00:05
令和4年12月21日水曜日毎度、タートルです。よろしくお願いいたします。
いやー、タロナンさんを失望させてしまいまして、申し訳ありませんでした。
タロナンさんという方が、自分の配信でモノマネをなさってね、普段なんかそういうのをされる方ではなかったんですけれども、
モノマネして、なんか、タートルさんもやってみてくださいみたいなね、こういうことを言ってくださってたのに、
昨日の僕の配信で完全にスルーするということでね、悲しんでおられたので、ちょっとすいませんってことを言わせてもらって、
言い訳をすると、昨日配信する、収録する前にね、何しゃべろうかなってちょっと考えたときに、
タロナンさんに言われてたから、それも触れなあかんなと思ってたんですけど、
なんか話してる間に、ちょっと一生懸命になってしまって、最終的に忘れてたっていうことが正直なところです。
すいませんでした。
そんなところで、今日もNFTの話をしていきます。
今日思うこと、今日話したいことは、もう一回見直してみる。
もう一回見直してみて、NFTってなんやねんってところなんですよね、自分の中で。
マジでキリなくなってきたんですよね。
NFTを買いたくて、いろんな方の作品を買いたくて、いいなと思ったものを買うのはいいけれど、
買うってやっぱり資金が必要じゃないですか。
ほんまに無限に買ってても、キリないですよね。
当たり前のことなんですけど、欲しいもんがあって、お金があって、お金に限界があったら、欲しいもんもエリス・グラナーあかんっていうのは普通のことですよね。
でも作品はどんどん出てくるから、今欲しいものをバンと買って買って買ってして、
新しいものが出たら、お金なくて買えへんみたいなことになるじゃないですか。
ある程度セーブしつつ、次何か出てきても対応できるぐらいの資金セーブしつつ、欲しいものを買ってとかしてて、
でもずっとこれ繰り返すとマジでエンドレスやなと思って、キリないわと思うんですけど、
実はなんですけど、キリないっていうのは始めた当初からわかってたので、
実は本当にお気に入りの作品っていうのはスクショしてたんですよ。
NFTで買うんじゃなくてスクショして、そしたら自分のカメラロール的なところに残るじゃないですか。
自分の写真みたいなところね。
それ見たらいい作品やなって振り返ることができますよね。
それでいくつか保存してたものっていうのがあるんですよ。
単純に高いものってたくさん買えないから、
そういうふうにして、別にそこのサーバーに見に行けば見れるし、
03:08
保存しておけば自分のところで見れるし、
ただそれが買うのと見るだけの決定的な違いは、
自分がそれの保有者ではないっていうことですよね。
そのNFTの現物っていう言い方がどうなのかわからないですけど、
そのNFTは自分のものかどうかっていうところが決定的な違いですよね。
NFTを買ったら自分が持ってるっていうことはブロックジェーンで証明されるし、
スクショしただけだったらそんなものがないから、
他の人のものやけどそのコピーを自分が持ってるっていうだけですよね。
自分が持ってる持ってへんっていう、
これ自分目線で見るとそういうことですね。
ただ別の目線で見ると、要はNFTを発行した側から見ると、
買ってくれた人はこの人が買ってくれたんだっていうことがわかりますけど、
自分の作品をスクショしてくれた人が誰なんかなんてわかりませんよね。
だから単純に買ってくれた人はありがとう、
スクショ取ってくれた人のことは知りません。
それも当然のことなんですよね。
これがどういうことかっていうと、
自分、例えば買う側からすると、
あなたの作品が大好きだからお金を出して買いますっていう気持ち、
気持ちと実際にお金を出して買ったら相手にお金がいくわけですから、
それは買っててよかったなとか、
あるいは次の書くための資金活動費になるっていう応援の原物が届くわけですよね。
気持ちと原物が届くんですよね。
ここに大きな違いがあるなって思っていて、
スクショするのは自分が楽しむだけ。
NFTを購入するのは自分もコレクターになって嬉しいし、
作家さんに届けることができる気持ちと、
応援の気持ちとお金という原物をお届けすることができる。
大きなすごく差があることだと思います。
例えばその作家さんに、
僕、あなたの作品大好きなんでスクショしましたって言ったら、
応援の気持ちは伝わるけど薄いですよね、多分。
で、お金は届かないし。
そこにすごい差があって、
本当は応援したいし気持ちも届けたいし、
応援の気持ちで資金、お金も買ったお金を相手に届けたいけれど、
でも限界があると、自分にはお金の限界があるから、
お金を買っていろんな人にお届けすることはできひんから、
なくなくスクショしているっていうことがあるんですよね。
これがずっと続くなーって思ってるんですよね。
06:00
本当にキリがないことだと思ってます。
これって、美術館に行って、
いつもこの美術館にこの絵が飾ってあって、
いつもお金払って美術館見に行って、その絵を見て、
嬉しい気持ちになる、いい絵やなって思うのと、
実際買うっていうのは相手への伝わり方が違うと思うんですよね。
だからダイレクトにお届けしたいですよね。
あなたの作品が好きですと、応援してますっていう気持ちを伝えたいし、
分かってほしいし、言いたい。
分かってほしいっていうのはちょっと違う。今のは訂正。
僕は自分の思いを届けることが第一なんですよね。
相手がどう受け取るかは二の次というか、
それ相手が判断することやからいいとして、
自分があなたの作品が好きです、応援してますっていう気持ちを伝える。
それが僕の目的。
それはNFTに限らず何でもそうなんです。
人と会って話した時とか、誰かに影響を受けた時に、
その人に発する言葉っていうのは、僕はこう思ってます。
あなたを見てこう思いましたっていうことを伝えるんですよね。
受け手側が、そんなに言ってくれはって嬉しいとか、
応援してくれはって嬉しいとか、自分の作品が認められて嬉しいとか、
思わはるかどうかはその人に委ねますし、
その人がそうやって反応してくれはったら、僕はもう一回嬉しくなるし、
ただ別にそう思われなくても自分の思いを伝えたから、
それは僕はそこで満足するように決めてるんです。
今までコレクションというコレクション、
例えば好きな漫画はいくつか集めていることはありますけど、
それぐらいでスニーカーコレクションとかいっぱい買ったりとか、
フィギュア買っていっぱい飾ってるとか、
あんまりそういう物欲ってなかったんですよ、今まで。
なかったんですよ。あるもんもあるか。
そんなにこれって言ってなかったんですけど、
ここへ来てNFTのコレクションが自分の趣味になりつつあって、
これはでも永遠やぞと思って困ってます。
皆さんどうしていらっしゃいますか?
どういうお考えですか?そのあたりは。ちょっとお聞きしたいな。
こういうことをテーマにどこかで自分のコミュニティとかでもお話できたらね、
ちょっと意見伺いたいなというふうに思います。
そんなこんなで、好きな作家さんの作品をオープンシーンで開いては閉じて、開いては閉じて、
Twitterでも自分の作品はこんなんですって出した反応を見ては閉じて、見ては閉じて、
ちょっと買うに至らないみたいなところもあるんですけれども、
いくつか買って応援はしてるものの、これからもしたいものの限界はあるなっていうお話でした。
今日はここまでです。また明日お話しさせていただきます。
09:02
聞いていただいてありがとうございました。また明日。お気に入り。