1. インターネットラジオ・水曜日の縁側
  2. #1 大学生の頃から27歳まで何..

計画的だったわけではないけれど、なんとなく昔の自分が今につながっているような。そういえばこれまでどうやって生きてきたっけ...?3つの時代に区切って振り返ります。第1回は、大学生から27歳まで。おもたせを囲みながらのんびり話します。


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00:01
3月31日、水曜日の8時になりました。
こんばんは、そしてはじめまして。
水曜日の縁側は、弊社のSakiとスタートアップの代表しているMioがお届けするインターネットラジオです。
お気に入りのおもたせを囲みながら、ライフスタイルやキャリア、日々のちょっとした気になることについて、毎回一つテーマを決めて、縁側にペタンと座りながら語り合います。
週の真ん中の水曜日に少しだけ立ち止まって、明日からの生活がちょっと刺激的で楽しくなるようなひとときを、聞いてくださる皆さんと一緒に過ごせたらなと思っています。
インターネットラジオ・水曜日の縁側は、各週水曜日の20時の配信です。東京と北海道からそれぞれリモートで収録しています。
縁側トークのテーマや召喚したおもたせは、番組ツイッターでも紹介しているので、そちらもご覧いただけると嬉しいです。
今回私とさきさんは、北海道と東京でリモートで収録をしているんですけど、お互い同じものを語りながらお話できたらいいよねっていうことで、毎回おもたせを用意することにしました。
はい。楽しみ。
縁側トークのおもたせのリストを作っているときがすごく楽しいよね。
これすごい楽しくて、ほっといたら止まらなくなっちゃうから、私も時間を区切ってやったんですけど、これからいろいろ出てきますよね。
楽しみ。
今日はね、今日はほうじ茶です。
お茶の中では意外とほうじ茶が一番好きかもしれない。
さきさんよく飲みます?お茶。
お茶飲むんですけど、でもなんか、なんだろうな、緑茶とかももちろん嫌いじゃないし好きなんだけど、ほうじ茶ってずっと飲んでられるじゃないですか。
私、ほうじ茶癒されてすごい好きで、あまりミルクを入れたりとかして、ストレートだけじゃなくて飲んだりもするんだけど、
たぶんこのしっかりした感じとかもすごい好きだし、
今日は、いつも冬に金沢に旅行に行くんだけど、ここでいつもかがぼう茶を手で買っていて、ここで買ったほうじ茶を今飲んでるんですけど、
なんかすごく、かがぼう茶もすごい好きなんですよね。
おいしいですよね。私も金沢に行ったとき、かがぼう茶買ったことあって、
03:02
なんか独特の、なんだろう、煙っぽい、なんだろう、いぶしたような香り結構強くしますよね。
なんかそれが結構、なんだろう、いいアロマになって癒される。
分かるかも。
私もね、私は今日は京都のほうじ茶を飲んでるんですけど、
京都のほうじ茶有名だもんね。
有名ですよね。私そんなにお茶は詳しくなかったんですけど、私の夫が全然お酒を飲まないから、
そうなんです。だからお茶ばっかり彼は飲んでるから、私もお茶のレパートリーが多いので、
ほうじ茶は確かにね、なんかアロマってすごい分かる気がします。
なんだろうね、なんかそれこそアメリカ人とかもほうじ茶プレゼントするとすごい喜んでくれて、
なかなかやっぱりああいうちょっとスモーキーな感じで、なんかずっと飲む、
やっぱり緑茶ってカフェインがすごい感じがバーンとくるから、
なんかずっと飲み続けられないっていう外人の人も多いんですけど、
日本でみんなおいしいって言って飲んでくれるので、よく飲んでます。
そうなんですね。
そうかそうか、海外の方が沿岸でほうじ茶飲んでるシーンって、ちょっと想像するといいですね。
多分その、なんだろう、もちろんね、デリケートに丁寧に入れていくっていうのもあると思うんですけど、
なんかほうじ茶だとちょっとなんかこう、大きいマグカップとかにこういって、
こうなんかじっくり飲めるみたいなのもいいかなって思います。
確かに、私も今結構大きいマグカップに入れて、割とガブガブ飲む系統持ってきています。
じゃあ今日最初はお持たせはほうじ茶ということで、これを飲みながらお話しできればと思います。
で、この水曜日の縁側っていうラジオは毎回ね、ちょっとテーマを一つ決めて、それにとってお話をしていきましょうっていうものなんですけれども、
今回は初回なので、私たちの何をしてこれまでね、どんなことをしてきた人なのかっていう紹介も兼ねて、
一旦時代を区切って、大学生から27歳までお互いどんなふうに過ごしてきたかっていうのを話したいなって思っています。
はい、私とさきさんって社会人になってから出会っていて、お互いそういえば学生の頃の話をちゃんとしたことがないような気がして、
ないですよね。だから私も実は知らなくて、今日はいろいろ私すごい自分が聞きたいことがたくさんあるって感じです。
06:09
早速聞いちゃうんですけど、さきさんね、今グローバルなブランドの会社で海外の役員されてるから、そういうキャリアから考えると、
学生時代からね、英語が流暢だったのかなとか、あとやっぱりその経営に携わっているっていうところからも、
なんかそういう学生時代からの描き下げてたリーダーシップとかもあるのかなとかって思ったりするんですけど、大学生、大学の先生ですね。
そうです。私は兵庫県で大学卒業するまで実家にいたんですけど、私中学校がアメリカだったので、
その時はアメリカに住んでて、また同じ家に戻ったっていう形。
でもなんか本当に大学時代って、なんか私もいろいろ思い出す、今日話すと思って思い出したけど、
本当になんか、人に語れるような素晴らしいことをしたことが全然なくて、たまには働きまくってたっていう感じだったんですよ。
働くってアルバイトですか?
めちゃくちゃ人としてて、それこそウェイトレスとかもしてたし、他の先生とかもしてたけど、
有野温泉って兵庫県にあるんですけど、温泉の中井さんやったりとか、土日のね、秘書センターっていう秘書サービスっていうのがあって、
秘書って秘書ですか?
えっと、中小企業の会社さんが電話番とかがいないから、電話系を委託するみたいなサービスがあって、
それは当時秘書センターっていう前でやってたと思うんですけど、
そこでだから土日は9時5時で働いてた。
そう。
土日は大学行って、
しかも出席は厳しい学校だったから、学校に行かなきゃいけなくって、
行ってたんだけど、無理くり曜日をガーッと寄せて、朝から晩まで学校にいて、
残念な数日は行かなくてもいいようにみたいな。
えー、そこまでして、
お金を稼ぎたい理由があったりしたんですか?
海外旅行にすごい行きたくて、
フランスに留学したりとかもしてたんだけど、
09:02
そんなお金貯めてるかっていうのもあったり、
とにかくブワーッと働いて、
ドーンって海外行ってみたいなのを、
冬とか繰り返してた気がします。
へー、それはもう大学1年生から。
でもそうかもしれないです。
行く場所とか使えるお金の量はもちろん年を重ねるごとに上がったと思うんだけど、
最初はそれこそグアムとかソウルとか、
ソウルから始まって、
最後はヨーロッパに3週間みたいな感じで、
行ってたりしてたかもしれない。
あー、じゃあかなり本格的な旅行ですよね。
タイでホームステージたり、
そうそう、タイで。
大玉公園があって、
チェンマイっていう、しかもバンコクでもない、
すごいちっちゃな村?
タイのチェンマイってたまに聞きますね。
そこの小さい子供がいるお宅にホームステージさせてもらって、
すごい思い出した。
その時に嵐がすごいブームだったの、日本で。
あの嵐?
嵐の嵐っていう歌あるじゃないですか。
あるある、レビューのですね。
それがタイですごいブームだったみたいで、その時。
で、泊まってる、ステイしてるお家のご両親が、
たぶん学校の先生だったのかな。
それで学校一緒に見学に来たらっていう風に言ってくれて、
学校に見学に行ったんですよ、その先生のクラスに。
で、ただ見てるだけなんだけど、
小学4、5年生くらいのクラスに行ったら、
日本人だって先生が説明したから、
あっち歌って、みたいになったんだよ。
おー、なるほど。
そのクラスたぶん4、50人いると思うんだけど、
その子たちと一緒に嵐を熱唱するっていう。
全然覚えてなくて、あっち嵐しか言えなくて。
それ以外は全部ググった歌詞を。
それを見ながら歌ったっていうのが、今ちょっと思い出した記憶。
なかなかの、だってね、タイの子どもたち40人の前でって言ったら、かなり緊張しますよね。
そうなの。しかも歌ったこともない歌を歌う。
なるほどね、すごいな。
そうか、なんかそういう話を聞くと、
さきさんは学生の頃から、なんていうんでしょう、
度胸がある性格ではあったのかなって思うんだけど、そうでした?
12:04
でもなんか、やってみてなんとかするみたいな感じはあるかもしれない。
そこは今もそうですか?
考えてないかも、そういう意味。
へー、なるほど。
逆にどうでしたか、三尾さんは。
もう私、私なんかもうほんと、私は卒業の大学にいたんですけど、
ベリー・ダンス部にいたんですよね。
なんかそれを見てる。
見たことあるかもしんない。
ありましたっけ。
私は青森県の出身で、それまでダンスなんかやったことないと思うんですけど、
もう全然、なんていうんですか、踊る系のことって、
高校の体育のダンスもすごいつらいくらい、
ダンス苦手意識があったんですけど、
でもね、大学に入る前にオープンキャンバスがあって、
それに青森からね、あの観電車に乗って行った時に、
その私が行ってた大学のベリー・ダンス部が学園祭で踊っているのを見て、
衝撃だったんですよ。
そう、絶対これやりたいと思って、
で、無事に入学した後は、もうそこにすぐ入って、
もうそう、ずっとだから部活やってて、
もう何もしないんです、私部活が。
バイトはしてたけど、
バイトはしてたな。
踊るためにバイトは、でもさきさんみたいに、
私も結構働いてました。
やっぱ働いてるね、みんなね。
働いてた、そう。
土日の9時、5時はさすがにそこまでは働いてなかったけど、
私は旅行とかの目的ではなかったんですけど、
とにかくダンスにお金がかかるから衣装を買うとか、
ベリー・ダンスって今でこそ、
そう、今でこそ市民権を得てるんですけど、
私がやってた時って、
スタジオも多分全国に数軒しかないみたいな、
マイナーなものだったので、
全部お金かかったんですよね、衣装を買うとかも。
そうそう、レッスン代とか。
だから私はもうダンスとバイトと、
何も考えてなかった。
何がすごい最初に引き付けられたポイントだったの?
ベリー・ダンスは、なんだろう、
青森、青森って言ってますけど、
高校生の時って結構保守的だったんですよね。
あんまり自分の感情を表に出して表現するっていう機会があんまりなくて、
なかったんだけど、
ベリー・ダンスって本当に女性の喜び、悲しみ、怒りとか、
15:01
そういうのを体とかで表現するんですよ。
それを初めて見た時に、すごい憧れを持ちます。
表現するっていうことが?
そうなんです。
だから踊りながらアラビア語の歌詞を口パクで歌ったりするダンサーさんとかいらっしゃるんですけど、
すごいそういう表現に憧れになっちゃって。
だから多分ギャップがあったんでしょうね、高校まで始めると。
面白い。
じゃあそこから性格とかも変わった感じ?
多分ね。
変わったと思います。
割とはっきり言うようになったりとか、
高校生の頃までって、
種に交われば赤くなるじゃないけど、
目立たないようにしておくのが正義だと思ってたんですけど、
結構大学に入ってからは、
割と自分がいいと思ったものが正解なんじゃないかって、
だんだん思えるようになるような気がしますね。
でもそういうきっかけがベリティさんにあるのかもしれないですね。
あるのかも。
だからそうですね、大学生の頃は勉強の思い出とかっていうよりも、
なんか自我のフェントというか。
すごいね。
ただね、さきさんは大学の時って将来のことを真剣に考えてました?
いや、考えてない。
私も本当に主婦になりたかったの。
前ちょっと言ってましたよね。
なんか支える妻に憧れてて。
なんかね、なんでだろう?
それにすごい憧れてて、
ちょっとうちの母がそれに近いところがあるからっていうのもあるかもしれないんだけど、
なんか結構、三歩下がってじゃないんだけど、
そういうジャパニーズワイフに憧れてたのね、その時は。
だから当時付けてた人がいて、
この人と結婚するのかなって思ってたし、
ちょっと年上の方だから、
そのまま社会人になって、
ちょっと働いたらもうすぐ結婚しようぐらいの気持ちで、
あんまり仕事を真剣に考えてなかったかもしれない。
へー。
そうか、じゃあそういう前提で就活にしたんですか?
とはいえ、なんかすごい、
こんなこと言ったらあれだけど、
その時付けてた彼が東京に住んでいて、
東京に行きたいって思って、遠距離だったから、
18:03
そうすること。
東京に働ける会社を探そうって思ったの。
たまたまいろんな会社があったんだけど、
その当時は結構、私の時代って職種別採用っていうのがあって、
それこそ人事部に応募するみたいな感じで、
そういうことも結構職種別に応募してた時代。
私は人事とか、人がすごい好きだったから、
メーカーとか企業だったら人事とかを受けてて、
人事、人っていう絡みで人材派遣とか人材紹介とかの、
人系ビジネスの会社を受けてて、
そういうざっくりとした、ここに興味があるからこの領域受けようっていうことと、
どこに行きたいなっていう、その2つぐらいは決めてたけど、
先々、長い将来、こういうふうにやっていきたいみたいなのは、
へー、なるほどね。
そうか、私が就活した時って確かね、一般職と相談職っていう2つだったんですよ。
なんかね、私たちの時もそれがあったんだけど、それにプラスしてね、
なんかね、職種ごとに応募してきたんだよね。
へー、面白いですね。
逆にみおさんは、就活の時はどうなったんですか?
いや、私はね、私なんかほんとアンポン団で、
ほんとにダンスがしたかったんですよね。
その時もしたかったんだ。
そうしたくて、その時は3年生の後半とかですよね、確か就活ってね。
その頃は都内のアラブ料理とか、あとなぜかインド料理のレストランとかで、
踊るようになってたんですよ。
すごい。
でね、すごい、プラス稼がなきゃいけない私にとって、
レストランでもギャラってすごい大きくて、
もうぶっちゃけて言うと、20分踊るだけで何千円もらえるとか、
当時の私にとっては大金で、
なので私そっちにもとにかく時間を割きたかったから、
就活が恥ずかしくてしょうがなかったんですよね。
だからとりあえずリクナビには登録するけど、
リクナビに登録したところでやりたいことなんか全然わかんないし、
とにかく一番早く説明会に行けるところに、
とにかく先に応募していこうっていう考え方で就活やってて、
21:04
で、一番最初に内定をもらったのは製薬会社だったんですよね。
で私はね、そのまんま製薬会社の中でも、
どんな仕事をするのかもわかんなかったのに、内定をもらってそのまんま入社しました。
そうだったんだ。
そう、だからね、私前の会社で人事やってたことがあるんですけど、
新卒採用やってるとみんな学生さんに接するじゃないですか。
マジでしっかりしてるのかって。
そう、なんでこんなに自分のことが、
しかも短期的な自分、長期的な自分みたいな感じで話すじゃないですか、学生さん。
ね、なんか当時人事やってた30歳くらいの私なんか、
10年後何やってるか全くわかんないのに、
学生さんすごいなと思って。
思いました。
すごいよね。
すごいすごい。
でもさっきさ、人が好きっていう軸があって、
で、人材。
そう、一番前は人事件の会社に、東京勤務で。
東京して、無事に一人暮らしをして、
そう、なんか思って、
彼とも近くに行かなくて。
あるあるだよ。
なんででしょうね、あるあるですよね。
だけどなんか今でもほんと東京、なんか東京ってすごいみたいな感じだった。
わかる、すごいわかる。
どこ住んだんですか?
千代田線の仙滝っていう駅にあったマンションに住ませてもらって、
なんか私ほんと日本の人に住んでたから、
とにかく、戻り駅まで歩いて3、40分かかるの。
で、バスもなんか8時に終わっちゃうみたいな。
ほんとなんか親の遅れ迎えなしには生きていけないみたいなところに住んでたのに、
歩いて2分みたいな駅、日から2分みたいなところのマンションに住めてて、
なんかすごいとか、
コンビニとかも歩いて30分くらい行かないといけなかったのに、
目の前にコンビニがあるみたいな、
文明の、そういう原始人みたいな、
大の人だよみたいな全てに嬉しいみたいな感じだった。
へー、でもわかるな。
私も東京に、私は大学生で出てきたんですけど、
なんか当時私も線路の近くに住んで、
線路の近くで住めるんだって思いました。
送って家建てていいんだって。
確かに。
そっか、でもね、都会に来て、
24:01
で、一人暮らしを始めたんですよね。
人材保険会社で、
保険会社で営業をやるつもりで入ったんだけれども、
結局すぐ、
新規事業の立ち上げの部署みたいなところに移動になって、
新卒の夏くらいまでは研修があったんだけれども、
秋からは留学とか旅行を手掛けている小さい新規事業の会社があって、
その会社に出向になったのね。
実は一回も派遣業をやってないの。
そうなんだ。
それはどうしてそこの新しい事業の立ち上げに行くことになったの?
なんか、後輩族がたぶん9月だか10月だかに決まるんだけれども、
それまではローテーションでいろんな研修先を回っていて、
まさかそんな会社があるとも知らない状況で、
普通に同期が250人ぐらいだから、
私たちとみんな一緒に派遣の営業なのかなって思ってたんだけれども、
出すともう一人だけ、
小会社に派遣になって、
今思うとたぶん、
私とその子だけ帰国してしまったっていう、
そういうことだと思うんだけど、
それで英語が喋れるからそっちに回されたっていうぐらいの感じ。
でもそこですごい私を学ばせてもらったから、
そこに行ってなかったら全く違う人生だっただろうなと思う。
なるほどね。
そうか、実際そこではどういうことをしてたんですか?
本当に少人数で経験者ばかりで、新卒は私とその子の2人で、
反対促進みたいな仕事をやってもらっていて、
一番覚えてるのは、留学をする人を増やすというか、
カウンセリングに来てもらえるように、
留学について知っていただくっていうのが最初の仕事だったから、
セミナーをやってて、初めての留学セミナーみたいなのとか、
オワホリセミナーとか、そういうセミナーを作って、
それをいろんなところでやってた。
いろんな地域で。
高崎とか、都内までは出てこれないんだけれども、
資料の問い合わせをしてきた人たちがいるから、
その人たちに向けて、サービスをやりましょうみたいな、
わかってもらえるような、そういうことをやりましょうっていうので、
そういうセミナーをめちゃくちゃやってたかもしれない。
27:07
当たり前ですけど、忙しいことですよね。
毎日終電で、すごい走って、新宿駅、駅が新宿だったんだけど、
新宿駅を出して、終電に乗るっていうのを、ほぼ毎週やってた気がする。
想像と違いはなかったですか?
必死だったし、
そういうもんだと思ったら、やれちゃうタイプなのかもしれない。
そういうもんだったなと思ってやってたかも。
そうかそうか。
それが新宿1年目から始まった生活ですよね。
そこから27歳までっていうと、
その後ずっと同じ会社にいたわけではないですよね。
完全に辞めたんですよ、その会社は。
その間にもう一社の立ち上げを立ち上げてもらって、
実際、相関連会社なんですけれども、
オランダの会社との合弁の会社で立ち上げるっていうのに立ち入りをしてもらって、
留学の会社のときもパリ行って、今で言うエアビーみたいな、
中長期滞在者向けのアパート橋のサービスを留学会社のメカでやってて、
その立ち上げもやらせてもらって、
パリに行かされたりとかして。
でもすごいですね。
新宿使われそうな会社ができるなんて、みんな言わないじゃないですか。
今思えば恵まれてるんだけど、
本当に何にも整ってない、何にも決まってないけど、とりあえず行ってこいみたいな、
ばっかりだったって思う。
パリでめっちゃ泣いてた、ずっと。
そうだった、それはちょっと意外かも。
そういうこともあったんですね。
最初の頃とか、3人くらいしかいなかったから、
自分でお客さんを制約して、
その人のフライトの前に自分が飛んで、
あたかも現地スタッフのように、
何々様みたいな札持って空港で待ってて、
トクシーでそのアパートまでお連れして、
そこでアパートの使い方とかご案内して、
何とか館とかのお部屋に行きたいから予約してとか、
レストランの予約してとかっていうのを、
コンシェルジュサービスとしてやってたから、
それも受けてて、
本当にその時本当ベンチャーだったから、
30:01
そこにそれぞれ人が配置されてないから、
英語も全部やらなきゃいけないけど、
何だろう、住んでもないけど、
フランス語もそんな喋れないけど、
全部やらないとみたいな。
終わったらそれからステイして帰っていったら、
そこにまた行って全部掃除して、
スイーツとか布団とかそういうのを抱えて、
あとメトロに乗ってオフィスに戻るっていう、
こういう感じだった。
なるほど。
結構鍛えられたね。
なるほど。
それは心身ともに鍛えられそうですね。
でもそれが新規事業楽しいなとか、
新しいこと作るの面白そうって思って、
次の会社に3年経って転職したけど、
お会社二重のままでは居たかな、
ベンチャーの会社で、
田中ちゃんが会社に居ました。
へー、それ、転職はどういう気持ちだったんですか?
でも新規事業楽しいし、
見たいんだけど、
事業会社にいて、
立ち上げに携わられるタイミングって、
そんなにたくさんあるわけじゃないから、
それを専門にやっているような会社を見てみたいなっていう風に。
なるほど、なるほど。
じゃあすごいポジティブな意味で、
やりたいことがフォーカスされてきたっていう感じだったね。
本当に入社した時のイネベーションとか、
思いとは全然違う形で卒業したよね。
そういう仕事に関わるなんて思ってもなかったから。
多分この後、これ以降の回で、
たきさんがその後どういう仕事をしてきたかっていうのを、
お話またしてもらいますけど、
結構新規事業に関わることが多いんですよね。
人生ってわからないなって、
やっぱりどこまで計画してても、
いろんなことって起こるし、
人生はその時々で毎回、
判断して欲しいと思う道を進むしかないのかもな、
なんて思ったりはするよね。
それはね、私の仕事を。
私、専用医学会社だと知らなかった。
そうかそうか、そうなんですよ。
私、専用医学会社に入って、
何の仕事をするかも分からずに、
入社したんですけどね。
MRっていう仕事だったんですよね。
MRってお医者さんにお薬の紹介をする、
営業のようなお仕事なんですけど、
33:02
こういう仕事だったんだって、
知らなくて、バカなんですけど。
はい、もしもーし。
もしもーし。
あ、ごめんなさい。大丈夫。
全然知らなくて、入社して、
初日に、ちょっと間違っちゃったなと思ったんですよね。
そう、初日に、やっぱりバーって、
割と真面目な感じの同期が300人くらいいる会場に、
私が入った時に、
入社すごく息苦しいって思っちゃって、
私、翌日に退職されて、
すごい。
退職活動を始めたんですよ。
そう、もう親に抱かれて、
ここだけに親子さんに言われたの?
そうそうそう。
一応ね、
専用医学会社って半年間、
ホテルに関連して、
研修なんですよね。
うん。
でもその研修中に、私も結構いろんなところに、
なんか、
面接受けに行ったりとかするから、
やっぱり親に連絡が行く場合もあって、
なんか、
っていうのも理由をね、
ちょっと親の体調が悪くてとか、
言っちゃった時もあって。
そうそう。
だから親にも悲しまれたりしてたんですけど、
で、結局4ヶ月で辞めました。
そうか。
うん。
はい。そう。
で、1週目辞めて、
次に入ったのが、私も人材系の会社で。
はい。
で、そこで、
新しく始まる、
サービスの営業職として。
そこは何かきっかけがあって、
そこに座って決めたの?
うん。きっかけはですね、
それも大きなきっかけはないんですけど、
一番最初に、
へー。
内定をくれたんですよね。
やっぱり新卒で入ったばっかりなのに、
すぐ辞めようとしている、
22歳か3歳の子って、
やっぱりどこも取ってくれない?
もちろんですけど、
なんでって聞かれて、
またすぐ辞めるんじゃない?
みたいな感じで。
でもその中で、
その人材系の会社の方は、
すごい面白がってくださって、
で、
そう、取ってもらったんですよね。
へー、そうかそうか。
営業をやったの、1年かな。
あのあるも言ったら営業だけど、
またその業界が変わると、
全然違う印象ですか?
うん。
そうですね。
なんか私は、
専業会社はやっぱ研修しかやってないので、
そうそう、実際、
どんな雰囲気だったかっていうのは、
わかんないんですけど、
でもやっぱりその人材系の会社の方が、
割とベンチャーっぽい雰囲気はあったので、
36:00
なんかね、やっぱりワチャワチャした、
若い人同士で、
深夜まで働いて、
なんかこうちょっと、
体育会系っぽいけど、
青春をやってるみたいな。
へー、そうかそうか。
ちょっと部活好きだったんですよね。
みたいな感じ。
うん。
あ、そうそうそう、
なんかそうそう思う。
ダンスの部活とそこはもしかしたら、
共通する何かを感じたのか。
そうそうそうの時は、
ダンスを思うって中です。
そうです。
そう、その時はね、
もうできなかったですね。
なんか時間がなくて。
へー。
うーん、なんだ。
え、じゃあそこ、
そこが、
27までの間はそこ?
うん。
いや、えっとね、
その後1回辞めて、
その人材系の会社の時に、
担当してたお客さんの会社に、
1回転職したんですよ。
そう。
で、転職したんですけどね、
あのー、実はその会社が、
すごくブラックだったって。
ブラックだったって、
社会保険もひと乳だったりとか。
そう、それがね、
また転職した後に分かってしまって、
で、私ね、そこで1回立ち止まって、
ちょっと考えてみたんですよね。
で、なんで私こんなに就職失敗してるのかな、
と思った時に、
なんか、あのー、
その時その時で出会った人事の方のことを
思い出してて。
で、もちろんその人材系の会社の時は、
やっぱりその人事の方がすごくこう、
セキュララに会社のことも
話してくださったから、
安心してそこに入れたっていう、
すごくいい経験と、
プラスなのはその反対に、
例えば製薬会社とか、
その3社目、
3社目に入った会社は、
やっぱりその人事として、
人が何かを決断する時に
立ち会う人が、
嘘をついていたとか、
3社目に関しては嘘をついていて、
最初のとこは、やっぱりインベンしか
行ってなかった、製薬会社の場合は。
やっぱり学生さん向けにはね、
すごくいい話をする、
のがまあ、当然じゃ当然かもしれないですけど、
なんか、それが
すごく、なんか、
考えるきっかけになったんですよね。
人事の仕事って
すごく責任ある
仕事なんじゃないかなって思うようになって、
で、そこから
人事をしたいなっていうのがあるよね。
そっかそっか。
なるほど。
そういう経験もあって、
なんか、
半面教師じゃないけど、
ない人にもならなきゃ
っていう。
そうですそうです。
それでもう、これが最後の転職にしようと
思って、私やったことは
ないけれども、人事として
採用してくれる会社ないかなって思って
探した時に、
やったのが、あの全職の
Cookpadっていう会社なんですけど、
うん。そう、そこに人事として
入って、
割と小がむしゃらに
採用してもらえたら27になった時ですね。
39:00
すごく長かった印象。
あ、そうCookpadは、
しかも90年だったよね、入った時。
そう。
あ、そうなんです。
私が入社したのは、
2008年
だから、
今は多分社員
お母さん。
その時はね、多分20人くらいしかいなくて。
まだまだ、
タイミングなんだ。
うんうん。
そう、そうでした。
その時は、その全職の人が
他にもいて、人事
として入ったの?それとも
人事は1人みたいな感じ?
えー、そっか。じゃあまた
そこも立ち上げみたいな感じだね。
人事1人でした。
そうですね。
そうですね。
私もその学生の時は、
まさかね、そういう自分が
なんだろうな、新しい
新しいことをやろうとしている
わりと勢いのある会社
が好きなタイプだとは
その時はもちろん認識はなかったんですけど
実際
でもさきさんと一緒かも
なんかやっているうちに
それが楽しいと思って
その時やりたい流れに沿って
身を任せていたら
そうなっていった
って感じかもしれないですね。
そこは結構
あれかもね、今すごく
なんだろう
誰でもできる
って言ったけど
そこが結構ポイントかもね
多分
それがさ、ナチュラルで
いけない人もたくさんいるよね
うん、なんかやっぱり
一回
立ち止まって深く
考えたりとかね、それはそれで
いいことだなって思うんですけど
すぐ答えを
欲しがる人とかもいるじゃん
うん
それとかも人のせいです
もちろん
そういう結構
答えがないけど
とにかく前に進んでたら
抜けられるみたいな
分かんないけど
自分で切り開くんだ
ガッツみたいな
それがある人とない人
できるような長さがありそうだよね
そうですね、そうかも
それは楽しいと思えるかどうかもね
ありますしね
そっか、じゃあそんな感じで
多分あれですね
お互い27くらいまでは
比較的
新しいことを勢いよく
前に進めていく
みたいなことが楽しくなってきた
くらいが27までなのかな
そうですよね
なんか
もう話し始めてしまったら
私たち読んでたら
止まらないと思うんですけど
言っちゃいけないことも言っちゃいそう
そうなんですけど
42:02
一旦今日は27まで
ってことで区切って
次回じゃあちょっと
また一つ
テーマを決めてお話できたらな
と思うんですけど
今日は27歳までの
話をしたから
次は30代
悩み、女性が
悩み大きい
ほんとに
30、ほんといろいろある
30代
偶然と30直後とかも
なんかあるよね
言いましょう工具もあるしね
あるなぁ
そう、なんかその辺の
話からできたら面白いかもね
そうですね
ちょっと
今日の続きは
また次回水曜日の
20時に縁側トークで
お話できたらなと思います
はい
じゃあまた週末までの
2日間頑張りましょう
はーい
43:10

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