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2026-03-01 08:24

なぜ私は卒業式を覚えていないのか


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はい、皆さんおはようございます。2026年3月1日日曜日、ツカサです。この放送は現役ベンチャー企業の管理職ツカサが、日々の仕事や生活の中での学びや気づき、そしてビールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
皆さんおはようございます。今日も京都で元気よくやっていきましょう。
今日は、私娘の卒業式ということで、今ね、部屋で一人、食器洗いをしている途中で今収録しています。
というのもね、今朝の8時なんですが、娘はもうすでに学校に行きまして、最後の登校日ですね。
そして、妻は着付けだね、着物が何とかって言って行きましたけれども。
で、私はね、食器洗ったり、洗濯物を干したりとかっていうことをやって、これから着替えて出発ということになりますが。
どうなんでしょうね、この時期は卒業シーズンということで、いろんな皆さんね、土日も予定が入っている方がいらっしゃるんじゃないでしょうかね。
節目の年と節目の時期、本当にね、振り返るいいタイミングなんじゃないかなというふうに思っております。
さて、今日の放送はですね、卒業というテーマで話していきたいと思います。最後までよろしくお願いいたします。
まずね、卒業式、娘の卒業式参加してくるんですが、皆さんも卒業式どうですかね、思い出されますかね。
私はね、卒業式あんまり覚えてないんですね。
高校も大学もあまり学校に馴染みがないっていうと語弊があるんですけれども、学校に対してね、そんなに思い入れがなかったものですから。
卒業するときもそんなにね、感慨深いものはなかったですね。何なら、本当に記憶にないですね。
今、親の立場にやって考えると、これはこれで3年間を振り返るいい機会になっていて、逆に感慨深いなって思うことがあるんですけれども、
この記憶の振り返った時に感慨深く思うか思わないかっていうところって、僕にとってはそれまでの生活の積み重ねがどこにフォーカスされていたのかっていうことに比例するんじゃないのかなって思います。
私にとって、高校とか大学はあまり所属していたコミュニティ意識は全くと言ってもいいほどなかったんで、そこのコミュニティが抜けること自体に対して、
これ言っちゃうといいのかなこれな、あんまり良くないかもしれないけど、そのコミュニティが抜けるなっていうことに対して何の思い入れも何もないっていうのがあるんですよね。
一方で、そういった高校とか大学とかのコミュニティじゃないもので抜けるとき、例えば私の場合は大学生のときにアルバイトしたお金で、
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体を鍛えておかないと健康な体がないと不健康な生活ができないっていう大会系の頭があったんで、すごい体を鍛えてたんですよね。
水泳とか行ってまして、そこのコミュニティは辞めるときにはすごく可愛がってもらいましたね。
考え深いものがありましたね、そこはね。
一人大学生で、水泳部でも何でもないのにプールずっと通ってたんで、マスターズの大会とか出たくないしね、周りからすごい可愛がってもらって、
世界人とかコーチとかね、全然水泳部でも何でもないんだけどね、それはすごく思い出がありますね。
あとは例えばアルバイトとかね、アルバイト先の仲間とか、そういったところでは考え深いものがありますよね、抜けるときね。
例えば私は転職っていうのは1回しかしてないんで、それももう20年前ですね、そのとき会社を辞めるっていうことがありましたけれども、
そのときに考え深さを覚えるか覚えないかっていうところは、その組織に対してどれだけ思い出があったかどうかっていうことになるんですよね。
その思い出の比例の度合いっていうのは、やっぱりそこでいろんな出来事があって、それを自分が学びに変えて、最終的に自分がどんなふうに思っていたのかっていうことに比例すると思うんですね。
要するにですね、最終的に辞めるときにどんな感情になるのかっていうのは、そのコミュニティにいたときのピークのときの思い出と辞めるときの感情で決まっているように思います。
これは私自身がそんなに経験はしていないけれども、あるコミュニティから出ることはないけど、プロジェクトが終わったときに毎回毎回思うことですね。
いわゆるピークエンドの法則っていうものですけれども、人はピークのときと最後のときに残っている記憶とか感情っていうもので、その期間の気持ちとか感情とか思い出とかそういったものが残る。逆に言うとそれしか残らないっていうものなんだと思っています。
そんなことを思いながら、この卒業っていうテーマで自らを振り返るとね、高校での感情のピークとか思い出とかそういったものはあまりないし、だからそのエンドのときも感情の触れ幅が全くないんだなっていうふうに思うんですよね。
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だけど例えば、クラブ活動とかスポーツコミュニティとかそういったところでは、倶楽部を共にしているとそれなりに思うところが出てくるということなんだと思います。
卒業のテーマで話しているので改めて話は戻すんですが、よくね、ボンボヤージュっていう言葉あるじゃないですか。
いい旅よ、みたいな。これを送って締めます、みたいな。卒業とか送別会とかそういうときにそんな話題になったりするんですけど、ボンボヤージュってフランス語なんですけど、これは声援が言う言葉じゃなくて船長しか言わないんですね。
いい旅よっていう言葉は。つまり、自分の人生を他人に委ねているような状況で言える言葉ではないんですよね。自分の人生を自分の意思決定で選んで進んでいる、そういった人しか使えないとも言い換えられると思います。
だからこそ、僕は娘の卒業に対して、これから娘が自分の人生の舵を切りながら主役として進んでいく、そういうことを考えて、私は私の人生の先輩としてボンボヤージュと伝えたいなと思いますし、皆さんもそういった気持ちでこの言葉をこれからも使っていただけると、
何かその度に、俺たちは人生の主役なんだと、その人生の舵を切りながら生きているんだという気持ちになれるんじゃないかなというふうに思いましたので、そんなテーマでの話になります。
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