1. 高橋ツカサ/中間管理職の為のラジオ
  2. 154キロ走って感じたこと。(試..
2025-07-22 46:24

154キロ走って感じたこと。(試合に負けて人生に勝つ)


---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6180a65c3db982af522db745
00:06
はい、みなさん、おはようございます。
2025年7月22日、火曜日、ツカサです。
この放送は、ベンチャー企業の管理職、ツカサが、日々の仕事や生活の中での学びや気づき、そしてビールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
みなさん、おはようございます。
今日は3連休明け火曜日、いかがお過ごしでしょうか。
えーっと、3連休暑かったですね。
僕は何をしていたのかと言いますと、前回から放送しておりました、青森県弘前市で開催された、スガルジャーニーランドというのにエントリーして走ってまいりました。
このイベントはですね、この3連休、19、20、21の3日間で、
これ、種目が2種類ありまして、長いのは266キロ、これロングって言うんですけど、
で、こちらとハーフの154キロですね、こちらの2種目。
で、ハーフの分は20日から走って21日にゴール。
ロングの分は19日から走って21日にゴール。
ゴールは一緒なんですね、両方ともね。
この2種目がありまして、私は154キロの方に出走してきました。
当日はですね、めちゃくちゃ暑かったですね。
今日はね、このレースの報告をしますので、
いつもとちょっと違った内容になりますし、長いですから、
お時間あるときに聞いていただけたら幸いです。
とにかくね、皆さんの生活の何かの参考にはなるかなと思いますので、
肩肘張らずにお時間あるときに聞いてみてください。
まずね、7月20日、私のレースエントリーの準備と行動についてね、
まず皆さんにお知らせしますね。
20、21って日曜、祝日の2日間だったので、
私はですね、土曜日までお仕事、ちょっと残業もありましたけども、
今日ですね、22日火曜日は普通にお仕事ということで、
週明けの仕事の段取りとか、
あとは私が不在中のというか、走っている途中のですね、
03:04
間のショートトーマの更新予約とか、
そういうのをやっていたらですね、
土曜の夜は何時だったかな、
12時過ぎて1時ぐらいまでかかっちゃいましたかね。
なんだかんだ言って3時間ぐらいしか寝れなかったと思うんですけども、
そんな状態でしたが、
まあこれもね、サラリーマンの悲しい様じゃないですけども、
これは言い訳無用ですから、
やるべきことはやってから参加するということで、
そんなことをしながら朝4時に起きて、
弘前出発するということだったんですね。
出発しまして、
19日の14時に、
達比岬のすぐそばの民間屋っていうね、
ちょっとなんて言ったらいいんですかね、
もうちょっと南側の方なんですけど、
そこからスタートして達比岬を行って戻ってきて、
右回りで菅原半島を戻ってくるというような、
広崎まで戻ってくるというようなコースが
ハーフの部ということで、
私はこっちの方に参加してきたんですね。
暑かったんですが、
暑かったんですよ、非常に暑かった。
でね、もう本当に暑いんで、
水筒を背負って走ってるんですけども、
1.3リットルかな、僕は持ってってね、
水がきれいと脱水になるのは分かってるから、
10キロおきに1リットルぐらいずつ飲んでるんだから、
40キロ越えた時点で、
私4リットル以上飲んでるんですよね。
その段階でね、
ジェルっていうね、
液体の甘いエネルギー源とかね、
カロリーメイトの濃厚な液体みたいなやつなんだけど、
そういうのとかを食べながら走ってますから、
もうね、胃腸がその段階でやられちゃってて、
固形物がほとんど食べられないような感じになってましたね。
そんなこんなで、そこから先も夜通し走り始めるんですけども、
このレースは制限時間が30時間っていうね、
まず設定なんですよ。
制限時間30時間以内に154キロ完走する。
関門が各エイド、
ハーフの部は6箇所ありまして、
06:06
各エイド区間のところで制限時間、関門時間があるということなんですよね。
私も制限時間が引っかからないように走り始めているんですが、
夜通し走って、まず寝ない。
寝ないで走り続ける。
それをずっとやってたんですけど、
19日と20日は、
あ、間違った。20日はですね、
弘前が水分けをして2日目だったんですが、
ものすごい暑くて、
達比岬の方も湿度が下がらないんですよね。
暑いんだけど、夜も。
ずっと汗だくで、Tシャツとかがね、
乾かないんですよ。汗で。
縫いで絞ると汗が絞れるっていうね。
それをずっとやり続けているから、
体がね、もうちょっとおかしいんですよね。
汗を出し続ける体になっちゃって、
ほんとマジで脱水になっちゃったら、
走れなくなるなと思いながらやってたんですけど、
だから脱水になる前に水分補給するんだけど、
水分補給と同時に塩分も補給しないと、
低ナトリウム結晶と言いまして、
塩分がどんどん出ちゃって、
それで体の水分は保たれているんだけど、
体内の塩分が少ないがために足がつるとかね、
意識で戻ろうとするとか、
そんな困難になっちゃって危ないから、
とにかく塩と水分補給ですね。
こちらの方をやりながらね、
随時走り続けるということだったんですよね。
一晩越えて翌朝の5時ぐらいですかね、
ハブリングが1個発生しまして、
峠を下ってたんですけれども、
84キロ地点で、
右足のふくらわぎに違和感を感じてですね、
これもう走れないなと思って、
そこからですね、
次のチェックポイントのあと10キロだったんだけど、
明け方ね、もうね、これはやばいと思って、
歩いて、歩いて何とかチェックポイントに入るという感じでした。
でもこの段階で、結構時間に余裕があったんだけれども、
待てよと、
ずっと歩き通して歩いてね、
09:00
ゴールまで行ったとしても休憩なしでギリギリ、
80キロぐらい歩いてね、
80キロぐらい、
12時間ぐらい歩き通せばゴールできるなっていう、
そういう計算、
12時間じゃないな、20時間ぐらい。
違うな、朝6時だから、
朝6時から夜の8時まで、夜の8時が制限時間だったんで、
14時間歩き通せばゴールができるということで、
私この段階でリタイアンも頭をよぎったんだけれども、
歩けば何とかなるかなと思ってですね、
歩き通すことを決意するわけですね。
そこから走ったり歩いたりしながら、
小走りになって歩いたりとかしながらですね、
残りの80キロ弱ですね、
走り始めました。
このタイミングではね、
大体266キロの人たちも合流してますから、
ゴールは一緒なんですね、266キロの人も154キロの人も。
最後のコースは一緒になってるんで、
266キロ走ってる人たちも同じタイミングで、
同じコースを走ってるから、
もっと大変そうな人がいっぱいいるのね。
こんな人たちが走ってるのに、
俺が何かイテーとか何とか言ってる場合じゃねえなと、
俺は俺のチャレンジを貫かなきゃいかんなと思って、
走り始めるということで、
リタイアは考えなかったけども、
とにかく諦めずに行こうと。
走る、歩く、走る、歩くで絶対行くぞと思って、
そこから継続して走り始めるということがありました。
これね、本当にね、
孤独よ。
実際問題、このレース。
で、まあね、そんなこんなで、
それが朝の6時ぐらいだったかな。
6時だね。
で、そこから3時間か4時間ぐらい走ってたら、
なんかね、もう気持ちが折れかかっちゃって、
あとそこから20キロぐらい行ったんですよね。
頑張って。
100キロ超えた地点かな。
残り54キロも、
俺このままやれんのかと。
12:00
10時間以上ね。
しかも痛み止め飲んで、
痛み止めも飲んだんですよね。痛かったから。
痛み止めを飲んで走ってるんだけど、
痛みがもうね、
緩和されなくなっちゃって、痛み止めが効かなくなっちゃって、
このまま行って本当に完走できないんじゃないかと。
だけどこの津軽ジャーニーランっていうのは、
そのレースの特性上、
これレースじゃないんだよね。
歩道とか使って走るんで、
回収とかするバスとか車とかないんですよね。
つまり実力で戻んなきゃいけない最後は。
電車使うとかバス使うとかタクシー使うとかね。
だから裏を返すとその人の気持ちが折れたら、
自力でもうやめちゃっていいわけね。
本部にリダイヤしますって連絡すればね。
それでそこが一番しんどかったかな、100キロ地点。
私はこのタイミングで、もうどうしようと。
このラジオのパーソナリティの伊豆原陽子さんに、
電話をするかチャットをするかしようと思ったんだけど、
さすがに電話は忙しいよなと思って、
チャットでもうくじけそうですってことを送って。
音声も送ってるんだけど、
もうこの時意識も網羅落としてて、
もう泣いてましたね私ね。
苦しすぎてなんでこんなことしてんだろうっていう。
一方で自己満足ですからね。
いろんな人に支えてもらいながら
やってるチャレンジの自己満足だから、
どうしようかなとかいろんなことを思って、
リックママ陽子に相談、
一方的な相談というか、感情をぶつけたんだけど、
諦めないで最後までやってみたらどうっていうようなね、
できますよっていうお言葉をいただいて、
もうこの時本当に折れかかっててね、
半ば諦めてたんだけど、
諦めたらいけないなと思って、
前を向いて走り出したのが100キロちょっと越えた後になってね。
そこを越えてからね、
とにかく最初は、
なぜ自分はこれを走らなければならないのかとか、
どうしてリタイアはしたくないのかとか、
15:03
いろんな感情があったんだけど、
なんかね、最後に自分の中に残ってたものっていうのが、
いろんな感情あったけど、
自分が諦める自分を認めたくないっていう気持ちがあって、
なんかそれがね、ものすごく純粋な塊として、
腹の中に残り続けたんですよね。
で、もしかしたら俺は俺に期待をしてて、
なおかつ、それを裏切ったら誰が自分を信じるんだろうか、
みたいなことを考えながら走ることになったんですよね。
で、走り始めて進むんだけど、
そういう感情って、
この残りの50キロが走ってる間に、
それもまた揺れ動くのね。
弱いから人って、
少なくとも俺は弱い生き物というか人間だから、
ついね、いいのかなっていうか、やっぱやめようかなとか、
言い訳たくさん考える。
熱中症になって倒れたことにしようかなとかね。
めちゃくちゃ暑かったんですよ、青森、弘前付近はね。
あれ多分フェーン現象みたいになったと思うんだけど、
路上がね、最後のコースになって35度超えてましたからね。
未だかつてない暑さだったようなんですよね。
で、もうね、266キロエントリーの人たちは速報で聞いたのは、
80人以上がリタイアしてましたからね。
こんな時期にそんなリタイア、大丈夫かっていうのが、
まあいいんだけどそれはね。
で、何が言いたかったかっていうと、
腹の中に残った純粋な感情は、とっても大事な感情だったんだけど、
だけどそれを自分の中に留めさせながら走り続けることが難しかったっていうのは、
僕の今回の学びの一つなんですよね。
つまり人は感情で始められるけど、やめるのもやっぱり感情でやめちゃうから、
継続していくのは難しいことが多いんですよね。
18:04
ましてや154キロとか走ってると、
もういろんな感情の浮き沈みがあるし、
ハプニングが当然いろんなところで起きるし、
言い訳がたくさん転がってるから、やめる要素はいっぱいあって、
で、その都度、いやー俺は自分を信じ抜くんだみたいなことを言ってても、
なんか足の爪に2、3枚剥がれちゃったからしょうがないかなとかね、
いっぱい考えるわけですよね。
実際私は2枚ぐらいかな、ちょっと浮いちゃってるのが爪がね。
これから真っ黒になるかなって感じなんだけど、
そんなこんなで、感情でやっぱり人は物事を継続できないんだなというのは、
体感としてあってですね。
じゃあどうしたのかっていう話なんだけど、
どうして私はそこから先継続できたのかっていうと、
走る時にずっとね、数数えてたんですよね。
これがどういう意味があるとか、ないとか、
そういうことは一切頭からもう排除して、
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10っていうのをずっと頭の中で数えて、
右、左、右、左って足を出し続けたっていうね。
それがね、一番効きましたね。
音楽を聴くとか、自分が走っている大義名分を思い出すとか、
そんなものはね、大事なんだけど、
一番効いたのは頭を無にして数数えて走り続けることが一番効果的でしたね、私の中ではね。
そんなこんなで、事件がね、
ヨコさんに、ビッグママヨコさんにね、
私がもう泣き言を入れる連絡を入れてね、
その事件が、泣き言連絡事件なんだけど、
ヨコさんはね、私に応援歌を送ってくれて、
頑張ろうと思ったんだけど、頑張ろうと思った一方で、
応援歌をいただいて、いろんな人の応援をもらっているけど、
でもやっぱりやるの最後は自分だから、
やり続けるための方法はいっぱいあるけど、
感情に左右されているからくじけそうにもなるし、燃えることもできるんだけど、
継続に関しては感情が一番邪魔になるなと思ったんだよね。
だからそれをね、フィジカルを通じて感じさせたのが、
21:01
このジャーニーランっていうね、154キルのイベントだったなと思うんですよね。
ともかく、ちょっと話が脱線しましたけども、
そんな事件があって、そこから先、右左右左言いながら、
1、2、3、4、5、1、2、3、4、5とかね、言いながら、とにかく走り続けて、
そしたらね、3回くらいくじけそうだったけど、
意外と越えられて、この前行くと感想できちゃうなというところまで復活していくんですね。
それがね、最後は、
最終2つ手前のエイドがね、
4時間前に、
134キロ、残り20キロで、
残り20キロで4時間というところまで追いついてきて、
これは感想できると。このまま行けばなんとかなるぞというところまで行って走るわけなんですが、
残念ながらね、いろんな実力不足もあるんですけどね。
完全に実力不足なんだけど、最後の最後、あと10キロのところで、
最終関門18時、5分足らず、残り10キロを前にして、感想ならずというところで終わっちゃったというのが、今回の私のレースだったんですよね。
もうね、とりあえずここまでの話なんだけど、とりあえずここまでの話で言えばものすごい悔しかったし、
僕のことを最終関門のところまで引いてくれたランナーの方、地元のランナーの方ね、
大会運営もしてらっしゃった方なんだけど、その方もいて、その方が僕のことをずっと引っ張ってくれたんだけど、
でももう僕は限界だったんだよね。脱水もあったし、いろいろあって。
残念ながら5分、手前で関門に5分足らずということで、終わっちゃったということなんですよね。
最後の最後、何が何でもゴールしようと思って、最後の20キロ、30キロくらいかな。
24:03
そこではね、何をやったかというか、やれることを全部やろうと思って、
カフェインを入れて、栄養ドリンクを飲んで、痛み止めがもう効かなくなっちゃったから、
1錠だからダメなんだと思って、そこから2錠飲んで、内臓にはだいぶ負担がかかったけど、飲んで走って、
あとは熱中症になったらもう走れなくなっちゃうから、回復までめっちゃ時間かかっちゃうから、
制限時間ギリギリゴールしようと思ったら、休み休みでも絶対に熱中症だけはならないようにしようと思ってたから、
それで体を冷やしながら、氷を途中で買って、体を冷やしながら水分補給しながら、
でも全身から汗が止まらないからね、カンカンデリの中ね、35度を超える路上をね、
延々50キロまで走るんだけどそこ、ちょっとやりすぎ感はありますよね、コースのね、非常にハードな環境でのランニングでしたね。
そこでね、18時5分にリタイヤして、その時ね、スタッフの方が、実はこの先が、今回のハイライトなんだけど、
実はね、18時5分、関門5分遅れで終わりましたと。
そしたらね、事務局の方が、これあのー、18時5分到着チェックイン記録残しますと。
制限時間は30時間で、最終間も5分遅れになってますけれども、
あと最後走ったら、最後までね、行ったら、仮に30時間以内じゃなかったと、30時間以内だったら、
間奏は認められるかもしれませんよ、みたいなこと言われるわけね。
だけどさ、もう心が折れちゃって、5分オーバーしたって段階でね。
もうね、なんかね、心が折れるって、こういうことかってぐらい、見事に、なんていうか、体から全身からね、力がどんどん抜けていくのね。
もう、ただでさえ全てを出し切って、もう気力で来てたのに、全部が抜けていく感じ、全部がなくなっていくの。
足が痛いとか、急にね、至る所の痛みが、なんていうか、頭をもたげてきて、膝は痛い、足首はなんか痛いし、爪もこれ痛いんじゃないかとかね。
27:16
さらに言うと、低ナトリウム結晶って、脱水のさらに先だと思うんだけど、全身が吸っちゃうんだよね。
手の指の筋肉がつったりとか、あとは筋肉もつるんだけど、くしゃみすると腹筋がつる、あくびしたら首の筋肉がつるとか、とにかくね、足りてない色んなものが。
そんなのが、出てくるんだね。
よっぽど頭の中からいろんなアドレナリンとか脳内物質が出て、完全に体を待ちさせたと思うんだけど。
で、18時5分、関門5分オーバーで入って、その場で行きますか行きませんかって言われて、もうとりあえず行きますって言ったんですよね。
で、なんでかって言うと、最終関門まで来た人って残り10キロだから、荷物がゴール地点に全部運ばれちゃってるのね。
で、他の遠くに残り手前20キロとか残り手前50キロとかの人たちは、電車とかバスとかでゴール地点まで移動できるけど、最終関門まで来た人たちはタクシーしか手段がなくて、タクシーで10キロ行ってもいいんだけど、大体の人は走ると。
ところが、昨日のような、超絶暑かったから、結構早い段階で皆さんリタイアしてて、最終関門の時間オーバーで、そこのエイドステーションっていうんだけどね、最終関門場のところに入り込んだ選手っていうのはそんなにいなかったんですよね。
2、3人だったのかな。
で、どうしますかって言われて、とりあえず行きますと言って、その最終エイドステーションを5分オーバーで、公式記録には残らないなと思いながら出るわけです。
出ましたと。出たんだけど、やっぱりもう足とか全身つり始めちゃったから、エイドステーションにいる人たちを尻目にね、物陰に入ったときにもう座り込んじゃって、もう全然動けなくなっちゃって。
30:10
あーこれ、いろんな人に完走は絶対にするんだって言ってたのに、できなかったなー、なんて言い訳しようかなーとか、奥さんには応援してるから楽しんできてって言われてたのに、あと2時間残して、正確には1時間55分なんだけど、残して関門通過できなかったなーとか。
なんかいろんなことを考えてね、うなだれて、建物の陰でうなだれて、ちょっともうダメだなと思ってたんだけど、なんかね、その時にふとね、あれ待てよと、ゴール設定してるのはレースなんだけど、本当は俺なんじゃないかってちょっと思っちゃって。
何時間かかろうが、ちゃんと自分の足でゴールに行こうと思ったんだよね。何があってもゴールしようと。
関門通過できなかったけど、俺はゴールしたんだっていう、なんていうかね、100キロ越えたあたりに感じたのと同じようなものが心の中にぼやっと立ち上がり始めて、
いや、自分が決めてもいいんじゃないかと、ゴールは。自分が決めていったんだっていう、自分自身への納得感が必要なんじゃないかっていうね。
これ二度ともうこのレースに出れないかもしれないっていうね。今日より若い日はないし、今日のように条件が整って仕事が休める時もいつあるかわかんないわけですね。もう50ですからね。
それなりに約束になっちゃったしね。
そう考えて、やろうと思って。やらなきゃダメだなって思って、何分かな、そこからさらに30分ぐらいずっと一人で考えてたんだけど、最後その考え方に至って行こうと思って。
歩き始めるんだけど、ものすごい眠くてね。
33:04
いろんなものが切れ始めたから、薬って言ったらなんだけど、お薬がね。カフェイン剤とかね、そういうのも飲んだから眠い。めちゃくちゃ眠くて。
うとうとしちゃって、これは危ないなと思って道端に、道端っていうか歩道の端の方に座ってうとうとしたりとかね。
だんだん幻覚が見えてくるわけですよ。このラスト10キロ歩くっていうのがこんなにきついのかっていうくらい、もう全身から力が抜けちゃってるから。
なんかね、もう全然別次元の10キロ歩き始めるんですね、私はね。レースじゃないから。
誰もいないし周りに。もうスタッフの人たちも片付けもしちゃってね。みんないませんよ、真っ暗。
ヘッドライトつけて、リュック背負って、ゼッキをつけてずっと歩き始めると。
歩くんだけど、ロカタで2回くらいかな、寝ちゃったりとかね。
全身がつっちゃってるから、ちょっとずつ水飲みながら歩くんだけど、もうそれすら喉を通らなくなっちゃって。
胃腸がやられちゃってね。もう吐きながら。
吐くんだよ。何にもないのに吐いちゃうの。もう胃がおかしくなっちゃってね。
で、さらに幻覚が見えてくるのね。
こんなに緊張感なくなっちゃったっていうか、限界なんだなと思いながら歩いてるんだけど、
道路の右側とかにスタッフが立ってるの。4,5人。
こっち見て応援してくれてるの。あれ?って思ったよ。
まだみんな待っててくれたんだってね。まだ8キロ手前くらいだったよ。
よく見たら、近づいていったら全部電柱だったとか。
そりゃそうだよな、みんな帰っちゃうよなって思いながら。
歩き始めて、ゴールの制限時間が20時だから、
20時超えたな、ゴール出現も撤収始まっちゃったなと思いながら、
とぼとぼ歩いて10キロ向かうんだけど、もう意識がもろ落としてるから、
1キロ歩くのに20分くらいかかっちゃうわけ。
残り4キロくらいまで来た時に、もうやめようかなとか。
何でも行こうと思ったけど、どうしようかなとか。
36:01
タクシーでも捕まえようかなとか思ってたんだけど、来ないのね、タクシーでもね。
田舎だからね。ダメだなとかいうことを思いながら歩いてたら、
後ろから同じようなヘッドライトつけて小走りで来た人がいて、
そしたらその人は266キロのロングを走ってた人で、
僕と同じようにとにかく俺はゴールするんだって言って、
大阪から来てたのに、参加で。マジすげえなと思って。
こんな人がいるんだと思って。
もうちょっと泣き言言ってられないなと思って、
その人と話しながらなんとかゴールに向かうんだけど、
一緒に行きましょうって言って一緒に行くのね。
でもその人はね、僕よりも1日長く走ってるから、その人も結構限界なわけ。
で、私はもう限界超えてるのね。
で、一緒に歩いてたら、ゴール会場を撤収し終わったスタッフさんが、
車で僕らのこと見つけてくれて、
あれ?高橋さん?とか言ってくれて、
マジでさ、すげえ心配してたよとか言われて、
絶対ゴールしてくださいねって言われて、
絶対ゴールって全然制限時間超えてるんだけど、
その人の話だと、制限時間を超えてもゴールしたら、
リタイヤ押しましたか?って言われたら、リタイヤは押してませんって言ったのね。
各チェックポイントでね、このレースは各チェックポイントで、
スマホでチェックインの時間とチェックアウトの時間を送信するんだけど、
スマホの実験番号で。
最終ゴール地点の前でリタイヤしたら、
リタイヤしますっていう送信をしなきゃいけないのね。
リタイヤボタン押した?って言われたから、押してないですって。
その段階で9時だったんだよね。
制限時間を超えて1時間過ぎちゃったって。
押してないならね、ゴールしたら一応乾燥ってことになるからって。
このジャーニーランには、ジャーニーは旅だから。
39:02
制限時間内の乾燥じゃないけど、純乾燥っていうものがあります。
純乾燥は何時になっても大丈夫です。
ゴールしたら自分で申告してくださいと。
純乾燥しましたと。
最終のチェックポイントでチェックインしてくださいということを言われて、
マジかと。やろうと思って行くんだよね。
そこから先の3キロぐらいがね、長い長い。
体は動かない。胃腸トラブルでゲゲ吐きながら。
吐けないんだけどね。胃液も出ないし。
動けなくなってくる。力がないから。
そこを歩くんだけど、一緒にいた大島さんっていう。
大阪じゃないな、滋賀だったかな。
その方も一緒に行くんだけど、僕よりも全然元気だよ。
2人でなんとかね、ゴール地点の桜の弘前店という東北のデパートなんですけれども、
そこの入り口まで行くと。
でもさすがにね、最後はね、頭が働いてないから迷うのね、最後。
全然、グーグルマップ見て歩いてるんだけど、全然到着できなくて。
近いところぐるぐる回ってて、そのうち僕はもう動けなくなって立ちくらみをしてるから。
そこでなんとかゴールして、チェックインして、終了というね。
僕は僕のゴールをしましたというところが今回のジャーニーランでした。
ちょっと長い話になりましたけれども、
いろんなドラマがこの154キロにはありましたね。
まとめると、いろんなドラマがいろんなところにあったからまとめるのは難しいですけど、
今回私が皆さんにシェアできる学びとしてはですね、
一つ目は、人はやっぱり感情で動いてしまうということですね。
だから、ただし継続できない。
感情では物事を本当に継続できない。
42:04
なので、最後100キロ地点から残り54キロ走るときも、本当にダメだなと。
悲しみも喜びも怒りも、そういった感情で動けるのは、
せいぜい15分くらい。
本当にフィジカルがおかしくなったら、そんなものはかき飛んじゃって、
手足が動かなくなっちゃう。
だったら手足を動かすことに集中して、ただひたすら動いた方がいいというのが一つ目の学び。
これはお仕事でも皆さん、とても通じるところがあるんじゃないでしょうかね。
それを体で体験したというのが今回のジャーニーランですね。
二つ目のシェアは、ゴール設定は自分でしていいということですね。
今回のように、私の場合はジャーニーランという、ちょっとイベントチックなレースなんだけど、
会場が撤収されたからといって、会場の運営とゴールは終わったけど、
自分自身が納得できるのかというところは、関係ないじゃんっていうね。
あなたが走りたければ走ればいいんじゃないかと。
悔しい。ゴールできませんでした。
でも走れるんじゃないの?と。
あなたがやりたかったのは制限時間内のゴールかもしれないけれども、
制限時間内に走れなかったら、あなたの旅は終わりですか?
終わらないよね、旅は。ジャーニーランなんでね。
大げさな話ですけども、人生そのものだなと思いましたね。
目標があって、目標があって、目標があって、
目標があって、目標があって、目標があって、
目標があって、目標があって、目標があって、
その時の結果であって、そこから先やるかやらないかは、
自分次第だと思うんですよね。
仮に私は最終券も5分オーバーで 全部言い訳してリタイアして
あのタクシー乗って帰ったとしても誰も文句は言わないですよ 文句というか誰も何も言わないと思うだって本当に終わっちゃっていくからそこで
だけどそこから自分が走るんだっていう 最後のね
気持ちがあったんでね それはなんかこう
45:06
レースじゃないような気がしますね 自分の
まあ皆さんもそうだと思いますけれども 他人が決めたゴールに乗っかって自分が
後悔をするのか 他人が決めたゴールもあるけれど
自分がゴールを決めてやり続けるのか なんかそんなことを
考えました これが2つ目のシェアです
さて皆さんはいかがお考えでしょうか ちょっとね今日は長くなりましたけれども
この僕のね154キロのジャーニーランというね長い旅でしたけれども この放送が皆さんのお役に立てたら嬉しいなというふうに思います
またねオリニーに触れてこのジャーニーランの話はたくさんのエピソードがありますから ちょいちょいこだしにしようかなというふうに考えていました
はいということで今日の放送は以上です 長い間というかこの46分くらいね最後までお聞き下さいましてありがとうございました
また明日お会いしましょう さよならバイバーイ
46:24

コメント

スクロール