ところで山口さん、山口さんってやっぱり人にレッテル貼って決めつけたりしますか?
やっぱりっていうのもちょっと聞き捨てならないんですけど、そんな人にレッテル貼るとかあります?
そりゃそうなんですけど、割と人って無意識のうちにやっぱりこう人にレッテル貼ったりとか、町ってこういうもんだよねとかって思ったりしがちで、
例えば僕結構シカゴで命の危ない目にあったりした時があるんですけど、ただそのシカゴの真ん中の都市というよりはスラム街の人がむちゃくちゃ優しかったっていうことがあって、
なんかこう決めつけるのってやっぱダメだなと思ったことがあったんですよね。
確かにスラム街の人って聞くと勝手に怖い人とかってイメージしがちですけど、そういうことってありますね。
無意識に人にレッテル貼ったり、やっぱり社会がこういうものだって決めつけているようなことって結構あって、
それが犯罪学でも有名な議論になっていきますので、今日はそういうレッテル貼りとかラベリングの話をしたいと思います。
丸ちゃん教授の罪な話、市民のための犯罪学。
刑事政策・犯罪学を専門とする立証大学教授で、一般社団法人刑事司法未来の丸山康博です。
同じく刑事司法未来の山口由紀です。
このトーク番組は、一般社団法人刑事司法未来が送る、これまでとは異なった視点から罪と罰を考えるものです。
ニュースでは聞けない犯罪学刑事政策の話について、分かりやすく解説をしていきます。
お堅いテーマですが、なるべく親しみやすい形でお伝えできればと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
レッテルってすごいよく聞く言葉で、ネガティブな方向に強い言葉っていうイメージがあるんですけど、
さっきの丸山先生のスラム街のお話のように、確かに知らないうちに人にレッテル貼ったり決めつけたりすることってよくあることですよね。
そうなんです。これって犯罪学の分野でも結構議論がなされていて、従来からずっとアメリカで犯罪学が発展していく中で、
実はそういう人の決めつけによっていろんな現象が起きてるんじゃないかっていう見方も出てきて、それが次の犯罪を生むんじゃないかとかいろんな議論が出てくるんですけど、
これって今回なんでこんな話をしたいかっていうと、実は18回目の最後の方で映画のボーイAを取り上げた話の時に、
人はこういうふうに犯罪者になるんだよっていうのはラベリング論が作っていったような議論の流れなんですけど、
実は人はこういうふうに社会復帰をするもんだっていうのを決めつけているのも人なんじゃないかっていうようないろんなラベリング論がどんどん発展していく話を18回目ではやったので、
今日はその元になっているラベリング論の話をしたいと思っています。
そうですね。いくら小学校1年生の時に私がその人のことを好きだったとしてもちょっとえーって。
これってだから時代ってものの見方で今で言うとこういうのってほらなんかもうストーカーっていうようなものが考えられるようになってきたり、気持ちの表し方とかがちょっとずつ時代とともにですよ。見方が変わってきて。
で、これはちょっとなってこれって実はずっと一人を好きでい続けるっていうその客観的行動は何も変わってないんですけど、それが周りの価値観とかでこう変わっていくものなので実は同じことやってても周りがこれを犯罪化とかこれはもっと純恋愛だって周りが決めてるんじゃないかっていうのがこのラベリング論の考え方のスタートなんですよ。
確かにこの結婚した相手が小学校の時から好きだったんですっていうのってすごい素敵ってなるんですけど、全然そういう結婚相手とかではない同級生に小学校の時からずっと好きですって言われるとそういう感情になっちゃいますね。
で、これも次のセレクティブサンクションにかかっていく話なんですけど、実は山口さんも小一の頃からずっと好きだったんですって言ったとするじゃん。今もですよ。で、これはワッていう方に行くでしょ。
そうですね、運命が。
運命じゃないかってなるでしょ。それがやっぱりこう人によっていろいろ変わっていくんじゃないかって実はもうちょっと深い話をしていくとセレクティブサンクションってなんか例えばですね超優秀なA君でものすごく毎回先生から褒めたたえられてクラスのみんなからワーって盛り上げられているA君と常に不良で悪いことばっかりするB君が全く同じ日に全く同じ宿題をやってこなかったとするじゃないですか。
その時に先生が全く同じ怒り方するか注意をするか客観的にはそう見えてもちょっと微妙にA君とB君で対応違うんじゃないのっていうことが起こり得るんじゃないっていうのがこのセレクティブサンクションなんですけど、そんなことあります?経験で。
ありますね。小学校の時とか私は割と優等生だったので、忘れ物をしても隣の人に見せてもらってねって言われるくらいだったんですけどちょっと遅刻してきたりとか友達と喧嘩をばっかりするような男子は忘れ物しただけですごい怒られて隣の人に見せてもらうとかいう次元ではなく10分15分ぐらいその子が怒られる時間みたいなのがあったりとか。
キツイね。そうね。でそのセレクティブサンクションはやっぱり何言ってたかというと実は何をしたかじゃなくて誰がしたかってところがポイントになってくるってことの指摘なんです。さっきのハワードベッカーのやつって。で誰がしたかによって周りの人の反応が異なる可能性があるこれがセレクティブサンクションって言うんですけどこういうのって例えばまあサンクションに限らずですけどさっきのねずっと好きあった話でも変わるみたいに例えばですよ
耳を澄ませばっていうねたくさんの方が好きな映画があるわけなんですけどあれってなんかこうピュアな恋愛ストーリーがずっと繰り広げられるんです。であれの出会いって何やったって言ったらさ主人公の女の子がですよ借りていく借りていく本の先に絶対借りている奴の名前が載っていてこれ誰やねんって気になってて実はなんかね同じクラスの男の子が話が進んでからわかるんですけど実はずっと好きでこいつが読みそうな本を片っ端から借りていって近づくことしてたっていうこれ見方によっては
なかなかえへって言うとこなんですけどあれはほらなんかピュアな恋愛話として彼だから許されるというかむしろ彼だから植えるかもされたというかっていうこう素敵な話になっていくんですがこれももしかしたらセレクティブサンクションによってはえへっていう風にとらわれることもあり得るんですよ
あのキャラだからすごい美なんですけど違う見た目のキャラだったらホラーになっちゃいますよね
という時もあり得るでしょ
でこれはちょっと冗談のような話なんですけどもう少し真面目な犯罪に関する話でいくと同じ行為であっても通報されやすい人と通報されにくい人とか職務質問されやすい人とされにくい人みたいな違いが出てきてて
これ結構セレクティブサンクションで言われる大問題なとこなんですけど例えばアメリカの刑務所の人種的にどういう人たちがたくさん入っているかというとやっぱりアフリカンアメリカンいわゆるブラックって言われるアフリカンアメリカンの人たちが比率を多く占めててその次にヒスパニック系とかだから本当は街の中で白人の人とかも同じような比率でやってたとしても
職質かけられやすいとか逮捕されやすい何なら刑務所に来やすいっていうのは実はセレクティブサンクションの結果なんじゃないかっていうふうに言われてるんですよこれってでも例えばですよ
指摘されているのは結構アメリカの研究で出てくるのはザコップスっていうね番組あってアメリカ版警察24時みたいなやつなんですけど
うちの学生もむっちゃ好きって言って警察憧れますって言ってる学生たちが見てるっていうのもある一方で実はサブリミナルのようにそういうのを逮捕するっていうのを繰り返し見せることで実は無意識にそういう人たちに対するラベリングが起きてるんじゃないか
で例えばそのアメリカの番組だと白人の警察官が黒人の被疑者を逮捕するっていうシーンがひたすら出てくるんですねっていうのが繰り返されるとこういう人たちってこういうことするんじゃないかって植え込まれてったりとか
で日本でも何かそういう一定限られた犯罪類型をずっとこう放送することでそういう偏見が生まれてしまうんじゃないかって言われるような指摘もされてるんですこれが何かこうセレクティブサンクションに繋がっていくみたいな話ですね
確かに怪しい人ってそういう警察24時みたいなのを見て植え付けられてるし
触出される人って決まって同じ人が何回もされたりされない人がされなかったりとか何でだろうと思ってたんですけどそういう理論が後ろにあって
ちなみに山口さんって人生どれくらい触出されてます?
ゼロ回 ゼロ回なんすか
パトカーとかにガン飛ばしたら触出されるって聞いたことあるので
やってみた 一回 嘘やんおもろいやんほんで
めっちゃ見てみたんですよそしたらウィーンって窓が開いて気をつけて帰ってくださいってウィーンっていう
それでも気を使ってくれて困ってる人やと思って一応声かけてみて助けてくれっていうか試されたんじゃない?むっちゃいい警察の話やんそれ
そうですねちょっと触出されようとしたことを
されてみたいなって
任意ですか?とか言ってみたかったんですけど
答える義務はありませんとかって
お呼びでなかったみたいな
なるほどでさっきのハワードベッカーが言った論の3つ目
レッテル張られることがさらに次の犯罪を逸脱を生み出すんだっていうところこれもまた面白いところで
なんか人って求められる役割を演じるというかその役割に進んでいくということが言われていて
例えばですよ最近の学生これなかなか通じないんですけど拘束破るとか
定学処分を受けるようなことがあった時に何日かを定学して学校来ないと
例えば僕と山口さんが同級生としてで最近3日間ぐらい丸山君見ないけどどうしたんやろうってなって
えっちょっと山口さん知らんの?丸山君学校の中でタバコ吸ってるの見つかって3日間定学してんねんでってなった時に
3日後4日後かに来た丸山君がどんな風に来てほしい?
それはもう学欄のボタンを全開にして中に一番とか書いた赤いTシャツを着て頭ツンツン刺してきてほしいですね
一番ってTシャツ着てくんの?なんか外国の人が持ちそうな日本のイメージやけど
だから普通にさビシッと制服着てくるっていうより今やあんのかどうか分からんけどボンタンと呼ばれる
ボカボカのやつとかなんかペラペラの靴履いてくるとか
ペラペラの靴
けっつって薄いカバンに鉄板だけ入ってるみたいな
いわゆるヤンキースタイルみたいなんで来てほしいやん
授業に出てても一番後ろの窓側とか座って
けっ買ったらいいなとか言いながら授業に出たとしても普通は出えへんし
なんなら体育館裏でタバコ吸ってそうな感じやけど
っていうのを求める
この問題分かる人とかってはーいとかって手挙げる定学後の丸山君は求めないでしょ
そうですねタバコ吸わないですもんねそんな
はいとか有効感ね
でしょでそれってそういう役割をみんな求めるし
なんならその不良行為がかっこいいなとか思う同級生とかなんなら異性とかも出てくるし
みんなが求める役割っていうの出てくるんですよ
でさらにその方向に進むって言われているのがこの3つ目の論点っていうことになります
確かに演じるってあるなーって思いました
私も小中のキャラと高校入ってからのキャラって
キャラ変したわけ
求められるキャラが違ったのでキャラ変しました
何をどう変えたのちなみに
小中はさっきもあったように高校行くために至って真面目に
面白いこともたまにしか言わない
さっきの触出されたいなって時も高校ぐらいの時の話
それはですね大学院の時ですね
大学院で初めてやったわけ?幼くないそれ?
ちょっとあまりにもみんなが見てたら触出されるよって言うんで
じゃあやってみようかということでやってみたら失敗しました
冒頭の方でラベリング論がアメリカで流行ってたっていうお話だったんですけど