りを合併させようって。

なるほど。
楽しみだな。
そういえば紹介するの忘れてましたけど、今日もアシスタントは牛島さんです。
牛島さんも浴衣を着て2019は踊ってましたね。

踊ってましたね。

僕はカメラマンをやってましたけど。
いくつかね、写真を見せてもらって。
あのときはなんかね、いろいろみんなで若い人が手伝ったりとかしてね。
それがじゃあ今年の9月にやって、結構準備は忙しいんですかね。

まだ会議ができてないから、焦ってるとこです。

コロナでできなくて、一回なんか五条モールの部屋の中でやってましたよね。

やってました。

一部屋の中で踊ってどういうことって思って行ったら、なんか部屋の中ぐるぐる回ってる人たちがいて、なんじゃこりゃって思ったんですけど。
でもあの部屋が今度エデンになるんだよね。

学生にして。

そっちの改装は順調ですか。

ちょっとね、怪我が心配ですけど、作業がどうなるか。
ちょっと作業止まりましたけど、25日に再開ですよね。

決まったんですか。

25日です。

エデンが再開。

エデン再開します。もう来週。
早っ。
あっという間。
そうなんや、25日。
今日しようと思ってた作業が何もできてなくて。

確かにね。
僕も25日にリッスンの正式リッスン目指すかな。

私会員になりましたよ。
本当ですか。
登録しました。

ありがとうございます。
早いな。
すごい。
ちょっとエデンのことも教えてもらっていいですか。
はい。
エデンとは。

エデンは今ちょうど10周年を迎えようとして。
10周年で。

いつですか。

本当は4月に10周年を迎えたかな。
いつだったかな。
ちょっともうおぼろで。

いつだと思ってました。

正式にいつだったかな。
でも9月に10周年をしようと思ってて。

そうなんですか。
めでたい。

五条モールっていう建物を
その時は何人、高西さん4人で出資し合って
運営しましょうっていう
ので立ち上げたんです。
その時にこの町でも今山内財団さんとかの仕事してる
何だっけこの名前。
右尾役とかいろんな方が入っててチームに。
やってて何年前かな。
4、5年前にみんながもう
あんまり五条モール自体の運営に関わることもほぼなかったんで
もう抜けてしまって私一人になって
でも私はずっと一人で五条モールを残って
いろんなことを新しい入会者の人が入ったらして
抜けたらまたみたいなのをずっと繰り返して
でコロナが始まってだいぶ長い間休んでる間に
私がもう五条モールの建物自体を買い取りをして
で今私がオーナーという形で。

菊浜の中に五条モールという
あれは何って言ったらいいんですか、町屋?

町屋福岡文化施設。
町屋福岡文化施設って言ったんですか、初めて知った。

がありまして、もともと何人かで所有してたってことですか。

そうです。家賃借りて、それこそ八瀬さんに
大屋さんで借りてやってたんです。

そういうことですね。
っていうのを作子さんが買い取って
でその五条モールという建物の中にある居酒屋さんがエデンなんですよね。
五条モールの買収と事業拡大

そうです。
で隣の部屋と今くっつける工事をされていて。

壁をぶち抜いて横に広げて
大きなテーブルを一つ入れて
そこで大人数が座れる形に
今まで5席しかなかったんで
もっと人が入れる店にしようと思って買えたんです。

事業拡大ですか。

はい。

大変だね。

大変です。

大変ですか。それを一人で回すんですか。

回せるのかな。

大人数来たら断るけど。
すごくね、なんか雰囲気のある居酒屋さんで
僕と牛島さんが会ったのは多分エデンが最初だったと思うんですけど
なんて言ったらいいですかね。
とりあえず一回行ったらってみんなに言ってます。
この辺、五条楽園とかどこかオススメですかって言われたら
一旦まずエデンに挨拶に行ってくださいとか言って
五条楽園の母がいるんで

いやいやいや、横川橋みたいな。

一旦そこへちょっと行ってみてください。

五条楽園の母は八千代さんじゃないですかね。

その辺ちょっとわからないですけど。

いろんな母に守られていると思うんですけど。
でも5席なんで、グループというか何人かというかだとあんまり行けないし
一人二人でちょっと面白い店って言われたらちょっとオススメいつもしてるんですけど
そういう人も来ます?新しく始めて。

結構あかり商店で来てくれた人たちが
うちのことは言わなくていいってスタッフさんたちにも言ってるんだけど
でもあかり商店を調べてるうちに
うち五条モールを見つけてエデンを見つけて来てくださったりとか
ですね。

なるほど。
じゃあもうちょっと振り返っていきたいんですけど
なんでこの菊浜エリアに関わってるんですか?

私も逆に聞きたくて
古い建物を改装工事せずにこのまま使おうって言い出したのはきっと八千代さんですか?

いつの話?どこの話?
古い建物を使わずに?
壊さずに。
アンノウのこと?使ったらどうかって言い出したのは八千代さんか?
建物ありきっていうよりは
京都の市内で宿とコアキングの複合施設みたいなのをやりたいねっていうのを
エンジョイワークスさんと八千代さんとうちで喋っていて物件を探していたところ
今のアンノウの建物が見つかったのでこれはどうだってなったんですけど
その時点でそもそも壊すなんていう

3社全部リノベーション系の会社じゃないですか

だからそんな新築立てるっていう発想がそもそもなかったと思いますね

八千代さんが街は壊し始めたらちょっとびっくりしますけど
ちょっとイメージと違う
多分きっとこの町の古い建物を存続させたいっていうので始めたっていうのが一番ですね

さっこさんが?なるほど
でも古い建物は他のエリアにもあるじゃないですか京都の中で

私子供がすぐそこの高瀬保育園に行ってたのと
自分が河原町五条の角でずっと飲食をやってたんで
ここの町は毎日通るルートですごい情緒のある町
その頃はこの町がまだ五条楽園って現役で言われてる町で
それが2010年に摘発されてしまって
もう10年前だから行っていいと思っててこの話は
10年どころじゃないのか

13年前ぐらいですかね

で摘発されてしまって
お茶屋免許みんな返戻したのかな
多分そうなんだったはず
さらちになる物件とかも出てきたんですよお茶屋さんが
そのさらちに通売法の家とかが建つとちょっと悲しいなと思って
地元とは違う京都で農業を始める

こんな素晴らしい建物がさらちになるとか駐車場になるとか
なんとかしたいと思って
モデルの一つとして五条モールっていうのを立ち上げようってなって
物件を色々探してるうちに
魚谷くんが八瀬さんの方と話してくださって
五条モールを見つけてくださった

そうなんですか
じゃあ元々このエリアの建物をなんとかしたいっていう気持ちがあったってことですか

狙い撃ちです

それはあれですよね地元とかでは別にないんですよね

全く地元じゃないです

地元はどこなんですか

香川県です

で京都は

京都は何年住んでるんだろう
20、30年弱

なんで京都に来たんですか

大学が京都だったんで
で就職そのままして
結婚して
で今に至る

そういえばそういうのあんまり知らないですけど
どういう仕事してたんですか

私大学の先生がやってた
生協みたいな会社があって
そこの会社で働いてて
そこが食品卸しとか製造もやったり
配達
二トン車で私配達回ったり
無農薬野菜のそういうのも扱ってたんで
日曜日とかに
伊賀上野とかあっちのほうまで
トラックで回収に行ったり
園出場で回収に行ったり

農家さんの無農薬野菜とかを回収に行って
京都に運んで売ったりしてたってことですか

多い時1日100キロぐらい運んでて

なかなかたくましい
体使う感じのあれですね

その流れがあるから
あかり商店で商品日曜日扱うようなことができたらなって
思ったんですけど
甘くはないですね

じゃあそういうお仕事をしたくて
製薬業の仕事をしてたってことですか最初

最初はそもそも農家になりたかった
高校卒業して
自家が農家だったこともあって
どっかで農業を携わりたいなと思ってて
でも無農薬で農業がしたいって
実家に言ったら
無農薬で農業をやるのはこの田舎ではダメって言われて
農業は都が好きないからって言われて
じゃあ帰らないと思って

実家に戻って実家の畑で無農薬農業をやろうとしてたんですか
ダメっていうのは

農薬を使わない畑って
やっぱ虫が発生しやすいんですよ
そしたら自分ところだけ発生するんじゃなくて
お隣にもうつる
どうしても近所から怒られる
おたくんところが農薬使わへんから病気が発生してる
農薬使わずにするっていうのは
あの時代はまだまだ30年前だから
無農薬なんてまだまだの時期だって
そこでやろうとするのは難しくて
京都でどっかで就職したいなと思ってて
音楽活動との並行

なんかないかなと思ってたらたまたま
大学の先生がやってるところが無農薬とか
野菜をやるって書いてあったから
行ってみようかなって

そうなんですか
でも大学出て無農薬の農業をやりたいって
そういう専攻ではないんですよね大学は

専攻がそうだった
農業だったんですか

そうなんですか

それは一貫してるんですか
大学で環境学をやってたから
大学の最後の2年間の時は
もう1年の半分くらいは全部無農薬でやってらっしゃる
日本の農家を渡り歩いてた

そうですか
じゃあ実際いろんなとこ見て
本当にやられてる様子とかも見た上でだったんですね

バックパッカーインジャパンみたいな

そうですか
それでじゃあ無農薬を扱う仕事に就かれて
でもそういうにとんとらく運転してやってて
どうなったんですか

すごい勉強になりました
無添加食品とか
オーガニックっていう認証が
いかに脆い認証であるかとか
すっごい勉強することもできたし
いかに自分が未熟かっていうのも
あの時代に学んだし
25、6、7とか
ほんまに自分がいかに愚かだったかって

モテたんじゃないですか

モテません

そういうとこじゃなくて

それと並行して音楽をずっと好きでやってた
同級生が結構農家に就農する子も多いけど
作耕せえへんの
私メトロ通いたいしな

メトロに行ける範囲でっていう制約が付いたんですか

たくたくずっと暮らえべきたいしなとか

音楽やってたって自分でもやってたんですか
自分でブッキングしてさせてもらったり
何をしてたんですか

10得でブッキング組んでライブ回すとか
たくたくとかメトロさんとかも借りたりしたり

ライブ回すってどういうこと

自分で呼んできてブッキングして
それで企画持ち込みでさせてもらう

そういうことですか
自分で演奏とかじゃなくて企画屋さんってことですか
そんなことしてたんですか

だから仕事が休みの日はすべてライブハウスに行くみたいな

じゃあさっこさんが企画したライブイベントっていうのは結構あったってことですね
知ってた?

知らなかったです
初めて聞きました

どういうジャンルの
フォーク

でもいろいろ何でもいいし

京都の人ですか

いろいろ
そんなこともあって
うち一緒にやってた別れた夫も出会って
別れた夫は兄弟の吉田寮食堂ライブをずっとやった
五条楽園の立ち上げ

吉田寮

あそこでうろうろしてた人で

なんかすごいぐちゃぐちゃのっていうか
僕も吉田寮のライブは行ったことありますけど
ぐちゃぐちゃっすよね
あれを企画してた方だったんですか

そう

だから多分かぶってる
同い年ですもんね

うちの別れた夫は2つ上
でもそれはもしかしたらかぶってる

ちょうど

なんか言ってたかぶってる

そうなんですか
1998年ぐらい
僕94年入学なんで
96年に中退してるんで

2000年に中退したのか

じゃあもうストライクリール時代
ですね

そんなところに共通点が

そうか

それで
出会って
今この五条楽園に来る前にさっき言ってた
古道具屋から飲食店へ

五条河原町でやってたお店で
毎週ライブを組んで

そうなんですね

それで音楽やってる人たちに
友達がつながりが結構あって

それはなんていうお店

それがハライソっていう
細野春尾美さんのアルバムで
ハライソっていうのがあって
回転する
どれぐらい前かな
半年ぐらい前か1年前に
西武高等に
細野さんがライブに来てて
それを見た時に
ハライソっていう歌を張って

ハライソって決めた

ハライソっていうのは
楽園っていう意味で
多分日本語的には
パライソ
けど明治ぐらいまでは
パピプッペっぽい表記が
書物上はない
だからハライソって表記で
言われてたらしくて
それが本当なこそなんかは
民族学的に私も
そこまでつけつめてないから
分かんないんですけど
でもハライソとして
五条楽園に来て
楽園つながりで
エレって
ずっと楽園を作ってきてる

本当ですね
確かに
五条河原町のどこにあったんですか

今もしも屋さんになった

それがもしも屋さんになったんですか
そんなライブできるほどの
広さありましたっけ

奥がね深い

そうなんですね
入り口はね結構狭く見えるけど

いまだに覚えてるのが
吉田少年くんって
くるりのメンバー一時期
彼がライブしたときが
もうあふれるばかり
彼のバンドにファンファンもいたんで
ファンファンちゃんも
彼女もずっと最近までね
くるりの後ろで吹いてた

だからもう人気がすごかった

立見やけどギューギューとか
なんかシークレットって言われてたんで
松本隆さん
ダンタンのお兄さんのライブとか
あったり

それも全部作家さん呼んでくるんですか

それはなんか場所貸してくださいって
松本さんの方から言われて
間に入ってる人がいて
どうぞどうぞって
でもシークレットでって言って
お客さん5人とか
何がしたいんですかそれは
日曜の昼間で

シークレットすぎる気がする
もうちょっとお客さん呼んでも
12人くらいいてもいいかな

あそうですか

謎のライブでした
そんなにいっぱいいました
ゴンジチさんとかもあったし

なんかご縁があっていっぱい色んなライブが
それは何年くらいの話ですか

10年前かな
エデンが10年やから

ほんまにスライドした感じなんだよ

そうですか

でその時は

そのじゃあその野菜の仕事はもう辞めてるんですか
もう辞めてその時すでにもうだいぶ経ってた

その隙間は何してたんですか
育児ですか

育児です

なるほど
出産があって

出産子育て20年くらいはもう

家にいるというかそんな感じの生活して
その後ライブハウスを始めたんですね

でも下の子が生まれた時に店を立ち上げ
下の子がもう18歳なんで
18年前くらいですね
20年前くらい

すごいな
でその中はやっぱり古い感じですか
もうだいたいさっこさん好きなのはそういう感じなんですか

そうだいたいそういうちょっと

いつからそれは子供の時からですか

そう子供の時から多分古いものが好きで
ちょっとレトロなものが好き
なんでなんだろう
それ前昔学生の時にも友達と喋ってて
なんでそういう古いものとかレトロなものみたいなのに
心が揺れるんだろうって
わかんないよねって
その友達もそうだったってことですか
やっぱ好きな子同士はこうね
だから結婚する前とかしてからもあるけど
大学卒業してから結婚してしばらくまで

ずっとベルボトムってラッパーになってる

すごい裾がこんなズボン履いて

それも古いものってこと
いろいろ10本以上持ってて

なんかちょっと古着ブームみたいな
昔あったような

私もお父さんのお下がりとか着たり
お母さんじゃなくてお父さん

お父さんの方がなんかおしゃれやったのか
ちょっとこうスマートな服が多かった

でも明らかに浮いてた

別に友達みんながそうだったわけでは全然ないってことですよね
世間とあまりにも浮きすぎてて
なんなんでしょうね
その古いもの好きの人たちっていうのは

なんでそういうのにノスタルジーを感じるのかがわからなくて

古い食器とか見るとちょっと買いたくなるとか

今ねアデリアとかレッドロロシェンがねまたリバイバル

なんでああいうのにこう
なんでしょうね

あとその新しいものが好きな人と何が違うんやろうっていう
生まれながらにそういう思考があるのか

なんかこうおいたちでそういう
それがそうだ完全に忘れてた今
その河原町五条で店をやる前に
数年間川端五条ちょっと向こう渡ったところで
古道具屋をやってて
古いもの好きで
うち別れた夫はレコード屋の店長をやってたんで
古道具市場につてがあったのが
で市場に買い付けに行って古道具屋をやってて
で飲食をするつもりは一切なかった
でもその建物の中にキッチンがついてきてて1階に大きい
でコーヒー出すビール出すぐらいはできたんで

でそこから飲食を始めて許可取って

で2軒目の店今のもしも屋さんになってるところが
物が古道具で物があふれすぎて屋が狭くなっちゃって
今もしも屋さんになってるところ結構大きい物件だったんで
しかも子供がちっちゃいから住居兼店舗でも行けるし
でそこを友達がやってたのを
抜けるっていうからじゃあ私借りるって言って

でなんか弾みで飲食になっちゃって

住んでたんですか?
生活とライブハウス

住んでたんです

住んでてライブハウスで子育てもしながらで飲食も始めたの

そう
そうなんですか

もしも屋になったのはなんで?

その払い相はどうなったの?
その払い相やってたら離婚することになって
別々になりわいするから
その時にもしも屋さんの彼女が
家を場所借り昔してくれてた時期があって
人柄もすごいいいしお料理も上手やし
で彼女に私らが辞めた後
ここ借りる再契約して借りたらどうやって
言ったら借りるってなって彼女が始まった

じゃあそこは作家さんがやってたわけじゃなくて
最初から今のもしも屋さんの方がじゃないですか?
私がやってて

最初はやり始めたんですか?

そう私がやってて

あの建物も全部私が作って
自分たちでDIY

作ってっていうのはDIY的な作ってですか?

本当に天井ぶち抜いて
天井抜いたり
カウンター1から作ったり
水道とガスとかは専門職の人にしてもらったけど
あとはほぼ自分たちで

すごい可愛い
急に家作り始めますよね作って
今もエデンの階層怪我してますけど
飲食店とライブハウスの歴史

いろいろやってますけど

その技術はどこで身につけたの?
ハライソの工事です

最初にライブハウス作る時に
その時自分でやったってことですか?
自分でやった

いきなり?

いきなり

どうしたんですか?
一緒にやってる
お願いしてやってた大工さん
素人の人が何人かいて
その人らが各自なんとなくできる人たちで

みんなでせーので一緒にやりながら
そうなんですか
それでやりながら身につけて
お店作ろうかって言って
飲食店作っていったんですか?
すごいな何かたくましいなやっぱり

センスがいい

すごい居心地がいい
懐かしい感じがする
居心地がいいですね
それでもしも屋さんが
作って初めて飲食を始めたってこと?

いや

じゃない?

もしも屋さんは忘れてもらっていいです

原井さんが飲食をやってた
そういうことですね
五条楽園への移住と感想

それを継いでもらってもしも屋さんになって
どうするんです?

私はエデンに

それでエデンですか
それはじゃあそういう

代替わりあそこはしたっていう

なるほど
それでいよいよ五条楽園に入ってきたってことですね

本当は並行してどっちもやろうと思ってた
こっちもあっちも
けど離婚したからいいタイミングなんでもと思って
私はこっちで

そういう感じなんや
じゃああれですね
野菜のところから入ってライブハウスやって
飲食を始めて

ライブハウスをやってたんじゃない?

違うんか

飲食店の中でライブをやってた
そっかそっか

その前が道具屋さんになって

でもその道具屋も腹いそで
場所を移転しただけ

そうなんですね

ずっと変わらず

なるほど
お店をやってて
子供のお国迎えで五条楽園を通っているときに
いい建物がいっぱいあるのに
これが壊されるのは忍び台となって
五条楽園に入ってきたっていうことなんですね
分かってきた

やっと分かってきた

すみません

いやいやいや
そうやったんですね
昔から五条楽園を知ってたんですか?

知らなかった
最初保育園に子供預けるのを探してて
そのときもこの辺りに住んでて
で、うろうろして高瀬保育園に子供を後ろに乗せて見学に行って
鴨川が見えるからと思って
フッと曲がって入ったら
こっから先は入ったらあかんってめっちゃ怒られて

誰に?
誰に?

誰なんだろうあれ
怖い人らに

町の人?怖い方に?

姉ちゃん今どこ走ってると思ってんや
みたいな
道?みたいな

道っすよね
こっから先は入っちゃあかんって言われて

ダメ、Uターンして戻れって言われて
すいませんって

あ、そうですか

え、それ10年…

20年前

あ、そういう時期あったんや

で、私京都の人間じゃないから
よくわかってなくてそのときも
あれ?と思って
で、そのとき住んでた町内がからすま五条に住んでて
町内の人らに東本願寺さんと高瀬保育園と迷ってたし
で、どっちも待機しないといけなくて
そのときに
でも私パートの仕事他に行ってたから
私立保育園に子供を一時期預けてて
したら高瀬保育園さんが
そんな私立に預けるんやったら
もう待機待たなくていい
無理くり入れてあげるから連れておいでって言って
入れてくれはって
すごい良い保育園で高瀬さんは
で、預けるようになって
で、町内会の人に
自分のところの大谷さんに
あんた結局高瀬保育園に子供やってんの?って言ったら
そうですって言ったら
わかってへんなーって言われて
え、なになになにって
なにそれ

からすま御所の方に言われたんすか
結構近いですよね別に
そんなに距離ないけど
そういう扱いというか
位置づけだったんですね

私がそこから次
川端御所に引っ越すときにも
あんた次どこ引っ越すねって言ったら
川端御所です
北か南かというか北側です
そうか、あんた京都の人間たちはわかってしないしなーって言われて

それ言われて
どんな感じなんすか

何にもわかんないしピンとこないし
はーってなる

何がダメなのかよくわからない

で、まあ通ってたらわかっていくわけですよ

だんだんね

それのときにどういう感情

でもやっぱ今もそうですけど
京都の人間じゃないから全然ピンとこないでしょ

そうですね
もともとの話はよくわからんって感じですね

何が何でそうなんなのかが
全くピンとこなくていまだに

ふーんぐらいの感じで
そういう感じなんですね

まあなんか住んでみたら別に楽しいというか

別にいい人いっぱいいるし
情緒のあるいい町だなーぐらいしか思ってなくて
わかんない

でもなんか家賃とかもこの辺は

本当に昔はすごい安かったよね

マンションとかむちゃくちゃすごい広いマンションなのに
なんでこんな安いのかなっていうぐらいなんか安かったイメージだった
なんとなく京都の人もあんまり来たことがない場所でもあったかもしれないですね

梅雨さんの横の今はもう変わっちゃってますけど
あそこがあったからゆえに抑止力になって
やっぱ不動産屋さんも簡単にはこのエリアには
っていういい意味でこの情緒感を

守ってきてこれてたんかなって思う
なんか事務所があってということで

不動産取引はほとんどその当時行われてなかったっていう話なんですよね

まあそうですけど
でもなんかそのまあわかってないなみたいなこと言われて
なんですかちょっとこういやそんなの気にしないよ私はみたいなので
逆に入っていってやろうみたいなのがあるんですか

わかってへんしなって言われて
え何が?みたいな
えなんかわかってない
まあいっかみたいな

まあでもそのねその保育園預けるぐらいはあるかもしれないですけど
その中にあえて自分で店を持って
自分が入っていって言ったらなんて言うんですか
今まちづくりみたいなことされてるわけじゃないですか
それってかなりなんて言うんですか
避ける避けないっていうレベルじゃなくて
入って自分がその中から新しいことやっていくっていうのは
全然またレベルが違うことだと思うんですけど
いやなんかそこのモチベーションっていうか
なんでそこまでしようってなったんかっていうのは

もうそれもすごい聞かれるんですよね
でなんかさっこちゃんは宗教やってんのかとか
ネズミ校かとか

みんな不思議があるってこと?
なんでそこまでやるのみんな

何でしょうね自分でもわかんない

その古いものが失われてきてほしくないみたいな

思いってことですか
こういう人がいても一人いてもいいんじゃない
って思うのがスタートかな
そしたらね今結構増えてるでしょ
この町にそういう人たち
そうやって池に石を一個ポチャンと投げた
いろんな形で影響が出てるんであれば
建物古いままみんなリノベーションして使うっていう

いいんじゃないかなって

すごいな優しいんですね

古いもの守りたいって人のためのことですからね

あれですね今ちょっと最近言ってないけど
八代さんの存在とかもだいぶ大きかったし

すごいお世話になったし
それはどういうところで

この町に入る窓口
絶対みんな八代さんに挨拶に行くし
行ったらみんな虜になるし八代さんも
確かに行ってはる人多いですもんね近くに
八代さんの独特な雰囲気とか
お客さんに対する接し方とかがほんまに京都やなっていう

優しい丸い感じ
結構エデンじゃあやることになって入ってきて
割と順調に立ち上がっていったんですか

全然ですよ全然です

どうなったんですか
当時ってだからそんなに新しいお店がどんどんできるような
状況じゃなかったですよね
女一人だったし怖いから夜はやってなかったんです

夜間営業しだしたのってほんとこの5年ぐらいだし
全然順調にいろんなことがいかないから空回りもするし
でもホテルができるとか
いろんなことが食べていけない時期ももちろんあったし
子供育ててないけど
養育費のこととかいろんなこととかもあったし
違う仕事もしつつこの街でやっていくのであれば
不動産の勉強ももっとしたいと思ったし
ホテルがどういう形で運営されていって
どういう形で立ち上がってっていうのも
アルバイトやパートに行って勉強させてもらって

宿泊の仕事されてたって言ってましたねそういえば

ゲストハウスを作る仕事を1年ぐらいさせてもらったり
40越えてからどこかで働くってなかなかない経験で
1からもう1回叩き直された感じでいい勉強になった

それがそのホテルの仕事っていうか
それもしてたんですね
地元の人とは?

ここの街の?
何も変わらず

わりとそこは最初から受け入れられてっていうか

だったんですか?
どうなんだろう
どうなんかなどう思ってんねやろ
聞いたこともないし特に何も

今やねだってモノドリ作りたいって言ったら
みんながそうやって協力してくれてるわけですから
少なくとも認められてるというか

嫌に思ってる人ももちろんね
いっぱい言いますよ私のこと
この前も近所のおばあちゃんに
あんたのこと嫌いやったわって言われたし

過去形なんやね

なんか言ってはったな

でも過去形なのは何か変わったってこと?

明かり商店にその人が今来てくださってて
ちょっと喋ってたら
そんなん言ってはったやん

そういうのもあるんや
でも来てくれてるしそうやって言ってくれるっていうのは
もう大丈夫ですね

京都の人はよくわかりません

そこはもうあれなんですよ

自分は京都人じゃないっていうポジションなんですね
わかりませんっていうスタンスなんですね
わかりません
いまだに京都の人はわかりません

僕もちょっとわからないですけど

京都の人が知り合いの人が少ないイメージがありますね

どういうこと?

京都じゃない人が京都に来て大学とかで来て

何かお店を始めたりとか

そういうコミュニティがすごい

このエリアでってこと?

そうですね
京都じゃない人の方が多いイメージ

でもそれで言うと
エデンを立ち上げた頃は
京都じゃないお客さんが8割
が今蓋開けてみたら

京都のお客さんが9割

県外の人の方が少ないぐらいになってきて
ひっくり返った

すごいですね
それはじゃあ10年やって
地域に溶け込んできたというか

やらしい人間になったんですかね

さんこさんが尖ってたみたいなのもあるんですか?
始めた頃は
店舗立ち上げの歴史

そういうわけでもない

でもそうやったと思います
尖ってた
苛立つことも多かったし

顔にも態度にも口にも出るし
うめゆさんが出てきたのはもっと後ですか?

うめゆさんが何年?

8年目かな?

私もともと原いそをやってた時に
うめゆさんのバンダイのバイトに入ってて
京都先頭部っていうサークルみたいな
社会人の人とか学生の人とかみんなで
京都のいろんなバンダイのサポートバイトみたいな
なんすかそれ

そんなのがあるの?

先頭部さえね

吉田レナさんって言って
今町屋専門の診断師かな?
資格を持ってらっしゃる建築の方でレナさん
レナさん今うちの図面おこしもやってくれてたり
うめゆのユトナミ社の階層工事もレナさんご夫婦がやってて
レナさんを中心に京都先頭部っていうのがあって
私は家が近いし子供もいたから
うめゆぐらいだったらいけるかなと思って
この町の人と顔つなぎもしたいと思って
うめゆのバンダイに入ってた時に
みなとくんもそのバンダイメンバーだった

そうなんですか
元々の今の体制じゃない
起業家の人脈形成

元々の体制の時にさっこさんとみなとさんがバンダイに入ってた

何人かいて私ら若い子
それこそ音楽やってる頃とか若い子たちで
いろんな先頭みんな掛け持ちしてたけど
私はうめゆだけで
みなとくんと私はうめゆのバンダイでよく会ってて
私がそのやってる最中に五条モールを立ち上げて
みなとくんが
僕いずれ先頭やりたいんですって話をしたって
まだ学生やったんかなみなとくんその頃
私がエデンを始めて2年目ぐらいの時に
みなとくん大学卒業して就職して
メゾンドキツネおしゃれブランド

シャツのね

あそこにみなとくん就職してた

そうなんですか
全然先頭と関係ない
京都じゃないですよね東京

大阪かな東京大阪とか県州であちこち行って
言ってるうちに私もうめゆがその頃すごいメンテナンスが悪くって
言っていいと思うけど
裏の巻き置き場になってるところの扉を
あそこの中にスイッチがいっぱいあるから
要はサウナが水かけて止まるとかがよくあって
小学生や中学生がかけて
そのたんびにあんたらお母さんに言うでとか
いたずらでやってるってことですか水かけって
梅雨の運営としてリスク管理

子供が

そのスイッチを入れに行くんやけど
最後も閉めに行かなあかんやけど
で常に電気消してる
扉を開けた左にここに電気があって
でこうガサッと開けた瞬間に

ズワズワズワズワって真っ黒黒透け状態

ゴキブリ

やばい

先頭にそんなんが湧くの

裏がもう一面真っ黒くらい湧いてて
で開けた瞬間ズワズワズワ

怖すぎる怖すぎる怖すぎる

めっちゃ苦手なやつやろ

もう絶対行き止まるかもしれない

もう行き止まるほんまに
だから開ける前に扉をコンコンってノックして
裏のでガンガンガンって

一回逃げすんね一回しといてもらって

でこう開けて棒で壁こうして
でこうスプレー持ってシャーってしながら

そんなことになってたんだ

でもそれが怖くて
梅雨のバイト入るのちょっとやめてて

怖いわ分かる分かる

パプリカ豆腐
でもそれ何食べてんのそんなに

あそこってボイラー室やから
冬でも生息してるわ

あったかいからか
あいつらあったかいとこ好きなんや

風呂場の風呂側の中とかに実はいっぱいいる

いいね

風呂場の風呂側の中あったかいから

実はめちゃくちゃいるらしい

でもその餌はないからね
何を食べてんの

飲食店とかに行くんかな

近くね

ゴミとかを食べ散らかしてるかもしれない
もうサイズこんなんちゃうねん

それちょっと京都のサイズじゃないよね

ないよね

ボイラー室サイズ
ボイラー室サイズ

2倍になった
やばい

マジっすか

それでもうちょっと行かへん間に
梅雨さん運営してたんが
無門舎さんって今そこにある金魚食堂さん
が母体のところがやったはって
それでもう赤字があまりにもひどくって
スタッフさんも減ってきてるし
で梅雨の運営からも手を引きますと
手を引いてしまったらもうあのセントはもう
使わなかったらどんどんボロボロになっていっちゃうから
そこでみなとくんが
さんこさん僕都合かどうしようか思ってる
ついだらええんちゃうん

さんこさんは言うよな

お金なんとかなるん?ってなるかもしれない
じゃあやったらいいやん

って始めた

彼もいっぱいあちこちセント行ってたし
あちこち相談してて
でまあさんこさん五条モールやめへんよねみたいな
そこはなんかそういうのがあったんだ
あの頃まだまだ店がね少なかったから

確かにね
さんこさんもやってるなら自分もここでやっていこうみたいな

うちと六賢さんと八丁さんぐらいしかなかった
あの頃は要はトライアングルって言ってた
バミューダと帰る

帰れなくなるやつやんそれ

確かにね

どっかで失踪してしまう
酔いつぶれて消えていく

三元をはしごするみたいな街の人らが
確かに全然なかった

なかった
そういう楽園なのかもしれないね

それでみなとくんが作って決まって動き出した

じゃあだいぶ立ち上げに関わられてるんですね

全然全然全然
私なんかいらんこと言うだけのかかり

いやいやいやいや
今やでもね全国からサウナ好きの人とかもやってきてますよね

今梅友さんは
取材とかもあちこちからね

みなとさんもね多店舗展開というか
あちこちでそういう戦闘再生みたいなのされてますけど

なんてやかみなとくんとか六賢さんとか

もう戦友みたいな気はしてる
そうなんですね
初期にこの辺で入ってお店お互い頑張ってたみたいな

みんな賃貸でね
五条エリアの変化と街づくり

当時は事務所とかもあったと思うんですけど
その辺はどういう感じだったんですか

いやもう
どうなんだろう
どうなんかな
私がバイトというかバンダイ入ってた頃
そろそろすごかったですよ

だって一回発砲事件になりましたよ

それはね後かな
後ですか
もうちょっと後
私がバンダイ座ってた頃はまだ
今みたいな解体みたいになってなかったから
月一回
産科の人たちが集まってきて
今はもう見ない
帰国食堂さんところの道沿い
高瀬川沿いに
月一車黒塗りがずらーっと並ぶとか
ほうじとかがあるともうすっごいとか
でまあ多分産科のいろんな組が
組がゆうでもだ
がまあね多分月一ご挨拶に来るの帰りに
梅湯でお風呂入っていかはるんで
そらーいかつい

お風呂入っていかはるんだ

なんでなんだろう
なんでお風呂入っているかわからないけど

じゃあお客さんやったんですね
じゃあ結構普段も接していてというか

すごかったですよ
もうみんなの想像を上行くすごさでしたよ
そうなんですね

私もこの住んである人にそういうの聞いたことがあります
そうですか
なかなかね
確かにそこでお店やっていくっていうのは
結構貴重な経験というか

でもやっぱ京都じゃない人だから

できるあれがあったんですかね
なんとなく

でもそこがね最近いろいろお店ができて
あんのんもそうですけど
いつ頃からですか
そういうちょっと新しいお店とかが
来始めたの
ビアラボさんとか

この10年くらい

いやでもビアラボさんが何年前ですか

ビアラボさん

2017とか
8とかですか

あそこができてどれくらい
どうだったっけ
知っときゃって話だね

でも2017、8くらいじゃないですか
5年前くらい

そんなもんなんですか

じゃないかな
あんのんが2019なんで
そっかそっか

あんのんがちょっと前ぐらいなんですね
なんかもう普通に長くあるイメージでした

たぶん梅湯さんが8年くらいで
梅湯さんが軌道に乗り始めたか
分からんけど
2年くらい3年くらいかな
立ち出したあたりからこう街が
先駆者で言うと
エフィッシュ

そうかまずエフィッシュさんがね

エフィッシュさん
でも言うてもエフィッシュさんは角
御所はそりゃあそこの角やんだから

中ではないから
入り口というかね

端っこの方で

梅湯さんが来だして
合わせて六軒さんもやっぱ
すごい人気店に育ちだして
たぶんあそこ2年くらい
1年か2年であっという間に
ガーって人気店になったんじゃないかな
それで五条モールもそこそこ
来てくれる感じになって
ですよね
事務所も動かなくなってきて
それが決まったからきっと
ビアラボさんもね
入ってきて
カフェさんが川沿いにできたりとか
ちょっとずつちょっとずつ
増えてきましたね
5年くらいの間に

たくさんお店ができたかな

インバウンドの影響が大きい

そうかそれもありましたね
宿が大量にできましたもんね

一等菓子の宿みたいなのが
良くも悪くも
ゲストハウスインバウンドの影響で
リノベーションしてるでしょ
建て替えじゃなくて
あれも良かったなと思って

それは街のみが残ってってことですか

建て替えてマンションが建っちゃうんじゃなくて
リノベーションで
古い街にする方がやっぱ
海外の方たちは来てみたい
この街に泊まってみたいっていう
良い方向にあれば行ったんじゃないかな

確かになくなってしまうよりは
宿でも残った方が
街並みとしては京都らしいというか
ここにしかないものが残ってきますもんね

ここ今アンノンさんもやっぱ海外の方すごい

増えてきましたね
桜のシーズンとかは7割以上
外国人って感じでしたね
ですよ
外国人今年の2月ぐらいまで
一人も泊まったことなかったんですよ
英語を喋る
英語っているんだっけみたいな感じだったんですよ
英語なんてできなくても大丈夫だよねみたいな感じで構えてたら
急に半分以上外国人みたいな
この数ヶ月です本当に
僕たち宿やってたんです

インバウンドとか
宿技
普通に旅行の人が泊まるっていうイメージが
最初になったんです
コロナとともにスタートみたいな

それでほぼキャンセル
2019の秋に開業したけど
宿のオープンは免許がおりた2月
2020年2月だったんですよ
2月にオープンしてすぐに春の予約は入ってたんですよ
外国人が
特応ができなくなってすぐに
全キャンセルになって
幻の外国人予約みたいなのが
桜シーズンに入ってたんですけど
その外国の人とは一人も会わずに
そっから3年間

日本人だけの宿としてやってきて
確かにそれもリモートワーク

宿っていうかシェアハウスみたいな状態に
1回も観光とかは全然なかったんで
マンスリーで賃貸として住んでる人の
シェアハウス状態みたいなのに
1回なったりとかしながら
何とか続けてきてって感じですけど
宿泊施設の変化と影響

ここに来ても
いろんな言葉が飛び交っており

英語のメニューやっぱりいるって

そうですね
そうかって海外の人来る宿だったんだよな
ここみたいな

宿だったそういえば

そうですね

なるほど
きっとインバウンドとかコロナとか
世の中本当に変わってしまった

そうですね
最近でもエデンの向かいというか
五条門の向かいは大和道さんも

あれはすごいの来ましたね

あの路地に向けてショールームに
ライティングされてショールームになってるじゃないですか
誰に向けてショールームしてるのか

エデンに向けてみたいな
たぶん
並び沿いにお店ではないけど
京都情報省の社長さんが移住してきた

そうですか

すごいなこの通りに

これはすごい

あれもその路地で
面白い通りになってましたね

すごいと思って

盛り上がり方がすごいですね

すごい
五条門の向かいの平岩さんもね
すごい建物もいいし
平岩さんの向かいの角のところもね
新進系のキュレーターさんが入らはったし

そうなんですか

その人も兄弟で
私らの一個舌

え、どこ?
ネオンのとこですか?
平岩のほんまに向かい側の角
その五条門のちょっと南ってこと

そこに入られてるんですか
あかり商店のキュウちゃんの後輩
キュウちゃんに大谷君と先輩後輩
大谷君と同級って言ってたのかな
そのつてでそこに入らはって
って言ってあった

どう思います?
そういういろんな人
いいと思う
いいですか

すごくいい人でその人も
この前うちゴミ荒らされてた
お連絡くれて片付けてくれてて
すみません、ほんまにすみませんって

なんかクリエイティブな方多いですね

多分そうじゃない人が入ってたら
違う形の街になってたかもしれないけど
多分梅湯にしても五条門にしても
比較的そういうクリエイティブ寄り
庵野さんももちろんそうやし
なんかやっぱ寄りやすいかなって
汽さんにしても幾星さんにしても

一筋縄じゃない感じでしょ

一筋縄じゃない感じでどういうこと?