1. 近藤淳也のアンノウンラジオ
  2. #13 ボロボロの古民家も人間関..

京町家のリノベーションで有名な「八清」でプロデューサーを務める落海さん。リノベーション前の京町家には屋根が落ちていたり、玄関から先に進めないような状態のものもあるそうですが、落海さんはそこにも可能性を見出します。同じように難しいと感じた人間関係も、試行錯誤してなんとかしてしまうそうです。なぜ何事もあきらめずに先に進めるのかを伺いました。


【ホスト】 近藤淳也 株式会社OND代表取締役社長、株式会社はてな取締役、UNKNOWN KYOTO支配人、NPO法人滋賀一周トレイル代表理事。トレイルランナー。ときどきカメラマン。 2001年に「はてなブログ」「はてなブックマーク」などを運営する株式会社はてなを創業、2011年にマザーズにて上場。その後2017年に株式会社ONDを設立し、現在もITの第一線で働く。
https://ond-inc.com/

【UNKNOWN KYOTOについて】 築100年を超える元遊郭建築を改装し、仕事もできて暮らせる宿に。コワーキングやオフィスを併設することで、宿泊として来られる方と京都を拠点に働く方が交わる場所になっています。 1泊の観光目的の利用だけではなく、3泊〜1ヶ月以上の長期滞在される方にも好評いただいています。
https://unknown.kyoto/

【おたより募集中】 メッセージや質問などを募集しています。こちらからお送りください!
https://forms.gle/rSjtTesStpe4s3BW8

Summary

落海達也さんは自宅で収録し、安能京都の建物リノベーションについて話しています。彼は「あきらめない」方法について述べており、ボロボロの古民家をリノベーションする不動産プロデューサーのエピソードが聞かれます。彼は大学生活で建築学科に所属し、暗黒舞踏やストリートパフォーマンスに興味を持ち、新しい視点で研究を展開しました。最終的に彼は最優秀を受賞しました。落海達也さんは3Dグラフィックスの仕事から建築への転身を果たしました。彼は学生時代から舞台建築に興味を持ち、ラスベガスでの経験を経て、再び日本で建築の仕事を始めることになりました。落海達也さんは不動産プロデューサーとして活躍し、人間関係やボロボロの古民家といった困難な場面でもあきらめずに取り組む方法について話しています。彼は身近な人間関係を工夫することで、相手との心の距離を縮めることができると感じています。また、彼は建築と不動産の両方に関わる役割が自分にとって重要であると実感し、退職後も建物を使った事業の相談役として活動することを考えています。現時点では、まだ次の明確な仕事は決まっていないそうです。しかし、これまでの経験を見ると、心配しなくてもいいのではないかと感じているようです。もし彼が「こんな人を知っているよ」と言ったら、その人に会いに行くこともあり得るかもしれません。彼は誰かと何かを体験することで幸せを感じると思っています。一緒にご飯を食べると幸せを感じることもあるそうです。旅行は人と共有し、同じ体験を共有したいと思っています。

自宅での収録と古民家の状態
牛島悠紀
こんにちは、アンノウンラジオです。
近藤淳也
今日のゲストは八清の落海達也さんです。
牛島悠紀
こんにちは。
近藤淳也
こんにちは、落海です。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
そしてアシスタントに牛島さんに来てもらいました。
落海達也
はい、こんにちは。牛島です。
こんにちは。
近藤淳也
今日は自宅で、
牛島悠紀
アイテムを作ってもらいました。
近藤淳也
はい、アイテムを作ってもらいました。
今日は自宅で収録なんですけど、実はこのお家は落海さんから買わせてもらったお家でして、
それもあってちょっと家で収録してるんですけども。
落海達也
いやー、なんか考え深いですよね、この最初にイメージしたものがこうやって、いざ自分がここでラジオをしてるっていうのはね。
どうですかその後。買わせてもらったからもう言っても2年ぐらい。
その後ってどういうことですか。
近藤淳也
売った時からの変遷というか、こうやって済んでこんな状態になってますけど。
落海達也
そう、だから最初にイメージしていたことっていうのは、まだその中には、なんとなく人のイメージだったけど、最初は近藤さんはいなかったわけじゃないですか。
そうですね。
それが自分のイメージしていたような使い方をする人が現れたというか
この家は行ってみたら近藤さんしか紹介してないわけですよお客さん
近藤淳也
そうなんですか
落海達也
他の人一人も紹介してないんですよだから一発一中って言ったら
これはもう近藤さんしかいないなと思って近藤さんに
狙い撃ちって言っていいのか分からないけど
牛島悠紀
本当にだからもう近藤さんのために
落海達也
妄想して当てはまったっていう
そんな感じかもしれませんね
近藤淳也
元々もうちょっと町の中の方で
自分の自宅兼1階とか2階に店舗が入るような
建物があったらってことをちょっと言ってはいたんですけど
落海達也
そういうことも聞いてたので
近藤淳也
でもエリアはね
落海達也
あえて違うエリアではあるけども
近藤さんの好きな山が近くにあるし
この屋上の景色っていうのは
もう近藤さん絶対好きやなと思って
これはもう本当街中では
絶対味わえないようなものがあるし
やっぱり街中言ってたけど
結局やっぱり自然の方を選ぶんじゃないかなと思って
近藤淳也
そこまで読まれてたんですね
落海達也
そうなんですよ
たまたまだと思うんですけど、結果論ですけどね。
近藤淳也
そんな狙い討ちだったんだ。
落海達也
だから一人だけ。
近藤淳也
そうですか。今初めて知りました。
まんまと乗せられたという。
落海達也
私の巻いた罠に引っかかったわけですね。
牛島悠紀
まんまと打ちだということですね。
近藤淳也
いやいや、でもそのおかげですごい快適に楽しく暮らさせてもらってて。
落海達也
そういう声を聞くのが一番嬉しいですよね。
自分もこうやって来られるっていうか、
1回もお店だから、お店にご飯食べに来たりとかもできるし、
引き渡した後もまだ関われるっていうのは、
やっぱりいい街と繋がる感じがしていいなと思いますよね。
牛島悠紀
確かに。
近藤淳也
そんな自宅で撮ってますが、
落海さんの役割と建物リノベーション
近藤淳也
安能の方でもすっかりお世話になっていて
牛島悠紀
はい
近藤淳也
立ち上げの主要メンバーというか
中身さんが施設を作ったみたいなもんですもんね
落海達也
そうですね
初世はやっぱり街やのリノベーションというものをメインの仕事としてて
私もその建築プロデューサーとして動いてたので
建物の改修というところに非常に自信もあるし
こういうことをしたらいいんじゃないかと提案もできるし
この3社で作った安能京都の中でも
その改修に関しては八世が特に私がメインでやれた
というのは非常に良かったなと思いますね
近藤淳也
安能京都はもともと100年以上前の 優格だった建物をリノベーション
して施設にしたんですけどリノベーション 前はかなりボロボロの状態でした
落海達也
よね
そうですね最初は思った以上に ボロボロな状態で
近藤淳也
ほぼ中入ったら廃墟かなっていう ぐらいの状態で
落海達也
本当はもっと残せたらいいなと思 いつつもいろいろと白ワリ食って
たりとか状態が思った以上にひどい ところもあって
幸いにも表側のほうとかメイン のタイルが残っているところ
近藤淳也
っていうのは残ってたから良かった なとは思うんですけど
最初オチウミさんとかは多分いろん な建物リノベーションしてるんで
想像がつくのかもしれないですけど 僕なんかはそんなに特に古い木造
家屋が生まれ変わる様子を見てた わけじゃないんで正直ピンときて
最初の建物を見たときにここでやるの?みたいな。
よくわかんないけど、建築のプロが言ってるんだからきっと良くなるんだろうみたいな。
ほぼ信じるしかないみたいな状態だったんで、よくあそこから今みたいな、
使いやすくてきれいな状態を作ってもらったなと思うんですけど。
もんですけど、落ち海さん具体的にはどういう役割で建物リノベーションに関わってもらったんですか
落海達也
そうですね実際に安能京都を設計したのはエキスポさんという3人の設計集団の方にお願いはしてるんですけど
私は設計師と公務店さんとあと温度さんエンジョイワークさんとその間に立って
目立たないところでこそこそ動いてるようなところ
あとは工事の経過の途中で行われていたアンノーンとしてのイベントの時に登壇したりイベントに参加したりっていうところで
どっちかというと引っ張っていくというよりは盛り上げ役のうちの一人という位置づけかなとは思うんですよね
設計師にお願いはしているものの私自身も設計師でもあるので
ここはこういう方がいいんじゃないっていうエキスポさんの間に対してこちらからも意見を言ったりして
お互いにいいところで利用してくれたりとかするような立場で
だから設計師に任せっきりというわけでもなくて
設計師とも競争っていうか
一緒に作り上げたっていう感じはするので
みんなで作ったっていう感覚が強いですよね
私が作ったとかじゃなくて
近藤淳也
エキスポさんが設計の担当ですが
落海達也
オチウミさんの方からも
近藤淳也
なんですかこんなイメージでみたいなことを言っていく
落海達也
そうですね
結構元々8世でやってる改修っていうのは居住がメインなので
ある程度安全安心快適っていうのを非常にメインとして
結構傷んでるとこはしっかり補強してってやるんですけども
今回建物が遊楽建築っていうもので
非常に貴重なものでそんな数も多くあるわけじゃないので
極力残したいなっていうのをすごい思ったんですよね
それでもともとエキスポさんが描いた設計図面っていうのももちろんあるんですけども
現場で一部解体をしてみたら思いがけないものが現れて
これはちょっとそのままのまま残そうよと
残した方がいいんじゃないっていう
多少タイルとか剥離してたりとか
傷んだりするけどもそれもアージになるんじゃないかっていうところがあって
例えば玄関ホールなんかは既存のタイルのやや継ぎはぎみたいなところもあったりするんですけど
ああいうのは普段の八世の仕事ではこれは傷んでると解釈してやっぱり綺麗にしちゃうとこなんですけど
牛島悠紀
やっぱり有格建築の特徴であるタイルっていうものはもう一旦剥がしたらもう二度と持ってこないので
落海達也
やっぱ次々だろうと残ってるものを極力残す。
で、割れてても、多少その目地に詰め物したりとかして残すっていう。
だから普段のやり方とやっぱ違うことができたっていうのも、
それはそれで非常に面白かったなと思うんですよね。
近藤淳也
なるほどなるほど。
じゃあ普段の八十三でやっている住宅のリノベーションとは
建物の特徴と現場でのアイデア
近藤淳也
ちょっとまた違う基準というか、
落海達也
考え方でやっていったっていうところがあるんですね。
近藤淳也
へぇ~、なるほど。
なんかその全体の雰囲気みたいなのがあるじゃないですか
ちょっと暗くしようよとか
なんかこう何ですか
前はもう元々の外観残そうよとか
なんかそういう大きな方針みたいなのがあると思うんですけど
そういうのは誰が決めていったんですか
落海達也
そういうのはもうそのエキスポさんとがメインで考えたものに対して
私なりの意見をお伝えして
それいいねってのっかる場合もあればやっぱりエキスポさんの方がいいよねっていう場合もあれば
お互いのところもあるんですけど例えば外観に関してなんですけど
外観って南東の方はほぼ既存の状態をそのまま残してた
あるじゃないですか三角屋根の元カフェ建築と呼ばれるようなスタイルを残してるんですけど
北側の方っていうのは結構その階層が
されているのかちょっとのっぺりだしと印象で
牛島悠紀
その南側の建物とのバランスが
落海達也
なんかそのまま残しても
なんか2階が寂しいなってすごい思ってて
なんかいいアイデアないかなっていうふうに
思っているときにその南館の2階の方を
一部解体しているときに
その古い手すりみたいなその欄杆みたいなものが
実は隠れていることを発見して
近藤淳也
隠れてたんですね
牛島悠紀
そうなんですよ
近藤淳也
見えてなかったんですね
落海達也
あれが処分されたわけじゃなくそのまま
その上から三角屋根みたいなものを
取り付けてあって
でそれを部屋の内側から見えたんですよ
牛島悠紀
でその瞬間に
落海達也
これはあのすげえ大変だと思うんだけど
絶対に救出して
その救出したものをこの北島に持ってったら
なんかその後から1から作ったものを壁につけたっていうよりは
牛島悠紀
元々あったものを南間だったけども
落海達也
それを北間の方に移設はしながら
元のものを再利用するっていう
その発想は私がやってるんですよ
牛島悠紀
で、そのアイデアが出てきたとき
落海達也
結構その北島と南島の個性が恐れてる違いが出て
なんかすごいしっくりきて
テイキスポさんとも意見が一致して
これいいねってなって
そこにあったものを使うっていう
そういう最後の方になってくると
やっぱそのあるものをどうやって使おうかっていう
アイデアがどんどん出てきて
そういうところがカウンターの足だったりとか
あと本棚
あ、違う
棚にキッチンの上にある棚とか
ああいう再利用してるものが
ところどころにあるんですけど
そういうものっていうのは設計図にはなかったものですよね
近藤淳也
なるほど
じゃあまあどっちかが決めて
どっちかがそれの指示に従って描くとかじゃなくて
こう出てきたものとかきっかけで
これこういうのが良くないみたいな
こうなんていうか
そういう協働作業というか
そういう感じで進んでいくんですね
落海達也
そうですよね
まだ解体する前は当然お見積もりとかも必要だから
設計図がないと見積もり出ないので 見積もりはするけども
やっぱああいう建物なんで めくってみたら色々出てきたりして
どう考えても残した方がいいよねっていうのは やっぱり多々あるわけで
そんな時には現場判断でこれ残そうとか
これはちょっと残したいけどひどすぎるからやめようとか
そういうのはエキスポさんと現地で打ち合わせしながら決めて
公務員さんに無理を言いながら
どう考えても見積もりにないことを依頼してるんで
そうですよ 聞いてないよって話ですよね
公務店さんはしんどかったと思いますね
近藤淳也
夏場にちょっと作業メンバーが夏場で倒れましたみたいな
落海達也
そうなのもありましたね
牛島悠紀
ええって思いましたけど
落海達也
宿泊スペースが持ってるから
それぞれの個室にエアコンみたいなものが必要になると
やっぱりすごい数のエアコンって必要なんで
そのエアコンを全部その一点に集中させて
その屋根の上に持っていくんだけど
その既存を残しながらなので
ルートを確保するのがめちゃくちゃ大変なんですよ
牛島悠紀
既存に表しというか
落海達也
露出しないように隠しながら
でもちゃんとドレーンというか
エアコンとしての機能をちゃんと保たせるっていうのは
もう電気屋さんとも本当に
こちらも無理を言って電気屋さんもできませんっていうところを
いやまずやってみてくださいって言って
牛島悠紀
やってみてできなかったらしょうがないけど
ボロボロの古民家のリノベーション事業
落海達也
やる前にできませんっていうのはやめてくださいとかね
牛島悠紀
すごいですね
近藤淳也
そこまで言ってくれたんですか
落海達也
そういう風にしてこちらはやっぱ強い思いがあるから
牛島悠紀
確かに
落海達也
そこで負けて本当にできなかったらそれは仕方ないけど
本当はできたかもしれないものを諦めるっていうのがやっぱり嫌で
でも結果的に結構エアコンに関しては思ったように
できてるとこがほとんどなので
多くは露出せずに隠蔽というか
近藤淳也
隠すことができたかなと思って
たまに建築詳しい方は
どうやってドレーン隠してるんやとか言っておっしゃいますね
落海達也
そうですよね
近藤淳也
だからやっぱりすごいんやなと思って
落海達也
すごい大変で
まあ電気屋さんもこんな仕事きっとしたことないから
夏の暑い時に倒れちゃったっていうか
近藤淳也
なんかその報告聞いて
落海達也
いなくなっちゃったみたいな
作業の人が倒れたんで工事が止まってますとかいう報告聞いて
え?みたいな
結局工事の期間って伸びたんですね
近藤淳也
結構伸びましたよね
牛島悠紀
伸びましたね
落海達也
もう倒れたけどもやっぱ妥協はせずに
牛島悠紀
なんとかお願いしますって頼み込んでも
落海達也
本当工務店さんには本当に申し訳ないなと思いながら
牛島悠紀
だって落海さんかなり現場にいましたよねあの頃
落海達也
8世というところで不動産業としての仕事をしつつ
牛島悠紀
多分そちらの仕事はおそらくほとんどできてなかったと思うぐらい
落海達也
それぐらい現場がもう本当にイレギュラーなことが多すぎて質問がたくさんきたんで
もう本当現場に張り付いてばっかりの感じで
牛島悠紀
逆にいないところで勝手に進められちゃうと
落海達也
それ潰しちゃったのとかっていうことが起こったら、
本当に取り返しのつかない建物ではあるので、
やっぱある程度現場に行かないとなーって思ってましたね。
近藤淳也
そこまで落ち上げさんの愛情が詰まった建物なんですね、あそこはやっぱり。
落海達也
それはもう、それはもうすごかったですね。
近藤淳也
ちなみに他の仕事は大丈夫だったんですか、その頃?
落海達也
その頃の私の売り上げはすごく減りましたね。
給料にも影響しましたし
給料にも影響したんですか
やっぱ数字で評価される不動産になるので
当然安能に関わってた時間分は不動産を売るっていうことが
どうしても数多くできなかったのでその分数字が上がらないくて
その時当然安能も作ってる段階なのでそこでの収益はないから
それによる評価っていうのも当然ないわけですし
でもそれ以上に普段今まで八世でやっていたものをちょっと一つ飛び越えて
他者と競争を組んでやるっていうことは本当に経験したことがなかったし
どんな風になるんだろうっていうかそのワクワクの方が大きくて
それぞれ三者が別々の役割をする中で工事の担当が八世なので
ここで8世がうまくちゃんと機能しなかったら他の2社にもやっぱり迷惑もかかっちゃうし
そのためにはもうまずこれを専念するような思いでやらないとっていうそのやってましたね
五丈楽園にもうへばりついて
牛島悠紀
そんなに思いでやってくださってるのに給料がつかった
近藤淳也
ちょっと切なくなりますけど
ちょっと切ないところではあるんですけども
落海達也
基本的にはそこは後悔はないですか いや後悔はないんですよ
牛島悠紀
もしもう一回戻ってやるとしたら いや多分同じ道を選ぶんかなと思います
落海達也
ね そう言ってもらえるとよかったな
と思いますけど やっぱこうやって活動の量って
牛島悠紀
やっぱ比例するというか経験に比例 するんでそんだけ突き込んだ分
落海達也
っていうのはもうその時間っていう のはもう持ってこないしちょっと
他でやろうと思ってもこのアンノン で準備してたあの感じっていう
のはなかなか簡単にできるもん じゃないじゃないですか
だからそこでそんだけ時間かけて やっぱああやって完成系のもの
が出来上がった時の感動っていう かねそれを自分だけじゃなくて
他社とかあといろいろ関わって くださった投資家さんとかみんな
であって分かち合えるっていうのはなかなかその普段味わえない経験というか
やっぱり初めての経験ですよねそういう感動的な感じのオープニングなんてもういっぱいのお客さんが来てくれた時は
牛島悠紀
感動でもう涙出てもらって
近藤淳也
で、そうでしょうね。
落海達也
特に私とか菊池さんとか、一緒にずっと作り上げてきた現場にへばりついてた設計師のエキスポさんとか、
そういう人たちは特に思い入れは強いんじゃないかなと、作る段階での思い入れが。
いやー、それはそんな思いがあってこそ今の建物があるんだなっていう。
40超えて青春が青春でしたね
それこそ高生とか中学生の時とか
その文化祭でもうほんと寝ずに
あのものを作ってやってたような
その時はもうね
睡眠とかよりも作ることの方が楽しくて
やってたようなそういうなんか
あの頃のあの感じがこの40超えて
なんか蘇ってきたみたいな
まだ自分にはこういう余力というか
思いがまだ残ってるんだなっていうのが
近藤淳也
感じましたね この庵野の時は
落海達也
すごいね
近藤淳也
普段の家づくりは そういう感じではないんですか?
落海達也
やっぱりスケールが ちょっと違うっていうのもあるんですけど
もちろん普段の物件 家に関しても
近藤淳也
一応そうだ そうですね 普段のお仕事の
牛島悠紀
基本の仕事はどんなお仕事か 教えてもらってますか?
落海達也
めっちゃアンノーンのばっかりで
まあいきなり大きいアンノーンという仕事に入りましたけど
普段は建築プロデューサーとして
古い町屋だったり古い中古物件建物を
基本的には改修をして販売する
いわゆる買取裁判というような仕事がメインでしてます
古いままだとやっぱりなかなかボロボロの状態で
お客さんもイメージが
回送後のイメージができないことが多いので
そこに結構私が得意とする妄想ブランって言って
こんな風に住んだら面白いだろうなっていうのを
まず自分で自分の頭の中で
そのボロボロの家に住んでみるんですよね
その住むときにやや照明の計画
牛島悠紀
何なら照明のスイッチの位置とかここで着けてここで寝る時ここで消すとか
落海達也
なんかそんな動線も含めてなんとなくそのイメージをするですよね
やっぱ単なる妄想だけじゃなくて建築設計師でもあるので
実際に図面を描く立場で構造的にもちゃんと担保できるような
現実的に不可能ではない妄想をすることで
実際それをねその物件の妄想を
ホームページに載せるときに
近藤淳也
完成済みの物件として問い合わせてくる方もいらっしゃるんですよ
落海達也
これいつ完成するんですか
特に妄想プランだけで売る場合っていうのは
未開送の物件を未開送のまま売るので
実際には買った方がどういう形でやるかっていうのは買った方の自由なんですけども
その妄想プランがあることでもう改装されるものだと思っているお客さんもやっぱいるわけですよね
へぇ~
現場での困難と回復
落海達也
それぐらいややリアルな妄想をするので
し実際に現実的にやろうと思えばそれも実現可能なプランではあるので
なのでよくいろいろ設計する段階で
妄想なのでこの柱を抜いちゃえとか、解放的な空間にしてとか、庭と一体的になってとかっていうやりがちなんですけど
例えば京王町や大黒柱とか、絶対に抜いたらよくないよねっていう、そういう柱とかをちゃんと残しつつ
それが生きるような妄想の仕方っていうようなものを提案するっていう形で
その妄想プランと、あとその未開想の現地を見比べながら行くと、そのボロボロの状態でもその絵を見ることで、なんとなくイメージができるんですよね。
近藤淳也
それをお客さんが?
落海達也
お客さんが。
で、そういうふうにイメージできるようにサポートするというか、お手伝いをするというのが妄想プランかなと思ってて、
僕らとか設計師の先生なんかはやっぱり普段からこういう仕事してるから
ボロボロの状態見てもこれはこういうふうになるっていうのがもうイメージできるから
いいんですけど一般にこれから家を買おうとされる方は
普段からそんなボロボロの状態を見てるわけじゃないから
近藤さんもそうですけど逆に言うとボロボロの状態を見てもう不安にしかない
近藤淳也
そうですね
落海達也
これはちょっともうやばいんじゃないのと思っちゃって
買う気できたけどボロボロの状態見てちょっとイメージがないちゃって
っていうような方もやっぱりいろいろ見てきてるんで
そんな中でそういう妄想プランでこんな風にできますよっていうとか
実際に改装物件にもご案内して
この家も元々はこんな感じだったんですよって見せると安心されて
そうやったら信じていいねみたいな感じで
おっしゃってくださってて
というのがあるんですよね
近藤淳也
それが多いんですか今は
改装した後で売るのよりも
もはや改装前
牛島悠紀
並行してですね
落海達也
会社としては負荷価値じゃないけど
ボロボロの状態では
なかなか買い手がつかないようなものを
8世が改装して
見えるような形で
お客さんにお見せすることで
この家いいねって
牛島悠紀
売ってくださる方に売るっていう
落海達也
あとはメインのやり方なんですけど 少ない人数で動いてるので 会社
不動産プロデューサーとしての仕事と妄想プラン
落海達也
が仕入れた古い家を全部が全部 回収してたら 物件が回らないという
か 改装する物件もありながら未 改装の物件も同時に並行して販売
してくっていうような そういうことがあるんですよ
牛島悠紀
お客さんの中には改装済み物件 を求めるお客さんと 自分で改装
したいっていうお客さんいるんですよ ね特に今堂さんなんかもあの居住
落海達也
の家を買いたいわけじゃなくてなんか その複合的なあの1階がカフェで
とかね2階があのシェアアトリエ とかあとは中にはその一部はその
牛島悠紀
オフィスであのオフィス兼住居 とかいろんなそういう要望がある
落海達也
初世が住居用で作っちゃうと、
それの要望、お客さんの要望に合わないことって多々あるじゃないですか。
特に最近コロナ禍でリモートワークなんかできるようになってくると、
オフィス兼住居みたいな要望もあるんですけども、
それが従来の作り方をしてたらなかなか難しいので、
既存の物件、未回送の物件で作りたいっていう、そんな要望なんかも多いので。
なるほど。
じゃあそれを妄想プランで売るのも おちゅみさんの得意技っていう感じなんですね
そうなんですよ
これは多分結構顕著だと思うんですけど
他社で色々中介物件で色んな物件って 今日街やとか古い物件たくさんあると思うんですけど
それをお客さんにイメージさせるような 作り方をしてる会社ってほとんどないじゃないですか
でそんな中で今までも昔も八世は古い物件改装しない物件はちょっと掃除ぐらいはするけども
そのまま値段つけて販売してるっていうことはあったんですけども
やっぱり窓ガラスが汚れてるとか建具が開かないとか障子がボロボロで破れてるとか
あとは町屋なのに中がプリント合板みたいの貼られてて
なんか雰囲気が全然イメージがわからないような状態のものをお客さんご案内しても
牛島悠紀
やっぱりイメージがわからないんですよね
落海達也
でも町屋を買いに来たらやっぱそのボロボロでも
土壁が現れている方がいいとか
その天井を見くった後のそのゴロンボと呼ばれるこのマルターが見えてる方がいいとか
そういう時の方がなんかその実際に住んだ時のイメージができるんですよね
そんな時に私の中で思いついたのが
いわゆる現状売りなんだけれどもすごい思いを込めた現状売りということで
愛ある現状売りっていう愛のこもった現状売りで
愛ある現状売りっていう名目でやってるんですよね
そうすると2階層の物件をそのまま売る前に
プリント合板とかをまず最初の一部解体するわけですよ
天井を取ったりとかでもいいものがあるところは残したりとか
窓ガラス割れてたらそのガラス入れ替えたりとか
照明器具なんかも照明ってすごい重要で
物件の状態への絶望とイメージ
落海達也
照明なんかも古い照明が違う具な照明がついてたら
その照明のイメージが引っ張られちゃうんで
それ全部外して、本当裸電球のシンプルなものだけにしたりとか、
そういう解体をデザインするみたいな、だからそこの設計をしてるんですよ。
近藤淳也
そうなんですか。
落海達也
解体の設計図あるんですよ。
牛島悠紀
へぇ~、あ、そっか。
落海達也
現状売りなんですけど、設計図を、図面を作るんですよね。
近藤淳也
でも、なんか言いたいことわかってきた。
「愛ある」ってどういう意味かなって思ったけど、
逆にそうじゃないその適当な壁とか適当な照明とかつけた状態って
なんか愛を感じないってことですよね逆に言うとなんか適当すぎて
落海達也
で言ってみたらやっぱ八世っていうのはやっぱ古いものに
負荷価値じゃないけども
やっぱ価値を見出してくれる方に販売をするっていうのがメインなので
あの八世が仕入れたものをちょっとちょちょってやって売っちゃったら
そこに負荷価値ってのらずに単に礼儀だけ乗せて売ったら
牛島悠紀
なんか横流しになっちゃうじゃないですか
落海達也
そうするとやっぱその元の売り主さんからしても
あれなんかしてだけ利益抜いただけで
まあ変な言い方ですけどもやるっていうのもありますし
やっぱりそのハッジセって
今までこうやって古い建物を大事にして売ってきてるの
しそういうイメージもだいぶついてきてるので
落海達也
そのイメージっていうのは壊さないためにも
いくら未開層の物件でもやっぱそういうふうな形で
買いたいとかその愛ある現状売りっていう形でカスタマイズして
未開層だけど家具とかをちゃんと置いたりとか家具だけじゃなくて
その上には花とか
テーブルとかグラスとかね
近藤淳也
なってますね
牛島悠紀
そうあのここも最初ね
そうそうここにここもね
落海達也
ここもやっぱアトリエなんでそのそうで
ここらに関しては外の外観の形状からね、Nスタジオ
牛島悠紀
名前まで付いちゃって
落海達也
屋根の形がNっぽく見えたからNスタジオって言って
牛島悠紀
もうポスターまで作っちゃいましたからね
あのイラストがもうイメージがすごいしっかり描いてあって
落海達也
もう本当にもう既にそういう施設ができたかのような形で
アトリエとしてだったらあのままでもアトリエ化してもいいぐらいのね
近藤淳也
そうですね、真ん中の壁を抜いてもらって、床も剥がして、結構大きな空間を作ってもらってたんで、それで結構広さのイメージが割れたっていうのが実際あったと思うんで。
落海達也
あれもやっぱり二頭あるものを、二頭別々の方がいい場合もあるし、どう考えたら二頭を繋げた方が生活のイメージとかできる場合は、やっぱり二頭を繋げて一頭にして売るなんていうことも、街やでもやることもあるので。
近藤淳也
なるほど。
落海達也
そのイメージっていうものをまず最初に行うんですけど、一番最初物件を八世が仕入れてきた時って、八世が仕入れる物件ってやっぱりなかなか他の人が手を出さないような物件ってことが結構多いんですよ。
でもボロボロで、なかなか他の方だとどうやって手をつけていいか分かんないような物件。
路地の奥とかね。
ロジノックとかでボロボロだけど8世はこうやって改修して
最後の最終形っていうのを散々見てきてる会社なので
そういうものにも物を置せずにむしろ喜んで買うような会社なんですけども
さすがに一番最初にボロボロの状態を現地を見に行くとですね
もうなんか屋根が落ちてたりとか
まず玄関開けたらもうそっから先 隣の部屋に進めないようなことも
あるんですよ 床が崩れたりとかして
でもう目も当てられないような 状態でまず一回絶望をするんです
近藤淳也
よね あそこは絶望するんです
牛島悠紀
よくこの物件を買ったなと仕入れ 担当者はと
落海達也
無茶ぶりやなっていうレベルで そんな物件もあるんですよね
妄想プランと効果
落海達也
状態良いものもありますけど そんな物件っていうものが私が
担当になって現地行くと最初絶望 的な雰囲気になるんですけど ただ
今までの経験上 どっかに解決策 っていうのはあって どんなにボロボロ
でどこにもいいとこがなさそうな 物件の中にも一つくらい個性っていう
あるんですよそれは中の室内が一部だけきれいに残ってるとか
もう景色とかも全然良くないんだけどなんか庭が異常に広いとか
あと一点だけ景色が良くてそこ以外は囲まれてるとか
なんかそういうような個性っていうのは現地で本当1時間ぐらいですね
なんかそれはもう一人で行くんですけど
一人で現地で目つぶったりとか
近藤淳也
へぇ~
落海達也
それこそおにぎりとか持って行きながらお茶とか飲みながら
近藤淳也
どうしようかな~とか
へぇ~そういう一人の時間があるんだ
落海達也
一人で瞑想じゃないけど
なんか目を瞑ってここは景色抜けそうだから
ここに窓があったらいいなとか
っていうのを現状の窓でとか見比べながら
なんとなくそのイメージするんですけど
1時間ぐらい経ってくると
なんとなく見えてくるんですよね
牛島悠紀
そうなんですね
落海達也
最初絶望だったものがだんだん
これはいけるっていう風に
牛島悠紀
小3に変わってきて
小3に変わる
絶望が小3に
落海達也
そうなるとすぐ設計師に
依頼するとかじゃなくて
マドリーとか自分で
牛島悠紀
考えたくなっちゃうんですよ
落海達也
手書きでこんな風に自分で
自分でその現地で思い描いたイメージをまずその間取りにして
落海達也
そうするとピタッとやっぱはまる時が来るんですよね
で、そうするとこの間取りだったらこれはもう居心地いいのがイメージできるし
牛島悠紀
これは売れる物件に変わるなと
落海達也
っていうのを思い浮かべたら
あとはじゃあこのボロボロの状態をどうやってお客さん案内した時に
牛島悠紀
気持ちよくイメージが膨らむかなっていうのを
解体の設計をするわけですよ
近藤淳也
なるほどねそういう時間があるんですね
落海達也
オチウミさんの中で面白い
近藤淳也
ちなみにそれでこうまあじゃあまあ言ったら
ボロボロの絶望の建物の中で瞑想している中で
多分そのオチウミさんの中で何かイメージが湧いてくるのもあって
これだって出てくるのを
実際形というか妄想にして売っていくんだと思うんですけど
大体その妄想の通りにお客さんされるんですか
それとも買うけど全然違うふうにしちゃう
みたいなことも結構あるんですか
落海達也
妄想の角度というか解像度というか
サウナ施設プランと反響
落海達也
そういうのが高ければ高いほど
それにイメージするお客さんが来てくれるケースが
最近高くなってきたなとすごい思ってて
近藤淳也
最初の時はそうなんですよ
妄想が人を呼んでるんか
落海達也
だと思います最初はね本当に改造プランっていうレベルの間取りだったんですよ
その間取りだけじゃなくてその中に例えば茶室とか陶芸のできるようなアトリエがあるとか
よりイメージをさらに妄想力をアップしてそこにイラストをお願いする方がいて
その方にイラストまでお願いをしてやることで
やっぱりそれに偏ったじゃないけど
その妄想プランにインスパイアされたお客さんが来てくれるってことがあって
陶芸なんかのアトリエ工房があるような物件をやったときは
やっぱり亡くなった主人が陶芸家でみたいな方からの作品がたくさんあるんだけど
その飾る場所を置いておきながら居住する家を探してたら
まさにあのプラ見たらぴったりなんですみたいな
近藤淳也
自分のためのようなのが出てきたみたいな思っちゃうんです
落海達也
実際にその方が買ってくれたわけではそのようなのがなかったんですけど
でもそういう方が問い合わせをしてくれて
牛島悠紀
やっぱそういうなんかそのマドリット物件情報だけでは
落海達也
絶対その方おそらく問い合わせしてこなかったである方に届いて
お問い合わせいただいたりとかして
そうするとオープンハウスなんかをすると
普通未回送の物件ってやっぱりもともとボロボロの家だから写真売もしないし
そんなにたくさん来なかったりするんですけど
やっぱ妄想ブランドとかやってやると
未回送なのに本当新築で新築じゃない改修して
牛島悠紀
改修した物件のオープンハウスみたいに
落海達也
人がもう20人とか30人とか来たりするんですよ
でも早く行かなきゃ売れちゃうからっていう思いで
本当に改装した物件かのように来て、 旬で売れたりっていうのが結構続いてる。妄想プランのやつはだいたい結構続いてます。
牛島悠紀
妄想プラン大事ですね。
すごい大事。
イメージすることで教えてなる。
落海達也
何でもできるっていうふうにするよりは
なんかもう自分の中で一つ陶芸とかそういうのがピンときたら
もうそれにフォーカスして
牛島悠紀
それのプランを変えて
落海達也
それのイメージやるっていう方がなんとなくいいのかなと思って
牛島悠紀
これが例えば3パターンあって
どうにでもできますよっていうパターンよりは
落海達也
もうちょっとターゲットやや絞っちゃった方が
なんか結果的にはそれに響くお客さんが来る感じがしてるってのが
本当ここ2年ぐらいの2、3年の影響かな
牛島悠紀
ちゃんとそのイメージした人が毎回来るんですか?
そういう妄想
落海達也
毎回来てくれますね
すごいですね
その中で本当最近まさに面白いプロジェクトというか
浮世区の梅ヶ畑っていうちょっと 古民家とかあるような山の方になる物件
集山街道って言って宮山とかに抜ける ところの途中にあるような
近藤淳也
高輪の手前ですね
落海達也
高輪の手前ですね
でそこで古民家を発生の方で仕入れて それを私が担当になって
で、いざ妄想プランっていうのを作った時に、なんか、おもやと離れっていうのがあって、
なんかその離れの広さがすごくちょうど良くて、ここにやっぱサウナースペースみたいなスペースがあって、
住居兼サウナーみたいなスペースで整えるような個民化できたらいいなと思って、
それですぐ窓で書いたらめちゃくちゃいいじゃんって感じなんで
近藤淳也
それは自分的にってこと?
落海達也
自分的にここはいわゆるサウナの施設というよりは住んだ人がそういう小民家で体験できる
で町からも郷土行きからも来るまで40分ぐらいだし
近い田舎で自然に囲まれたところでこんなサウナ施設があるなんてこんな贅沢な物件ないよね
牛島悠紀
逆に思うようになって街中ではできないよねってなって
落海達也
妄想プランを書いて
こうやっていざ販売をしてみたら
帯正しい数の意見が来て
もう上げてから1時間以内に問い合わせが2件ぐらい来てアップしてね
最初に問い合わせした方が
オープンハウスだったら絶対売れちゃうから
もうすぐ見たいって言って
で次の日にご案内した方がもう申し込み入ったんですよ
牛島悠紀
すごいですね
落海達也
でそのそうなんですよ
でそれこそその5年ぐらい前にも同じ梅ヶ畑エリアで
その時はまあ改装した家なんですけど
改装した家を販売した時っていうのはやっぱりそのエリアなことも
エリアが離れてることもあってやっぱりなかなか売るのに時間がかかって
近藤淳也
トタンみたいなのがついてるじゃないですか
落海達也
トタンみたいながついたやつ
2件ぐらい売ってるんですよ
そうですね
牛島悠紀
それも両方とも
落海達也
コミンかけなんですけど
牛島悠紀
2件ぐらい売って
落海達也
そこで買える方っていうのは限られてるんで
なかなか売るの難しかったんですけど
牛島悠紀
最近はやっぱり
落海達也
サウナの…サウナじゃないや
なんだっけ
今、ちばたで流行ってるやつ
牛島悠紀
サウナじゃなくて?
落海達也
あの、コロナ!
牛島悠紀
えぇー!
落海達也
ちょっと頭がサウナになりすぎて、コロナを上回っちゃってまして
今コロナ出てこなかったんですか?
うん、サウナになっちゃってまして
そうそうそう
あの、コロナ禍で、なんか本当にみんなの生活のスタイルっていうのが結構一変したなっていう感覚があって
ネット際繋がれば離れて生活できるっていうのを好む人っていうのが非常に増えて
であんまりそこまで反響があるとも思ってなかったんですけど
オープンハウスの対応方法
落海達也
ただもちろんそういう二拠点で進むとかそういう方も来るだろうなっていう思いはあって
いざ出してみたらもう意外や意外すごい人数来ちゃって最終的に収集つかなくなって
もう皆さんこの問い合わせ以降の人はオープンハウスでお願いしますって言って
もうまとめて来てくださいって言って
でもみんな2番手3番手というか
描いたかった描いたかったって言う方が非常に多くて
牛島悠紀
見たかったな
確かに
近藤淳也
なんかそのまあそうするとそのやっぱりね
瞑想時間というか、おときに落ち上みさんに浮かぶイメージっていうのが、いかに大事かっていうか、結局それがあるなしで、問い合わせの数も変わるし、
売れる上内も変わるぐらいのぐらい、結局この家をどういうふうに住むかっていう具体的なイメージのありなしが、家を売らないっていうのには、大きく影響するんだなっていうのを感じるんですけど、その方法は八瀬さんは昔からやってたんですか?
落海達也
昔からはやってないです。
牛島悠紀
こっちにみさんが編み出したんですか?
落海達也
ある意味、私が編み出したと言っても過言ではないんですけど
近藤淳也
すごいじゃないですか
牛島悠紀
昔8世でやってたのは
落海達也
それこそ「微掃」って言って掃除をしたりとか
建具の建て付けが悪いところぐらいは
ちょっと開けるようにしようとか
それぐらいの本当最低限のことっていうのはやってはいたんですけど
あとポスト中にいっぱい書類というか郵便物があるものを出したりとか
そういうようなこととかはやってたんですけど
やっぱその解体するとかあと何なら庭の手入れとかまでするんで
牛島悠紀
そうすると当然お金がかかるわけですよね
落海達也
で通常の常識で言うと未開送の物件売るのに
牛島悠紀
お金をかけて売るっていうことはあんまり考えづらいんですよね
落海達也
なかなかそこまでやる会社ってないと思うんですよ。
近藤淳也
開催の設計があって、その設計に沿ってお金をかけて一旦
落海達也
手間、暇かけてやって家具まで配置してやるっていう
すごくやっぱ手間もかかる
物件の売り方とWEBページの作成
落海達也
それこそ横流しするんだったら掃除屋さん入れて
あともうすぐウェブ簡単に作って販売っていうのをできるんですけど
やっぱそんだけ「愛やる現状売り」っていう形でやると
ウェブもやっぱその愛あるウェブっていうか
そのいわゆるなんかそのコピペして写真貼ってみたいなウェブじゃなくて
ちゃんとその物件にタイトルとかまでつけてロゴまで作ったりとかして
そうですよね
近藤淳也
八瀬さんの物件ページは物件ファンをやってる僕の目からしても
全国トップクラスの手間暇のかかり具合
物件ごとにページが違うっていう
落海達也
そうこれは初世の非常に大きな強みというか
ウェブ担当の人が営業担当者よりも多いっていうね
近藤淳也
そうですか
落海達也
そうなんですよ
あのウェブチームがあってこその初世のこのアピールの仕方
っていうのは本当にあるんですけど
近藤淳也
なるほど
じゃあまあちょっと新しい売り方まで編み出しちゃった
っていうことになってるんですね、おちみさん
落海達也
うん、なんかそんな感じになる
でも今ややそれが発展の中ではスタンダードみたいな
感じになって、その他のスタッフ社員も
大体みんなそういう形にしてますよね
近藤淳也
じゃああれですか、瞑想の仕方とかもレクチャーしたんですか?
落海達也
みんな一時間ぐらい瞑想する
瞑想はある意味、私の趣味みたいなものもあるので
近藤淳也
イメージはこうやってやると振ってくるんだよみたいなレクチャーとか
落海達也
そこはもうレクチャーするもんじゃなくて感じるもんですから
それは個性というかその方の特性があるから
そういうのが得意な人もいれば
いろんな人に石鹸先生にお願いしてやるって人もいるし
自分の場合はそういうのが好きなので
小学校から大学までの経験
落海達也
そういうやり方でやってるっていうのがあるけども
でもやっぱ八世の未開装物件は
だいたい家具とかもあったりして
古い建物なんだけど、なんか嫌な感じがあんまりしないと思うんですよね。
なんかちょっとイメージしやすい、生活のイメージがしやすいので、
そこが、いざこれから買おうという方にしたら、少し敷居が下がるというか、
なんか申し込もうかなみたいな感じ。
近藤淳也
いやー、なんか実際、うちも買わせてもらうときに、なんかそういうイメージが湧きやすかったんですけど、
そこまでの逆に下準備というか
ものがあったんだというのは改めて知って
なるほどって思いました
落海達也
特にこの近藤亭の場合
なんか屋上があるじゃないですか
あんまり八世で屋上のある物件ってないので
こうやって屋上のある物件といえば
牛島悠紀
やっぱ芝生じゃないですか
画面に書いてあります
芝生でここでキャンプ
テント張りたいみたいな感じで
落海達也
妄想プランでは芝生にして
そこにドームがもうねあまり見たことないなドーム型のテントでそこの芝生で大の字になって気持ちいいみたいなそんなそんなイメージが湧いたんで
牛島悠紀
でもそれがまさに今この屋上が芝生になってなんならそん時イメージしてなかった雪だるままで作っちゃったかしら
あんなに積もると
なるほどその手があったかっていうまた新しくそのインスパイアを得たなと
落海達也
屋上で雪だるまのそんな発想ないですよなかなか
それは新しいなと思って
牛島悠紀
でもすごい近いとこも
落海達也
本当にそこまで忠実に
しかもシェアアトリエまで入って
でカフェまで入って
牛島悠紀
なんかすごい絵に描いたもの
落海達也
衣装のものが今もできてるんで
そこはかなり感動的でしたけどね
近藤淳也
そうですか僕も
そのやっぱり妄想の力っていうか
イメージの力すごいな、こういうものがあったら面白いんじゃないかっていう
1個イメージを示されると、みんながそのイメージに寄ってくるというか
本当にね、アトリエに使えないですかみたいな
牛島悠紀
そういう発言が来たんですよ
びっくりしました
近藤淳也
本当に最初に、おちみさんが描いたものに近いものが出来上がっていると思うんですけど
落海達也
いや、面白いな
近藤淳也
じゃあ今のお仕事はそんな感じだと思うんですけど
ちょっと振り返っていきたいなと思うんですけど
牛島悠紀
出ましたね
近藤淳也
おちえみさんの人生を
落海達也
ドキドキしちゃいます
近藤淳也
そうですかどのあたりから振り返りますか
落海達也
どうでしょうね
近藤淳也
どういう人生なんですかおちえみさん
落海達也
なんかそれこそ近藤さんなんかも
今までのこのラジオって僕も全部ほとんど聞いてるんですけども
そんな中でいろんな 曲折した幼少時代を過ごしてる方もいらっしゃれば
近藤さんなんかは結構小学校とか中学校とか楽しくて過ごしてたみたいな
そうかな
でもあんまり友達になかったって言ってましたっけ
小学校は確かに
僕はあんまり不安とかもなく 楽しいことしか考えてなかった感じで
いわゆる小学校、中学校っていうのは もう楽しいイメージしかなかったんですよね
で、高校は男子校に行くことになるんですよ
で、そこで3年間男子校に通ったことで 女性としゃべれなくなったんですよ
女性との会話恐怖症で
牛島悠紀
言ってみたら
近藤淳也
めっちゃ好きそうじゃないですか
落海達也
今は大好きなんですけど
今は大好きなんですけども
近藤淳也
余計なこと言いました
牛島悠紀
当時は本当に妹とお母さん以外は
落海達也
あとは文化祭の時にたまたま自分のところに来てくれた人と
牛島悠紀
とそれもドキドキしながら喋った ぐらいでそれ以外喋ることがない
落海達也
ぐらいほぼ喋ってないんですよ 3年間それぐらいのこともあって
すごく人との会話っていうか女性 と特に女性と喋るっていうのが
非常に苦手な時期でどうしよう みたいな感じになって
近藤淳也
ちょっとでもわかります僕も大荷甲 さんが男子クラスで何て言うんですか
架空の生物みたいになっていきますよね。女子高生とか。
落海達也
男子校は通われたことがあるならわかるかもしれませんけど、先生なんかも男子校がずっといるから、
牛島悠紀
生徒たちの笑いを取ろうと思ったらもう下ネタしかないですよね。
落海達也
下ネタ言うと受けるっていうのは男子校みたいな感じで。
なんかまあ男性それはそれで楽しかったりはするんですけど
ただ実際そのプライベートで女性の人と喋るってことが本当にないので
いわゆるその恋愛とか恋みたいなそういうことっていうのも一切全くないっていうか
牛島悠紀
恋に臆病になる形なんですね
近藤淳也
これなんですかこの話はどこに向かっていくんですか
男女感に向かっていくんですか
牛島悠紀
男女感がありますね
落海達也
まあそれはまあそういうその時代を過ごしたっていう
高校時代そっから大学に向かうんですけど
近藤淳也
その前に今度もともとどのエリアでしたっけ
落海達也
何ですか
近藤淳也
あの中高とかは
牛島悠紀
中高中学校とか
落海達也
埼玉県の埼玉市っていうところの小学校
ああそうなんですね
高校は川越にある私立の高校に
牛島悠紀
じゃあわりと関東の都会というか
落海達也
親の実家は島根県なんですけど、当時は親も埼玉県に住んでたので、私の実家は埼玉県なんですよ。
近藤淳也
大学も関東ですか?
落海達也
大学も関東ですね。大学の前にまず予備校も行ってんですよね。一回浪人して。
近藤淳也
どういう専攻を学ばれたんですか?
落海達也
で、その父親が結構その、まあ父は銀行マンなんですけど
全然その父親の仕事の話っていうのは家でほぼ聞いたことがないぐらい
家でしゃべらない、過目な父親だったんですけど
趣味でDIYが好きで
よく庭の鳥小屋とか
家の庭仕事とか家の庭でトンカチ使ったりとか
牛島悠紀
あと円顔を作ったりとかそういうのを見てて
落海達也
それをたまに手伝ったりとかしてたんで
牛島悠紀
結構物を作るっていうのが好きだったんですよね
落海達也
ただその時はまだ建築学科とかそういうのも一切知らなかったんで
あんまりずっと遊んでるばかりいたから
大学って理系か文系かぐらいしかなんとなく分かってなくて
高校の時は理系に所属してたんですけど
理系で大学行くとどんな専攻になるのかなっていうのを調べた時に
なんかそのいわゆる物理とか化学みたいなものっていうのが
牛島悠紀
あんまりイメージが湧かなくて
落海達也
いろいろ調べた時に母親が建築学科っていうのもあるよっていうふうなことを教えてくれて
建築ってこの理系の科目で、基本的には理系ですよね
だけどすごく文系に近い理系というか、そういうようなところでこれなんか面白そうだなと
でいわゆるその理系の学科って それこそ数学とか物理とか
やっぱり大学ってすごく男性が多いイメージじゃないですか
牛島悠紀
ですごく安易な考えで建築って女の子多そうみたいな
落海達也
他に比べたら
でやっぱり女性恐怖症っていうのはずっとあったから
なんかそういうのも克服したいなっていうのがあって
これでまた男性ばっかりの学科行ってしまったら
本当にしゃべれない大人になっちゃうんだろうなとか思って
じゃあ理系でいける女性の多いところっていう
本当に愛な気持ちで建築学科っていうのを選んだんですよ
どうなったんですか
実際建築学科行ったら女性すごく多いんですよ
で、いざ大学入って、他の理系の、他の学科の、そういうことで土木学科の方、友達とかいたんですけど
近藤淳也
聞いたら、なんか女性がなんか223人とか
土木学科
落海達也
3人!って言って、県地学科はもっと普通にいたんで、すごい華やかだったんですよ
牛島悠紀
土木と違う気がする
落海達也
3人かーとか思って
で、だからすごいその女性は多いような学科で、だったんですけど
まだ高校の時の女性嫌いというか女性恐怖症みたいなものは
当然1年生の時には克服できてないわけですよ
だから全然しゃべれないんですよ
しゃべれないんですけど実験とか
その共同でやる時にメンバーに女性がいた時に少しずつ話す機会
自分から率先するというよりは他の人が話してるところに
ちょっと自分も乗っかって話すっていう形で
徐々に打ち解けいきながら
2年生ぐらいでようやく女性と1対1で話せるようになったっていう
舞台を手掛ける建築展
落海達也
それぐらい全然しゃべれなかったんですよ
わかりますけどね僕なんとなく
そうなってくると結構世界が広がるっていうか
いろいろな男性集団の特有の感じから
またちょっと考え方の違う女性の考え方みたいな
そういうような人と話すことで
何かいろいろとまたイメージが広がるというか
やれることも変わってくるなというのを
そう感じたのが大学2年生ぐらいの時
はい
近藤淳也
それがメインですか
落海達也
はい何がメイン
牛島悠紀
いや分からないですけど
これ話がどこに到着するのか
近藤淳也
建築なんですよ
落海達也
でも建築に関してもね
もともとそういう安易なところで入ってたりはするじゃないですか
女性が多いとか入ってるから
牛島悠紀
デザインとかいわゆる他の学生たちの
落海達也
いわゆる建築オタクみたいな人もたくさんいたんですけど
いろいろ有名な安藤忠夫とか黒川季生とか
そういう著名な建築家をすごい好きな人たちも
周りの中にいた中で
自分はそこまで建築家を好きでめちゃめちゃ建築家好きで入ったっていうわけではなかったんですよ
でもそういう建物を見ることは好きだし
その建物を実際現地を海外の旅行とかしながら見て回ったりはするのは好きで
そういう時にこの時の空間良かったなとか
そういうのを感じるのは好きだったんですよ
牛島悠紀
だから実際にその時は自分が設計するというよりは
落海達也
ある方の考えた空間を感じることが好きな建築少年というか
だからいろんな建築は結構見てるんですよね
もしかしたらその時の色々見た光景とかが
その妄想、今の妄想の引き出しになってるのもあるとは思うんですよね
牛島悠紀
だけど自分はバリバリ設計して建築家で食っていくっていう感じではなかったんですよ
落海達也
そうなんですね
牛島悠紀
それでそんなのもあって
落海達也
今度大学3年生の時にまたひとつ天気が訪れるんですけど
建築展っていうのが大学であって
それは建築学科が主催で
ストリートパフォーマンスとの出会い
落海達也
校内のキャンパスを使っていろいろと建築作品とかものを作って
一般の方に来てもらうっていう そういうイベントが展覧会というかあったんですけど
それにちょっと友達が参加するって言った時に ちょっと俺もやりたいってやったんですけど
その時に参加したチームっていうのが キャンパスにちょっとした舞台を作って
そこで舞踏家の人が踊るという形
でその舞踏っていうのがまた特殊で暗黒舞踏って言って
近藤淳也
真っ白の
落海達也
大落打館っていうのがすごい有名な方で
まろわかじさんっていう有名人もいらっしゃいますけど
そういう方がいて
でそのある先生のお知り合いで
牛島悠紀
左官の職人で左官職人やりながら
落海達也
暗黒舞踏をやってるような方がいて
その方がその舞台を土で舞台を作って手を使って作って
その上で舞踏家さんが踊ってくれるというイベントがあったんですよ
その時に初めて土を手を汚して土を練って舞台を作って
牛島悠紀
それがめちゃくちゃ面白かったんですよ
その暗黒舞踏家さんというのは顔を銅鑼で真っ白に塗って
落海達也
まず広告というかお客を集客してこいというふうに言われて
自分たちも舞踏家のような白ノリになって
高田のおばばとか
近藤淳也
ほとんど裸みたいな格好ですね
落海達也
そうです
牛島悠紀
めっちゃ恥ずかしい感じなんですけど
落海達也
不思議なことに白ノリになると自分じゃなくなるんですよ
近藤淳也
そうなんですか
落海達也
ほぼ全部自分なんですけど
仮面になったことで自分というふうに認識されてないというふうに思う自分は
その状態でもうかなり奇抜なファッションというか格好で
高田のババとかめちゃくちゃ人の多いところに行きながら今度建築店やりますってやってるの
牛島悠紀
それがめちゃくちゃ快感だったんですよ
快感だったんですか
落海達也
やったことない経験したことないことで
その人前でもう恥ずかしがり屋でそんな人前でそんなことするなんてこと考えたこともなかった一人の人間が臆病な人間がですね
近藤淳也
恥ずかしがり屋だったんですね
落海達也
特に女性恐怖症っていうのもあったし恥ずかしがり屋でもあったんですよ
それがその動乱を縫うことで恥ずかしくなく街中に行くことができて
それでいろんな方としゃべって今度建築展来てくださいねって言って
建築展をいざ実際にやるといっぱいいろんな方が来てくれて
すごく楽しいこれは楽しい何だろうなこの感じはっていう
だからいわゆる設計図とかじゃないじゃないですかそれは
やっぱりその人が動いて
そこに自分も参加したことがすごい楽しかったっていう経験があって
そのきっかけにその暗黒武道家さんとすごく仲良くなって
ちょっと今度舞台あるし
裏方手伝ってくれたら舞台ただで見ていいよというようなことで結構舞台をちょくちょく裏方さんやらせてもらったんですよ
でその時にいろんな照明さんとか大道具さんとかいろいろ知り合って舞台が終わるとみんなでお酒飲んだりしながらいろいろとお話するっていう
牛島悠紀
で変な人ばっかりじゃないですかその白暗黒武道の者とかあとゴールデンさんって言って全身金粉の人とか
近藤淳也
ゴールデンさんいるんですか、白じゃなくて。
牛島悠紀
みんな建築系なんですよ。
落海達也
作家とか、土方の人で、だけど夜はゴールデンだったりとか。
牛島悠紀
すごい。
落海達也
建築とそうじゃない別の顔を持ってる人たちとずっと一緒にいるうちに、
結構人の営む行為っていうか、そういうものにすごい興味を持ってて。
で、この時に結構新宿とかあの辺りには、昔、今ないかもしれないですけど歩行者天国があって、そこはもう本当大道芸をたくさんやってるような場所で、その大道芸っていうのがめちゃくちゃ興味を持ったんですよ。
で、暗黒武道をやってる人たちが実際に出るようなこともあったし、そうじゃない、音楽でやってる人とか、あとピエロみたいな人がいたりとか、
いろんな大道芸を見ててなんかもめちゃくちゃ楽しいなと思って
で大道芸楽しいなと思ってでも自分がいるのは建築学科で
でそんなそうこうしてるうちに卒論の書かなきゃいけなくなって
牛島悠紀
卒論をテーマにしたときにずっとその他のメンバーたちは
落海達也
大先生の図面と設計とかね建築勉強してきてるのに
牛島悠紀
俺はなんかその暗黒武道とか全然ちょっと違うところに路線進んじゃって
落海達也
どこで間違えたのかなとか思いながら
でも自分が所属してるのは建築学科だし
どうや論文のテーマが全然思い浮かばなかったんですよ
そんな時に先生というか研究室ゼミを選ぶ時に
一つ人間行動学を専攻してる先生がいたんですね
ストリートパフォーマンスを研究テーマに
落海達也
渡辺ひとし先生という
その方の研究室ではスキー場でのリフト乗り場での人の流れとか
なんかあの災害の時に避難する時に人がたまるとか
それこそこの前韓国で起こったような人の流れの事件とかもありますけど
ああいうその群衆行動学みたいなのとかを研究
コンピューターのシミュレーションでやってるような研究室があって
ここだったら人に焦点を置いた研究ができそうだなと思ってそこの事務所に入って
先生に相談した時に自分はストリートパフォーマンスが好きなんですって言ったら
それをなんとか論文にする方法がないかと思いついたのがストリートパフォーマンスを誘発する空間の研究っていうテーマなんですよ
これがどういうテーマかというと、いろいろ商業施設ってあるじゃないですか。
商業施設っていろんな人を呼びたいので舞台とかを作ったりするじゃないですか。
その舞台を計画するときには、どっちにしようも設計をしなきゃいけなくて、
それが何にも知らない人が設計したら、そこの広さとか高低さとか全然わからないんだけども、
そういう時にストリートパフォーマンスは 縁目ごとにいろいろ研究をして
この縁目の時はこういう肯定差があると 人がこういうふうに集まるよねとか
いろんな場所で調べて それを論文にまとめるっていう
それを要するに設計の指針とするという だから設計じゃなくて設計の指針を作るっていうようなテーマで
やった論文がすごく面白かったんですよ
でストリートパフォーマンスがそのまま研究になるんだって本当にいろんなストリートパフォーマンスで
なんか千葉県にも野芸大道芸っていうフェスティバルっていうのがあって
野芸に行って大道芸いっぱい見たりとか
でもそれ一人だとなかなか難しいので
牛島悠紀
共同研究者もいて一緒に集まり方をプロとして
落海達也
やったりとかして
牛島悠紀
でいざ中間発表みたいな時に
落海達也
今までもこういう研究した人実はいると
牛島悠紀
で、新規性がないっていうかなり黒標だったんですよ
近藤淳也
へぇ、そうですか
落海達也
で、なんだけど
それは、お客さんのたまり方ばっかりをプロットしてた
エペアのリサーチだったんですけど
そのパフォーマーの意志がどこにもないと
牛島悠紀
そんなたまり方するけど
落海達也
嫌がってる、本当はそういうふうに思ってないかもしれない。こういうふうな集まり方がいいけど、空間がそうだから結果的にそういう集まりになっちゃってるかもしれないっていう。
そのパフォーマーの立場でのリサーチが欲しいよねみたいなことを言い出す先生が現れたんですよ。
えぇ~っつって、パフォーマー自分でやったらいいじゃんみたいなことを言うわけでしょ、簡単に。
で、暗黒武道をやってる職人さんに相談したところ、あの、やったらいいじゃんって言うんですよ。
今度は井の頭公演でパフォーマンスしに行くし、
おちゆみくんも一緒に行こうよってちょっと手伝ってあげるかなみたいな感じで。
で、一緒に行ったら衣装とか貸してくれるんですよ。劇団式から払い下げっていうかもらった、
ちょっとギラギラしたような衣装と、あとドーランとか塗ってくれて、
で、あとまずじゃあそもそも何しようみたいな話になって
やったらこのデビルスティックって言って
棒2本でこの1本の棒をこうやって操るような
カンカンカンって回転させたりしながらするような
そのことをやってるおじちゃんがたまたまいて
おチームがあれいいんじゃないみたいな感じになって
牛島悠紀
急にそんな
落海達也
え~ってこうやって
でその人はその棒も売ってたので
ちょっとおじさんってこの棒を貸してくださいつって
え、その場で?
そうそうそう、化粧もしてるんですよ
牛島悠紀
え、今からやります
落海達也
何しようみたいな。
全然できないですよって言ったらいいんだよそれで。
って言うんですよそのサドル。
え、でもできないですよ。
牛島悠紀
練習もゼロで。
落海達也
その時に
牛島悠紀
舞踏家さんがやったのが
スケッチブックに私は駆け出しの芸人です。
落海達也
失敗もたくさんしますけども
牛島悠紀
応援してくださいっていう
スケッチブックで書いて置いておくんですよ。
落海達也
で案の定失敗ばっかり
牛島悠紀
するんですけど結構人たまるんですよ。
落海達也
なんなら投げ銭とか
とかまでしてくれる人が現れて 何これと思って芸ができないのに
人が集まるっていうこの魔法の スケッチブックと化粧というか
仮面みたいなそんな特技みたいな のを教えてもらって芸できなくても
一応リサーチはできるなと思って いろんな場所でやりながら共同研究者
と人の集まり方とかそういうのを プロットして研究してでいざ
発表のなった時もみんなスーツで発表してる中で私だけこの白のリボン
こんなことをしましたつって
すごいだいぶ
帽子を置いてスーツ着てるんですよ
落海達也
で真面目な人はもう最後の方だったねみんな眠そう先生も眠そうな中で
一人一室な存在の人が現れてこんなことしましたってその頃には結構上手くなってるんですけど
そしたらもうその発表にもかかわらず投げ銭飛んでくんですよ
近藤淳也
え~すごい
それも理解がありますね
落海達也
学生さんからね
牛島悠紀
それで結果的に最優秀を受賞するんですよ
落海達也
研究内容もちろん新しい視点でやったってのもあるんでしょうけど
牛島悠紀
やっぱそうやって学生
ある意味学生らしいじゃないですか
落海達也
そうやって体張ってやるっていうのも
舞台建築への興味
落海達也
そういうのが評価されて最優秀賞みたいなのを受賞して
なんかよくわかんないけど、なんかやってよかったなぁみたいな感じだって。
すごい面白かったんですよ。
近藤淳也
いやー、なかなか面白いですね。
牛島悠紀
そう。で、やっぱりなんかね、人なんですね。
落海達也
あくまで建築っていうのは舞台で、
やっぱりフォーカスは人なんだなっていうのが、
なんとなくその大学の時、そういうのを感じてましたね。
近藤淳也
なんかそこは一貫してる感じしますね。
さっきの最初の、今の家づくりの話。
落海達也
そう、よく考えてはそうですね、と。ね、確かに。
はいはいはい。
近藤淳也
じゃあそんな、最優秀とって?
落海達也
でその時にやっぱりその舞台建築とかそういうものに当然、建築なんだけど建築じゃない。
で舞台ってやっぱ儚い、特に照明さんなんて一瞬のその時しか残らないし、なんかその舞台に関わる仕事をしたいなぁみたいなことを思って、
都内でもディスプレイ会社っていうのが大手があって
そこにそこしか申し込んでなかったんですけど
なんか5時面接か6時面接ぐらいで落とされちゃったんですよ
まさか落とされると思わなかったんですけど
近藤淳也
1社だけ受けた?
牛島悠紀
1社しか受けられなかったんですよ
近藤淳也
照明の会社?
落海達也
照明じゃなくてディスプレイ会社で
炭性社っていうディスプレイ会社があって
結構面白い分解施設作ったりとかする
牛島悠紀
それも建築的であるけども
落海達也
ちょっと面白いエンターテイメントに収まって
これまさにぴったりだと思って
これやろうと思って
近藤淳也
自分がいけば絶対いけるだろう
落海達也