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はい、おはようございます。久しぶりに朝から収録をしていて、このサブスタック上で朝からは初めてかもですね。
最近こういう日記もちょっと怠っておりまして、朝やろうと思いながら夜やらない理由にはならないんで、ちょっと反省をしてますけど、さておき。
今日はこの前僕が参加したイベント、中途採用のサービスをやられている株式会社サポーターズさんの新しい企画というか事業、サポーターズコラボというものがありまして、
これ以前もやってたんですけど、また内容をブラッシュアップしたりガラッと変えて新しくスタートしたものとなりました。それに僕も参加させていただきました。
元ユーザーというのもあるし、前やってたサポーターズコラボで、いくつか講師側で登壇というか、勉強会の講師の方をやってました。
1回1万円くらいのお金がもらえたという感じですね。お小遣い稼ぎでやってた気がします。そこから僕の話聞いたりとか、つてを聞いて全職の夢見に入った人も何名か確かいたはずなんで、割とペイしたんじゃないかと思ってます。
僕自身がペイしたというよりも会社はすごく利益を得たとは思いますけど、それは置いておいて。その時にやっていた途中でLT会をやられてたんですね。
僕はその話、LT会の会場が余りにもいっぱいいっぱいで、参加者も結構多くて150人くらい参加されてたので、LT会場入らんなと思って、僕はもう外で普通に残った方々とお話したり情報交換してました。
LT会のネタはですね、思ったものとちゃうぞみたいなLT会をやってまして、これだYのキャリア思ってたのと違うけど頑張ってますっていうLT大会ですね。これ面白くて僕も参加したいなと思ったぐらいですね。
というのは自分もキャリア、最初考えてたものと全然違うなと。でもまあいろいろ頑張ってて今に至るし、結構同じ人生、新しく人生歩み直してもなんか結果同じのたどりそうなっていう若干の感触はありつつも当初の予定と全然違う方向に来てしまったとは思ってるんで、その話をしたいなと思ってまして。
ただ結局しなかったし、そういう候補があったんだっていうのも後で知ったので、今ここで喋って供養しようかなと思ってます。
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完全に自分語りなのと自分の頭の整理なんですけど。もともとは、エンジニアになろうとすら最初は思ってなくて、大学院まで純粋数学をやってました。
大学、大学院とは学科は工学部なので、理学とはまた全然違うんですよね。理学部に行かれている、ガチの数学をやるっている方だとか、学ばれている方と比較すると全然違うんですけど。
でも数学が好きだったので、ゼミとか研究室も唯一純粋な数学をやっている教授の下で勉強しました。
で、学部の時は結び目理論をやってました。やったって言うほどやってないですね。ただ勉強して自分なりにこんな風なことを考えてまとめましたっていうレベルですね。
学部でやれるってたかが知れているとは僕も思いました。ですし、やっぱりカリキュラムが全然違うんですよね。理学部と工学部で。
理工学部っていうのを作っているどっちも頑張るよみたいな学部もあると思うんですけど、私は工学部なので、いわゆる突き詰めるではなくて、使って何かをするっていう方の学問でしたので。
まあ、理学部に行かれている数学者の方とは全然別物ですよねっていうのは思います。
それはさておき、とにかく最初は数学をやってたと。で、結び目理論をやってて、大学院は別の大学を一応受験したんですね。東京工業大学、いわゆる東高大って言われるもんですね。
もう歴史は100年以上続く古き素晴らしい一流大学ですね。
工学部系だと日本一番と言っていいはずですね。国立だったっけ?確か。の東高大を大学院から僕受けてみて挑戦したんですけど、全然これがですね、浮かなかったんですよ、もちろん。
英語と数学だけの未教科で、英語2時間半、数学2時間半、しかも英語は辞書持ち込みかだったんですよ。
で、何だっけ?電子辞書って言うんでしたっけ?あれだけダメで、ちゃんと紙の辞書ですと。
久しぶりに辞書自体を持ち歩くっていうのをやりましたね。めちゃくちゃ面白かったです。でもあれ、参加してわかったんですけど、辞書にはですね、載ってない単語がしょっちゅう出るんですよ。
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その専門分野のある特定のテーマに対しての英語の文章でテストをするっていう、ほぼ論文に近かった気がする。ですので辞書に載ってない英単語がダラダラ出てきてて、
あ、なるほどね。それは辞書自体はあんまり意味ないなと思いました。まあとはいえ、やったんですけど、まあ落ちまして、で、多分受かった人の、だいたいこう、一応数字が確か出てたはずで、僕が受けた当時は8割ぐらいはやっぱ中の人、
そのまま東京大学の学部生が自分のゼミの研究室のまま大学院生になるっていうのがほぼほぼで、残り2割の狭き門をいかにこう勝ち取りにいくかっていう勝負だったんですけど、まあそもそも勝ち取りにいくもそもやってるカリキュラムが全然違うので、
その東京大がやっている、もっと言うと僕が受けようとした学科がやっていたもの、4年間やったものを僕は一から追いつこうとしなきゃいけなくて、まあすげえ大変だったんですけどね。まあさておき、まあそんなことをしながら東京大受けてまあ落ちて、僕も結局自分の出身大学の大学院まで行って、で、院の時は、えっとむすみ目じゃなくて全然ガラッと変わって、えー、複素解析をやってましたね。
もっと言うとリーマン・ゼータに僕は魅了されて、はい、リーマンのゼータ関数っていうのがあります。なんだっけ、ベルンハルト・オイラー、違う、え、何リーマンでしたっけ、なんたらリーマン、あーもう出てこない、はい、っていう方がいて、まあ数学者がいて、そんな方が作った、えー、まあ予想的なものがあるんですけど、あのミレニアム問題の一つですね。
はい、リーマンのゼータ関数、リーマン予想だっていうのがあるんですけど、まあそれに魅了されて、その時にそのゼータ関数っていうものがすごいかっこいいというか、僕の中ではもう悪魔的な関数だったんですね。で、これをガチャガチャやる、もうおもちゃのように遊ぶのが好きだったんですけど、やってました。
で、本当はそれで何か証明に至らないにしてもリーマン予想の新しい発見につながるようなものがやりたくて、ただずっと数学やってたわけじゃないので、まあ自分がやるとしたら結構具体な値を使った話やりたくて、
で、リーマンのゼータ関数ってとある引数、値がですね、複素解析、複素関数なので実部と虚部っていうのがあるんですけど、その実部が偶数だったっけ、いやもううろ覚えなんですけど、その時の値はここに収束するっていうのはもう全部見えてるんですよ。偶数だけは全部見えてて、無限に。
奇数のところは全然見えてないんですよね。で、その第一歩となる1じゃなくて、確か与える値は3だった気がしますね。3の時の値が実際計算できて結果が出るっていうのが確かその当時なかったはずなんですよ。誰もやったことなくて。
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まあそれも一般化までいければ本当に理想なんですけど、僕のその当時の学力と数学力だとまあ無理だというので、超具体でいいので1個でも理済ながら、そう数学の世界の歴史に何か1歩でも足跡をつけたかったんですよね。
っていうので、確か3を与えた時の計算結果を出したくて、アプローチとしては要は解析接続をガッとやっていって、接続を繰り返していくうちにちゃんと元のところにたどり着くっていうものがあるんじゃないかなっていうところですね。
それをもう少し具体に数字を入れることによってはっきり見えてきたら面白いんじゃないかと。そこから共通化だったり傾向というのが見えて、どういう接続の仕方をしていけばいける。そして一般化から定理まで持っていけないかなっていう風に考えてたんですね。
まあ、大学院修士は2年しかないんですけど、修士って。でもそのうち僕はもう大学院博士は行くことを途中でやめているので、厳密に学問にぶち当てられるのは1年もなかったんですよね。1年もないです。9ヶ月、8ヶ月ぐらい。
基本的には多大の受験もし終わった後ですけど、まず大学院は院としても普通に勉強があるし、後半とか2年目は就職活動でほぼ時間取られて、まだ僕6月7月ぐらいかな。一応ケリはついたんですよね。
なるべく早めに就職できたら良かったんですけど、そこから先始まってやっと大学院の研究して、大学院って修士だとしても卒業には大体論文書くんですけど、どの大学の大体そうですけど、一回外の発表会で一回は登壇しろっていうのが大体卒業の条件に入っているはずなんですよ。
厳しいところになると2,3本とかだったり、いろんな登壇の仕方があるんですけど、っていうのがあるんで、僕の場合は1本で良かったんで良かったですけど、ものすごい緊張しながら喋った記憶があります。
しかも僕の場合は英語登壇だったんですよね。なので、出業とは英語分からなすぎて、ボロボロだったなっていう経験ですけど、あの経験あるから今はあるなとは思っています。
本題に入る前にもう10分以上喋ったんで、さっさと戻ります。そんなことを数学やってたんですけど、そのまま就職先も数学入れたかったけど、独体行くのを諦めた時点で、自分の通ってた学科、工学部なので、特に情報システム工学科にいたので、情報系の方面に行きたいなって思ってました。
情報系行くとして、何やるっていうのを考えた時、その当時社会でインターネットというか、社会インフラになるとネットがっていうのを歌われてた時代、もう既にそうなってたと思いますけど、僕はその頃、インターネットというものにものすごく疎くて、情報システム工学科出てるのにも変わらず、あんまネットっていうものを使ってなかったぐらいだったんですよね。
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ですので、そんなにインターネットっていうのがこの先当たり前になるんだっていうのを改めて知って、その方がこの先の人生、いろんなものが開けると可能性を感じて飛び出してきたと。
工学部出てるので、プログラミングをやる、プログラマーの方に行くのがいいだろうと。まずは天職つけたいっていうのでやってきました。実際にやり始めたり、一応学部でも必修科目でプログラミングはあったので、一応素養がないわけではなかったですけど、あんま得意じゃないし、好きかっていうとどうだか分からなかった。
それはあんまり僕は理解しなかったっていうのもあるので、やりなかった気持ちも正直ありますね。単位は友達に取ってもらいましたし。ただ、いろんなものを理解したり、実際にものづくりを始めてみる。
最初に入った会社は、独自パッケージを使ったECサイト構築を自宅でやりますよみたいな会社だったんですけど、やれるようなものが増えてきたり、自分でもECサイトをパッケージ使ったとしても作れるようになって、ものづくりって改めて楽しいなというふうに感じて、そっちの道、このままこの道で行くぞっていうのをある程度決め始めたところはあります。
ずっとIT業界にいるかは分からなかったけど、少なくともその当時の僕はそう思ってて、だったときにプログラミングがそもそも面白い、技術者って夢が広がると思ってたので、技術者としてはすごい尖りたくなってきたし、その当時の会社のCTOって方が技術力も高いし、ビジネスマンとしても視点が素晴らしかったので、憧れはあったので、自分もCTOを目指すっていうのがよくあるロールモデルになって、
その道を目指したくなったと。で、プログラミングの世界にどんどんのめり込んでいく感じになりましたね。で、その後勉強会に参加して、他社だったりいろんなエンジニア、外のエンジニアと交流することがどんどん増えてて、やっぱりプログラミングの世界というか、そういう強い人たちに憧れを僕も若きながら抱いていて、目指していたんですけど、あれよあれよと気がついたらですね、
今こういう、今エンジニアリングマネージャーをしていて、絶賛中途採用苦しんでて、でも中途採用に向けて、さっき言ったサポーターズコラボっていうところに会社としてもスポンサーとしてお金をかけて、がっつりまずコンタクトと認知度取りに行く。
あとアトラクトしまくって、とにかくうちの会社紙なしっていうのを早期させる。っていうところに僕はこの来年1年間は全力投球するっていうような話ですね。とはいえ自分のネットチームもあって、EMとして開発チームのマネージメントもしっかりしていかなきゃいけない。チームビルディングが今もっかい課題なんですけど、そこをやっていく方針ではいるので、その二軸で僕は頑張っていくと。
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全然違う道ですね。開発者で行くんだったらそのまま開発者としてテックリードになるか、そのままシニアエンジニアとかになり、もしくはCTO室とかを作って、もしくは技術開発局みたいなのを作っている会社さんもあるので、そういうチームとか組織に入る方が自然だと思ってたんですけど、気づいたらこうなりましたね。
僕はやっぱり喋るのが大好きなので、どんどん喋ってたら気づいたらこうなったって感じですね。難しいですね。エンジニアってやっぱり喋るのそんなに得意じゃないというか、できればエンジニア同士で喋ったり、コミュニケーションペアプロしたり、設計とかの壁打ちをしたりとかっていうのはもちろん大好きだと思いますし、
技術のキャッチアップとか、この先のプロダクトとか今作っているものに対して中長期な目線から設計を改めて見直したり、こういうのを入れとかないといけないよねみたいなのを考える必要があって、
そういう未来から逆算した設計の話をするのもエンジニアとしては好きだと思います。ではなくて、ビジネスがどうたら、採用がどうたら、チームがどうたら、売上がどうたらっていうのを喋ったり考えたりすることが好きなエンジニアはいらっしゃるでしょうけど、そんな多くはなかった。
僕の時は、私がいた環境では少なくて、そういうのを自分のポジションを超えたり、チームを超えたりして、しっかり話をしたり、いろんな話す場を作ったり、みたいなことをする仕事っていうのを、僕も当時は本当好きではないし、やってくれる人いたらボンバンやってくれよって感じでしたけど、気づいたら僕がそっち側に回っていたと。
話が3点、4点ぐらいしましたけど、最初のLT大会、キャリアを持っていたとは違うけど頑張っている。僕の企画した人たちの思っていたのと違うっていうのは、最初に出されたジョブディスクリプションと実際に入った業務内容とは違うくないっていう話。
完全に違うわけではないけど、聞いてないよみたいな仕事もいっぱいしてたりして、でも今いるポジションで頑張っているっていうようなお話が聞きたいっていうLTの主催側の意図だと思うんですけど、私はちょっと違う観点で、でもそういう話もしてみたかったり。
ライフステージが変わったり、自分の環境が変わったり、人生生きていく中で価値観が変わるなんてしょっちゅうある。ずっと一貫して同じ人って僕あんま見たことないですね。それはそれで素晴らしいことだし、ちょっと憧れますね。
守備一貫してずっと技術の世界だけでずっと生きていくんだっていうのを繋がり続けてて、50歳になってもいまだに現役で最新技術とかフレームワーク言語を学んでいろんなものづくりをしているっていう方もいらっしゃる。かっこいいと思います。すごくかっこいいし僕は憧れた。
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僕はそう慣れなかった。っていうのもあったり、自分が好きなことっていうのが技術とベシャルのどっちが好きってなったときにベシャルの方が好きだった。人と何かをすることの方が僕は興味関心が強く、プライベートでコードを書けばいいじゃんって思っていたので今の話になったっていう感じです。
キャリアというか人生観、楽しみ方っていうところだと思いますけど、その視点に立って物事を選択するのは僕はある意味ありかなと思っています。キャリアって言うとやっぱ仕事の話とかビジネスの話だと思いがちですけど、その前に僕らはまず一社会人というか一人なんですよね。
人としてどう生きていきたいっていうのが大前提に軸にあって、そこからやりたいものを生きていく中でお金を稼がなきゃいけない。それと好きなこととか自分の興味関心とかがマッチしてプログラミングとか技術の道に行くっていうのであればそれは大正解ですよね。
改めて見直してみて肝になったんだろうか。一回好きだけなものと嫌いなものとかっていうので区切りを分けて考え直すのが一つかなと思ったっていうお話でございます。気づいたら20分ぐらい喋ったので、もうすぐもう修行時間も始まるのでこの辺で区切ってまた次回も適当に喋っていけたらなと思います。ではでは今日も一日頑張っていきましょう。バイバイ。