1. 村音(仮)
  2. (36) ひとしの2025年をめいめい
2025-12-24 51:53

(36) ひとしの2025年をめいめい

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このエピソードは、Teacher Teacher Advent Calendar 2025 12月24日 ひとし担当分です。ひとしの2025年を振り返って、どんな一年だったかをめいめいします。

サマリー

ひとしさんとその仲間たちは、2025年に向けた自身の経験や活動を振り返り、特に家庭生活と仕事の両立について考えています。ティーチャーティーチャーの活動や、そこでの価値観の変化についても深く掘り下げています。責任感の変化については、会社での経験を通じて自らの成長や意識の変化を振り返ります。特に、家庭の状況が経済的責任感を強め、その結果仕事に対する姿勢が向上したことに言及しています。このエピソードでは、はるかさんの情熱がひとしさんに与える影響や、社会貢献活動に対する彼の取り組みが語られています。さらに、プロデューサーとしての役割や、新しいものを生み出すことの喜びについても触れられています。ひとしさんの2025年に向けたライフスタイルや責任に対する前向きな姿勢についての考察がなされています。新たな役割や自身の成長を意識する中で、外部の影響から変化を遂げることの重要性についても語られています。

ひとしの1年の振り返り
Kanta
はい、ということでめいめいを始めていきたいと思います。
ひとし
村音で公開するんですよね?
Kanta
はい、村音で。
ひとし
ひとしさんのアドベントカレンダーの12月何日ですか?
Kanta
24ですね。
ひとし
24、クリスマスイブの分は、出張めいめいということで、ひとしさんの1年をめいめいするっていう企画ですね。
Kanta
はい、これを撮って村音で流そうと思います。
ひとし
はい。
Kanta
そして、僕はあのサムウェイを夜着てるので、
上水さんとほぼ、てかお揃いだったんじゃなかったかな?上水さんにお勧めしてもらったじゃなかったかな?
ひとし
モンベルのサムウェイ。
お揃いじゃないですか。
Kanta
ほぼめいめいです。
ひとし
はい、めいめいのかんたです。
Kanta
はい、めいめいのひとしです。やっていきたいと思います。
そして、ノー編集で出すんですが。
ひとし
じゃあ、この1年ね。
Kanta
一応言っとこうと思ったら、ノー編集で出すんですが、
僕のWi-Fi環境が悪いことで、いろいろ話がすれ違ったりするかもしれないんですが、
最後まで聞いてください。あまりにも事故らなければそのまま出します。
お願いします。
ひとし
そうですね。はい。
じゃあ早速、まずね、名前をつけるにあたって、ひとしさんの1年をちゃんと理解しないといけないんで、
まずはちょっとこの1年振り返っていきましょうか。
家庭と仕事の両立
Kanta
そうですね。今カレンダーをわーっと見てて。
うん。
あー、1月、2月。
まあ一番おっきい、めっちゃおっきいイベントで言うとやっぱり子どもですね。2月。
ひとし
あーそうですね。生まれたのが2月ですか?
Kanta
はい。なんで、10ヶ月ぐらいか。
そうか。
ひとし
なんかね、子どもが生まれてからの変化みたいなの、ティーチャーティーチャーの本編というか、
ありましたね。
お話しされてましたけど、なんかもうちょっとそういう何ていうのかな、その価値観の変化みたいなことよりも、
ティーチャーティーチャーの活動の中でのライフスタイルの変化とか、働き方の変化とか、そういうのちょっと聞いてみてもいいですか?
Kanta
確かにな。確かに。
そうですね。
確かにな。
うわー、でも。
うわー、確かに。
いやでも、仕事って大変なんだなって思って。
いや、いや。
ひとし
でもわかる、それ。
Kanta
やっぱ、いや、けっこう最初の方は時間配分的にうまくいってたんですけど、
なかなか最近は、いわゆる仕事ばっかしてる父になっちゃっており、
よくないなと思ってますね。
ひとし
むずいっすよね。
これまたね、奥さんが仕事、復帰したりとか仕事を始めたりして、お互いフルタイムで働いてますみたいな状態になると、
強制的に、お互いがお互いをカバーし合わないと、自由を満たせないみたいなことになるじゃないですか。
Kanta
はい。
ひとし
でも、3級行く9級って、どうしても女性側ができちゃうからやろうと思うと100。
なんか、どうしてもなんていうのかな、手伝うじゃないけど、サポート的な役割にこの期間なりやすいみたいなので、
構造的にある中で、仕事がすごく過強だったりすると、どうしてもね、そっちの方に時間を使ってしまうみたいなことが起きるよねっていうのは。
Kanta
そうですよね。
ひとし
それは身に覚えがありますね。
Kanta
それが超ネガティブモードなんで、いいのかな、まあいいか。
ひとし
振り返りなんで。
Kanta
いやそう、でも、ポジティブなとこも言うと、時系列完全に無視ですけど、
とはいえね、1年間今生き残れているので、ティーチャーティーチャー。
ひとし
確かに、それはすごいこと。
ティーチャーティーチャーの成長
Kanta
いろいろやってきたなとは思ってますね。
ひとし
確かにね、なんか、多分僕がこのティーチャーティーチャーの活動とか、ティーチャーティーチャーのコミュニティに関わり始めたのが、
去年の春ぐらいですよね、多分。
Kanta
あ、去年ですね、そうですね。
1年半前のってことですね。
ひとし
そうです。
で、去年は割と1年生き残れるのかみたいなのがけっこう大きなテーマで、一緒に話してる時によくあったなって思ってたんですけど、
で、今年、なんか多分、余裕がある状態ではないんだろうなっていうのが横で見ててもすごく思うけど、
なんか、存続できるかできないかみたいなものが主要なテーマというよりは、どう、なんていうのかな、発展させていくのかみたいな話を、
はるかさん、ひとしさんがよくしてたなーみたいな印象はありますね。
なるほど。
だから今、なんとか生き残れましたっていうのを聞いて、あ、確かにそうだよなーって。
全然そんな感じではありました。ギリギリなんとか生き残るぞっていう感じの頑張りをずっとしてはいました。
どうですか?なんか僕、自分の経験でいくと、会社始めた時、起業したての時って本当に毎年毎年、
なんか生き残れたなーって感じだったんですけど、で、それ今でも変わってないっちゃ変わってないんだけど、
まあなんか死なんだろうみたいな感覚に、やっぱ2年目3年目徐々になってきたっていうのは正直あって、
で、まあカツカツだしギリギリだし先読めないけど、まあなんとかなるだろうみたいな楽観的な見通しを持てるようにだんだんなってきたんですけど、
ひとしさんどうですか?ティーチャーティーチャー2年目?3年目?2年目なんですかね?まだ。
Kanta
そうですね、この次の3月から3年目ですね。
ひとし
振り返ってみてはティーチャーティーチャーの2年目はどうでしたか?
Kanta
2年目は、
けっこうちゃんと営利活動好きになったっていうのがあります。
ひとし
それは大きいんじゃないですか?
Kanta
まあそうですね、ちょうど年末ぐらいの特別編を今日撮ったんですけど、あるかと。
もうすぐ出すやつを。
そこでもちょっと話したんですけど、なんか、
ひとし
今までやっぱ締め切りけっこう大嫌いだったんですけど、仕事でもなんでも。
Kanta
でも締め切りあるって幸せだなって最近思い始めて。
ひとし
どういうこと?
Kanta
いや、そんだけちゃんと納品物を求められる環境にあるって。
ひとし
あー、なるほどね。
めっちゃいいなって。
求められてるってこと?
はい。
Kanta
なんかちゃんと価値を出して対価をもらうっていうところも、最近はけっこうやってるんですよね、ちゃんと。
ひとし
ちょっと僕もなんか全部の活動にキャッチアップできてないんで、
まずなんかどんなことやってるのかを一回整理したいんですけど、
ティーチャーティーチャーの本編とは別に、あれですよね、
広告費みたいな形でお金をもらってポッドキャスト制作を一緒にやるとかプロデュースするみたいなことを
ティーチャーティーチャーとして受けてやってるんですよね、最近。
Kanta
そうです、ただそれはかなり単発のプロジェクトみたいな感じで、というよりは毎月ちゃんと頂きながら関わるっていう関わり方を色々してて。
ひとし
なるほどなるほど。
Kanta
そうです、ポッドキャスト制作のフービーでもそうだし、もともと新卒で入ってた会社とかもちょっと関わってたり。
あと、とある方のビデオポッドキャストの制作の割と裏側全部みたいなところをやったり、
ひとし
なんかそういうのをやってますね、最近。
ティーチャーティーチャーのコラボ番組みたいなのっていくつかあったじゃないですか、今年やってたのは。
そういうものだけじゃなくて、本当に純粋なポッドキャスト制作業務みたいなものを受け負ってやってるみたいなのも裏でやってたりするってことですよね。
Kanta
そうですね、そういうのは、そういうのがしっかり価値出せて楽しいなって瞬間が起こる。
ひとし
なるほどね。
Kanta
ってやつです。
ひとし
なんかそれって変化としては、今まではそういう仕事に対してどういう気持ちだったんですか?
Kanta
うーん、確かにな。確かにな。
なんかもうちょっと、そうか、資本主義に馴染んできたっていう感じかもしれないですね。
今までパフォーマンスを求められるとかに慣れてない状態だったんで。
なんか、ティーチャーティーチャーのポッドキャスト自分たちで勝手にやったみたいに、めっちゃ好きなことでエネルギー注げること本気でやるから価値が出せるみたいな生き方しかしてなかったっていう感じなんですよ。今まで。
ひとし
今までは、だからそういう資本主義にのっとったビジネスとか仕事みたいなものっていうのは、なんだろう、プレッシャーだけ感じて喜びとか楽しさみたいなものがあんまり感じられないみたいな状態だったんですか?
Kanta
そうですね。そうかもしれないです。
それが、たぶん明確に自分がスキルを手に入れたっていうのもあり、この組織に対しては自分がこういう価値出したらさすがにそのいただくお金ぐらいのリターンは出せるみたいな感覚もわかってきたりしたって。
そこが大きいのかな。求められる基準を自分で理解できるようになってきたっていうのがあるかもしれないし、そこを超えれるって自信がある。
ひとし
なるほど。
Kanta
たぶんもともとはそんな超えれる自信もない、なかったんで、お金だけもらって頑張るけど結果出せなくて大変っていう状態だったんですよ。
ひとし
それはなんだ、申し訳ないみたいな気持ちになるんですか?お金もらうことに。
Kanta
そうですね。
ひとし
それが。
ちょっとこう、なんていうのかな。乱暴な言い方をすると、まあこんだけやったんだからこんだけもらって当然、当然というかこんだけもらってんだからこんだけもらうっしょみたいなのに対して腹落ちし始めたみたいな感じ。
Kanta
そうですね。逆もですね。こんだけもらうんだからこのぐらいのものを求められてるのはそれを超えようっていう。
ひとし
なるほどね。
Kanta
なんか確かにあんまりこんだけやったんだからこんだけくれよっていうよりはそっちかもしれないです。
相手の基準がなんとなくわかるんで、それは超えれるわって自信が持てるっていう感じかもしれないです。
ひとし
なるほどなるほど。
Kanta
じゃあ、ビジネスとか資本主義っていうよりは誰かの期待に応えるということに対してなんか自信がついてきたみたいな。
無意味されてますねどんどん。
意味というか言語化か。
言語化。
分析。
そうかもしれないです。
ひとし
で、その時の期待に応える時の対価としてお金っていうのがわかりやすい指標ではあるじゃないですか。
Kanta
はい。
ひとし
そこがすごくこう、なんていうのかな、調整できてきたみたいなことなんですかね。その感覚の。
価値みたいなものと対価みたいなものが釣り合っている感覚みたいなのが自分のなんか身体知的に獲得できてきたみたいなこと。
Kanta
そうっすね。いや、でも釣り合って、そこが釣り合っているとは感覚はないかもしれないですね。
ひとし
なるほどね。
Kanta
自分たちの今の活動にとって自分がこのぐらいしっかりお金いただくの大事って思ってるっていうところで、その数案件でいくらちゃんと自分が動いて生み出せてるっていう、なんかそこにある程度ティーチャーティーチャーの責任みたいなのを感じてそこの金額を定義してる感覚はあるんで、あんまお客さんとの対価、コスト感覚とかじゃないかもしれないです。
ひとし
なるほどね。
経営者になってきた感じですかね。
Kanta
いや、そうかもしれない。それによってなんか面白くない人間になってきたなみたいな感覚もあるんです。
ひとし
なるほどね。確かに自分もね、なんだろう、サラリーマンの時と、創業して1、2年目みたいな時と、従業員がいるとかの状態で、なんていうのかな、給料を払うみたいなことを前提とするみたいな状況、フェーズになった時で、
なんかそこの仕事を取るとか、仕事を継続的に作るみたいなことに対する感覚はけっこう変わってきたのは確かに今言われてみて思い出していて、やっぱりサラリーマンの時は仕事してる感覚あんまりなくって、
責任感の変化
ひとし
自分がやるべきだと思う、やりたいと思うみたいなことと、会社がそれに対して会社の上司だったりを説得してやるみたいな、割とそのプレイフィールドとして会社を使っているみたいな感覚、仕事っていうのがその中でやることっていう感覚だったんですよね。
で、創業した1年目とかは従業員に雇わずに自分と共同創業者だけでやってたから、なんか自分らの食いぶち稼ぐみたいな、フリーランス的な感覚の延長線上で一応法人でやってますって感じだったんですけど、
何年目か忘れたけど、やっぱ従業員に雇ってちゃんと給料を安定的に払うみたいなことにコミットするってなったフェーズぐらいからは、なんか会社に仕事を持ってくる作るみたいなことに対する感覚は明確に変わったフェーズあったなって今振り返ると思ってて、
人々の話聞いててそれを思い出した。どう変わったか、なんだろうな。でもやっぱそれが責任感なんだと思いますね。
なんか自分を食わせりゃいいっていう時は、なんかダメならまたどっか就職すりゃいいやみたいな感覚とか。
Kanta
まあなんか食っていけないなら何とかなるっしょみたいな感覚やっぱあったけど、人に給料払うとかだと絶対稼がなきゃいけないラインみたいなのが出てくるじゃないですか。
ひとし
なんかそこに対してすごく、なんていうのかな、なんか責任をちゃんと感じられるようになったみたいなのはけっこう大きな変化だったなって振り返って思って。
Kanta
なるほど。あと家庭側へのその金銭的な責任もやっぱ大きくなるので、子供がいて妻が育休とってみたいな状態で、
本当金銭的な多分そこの、ちゃんとやろうっていう感じになってくるっていうことですね。
だし、そうですね、まあそんな感じかな。ちょっとなんかめちゃくちゃ資本主義やろうみたいな感じですけど、あのぜひ特別編もセットで聞いてください。そっちは。
そっちでいろいろ話してるんで、どっちもこのバランスが大事っていう話をめっちゃしてるので、その裏面と思って聞いてください。
ひとし
B面としてね。
でもまあ、どっちも大事だけど、それはそれで大事なことだと思うんですよね。やっぱり、なんていうのかな、やっぱりビジネスに限らず仕事をするって、
誰かと約束して、その約束を守るみたいなことを積み重ねでしか、信頼とかお金って発生しないじゃないですか。
でも、どうしても自分の趣味的な活動の延長線上みたいな感覚があったりとか、フリーランスで自分一人食わせればいいみたいな時には、
なんかその稼ぐみたいなことに対して、そんなにこう責任感を持てなかったりとか、なんかその、
稼ぐということを約束するみたいなものっていうのが、なんかこう一人だとなかなか、一人だったり、
Kanta
例えば結婚していてもパートナー側が別に自分は自分、自分のことは自分で食わせられるみたいな状況だと、
芽生えなかったなぁと思ってて。
ひとし
そうですね、その辺はだいぶ変化した気がします。
Kanta
どうですか?その変化は自分にとって心地いいものなのか、ちょっとなんかネガティブに捉えてる面もあったりするのかみたいなのって。
そうですね、でもそういう外圧っていうんですかね、外部からの責任感みたいなものによって、
ひとし
めっちゃスキルが高くなったりするので、
私生活におけるコミュニケーション
ひとし
めっちゃ仕事とか遠いところだと、週1配信続けるとかも多分その責任感で、やってたら発信うまくなるみたいなのがあると思うんですけど、
Kanta
それと近くて、どんどん仕事のクオリティやっぱ上がっていくなーって感じてて、
それは嬉しいというか、将来に対する安心感は芽生えるって感覚で。
ただ、やっぱその仕事モードになった時のひよったい効果を考えて、それに似合ってない時とかに、
やっぱネガティブな感情が発生してしまう。絶対にその場は楽しいのに、
自分のこの、自分がここに来てしまっているコストを考えたら、楽しんでいいのだろうかって思っちゃうみたいな、
人生としてはちょっと、不の感情が起きる場面がある。
ひとし
でも今話してて、やっぱ責任感はもともとあったんだけど、責任を負うっていうことに慣れてきたとかいうか、
受け入れられるようになってきたっていう方がしっくりくるかもしれないですね。
責任感って一人でも持てるじゃないですか。
例えば週一更新するとかって、別に誰とも約束しなくても自分との約束として持てるけど、
例えばお金をもらって週一更新しますってなると、責任がちゃんと生じるから、
責任感だけでやってないことになりますよね。
Kanta
確かに。全然、全然あれですよ。全てをやれてるわけじゃないんで、あれですけど。
だいぶ社会人には近づいてきたなっていう感じです。
ひとし
そういう責任を抱えるとか責任を取りに行くみたいな、
取りっていうのはその責任が発生するものを取りに行くみたいなことに対して、
少し前向きに捉えられるようになったみたいな話なのかなと思って今の話を聞いてます。
Kanta
そうですね。だいぶ前向きかもしれないです。
かつ、ちょっとトピック変わるんですけど、
なんか言語でプライベートでコミュニケーション取るのむずいなって最近思い始めて。
ひとし
どういうことですか?
Kanta
雑談とか難しいなって思って、人と仲良くなるのが難しい。
どんどん目的的なコミュニケーションばっかになっちゃって、
あれどうやって何も目的ないとき人と話してたっけってなるんですよね。
ひとし
なるほどね。
Kanta
で、今何の話をしようと思ったかっていうと、
それが仕事で一緒にマンモス狩り行くっていうのは仲良くなれるなっていうのは一個あると、
うまくマッチすればですね。
もう一個が非言語のボードゲームとか釣り行くとか、
食事でもバーベキューするとか、
なんかちょっと非言語で協通の体験して仲良くなれるみたいなものがある気がして、
そういうの好きだなって思ったんですけど、
今なんかの文脈でこの話をしようと思ったんですけど、
何でしたっけ?
ひとし
何の話でしたっけ?
Kanta
責任。
ひとし
責任を負うみたいなことに対してちょっと前向きになったみたいな話をしてましたよね。
Kanta
はい。前向きになりました。
あれそうだし、で、
かつ何で仕事楽しいかっていうと、
そういう人と仲良くなる機会って意外と少ないんだなって思ってる方。
ひとし
なるほどね。
Kanta
それが非言語の遊び体験か、
一緒にマンモスカリ行くかが一番僕最近マッチしてるなって思って。
うん。
分かる。
ひとし
分かるね。
僕もなんか、
ノーアジェンダでとにかくおしゃべりして仲良くなるとか超苦手だから。
なんかこう、
なんていうのかな、向き合う、対峙するコミュニケーションみたいなのって、
やっぱり、
すごいハードルというか難易度高いですよね。
Kanta
うん。
ひとし
でもプロジェクトがあると、
一緒にそっちの方を見てるから、なんか2人がこう正面から向き合うっていうよりは、
マンモスの方を一緒に見てるみたいな、横に並ぶ感じになるじゃないですか。
Kanta
そう、てかボードゲームとかも同じかもしれないですね。
うん。
そういうのもあって。
ひとし
あと話題が向こうから来るみたいになるじゃないですか、外側から来るというか、
2人の外側から話題が来てくれるから、
はい。
話すことができるみたいなのありますよね。
はい。
Kanta
というか、長くなったんですけど、
仕事と活動の両立
Kanta
このトピックとしては、
社会と馴染んできたっていうところでしたね。
ひとし
仕事っていうものが楽しめるようになってきたって感じですかね。
Kanta
うん、そうですね。
ひとし
そうですね。
どちらかというと、去年のティーチャーティーチャーって、
そのポッドキャストアワードを取ったりとか、
そのコンコンを始めたりみたいな形で、
なんかティーチャーティーチャーの活動みたいなものが、
ちゃんと形ができてきて、
なんかしっかりベースを作ったみたいな、
1年だったように僕から見えていて、
でもなんか仕事っていうよりは、やっぱ活動をしてたって感じですよね。
はい。
でもそのお金を稼ぐみたいなことを、
しっかりと目的にしてやっていく活動って、
より仕事感はやっぱりあるじゃないですか。
なんかその仕事をちゃんと、
仕事をちゃんとするって言うとすごい、
ようでやってなかったのかみたいな話になるけど。
いや、やってなかったです。
仕事をするみたいなことに対して、
向き合うようになったのかなっていう、
そういう話なのかなって思ったんですけど。
Kanta
そうですね。
それはあります。
ひとし
なるほどね。
それはきっかけは、
ティーチャーティーチャーを、
しっかりと存続して活動、
継続していくために、
スポンサーみたいな形じゃない、
何かしらの業務を拾って、
対価をいただくみたいな形の収益の、
売上を作るみたいなことに、
注力し始めたっていうことと、
家庭の環境、子供が生まれたっていうことをきっかけに、
自分の給料をちゃんと払わないと、
みたいなところが出てくるっていうのが、
両方同じタイミングで起きたから、
売上ちゃんと作らな、みたいなことに。
強制的に向き合った結果、
意外と悪くないぞってなってるみたいな。
Kanta
そうですね。
そんな感じです。
ひとし
面白いなと思ったのは、
今年、PTA会長で、
地域とか学校とか、
資本主義じゃないところのコミュニティに、
しっかりとコミットした一年だったんですね。
僕逆で、仕事とかビジネスとか資本主義のほうが、
自分の特性とか感覚にすごいフィットしてるから、
どちらかというと、
仕事をしてるほうがずっと楽なんですよ。
で、なんかそういう、なんていうのかな、
合理性とか目的とか、そういうんじゃないんす、
みたいなコミュニティが苦手だったから、
ずっと避けてきたけど、
この一年、ちゃんとそういう活動にコミットしてみて、
意外と嫌じゃないかも、みたいな感覚もちょっと芽生えてきて、
なんか逆パターンで同じような。
Kanta
それだから最初は得意じゃなかったけど、
やんなきゃいけないからやってたら、
何が自分にとって良かった、メリットだったというか、
嬉しかったって感じですか?
ひとし
まず得意じゃないし、好きじゃないって思ってたから、
ずっと避けてきたし、
実際にそうだったと思うんですけど、
今年一年やってみて、
多分それまでのいろいろな仕事の中だったりとか、
家庭の中で培ってきた経験みたいなもののおかげで、
意外と得意ではないけど、
できなかないなみたいな、できる感覚。
さっきのひとしさんの感覚とけっこう違くて、
意外とできるやん、みたいなのと、
すごい嫌いだと思ってたけど、
好きではないけど、嫌いって言うほど嫌でもないな、
みたいな感じが出てきて、
やっていける可能性があるかも、
みたいなのを最近思ってるみたいな。
Kanta
いいっすね。
ひとし
僕は資本主義からむしろ、
目的とか合理性じゃないところで、
意外とやっていけるかも、
それがあんまり嫌いじゃないかも、みたいな感じでいて、
ひとしさんが逆に資本主義みたいなところ、
ビジネスみたいなところに対して、
その感覚を覚えたみたいな話なのかなと思って。
Kanta
そうですね。
たぶんこれで普通に僕が一人で、
はるかの情熱と影響
Kanta
代表とか経営者とかやってたら、
完全にそっちに行ってたなって思うんですけど、
やっぱはるかがバランスよくも、
ビジョンとストレートみたいな人なんで、
なんか面白いですね。
バランス面白いなと思ってますし、
やっぱ誰に話しても、
もっと稼いでからやったほうがいいよとかってなるんで、
こんなこんこんみたいなものを、
2年間も試行錯誤してるだけで、
すごいいろんなものが、
知見がたまったり、
社会に提案できたりするんですけど、
ここにリソースを咲くって相当むずいんだろうなって、
いろんな人と話して思うたびに、
なんかやっててよかったなって思うっていうのがあります。
経済合理性の自分からすると、
確かにバカなことやってるなって思うけど、
みんなそう思うからこそ、
ここにこれやってたら面白いなって思う。
これがよく強くなってきた感覚です。
ひとし
去年そのティーチャーティーチャーの特別編で喋ったときに、
2人の異常なパッションみたいなものがすごい重要だと思うみたいな話してたじゃないですか。
なんかすごい繋がる話だなって思ったのが、
やっぱりはるかさんのこの不登校だったり、
子どもたちが前向きに次のステップに向けて、
前向きに何かに取り組めるみたいなことに対する異常なパッションがあるじゃないですか。
冷静に考えたら経済的な地盤作って、
NPOの趣味のボランティア活動としてやればいいじゃんみたいな話になるところが、
もうその今のこの現状で自分が何かしてないっていうことがもう絶対我慢ならないから、
どんなに苦しくてもやるみたいな異常なパッションがあるっていうのが、
はるかさんは多分突き進んでるわけじゃないですか。
そのおかげで冷静なひとしさんは、
そっちに引っ張られて、
すごいチャレンジをしてしまってるみたいなことですよね。
Kanta
はるかにこれを言い始めたのは僕だったりするんで、
ひとし
ひとしさんにあってやっぱりプロデューサー気質ですよね。
ひとしのプロデューサーとしての役割
Kanta
基本的にそんな感じみたいですね。
ひとし
自分が何か実現したいビジョンというよりは、
はるかさんのビジョンみたいなものを実現するみたいなことに
パッションを感じてるんだなみたいなのは、
今の話からもちょっと思いましたし。
そうですね。なんでなんでしょうね。
この間のティーチャーティーチャーの数学を教える話をしてたじゃないですか。
あれ聞いてて、
ひとし
人に何か教えるっていうのにあんまり楽しいと思ったことはあるけど、
分かってもらえたら嬉しいとかって気持ちはあるけど、
教えることを成り上げることに自分があんまり興味を持てなかったのが、
教えるって自分が知ってることしか教える対象にならないから、
それを繰り返すってことは知ってる話をずっとしてる感じになるから、
飽きるなっていうのがあったんですよ。
でもあれ聞いてて、
ひとし
分かってくれたら、
困ったことが解決する喜びみたいなことに
先生たちって喜びを見出していて、
教えてる内容がずっと同じだから飽きるみたいなことが
ひとし
あんまりそもそも論点じゃないんだなとか思ったんですよね。
で、ひとしさんのプロデュースしたいのけっこう似てるのかなって思ったのが、
自分が教えてくれたら、
自分が教えてくれたら、
自分のやりたいことを実現するみたいなことが、
どちらかというと夢を取り組みたいなことでは、
良いことだったりとか、
王道みたいな感覚ってあったりするけど、
誰かがそうやろうとしてることを自分が力添えすることで、
実現に近づけるとか実現を早めるみたいなことに、
それそのもののみに喜びを見出すみたいなことって、
先生が教えることに喜びを見出すのとけっこう構造似てるのかなって思ったんですけど。
なるほど。
なるほどな。
Kanta
なるほど。
難しいな。難しい。
それももちろんあると思います。
ちょっと意味を考えてしまうかもしれないですね。
たとえば数学だと、
全く意味不明だと思ってた問題を解けるようになるっていう体験を
提供できてるって、
その子にとって意味あるんだろうなって思う。
みたいなのがあったり、
はるかをプロデュースしたって言ったらちょっと語弊があって、
普通に一緒に楽しくやってきたら結果プロデュースになってたって感じなんですけど、
それもこういう、
特別編でも話したんですけど、今日ちょうど。
なんか新しいものを生み出すのは楽しいなと思うんですよ、社会に。
その時にやっぱ、
ああいう、
僕もそうかもしれないですけど、
経済合理性を考えずに本気でこれいいじゃんっていうのに突き進める力が
あるんじゃないかなって思って、
それを外側からしっかり、
そのエネルギーを100%発揮できるようにするみたいなこと自体に
ひとし
けっこう価値があるんじゃないかと思う。
新しいものを生み出す喜び
ひとし
もちろん価値はあると思うんですけど、
ひとしさん見てて思うのは、そこに喜びを生み出してるんだろうな、
Kanta
みたいなのがあると思うんですけど、どうですかね。
何が喜びなんだろう。
ひとし
なんか、新しいことを生み出すことを
プロデュースするみたいなことって、
ともすれば、
自分が何かを生み出しているというよりは、
人の熱量に乗っかっちゃってるみたいな、
大悪感を持ちがちかなと思うんですよね。
自分が生み出したいというよりは、
人が生み出したいものっていうのがコアにあって、
それがないと自分が機能しないみたいなことって、
例えばあったとしたら、
それってけっこう多い目に感じやすいシチュエーションだったりするのかなって、
自分だったら思ったりするんですけど、
そういうことじゃないんだなみたいなのは、
僕もけっこう似たところがあって、
例えば今やってる会社とか仕事とかも、
ぶっちゃけ中身何でもいいっちゃ何でもいいんですよ。
何でもいいっていうのは、本当に自分が価値を感じられなかったら、
もちろんモチベーションが湧かないんだけど、
どんな仕事でも誰かが一生懸命やってることって、
思いだったりビジョンだったりとか、世の中を良くしたいっていう気持ちがあるわけじゃないですか。
そこに共感をするところまで自分を持っていければ、
何にでも割と、
じゃあそれをどうやったら一番効率よくできるかなとか、
合意的にできるかなみたいなことをけっこう楽しんでやれるから、
中身別に何でもいいっちゃ何でもよくって、
何ていうのかな、一定度のラインを越えていれば、
何でも楽しめるみたいなのがあるんですよね。
わかる気がします。
何でも楽しめるし何でも面白がれる感覚はすごいあるから、
逆に自分の中から湧き起こる何かがあるかって別になくて、
それがすごく空虚な感覚も感じることはあるけど、
でも、
そういう生き方は、
それはそれであってもいいんじゃないっていうのも思っていて、
Kanta
なるほどな。
確かに僕もめちゃくちゃ、
最近特にそうだなと思います。
意味を理解して共感するっていうのは確かにできる。
確かに何でもいいんだろうなって思うんですよ。
同じ方向を見てワイワイするのが楽しいっていう感じなのかもしれないですね。
ひとし
数学でもそうです。
ただ、なぜそのマンモスを狩るのかに
自分が納得いってないと全然楽しめないけど、
そこに腹落ちしてたら、
Kanta
普通にマンモスじゃなくてもいいわけですよね。
そうですね。ただ、絶対に狩った方がいいマンモスがいるのに、
別の狩るとかちょっと難しいかもなとは思うんですけど、
多分ある程度どんなマンモスでも狩れて、
一緒にやる人たちと楽しくやれてればいいかもしれないです。
それはすごいわかる。
だからそこのマンモスを
できるだけ自分が社会にとっていいと思えることにしようと
しているっていう感覚です。
ひとし
わかる。多分けっこう僕はそこにすごい共感をするんですけど、
ティーチャーの活動ってやっぱり
社会禅みたいなところがベースにあるから、
自分の内発的動機、
自分の熱意としてその課題に
自分のオリジナルなものとしてその課題に取り組まないと、
取り組んでいるとみんなやっぱり思うじゃないですか。
はい。
でも、何か
必ずしもそうじゃなくて、
例えばハルカさんがそこにすごいパッションが持っていて、
それに自分も共感していて、
そのハルカさんがそれを実現していくことに自分の力を
加えるとすごいドライブするみたいなこととか、
それを一緒にやっていることがめちゃくちゃ楽しいみたいなことで
やっているみたいなことっていうのが、
僕はいいなと思うんですよね。
いい組み合わせなんだろうなと思うんですよね。
逆に会社とかでも、
ビジョンみたいな話をしたときに、
共同創業者が2人いて、2人ともそのビジョンを自分の
オリジナルなものとして持っていたりすると、
大きな方向は一緒なんだけど、細かいディテールが違ったりしたときに、
やっぱり喧嘩になるんですよね。
でも、誰かが持っているすごいクリアなビジョンに
一緒に乗っかって、一緒にそこを目指すみたいな
関係性だと、割とそこってあんまりコンフリクトしないというか、
語っていることと向かっていることと今やっていることみたいなのが
全部一致さえしていれば、けっこうずっと
うまく一緒にやれるみたいな感覚は
あって、そういう意味ではすごくいい組み合わせなんだろうな
というのを今話していて改めて思いました。
Kanta
なるほど。確かに。
僕、無理やり身づけしているのかもしれないですけど、
こういうすぐに利益が出ないソーシャル活動みたいなものを、
そこがしっかり利益が生まれていくような
コミュニケーションの中で、
そこがしっかり利益が生まれていくようになるっていう
このプロセスを探求したいみたいなモチベーションもあるので、
なんかけっこう、
確かにちょっと抽象的なもので、
僕はすごいワクワクしているかもしれないです。
ひとし
僕、自分の感覚は今やっている仕事とかもそうなんですけど、
やっぱりそれぞれそういうのがあるんですよ。
こういうことを達成したりとか、
こういうことができたらすごい良いと思うからやりたいみたいな。
やりたいことはけっこうその中ではあるんですけど、
それじゃないとダメなのかっていうと別にそんなこともなくて、
今この会社でこの仕事をしているから、
その中の自分が一番良いと思うことがこれで、
それには割とちゃんとパッションを持って取り組めているみたいな感覚があって、
仕事はどんなにどうなろうが、
それをずっと一生やり続けるんだみたいなことは全く思っていなくて、
そういう意味で別にやりたいことがないって言ってるんですね。
でも別にやってることはそれなりに楽しんでやってるし、
あれもやりたいな、これもやりたいなっていうディテールとしてたくさんあるみたいな感じなんですけど、
ライフスタイルと責任の変化
ひとし
ひとつさんはどうですか?その感覚に近いですか?
Kanta
それともちょっとそれとも違うなって感じますか?
ひとし
そういう大きな抽象的なこういうことを実現したいみたいなのもあるけど、
それじゃないとダメなんですか?
その人生それ以外を目指さないんですか?って言われると、
別にそんなこともなくて、
違うフィールドあったら同じような抽象的な課題も具体的な課題も楽しく
パッションを持って取り組めるなぁみたいな感覚があるみたいな。
Kanta
そうですね、それはそうかもしれないですね。
確認作るの好きで、確認屋さんとかでやりたいって感じです。
タイミング合えば割と何でもやりたいって感じではありますね。
そういう何かユーティリティプレイヤー、
ひとつさんも何て言うのかな、
ひとし
ポッドキャストプロデューサーみたいなところが
一番メインのコアなスキルだと思うんですけど、
別にそのコアなスキルって言うのは
ティーチャーティーチャーの経営をするとか、
いろいろ何て言うのかな、
はるかさんがこのコンコンの活動とか
ティーチャーティーチャーの活動にすごい集中できるような
プロデュース業みたいな感じ、いっぱい色々やってるじゃないですか。
そういうのがマルチで色々なロールができる
ユーティリティプレイヤーみたいな人が
そういうところにモチベーションを感じながら
やっていけるみたいなことが
組み合わせとしてすごい大事なんだろうなっていうのは
Kanta
やっぱり思います。
あとプロデュースしてるとか言うと
偉そうっていうか
分かる分かる。
自分で稼いで
ティーチャーティーチャーの中で稼いでって偉そう
ティーチャーティーチャーがなかったらこうなってないんだよ僕が。
ティーチャーティーチャーがなかったらそんな稼ごうと思ってなかったんで
全然感謝してるっていう
相互循環が起きてるなって感じなので
ケアしてる感じではないです。
分かります分かります。
プロデュースじゃないんだろうね。
ひとし
そこを命名するか確かに。
この一年の命名ということでいくと
やっぱり仕事とか責任みたいなものに
前向きに向き合えるようになってきたみたいなのが
今話の中で一つの大きな変化なんだろうなっていうことと
やっぱりこのティーチャーティーチャーの活動の中での
ひとしさんが
プロデュースって便宜的に言ったんですけど
ひとしさんが果たしてる役割みたいなものに
もっとちゃんとピンとくる名前をつけるの
両方どっちもあるなって思った。
Kanta
今からまた40分くらいかかりそうです。
責任のサウナ
ひとし
クロージングにかからないといけないからね。
Kanta
そうですね。
募集する形でもいいしね。
ひとし
後者は今年1年の振り返りっていうよりは
ひとしさんのライフスタイル、ライフワークとか
ひとしさんが何者なのかみたいな名前に近くなるから
そこはもっと探求していくとして
とりあえずこの1年という意味では
責任を負うことに
ちょっと前向きに捉えられるようになったみたいな。
Kanta
そうですね。
そういえば年史で書き初めした時に
無責任っていうのをテーマにしてたんですけど
真逆でしたね。
ひとし
責任者じゃないですか。
Kanta
何なんだろう。この矛盾をうまく言葉にできたら
ひとし
閉まりそうな気がしました。
Kanta
なんかやっぱ外圧によって人は変われるっていう
それは悪いことばっかじゃないっていうことは
この1年ある。
ひとし
今頭の中に浮かんでるイメージは
責任っていうのに
満たされたサウナの部屋に入ってて
めっちゃ汗かいてるんだけど
けっこう整うみたいな感じ。
責任のサウナ。
責任のサウナに入ってたのかなっていう。
でもサウナって不快じゃないですか。
不快感しかないでしょ。
Kanta
よくそれでサウナの例え思いつきましたね。
僕はけっこうピッタリなんですけどそれ。
ひとし
ですよね。
だから僕はサウナが全然楽しめないっていうのは
ひとしさんの責任で外圧がプレッシャーで
嫌な気持ちしかしなかったってことだと思うんですけど
だから悪くない。
そうそうそう。
サウナ。
Kanta
責任サウナ。
責任サウナで。
ひとし
まとまったんじゃないですか。
責任サウナでしたこの1年。
責任サウナデビューしたってことですね。
Kanta
そうですね責任サウナデビュー楽しさが分かったということで。
そんな1年でした。
ありがとうございます。
ひとし
まとまりましたよかった。
じゃあさよならありがとうございます。
51:53

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