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みなさん、こんにちは。この番組は、誰もが知っている名作から、あなたの知らない日知すぎる本まで、ゆるいトークで紹介する、読書系ポッドキャストです。
改めまして、こんにちは、的文子です。
こんにちは、柏コーヒーです。
よろしくお願いします。
まだ読んでないので、また積ん読紹介なんですけど、積み立てぽやぽやの積ん読ですね。
この間出たばっかり、5月16日に発売になった未通書房から出た『沖縄の生活史』。
石原雅家さんと岸正彦さんが監修して、これは沖縄タイムスで連載されてた。
沖縄の人の、2022年、去年ですよね。
5月に日本復帰50周年を迎えたときに、沖縄タイムスに100人の人に、「あのとき復帰の日何をしていましたか?」っていうのもあわせて、
その復帰だけじゃなくて、復帰前から復帰後のこれまでどういうふうに沖縄だったり、沖縄以来のところだったりで生活してきたかっていうのを、
式書きした本になります。
それをシングルネーターしてたものをまとめたっていうところ。
これ、ネットでもいいですし、実際に本屋さんに行って、もしお手に取る機会があれば手に取っていただきたいんですけど、
存在感半端ないですよね。厚さ5センチ。
あれと同じサイズ、東京の。
東京の生活史とほぼ同じサイズですね。
東京の生活史と同じサイズなんです。サイズっていうか厚さ的に同じなんですけど、
誠実はこっちの方が800ページで、向こうは東京生活史が1200ページぐらいなので、
だいぶ違うんですね。
紙質が若干こっちの方がちょっと厚めで、ただ紙質的には軽いので、
ありがたい。
同じ厚さでもちょっと軽いので、頑張って持ち運ぼうかなっていう気になるかなと思ったけど、
やっぱりこの厚みでは無理だなと言わないなと。
ちょっと存在感がやっぱりすごい本ですね。
そうですね。そしてKindleでは出ていない。
Kindleではまだ。
出ていなかったですね。
もしかしたらそのうち出るかもしれないですけどね。
そうですね。こういうのはね、厚みのあるのはKindleでできれば。
なんかですね、たぶん私こういうインタビューを一冊にまとめました系の本って、
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あえてこの本で読みたいっていうのがあるんですよ。
なんかこの束にしたっていう、100人とか150人の人たちに聞いた話を束にしたっていうことが意味がある気がして、
声の厚みというか存在感みたいなのが本として物体として現れるっていうか。
そういうのを可視化できるっていうかね。
なんかそういうのが面白いなと思って、すごく場所は取るんですけど、読むのも片手ではちょっと読むのは無理っていう感じではあるんですけど、
机に置いて読まないと。
ちょっと取り回しの不便さはあるにしても、やっぱりこの形っていうか、物として欲しいなっていうのはありますね。
束ねるっていうね、一つの何か。
一人の語りは大体10ページぐらいで、でも10ページって言っても二段組なんですよ。
二段組というときめきはですね。
もうめきはですね。
二段組800ページ。
ですね。ラッキーって感じですよね。
そうそう。
やったーみたいな。
そうそう。それでまあ、俺ら結構いい値段するんですけど。
そうですね。
ギリ5,000円しないぐらいですね。
4人込みで50円って書いてますね。
そうですね。ギリしないですね。ワンコイン返ってくる感じ。
これ980円って別に話は違いますよっていう気がしますけど。
5,000円で聞くとちょっと安くはないですよ、もちろん。
安いとは言いませんけど、でも800ページで二段組だったらまあまあそこそこのボリュームはありますよね。
だから値段はだいぶ抑えられてるんじゃないですかね、たぶん。
まあだから普通にしては安いなっていう。
ミスズ価格ですよね。
本当に、やっぱり沖縄タイムスの何かですかね。
なんか随分いいんですか、この値段でっていう感じで出したなっていう感じはありますけど。
あれじゃないですけど、編集代は沖縄タイムス市場で終わってるっていうのがあるからじゃないですかね。
どうなんでしょう。
ちくわ文庫の東京生活史も1,200ページで二段組でにもかかわらずやっぱりこれも5,000円しなかったので、
なんかまあもしかするとこう。
記念価格?
記念価格、そうなんでしょうかね。
そんな感じなんですよ。
高いけど、実はその内容のボリュームの割には割安なんではないか説はあったりはしますけれども。
まあでもこの図厚さのものをわざわざ買いに行く人どのくらいいるんだろうなっていうところは。
ただ私はこういうなんてことがない、言ってしまうのは普通の人々が語っているっていうものを読むのがすごく好きなんですよね。
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なぜか心惹かれるものがあって、それの楽しさに目覚めたのはそれこそ岸井雅彦さんの本で、
街の人生っていう本があるんですよ。
それもその辺にいる人たち、その辺にいる人たちどういう経緯があってそのインタビューしたかわからないんですけど、
なんかその本をたまたま買って読んだときに、
インタビューともなんか違うし、なんかよくわからないけどずっと喋ってるだけの本みたいな。
インタビュー集ってだいたい何かしら編集してるっていうか、テーマに沿って話がまとめられてるじゃないですか。
でもなんかそれとまた違ってて、一応テーマはあるにはあるんだろうけれども、
あとやっぱり属性的にもいろんな属性の人は出てくるんだけれども、
なんかその例えば覚えてるのだと、なんかハーフの人でゲイの人が確か最初に収録されてたと思うんですけど、
なんかそういう自分のセクシャリティについてやっぱり語ってる部分は結構まあ中心にはなってるような感じがするんだけれど、
でもそこが中心というわけでもなくみたいな。
なんかそれとはまた全然別の話が続いていったりとか、なんかいい意味でまとまりがないんですよね。
でも人の人生ってまとまりなんてそんなにないじゃないですか。
そうですよね。
普通の生活なんてまあ別に書き記すようなこともないじゃないですか。
だからなんかそういう話を読むのって人によっては全然面白くないと思うんですけど、読む目的がないから。
でもなんかそういうただなんか知らない人の話を聞くみたいな、そういうのがなんかやたら面白かったんですよね。
こんな人いるんだみたいな。
でも別に有名人というわけでもなく、たぶんもしかしたらその辺で通り過ぎたっているかもしれないなっていう人の話をたまたま聞かせてもらえたみたいな。
通り過ぎたかもしれない人ってこういう人生があったかもしれないのかなっていうふうに、なんか思えるような人たちが何人も出てきていて、
その聞き書きっていうか、聞いた話をまとめるスタイルの本の面白さに目覚めて、そういったインタビュー集とか聞き書き集みたいなのをちょくちょく読み始めるようになったっていうのはありますね。
これ今Amazonの沖縄生活史のところを見てるんですけど、目次のところにちょっとだけ出だしだけが書いてあったりするんですけど、
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それ読むだけでも10人いれば10人違う。それはね、生活がみんな違いますからね。そういうのだけども、一冊にまとめると意味が出てくるっていうか。
そうですね。生活ってこういうことだよねっていう。
なんかでも、東京生活史もですし、あとこの沖縄の生活史も、私まだこれ1個しか、お一人分しか読んでないんですけど、一番最初に収録されている、あの時の東京はね、お店の正面に沖縄物お断りって書いてあったんだよ。
野蛮人と言ってからっていう、すごい文言から始まる方の生活史を読んでる、その聞き語りを読んでるんですけど、これ聞いてる人はお子さん、語り手の方はもう84歳の方で、聞き手はそのお子さん、娘さんですね、が聞いてるので、
まあお母さんから昔話聞いてるみたいな感じの。でも基本的にはこの語り手のお母さんがずっと喋っていくっていう。
でもこの聞き手の人の年齢と語り手の人の年齢が書いてあるっていうのも、すごく面白いですよね。
近い年の人もいれば、聞き手が29歳で、語り手が62歳だったりとか、離れている人に話すことと、多分年が近い人に話すことでは、
ちょっとニュアンスが変わってくるっていうか、子どもと親なのか。
子どもと親とか子どもと祖母っていうのとか、身内の中で喋っていることも結構あるんですけど、これ公募で募集されているので、語り手も聞き手も。
ただ、中に全然接点のない人に話を聞くパターンもまあまああるんですよ。
そうなってくると、話し手との距離感があったりして、話の入りとかも身内の人から話を聞くのとは違うし、
あとやっぱりその人がどういう人なのかっていうのが、そもそもお互い分かんないから、逆にそれで深くどういう背景だったのかって聞く人もいれば、
身内だから結構あれねみたいな感じで、読み手には全く知らない情報がある前提で話が進んでいくっていうのも面白かったりとか、
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あとはもう語り手も80歳、聞き手も80歳っていう。
すごい同世代、恒例同世代の。
それはそれでやっぱり濃い話が出てきそうですよね。
そうですね。
あの時はさあ、みたいな感じの。
同じ時代を共有してるからこそ、
端折れるところは端折り。
多分深く話せるところはすごく深くなるだろうし。
やっぱりこれを沖縄タイムスでこういったのを作っていく企画したっていうのって、本の序文にも岸さんが書いてあるんですけど、
沖縄について書かれた本ってすごく多いわけで、
やっぱり沖縄って日本でもかなり特殊というか、本が書かれるような背景を持っている土地ではあるわけですよ、いろんな意味で。
沖縄っていうのが一つのジャンルになってると、本に関しても。
ただ、本当に普通の人がどういうふうに生きてきたかとか、何を考えてきたかっていうのを記録した本って、本当に普通の人たち?
何を持って普通の人たちって言うのかわからないですけど。
まあまあ、死生の人たちってことですよね。
そうそう、死生に生きる。自分の隣にで生きている人たちの大人、百人に日本復帰した日に、そこがある意味象徴にはなる日に何をしてたか。
それとは聞いてる時と聞いてない時もあると。
とはいえ、別にそこが中心になって話しするんではなくて、
その人がどういうふうにそれ以前それ今、そして現在生きてきたかっていうのをまとめるっていうのが、
一人の話だけだったら一人人生でしょうけど、
百人分まとめていくと、やっぱりその時代の風景とか雰囲気とかが、
ジグソーパズルの一個一個ピースが詰まっていくみたいな感じで、
すごく立体的に出てくるっていうか、見えてくるのかなっていう。
なんか街が一つ出来上がる感じになりましたよね、本の中に。
そうそう。東京生活史で多分岸さんがやりたかったのって、そういうところもあって、
150人の普通の人に150人の普通の人が話し聞くっていう。
それを一冊にまとめるっていう。それをまとめて読むっていう。
そうすると何が見えてくるかとか、東京の生活史だと、これは確かコロナ前後にインタビューしてるので、
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だいたい2010年の後半か2020年の、2020年代の前半の街の風景とか、
東京に暮らせた人たちの雰囲気感とか雰囲気とかが、
20年30年してきたらまたどう見えてくるのかなと、これが束になって余れているっていうのが、
ちょっと意味がまた出てくるんじゃないかなっていうような感じで読んだりはしていますけれども。
そうですね。
東京もどんどんと変わっていく街だから、
そうやって150人の人のインタビューがまとまっていると、
本当にその時の空気感とかも伝わってきますよね、きっと。
でも一人一人の人生またすごい面白くて。
なんか言っちゃなんですけど、すごく特徴的なお話をする。
これの本を100人読んだら、90人ぐらい多分この話すごいよねってなる、
めっちゃ濃い話をする人ももちろんいるんですけど、
でもなんか全然印象に残らなかった人たちっていうのはもちろんいて、申し訳ないですけどね。
でも何に自分が印象に残るかって、どの人の話に印象に残るかって多分、
結構読む人によって違ってくるのかなっていう、その面白さもあるんですよね。
本当にいろんな人がいて、でもなんかこれさっきの人も同じような話してたなっていう話もあれば、
本当にこの人は唯一無二だなっていう、バチバチに尖ってるなっていうような話をする人もいるし。
でもなんか、何で私このエピソードが心に残ったんだろうなっていうような人もいたりとか、
でもなんか覚えてんだよなっていう。
自分の人生と照らし合うときに何かが共鳴したりするんですよね、きっと。
その印象に残った話って多分。
ほら、エンターテイメント性のあるすごい面白い人は別として、
本当に普通の人の、もしかしたら印象に、私が読んだ印象に残らないかもしれないけども、的さんが読んだ印象に残るとか。
そのチョイスは人それぞれ違いそうですよね。東京のなんか特に。
沖縄もそうですけども。
今回の沖縄のは激動のときの。
そうですよね。
やっぱり最初の人の話も激動でしたね。
戦争で両親を亡くして、子どもの頃に両親を亡くしたから、
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もう10歳かそのぐらいのときにもう親戚の家で生活してたんだけど、
やっぱりそこからもう15歳ぐらいで働きに出て、
だからちゃんと学はないんですよね。学校にちゃんと進学できなかったって、
それをずっとやっぱり学はないといけないっていう話をずっとしてるっていうのは、
そこに繋がってはくるんですけど、ただその方、女性なんですけど、
東京に一旦行って、ただ東京はやっぱりさっきみたいな、
肺がみがまだされて扱いが、やっぱり沖縄の人に対する扱いっていうのは冷たかったっていうような印象があったから、
自分はもう2、3年ぐらいして、土地もちょっとやっぱり合わなくて、
唇がなんかこうしもやけになってしまったりとか、
やっぱり東京は寒いし、ちょっとつらいなっていう。
東京が寒いなって思うんだなって思うんですけど。
そうですよね。
なんか沖縄の人にとってはやっぱり東京も寒いよなっていう。
寒いしなっていう。冬がつらいっていう。
あとまあいろいろやっぱり社会が違うから、ちょっといいかなっていうので沖縄に戻ってきて、
ただ沖縄に戻ってきた後にいろいろこう、そこからまたいろいろ苦労はされるんですけど、
最終的になんかこうちょっとした商売をやって、
なんかこういろいろ飲食を、いろんな飲食を手広く展開するっていうような、
なかなか詳細はあるというか、いろんなお店を展開して、
旦那さんは旦那さんで写真館やったんだけど、あんまり仕事ができる人ではなかったみたいなことを言ってて、
旦那さんは写真館をとって、そっちもなんか飲食だったらなんかやり始めて、
またそっちも手広く商売をやってっていうような、
なんかこうチャキチャキと働いてきた方の人生が語られていくっていうのが面白くてですね。
で、それを振り返りながら、やっぱりでも額はないといかんよっていうのをしみじみ後になってから語るっていうのは何とも切なかったりはするんですけれども、
やっぱりそれをなんかこの人はずっと思いながら、
チャキチャキと働きながらもそれを心のどこかでずっと思ってたのかなっていうのは、
そうですね。
まあ、こういう機会だから出てくるのかもしれないですね。
改めて自分がずっと思ってたことが文章になって、
初めてその人もこんなに自分で思ってたんだなと思うかもしれないですね。
ああ、そうですよね。なんか心の中にはずっとあったのかもしれないけど、
一人話してみて、あ、私ずっとそういうことを考えてたのかみたいな。
ってなるのもきっとあったんでしょうね。
ね、繰り返し繰り返しでそのことを言っているのを、自分ではいつも喋ってるからあれだけども、
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いざ文章になってみると、どれだけ自分がそこに気持ちを持っていっていたのかとかが、
分かりそうですよね。改めて読んだ時に。
自分もまた自分の人生を発見するというか。
あと、この聞き書きとかで生活史というか自分の人生とかを話すような本で思ったのが、
この人にとってはここがハイライトだったのかなっていう。
これ?みたいな話だって結構あるんですよね。
いや、もっと他にあったんじゃないかっていう、本当に些細な、言ってしまう。
他人からすれば結構些細なエピソード。
この人にとっては割とハイライトというか大事なワンシーンみたいな、
1エピソードとして出てくるっていうのは結構、それもそれで面白くて、
いや、もっとあるでしょって思って。
すごく失礼なんだけど、もっとあるんじゃない?って。
他から見たらもっとインパクトでかい出来事って多分あると思うんですけど、
でも個人的にはこれがやっぱり私の中ではとっておきのエピソードっていうか。
そういうのを読むといいものを読んだなって感じするんですよね。
そうそう。なんかドラマティックなことをちょっと期待しちゃうけども、
当事者にしてみたら、
ドラマティックなものをちょっと期待しすぎちゃってるのかもしれないですよね。
読み手としてというか聞き手としても。
だけど、人それぞれだからね、そのハイライトね。
本当に。
自分だったらこういう企画あって、話すっていう時何話すかなって。
ちょっと派手なこと探しちゃいますよね、人生。
そうそう。
派手派手しいことを。
面白くない人間だから面白くしようとしちゃうだろうなって。
いやいやいや、これね絶対この日本人気質ですよ絶対。
この起承転結とか、どっかにクライマックスをこうね。
作文のあれと一緒じゃないですか。
作文の練習を仕事も受けてきた。
絶対にオチをつけなくてはとか。
それは大阪人ですよ。
それは大阪人ですよ。昔私は上司ですよ。
何でもない話してる時に必ずオチを求めてくるなんですよ。
でっていう。
でってでもないよ。
でもでもやっぱり生活ってでってことの積み重ねですからね本当はね。
そうそう。
そんなにねオチが毎日あるわけじゃないし。
そう。
毎日ドラマティックなことはないけど、
でもねそういう今ねそういうのを考えた時に、
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会社の人とかとも話すじゃないですか。
うちの会社転勤の人が多いので。
やっぱり来て少しね2人だけになった時なんか見述べ話とか今までの経験とかを聞くじゃないですか。
そうするとまあそれぞれドラマがあるわけですよね。
でもそれやっぱりなんか一番自分のハイライトを喋りたくはなるじゃないですか人間。
そうですよね。
で一番面白い滑らない話的なやつを。
そうそうそうそう。
いっぱい何本持ってますよねみんな。
持ってきたくなっちゃうところでオチがないというか、
花々しくはないけどまあなんだろうね自分にしてみたらそれが幸せとは違くなんだろうね。
それが自分の生活であるっていう話をする人の方がすごい強いような気がしますけどね。
なんだろうね自信がない人間ほどそれこそやっぱり。
持っちゃう感じですか?
持っちゃう感じがもう本当に耳が痛いというか。
なんかそうあとなんだろうなポールウォースターっていう前撮り上げた作家で、
昔ラジオをやってたことがあって、
ラジオ番組ナショナルストーリープロジェクトっていうのをやったみたいな企画で、
それはラジオを通してリスナーになんかあなたの人生で面白い話を聞かせてくださいみたいな。
確かそんな感じの趣旨で。
でも取りに足らない話でもいいし、
誰も聞いたことがない、誰も経験がしたことがないような、
事実は小説より気になりみたいな話でもいいんで、
あなたの人生の話を聞かせてくださいみたいな企画をして、
リスナーからもう全米のいろんな人たちがお便り送ってきて、
それをポールウォースターがラジオで紹介するっていう、
すごい面白いことをやったんですね。
それを本にまとめたのがあって、
それまた面白かったんですよ。
ポールウォースターが編集してるんで、
小説的な面白さっていうか物語的な面白さっていうのも感じるエピソードもあるんだけど、
なんでこの人のラジオにわざわざ送ってきたんだろうなっていうエピソードも結構あるんですよ。
え?みたいな。
これはいかがなものかっていうんじゃなくて、
なんでこれを送ってこれと思ったんだろうなっていうような、
不思議な、本当に取りに足らない話というか、
これの面白どころよくわからんだっていうような。
何万かわからないですけど、何千か何万かリスナーの中には、
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もうそれがすごい刺さってしょうがない人も絶対いるわけじゃないですか。
それが選ばれてるし、しかも。
編集したときにそういうエピソード結構入ってて、
環境があったのかなっていう。
なんか今、まとさんの話聞いてて思い出したのが、
昔東京FMでシンクロノシティっていう、
東京の街の声をインタビューしていって、
今日あなたは何をしましたかっていうようなのを聞いていくんですよ。
有楽町だったりとか新橋だったりとか、そういう日によって場所は違うんですけども、
東京のどこかでインタビューしていくっていう。
やっぱり取りに足らないような話をする人もいるんですけど、
その番組のタイトルもシンクロノシティにかけてのシンクロノシティだったんですけど、
誰かの生活と自分の生活がリンクする瞬間みたいなのをやってる。
すごい良い夕方にあったんですけどね、東京FMで。
平日の夕方にやってる番組だったんですけど、
なんかそれとか思い出しましたね。
本当に些細な、今日あった良いことは何ですか?みたいなことで、
やっぱり派手派手しいことを、今日これがあってっていう人もいれば、
本当にそれですか?みたいな。
言葉をちょっと選びきれないような気持ちになっちゃったんですけど。
で?っていうようなことですよね。
ラジオのインタビューなのに、みたいな。
でもそういうことの方が本当は多いんだよな。
自分の生活だってって思うんですけどね。
でもね、本当そういう人の生活って面白いですよね。
面白いんですよ。
今現在進行値でやってるのは大阪の生活を今度やってるらしくて。
これは絶対それこそもう、
滑らない話じゃないですか。
滑らない話満載じゃないですかって、
ちょっと期待してしまうところはあるんですけど。
またちょっと違うね。
そうですよね。
やっぱ関西の方ってやっぱり、
うちの父親は関西で10年とかそのぐらい生活してましたけど、
なんかちょっと接点があったりはしましたけど、
でもやっぱり西日本の社会って、
ちょっとやっぱり独特というか、
こうしたらやっぱりちょっと違うなっていうのは、
遊びに行ったりするとか、
あとまあ、こっちに出張とか、
出張っていうか転勤で出会った人たちとか見てると、
やっぱり全然文化圏違うところで育ってきた人だなっていう、
雰囲気がやっぱりありますよね。
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そうですよね。
ポケット突っ込みを、
自然、ナチュラルに求められることがあるので。
本当にそうですよね。前の調子本当にそうで。
で、それオチなんなんとか、
東北人にオチなんなんって聞くなみたいな。
私は今のところは、
椅子からこけんとあかんねんみたいなこと言ってて、
椅子からこけなくてはいけませんでしたか、みたいなこともあった。
だから最初にオチないんですけどから始めて、
予防線としてオチはないんですけど、
オチないんかいって言われて。
そうそう、オチないんだったら話聞く価値ないんじゃないか、
ぐらいのことは言われるっていう。
そういう最初からこぼけをかましていかないと、
ちょっと許してもらえなさそうな雰囲気があったので。
ちなみにこのつんどくざんまには、
結構大阪の方にも聞かれてるらしいので、
どうなんでしょうね、実際。
どうですよね、私のちょっと知ってる、
コーヒーの関係の方は、
本当にご自身でも大阪はこういう感じだからっていう、
わかりやすいですけどね、すごく。
確かにこっちに来た人も、
そういう感じの方が多かったですね。
なんかすごく自分の街に愛着を感じてるのかなっていう方は、
多い印象がありますね。
そうですね。
郷具合ともまた違うんですよね。
その街の声のトーンもあるじゃないですか。
山形放送とかのラジオと、
それこそ東京FMはまだ声張ってますけど、
あれもう一個何でしたっけ。
JWMとかですか。
そうそうそう、JWMとかだと。
JWM、しゃらしゃらしゃべるじゃないですか。
しゃらしゃらしゃべってますよね。おしゃれ、おしゃれ。
しゃらしゃらしゃべってるみたいな。
BFMとかですよね。
そうそうそう、BFMとか。
何このしゃらしゃらした喋り方できないみたいな。
都会だわ。
超憧れちゃうと思うんですけど、
あれを聞いた後に山形放送を聞くと、
めっちゃ聞きやすいみたいな。
お年寄りが多いからみたいな。
お腹から声出してるねみたいな。
自分もお腹から声出す系なんですけど。
あれですよね、オールドファッションな感じのアナウンサーの喋り方ですよね。
あのしゃらしゃら感は憧れちゃうなって思うんですけど、
やっぱり村上春樹とかかなみたいな。
村上春樹、東京の人じゃないし。
もう完全に偏見なんですけど。
イメージなんですけど。
ちょっとこれ本じゃないんですけど、
去年、おととしのドキュメンタリー映画祭で、
33:00
気になったけど見れなかったやつがあって、
私が覚えているっていう5時間以上ある
インタビュー集みたいなドキュメンタリーがあって、
それが確か鳥取のお年寄りたちに聞き語りしてる
10人ぐらいの人がずっと自分の人生を話してるっていう5時間ですよ。
もう耐久レースかっていう長さですけど。
でもそれでもちょっと気になってて、
今の東京の生活地にしても沖縄の生活地にしても、
結構キャラも濃いっていうか、
特徴的な土地の生活じゃないですか。
絶対ここはなんかあるんだろうっていうような、
絶対何かそこ独特の独自の話題性があるというか。
でもそれに対してではないですけど、
すごく目立つ都市っていうわけではないところに住んでいる人たちの、
いわゆる地方に住んでいる人たちの話っていうのも、
これも多分面白いと思うんですよね。
そうですね。
鳥取のお年寄りたちどうやって生活してきたのかっていうのも、
これも絶対面白いだろうっていう山形の生活地につくりがありませんか。
絶対またキャラの濃い何か。
あると思うんですよね。
他の人、地元の人たちで分かる分かるっていうのもあると思うんですけど、
他の山形以外の、それこそ大阪とか沖縄とか、
もう全然山形接点ないような遠い土地に住んでいる、
東北以外のところに住んでいる人が読んだら、
何これみたいな感じの、
異文化みたいな異文化の塊みたいな印象を持つのか、
それともすごく遠く離れてるけれど、
何か通じるところはあるわって思うのか。
なんかカントリーサイドは大体似た感じになるんじゃないですかね。
季節的なものは、山が立ったら雪が降ったりとか、
九州のどこらへん、例えば佐賀とかだったら、
暑くて雪は降らないけど、
でもなんとなく平均的に似たような生活なんじゃないかなって思いますけどね。
都市部は、東京とか大阪とか名古屋とか、
そういうところはまたちょっと違う尖がり方があるけれども、
意外にカントリーサイドは共通点が多いっていう楽しみ方ができそうな気がしますけどね。
確かに、そうかもしれない。
街の作りとかもちょっと似てるでしょうかね。
ロードサイドの店があって、駅前はそんなに栄えてないみたいな。
田舎は割とどこも一緒っぽい気がしますけどね。
36:02
言われてみれば確かにそうかもしれない。
なんかスタレ具合の、スタレていくスピードとか。
確かに人口比率とかも似てそうですもんね。
あと、人がどれだけ入ってくる、出ていくっていうのとかもそんなに差がなければ、
確かに似たような風景になっていくのか、そうかもしれない。
それはそれで面白いんじゃないかなって。
なんかどっかのラジオ局が、それこそラジオ各局でやってもらったらすごい面白いだろうなっていう。
だからこそ、「それで?」みたいな話が生きてくるのかもしれないですけどね。
だって、「それで?」っていう感じの話の方が、やっぱりカントリー・サイドの方が多いわけですからね。
圧倒的に多いですよ、多分。
圧倒的に多いから。
分かんないですよ。うちの職場の人で、北海道出身の人がいるんですよ。
北海道も割と強い土地なのではと思うんですけど。
力強いですよね。
その方どこだったかな。
同等、海の方の、海に近いところに住んでる方で、家の前にも川流れてるらしいんですよ。
小さい小川が。
家から見える川に鮭がちょうど押してきて、その鮭を取るに生き沼が来るんですよ。
生き沼の血を腹とするんですよ。
で、今度はこうで、「いや、海に行くと都道とか寝てますよ、普通に。」って言われて。
いや、普通には寝てない。普通には寝てないよ、都道みたいな。
野田氏とか寝てたりするんですよね。
その辺にいるでしょ、都道みたいな。
勢いで行ってくるんですよね。
いよいよ言うっていう。
ワイルドなやつだね。
田舎がね。
で、まあほら、カモシカガとか。
そうそう。
バンサーだと思ったらサルだったとかね。
そうそう。
キジが鳴いてるとか。
田舎は割とありがちですよね、そういう人。
北海道もまたね。
北海道もまたちょっといろいろありますよね、そこは。
広いしね。
広いしって、やっぱり沖縄とはまた別でしょうけど、歴史がそこって、
まあアイヌの文化はあるにしても、
なんて言うんですかね、やっぱり明治以降に開拓で人が入っていってっていう歴史なので、
またやっぱり人がこう、新たに開いていったとか、
やっぱりそこに渡ってきた人たちの話っていうの、
いろんな背景があって渡っていくっていうのもあったでしょうから。
ね、開墾ですからね。
でもそういうのって歴史の本とか文学学とかの本だったらいっぱいあると思うんですけど、
普通の人の人生の話として聞くのがやっぱりミソなのかなと思うんですよね。
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歴史とか政治とかいう視点でインタビューとかまとめられたものって、
どうしてもその視点で見ていくようになっちゃうので、
それ以外、普通に生きてきた人の中からそういうのって出てくるんじゃないかなっていう。
そういうもののほうが、ちょっと真実味はあるのかなと思ったりはしますけどね。
真実味ってなんだよって話ですけど、
なんていうのかな。
通った話として聞こえてくるかなっていう。
全都道府県作ったら面白そうですけどね。
やってほしいんですよね。
本当にちょっとね。
意外といい企画になるんじゃないかな。
この分厚さで。
この分厚さで。
で、一編一編をシャッフルして、
それこそビエンナーレみたいな、ああいうときに何かしたらすごく面白そうですけどね。
確かに。
ネットって今そういう空間になっているのかもしかするとするんですけど、
でもやっぱり私は本とか、それをまとめて読みたい。
ネットだと、それこそツイッターなんか日常のつぶやきではありますけど、
で、多少持っちゃいますからね。
数文字とはいえ、あの中にどれだけ持ってしまえみたいな。
でもなんか全然接点がない。
ツイッター上でしか知り合ってない人たちの日常のどうでもいいって最高に怒られそうですけど。
取り留めのない。
そう、取り留めのない話を読むって結構好きで、
しかも本当に取り留めもない話を読みたいんですよね。
だから何っていうぐらいの話を読むのがなぜか好きっていうのがあって、
すごく強い主張とか書いてる時よりも、なんか本当にどうでもいい。
本当につぶやき。
でもこの人今日これ食べて美味しかったんだねとか、
今日こういうことあったんだねっていうか、
そっかっていうのをたらたら読むのが好きなんですよね。
心境のトロって言うんですか?
そうそう。
なんか強い主張はちょっとやっぱり強すぎるので、
そればっかりでちょっともう胃もたれしてくるっていうか、
それは正直求めてるところはなくて、
本当になんかその人が今日何したかとかをちょっと書いてあるだけっていうのがいいんですよね。
あれ何なんだろうなと思うんですけど、
でも知ってる人じゃなくて知らない人の方がいいんですよ、それ。
あくまでも。
知ってる人は後的に話しちゃいいんだと思っちゃうから、
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知ってる人でも今日これやったんだとか知れるからそれはそれでいいんですけど、
ただ純粋に知らない人の日常とか、
なんかあと思い出話とかを読むのが楽しいっていう。
なんでしょうね、あの覗き見。
私も今それをなんて言ったらいいんだろうなと。
覗き見ですよ。
やっぱり覗き見ですよね。
それですよ、寺山修司がやったのと一緒ですね。
そうですね、寺山修司とか、フランスの映画とかによく出てくる覗き見文化。
人の生活を垣間見る楽しみ。
そう、あったかもしれない自分の人生。
そうですよね。
と思ってるのか、本当に別世界だからこそ楽しめるのか、
人の人生楽しんでいいのかって思っちゃうんですけど。
でも人の人生って自分の人生って引き続きですからね、結局は。
確かに確かに。
同じ権利を与えられて、同じ空間、日本っていう空間を与えられて住んでるから、
みんな同じ、どっかは同じじゃないですか。
だけどみんな感じ方が違うし、生き方も違うから、
それを人がどう考えているのかとかをちょっと覗いてみたいっていう欲望があるんじゃないですかね。
それを満たしてくれるのが生活シリーズなのかな、あとツイッターとか。
穏やかにね。
そうそう。
ツイッターは毒が強いからまた今。
そうなんですよね。
昔はね。
昔は平和だったんですけど。
毒にも癖にもならない感じだったんですけど。
本当につぶやきしかなかったですけど。
最近はちょっといろいろ、いろんな人が使うとなるとそうなってくるのかなっていう部分はありますけどね。
どうしてああなって、最終的にああなってしまうのかっていう。
それが本にはないからいいですよね。
そうですね、やっぱ本とか。
あとはやっぱりポッドキャストもまだそこまでやってる人が、
まあ最近増えてきてますけど、いないっていうのと、
ポッドキャストなんてもろ人の声じゃないですか。
で、やっぱり今ちょっと音声メディアが熱いっていうか見直されて、
いろんな企業とかラジオ局とか、プロが編集した音質もすごく良くて、
ちゃんときっちり作り込まれて、
喋ってる人も芸人とかアナウンサーとかプロの人がちゃんと喋ることを思ってる人たちが喋るとか、
台本をちゃんと作って喋るとか、
そういう番組いっぱい増えてきましたけど、
一方で我々みたいにふわっと内容のないことをふわっと語る、
だらだら語るだけのポッドキャストっていうのがいっぱいあって、
私ほんとそういうの大好きなんですよね。
本当に大好きなんですよ。
で、いろいろそういう個人がやってる、
だらだら喋ってるってわけじゃなくて、
多分喋りたい何か好きなテーマがあって、
それに沿って喋ってる、ちょっと手作り感も満載な、
45:02
ラジオっていうかどっちかっていうと電話の盗み引きするみたいな雰囲気の。
近いかもね。
これも私もこれ編集していて、
なんか電話っぽいなって思ってるんですけど、
ラジオじゃないなこれって電話だろって思った時あるんですけど、
なんかそういう、なんていうんですかね、
そのぐらいのダフさで話されてる番組聞くのがすごく好きで。
なんかこの番組も的さんがちゃんと聞きやすいように編集はしてくださってますけど、
一応編集はしてるんですよ。
本当に聞きやすくなっていてびっくりするんですけど、
ただ、編集がないと結局は暴走になっちゃうんだろうなって。
私とか結構この番組で暴走するところを上手く編集してまとめてくださってるのであれですけど、
本当に編集の手がかからないと、
結局ツイッターとかフェイスブックとか、
ああいう感じになっちゃうんでしょうね。
そうかもしれない。
自分が好きなように書いていくだけなので。
だからこういう音声タイプのものもみんなが編集してるわけじゃないかもしれないですけど、
編集しないならしないなりにちゃんと考えて喋ったりはすると思うんですよね。
そうですね。
あとは聞き手をどういう人を想定して喋るかとか、
それによって話の内容ってだいぶ変わってくると思いますけど、
どの程度の人に聞かれている想定で喋るかもしくは編集するかってあると思うんですよね。
本当に身内だけしか、10人くらいの知ってる人にだけ聞かれればいいやっていう場合の編集と、
100人でも少ない方なのかな、1000人とか1万人とかも、
10万人とかすごく人気があるポッドキャストとか、
YouTubeとかで配信するってなった時に、
時の編集の仕方とか喋る内容とかってやっぱり全然変わってくると思うので。
そうですね。
なんかちょっと話に若干変わってくるんですけど、
聞き書きの本って、今回の生活史シリーズだとシリーズって言ってないかわからないですけど、
本当に人生について聞いてるので、
そんなにテーマって大きく東京の人の生活とか、
沖縄の人の本土っていうか日本に復帰した日のそこを軸にしてっていうようなテーマをあるにしても、
そんなにかっちりテーマを設定してない、
その人の人生を語ってもらうっていうものですけど、
いっぱいいろんな人に語ってもらうものですけど、
その他にもインタビュー集みたいな、
48:03
インタビュー集ってやっぱり何かテーマを設けて、
インタビューしていくっていうような本とかは結構あると思うんですけど、
我々の中で結構そういう中で出てくる本としては、
村上春樹のアンダーグラムですね。
ちょっとこれとかも今回取り上げたいというか、話したいなと思って、
この本はこれ一冊でまたやりたいなっていうぐらい読み込んだし、
やっぱりすごく印象深い本だったなっていうのもあるけれども、
これだとさっきの生活史とはまた別で、
ジャンルが違ってて、地下鉄サリン事件の被害者の方に、
確かその事件が起こった1年後かな、
に村上春樹のインタビューしに行くっていう。
確か150人とかそのぐらいの人にインタビューして、
最終的に60人ぐらいの人。
それぐらいですね。
その人のインタビューした内容を一冊の方にまとめて、
これも文庫で800ページぐらいあって2段組っていう、
凶悪なつひこかっていう配図感なんですけど、
好断者モベルスかっていう、でも好断者文庫なんですけどこれは。
でもこれもやっぱり一つの事件について、
60人の人たちがどういうふうな経緯で遭遇して、
その人たちはもともとどういう背景があって、
生きてきた方で事件に遭遇して、
その後どのように1年間過ごしてきたかっていうのを、
村上春樹が訪ねて聞きに行くっていうのが、
またこれもすごい興味深い本で。
今度はこれ1人の人が何十人もの話聞きに行くんですよね。
それでまた村上春樹さんだから、
なんですよね、文章がね。
なんだろう、でもすごく飾らないように書いてるのわかるんですよね、あの本って。
そうですね、かなりそこは意識して書こうとしてるんだろうなっていう。
そう、だから読ませる。
読ませるのも読ませるし、内容も内容だし。
で、そういうことほんと一人一人の人生がね、
凝縮されるというか、あの本はね。
本当です。
最後の出勤でしたとかね。
そうそう、そういう、こういう事件の、
そういう憐れた方とか、
殴られた方とかってたまたまそこに居ましたんですとか、
自然はそこに居はずなかったんですけどっていうような話がすごい多いですよね。
多いですよね。
いつもだったこの時間には乗らなかったのにとか。
51:02
不審ですよね。
あれね、そう。
でももしかするとそんなのって毎日起きてると思うんですけど。
でもなんでって。
でもやっぱりこういう事件が起きると、でもどうしてっていう。
ほんとしいですよね。
本当に、この間、鉄道事故の日。
ごめん、今ちょっと探していいですか。
福島線のですか。
福島線の事故の日が先月ぐらい?
そうですね、4月ですね。
あれの時のインタビュー集みたいなのをちょっと読んでて、
もうほんとアンダーグラウンドを思わせるような、たまたまっていう。
なんなんでしょうね、たまたまそこに居ました。
あと私もちょうど日光機の墜落事故。
大阪山の墜落事故の遺族の方に聞き取りしてる本をこの間ちょっと買って、
ちょっとずつ読んでましたけど、やっぱりあれもほんとにたまたまとか、
家族で来てたけど先に家族だけの、自分は出張だからってお父さんだけ帰ってとか、
逆のパターンで後から帰るからねって言って、
家族を見送ってっていう話がすごく多くて、
なんなんだろうこれっていう。
でもやっぱりそれも自分たちの生活の地続きなんですよね、結局は。
明日とかあさってこういう方に行くかもしれない世界だから、
言葉がほんと選びきれないんですけども、
興味深いっていうか、興味深いって言葉にしてはいけないような気がするんですけども、
でもパラレルワールドじゃないですけど、
だからあったかもしれない人生。
自分がね、もしかしたらそっち側だったかもしれないっていうことに対しての関心の高さというか、
あったかもしれない世界をやっぱり知りたいっていう、
本当にちょっと事件が事件だったりするので、
すごく不謹慎な動機で読んでるなって思うときも、
ちょっと調べたさはあるんですけど、読むのに。
わかりますよ、すごく。
でもやっぱり読んでしまうっていう。
なんでしょうね、このアンダーグラウンドでやっぱり面白いっていうか、
面白いって言い方でいいのかわかんないですけど、
こういう事件ってやっぱり当時もすごくいろんな意見が出てきたわけで、
やっぱりこの当時も被害に遭った方が、
この事件を起こした大野心理教の信者に対してどう思ってるかっていうのも、
結構バラバラなんですよね、思いが。
54:01
いろんな意見が出てきて、「いや、何も思ってません。」とか、
消化しきれないから忘れたいですとか、
思い出したくもないですって人もいれば、
実行派は死刑にするべきだっていう人もいれば、
いや逆に死刑は私は望んでいないとか、
本当にいろんな意見があって、
でも当時のマッコミってすごくそういう意見っていうのは、
そんなにいろんな意見があるように報道してなかった気がするなと思って。
あの本を読んで初めて知る心情っていうか、
大野心理教のセンセーショナルな感じばかりに囚われてしまっていて、
被害者の人たちの、本当言葉にするとすっぺらくなっちゃうんですけど、
失われてしまった日常とか、時間とか、
そういうのに焦点を合わせたものがなかったので、
あの本はすごいですよね。
村上さん、一気にその辺のおじさん感すごいですけど、
村上さん自身が、確か週刊誌か何かの記事で、
その被害に遭われた人が、まだ後遺症はちょっと残っててちょっと大変みたいな、
それもすごく怒ってるって感じじゃなくて、
ただなんかちょっと大変なんですみたいな記事を読んで、
でも自分ってあんまりこういうの知らなかったなみたいな、
なんでこれ知らなかったんだろうっていうのは、
なんかきっかけでそれがあっていろんな、
実際に体験した人ってどういう思いを持ってるのかっていうのを知りたくなったっていうのを、
なんか序文の方に書いてたなって思い出したんですけど、
確かにその被害に遭われた方の声ってあんまり報道されなかったなっていうのが、
後々ちょっとずつ出てはいましたけども、
とにかくあの当時ってもうオウム心理教がみたいな感じがものすごかったじゃないですか。
でなんかやっぱり事件とか起きると必ずやっぱりそういう報道され方するじゃないですか。
被害者の方をなかなか取り上げづらいプライバシーとかマルチっていうのもあるんでしょうけど、
なんか多分実際に遭われた方だとああいうニュースとか見ても、
自分の体験したものとテレビで見るものってだいぶ乖離してるなっていうふうに思ったんじゃないかなっていうのは。
そうですね、多分オウム心理教のすごいインパクトに比べると、
その被害者の人の一人の生活って、
それこそさっきの話じゃないけど、なんかちょっと軽くなっちゃうんですよね。
受け止める、なんていうかそういう、
報道するときにセンセーショナルさがあまりにも薄いから、
でもそれをやっぱり声をまとめると力になるんじゃなくて、
57:03
なんて言ったらいいのかなわかんないけど、すごく重みが出てくるっていうか、
厚みが、その声に、一人一人の声とか一人一人の日常とか、
そういうことの本当に尊さ、たっとさ、そこら辺が凝縮されていくっていう感じなのかな。
あのインタビューを読んだときに、すごく私は印象的だったのは、
意外にこの事件を起こした人たちを責める前に、まず自分のことを反省するっていうか、
そういう人いましたよね。
あれがすごく、そういう人だけを選んだわけじゃないと思うんですけど、
もうちょっと早く出るべきだったとか、
あの時いかない選択をしなかったのはいけなかったとか、
なんていうか、自己反省がすごくて、
自分をすごく責めるっていうか、責めるっていうのとまた違うんだけど、
そう悔やむ、あいつらのせいだ、あいつらが悪いんだっていう声よりも、
まず先にもうちょっと自分で何かできることはなかったのかみたいな、
あと3分早く一応出ることはできなかったのかとか、
一歩後の電車に乗る選択をすればよかったとか、
なんかそれすごく不思議だったっていうか、
あんな上にあって後遺症とかもすごい残ってたりするのに、
まず反省が出てくるっていう驚きがすごかったですね、私は。
何でしょうね、でもさっきの沖縄の生活史の話の時に話したあれじゃないですけど、
この人もインタビューに答えた人も、
あの村上春樹って多分ノルウェーの森帰って、
すごい売れた後ぐらいだと思うんですよね、
すごい名前は知れてた、参加になった頃の村上さんが、
そういうインタビューをちょっとインタビューして、
受けてくれる人探してるって人と電話かかってきた時に、
あの村上春樹かみたいな感じで、
ちょっと話そうかなっていうような人ももしかしたらいたかもしれないですし、
村上春樹ってネームバリューもあって、
話してみようかなと思った人もいたかもしれないし、
それだけじゃなくて、
やっぱりどこかにこの自分の気持ちを話せるなら話したいっていう人もいたかもしれないし、
で、話すことで、あ、こう思ってたんだっていう。
結構淡々とこう、何ていうか、あいまいまに村上さんのコメントというか、
そのやりとりっていうか、ちょっと短いやりとりが挟まれてるんですけど、
1:00:04
これ受け取り用によっては、
そんな気楽なこと言うなよみたいなことを言ってるように思えるところもあるんですけど、
その実際にインタビュー受けた人がどう思ったのかはちょっとわかんないけど、
でも励みになったのかもしれないなっていうような、
少なくとも励まそうじゃないですけど、
そういう目線があるような受け答えとかあって、
喋ってる人に、まあ人によってはもしかしたら、
何て言うんでしょうね、話してやっと競りがついたっていうか、
逆にただこれは公開しないでほしいっていう人結構いたっていうので、
やっぱり話してしまって、やっぱり、
でも自分が体験をした人だっていうのはバレるのは怖いとか、
やっぱりちょっと公開するのはやめようって言って、
取りやめになった人も結構いるっていう。
そこもありましたね。
なんかこう人に、こういうインタビューとかを読んでると、
人に何か話すっていろんな作業があるし、
話す人だけじゃなくて、たぶんこれ聞き手側にもやっぱりすごく、
何て言うんですかね、体力っていうかエネルギーがめちゃくちゃ使う作業だよなっていうのは、
一人っていうかもちろんアシスタントとかいろいろいたにはしても、
話は村上さんが聞いてるわけで、何十人も。
しかもこれ、後に約束された場所でっていう、
今度オウム真理教の信者側にまたインタビューしに行く、
あれも二、三十人ぐらいインタビューしてるほうがあって、
よくやったなっていうような、
何て言うんですかね、これは結構すごい仕事だったなっていう。
正直、小説は村上春樹の作品は申し訳ないですが、合わなかったんですけど、
これと後は何かのノンフィクションとか、翻訳のほうが結構面白く読んでるんですよね。
そうなんですよね。翻訳とインタビューはもう最高ですよね。
そう、面白い。
ほんと村上さん。
村上春樹B面が好きっていう。
そう、私もB面が好きです。
A面がすごい売れてる曲よりB面があんまりよく、
そうそう。
いわゆるメジャーになってない。
アルバムにも入るかわからんけどっていうような、
カップリング曲のほうが好きなっていうタイプですね。
アルバムに入らなかったB面みたいな感じの村上さん。
また二十代がついてこれない話をしてる。
昔のシングルCDの。
そう、シングルCDの。
あとこれとかですね、
あとやっぱりもっと歴史に残っていくだろうなっていうのと、
ノーベル賞も取った、戦争は女の顔をしていない。
これは本当にすごいですね。
今またちょっと戦争があるのでなかなか、
今むしろ読まれているところはあるのかもしれないですけれども、
1:03:04
オスベトラーナ・アレックシェイビッチっていう女性の方がですね、
ずっともう絵描きをしていて、
この戦争は女の顔をしていないは第二次世界大戦に。
女性兵ですね。
でもすごくいっぱいいるんですよね。
もうソ連は男女関係なく徴兵してたので、
だからこんなに多分女性が戦場にいた戦争ってなかったんじゃないですかね、
っていうぐらいいた。
それで何を体験してきたのかっていうのを、
本当に500人以上にインタビューしてるんですよね、この人が。
それだけでもう恐れ入りますっていうような話なんですけれども、
戦争の話をしてるんですけれども、
そこはもう戦争だけではなく、
その人にとってはそれが青春だったっていう人もいるし、
あとはジェンダーの話も。
ジェンダーの話をしようと思ってるわけじゃないけど、
すごくジェンダーの話って出てくるんですよね、振り返ると。
あと、人にこういった体験を語るって、
どういう意味を持つのかっていうのを、
この本を読んですごく考えたんですよね。
ある女性兵にインタビューしたときに、
家族がいる前で喋ってるときは、
もう祖国のために頑張りましたみたいな感じで、
何を持っています、体験をっていうような、
すごく勇ましい喋り方で喋ってて、
それこそ歴史の本で読んだような、
そんな感じの内容を喋るのと。
でも多分この人の本人の語りではないっていうふうに思っていて、
家族が出かけて、
誰もいないところで、
この著者と二人で喋ったときに、
初めてその人の本音が出てくるんですよ。
こんな恐ろしい思いをした。
なんでこんな恐ろしいものを見なければいけなかったんだ。
すごく悲痛な声が出てくるんですけど、
ただまた家族が帰ってくると、
さっきのことを忘れてください。
さっきのことは本当の話ではありません。
って言うんですよ。
語りって誰に聞かれてるのかとか、
誰に対して語ってるのかによって、
内容がかなり変わってくるっていう。
どのように喋るべきかっていうのを、
自分の中で編集してしまうっていう部分もあるんだろうなっていう。
で、それをこの人は、
そんな新聞とか、
歴史の本に書いてあるようなことは、
私が聞きたいわけじゃなくて、
あなたの本当の話を聞きたいんですっていうので、
何度も何度もそういう人に足を運んで、
話を聞きに行くっていう。
でもその家族の前で言ってることも、
100%作られたことでもなかったりするんですよね。
だからこの中でも、
1:06:01
一人の人間の中に二つ真実があるんだって。
そうそうそうそう。
それはそれで本当の話なんですよ。
嘘は言ってないんですよね。
比率はもしかしたら違うかもしれないけども、
そうなんですよね。
だいたいそれだけじゃないですけど、
人間はだぶしたですからね。
すごく印象深くて、
付箋を貼ってあるところがあるんですけど、
その後にもこのように一人の人間の中にある
二つの真実に度々出会わすことになる。
心の奥に追いやられているその人の真実と、
現代の時代の精神の染み付いた新聞の匂いのする他人の真実が、
第一の真実は二つ目の圧力に耐えきれない。
一目があると、家を訪問して話を聞くときに、
もし彼女の他に友人や知り合い、近所の人などがいると、
ことに男性が居合わせると、
二人きりで話を聞くときよりは、
真心から打ち解けた話が少なくなる。
だからやっぱり男性が見ているところは、
どうしても戦場に行った体験っていうのは、
女がすることじゃないんだ。
それは女じゃないっていうふうな目がすごかったっていう。
それは男性からだけじゃなくて、
女性からもすごくあったっていうのも書かれていて、
もう本当に、
この人たちは本当に戦場でも地獄を見たけど、
帰ってきてからも地獄があったっていうふうに。
戦争体験を語るときに、
どれだけこの人たち気を使って語ってきたんだろうなっていう。
そのガードをどうやって剥がしていって、
その人が見た本当の体験、
本当の聞くことができるのかっていう。
インタビュアーの力量っていうかね。
力量っていうか、人間力っていうか。
技術でどうにかできるところにないレベルにするのが
変わってくると思う。
なんか気持ちって、
自分の中に言葉にしないで、
持っているときってすごく重さがあるんだけども、
人に話してしまうと、
なんとなく軽くなってしまうような気もするんですよね。
私自身は。
だから、喋ってしまうと、
ちょっと軽くなっちゃうような気がして、
喋りたくないときはあるんですよね。
自分の体験した、
すごい悲しいこととか、つらかったことっていうのは、
なんだろう、自分の中だけで、
言葉はまたあれなんですけども、
ずっと自分の中だけに置いておきたいっていうか、
1:09:01
なんていうのかな。
いつの間にか自分の中の、
また言葉が違うかもしれない。
宝物じゃないけど、
なんだろう、自分だけの何かみたいなものになってて、
それを人に話すときは、
勇気もあれだけども、
喋った後に、
ペラッとしちゃう感じが。
分かります。
分かります。
しかも、分かりますっていうのをまた、
分かんねえよ、お前には。
いやいやいや。
じゃなくて、なんていうか、
一般的にね。
分かられたくないっていうのもあるじゃないですかね。
そんな他人に分かられてたまるかみたいな。
そこまで強い思いがないにしても、
これだけは私だけの体験でいい。
体験というか、
私の中にだけあればいいというか。
でも、喋ったことによって、
それは、
共感が良し悪しっていうか、
同じような体験をしてて、
私も分かりますって言われるのも、
もうちょっと嫌みたいな。
いや、もちろんそれで救われる、
それもあるんですよ。
私もそうだったっていうので、
救われるっていうのは、
それが当事者研究とか、
同じ体験をした人たちで繋がっていくっていうところにもあると思うんですけど、
逆にそれが嫌っていうのもありますよね、もちろん。
それもまた、ダブスタなんですよね。
そうですよね。
人間の心ってやっぱり、
白黒とかで付けられないから、
真ん中のグレーゾーンの方が圧倒的に多いじゃないですか。
戦争ってすごいすさまじい。
自分の外にも自分の内にも地獄を見るような体験をする。
体験をしたことがない人に話すって、
それこそお前に分かってたまるかみたいなところもあるだろうし、
帰ってきてから、
本当にちょっと、えーっていう扱いをされてきたっていうのも、
何回もこれで出てきているので、
人に話すっていうのを相当警戒する人もいると思うんですよ。
でもそれを聞き出す。
あなたには話してもいいわよっていう。
あなたになったら話すよっていう風な、
信頼をどれだけ、
信頼を築くまでどれだけこの人は、
このインタビューする人に時間を抑えてきたか、
気持ちを抑えてきたかっていう。
インタビューの本って、
戦争のものもそうだし、
それこそ昔、和人さんがこの番組紹介してた
ドライブインの話もそうだけれども、
同じぐらいの信頼関係って、
聞き出す側と話しての、
何だろう、信頼関係っていうか、
そういうのって話のジャンル問わずありますよね。
1:12:02
ありますよね。
あなたにだからとか。
なんか読んでると、
たまにこの喋ってる人は、
このインタビュアーのことを信用してないなっていうのが、
助けてみる時とかもあったりするんですよ。
ちょっと距離感あるなとか。
何だろうあれ。
あれは、
わかるような気がする、それ。
ちゃんと話してないなみたいな。
そうそう、なんかうなつらな感じがするなとか。
編集がまずかったのかわかんないですけど、
元々そうなのか編集でまずかったのかわかんないですけど、
うまく編集、そこも編集でもごまかせなかったのかも
わかんないですけど、
なんかそのぞらしい雰囲気が漂ってるなみたいな。
そういうのもなんか、業界に漂ってる。
業界に漂ってる。
インタビューとかあって、
なんかあったのかなみたいな。
本当インタビュー本って私も好きなのでいろいろ読んだりしますけど、
ギャラ文しか喋ってないんだなっていう。
みたいな感じでもあるし。
でもそのインタビュアーをプロでやってる方が、
インタビューっていう本を書いていて、
書者の方、木村なんとかさんだったと思うんですけど、
男性の方だったと思うんですけど、
三島社から出てた本で、
インタビューするときの心構えみたいなのを、
自分はこんなことに気をつけてインタビューしてて、
インタビューするときはどういう風な気持ちで臨むかみたいな。
あと今までインタビューしてきたので印象的だった話とかを書いてるんですけど、
こうすれば成功するみたいな話を書いてるのかなと思ったら全然違くて、
結局インタビューって人と人との対話でしかないから、
ずっとインタビュー、結構偉い人とか、
有名な人とかにインタビューしてきたっていう方ではあるんですけど、
なんか人と喋ってる気がしないインタビューが多いっていう風に語ってて、
僕もあれに、今日は人と話すようにしたなって思って帰ってくるっていう。
だからインタビューをして、
もう相手は自分が話したいことしか話してくれないって、
こっちが聞きたいことは喋ってくれないって、
一方的に話したいことだけを聞かされて帰ってくるときのぐったり感みたいなことを書いてて面白かったですね。
なんか逆かなと思ってました。
なんか喋る側は聞きたい側が聞きたいことだけを話させるような、
そういうのもあるんでしょうけど、
でもインタビューしなれてる人、受けられてる人とかだと、
こういうのやっときゃ、こういうふうに答えてきゃいいでしょみたいな回答がある。
結構あるわけですよ。
特に有名な方とか、政治関係の方とか、
いろんな各界でしょっちゅうインタビュー受けるような立場の、
1:15:03
一緒に話をするような立場の人って、
もうテンプレができてるわけですよね。
こういう時はこう、こういう時はこうって感じで。
あんまり考えて話してる感じがしないっていうか、
そのテンプレ通りに、こういう話聞きたいんでしょみたいな感じで、
そういうのを出されてる感じがするって。
そうなってくると、自分はなんか人と会話しに来たのかなっていうような、
なんか人と話してる気がする。
言いたいことを一方的に聞いて終わるみたいな、
虚しいみたいな感じで。
それは虚しい、確かに虚しい。
でもたまにその相手の人が、うーんっていうのを考えて、
言いづらいとか、何と言いを止めようなことがあるような
インタビューってのは良かったっていう風に。
それはその人がその場で考えてることを話してくれてるかなっていう。
なるほどなっていう。
そうですね。
だからやっぱり、さっきの生活史の中のあれですけども、
だから、みたいな人の話は大切なわけですよね。
そうですよね。
その素人っぽさっていうか。
テンプルじゃないんですよね。
鉄板じゃない話って結局デーって話ですから。
そうそうそうそう。
編集されてないというか。
真実にオチはないですからね。
だからね、そうか、そうかもしれないですね。
だからなんかこう、ポッドキャストでも結構これ編集の時迷うんですけど、
飲み物飲んでたり、言い間違ってたりする時って多分考え中なんですよね。
そうそうそうそう。
考え中で、なんかこうスムーズに聞くには多分そこってノイズなんですよ。
でも考えてるなって感じは出てるので、
味わいとして残すべきなのかなって思ったりとかするんですよね。
それだとね、たぶんこの番組結構うーんとかあーとかが多いから。
大体うーんとあーとAで構成されてるんじゃないかっていうぐらい。
えっとーみたいな、これはーとか言って終わっちゃうから。
でもそこ切りすぎてもなんか不自然なんですよ、やっぱり。
回らないっていうかなんか、
なんか多分そういう雰囲気に喋られた会話じゃないだろうっていう感じになるから、
どこまで切るべきかっていうのは難しいところですけど。
本当にね、選びきれてないけれども、
中でも一応選びながらね、考えながら喋ろうと思って。
選ぶほどのことなのかっていう。
選択肢あんのかそれほどみたいな。
2択ぐらいしかないんですけど。
ただ読み込みに時間かかってるだけだっていう。
ロード時間もかかりますからね、もうね。
アミクの発音出てこないで、次の話に移るみたいな。
えっとーみたいな、後で探しますみたいな。
出てこない。
出てこない。
1:18:00
本当、インタビューも面白いですよね。
面白いですよー。何でしょうね、あれ。
あんなにシリアスな、本当アンダーグラウンドぐらいのシリアスなものじゃなければ、
本当に人が悩んで苦しんでたっていうインタビューほど、
ワクワクするものないですよ。
映画とか、なんか大きいプロジェクトの後書きじゃないですよね、
その後日談としてのインタビューとかで、
もう本当に苦しくて、みたいな。
それこそ何人に聞いても苦しくてっていうような、
大臭いが。
大臭いな、あの打ち上げの話が。
脳飢餓みたいな。脳飢餓、脳飢餓みたいな。
打ち上げの話じゃないです、ただの。
打ち上げでする話ですよ。
本当に竹の胸が白みたいな。
そうそう。
それを真面目にずっと書いてある本を読む楽しいっていうのもありますけどね。
打ち上げに参加したいんじゃないですか。
打ち上げに行きたいのかな。
でもどこで人が困ってすごい作品を作ったんだろうっていう。
作品ありきでそういうのを読むと、
あんなに素晴らしいものを、
こんなに困り果ててみんな作ってたんだって思った時のギャップっていうか、
えー、みたいな。
そういうのも面白いですけどね。
だいたいインタビュアーが悩んでるか、
インタビューされてる方が悩んでるかっていうインタビューは、
読んでて人間味があって面白いですけどね。
そうですね。
やっぱりテンプラを見たいわけじゃないですか。
どうせ一緒に話を聞くんだったら。
やっぱりそれは、そんなことがみたいな。
もしかしてっていう話ですけど。
こんななんかこっち予想がつくような話を読みたいとは、
インタビュー紙読むときは思わないですからね。
そうそう、インタビューですね。
今度ね、ほんとアンダーグラウンドは一回、
まるっと他の本も絡めてしたいですけどね。
Aとかね。
そう?
あ、Aですね。
Aとかね。
やっぱりね、オウム心理教とかは、
物心ついて多分、
よくはっきり覚えてる出来事の一番最初の出来事だと思うんですよね。
事件では。
阪神大震災と、
これって同じ事件、同じ年にあったじゃないですか。
しかも1月と3月立て続けにあってっていう。
毎日ほんとずっと暗いニュースばっかりやってるなっていうのは、
子供の頃にすごく異様なことが毎日起きてるっていう感じ?
で、多分もっと年、私より4、5歳上の人だと、
もしかすると平成に変わった時がすごくインパクトがあったとか、
1:21:03
あとはベルリンの壁の崩壊とか、
なんていうか、それ崩壊とか解体とか、
そういうとこも出てくるのかもしれないですけど、
それってなんか知ってはいるんですよ、なんとなく。
ギリギリ、映像としては記憶でうっすら覚えてるんですけど、
自分の身の延長線上に、自分もその社会の中にいるっていう感じでは見てない、
見てる記憶じゃなくて、
そのぐらいになるのって10歳前後だって前、話聞いたことがあったから、
その一番最初の事件ってやっぱり地下鉄サリン事件とかのオウム神教の事件と、
阪神あの時代のインパイなんですよね。
そうですね。私もオウムのサリン事件に関しては、
友達が巻き込まれていたらどうしようっていう、
初めてそういう身近に大きい事件が、
少し身近に感じた事件の一つだったので、
その前だとやっぱりニッコーのニコチャボキノが、
すごい幼な心に強烈に残っていて、
それとその後だと、提案もあったんでしょうけど、
なんかおぼろげですね。
そうですね。私ももうおぼろげですけども、
あそこらへんが、なんとなく大きい事件、ちょっと怖い事件っていう最初の記憶で、
身近っていうか、近くに感じたのはサリン事件がやっぱり、
ショッキングな出来事だったので。
ずっと語られ続けてきてたから、やっぱり大きかったですよね。
あとカルト宗教は私たち好きなので、
またここにお住みに来た。
カルト宗教好きだからって言ってはいけないんだけども、
やっぱり第一こじらせがそこだったので。
そうですよね。やっぱりこれも影響って結構でかいなっていうのが、
なんかやっぱり今振り返ると思うところもあるので、
そのフォームはいずれ、また駿河山前でも正式に取り上げて紹介したいなって。
取り上げていいものかどうか悩み。
すごい悩むところではあるんですけど、
でもいつかやってみたいなっていうところではありますね。
今回はこんなところでしょうか。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
番組へのお便りは、駿河山前ツイッターアカウントのDMか、
概要欄に記載のメールフォームにて受け付けております。
皆さんからのお便りお待ちしております。
それではまた次回まで、さようなら。
1:24:02
さようなら。